幕間 聖女と『核』と邪気と浄化(ひより視点)
気がつくと、見知らぬ小部屋の中にいた。
「――カイン?」
呼びかけてみても、カインの姿はどこにも見当たらず、どうやらここにいるのは私ひとりの様だ。その部屋は漆喰の様なのっぺりした白い壁に、石の床。それだけなら普通だけれど、天井にはびっしりと配管が敷き詰められていて、所々管から黒い煙が室内に向かって吐き出されている。そして、家具らしきものは何もないけれど、そのかわり部屋の真ん中におかしなものが鎮座していた。
私はそれを見て目を疑った。何故ならば、それはベビーベッドだったのだ。柵が四方に巡らされた、赤ちゃん用の小さなベッド。そこに布団が敷かれていて、沢山のぬいぐるみとクッションが置かれていた。なによりもそこには3歳位の、ふたご姫よりも小さな女の子がいて、私を見つめていたのだ。
「よく来たね。お嬢さん」
「あなた、誰……あ、うう……」
見た目よりも、遥かに流暢な喋りの女の子に話しかけようとした瞬間、私は急に具合が悪くなり、床に座り込んでしまった。全身を倦怠感が襲い、目眩がする。指先から、肌から――肺から、異物が体の中に侵食してくるおぞましい感覚がして、思わず悲鳴を上げた。
すると、女の子は「ああ、うっかりしていたよ」と言って、指を鳴らした。途端に、体を襲っていた様々な不快感が一気に消え去りほっとする。
息を荒げて座り込んだままでいると、女の子がにしし、と特徴的な笑い声をあげた。
「ごめんね、お嬢さん。ここには濃厚な穢れが流れ込んでくるんだ。普通の人間には居心地が悪かったろう。気が利かなくてすまないね。見ての通りの幼女なんだ。許してくれるよね?」
そう言いながら、女の子は私に両手を差し出した。そして、何かを強請る様に「ん」と小さな声を出す。意味もわからず瞬きをしていると、意図が中々伝わらず苛立ったのか、段々と女の子の声が大きくなっていった。
「〜〜〜ん!」
「……な、なに?」
「だから……!!」
……もしかして、抱っこしてベッドから降ろせと言う意味だろうか。
確かに、その女の子の身長では、自力でベビーベッドから降りるのは難しいだろう。
随分と大人びた話し方をする割に、この行動だけは見た目通りで思わず噴き出す。すると、女の子はぷくっと頬を膨らませてむくれてしまった。私は慌てて立ち上がると、その子を抱き上げて床に降ろしてあげた。すると、女の子は燃えるような真っ赤な髪をかきあげて、ちょっぴり引き攣った笑みを浮かべて「すまないね、助かったよ!」と胸を張って偉ぶった。
私は苦笑しながら、しゃがんで女の子に視線を合わせ、脳裏に浮かんでいた疑問をぶつける。
……ううん、疑問じゃない。それは確認だった。
「ねえ、君さ。炎の神殿の『核』?」
「そうだよ。はじめまして、聖女ちゃん」
すると『核』はにしし、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だけどね、僕の名前は『核』なんて無粋なものじゃないよ。母上から頂いた立派な名前がある。どうかフレアと呼んで欲しい」
「わかった。フレア。私はひよりだよ。名前で呼んでくれる?」
すると、フレアは「あー……」と複雑そうな顔をして、癖っ毛の頭を乱暴に手で掻いた。
「すまないね。僕は短命種の名前は覚えないことにしているんだ。あっという間に炎に還ってしまう者の名を覚えたって、虚しいだけだろう?」
「…………そうなんだ。わかった」
私は納得して、名前呼びを素直に諦めた。私たち人間と、生きる時間の長さが違う彼らには、彼らなりのルールがあるのだろう。
「それで、聖女ちゃんがここに来たのには、訳があるんだろう? ちょうど暇なんだ。僕に話を聞かせておくれよ」
フレアはそう言うと、ベビーベッドからクッションを引っ張り出して、床に並べた。そして、そこにぽふん、と座って私にも座る様に促してきた。
――ここでのんびりしていていいのだろうか。
一瞬、頭に儀式の間の阿鼻叫喚を思い出したけれど、この『核』と話せるという貴重な機会を逃すまいと、フレアの隣に座って、ここに来た訳と私の考えをぶつけた。
「――ふうん。つまりは、邪気の急増期をなくして、聖女を喚ばなくていい様にしたいんだね?」
ぷにぷにの幼児特有の小さな手で、ちょこん、と人差し指を立てたフレアは、少し考えこむような素振りを見せた。すると、すぐに何か思いついたのか、にしし、と愉快そうに笑った。
「うん、出来ると思うよ。正しい対策を取れば、次回の急増期は訪れないだろうね」
「ほんとう!?」
嬉しすぎて、思わずフレアに四つん這いで詰め寄る。すると、フレアは心底面倒そうに顔を背けた。
「ああ。でも君に理解してもらうためには、長い説明が必要だね。……まったく、面倒だけどするしかないのか……。ねえ、聖女ちゃん。君はどうして、邪気がこんなに溢れ出る世界になってしまったのだと思う?」
「……それは。わからない。カインたちも知らないと言っていたし」
「だろうね。これは、この世界を創り上げたものたちしか、知らない仕組みが関係しているからね」
それから、フレアはポツポツと邪気の急増期が起きるまでの出来事を話してくれた。
「そもそもこの世界は、僕たち精霊――炎、水、風、土、木の5属性の精霊と母上で創りあげたものなんだ。
母上はこの世界を創り終えた後、この世界に生きとし生けるものたちが活動していくうえで、自然と穢れが発生することに気がついた。それは、最初はほんの僅かだったから問題はなかった。けれど、生き物たちの中で人間が突出して数を増やし、世界中に広がっていった過程で、その穢れは放っておけないほどの量になってしまったんだよ。人間がここまで増えなければ、こんなことにならなかったんだろうけどね。
穢れというのはね、生き物が生きる過程で自然に発露する、感情のクズみたいなものだ。それは感情表現が激しい、人間と言う生き物が最も多く産み出す」
フレアは赤毛を指先で弄びながら、つまらなそうに続けた。
「それが空気中に漂う魔力と混じり合うと、まるで雨の様に大地に染み込んでいくんだ。そして、地中深くで集まり、長い時を掛けて凝縮されていく。そして出来上がったものが邪気だ。地中の邪気は、まるで湧水の様に地上に溢れ出し、生きとし生けるものを穢す様になっていった」
だから、フレアの言う「母上」とやらが、各精霊のなかでとりわけ優秀な者たちを選んで『核』とし、精霊信仰を通して邪気を浄化するシステムを作ったのだそうだ。
「母上は、穢れを最も多く産み出す人間にも役目を与えることにした。人間が精霊に祈りを捧げると、あーら不思議。地中に染み込むはずだった邪気の元となる穢れが、祈りに乗って精霊の『核』に集まるんだ。
ほら、さっきまで、天井から噴き出していた黒いの。あれが穢れさ。そして、あれは僕の糧でもある。信仰と一緒に集まった穢れを僕が力に変えて、炎の精霊に分散する。そういう仕組みだ。つまりはだ、精霊を信仰すればするほど、生まれた穢れが地中に染みていく総量が減るということさ」
「……それって」
「つまりは、精霊信仰を復活させれば、少なくとも邪気の急増期はなくなるだろうね。勿論、精霊信仰が復活したからと言って、邪気自体がなくなることはないだろうけど。けれど、通常期くらいの量には抑えられるんじゃないかな」
――ああ、これこそが私が求めていた答えだ……!
心臓が激しく鼓動している。興奮が抑えきれない。やっぱり、精霊信仰と邪気の量に関係はあったんだ。私たちの考えは間違っていなかったんだ……!
フレアはそんな私の様子を呆れた様に見て、「喜ぶのはまだ早いんじゃない?」と冷たく言った。
「その仕組みは完璧だった。けれど、今の現状はどうだい。地上は溢れた邪気で危機を迎えている。その完璧な仕組みは、ある日、愚かな人間たちの手によって破綻してしまったんだ」
「それが、今現在、精霊を信仰している人が少ない理由?」
「そうさ。その愚か者たちは、精霊ではない、独自で創り出した神を信仰する人間たちだった。彼らは、精霊信仰を目の敵にして、武力でもって排除しようと動いた」
精霊信仰の総本山である大神殿に乗り込んだその人間たちは、建物を破壊し尽くし、精霊信仰を主導していた神官たちを皆殺しにした。そして各国にも、精霊信仰から自分たちの神へと乗り換えるように圧力を掛けた。時には戦争にまで発展したこともあるらしい。
「独自の神を信仰していたものたちは、尽くが権力者たちだった。素朴な精霊信仰じゃあ、満足出来なかった様だね。彼らは潤沢な資金と、圧倒的な武力で、あっという間に精霊信仰を駆逐していったよ。各地の神殿も破壊された。――レイクハルトと言ったかな。そういう名前の都市にあった神殿なんかは、湖に沈められたらしいよ……あそこには、風の『核』が居たのに。酷いものだ」
急につい最近までいた場所の話が出てきて、ドキリとする。
あの巨大な神殿や遺跡群が湖に沈んだ背景に、そんなことがあったなんて。
「このジルベルタ王国だけは、周囲の権力者たちの目から逃れて、なんとか精霊信仰を存続させてくれた。だから、今もこうやって信仰が残っているんだよ。有り難いことにね」
「あの。フレア。つまりは、その新しい神様を祀っている新興宗教? みたいなのが精霊信仰を押しのけて、この世界で主流の宗教になったってことよね? 浄化の旅でこの大陸中を回ったけど、そういう大きな宗教を見たことがないんだけど」
「だろうね。奴らは、初めての邪気の急増期。100年にも及ぶ、邪気の大氾濫によって、尽くが駆逐されたからね。……あっけないもんさ」
そして、フレアはまた静かな口調で語り始めた。
精霊信仰が衰退した後、『核』による浄化作用を失った星は、内部に邪気を貯めに貯め込んだ。当然のごとく――やがて、大量の邪気が地上に溢れかえったらしい。
その100年間の邪気の大氾濫で、一旦人間は絶滅寸前まで追い詰められた。それを、フレアの「母上」なる人物が、こっそりと精霊信仰を続けていたジルベルタ王国へと「聖女召喚」の秘術を授けることによって、救世主である聖女を召喚し、絶滅の危機を回避することが出来たのだと言う。
「……そのあと、人間が精霊信仰に回帰してくれればよかったんだけどね。一旦、絶滅近くまで追い詰められた人間たちは、嘗て信じていた精霊になんて、目もくれなかった。まともに精霊に祈りを捧げているのは、今も昔もこの国だけだ」
そう言うと、フレアは近くにあったクッションを抱え込み、にしし、と意地悪く笑った。
「さあて、そんな歴史的背景がある世界に、また精霊信仰を浸透させるには、果たして何年かかるんだろうね? それは、次回の邪気の急増期までに間に合うものなのかなあ。僕には、難しいことに思うよ」
「……ッ!」
「そもそも、最初に精霊信仰が世界に簡単に広まったのは、当時の人間が純粋なものが多かったからだよ。素朴と言ったほうがいいのかな? 原始的な生活からやっと脱却できた頃だったからね……さあ、今現在の人間たちは、果たしてどれくらい精霊信仰を受け入れてくれるものなのか」
「精霊信仰が、邪気を減らすことに効果的だって広めれば……」
「それはいい考えだね。せいぜい頑張ってご覧。――因みに、心からの祈りでなければ、『核』の下へは穢れは届かない。……そう、これは母上が人間に課した試練であり、義務なのだから。適当じゃあ済まされないんだ」
にし、にしししし。にしししししし。
信仰について語るフレアは、酷く愉快そうだ。……なんだか不快だ。
「どうして笑っていられるの。そもそも、邪気なんてものが生まれる様になっちゃったのは、この世界を創る時に失敗したからじゃないの!?」
「だろうねえ。我が母上も、こればっかりは完璧とはいかなかった様だ」
「だったら、尚更笑わないで! この世界のことなんだよ。自分の住む世界のことじゃない!!」
「……聖女ちゃんは変なことを言う」
すると、フレアは表情を消して私をまっすぐ見据えた。
その燃えるような、美しい真紅の瞳の瞳孔は、まるで爬虫類の如く縦長だった。
「別に、僕からしたら人間が邪気で滅ぼうが構わないよ。『失敗』だって、気にすることのほどじゃない。寧ろ、人間が居なくなれば、このつまらない役目から母上が開放してくれるかもしれないじゃないか。
……それに、万が一この星が駄目になったら」
――ニィ、とフレアは瞳を三日月型に歪めて、大きなクッションをぎゅう、と強く抱きしめると、またにしし、と笑った。
「もう一度、世界ごと新しく作り直せばいいじゃない?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……ああ、この子は小さな子どもにしか見えないけれど、人間とは違う価値観を持つなにかなのだと痛感する。そして、人型であることに安心して、安易に気を許していた自分の迂闊さを呪った。
この子にとっては、人間というものの価値はそれほど高くない。寧ろ、邪魔とすら思っているのかもしれない。そういう存在と閉鎖された空間でふたりきりと言う事実に、今更ながら恐怖を覚えた。
すると急にフレアが立ち上がった。そして、くんくんと鼻をひくつかせると、途端に険しい顔になった。
「……なんてこった! 子供たちに先を越されているじゃないか!」
「……?」
意味がわからずに首を傾げていると、クッションを放り出したフレアは「も〜〜〜!」と叫んで地団駄を踏んだ。そして、私の手をいきなり掴んだ。
「先に言っておくれよ! 儀式の供物に、君のお姉さんの料理が出てるって!」
「……え?」
「ああ、噂の聖女の姉の料理! この機会を逃す手はないよ! 食べたら、他の核に自慢してやるんだ!」
「うわさ……?」
フレアは私の手をぐいぐいと引っ張って、立たせようと懸命だ。けれど、見た目同様力はあまりないらしく、私自身が動かないのものだから苦労している。やがて、苛立ちが募ったのか、フレアは頬を膨らませ、腰に手を当てると「自分で立ってよ!」と、文句を言い始めた。
「それはいいけど。フレア、ちょっと待って。おねえちゃんの料理が噂って……どういうこと?」
私が聞くと、フレアは自慢げに説明してくれた。
「それはね、精霊同士っていうのは、意識レベルで繋がっているんだ。それで色々と情報交換をするんだけどさ。その精霊界隈で、今、聖女の姉のご飯が美味いって話題なんだよね〜!」
「わ、わだい……」
「見知らぬ異界の調味料を駆使して作られるその味は、心も体も蕩けさせてくれる……!! だっけ? こないだ、風の『核』が自慢してた。なんだっけ、ジャイアントイールを食べたって言ってたっけかな〜」
「え、風の『核』は水没しちゃったんじゃ」
「いやあ、水没したくらいじゃあ死なないよ。あいつ、自分が動けないぶん、眷属の精霊に乗り移って好き勝手やってるからね? それが嫌味ったらしいんだよ……お前には、一生味わえない美味だったな……だって。ふざけんなっつの」
フレアは悔しそうに唇を噛み締めると、クッションをボスボスと殴り始めた。
「木の『核』なんかさ、『あちきは日常的に食べている故、何が有り難いのかさっぱり解らぬ、ほほほほ』だって。あいつ滅べばいいと思わない? 聖女の姉のところに、偶々ドライアドが居たらしくてさ、時々乗り移っているらしいよ。馬鹿じゃないの? 僕は食べたことすらないのに!」
要約するとこうだ。おねえちゃんのご飯を供物として食べた精霊たちが、美味いと宣伝しまくっている。
……ああ、おねえちゃん……! おねえちゃんのご飯が、知らないうちに「口コミで話題! 知る人ぞ知る、予約が取れない絶品レストラン」みたいな扱いになっている。あれだ、一日数組限定、予約は半年後! みたいなやつ。食べられたらステータスみたいな、恐ろしい状況になっているじゃないか!
……これは、おねえちゃんに黙っておいたほうがいいかもしれない。バレたら卒倒しそうだ。
「――ということでえ……」
私が心のなかで、この事をおねえちゃんに隠し通すことを決心していると、フレアは元気に叫んだ。
「今夜はごちそうだ! 聖女の姉のスープ! 僕が直々に飲みに行ってあげよう〜!」
そう宣言する、見た目三歳児の精霊の『核』に、この先どんな騒ぎが待っているのかと暗澹たる思いだった。
「異世界おもてなしご飯〜聖女召喚と黄金プリン〜」
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