炎の儀式後日譚 聖女と王子といちごミルク(ひより視点)
「いやあ、まさか晩餐会のダンスで、聖女様が殿下を振り回すなんて、想像してませんでした!」
「セシル……。もうその話は止めろ……心の傷を抉るな」
「だだだだ、だってさ! なんかすんごいカインの顔が近かったんだよ! なのに、カインったら笑うんだもの……思わず両腕を魔力強化したよね」
「どうして、そこで魔力強化するんだ……」
「流石、聖女様ですね。会場のど真ん中で、まるで独楽の様にくるくる回る王子と聖女の図は、抱腹絶倒でした。暫く、この記憶だけで笑顔になれそうです。ありがとうございます」
「そう言ってもらえると、ぶん回した甲斐があるってもんだね。あのまま回ってたら、空も飛べそうだったもんね!」
「おい、ふたりともいい加減にしろ」
カインの執務室。暖房でほかほかしているその部屋で、いつもの様にセシルと適当なことを言いながらお菓子を摘む。カインも、ぷりぷり怒っている割に、クッキーを食べる手が止まらない。勿論、クッキーはおねえちゃんのお手製だ。シンプルなアイスボックスクッキー。型で抜かない、包丁で切るだけのお手軽クッキーは、おねえちゃんの得意なお菓子のひとつだ。
さくさく軽い口当たりに、バニラの甘い香り。バターの風味が舌の上に広がると、思わずほっこりする素朴な味。甘さも程よいから、気がつくと何枚も食べてしまう、ダイエット中の人には天敵にもなり得るヤバいやつ。
「――はいはい。食べながらでいいから、ちゃんと僕の話を聞いてくれるかな?」
そう言って、会話に割り込んできたのはヴァンテさん。暗褐色の髪に翡翠色の瞳、そして少しこけた頬。この国の宰相であるルヴァンさんの甥である彼は、いつも少しだけ顔色が悪い。丸めがねを掛けているせいもあって、如何にも学者といった雰囲気を持つ人だ。
「う、すまぬ。ヴァンテ。つい……」
「はーい、先生! 口の周りに食べかすがいっぱい付いています!」
「えっ? や、これはだね……昨日の晩から、何も食べてなくって」
私が指摘すると、ヴァンテさんは慌てて袖で口元を拭った。ヴァンテさんはこう見えて、結構なお菓子好きだ。さっきまで、誰よりも幸せそうに、おねえちゃんのクッキーを食べていたのは確認済みである。
口元を拭い終わったヴァンテさんは、恥ずかしそうに頬を染めたまま、ごほん! と咳払いをした。そして、テーブルの上に二冊の本を置いた。
「――さて、これからのことを考えるにあたって、参考になりそうな書物はこれだね」
「これは?」
「まず、こっちはこの世界の『精霊信仰』について纏めた本だよ。これには、太古の精霊信仰に関することや、その分布、教義の移り変わり……そして、精霊信仰の衰退と再興について、詳しく書いてある」
その本は、酷く古びた本だった。頑丈そうな表紙もかなり傷が目立っているし、羊皮紙も所々欠けている部分もある。
「フレアから聞いたかな。精霊信仰は、時の権力者たちの手によって弾圧された。この本の作者はね、正にその時代に生きていた精霊信仰の神官なんだよ。彼は身を隠しながらも、各地を点々として精霊信仰を絶えさせない様に活動をしていた人だ。そして詳細に、当時の状況を書き残している。権力者から追手を差し向けられたり……命の危機も数え切れないほどあったそうだよ。今、この国に精霊信仰が残っているのは、きっと彼の様な人々のお陰なのだろうね。歴史的にも、大変価値のある一冊だ」
テーブルの上の本を手にとってみる。ずっしりと重く、そして分厚い本を開くと、中には几帳面な文字が隙間なく書かれていた。所々変色した羊皮紙のその1ページ1ページに、作者の情熱が篭っている様な気がする。そっと文字に触れると、胸の奥がじん、と熱くなった様な気がした。
「それとこっちは君のお姉さんがくれた本。『宗教学』の本だね。君の世界にも様々な宗教があって、それぞれ独自の広まり方をしてきた様だね。それが色々な角度から研究されている。実に興味深い。……この二冊は、今後の参考になるんじゃないかな?」
「なるほど。異界の……それは興味深いな」
「だろう? これは、新しい観点から宗教というものを考えるのに、うってつけだと思う」
カインとヴァンテさんは、真剣に話し合っている。時折り、セシルも混じりながら、頻繁に意見を交わしていた。そう、今日この場所に集まったのは、今後どうやって精霊信仰を広げていくかを相談するためだった。そのために博識で知られていて、カインの家庭教師も務めているヴァンテさんに、助力を願ったのだ。
私たちのお願いに、ヴァンテさんは快く引き受けてくれて、更にはこの計画に、宰相であるルヴァンさんを巻き込む手伝いまでしてくれた。
「それにしても、意外でした。ルヴァン様があっさりとこの計画に賛成してくれるとは……」
セシルが感慨深げにそう言うと、ヴァンテさんはクッキーを摘みながら、苦笑しながらも教えてくれた。
どうも、ルヴァンさんは昔から聖女召喚に頼ったこの世界のことを、苦々しく思っていたらしい。
「叔父はね、聖女頼みの外交を常日頃から忌々しく思っていたんだ。若い頃は、前宰相である父親と、随分と衝突していたらしいね。だから君たちから僕に相談が来たときに、真っ先に叔父を巻き込むべきだと思ったんだ。この国の現宰相でもあるわけだしね。無関係ではいられない」
この世界で唯一、聖女召喚という秘術を持つジルベルタ王国は、長年、他国との外交の際に、切り札として聖女召喚を利用してきたらしい。それは、必ず訪れる邪気の急増期、友好国には優先的に聖女を派遣するといったものだ。
「まあ、この国は昔から精霊の加護に満ち溢れ、邪気の噴出地も少ない。貿易の拠点としても優れた場所にある。海もあって、山の恵みも豊かだ。他国から見ると、非常に魅力的だろうね。実際、過去に何度も他国から侵略を受けている。西の山脈にある石壁はその当時の名残だね」
このジルベルタ王国という国は、長年の間、他国からの侵略を受け続け、何度かは他国の支配下に置かれたこともあるらしい。その度に、自分たちの国を取り戻すために戦ってきた歴史があるのだという。百年にも及ぶ、初めての邪気の急増期――そのなかで得た、他国は絶対に持ち得ない聖女召喚という切り札。疲弊した国を立て直すためにも、この国の王族はそれを利用せざるを得なかった。
けれども、その時代からおよそ千年ほどが過ぎ、当時とは状況が変化している。今は周辺国も落ち着いていて、他国に侵略する様な動きもみられないそうだ。けれど、聖女召喚を軸に据えた外交は、今もなお続いている。
「だからこそ、これはいい機会だと思う。我が国も、この世界も変わらなくちゃいけない」
「でも、大丈夫なんですか? 私がこう言うのもなんですけど……聖女召喚が必要なくなった途端、他国から攻められたりは」
聖女召喚がなくなることは喜ばしいことだ。この世界に生きる者たちだけで、邪気という問題を解決出来るのならば、そうするのが一番だと思う。異界から召喚した聖女頼みの世界なんておかしい。けれど、そのせいでこの国が滅んでしまったら元も子もない。
「それに関しては、もう君たちが道を示してくれているよね」
「ああ。本当に、この国は君たち姉妹に感謝してもしきれないと思う」
「僕もそう思います……」
「え、ええ? どういうこと? ね、カイン説明してよ!」
何故か遠い目をしてしまった三人に、私が戸惑っていると、カインが説明をしてくれた。
「茜が異界から買ってきたくれた書物。覚えているだろう?」
「うん。色々買ってきていたよね。ルヴァンさんに頼まれたって言ってた」
しかも、その後に代金の代わりに大粒の宝石を山ほど渡されて、おねえちゃんが大騒ぎしていた記憶がある。おねえちゃんはルヴァンさんに「こんなに貰えない」と半泣きになっていた。
「君たちにとっては、当たり前のことだったから実感が沸かないのだろうが……茜が持ち込んだ書物の内容は、この世界にとっては革新的なものばかりでな」
「僕なんか、書物の翻訳をしているとね、今までの自分の中の常識が簡単にぶち壊されるものだから、精神的に辛い時があるくらいだよ……」
すると、ヴァンテさんはぐてっとテーブルに突っ伏してしまった。けれど、手にはクッキーを握りしめたままで、サクサクと前歯で齧っている。……落ち込むのか、食べるのかはっきりして欲しい。
「つまりはだ、それほど君たちの世界の技術、知識というものが、この世界にとっては貴重なものだということだ。それを我が国のものとして、新しいものを創り出せれば」
「それが、聖女召喚に代わる、外交に於ける強い武器になる?」
私が聞くと、カインは神妙な面持ちで頷いた。
そもそも、私が普段、普通に使っている家電を魔道具として再現出来れば、それだけで輸出品としては、最高の品となるらしい。それに、農業の知識や製紙技術……おねえちゃんは様々な分野の本を、満遍なく買ってきたらしく、私にしたら何がどう凄いのかわからないけれど、ヴァンテさん曰く宝の山なのだそうだ。
「あの本にある知識や技術は、異界の人々が研鑽してきた努力の結晶だ。それをこの世界に取り込めれば、産業革命が何度も起こりかねないものばかり。……それを生かすも殺すも僕たち次第だけれど――少なくとも、聖女召喚がなくなったからといって、すぐにどうこうという話にはならないさ」
途端、私も脱力してテーブルに体を預けた。……ああ、そうか。そう言うことか。なら、心配しなくていいのかなあ……? 私は未だにサクサクとクッキーを食べているヴァンテさんを見た。ヴァンテさんは、血の繋がりがあるだけあって、ルヴァンさんに似ている。
「ね、ヴァンテさん。ルヴァンさんって、こういうことになるって見越して、おねえちゃんにおつかい頼んだのかな。だって、言われなかったら買ってこなかったでしょ?」
「――叔父が何を考えているのかは知らないけれどね。……まあ、そういうことなんだろうなあ」
「ルヴァンさんは未来視でも出来るの……?」
「まさか。叔父は魔法はからっきしだよ。まあ、叔父のことだ。君たちが聖女召喚をなくそうという話を言い出さなくても、いずれはそうしたいと考えていて、着々と準備は進めていた様だね。流石は『氷の宰相』様。優秀でいらっしゃる……」
実際、ルヴァンさんにこの話を持ちかけた時には、精霊に関する大量の資料と、精霊信仰に詳しい研究者への紹介状を渡してきたらしい。精霊信仰と邪気の噴出地に関する関係性は、決して主流な意見ではなかったけれど、注目していた研究者が皆無だったというわけではないそうだ。そんな考えを持っている研究者たちを、金銭的に支援していたのがルヴァンさんなのだという。
「だから、君はそんなに心配しなくてもいいんだよ。ひより君は、穢れ島の浄化に向けて、頑張ってくれればいい。邪気の浄化が終わった後のことは、僕たちに任せてね」
「精霊信仰を広めるのも?」
「もちろんさ。これは、この世界に生きる僕たちの問題だ。炎の精霊の『核』は、ちょっと意地悪なことを言った様だけれど、要するに次回の邪気の急増期が訪れるかどうかは、僕たち人間に掛かっているわけだ。まだ、始めてもいないのに、間に合うかどうかなんて、そんな不毛なことを言っている場合じゃない」
ヴァンテさんは丸めがねをくいっと指で持ち上げると、優しげな笑みを浮かべた。
「――急増期を未然に防ぐ。それはこの世界に生きている人間にとっては、絶対に成し遂げなければいけない命題の様なものだ。そして、それを成し遂げるのは、聖女である君じゃない。この世界の人間であるべきだと、僕は思っている。任せてくれないか。君は、きっかけをくれた。聖女召喚をなくすということを、叔父の様に考えていた人間はいたとしても、実際に一歩踏み出そうとする人間は、今までいなかったんだ。
けれど、君は動いてくれた。聖女である君自身が声を上げてくれた――それが、どれほど素晴らしく貴重なものか……わかるかい? お陰で、叔父だけでなくカイン王子や、ルイス王子まで動き始めている。素晴らしい一歩だ」
「……そう、なのかな」
なんだか、モヤモヤする。だって、これは自分がやり始めたことなのに、他の人に丸投げしている様なものだ。
この問題は、フレアが言っていた様に、簡単に出来るものではない。信仰心を育むなんて、どれほど時間がかかるかわかったものではない。きっと何代にも渡って引き継いでいって、漸く達成することが出来る様な話なのだろう。
――けど、私がやりたいと言いだしたことなのに。
そんな想いが頭を過る。ヴァンテさんの言葉は正しい。けれど、納得できない。納得したくないのは……きっと、私が子どもだからだ。蚊帳の外に出されたみたいで拗ねているだけ。
視線をテーブルに落としたまま考え込んでいると、そんな私に、更にヴァンテさんは話を続けた。そのヴァンテさんの言葉は、私を容赦なく揺さぶった。
「だからね、すべてが終わったら――君は心置きなく、元の世界に帰っても大丈夫なんだよ?」
「……帰る?」
その言葉に大いに混乱する。
帰る、帰る……帰るってどこに……って、ああああああああああ!!
「そうか、私ってば帰るのかな!? カイン!」
「私にそれを聞くのか!?」
思わずカインの両肩を鷲掴みにして、ぶんぶんと前後に揺らす。カインは首をガクガク揺らしながら、顔を青ざめさせていた。
……そうだ、そうだった。すっかり、邪気や聖女をなくすことに夢中になって、自分のことを考えてなかった。穢れ島の浄化が終わった後、どうするかなんてさっぱり頭から抜け落ちていた!
「やっば。私、馬鹿じゃないの! どうするのこれ〜!」
「ゆゆゆゆゆ、揺らすな、気持ち……わるっく……うわあああああ」
浄化が終わったら、おねえちゃんから自立するっていうのは決めていたけど、具体的にどうするのかなんて、その時決めればいいなんて思っていた。元の世界に戻って高校生に戻るか、この世界に残るのか……。
ふと、私に振り回されて目を回しているカインを見る。
元の世界に戻るってことは、目の前の好きな人と別れなくっちゃいけないってことだ。
浄化が終わったら、その時決めればいい。――そう思ったのは、夏の熱い日のことだった。あの時は、自分のなすべきこと、したいこと――好きな人のこと。そこまで深く考えてなかった、自覚してなかった、未来を見ている様で……何も見えていなかった。
「まあ、帰る帰らないに関しては、まだ時間があるからね。先のことは、しっかりと考えるべきだね」
「そう……そうだよね。うん、考える。……ありがとう、ヴァンテさん」
「いやいや、勝手に帰るなんて決めつけてごめん。君の好きな様にしたらいい。この世界に残ったとしても、何も心配することはないよ。僕たちは、君たち姉妹を歓迎するよ」
……君たち姉妹。ああ、そうだおねえちゃんのこともあるんだ。
これは私だけの問題じゃない。だって、おねえちゃんはきっと――。
その時、コンコン、と誰かが部屋をノックする音がした。素早く、部屋の隅に控えていた侍女が扉へ駆け寄り、取次をする。すると、すぐに扉が開かれ、そこから見慣れた顔がこちらを覗いた。
「ひより?」
「おねえちゃん!? どうして?」
「水筒を用意したのに、忘れていったでしょう。ひよりの好きないちごミルク作ったのに」
「あ!! 忘れてた!」
おねえちゃんはジェイドさんを引き連れて、部屋の中に入ってきた。大きな水筒を侍女さんに渡すと、冷たいうちに飲むんだよ、と言って笑顔で部屋を出ていった。本当に水筒を渡すためだけに来たみたいだ。廊下に出て見送ると、ふたりが手を繋いで歩いているのが見えた。
あのふたりは、本当に仲がいい。付き合っているのは知っていたし、おねえちゃんのジェイドさんへの気持ちは周囲にだだ漏れで、たまに見ていられないくらいだ。
すると途端に、なんだか胸の奥がモヤモヤしてきた。未来のこと、浄化が終わった後のこと。
――どうすれば、一番いいんだろう。
部屋の中から私を呼ぶ声がする。戻ると、侍女さんが用意してくれたグラスに、いちごミルクが用意されていた。ほんのりピンク色に染まった、そのいちごミルクは、凍らせたいちごと牛乳、練乳をミキサーで一緒くたに混ぜたもの。いちごのつぶつぶ感が残っていて、とっても美味しい。
それをひとくち飲んだヴァンテさんなんて、キラッキラ顔を輝かせて、口の周りにいちごミルクの髭を作っていた。カインもセシルも、美味しそうに飲んでいる。
勧められて、私もひとくち飲む。まろやかな牛乳のなかに、いちごの風味が溶け込んだその味は、いつもは大好きな味なはずなのに――なんだか、ちょっぴり切ない味だった。
ちらり、とカインを見る。そして、おねえちゃんを思い出す。……ああ、どうすればいいんだろう。
ごくりと飲んだいちごミルク。ちょっと大きないちごの欠片が残っていて、偶々それを噛み締めた。途端に広がる、いちごの酸味に顔を顰める。
……ああ。もう! 甘いのに酸っぱい!
その甘酸っぱさは、なんだか私の気持ちを代弁している様で。
未来を決める選択肢を選ぶ時が近づいていることを、私に知らせてくれているみたいだった。
「なんだ、ひより。変な顔をして」
その時、私の異変に気がついたカインが話しかけてきた。すると――その時のカインの鼻が、いちごミルクで白くなっていたものだから。
「ぶーーーーーッ!!」
「う、わああああああああ! ひよりッッ!!」
折角、シリアスだったのに、その顔面にいちごミルクを噴き出してしまっても――仕方がないと思わない?
これにて連続投稿はおしまいです〜←ボロボロの笑顔
流石に色々とくたびれたので、一週間お休みを頂いて、またゆっくりマイペース投稿に戻ります。
次回投稿は9/20(水)です。
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