ただ普通に美味しいお酒が飲みたかった話 前編
連載再開です!
どうぞ宜しくお願いします!
最近、ジェイドさんは色々と忙しいらしい。
なんでも、実家関係でゴタゴタしているんだとか。結構、頻繁に呼び出されている。事情があるのだし仕方ないと思うのだけれど、彼がいないと知っているはずなのに、いるつもりでうっかり虚空に話しかけたりしてしまう。その度に、恥ずかしすぎて悶える。
……毎日、ずっと一緒にいると、偶にいないときこうなるよね。……なるよね? な、なるはずだ!
それに、最近なんだか色々なことがうまくいかない。
ご飯の水加減を間違えて、軟飯の様にしてしまったり、洗濯機はスイッチを押したつもりが、押せていなかったらしく、二時間後にまったく濡れていない洗濯物を前にして途方に暮れたり。冷蔵庫が誤作動して、野菜室が水浸しになったりもした。トイレに入っている最中に、電球が切れて、真っ暗闇に驚いて叫んだりもした。因みに、妹に滅茶苦茶笑われた。……兎にも角にも、ついていないのだ。
ああ、なんだろう。世界が私に理不尽を働いている様な感覚。こういう時は、誰かに愚痴に付き合ってもらうか、慰めてもらうかしたい。
ストレスの簡単な解消方法。それは言わずもがな、晩酌だろう。
けれど、ダージルさんは、雪上訓練だ! なんて言って、騎士団を率いて訓練に出ていて今はいない。マルタもその訓練に同行している。王様は……論外。元々、あの人は神出鬼没だし、王様と差しで飲むのは避けたい。恐れ多すぎる。ゴルディルさんは、先日手に入れた炎の魔石を氷上船に取り付けるために、近くの港町へと出かけている。ティターニアは、冬の初めに会ったっきり音沙汰がない。まあ、ケルカさんと濃密なひとときを過ごしているのだろうから、邪魔するつもりはないけれど。
つまりは、晩酌に付き合ってくれる人がいない。一番慰めて欲しい、ジェイドさんがいない。……もう、もう!
追い詰められた私は、今晩は妹が寝てからの晩酌なんてものにこだわらず、夕食時にガッツリ飲むことに決めた。妹には悪いが、偶には姉の愚痴に付き合ってもらうことにしよう。
だから、今晩のおかずは、お酒にもご飯にも合う――冬に食べたい煮込み料理にすることにした。
時間をかければかけるほど美味しくなる料理だから、朝食を食べ終わって、妹を見送った後にすぐ作り始めようと動き出す。そこに、苛々している時には絶対に見たくない顔が、ひょっこり訪ねてきた。
「やっ!」
「…………」
我が家の玄関先で、爽やかな笑顔を浮かべて、片手を上げて挨拶をしているのは、自称ダニエル、本名ルイス。職業――。
「無職」
「いやいやいや、王子だからね。無職じゃないだろ?」
「普通の王子様は、もっと忙しいはずなんですよ。カイン王子は毎日忙しそうにしているのに、どうして目の前の王子様はことあるごとに、私の目の前に現れるんでしょうか。暇なんでしょう? そうなんでしょう? 王子というのは見せかけで、実は無職のニートなんでしょう?」
「ニートって何かしらないけど、なんだか全力で否定したい気分になるのはなんでだろうね!?」
だらだらと汗を流しながら、私の言葉を否定しているルイス王子は、今日は城の兵士の鎧を着ている。ご丁寧に、後ろで控えているエーミールさんまで兵士の格好をしていた。
ちらりとエーミールさんを見ると、さっと目を逸らされた。……また、ルイス王子の暴走を止められなかったのだろう。
私は玄関で仁王立ちをすると、ふたりに帰るようにお願いした。
今日はジェイドさんの代わりの護衛の人が来るはずなのだ。王子様なんかがいたら、その人がびっくりしてしまう。
「あれ、この格好で察してくれたかと思ったんだけど……」
「げ。まさか……」
「最近、茜ちゃんって、俺の前だと女性っぽくない低い声を出すよね」
「エーミールさん。この無礼な人をお持ち帰りしてください」
「是非、そうしたいのだが、一応は主なのでな……。一応は」
「エーミール! どうして『一応』を二回も繰り返したのかな!?」
ぱしーん! と、軽快にエーミールさんに突っ込んでいるルイス王子を呆れた目で見る。すると、私の視線に気がついたルイス王子は、「今日はダニエルって呼んでくれよ!」と、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ったので、取り敢えず靴箱の上に置いてあった、靴べらを投げつけておいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いやあ、初めてだよ。靴べらを顔面に投げつけられたの」
調理の続きをするために戻った台所で、ルイス王子は赤くなった顎を擦りながらぼやいた。
「すみません……一応は王子様なのに。一応は」
「そうだぞ、茜様。一応は王子なのだから、当てるなら見えないところにしないと。問題になるだろう? 一応は」
「お前ら、ものすごく俺の扱いが雑だね!?」
さっと、エーミールさんと同時に目を逸らす。
すると、ルイス王子は私の前に回りこんで、にこりと笑った。
「……まあ、そのぶん、俺に慣れてくれたってことだもんね? それならいいや」
「はい?」
「うわあ、嫌そうなその顔! オークそっくり! あっはっはっは」
「ダニエル、刺される前に、黙ったほうがいい」
包丁を手にした私を見たエーミールさんは、自然な動きでダニエルさんを背に庇った。
「ふふ。流石に刺しませんよ」
「まあ、女性をオーク呼ばわりした時点で、万死に値するとは思うが」
「エーミールッ!? お前は俺の味方じゃないのかい!?」
途端に青ざめてエーミールさんに詰め寄り始めたルイス王子を、半笑いで眺めながら、冷蔵庫から今日の調理に必要な材料を取り出す。
すると、エーミールさんが、ポニーテールの尻尾の毛を引っ張っているルイス王子を完全に無視したまま、私の手元を覗き込んで、酷く驚いた顔をした。
「それは……モツか?」
「はい。そうですよ」
「ええ? なになに? ……うわっ! 気持ち悪っ! 今から悪魔召喚でもするわけ?」
大きなボウルにたっぷりと入っているのは、豚の内臓……生のモツだ。確かに、うっすらピンクのモツは、程よく皺がよっていて、確かに見ていて気持ちの良いものではない。これは内臓の中でも、小腸。所謂、白モツと呼ばれる部位で、今回作る料理にはぴったりの部位。肉屋のおっちゃんにタダ同然で譲ってもらった。どうやら、このあたりではモツを食べる習慣はないらしい。
だからこその、ルイス王子の反応なのだけれど……私は不思議に思って、エーミールさんを見上げた。
エーミールさんは、じっとボウルいっぱいのモツを見つめている。その眼差しには、どこか懐かしいものでも見るような趣があった。
「茜様の故郷では、モツをよく食べるのか?」
「よく……では、ないかもしれませんが、焼いたり煮たり……色んな料理に使いますよ。モツって見た目はアレですけど、美味しいですよね」
「……そうか」
気持ち悪いと騒いでいるルイス王子をまるっと無視した私たちは、その後、意外にもモツの話題で盛り上がった。なんでも、エーミールさんの実家では、モツをよく食べていたらしい。
「肉は街に売りに行くから、残った内臓を食べるんだ。あまり、裕福な家ではなかったからな……。よく、妹や弟と共にモツの下処理をしたものだ」
「へえ……」
普段、エーミールさんは、積極的に自分から話すことはない。けれど、昔を思い出しているのか、少し目を細めて、この時ばかりは饒舌だった。
「――今晩は、それを使った食事にするのか?」
「あ、はい。そうなんですよ。今日はモツ煮込みにしようと思いまして」
「……ならば、俺も一緒に食べてもいいだろうか」
「どうぞどうぞ。沢山作るつもりなので……よかったら」
私がそう言うと、エーミールさんはふんわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「――……楽しみだな……」
そして、しみじみとそう言った。
何度も言うが、エーミールさんはルイス王子に関係すること以外は、あまり多くを語ることはない。そして、無表情である。偶に、ルイス王子のせいで迷惑そうな顔をしていることはあるけれど、滅多に表情を動かすことはない。そんな人がふと見せた、柔らかな表情に思わずどきりとしてしまった。
その後、もしかしたらまだ言葉が続くのかと思ったけれど、エーミールさんはそのまま黙ってしまったので、モツの下ごしらえを再開することにした。因みにルイス王子は、今日ばかりは手伝いたいとは言い出さず、椅子に座ってのんびり寛ぎ始めた。……軟弱者め。
そんなルイス王子の様子に嘆息していると、エーミールさんがいきなり手を洗い出して、私の手元からボウルを奪った。そして、無言で用意しておいた小麦粉をそれにまぶした。
「エーミールさん?」
「俺も手伝おう。……いいだろう?」
「あ、はい……」
エーミールさんは手元に視線を戻すと、ゴシゴシと力強くモツを小麦粉で揉み始めた。これによって、余計な臭みや汚れを小麦粉が吸収してくれるのだ。その手つきは非常に手慣れている。更には小麦粉を揉み込み終わったら、何も説明せずともモツを水洗いしてくれた。そして、徐に視線を上げると、コンロに視線を遣った。
「湯は……」
「沸かしてありますよ! 生姜とネギの青いところも一緒に入れてありますから」
「ほう。それを入れるといいのか?」
「臭み取りには、いいと思いますよ〜」
沸騰したお湯の中に、小麦粉を洗い流したモツを投入して煮こぼしていく。
すると、モツを入れた途端にお湯が白く濁った。そして、グツグツ煮込むこと数分。出てきたアクごと、ザルに空けてぬるま湯で洗い流す。これだけでは、臭みが取り切れたか不安なので、お湯でもう一度煮こぼした。あまり長く煮込みすぎると、旨味が出てしまうので注意が必要だ。茹でこぼし終わったものをもう一度洗い終わると、プリプリの白モツは余計な脂も抜けて、その名の通り真っ白な姿を現した。
「この後はどうするんだ?」
「あとはですね、根菜と一緒に煮込んでいくんですよ」
「ふむ……」
今回用意した根菜は、にんじんに大根、ごぼう、たまねぎ。それと……。
「スライム……?」
「そうです! これは食用スライムです!」
「うまいのか……それは……?」
「レイクハルトでよく食べられている、主にデザートに使われる食材なのだそうです。なんでも、湖にぷかぷか浮いているんだそうですよ! これ結構な弾力があって、臭みもないんです。それに煮込んでも食べられるので、私の故郷の『こんにゃく』に似ているなあって思ったんですよね〜」
私が手にしたのは、白濁色をした丸い塊。指で押すと、結構な固さがある。それを、レイクハルトでは甘い蜜を掛けて食べていたのだ。けれど、寒天よりも固く歯ごたえのあるそれは、初めて食べたときに、私にはどうしてもこんにゃくにしか思えなくって……。
幾つか分けてもらって、煮込み料理に使ってみたら、本当にこんにゃくそのもので驚いた。
これから寒くなる季節、こんにゃくは欠かせない食材のひとつだ。
だから、このスライムに出会えたことは大変嬉しいことである。唯一の欠点といえば、これが生前は動いていたということだけ。
指で、スライムを突いてみても、今は死んでいるので動く様子はない。
私は、窓の外の景色を眺めた。思えば、私も異世界に慣れたものだ。一番初めの頃は、オークの肉にすら戸惑っていた。あの頃の私はもういない。今はスライムだって、鑑定で「食べられる」と出ればもりもり食べてしまうのだ。
「美味しければ、もうなんでもいいですよね……」
「……ん?」
「いえ、なんでもありません。このスライムは味を染みやすくさせるために、ひとくち大に手で千切るんですけど……お願いできますか?」
「ああわかった」
すると、エーミールさんは黙々とスライムを千切り始めた。
私はそれを確認すると、根菜の下ごしらえを始める。煮溶けてしまうたまねぎは適当にざくざく切って、人参、大根はいちょう切り。ごぼうは皮を削ってから、ささがきに。アクが出るので、ごぼうはさっと水に晒しておく。
「あとは、順番に炒めて煮込むだけですね」
「ああ」
折角なので、鍋はエーミールさんにお願いして、私は横から具材をポンポン入れていくことにする。
まずは鍋にごま油を入れて、そこにみじん切りしたにんにくと生姜。生姜はたっぷり入れるのが私の好みだ。それらが熱せられて、ぷん、といい香りがたってきたら、そこにたまねぎ。たまねぎがしんなりしてきたら、他の材料を入れていって、一番最後にモツ。全体に油が回ったら、水を入れて煮込んでいく。
グツグツ沸騰してくると、アクがたくさん浮いてくるので、丁寧に掬う。
その後は、コトコトゆっくり煮込んでいくのだ。大体時間としては一時間ほどだろうか。水かさが減ってきたところで、調味料を入れる。酒、醤油、みりんを混ぜ合わせ、その中に味噌も入れて溶かす。お醤油や塩味のもつ煮込みもあるけれど、我が家では味噌仕立てだ。
調味料を鍋に投入して、軽くひと混ぜ。水分量を、具材がかぶるくらいに調整したら、その後は、沸騰させないように気をつけながら、ゆっくり40分ほど煮込んでいく。
そうしたら、一旦、火を止めて冷ます。すると、味が馴染んでとても美味しいモツ煮込みになる。
「ふう! 大体、こんな感じですかね!」
煮上がったモツ煮込みからは、生姜と味噌、モツの独得の香りが入り混じったいい匂いがする。
たっぷり入れた根菜たちが、味噌の色に染まっている。プリプリの白モツも充分柔らかくなっていそうだ。
「へえ……こうやって見ると、美味しそうに見えるかも」
すると、ルイス王子が鍋の中身を覗き込んできた。
私とエーミールさんは互いに視線を交わして――同時に首を振った。
「王子、いけません。これは人間の食べるものではありません。悪魔を召喚するための供物なのですから」
「ルイス。こんな、畜生の内臓を使った食べ物を、お前の様な高貴な身分のものに食わす訳にはいかん」
「ええ。これは、責任を持って私たちが処分しますから。あ、エーミールさん、味見どうぞ」
「む……絶品だな。絶品だが、王子の口には合うまい。残念だな、茜様」
「ええ、とても残念です」
「ちょ、ちょっと!? 待って!?」
さっさと鍋に蓋をして、コンロの隅に追いやる。
そして、エーミールさんとふたりで鍋を背中に庇って、涙目のルイス王子に言った。
「こんなにも美味しいのに! 王子に食べてもらえないなんて……私! 悔しいです!!」
「仕方ない……諦めよう……!!」
「なんで、ふたりともそんなに息がぴったりなのかな!?」
ルイス王子はそう叫んで、悔しそうに地団駄を踏んだ。
その様子に、私とエーミールさん……普段ルイス王子に振り回されがちなふたりは、目で笑いあった。