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幕間 聖女と王子と炎の儀式(ひより視点)

 ――その儀式は、一寸先も見えないほど深く昏い闇の中から始まる。


 夜の帳に囚われていると言われている炎の神殿の最奥。そこにある儀式の間には一筋の光も差し込まない様に作られている。それは、炎の灯り以外を完全に遮断し、信仰する精霊にとって最も心地よい空間を作るためだ。当然のごとく、密閉された儀式の間には風は吹き込まないため、空気が停滞していてどこか息苦しくもある。

 黒々と塗りつぶされた世界で、聞こえてくるのは人々の息遣い、僅かな衣擦れの音だけだ。何も見えないぶん、視力以外が酷く敏感になっている。この場に怖いものなんてなにもないと知っているはずなのに、じわじわと指先から闇に染められていく様な感覚がする。――ああ、なんて恐ろしいの。



「ひより」



 カインの声がする。とても温かいものが私の手を包み込む。それはカインの手。剣ダコが所々出来ていて、見た目よりもゴツゴツしている、そんな手だ。……ああ。姿は見えないけれど、私の隣には彼がいてくれている。

 それだけで私の体から、余計な力が抜けた。


 ……ふわり。

 空気が動いた気配がする。暗闇の中を誰かが移動している。

 ふと、鼻を油の匂いがくすぐった。それは火を灯すための、香草入りの油の匂い。薄荷みたいな、鼻の奥がすうっとする爽やかな匂いだ。



「――我ら、炎の精霊を祀る者なり」



 それは女性にしては低く、しわがれた声。この炎の神殿の神官長の声だ。すると、四方八方から一斉に祝詞が聞こえ始めた。

 ……さあ、儀式のはじまりだ。


 祝詞が始まると、儀式の間に変化が現れ始めた。初めは儀式の間の真ん中にある小さな燭台だった。誰が火をつけたわけでもないのに、自然に小さな火が灯る。暗闇が支配するその儀式の間の中で、唐突に現れたその灯りに自然と視線が奪われる。その火は揺らめくこともなく、みるみるうちに細長く天井に向かって伸びていく。まるで、自ら意思を持つように、高く、高く。すると、炎が伸びていく先に、炎の灯りに照らされて天井から何かがぶら下がっているのが見えた。それは複雑な装飾が施された石像らしきものだった。まっすぐ伸びていった炎の切っ先が、それに触れた瞬間。状況は劇的に変化した。



「すべては炎から始まった」



 おそらく石像の装飾の間に油が巡らされていたのだろう。瞬間、引火した炎が、石像を一気に駆け上っていき、天井で無数に分岐して、部屋の隅々まで炎が行き渡る。それに呼応して大小様々な松明にも火が灯り、一気に部屋の中が明るくなった。

 その瞬間、顕になった儀式の間の光景に思わず息を呑んだ。


 天井から下がっていた石像は、美しい乙女を象ったものだった。薄い衣を纏った乙女が、サラマンダーと思わしき爬虫類を愛おしそうに腕に抱き、下半身を天井から伸びる蔓に囚われて床に向かってぶら下がっている。その意匠はとても精緻で、乙女の髪の一房、丸みを帯びた体を隠している衣、乙女を捉えている葉の葉脈……暗い部屋の中では本物と見まごうほどだ。

 素晴らしいのは石像だけではない。天井には、紅い宝石を目の代わりに埋め込まれたサラマンダーの天井画が描かれていて、無数の宝石がチカチカと炎の光を反射している。

 壁には、本物のサラマンダーたちも集まってきていて、成体のサラマンダーの黒曜石の様な鱗が、ぬらりと怪しく輝き、壁を彩っていた。



「炎は誕生。そして、死を司る。熱と共に生まれた我らは、やがて熱に焼き尽くされて、母なる炎へと還るのだ」



 全身に黒い衣を纏った神官長が一歩踏み出す。神官長は、ふくよかな体をした高齢の女性だ。この炎の神殿の神官はすべて女性。彼女たちは生涯をサラマンダーへの祈りと世話に捧げる、選ばれた乙女たち。神官長の後に続いた神官たちは、油がたっぷりと入った杯を頭上に掲げて、石像の真下に広がる丸い舞台を取り囲んだ。



「運命に導かれ、命を炎に焼き尽くされるならば本望。――邪気に穢されて、炎に還れない者の無念は如何許(いかばか)りか。炎の精霊サラマンダー。世界を穢す邪気を祓う聖女に、その豊潤な魔力による祝福を。すべての精霊を敬愛するものたちが、無事に炎に還れる様に。聖女の進む道を、その炎の光で照らし給え。祝福を与え給え――」



 油が焼ける匂いがして、薄荷の様な香りが一層強くなると、神官たちの掲げる杯から、青白い炎が立ち昇った。すると、カインが私の手を引いて進み始めた。その舞台の上へと、ゆっくりと進んでいく。カインも、神官と同じ様に黒一色の衣裳を身に纏っている。この場で色の付いた衣裳を着ているのは、何故か私だけだ。きっと儀式的な意味があるのだろう。私はカインの手をしっかりと握って、その存在を頼もしく感じながら進んでいった。


 やがて舞台の中心へと辿り着くと、神官長が儀式の間の奥にある祠の前に、炎の燃え盛っている杯を捧げ始めた。カインと目配せをして頷き合う。

 ――あれが『核』のいる場所。

 それは長方形の箱の様に見えた。祠と言うと、屋根があって扉があって……小さなお社の様なイメージだったけれど、これは本当にただの箱だ。儀式の間の見事な装飾に比べると、かなりあっさりとした見た目のそれには、小さな扉が付いていて、おそらくその中に『核』がいるに違いない。


 ……おねえちゃんが、神官たちの気を引いているうちに、あれの中身を確認する。


 この場所から祠まではたった数歩。走れば一瞬だ。なのに、私はかなり緊張していた。


 ……おねえちゃん、本当に大丈夫かなあ。


「頼って欲しい」そう言ったおねえちゃんに、結局はその役目を任せることにしたのだけれど、どこか心の中に不安がつきまとう。あの姉はしっかりしている様で、実のところのほほんとしていて結構抜けているのだ。こう言う、緊張感溢れる場面ではポカをやらかす予感しかしない。

 あの後、ジェイドさんにも事情を説明して――かなり渋っていたけれども――彼も、一緒に儀式に参加することでなんとか納得してくれた。ジェイドさんが付いてくれるなら、大丈夫かな? とも思うけれど。



「では、炎の精霊に供物を!」



 神官長の号令と共に、入り口の扉がゆっくりと開く。そして、料理を手に持った神官服を着た人々がゆっくりと中に入ってきた。彼女たちは、この儀式の為に供物を作った料理人たちだ。そして、すべて女性である。そう、すべて(・・・)女性だ。



「……ぶっ」



 隣でカインが噴き出す声が聞こえた。無言で手を抓ったら、慌てて口を押さえていたけれど、まだプルプルしている。列の最後尾、そこには辺りを物珍しそうにキョロキョロと眺めているおねえちゃんと、やたらと背の高い神官服の女性が居た。……それは、言わずもがな女装したジェイドさんだ。


 ――なんで、お化粧がバッチリなのかとか、イケメンは女装しても美女になるんだなあとか、色々と思うのだけれど、彼のどこまでもおねえちゃんを守ろうとする姿勢は褒めてやりたい。まあ、儀式の間に入れるのは、カイン以外は女性だけらしいから、仕方ないよね。それに、おもしろ……うん、おねえちゃんを守るのには、必要なことだしね。

 ……というか、凄い似合ってる。寧ろおねえちゃんより美人。後でじっくり見せてもらおう。


 そうこうしているうちに、舞台の上に台が設置されていた。どうやら、そこに供物を並べるらしい。

 神官たちはゆっくりと進んで供物台の前まで着くと、手にした供物を置いていった。

 並べられた沢山の供物は見るからに美味しそうだった。皮をパリパリ艶々に仕上げたコカトリスの丸焼きに、完熟トマトとチーズを組み合わせたカプレーゼの様な料理。巨大な肉詰めに、三人がかりで運ばないと持てない程の巨大魚の煮込み。

 それらはすべて真っ赤な色をした料理たち。サラマンダーが好むという、赤色の料理だ。

 ――そして、おねえちゃんの番。

 おねえちゃんはギクシャクとした動きで、手に皿を持って歩いている。そのすぐ後ろには、鍋を持ったジェイドさんがいた。


 ……おねえちゃん、表情やばいよ! 引き攣りまくってるよ! それに、ももを上げすぎて、ひとりだけ兵隊さんの行進みたいになってる……!


 ジェイドさんも、おねえちゃんが気になっているんだろう。その綺麗な顔(・・・・)がヒクヒク引き攣っているのが見える。

 ハラハラしながらおねえちゃんを見守っていると、カインがそっと私の手に触れた。……そうだ、おねえちゃんがあのミネストローネを供物台にセットした瞬間、計画が始まるのだった。おねえちゃんが気になりすぎてすっかり忘れていた私は、カインに目配せして小さく頷いた。


 おねえちゃんは、供物台の前に立つと、一瞬舞台の上の石像に見惚れていた。そして、ふるふると頭を振ると、キッと表情を引き締めた。


 ……ああ、おねえちゃんの思考が手に取る様にわかるのが辛い。この溢れる残念感。これでこそおねえちゃん。


 そして、ジェイドさんは鍋を供物台の横に置くと、そっと蓋を取った。

 ふわり、と湯気が鍋から立ち昇る。すると、儀式の間の空気が変わった気配がした。……正確に言うと、そこらじゅうにいるサラマンダーたちの目つきが変わったのだ。

 おねえちゃんはそれに気がついていないのだろう。緊張した面持ちでお玉を手に取ると、皿にミネストローネを注ぐ。そして、別に用意していたらしい小さなチーズの塊を、おろし金で皿の上で削った。パラパラと白い粒が、赤いミネストローネの上に降り注ぐ。


 ……ずるり、ずる、ずる……


 壁を這う音がする。数人の神官たちが、サラマンダーの異変に気がついて、慌て始めた。

 おねえちゃんは懐から小瓶を取り出すと、最後の仕上げとばかりにミネストローネに回しかけた。恐らく、それはオリーブオイルだ。真っ赤なスープの上に、きらりと油の粒が浮いていた。

 おねえちゃんは、ふう、と息を吐くと、晴れ晴れとした顔で私の方を見た。そして、ぴしりと固まった。


 ずる、ずる、ずる、ずる、ずる……


 ……多分、私の背後にはきっと、恐ろしい光景が広がっているのだろう。

 この何かが這いずり回る様な音――この音は、無数のサラマンダーたちが立てているに違いないのだから。



「こ、これは一体どういうことなのですか!?」



 神官長の焦った声が、静まり返っていた儀式の間に、やけに大きく響いた。すると、それが開宴の合図だったと言わんばかりに、無数のサラマンダーがおねえちゃんの下へ――もとい、ミネストローネの下へと殺到した。

 それからは、儀式の間は阿鼻叫喚と言っても差し支えのない状況だった。

 それもそうだろう、普段は炎の中でのんびりお昼寝をしていることが多いサラマンダーたちが、目の色を変えて一点に殺到したのだ。彼らは仲間を踏み越え、石像に這い登り、固まる神官たちを容赦なく踏みつけて、ミネストローネを目指した。神官長や他の神官たちは事態の収拾に必死で、こちらにまでは気がまわらない様だ。因みにおねえちゃんは、ジェイドさんに抱きかかえられて、壁際にさっさと退避していた。ちょっぴり顔が赤いのは、お姫様抱っこへの感動か、若しくは綺麗なジェイドさんの顔に見惚れているからか。



「……ひより、行くぞ!」



 カインが私の手を引っ張る。私は頷くと、奥にある『核』の祠へ向かって走り出した。祠はすぐそこだ。あっという間に到着した私は、躊躇うことなく祠の扉へと手を掛けた――。

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