幕間 聖女と王子の冬のひととき(ひより視点)
雪混じりの強い風が吹き、窓枠がカタカタと小さな音を立てて揺れている。
きっと外に出ればあっという間に凍えてしまうのだろうけれど、室内は炭の入ったストーブでポカポカしている。今日はカインの執務室で、見せたいものがあるというので、いつもの三人で集まっていた。
カインは侍女からとあるものを受け取ると、執務用の机の上に広げた。
それを見た瞬間、私は思わず感嘆の声を漏らした。
「……すっごい綺麗!」
カインが私に見せてくれたのは、今度、炎の神殿で行う儀式の時に纏う衣裳だ。
焔蚕の糸で作られているという、その赤い衣はしっとりとした肌触り。それでいてとても軽くて、炎の祝福を受けているというその生地は触るとほんのり温かく感じる。そして、不思議な事に、布の端の方に行くに連れて生地が薄くなり透けて見えるのが特徴だ。それを活かした作りになっている衣裳は、何処か神秘的で不思議な雰囲気を醸し出していた。
「わあ、これを着て儀式をするの? へええ……」
「うむ……そうなのだが」
カインは繁々と衣裳を眺めている私に、気遣わしげな視線を向けた。
「ひより。疲れてはいないか? 無理はしていないか? 時々、ぼうっとしている時があるだろう?」
その瞬間、嬉しさと切なさと……いろんなものがない交ぜになった、甘酸っぱい感情が胸の奥から込み上げてきて、どういう表情をすればいいのかわからなくなってしまった。
最近は、最後の浄化の地、穢れ島に居る魔物たちの情報を学んだり、対策を練ったり、効果的な浄化方法を模索したりして、確かに今までで一番忙しい。それをカインは心配しているのだろう。
カインはいつもそうだ。ことあるごとに、私の事を気遣ってくれる。心配してくれる。――私を、私として見てくれる。
――聖女としてこの世界に召喚されてから、沢山の人と出会った。
皆、私に優しくしてくれた。ありがたいことに、無理やり浄化を強要する人は居なかった。私の意思を尊重してくれた。それでも私と接する時に、誰も彼もが心の何処かで、私が聖女らしく、浄化をしたり儀式に臨むことを当たり前だと思っている節がある。
――皆が見ているのは、目の前にある私の姿じゃなくって、私を通り越した向こうにある聖女という存在だからなのだろう。聖女は清廉潔白で、浄化に関するあれこれをこなしても、決してへこたれない。そういう存在の様に見られることがある。……それは、邪気のせいで疲弊した心が、聖女という存在に縋った結果だ。
それが不快だと言う訳ではない。私だって、きっと現実世界にアニメや漫画の中にいる様なヒーローが現れたら、ヒーローが例えどんな苦労をして、どんな想いを抱えていたとしても、その存在は世界を救ってくれるものだと「期待」しただろう。そう、まるでそれが当たり前のことの様に。
「期待」。そう、皆が私に向けてくる感情は、大体がそれだ。聖女の浄化の力で、穢れを祓ってくれるだろうという「期待」。聖女なら、凄いことを成し遂げてくれるだろうと言う「期待」。
それは悪い感情じゃない。寧ろ、「期待」してもらえるということは、凄いことだ。それが時には糧になることだってある。――けれど、時折りその期待に潰されてしまいそうになることがある。「期待」が篭った眼差しを重く感じることだってある。……私だって、普通の女の子なんだから。
自分で選んだことだ。聖女として、この世界を救おうと、おねえちゃんに迷惑をかけてまで決めたのは自分。だから、そんなことは言っていられない。言ってはいけないと思う。
だから、こう言う何気ない瞬間、カインが私をまるで普通の女の子みたいに、心配してくれて気遣ってくれるその瞬間が無性に嬉しい。心が温かくなって、顔がふんにゃり溶けそうになって、凄く幸せな気持ちになる。
「――大丈夫だよ。ありがとう、カイン」
私はカインの碧い瞳を真っ直ぐに見て、少しでも自分の中に渦巻く、この甘やかな気持ちが伝わればいいのにと、そんな願いを込めて微笑む。けれども、カインは私から視線を逸してしまった。
「……それならいいんだ」
……ああ、胸が苦しいなあ。
「はいはい! おふたりとも! 仲がいいのは宜しいんですがね」
その時、カインの護衛騎士であるセシルが、手を叩きながら会話に入ってきた。
セシルはカインの幼馴染であり護衛騎士だ。だから、王子様であるカインに対しても、人が見ていない時は結構気安い態度を取る。カインもそれを受け入れていて、親友って言うのは、この二人の様な関係性を言うんだろうなあ、と羨ましく思う。
そんなセシルに「仲がいい」なんて言われたから、なんとなく恥ずかしくなって、さっとカインから距離をとる。けれども、セシルはニヤニヤ笑いながら、私とカインの手を取って――繋ぎ合わせた。
「儀式の後、国王夫妻主催の晩餐会があるんですよ。そこで、聖女様と殿下がファーストダンスを務める予定ですからね。今から練習をしておかないと、悲惨なことになりますよ」
「――はい?」
……ダンス?
思わず首を傾げると、カインは眉をひそめた。
「セシル……だから、言っただろう? ひよりは疲れているんだから、晩餐会でダンスなぞしなくとも問題ないだろうと――」
「そうですか……炎の神殿での晩餐会。数百年に一度、邪気の急増期にだけ開かれる、特別な晩餐会で踊るのは大変名誉なこと。ファーストダンスなんて誰でも出来ることではないですし、踊った男女は結ばれるという言い伝えがあるのですが――仕方ありませんね」
「待った!!」
私は思わず、声を上げる。なにそれ、なにそれ! なんだか、凄く心躍る乙女チックな言い伝えではないか。
ちらりとカインを見ると、酷く困った顔をしていて、もしかしたら……もしかしなくても、踊りたくないのだろう。そうだよね、好きでもない相手と踊って、万が一、意中の相手に誤解でもされたら――……そう思った時、ずきりと胸の奥が傷んだ。
ふるふると頭を振って、その痛みを紛らわす。いや、カインに意中の相手がいるかどうかなんて知らないけれどね!? でも……折角の機会だ。ダンスなんて異世界でもなければ、普通の女子高生には縁遠い。それに凄く楽しそうだ。思い出づくりに、カインには犠牲になってもらおう。
私はぎゅっとカインの手を両手で包み込むと、私よりほんの少し身長が高いカインを見つめた。
「カイン。それが王子と聖女の役目なら、やらなきゃいけないんじゃない?」
「……あ、ああ。そうなのか?」
「ええ。王子と聖女がファーストダンスを踊るのが、慣例となっている様です」
「だってー。だからさ、カイン。諦めて踊ろ?」
私が笑みを浮かべて言うと、カインはムズムズと口元を動かし、視線を宙に彷徨わせてから――漸く頷いてくれた。
――やった!!
それから数日間、時間を見つけては、ふたりでダンスの練習をした。疲れているなかでのダンスの練習は、確かに大変だったけれど、練習をしていくうちに、好きな人と次第に息が合っていく感覚。それはとても幸せな感覚で、私にとってその僅かなひとときは、忙しい日々の中で、砂漠の中で見つけたオアシスみたいに、心を癒やしてくれたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――とうとう、炎の神殿に出発する日が来た。
ここ数日は雪が降り続けていて、王都から炎の神殿へと続く街道も、例外なく雪で白く染まっていた。
王都から炎の神殿に向けて、ゆっくりと一列になって沢山の馬車や人が進んでいく。国王と王妃を乗せた馬車を中心に、かなりの人数が列を為して進む様は、きっと壮観だろう。
目的地は大鷲で飛ぶと一時間ほどで着くのだという。けれど、雪道であることと、大人数だということで半日も掛かってしまうらしい。
寒冷地仕様の馬車は、いつもの馬車よりも小さく、そして、車輪ではなくてソリが付いているのが特徴だ。そしてそれを引いているのは、立派な角が特徴のトナカイだった。尻尾の先がまるで青い炎の様に揺らめいているから、普通のトナカイではないのだろうけれど。まるでサンタにでもなったような気分で、馬車――これはトナカイ車と呼んだほうがいいのだろうか――に揺られていると、カインが徐に声を潜めてこれからの予定を話し始めた。
「ひより、セシル。炎の神殿に到着した後は、儀式の準備に取り掛かることになる。正確に言うと、炎の神殿の最奥に入るために、身を清め、衣裳を変える。その後――夜になると儀式が始まる。ひより、段取りは覚えているだろうな?」
「うん、大丈夫。……この機会を逃したら、二度とチャンスは訪れないもんね」
「ああ。失敗は許されない」
三人で視線を交わして頷き合う。
実はこの儀式の最中、私たちはある作戦を練っていた。
それは炎の神殿の最奥に安置されていると言う、『核』と呼ばれる精霊を確認すること。
邪気の噴出地の数や、噴き出す邪気の量に関しては、明らかに精霊信仰と関係性が深い土地は少ない。
だから、精霊信仰の要である『核』を見ることができれば、将来聖女が必要なくなるための何かしらのヒントを得られるのではないか、そう私とカインは考えたのだ。
――精霊。それは精霊界と、私たちが居る人間界を自由に行き来出来る存在。混同してはいけないのは、おねえちゃんが仲が良い、妖精女王ティターニアを代表とする人外とはまた違うものだと言うことだ。
人外とは、世界の有り様の中で、人の意思や願い、植物に宿る生命や、使い古された道具や歴史ある建物に宿る記憶の残滓に、邪気が混じり合って生まれた、本来なら生まれるはずもなかった世界の異物。
それに対して、精霊とは意思をもつ自然現象を司る魔法生物。遠い昔、この世界の創造にも関わったとされる、古より存在するものたちのことだ。
精霊は人間界にも存在できるけれども、本来の棲み家は精霊界。定期的に精霊界に戻らなくちゃ、存在を保てないものでもある。けれども、ひとつだけ例外がある。それが『核』と呼ばれる精霊。その精霊は、普通の精霊とは『別格』。なんと精霊信仰が発足した当時から存在しているという太古の精霊で、人間界にずっと留まり続けているのだという。今現在、ジルベルタ王国の精霊信仰は、その『核』を信仰の象徴として掲げている。
『核』があるのは、これから行く炎の神殿。あとはジルベルタ王国にある水の神殿、ドワーフ自治領にある土の神殿だ。木の神殿はとうの昔に失われていて、嘗てテスラの周辺に巨大な神殿があったという言い伝えが残っている。木の精霊を祀るものとしては、今現在国内に小神殿があるのみで『核』の存在は確認されていない。風の『核』は、先日訪れたレイクハルトに嘗ては居たのだという。本当ならば、レイクハルトで確認出来ればよかったのだけれど、神殿の最奥に続く道は水没していて、立ち入ることができなかった。
「以前立てた仮説――邪気の噴出量と精霊信仰の関係性を確信に近づけるために、今回の儀式の最中に『核』に接近する。いいな?」
「ねえ、そんなまどろっこしいことしなくても、普通に見せてって言えばいいんじゃないの? だって、ジルベルタ王国にある神殿で、カインは王族なんだから」
ふと浮かんだ疑問を口に出すと、カインはゆっくりと首を振った。
「精霊信仰を司る『神殿』とは、王族は友好関係を築いてきてはいるが、あくまでそれは互いの善意の上で成り立っている。このジルベルタ王国が興る前から、精霊信仰はこの地にあり、神殿もまた存在していたのだ。基本的には、お互い不干渉の関係なのだよ。だから、王族として頼み込んだとして、そうやすやすと信仰の象徴である精霊を見せてくれるとは思えない」
「……そんな関係なのに、儀式中に『核』に接近するなんてことをして大丈夫なの? 関係が悪くなったりしない?」
「それは大丈夫――だと思う。兄上が上手く手配をしてくれたと言っていたから」
兄上というと、第一王子ルイスのことだろう。ルイス王子は、何処か飄々としていて中々正体が掴めない、そんな人だった。兄弟だから容姿こそ似てはいるけれど、どこまでも真っ直ぐな性根のカインとはまったく似ていない。カインはその兄王子のことを慕っていて、全幅の信頼を置いている様だった。
その時、鳥の羽音が聞こえ、何かが馬車の窓を外から突く音がした。窓を開けると、そこにいたのは脚に手紙を括り付けた梟だった。
「きっと兄上からの手紙だ」
カインはそう言って、梟の脚から手紙を取った。すかさず、セシルが懐から干し肉を取り出して梟に与えている。カインは暫く手紙の文面に目を走らせていた。何が書かれているのかな、なんてのんびりカインの様子を窺っていると、次第にその目が見開かれて行くのがわかった。
「……カイン?」
「兄上……!! なんてことを!!」
カインはぐしゃりと手紙を手の中で潰すと、私に焦ったような眼差しを向けた。そして、非常に苦しそうな――気まずそうな表情で言った。
「兄上が茜を巻き込んだらしい。茜はもう炎の神殿に入って、供物の調理に入った様だ」
「……へ?」
「――兄上は、儀式の最中に神官たちの注目を引く役目を、茜にさせるつもりだ」
「えええええ!?」
私の間抜けな叫び声が、狭い馬車の中に響き渡り、驚いた梟が大きな翼を広げて、何枚かの羽を散らした。
今日は、主人公の護衛騎士ジェイドのキャラクターデザインを、活動報告にて公開中です。
イケメン! 奥様、イケメンですわよ! というわけで、(どういうことだ)よろしくおねがいします。