護衛騎士のクリームコロッケ 5
驚きの表情でラルフさんがジェイドさんを見つめている。
ジェイドさんは、若干強張った表情で、その視線を受け止めた。
「……父さんにも、俺の好きな味を知ってほしかったんです。今日、食べてもらったのは、俺が好きな茜の味。それを、料理人の意見を聞きながら、父さん好みにアレンジしたものなんです」
「ジェイド……」
「美味しかったでしょう? 茜の味は――食べると心の奥がほっとする。これが、俺の大切なもの。父さんは下男みたいにこき使われている、なんて言ったけれど、この味が好きだから、俺は進んで茜の調理を手伝っているんです」
ラルフさんは、険しい表情でソースのみが残っている皿を見つめている。
ジェイドさんは、そんなラルフさんのことを見ていたけれど、どこか苦しそうな表情になって、言葉を続けた。
「――俺は、今まで家族から逃げてきたから、俺が家族のことを知らないくらい、家族も俺のことを知らないでしょう? だから、俺が一番好きな味を、家族に知ってもらえれば……いい切欠になるかと思って」
途端に、しん、と食堂が静まり返った。
ジェイドさんは、まっすぐラルフさんを見つめると、話を続けた。
「俺は、兄さんたちや姉さんに比べると、酷く平凡で――父さんや母さんたちが、期待を持てなかったのもわかります。俺自身も、そんな自分が嫌いでした。やればやるほど、優秀な兄さんたちに追いつけないことを思い知って……そのうち、努力するのも馬鹿らしくなって、とうとうこの家から逃げ出しました」
「ジェイド! 私たちは……!」
フリーダさんの言葉に、ジェイドさんはふるふると首を振った。
「母さん、いいんです。実際のところ、俺には突出した才能はありませんから。でも、才能がないなりに、努力を続ける道もあったんです。でも、それを選ばなかったのも俺ですから。……そこのところを、言い訳にするつもりはありません。自業自得なところもありますからね。
事実、逃げ込んだ騎士団では、みるみるうちに落ちこぼれました。国を守るつもりのない騎士ほど、役に立たないものはありません。……そんななか、俺は茜と出会ったんです」
ジェイドさんは、離宮で私と出会ったときのことを、訥々と話し続けた。
いつもつまらなそうにしていた私が、妹に泣きつかれ、自分の役割を見つけた瞬間に、息を吹き返したこと。自分にはない、情熱ややる気に満ち溢れる私を見て、酷く眩しかったこと。
私となんでもない日常を過ごしていくうちに――自分の居場所を見つけたこと。
「俺の居場所は、茜の傍にあります。やっと見つけた、大切な場所なんです。優秀じゃない俺を、あなたたちなりに心配する気持ちはわかります。でも――俺は彼女と一緒にいたいんです。どうか、放っておいて欲しい」
その時のジェイドさんの表情はとても苦しそうで、私はそっとジェイドさんの手を握りしめる。
同時に、ジェイドさんの自虐的ともとれる発言に、苛立ちを覚えてもいた。
――どうして、そんなことを言うの。まるで、ジェイドさんに価値がないみたいに。
「違う……ジェイドさんは、とってもすごいんですよ! ねえ、どうしてそんなネガティブなんですか! らしくないじゃないですか。ジェイドさんは、いつも前向きで……そんなジェイドさんにいつも助けられてきたのに」
「それは」
私は、何とも複雑そうな表情でこちらを見ている、ジェイドさんの家族たちへと向き合う。
……お互いに想い合っているのがわかるのに、どうしてこの家族はこんなにもすれ違っているの!
「ラルフさん、フリーダさん、エマさんも、聞いてください。私が、何度ジェイドさんに助けられたか。異世界に召喚されて、不安だった私の傍に居てくれて、辛い時に慰めてくれて……支えてくれたのは、いつだってジェイドさんでした。私は、ジェイドさんの優しさに、強さに、いつも助けてもらってばかりなんです」
ジェイドさんのお陰で、私がどれほど救われたか。
妹を待つことしかできない、役立たずだった、そして心の弱い私が今日ここにいられるのは、他の誰でもない、ジェイドさんのお陰なのに――!
「茜、いいんだよ」
「何がいいんですか! 誤解されたままでいいんですか!? ……ジェイドさんは、決して平凡なんかじゃないんですよ、とっても強くってすごくって……ああ、もうなんて言えば」
「いいんだ。そう言ってくれるだけで、充分だ。……茜、ありがとう」
ジェイドさんは、笑っている。けれど、同時に泣きそうな顔をしていた。
感情が昂る。もう、どうしていいかわからない。私の中の言葉が足りない。もっと、もっとうまい表現でジェイドさんのすごいところを伝えたいのに、まるで子どもみたいに喚くことしか出来ない自分が口惜しい。ああ、涙まで零れてきた。冷静になって話さなければならないと思うのに、頭のなかがぐちゃぐちゃで、うまくジェイドさんのことを伝えられないうちに、ラルフさんの冷たい声が響いた。
「喚くな。みっともない。……お嬢さんは、ジェイドを想ってくれてはいるようだが、浄化が終われば、どうせ元の世界に帰るのだろう? ジェイドを置いて、帰ってしまうのだろう? こちらの世界に骨を埋める覚悟なんてないのだろう? ならば、そんな人間が口を出さないで欲しい。これは我々家族の問題なのだから」
「……どうして、何もかも自分勝手に決めつけるのですか。ジェイドさんのことも、私のことも」
「なんだと?」
ラルフさんの表情が更に険しくなる。私はぐっと唇を噛み締めると、ジェイドさんを見た。
ジェイドさんは、ゆっくりと頷いてくれ、私の手を強く握り返してくれる。
溢れた涙を、思い切り手の甲で拭う。――化粧が崩れようが、知るもんか!
「妹のこともあります。まだまだ、決めかねていることもあります。だから、断言は出来ません。でも、ジェイドさんとふたりで、意思を確認し合ったんです。
――私たちは、ずっと一緒にいるって」
「そうです。例え、茜が異界に帰る選択をしても」
「例え、私がこちらの世界に残る選択をしても」
「「……ずっと一緒にいる」」
ラルフさんは、私たちの言葉を聞くと、俯いてしまった。
そのラルフさんに、フリーダさんがそっと寄り添う。
私はごくりと唾を飲んで、カラカラになった喉を潤す。そして、強く拳を握った。
――ここでやらねば、いつやるの!! 女を見せろ、私!!
気合を入れて、勢い良く立ち上がる。すると、ジェイドさんが驚いた表情で、私を見た。それには構わずに、胸を張って、口を引き結んで、つかつかとラルフさんの傍へと近寄る。
……ああ、ヒールの靴が歩きづらい!
そして、ラルフさんの隣にしゃがみ込んで、皺が寄って、ゴツゴツした手を両手で包み込んだ。
「なッ……!」
動揺で揺れる、ジェイドさんと同じ蜂蜜色の眼差しを、真っ直ぐ見つめる。
そして、私の心が伝わるように願いながら、ありったけの勇気を込めて言った。
「私とジェイドさんは、これからどういう道を選ぼうとも、絶対に離れません! 離れないって決めたんです。だから。……だから!! ジェイドさんと一緒に居させてください……!!
――ジェイドさんを私にください!」
ラルフさんは、目を剥いて、口をパクパクと開閉している。
わなわなと震えて、顔が真っ赤になっている。血圧とか、年齢的に大丈夫かな、なんて思うけれど……今は、私の気持ちを誠心誠意伝えるとき……!!
大きく息を吸って、その息に私の気持ち、決意――それらを全部乗せて吐き出した。
「ジェイドさんのことは、絶対に幸せにしますから……!!」
私は握りしめた手に更に力を込める。
何があっても、どういう未来が待ち構えていようとも。
この先、どういう選択をしようとも……これからもずっと一緒にいるんだから。
――だから、ジェイドさんを幸せにするんだ! 絶対に!
そうでしょう!? という気持ちを込めて、ジェイドさんの方を見る。すると、どうしてだろう。彼は茹でダコみたいに真っ赤な顔をして、項垂れていた。
「んん? あれ? ジェイドさん?」
「いや、茜。あの……その……何ていうか……」
「あらあら! どうしましょう、エマ。私、なんだか体が熱いわ」
「私もよ、お母様……」
見ると、何故かフリーダさんとエマさんまで真っ赤になっている。
私、何かしたかなあ?
ひとり首を傾げていると、フリーダさんがとんでもないことを言い出した。
「……式はいつにしましょうかしらね」
「はい!?」
かあっと顔に血が上る。えっえっえっ! なんで、そんな話に……!?
すると、ジェイドさんが私の肩をぽん、と叩いた。
「自分の発言を振り返ってごらん……」
「え? えっと……ジェイドさんとずっと一緒で、幸せにするって…………はっ。ちょ、ちょ……!?」
――な、何言ってんだあ! 私ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!
「ち、ちが……ええと!? ジェイドさんと、これからもずっと一緒にいる時間をくださいって意味で……って、意味一緒じゃないですかね!? あわわわわ」
うっかり、お嬢さんを僕にください的な発言をしてしまった……!!
がくり、と床に手を付いて項垂れる。
いや、確かに脳内で姑、小姑に嫌がらせをされた場合のシチュエーションをシミュレートはしていたけれど、まさか自分が貰いに行くパターンは考えてなかった。
途端に、全身から汗が吹き出る。思わず、近くに立っていたジェイドさんに縋った。
「ど、どうしましょう。ジェイドさんが私のお嫁さんに」
「茜、落ち着こうか」
「ちゃ、ちゃんと養いますし、家事もちゃんと分担しますからね……!」
「いや、話を聞こう?」
脳内で、白いウエディングドレスを着たジェイドさんが、私にお姫様だっこされて、ライスシャワーを浴びている。ああ、妄想でもジェイドさん綺麗!
あわあわと混乱していると、低い声が耳に飛び込んできた。
「――本当に、幸せにするのか」
「父さん、何を言い出すんだ」
「本当に、幸せにするのかと聞いている!」
それは、真っ青な顔色をしたラルフさんで、彼は私を険しい表情で睨みつけていた。
私は、ぐっと奥歯を食いしばると、表情を引き締めて立ち上がった。
勢いで言ってしまった感があるけれど、これは紛れもない本音だ。
「……お約束します。絶対です。私は――彼と一緒にいるためになら、なんでもします。それくらい……好きなんです」
すると、ラルフさんはくしゃりと顔を歪め、泣きそうな顔になって、また俯いてしまった。
唇をわなわなと震えさせて、拳を固く握りしめている。
そして、絞り出すように、掠れた声で言った。
「――私たちでは、ジェイドを本当に幸せにしてやれそうにないことはわかっている。この子を、孤独にさせてしまったのは、私たち親なのだから。きっと、君ならばジェイドを幸せにしてくれるのだろうな」
「……じゃあ! なんで、俺たちの仲を引き裂くようなこと……!」
今まで黙っていたジェイドさんが、ラルフさんに詰め寄る。
その時のジェイドさんは、怒りに顔を染めて、今まで見たことがないほどの険しい表情をしていた。
座ったままのラルフさんは、そんなジェイドさんを見上げて――どこか不安そうな表情をしていた。背中を丸めて、肩を落としている姿は、不思議な事にとても小さく見える。
「私たちは、ただでさえお前に何もしてやれなかったのに、異界のお嬢さんと一緒になれば、お前が、手の届かないところに行ってしまうかもしれないじゃないか」
「……父さん!?」
「手遅れになるのが怖かった。愛しているのに、その気持ちを伝えられないまま終わるくらいならと……」
ラルフさんは、小さく震えている。すると、フリーダさんはその背中を手で、ぽんぽんと叩いてあげていた。
ゆっくりと、優しい手つきで、傍にいるからと安心させるように。――それは以前、私にジェイドさんがしてくれたのと、同じ仕草だった。
「あなた? 違うでしょう? もっと素直になりなさい」
「う……」
「あなた?」
フリーダさんに促されると、ラルフさんは唇を噛み締めて、まるで迷子になった子どものような表情になった。数瞬のあいだ、ラルフさんは迷っていたようだけれど、やがて、ぽつりと本音を吐き出した。
「だって、エマがお嫁に行ったときも、寂しくて寂しくて耐えられなかったのに、万が一でもお前が異界に行ったりしたらと思うと……」
ラルフさんは顔を覆って、消え入りそうな声で続けた。
「もう、寂しくて死んじゃうんじゃないかと」
そして、しくしくと泣き始めた。
ジェイドさんは口を半開きにしたまま、どこか遠くを見ている。下手をすれば、口から魂でも抜け出しそうなくらい脱力していた。
エマさんは頭を抱えているし、フリーダさんは慣れっこなのか「やっぱりそうだったのねえ」なんて、朗らかに笑っている。
――不器用で可愛いって、そういうことか……!
頭の中で、先程のフリーダさんの言葉を思い出して納得しつつも、私はすっとラルフさんの傍に寄って、その肩に手を置いた。
……泣いていたラルフさんは、真っ赤な顔で私を見上げた。そして――ギョッとして顔を引き攣らせた。
何故ならば……。
「うっうっ……。わ、わかりますう……」
――私も泣いていたから。
「わ、私も、妹がもしお嫁に行ったらと思うと。想像しただけで……な、なみだがああああああ……」
ぽろぽろぽろぽろと、涙が零れて止まらない。ああ、「妹」「結婚」……「おねえちゃん、私絶対に幸せになるから!」と言って、頬を薔薇色に染めた妹が嫁いで行く……そして、姑にいじめられる妹! 止めて! 雑巾の絞り汁を妹のお茶に混入するのは止めて!
「……あ、茜、わかったから。ええと、おちつこ……」
「わかってくれるか! 君!」
ジェイドさんが、いつもの通りに私を止めようと手を伸ばした瞬間、その手を押しのけてラルフさんが、私の両手を掴んだ。
ラルフさんは滂沱の涙を流しながらも、興奮したように頬を染めている。
「そうなんだよ。そうなんだ! この心に去来する何とも言えない寂寥感……息子の将来を悪い方に悪い方に考えてしまう、この親心……! ああ、もう怖くて堪らない……!」
「ええ、わかります、わかりますとも……!! それだけ、大切だってことですよね! だって、かけがえのない家族で、宝物なんですもの……!」
「ああ、そうなんだ。そうなんだよ!」
私とラルフさんは互いに手を取り合って、頷き合う。
ふたりとも、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。
「茜さんと言ったか。君は話がわかる人間のようだ。そう言えば、君は酒を好むと聞いた。これから時間があるかね。とっておきの、秘蔵の酒がある」
「なんですって……! 素敵です。ラルフさん……。今晩は語り明かしましょう」
「はっはっは。何を水臭い。お父様と呼び給え」
「お父様……!」
ラルフさんは、控えていた侍女に、グラスと酒を持ってくるように指示した。
私はうきうきでラルフさんの隣の椅子に腰掛ける。
その後ろでジェイドさんが何かモゴモゴと言っているけれど、ラルフさんの語りは既に始まっており、私は、全力でその話に耳を傾けるのに夢中だった。
「仲が良くなったのはいいけど……急に馴染みすぎだろ!?」
そんな、ジェイドさんの悲鳴のような叫びが聞こえたけれど、私とラルフさんは話に夢中で、さらりと聞き流した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後、私とラルフさん……いや、お父様は朝まで飲み明かした。
それでわかったことがある。
お父様は、ジェイドさんに十分な愛情を注げなかったことを、心底後悔していること。
だからこそ、将来幸せになってほしくて、私とジェイドさんの交際を知った時に、焦ってしまったのだそうだ。
――異界に帰ってしまうかもしれない女性よりも、ずっと一緒にいられるこちらの世界の女性を。
それこそが、末息子の幸せなのだと固く信じて、行動に移したのだそうだ。
けれど、私とジェイドさんが「ずっと一緒にいる」と決めていると知ると、目を真っ赤にしつつも、私たちのことを認めてくれた。
それに――……。
「君がこんなに楽しい女性だとは思わなかった。酒も飲めるし……。噂には聞いていたが、女性だから、大して飲めないだろうと高をくくっていた。最高じゃないか! 君となら、美味い酒も飲めるだろうし、話も合いそうだ。それに、先程の料理も美味かった。
――ああ、そうか、君がジェイドと結婚すれば、私の義娘となるのか。……それはいいな」
「む、すめ……?」
「そうだ、ジェイドと結婚したら、君は私の義娘となる。当たり前だろう」
お父様は、そう言って満面の笑みを浮かべた。
……「むすめ」。なんて、久しぶりの響きだろう。
私は感激してしまって、涙を滲ませながら、お父様にお酒を注いだ。
――因みに。ジェイドさんのお見合い相手だけれども……。
「友人の娘さんなのだがね、社交界で淑女と名高い女性なのだよ。歳はジェイドよりも少し上だが、淑女と呼ばれているくらいなら、きっといいお嬢さんだろうと思ったのだがね。無駄になったな」
そう言って、その淑女と呼ばれている女性の姿絵を見せてくれた。その姿絵を見た私たちは、さっと青ざめた。
そこにいたのは――白髪の美女。……通称、『鮮血の淑女』。
嘗て、見合い相手の鼻から鮮血を噴かせたという、いわく付きの美女だった。
私たちは、その姿絵をそっと閉じて――遠くテスラの地で、今日も熊人の友人と、女子会という名の酒盛りを開催しているのだろう、彼女に思いを馳せた。
ちょっと、作者も茜の暴走を止められず……(遠い目)
どうしてこうなった。ほんと、すみません。シリアスに見せかけたコメディ……。
因みに鮮血の淑女とは、「女子会 in 獣人の国」のお話を参照。愉快(?)な美女です。
次回更新は、いつもどおりの水曜日です!




