番外 王子と護衛騎士は、鮭茶漬けに何を見るか 前編(エーミール視点)
――ひとりの男の話をしよう。
その男は、生まれながらにして将来王になることを定められ、常に期待の眼差しに晒されていた。
性格は、至って真面目で誠実――いつも笑顔を湛えていて、非常に穏やかな性格をしている。
既に、王より一部の執務を任されているが、指示、判断は的確。思考は柔軟であり、部下の意見もよく取り入れ、気遣いも出来る。弟王子や妹のふたご姫とも仲がよく、兄として振る舞う姿は微笑ましくもある。
非常に王子としては優秀。次代の王に相応しい男。そういう評価を、周囲の人間から得ている。
けれど、長年、影のごとく王子に付き従っている護衛騎士に、本当のところを問えば――実際、彼が本心を明かしてくれるか、そういった問題は別であるが――否、という答えが返ってくるだろう。
きっと、その寡黙な護衛騎士は、こう言うに違いない。
――それは、その王子の表の顔だ、と。
「ああ、面白いことはないかな」
王子は非常に貪欲だ。常に何か目新しいものがないかと探している。
この男の本質は、真面目でも誠実でも穏やかでもない。いつも、面白いものを求めて、興味の赴くままに「気まぐれ」にあちこちを彷徨うことにある。そう言った意味では、この男の本質はジルベルタ王国の遠い先祖に名を連ねるという「妖精女王」に、非常に似たのだろうとも言える。この気質は、現王も引き継いでおり、突如執務から逃亡する王を、容赦なく追い詰める宰相の姿は、ある意味王城の名物となっている。
閑話休題。
――それと、もうひとつ王子を語るに当たって、述べて置かなければならない特徴がある。それは、この王子は「気まぐれ」であると同時に、命の危険に晒される可能性があるにも関わらず、他国へ調査という名目で、自ら少数精鋭で飛び込むほどには、「好奇心が強い」男であるということだ。
王になるべき人間に、「気まぐれ」や「好奇心が強い」という本質はそぐわない。そう思う人間はかなり多いはずだ。それは、暴君にもなり得る、危険な資質であると言えるからだ。
けれど、この男は酷く優秀だ。「気まぐれ」に行動する前に、やるべきこと、成すべきことをすべて成し遂げておく。だから、彼の「気まぐれ」な行動は、ほとんど誰にも迷惑をかけることもなく、悉く周囲からは「気まぐれ」だと思われることすらない。まあ、そんな用意周到に事前に準備された行動を、果たして「気まぐれ」と呼べるのかどうか――そういった議論は、別として。本人は、自分は「気まぐれ」であるとそう思っているのだから、仕方がない。
そういう理由もあって、例え、王子がフラフラとどこかへ行ってしまったとしても、きっと、なにか深い理由があっての行動なのだろうと、周囲が勝手に好意的に受け止めてくれる……そんな王子。それが、ジルベルタ王国の次代を継ぐ男――第一王子、ルイスである。
「ねえ、エーミール。今日も面白いことが起きるかな?」
「……俺に聞くな」
「ああ、エーミールは相変わらずだねえ。王子である私に媚びることがない」
「その言い方は、悪趣味だな」
「今更かい? 君と出会う前から、私は自分の趣味が変わっているとは思っていたよ」
「そんな主に付き従わないといけない、部下の身にもなってくれ」
「あっはっは。考えておこう」
その王子は、今日も柔らかな笑みを浮かべている。
王子は、自分に対してだけ饒舌になる護衛騎士と、やるべきことをさっさと済まし、気まぐれに「面白いもの」を探しに、城を彷徨う。
その歩みが、なるべく人が居ない道を選んでいることに気がついているのは、王子の護衛騎士だけだ。
そして、王子の目の奥が決して笑っていないことに気がついているのも、護衛騎士だけだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――俺と、あのひねくれた王子が出会ったのは、いつのことだったか。
大分昔であったことは、間違いない。あの頃、俺は若かったし、王子――あいつはもっと若かった。
ジルベルタ王国騎士団は、貴族の子息から平民まで、幅広く採用している。
毎年開催される、騎士の採用試験には沢山の貴族や平民が集まり、平民に至っては、騎士になるという夢を抱いた若者が殺到するため、その倍率はかなりのものだ。
勿論、騎士のなかにも、身分の差によって明確な区分はある。平民出身の騎士は、決して騎士団の花形である護衛騎士にはなれない。護衛騎士という要人警護の任に就くのは、決まって貴族出身の騎士。隊長格も然り。平民がなんとか実力でのし上がっても、副隊長までが精々だ。
しかも、俺は平民の中でさえも、異質な存在だった。僻地である東の国の貧困に耐えかねてやってきた、元難民。この国からしたら、厄介者と爪弾きにされても仕方がない部類の人間だ。
そんな俺が、偶々やっていた騎士の採用試験を受けてみたら、運の良いことに受かってしまった。
俺は、生まれたときから体格だけは恵まれていて、腕っ節は誰よりも強かったから、そういう面を評価してくれたのだろう。けれど、所詮は元難民。運良く騎士にはなれたが、出世なんて、期待するだけ無駄だと思っていた。
まあ、それでも騎士というのは、給金が他の職に比べると大層良かった。だから、俺はそこそこ満足していたんだ。それなのに。
「――ああ、お前。面白いね」
俺の生活は、ある日を境に一変した。それは、勿論あのひねくれた王子のせいだ。
騎士団の訓練場にいきなり現れた、次期国王と目されている王子。当時、12歳ほどの少年だった王子は、どうも、自分専属の護衛騎士を近々傍に置きたいので、騎士団に下見に来たのだそうだ。
――王子の来訪の理由が知れ渡ると、訓練場は一気に浮ついた雰囲気に変わった。誰も彼もが、王子に視線を注ぎ、あわよくば自分が指名されないかと、そわそわしている。
俺は、滅多に見ることのない王族の姿が珍しくて、何をするでもなく、騎士たちに囲まれている王子を眺めていた。すると、そんな俺に、何故か件の王子が声を掛けてきたのだ。
王子が、平民出身の騎士に自ら声を掛けるなんて、滅多にあることじゃない。
周囲の注目が一気に集まり、嫉妬と羨望が入り交じった視線に晒されて、俺は顔を顰めた。
普通ならば、舞い上がってしまうものなのかもしれないが、元難民だったこともあり、この国の王族に何の感慨もなかった俺にとっては、王子という存在は只々厄介なだけ。
だから、黙って頭を下げて、早く帰ればいいのにと、心のなかでひたすら念じていたんだ。
けれど、王子は帰るどころか、にんまりと意地の悪そうな笑みを浮かべたかと思うと、俺の方を指差してとんでもないことをいいやがったんだ。
「決めた! 私の護衛騎士は、こいつにしよう」
平民を……しかも、移民を護衛騎士になんて! と驚く周囲に、王子はあっけらかんと言い放った。
「――いいじゃないか。面白そうだし。それに、その男は貴族出身の騎士よりも、よっぽど優秀だと思うよ」
……出会ったばかりのお前が、俺の何を知っているんだ。
俺はそう問いただしたかったが、そんなことをする間もなく、周囲が大騒ぎし始めた。
真っ赤な顔をして、興奮した人々が王子を止めようと詰め寄っている。勿論、詰め寄っている人々の中には、王子の護衛騎士候補筆頭だと目されていた人物も含まれていて、そいつは殺意の篭った視線を俺に向けていた。同時に、王子の考えることだから、きっと何かあるに違いないと、静観する人たちもいた。そういうやつらは、俺をまるで見世物小屋の動物みたいに、ジロジロと遠慮なく眺めてくるものだから、酷く居心地が悪い。
暫く、周囲が大騒ぎするのを、にこにことまるで神殿の神官みたいな笑顔で眺めていた王子だったが、パン! といきなり両手を打つと、まるで楽しい劇を見た後みたいな満足気な表情で、周囲に呼びかけたんだ。
それも、俺にとっては非常に厄介なことを。
「あっはははは。なんだい、なんだい。面白いことになってきた。それほど不満なのであれば、戦って証明してみせればいいじゃないか。この男よりも、自分の方が優秀なのだと。そうだ、そうしよう。この男と勝負して、勝ったものを私の護衛騎士にしよう」
柔らかな笑みを浮かべた王子は、あっという間に護衛騎士候補と俺の試合をお膳立てしてしまった。勿論、平民である俺に、王子の命令を拒否する権利はなかった。
その後、護衛騎士候補たちと試合をした。護衛騎士候補となるくらいだ、そいつらは家柄は勿論、剣の腕は凄まじいものだった。けれども、最終的には、勝利することが出来た。
何故、俺が護衛騎士候補にまでなれたやつらを倒せたか――それは、この試合が王子の一言で「なんでもあり」の勝負になったからだ。
試合前に、ふらりと俺の前に現れた王子は、そっと俺に囁いた。
なんでもあり、というのは強襲や暗器を使っても構わないということだ。目潰しなんかも、楽しいかもしれないね、と。礼儀正しく、美しい試合をすることを当然だと思い込んでいる、騎士共の鼻っ柱をへし折ってやれ、と。
そして、更に――とんでもなく楽しそうな声で、俺に囁いたのだ。
「護衛騎士の給料は、一般騎士の十倍。それも、王族の護衛騎士となれば――わかるよね?」
元々俺は、貧困に耐えかねてこの国にやってきた。生きるためには何でもしてきた。何日も食事が出来ずに、濁った水を飲んで空腹を凌いだことすらある。
そして、貧しいあの国では、暴力は日常茶飯事。荒事には慣れていたし、汚い手なんて、いくらでも見てきた。そんな場所から逃れるために――俺が成人した年に、思い切って東の国からの長い長い道を、徒歩でやってきたのだ。
――だから、今よりも遥かに高給がもらえる……それは、かなり魅力的な誘いだった。
「……金で釣るのか」
「さあね? 相応の報酬は出すという、それだけの話さ」
――こいつ、王子じゃなくて、悪魔かペテン師か、どっちかじゃないのか?
そんな風に思いながらも、俺は自分のために……そして、家族のために、どこかムカつく顔をした王子の言葉に乗ったんだ。
――そうして、俺はすべての護衛騎士候補に勝利した。俺を卑怯者と詰る罵声のなかで、あのひねくれ王子が愉快そうに笑ったのを、今もはっきりと覚えている。
「ほうら。やっぱりね。血筋で護衛騎士になったやつなんかより、こっちのが強いし――断然、面白いじゃないか」
――そうして、俺は王子の護衛騎士になった。
それからというもの、俺は護衛騎士として、常に王子に付き従ってきた。
伝統と礼儀を重んじる騎士たちからすると、卑怯な手で護衛騎士に成り上がった俺を、よく思うはずもない。俺は貴族出身の騎士からは、嫌がらせを受け、平民出身の騎士たち――それも、仲良くしていた友人だと思っていた騎士にすら距離をとられ、終いには孤立した。
「あっはっは! いやあ、今日もひとりかい? 君ってば寂しいねえ! 友達いないんだろう」
「……お前もいないだろう」
「うっ。それは言わないで欲しいなあ」
そんな俺を、ことあるごとに王子が茶化してくるのには参った。
元凶は自分だという自覚がないのだろうか。王子はいやに楽しそうに俺をからかう。
……はじめは酷く戸惑ったものだ。
俺がどんなにそっけない態度をとっても、気安く接してくる王子にも。
騎士たちからの執拗な嫌がらせに耐えかねた俺が、自棄になって護衛騎士に相応しくない態度をとっても、それを許し続けた王子にも。
「面白いからいいじゃないか。……私は、君を気に入っている」
始めは酷く腹が立った。なにせ、今現在俺が苦労している大半の原因は、この王子にあるのだ。けれど、俺がどんな態度であろうとも、見捨てずに傍に置き続ける王子に、次第に心を許さざるを得なくなる。
絆された。まさにそのとおりなのだろう。俺は自分を許容し続ける相手を、拒み続けるほど頭は固くなかったから。でも、今までの経緯から、素直に従うのも癪に障った。
「……おい、ルイス」
「やあ。どうしたんだい、エーミール。そう言えば、君は私に敬語を使う予定は?」
「お前が、心から主として敬える存在になったら、考えてやろう」
「おお、なるほど。ならば、私はもっと努力しなければ」
優秀な第一王子に、不遜な態度の護衛騎士。こうして、俺とあいつの不思議な関係が出来上がった。
……ああ、そう言えば、ある日なんとなく王子に聞いたことがある。
どうして、あの騎士の訓練場で俺を指名したのかと。
「ああ、そんなことか。あの時、紛れもなく私に一番興味がなさそうだったのが、君だったんだ」
「……意味がわからない」
「そうかなあ。私にとっては重要な事だよ」
「この変人」
「うっ! なんだいそれは、私はいたってまともだ!」
それから何年一緒に居たのだろう。気がつけば、少年だった王子は、賢く美しい青年へと成長し、常に傍に付き従っていた俺も、それなりに周囲に実力を認められ、一目置かれるほどの騎士になった。
そして迎えた、邪気の急増期。浄化の順番を巡っての諍いを避けるために、各国を飛び回り交渉を重ねる日々。非常に重要なその役割を、重圧をものともせず飄々とこなすその王子の傍らで、俺は常に王子を守る盾として、時には剣として様々な困難に立ち向かってきた。
数え切れぬほどの日々を共に過ごすうちに、気がついたことがある。
――ああ、この王子はどうしてこうも、歪んで、ひねくれているのだろう、と。
「エーミール。漸く西の国の調整が終わったよ。……これで、国元へと帰れるね」
「……どうして、泣きそうな顔をする? そんなに、帰れるのが嬉しいのか?」
ルイスは俺の問いかけに、ふるふると首を振った。
そして、表情を曇らせて、自らを両腕で抱きしめた。
「逆さ。……出来れば、あそこには帰りたくないよ」
王子は、強く賢い王と、美しく慈愛に満ち溢れた王妃の下、皆に見守られ、導かれ――何不自由なく育った。それは間違いではない。充分すぎるほどの教育を施され、その境遇は他の人間から見ると非常に恵まれたものだったに違いない。そうした状況が優秀な王子を作り上げたのか、はたまた元々王子が優秀だったのか――それはさておき。
王子は優秀だ。優秀だからこそ、暴力的なまでの期待や好意に晒されてきた。
「――王子ならば、簡単に成し遂げるでしょうな!」
「――王子ならば、間違うことはないでしょう!」
「――王子ならば、解決できるに違いない!」
王子は優しく、緩やかに、撫でるように、善意や好意という圧力を受け続け、気がつくと酷く歪んでしまっていた。
「――こんなにも優秀なのです。王子には、失敗なんてありえないでしょうな」
――優秀だからこそ、些細な失敗も許されない。期待されているからこそ、それに応えなければならない。誰かが強要した訳ではない。好意に基づいたその何気ない言葉が、真綿で首を締めるように、王子をじわじわと追い詰めていく。生来、真面目な性質を持っていたのだろう王子は、人知れず歪んでいった。
王子は酷く他人の視線を嫌う。自らに注がれる、期待の眼差し、無条件の好意。普通の人間ならば、喜ぶ類の感情が、酷く恐ろしいのだという。
「また、あの目に常に晒されるのかと思うと――逃げ出したくなる」
王子は、時たま弱音を吐いた。
「エーミール。君はいいね。君は常に冷めた目で私を見ている。それが心地良い」
王も王妃も、弟妹もいない、慰めてくれる人がいないときだけ、ぽつりと弱音を吐く。
絶対に、自分に慰めの言葉を吐かないとわかっている、俺の前でだけ、ぽつりと寂しそうに、悲しそうに。
「ああ、誰にも見られない。期待されない。何も背負わされない。そんな世界があればいいのに」
――そんな時だ。王子が彼女に出会ったのは。
屈託のない笑顔を振りまき、ちょっと間抜けで鈍感で……けれど、どこかほっとするような雰囲気を持つ、そんな彼女に。
10/31より、ヤングエースUPにてコミカライズが連載開始です!
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