炎の儀式とミネストローネ 4(茜視点)
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――トカゲ、蜥蜴、とかげ……。あああああ、大変なことに。これって収拾つくの……!?
炎に照らされた、儀式の間。そこはある意味戦場と化していた。
黒曜石の様な鱗をぬらぬらと光らせた無数のサラマンダーが、天井から床からすべてを覆い尽くして、ただ一点、私の用意したミネストローネの鍋を目指している。成体のサラマンダーの特徴は、黒い鱗の隙間が灼熱の赤色をしていて、仄かに発光していると言うことだ。そんな見た目のサラマンダーたちが、儀式の間を覆い尽くさんばかりに犇めいているものだから、まるで火山から流出したマグマが部屋の中を流れている様だ。
「みなさん、サラマンダーたちを抑えるのです! 供物は、『核』であるフレア様に捧げるもの……! この子たちに食べつくされる訳にはいきません……!」
老齢の神官長が声を張り上げると、神官たちが地面を埋め尽くしているサラマンダーたちに飛びついた。
そして、問答無用と言わんばかりに、サラマンダーを千切っては投げ、千切っては投げ……。宙を沢山のサラマンダーが舞うという、なんともシュールな光景が繰り広げられている。
「せ、精霊にじかに触ってますけど、大丈夫なんでしょうか!? 精霊界に連れて行かれたり……」
「炎の神殿の神官だから、サラマンダーのことはよくわかってるだろうし、大丈夫なのかな……? まあ……ゾッとしないね」
「ですよねえ。うっかり怒りを買ったらどうなるか……」
思わず全身に鳥肌が立つ。あの奇妙奇天烈な精霊界には、もう二度と足を踏み入れたくない。
暫く、サラマンダーと神官たちの攻防を眺めていると、何匹かが神官たちの手を逃れて、ミネストローネの鍋に頭を突っ込んでいた。……そんなに食べたいのかい!? 君たち……!
例の塩の効果に慄いていると、なんだか不安になってきた。
「妹の為とは言え、大丈夫ですかね。これ……なんだか大事になりすぎているような」
「まあ大丈夫じゃないかな。ほら、サラマンダーたちが目指しているのは、茜のミネストローネだけみたいだし。他の供物には被害はない様だ。あれも万が一食べつくされても、まだまだ厨房には晩餐会用のものが残っているだろう? この騒ぎが収まれば、儀式を再開するのには問題ないさ」
私の肩を抱いて、一緒に壁際に張り付くようにして目の前の惨状を眺めていたジェイドさんは、なんでもないことの様に言った。なんだか、ちょっぴり不機嫌な気がする。怒っているのかなあと、様子を窺ってみたものの、私は自分の顔がだらしなくニヤけるのを止められなかった。
そこに居たのは、長いまつげ、涼やかな目元。形の良い艶っぽい唇。すっと通った鼻筋。黒髪のウィッグも、ばっちり似合っている妙齢の美女だったのだから。――ああ、眼福……!
「――茜?」
「ん? あ、ああ! たくさんありますもんね、大丈夫、大丈夫……」
実はこの儀式に参加するに当たって、ジェイドさんに計画を打ち明けた時、彼は私が参加するのをかなり渋った。けれど、どうしても参加したかった私は、辛抱強くジェイドさんを説得して、彼が常に一緒にいることを条件に許可を貰ったのだ。けれど、儀式の間に入れるのは、浄化の旅に参加する王子以外は女性のみ。というわけで、苦肉の策でジェイドさんが女装する羽目になった。……何故、化粧までバッチリしているのかと言うと、ヴィルマさんと私の悪ふざけだ。
――それにしても、すっごい綺麗。私と比べたら、薔薇とペンペン草くらいの差があるんじゃない!? おお……リアルな女神がここにいる。拝んでおこう。ご利益がありそうだ……なむなむ。
こっそり手を合わせて拝んでいると、急にジェイドさんが振り向いた。そして、私の意味不明なポーズを見て何度か瞬きをすると――。
「こら、何してるんだよ。茜は偶に変なことするよなあ」
そう言って、ふわりとまるで大輪の薔薇のような、艶やかな笑みを浮かべた。
「――はう!」
ずっきゅん。聞こえるはずのない銃声が聞こえた気がする。ああ、鼻血出そう……。
思わず鼻を押さえると、ジェイドさんが心配そうに覗き込んできたので、新しい扉を開かないためにも「こっち見ないでください!」と手でジェイドさんの顔を退けた。
「……ちえ。なんだよ……」
ちょっとむくれてしまった、そんなジェイドさんの顔も相変わらず美人でした。
私たちが壁際でそんなことをしているうちに、事態はどうやら進行していた様だ。
供物台を神官たちで取り囲み、次から次へと襲い来るサラマンダーを千切っては投げ、千切っては投げ……。そうすることで、なんとか供物を守り抜こうという算段の様だ。
すると、漸く妹がいないことに気がついた神官長が騒ぎ始めた。
「聖女様は!? 聖女様のお姿が見えない……! 聖女様はどちらにいらっしゃるのです!? ああ、なんてこと。未だ嘗て、これほど混乱に陥った儀式は記録にもありません……わたくしの代でこんなことになるなんて……ああ、炎の精霊よ、どうしてこの様な試練を与えるのですか!」
神官長は周囲の惨状を目の当たりにして、地面に崩折れると大声で泣き始めた。熟年の神官が慰めているけれど、神官長の嘆きが止まる様子はない。宙をサラマンダーが舞い飛び、神官長の鳴き声がこだまする儀式の間に、転機が訪れたのはその直後のことだ。
「――皆の者!」
その声がした瞬間、空気が変わった。先程まで騒がしかった儀式の間が、一瞬にして静まり返ったのだ。
どうやら、『核』との対面を無事済ませたらしい妹が現れた様だ。
その場にいた誰もが、妹の声がした方を一斉に見た。すると、その衝撃的な光景に固まる。号泣していた神官長すら、現れた妹を呆然と見つめていた。
「炎の精霊であり、『核』であるフレア様が直々においでくださいました」
妹はらしくない丁寧な言葉遣いで皆に語りかけると、抱きかかえた大きな蜥蜴の背中を撫でた。
それは、頭から尻尾の先までゆうに2メートルはあろうかという、巨大なサラマンダー。その鱗の艶やかさは、他のサラマンダーとは比べ物にならない。まるで黒い宝石を纏っている様なその艶めき、そして鱗の間から漏れる真紅の光は、直視すると目が潰れてしまいそうな程の眩しさ。すらりと伸びる尻尾の先からは、常に炎が吹き出していて、見るからに熱そうだ。
フレアと呼ばれたそのサラマンダーは、大きな頭を巡らし、周囲を威圧するかの様に見回した。するとその真紅の瞳に射抜かれたサラマンダーたちが、恐れを為したのか後ずさった。その姿は、みるからに他の個体とは一線を画していて、明らかに上位の存在なのだと言うことが、放ち続けている威圧感からも感じられた。
「……フレア様……」
神官長はそう言うと、すぐ様その場で平伏した。
すると、周囲の神官たちもそれに倣って一斉に平伏す。そのフレアと呼ばれたサラマンダーは、真紅の瞳をぎょろりと動かしてその様子を見ると、満足気に目を細めた。
やがて、妹はゆっくりと供物台に向かって歩き始めた。
その光景は正に壮観だった。
妹が一歩踏み出すと、フレアに恐れを為して、頭を低くしたサラマンダーたちが、まるで潮が引いていく様に道を開けるのだ。神官たちが軒並み黒い衣装を着ている中、妹だけが赤い衣裳を着ているせいもあって、フレアと妹がゆっくりと進む様はどこか神々しかった。
――けれど、私は妹の表情を見た瞬間、途端に心配になった。
フレアを腕に抱き、気取って歩くその姿は聖女らしく見える。この場にいる神官たちは、妹を神様でも見る様な目でみているけれど、実際、妹の眉は不安そうに下がっているし、汗も凄い。緊張しているのか、動きも硬かった。『核』であるフレアとの対面で、一体何があったのかわからないけれど、きっと妹は妹で一生懸命役目を果たそうとしているのだろう。
――頑張れ!
見ていることしか出来ない自分をもどかしく思いながら、私は妹の一挙一動を見守った。
供物台がある舞台まで辿り着くと、フレアはするりと妹の腕から抜け出し、ミネストローネの鍋に近づく。そして、チロリと舌を出すと、供物台へと前脚を乗せて鍋の中を覗き込んだ。
そして、一度頭をもたげると――。
「にしし!」
ニィ、と口端を釣り上げたかと思うと、思い切り鍋に頭を突っ込んで、ミネストローネを貪り始めた。
「一瞬、笑った様に見えたんだけど……!?」
「……俺も」
こそこそジェイドさんと話しながら、フレアの様子を見守る。
……ゴフッ、ゴフ、ガツガツガツガツ……ジュルル。
儀式の間に響いているのは、ミネストローネを啜り、喰らう音のみ。どうやら、気に入ってくれた様だ。鍋に頭を突っ込みながらも、ヒュンヒュンと炎を纏った尻尾を左右に振っている姿を、可愛いなと思ってしまったのは、きっと疲れているからだろう。
やがて、鍋の中身がなくなると、フレアは鍋から顔を上げて、チロチロとその長い舌で顔中に付いたミネストローネを舐め取り、満足そうにゲフゥ、とげっぷをした。
すると、その様子を見た神官長が、フレアの近くに行き、跪いた。そして、緊張した面持ちで語りかけ始めた。
「偉大なる『核』フレア様。どうぞ、供物に満足したのならば、邪気を祓わんとす聖女に祝福を。
その潤沢な魔力で、暗闇を明るく照らす炎の力の祝福を。その御力を魔石へ込めて、どうか。どうか――」
神官長の声は、恐れからか震えていた。
大量の汗を掻き、体も震えている様に見える。けれども、頬は上気していて、目はしっかりとフレアを捉えている。その瞳に込められた熱量は凄まじいものに見えた。
「――にしし!」
神官長の言葉を受けたフレアは、またニィ、と笑った。そして、天井を見上げた。
思わず釣られて一緒に天井を見上げる。そこにあったのは、儀式の始まりを告げた、サラマンダーを腕に抱いた乙女の像だった。けれど、その像は先程までとは姿を一変させていた。
思わず目を擦って二度見する。なんていうことだろう。いつの間にか、その乙女の像が真紅の巨大な結晶に閉じ込められていたのだ。
「僕は大満足だよ。……美味しいものをありがとう」
すると小さな女の子の声がしたと思った瞬間、その結晶がピシピシとひび割れていき――まるでガラスが割れた様な音と一緒に、舞台の中央に向かって無数の――炎の魔石が降り注いだのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「まああ! 茜ちゃん、ものすごく美味しいわあ!」
「ありがとうございます。王妃様にそう言って頂けるだけで、頑張った甲斐がありました」
「もう。もっと胸を張っていいのよ? 見てご覧なさいよ。みんなあなたの料理に夢中じゃない」
儀式の後の晩餐会は、炎の神殿にある礼拝堂を開放して盛大に行われた。
この晩餐会は国王夫妻が主催だ。礼拝堂は炎の精霊の色である赤色の飾り付けをされ、沢山の花が飾られてとても華やかだ。そこにはジルベルタ王国中の有力貴族や、炎の神殿に参拝しに来た信者たちが集まり、皆思い思いに過ごしていた。貴族も平民も、分け隔てなく一緒にいるこの場所は、国王夫妻の細かな気遣いがところどころで見られ、身分差による諍いが起こることもなく、和やかな雰囲気だった。
そして、晩餐会では、供物にもなった料理たちが参加者に振る舞われていた。
その中でも一番人気が、私の作ったミネストローネ。ひとり一杯までだと言うのに、何度もおかわりをしようとしている人までいて、量が足りないと不満が出るほどだ。
「……ありがとうございます。あの。なんというか、ちょっと恥ずかしいですね」
「そう言う謙虚さが茜ちゃんの良いところだけれどね。自信を持って。――大丈夫よ」
王妃様の言葉に、頬が緩む。ああ、もう。王妃様の言葉は、いちいち私の胸を打つのだ。その温かい眼差しも、包容力も。時々、死んだ母親がダブって切なくなる。
「神官長も感激していたわ。あれほど沢山の炎の魔石を『核』から賜ることが出来たのは、未だ嘗てなかったことなんですって。そもそも、『核』が自ら姿を現すこと自体、とっても稀なんですってよ。もう、神官長ったら泣いちゃって、大変だったんだから」
「……はあ」
どうやらあの騒ぎは、最終的には良い方向へと転がったらしい。サラマンダーたちが暴走して大変なことになったことも、途中で聖女の姿が見えなくなったことも、『核』の出現と大量の炎の魔石のお陰で、有耶無耶になった様でほっとする。
「それもこれも、茜ちゃんのミネストローネが美味しかったからね。感謝しているわ。今日の晩餐会は楽しんでいって頂戴ね。この後、ダンスもあるのよ? うふふ。ドレスも似合っているわ。サイズもぴったりね。とっても可愛い!」
「あ、ありがとうございます……」
私が今着ているのは王妃様が用意してくれたドレス。蜂蜜色の生地で作られた、少し細めのシルエットのドレスだ。ドレスなんぞの知識はまったくないので、これがどういうものなのかさっぱりだけど……胸元で光っているジェイドさんの魔石とぴったり合っていて、私としては嬉しい限りだ。
「きっとジェイドも褒めてくれるわ」
「そ、そうでしょうか……」
ちらりと周囲の女性へと視線を走らせる。晩餐会の会場には、着飾った女性たちがたくさんいた。さあ、想像してみて欲しい。ここは異世界だ。そして、どちらかと言うと西洋風の世界。女性たちは、所謂外人さん的なナイスバディ揃い。お尻の位置が高く、脚も長い。びっくりメロンなお胸の妖艶なお姉さまや、内臓はどこに行ったんだろうという鋭角なくびれを持ったお嬢様。そんな方々がぞろぞろいるのだ。
――戦う前に、既に負け戦確定!
なんだか自分から首をさらけ出したい気分。その時、ふと頭に疑問が過る。
何故ジェイドさんはこんな美女が溢れる世界で私を選んだのだろう。着飾っている女性たちは皆、貴族の子女たちだ。つまりは同じ貴族であるジェイドさんなら、こういった女性と関わり合う機会も多かったはず――。
「ジェイドさんって、もしかして目が悪いんですかね。も、もしくはものすごく趣味嗜好が変わっていて――」
「茜ちゃん?」
「と、特殊性癖……!? まさか、ジェイドさんッ!?」
「君は護衛騎士くんのことを、なんだと思っているんだい……」
嫌な妄想を振り払いたくて、王妃様に涙目で問い詰めていると、そこに呆れ顔のルイス王子がやってきた。その後ろにはエーミールさんもいる。
「なんだ、茜は自分に自信がないの? それはそれは……」
「なんですか、その言い方……」
「いや、別に? それはそうと、護衛騎士くんのところに行く勇気がないのなら、私に付き合ってくれないかな?」
「え?」
ルイス王子は柔らかな笑みを浮かべると、私の手を取り、甲に唇を落とした。
「この後のダンスなんだけど。私のパートナーになってくれないかな」
「嫌です」
即答すると、ルイス王子はさも可笑しそうに笑いだした。
「そっ……それはっ……く、くくく……。一応、理由を聞かせてもらえるかな……?」
「そもそも踊れないですし。それに、ルイス王子と踊るくらいなら、ひとりで裸踊りでもしたほうがマシですね」
「うわあ、それはそれで面白そうだ。見てみたい。ところで、私はいつの間にか、君にこんなにも嫌われてしまったんだね?」
「いや……そう言う訳じゃなくって。……あ。でも、黙って儀式に参加させようとしたことに関しては、怒ってますけどね!? それに……」
続く言葉を喋ろうとした瞬間、なんだか照れくさくなってしまった私は、視線を逸して床を見つめた。そのせいで、近づいて来ているその人にまったく気がついていなかった。
「もし踊るとしたら、ジェイドさん以外は嫌ですし」
「……だってさ、護衛騎士くん」
「え!?」
ぱっと顔をあげると、そこにはなんだか複雑そうな表情をしたジェイドさんがいた。
いつもの銀色の鎧を着た騎士姿と違って、騎士の正装姿だ。ジルベルタ王国の紋章が大きく縫い取られたその正装は、いつもとは違う意味でジェイドさんを凛々しく見せていた。
思わずぽうっと見惚れていると、興味深そうに私たちを見ていたルイス王子を、エーミールさんが無理やり襟首を掴んで引きずっていく姿が見えた。……なんだったんだろう。あのふたり。
王妃様に挨拶をして、ジェイドさんに引かれて人が少ない場所まで移動する。その間、ジェイドさんはずっと無言だった。
「あの、ジェイドさん……?」
「…………」
立ち止まっても尚、無言のジェイドさんをそっと見上げると、彼は大きく溜息を吐いた。
「……茜は、王子様の誘いに乗らなくて良かったの?」
「――はい?」
「王子様にダンスに誘われるなんて、名誉なことじゃないか。女性なら誰もが憧れるんじゃないのかな」
「えええ……私が? ルイス王子と? ダンス?」
まあ、お伽話の様な話ではあるけれど、正直な所そんなのまったく想像できないし、ときめかない。相手があのルイス王子だからと言うのもあるけれど……確かに見た目だけなら極上だけど、あの人を面白がるところは好みではないし。……少しだけルイス王子と一緒に踊る自分を想像してみる。ああ、笑顔で互いの足を踏み合う未来しか見えない。
「いや……勘弁してください……罰ゲームか何かにしか思えません」
「…………ぶっ!!」
そんなことを考えていると、何故かジェイドさんがぷるぷると震えて、必死に笑い声を堪えているのに気がついた。
――な、何事!?
驚いていると、ジェイドさんが私の手をぎゅっと握った。温かなジェイドさんの体温にほっとする。
「……ああもう。まったく、茜は茜だね」
「え?」
その時のジェイドさんは、どこか安心したような、それでいて少し泣きそうな顔をしていて、ドキリとする。その表情の意味を聞きたかったけれど、ジェイドさんはそんな暇を与えてくれなかった。
「――茜。俺とは踊ってくれるんだよね?」
「ええ!?」
そう言って、私をぐいぐい引っ張っていこうとするものだから、慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! ええと、踊るんですか……!? 確かに、ジェイドさんとじゃなきゃ嫌だとは言いましたけど! や、待って。ジェイドさん、私、盆踊りくらいしか踊れませんから!」
「ぼんおど……? なにそれ」
「パパンがパンみたいなやつです……って、そうじゃなくって!」
全体重を掛けてジェイドさんを止めようとするけれど、ヒールを履いているせいもあって、中々踏ん張れずに、一向にジェイドさんの歩みが止まる気配がない。気がつくと、あっという間に会場の真ん中まで連れてこられてしまった。
そこには沢山のカップルがいて、既に音楽に合わせて踊っていた。体を密着させて踊っている人々を見て、一気に顔が熱くなった。
そんな私を他所に、ジェイドさんは何食わぬ顔で手を取って腰に手を添えてくる。ああ、ジェイドさんの顔が体が体温が……! 何よりも滅茶苦茶近い……ッ!
この場からどうしようもなく逃げ出したくなって、ジェイドさんに小声で抗議した。
「もう! 止めましょうよ……! 私みたいな踊りのド素人と一緒に踊ったら、ジェイドさんが恥ずかしい思いをするだけですよ! 私なんかより、もっと綺麗なお嬢様がたを誘ってあげては……」
そうなのだ、正直気付いていないふりをしていたのだけれど、ジェイドさんに熱視線を注いでいる会場の女性たちは少なくない。あの胸のインパクトが殺人的な女性も、さっきからじぃっとジェイドさんを見つめているではないか。抱き心地も、きっとあっちのほうがいいだろう……。自分でそう思っておきながら、泣きたい気分になっていると、ジェイドさんが真剣な眼差しで私を見つめているのに気がついた。そして、その蜂蜜色の瞳から目が離せなくなってしまった。
「茜より綺麗な人はここにはいないよ」
「……ふあっ!?」
突然放たれたストレートな言葉に、思わず変な声が漏れる。すると、ジェイドさんは可笑しそうに笑って、ぐっと私を抱き寄せた。
「……誰がなんと言おうと、俺には茜しかいらない」
「…………!!」
そして、私のこめかみに唇を落とすと――音楽に乗って、ゆっくりと動き出した。
……ああ、心臓がうるさい。顔が熱い。きっと私の顔は今とんでもなく赤いに違いない。それこそサラマンダーの放つ炎よりも赤いはずだ。
――もう、ジェイドさんってば、不意打ちで恥ずかしいことばっかり……!
ジェイドさんの足を踏まないように、ぎこちなく踊る。しっかりとジェイドさんがリードしてくれているから、スローテンポな曲ということもあって、意外と踊れているような気がする。
そっと見上げると、どこまでも果てしなく甘いジェイドさんの優しい眼差し。その蜂蜜色の甘さにクラクラしながら、私とジェイドさんは長い夜のひとときを過ごしたのだった。