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第一王子と千切りキャベツの豚しゃぶ鍋 後編

 ――ごく、ごくごくごくごくっ!


 喉を爽やかな炭酸が通り抜けていく。顎の付け根が、レモンの果汁できゅん、とする。酸っぱくて、少しだけほろ苦い果汁が入り混じったそのお酒は、お酒を待ちわびていた私の体に染み渡り、しゅわしゅわと弾ける炭酸と共に、体の奥で燻っていた日頃の疲れや鬱憤を洗い流してくれるのだ。

 その結果、最初のひとくちを飲み込んだ瞬間、必ずといって口から声が漏れてしまう。



「……っくうう!!」

「嬢ちゃん、相変わらずいい飲みっぷりだなあ!」

「ダージルさんには負けますよ〜」



 そう言ったダージルさんのグラスはもう既に空だ。「どうぞどうぞ」なんて言いながらお酌をすると、彼は嬉しそうにビールの泡が膨れていく様を見つめていた。

 王様はひとり、グラスに入った葡萄酒の色をうっとりと眺めながら、この風味がどうたら、香りがどうたらとうんちくを垂れ流している。正直、誰も王様のうんちくに反応はしてはいないけれど、実際王様も誰かに話しかけている訳ではないので、問題ない。

 ルイス王子は、ひとくちレモンハイを飲んで、軽く目を見開いたあと、ふわりと微笑んだ。どうやら、お気に召したらしい。


 ――さてさて。お酒も飲んだところで、肝心のお鍋だ。



「茜よ。これはどうやって食べるのだ?」

「これはですね――」



 私は鍋用の箸でお肉を一枚掴むと、それを鍋の中でぐつぐつと沸騰している出汁の中にくぐらせた。

 すると、桜色だった豚肉が、一気に白く変わる。そうして、それをポン酢をたっぷり入れた取り皿に入れた。次に鍋からキャベツやにんじん、えのき茸を掬って肉に乗せる。最後に、肉で野菜を巻いた。



「こうやって、野菜と肉を一緒に食べる料理なんです。タレは好きなものをどうぞ。薬味はお好みです」



 私はそう言って、取り敢えず今回はそのまま食べることにした。

 ポタポタとポン酢が滴り落ちる肉を持ち上げる。白っぽくなったけれども、うっすら桃色の豚肉が、彩り豊かな野菜を包み込んでいる光景は、なんとも美味しそうだ。


 さて、どうかな――ワクワクしながら、肉をゆっくりと口の中に入れると――……シャクッ。野菜がいい音を立てた。

 さっと湯通ししただけの肉は柔らか。そして、その中に巻かれた野菜たちは、まだ瑞々しくて、歯ざわりが失われていない。ひと噛みするごとに野菜たちが奏でる音で、口の中が途端に賑やかになる。

 そして、鼻を抜けるティトの香り。それは正に柚子そのものの香り。限りなく優しい香りに反して、ティトの酸味はかなり刺激的だ。それが醤油と昆布、鰹節の旨味と混じり合うことで、丁度いい刺激に変わっている。そして、豚肉、野菜たちの甘味をその酸味が引き立たせている。

 つまりは――だ。この一言に尽きる。すんごい、美味しい!



「うわ……これは。シンプルだけど、美味しい……!」



 ルイス王子は、その味に驚いている。彼はどうやらごまだれで食べたようだ。練りごまで作ったタレは、市販のものよりもかなり濃厚。ごまの旨味、そして甘めの味が、とろとろと肉に絡んで、箸が止まらなくなること請け合いだ。



「なかなかいけるな。これをルイスが作ったのか?」

「そうですよ、王様。この野菜を切ったのもルイス王子です。凄いですよね、初めてでこんなに綺麗に千切り出来る人はいませんよ!」

「だろう! そうだろう! ルイスはな、昔から器用だったんだ……」



 王様は嬉しそうに鍋を食べながら、ルイス王子の自慢話を始めた。程よい感じにお酒が入っているせいもあるのだろうけれど、王様の口は実に滑らかで、小さな頃やんちゃだったというルイス王子の逸話を沢山聞くことが出来た。



「……父上! 恥ずかしいので、もうおやめください!」

「何を言っている! 自慢の息子の話をして何が悪い! さあ、茜。次はな……」

「父上!!!」



 ルイス王子は顔を真っ赤にさせて、王様を止めようと必死になっているけれど、何故かノリノリのダージルさんに、「まあまあ、飲め飲め」なんて言われて一緒になってお酒を飲み、違う意味で真っ赤になっていた。


 わさびの辛味と、醤油のしょっぱさ。そして、昆布茶の旨味でいい感じに漬かったたこを食べる。こりこり、ぷりっぷり。それでいて、舌の上でとろりと蕩けるたこの食感を楽しみながらレモンハイを呷る。わーわー騒がしい親父二人組と、あわあわしているルイス王子をのんびり眺めていると、ルイス王子が涙目になって私に助けを求めてきた。



「茜ちゃん! 黙ってみていないで、父上を止めてくれ! 俺、もう耐えられないよ!」



かなり動揺しているのか、口調がダニエルさんに戻ってしまっている。私はにんまりと笑うと、わざとダージルさんの方へと話を向けた。ダージルさんもニマニマ楽しそうに、私に付き合ってくれた。



「……ダージルさん、たこわさ美味しいですね」

「この独得の辛味がなあ、たまらんよな」

「うわあああ! 俺、なんかしたっけ!?」



 私とダージルさんは、とうとう王様の口を塞ごうと動き出したルイス王子を見て、笑いを堪えるのに必死だ。

 その後もひとり、マイペースでお酒を飲む。時折り、親父ふたりに程よく新しいお酒を提供しながら、楽しく話を聞く。そのうち、一番本人にとって恥ずかしい逸話を暴露されて、テーブルに突っ伏してしまったルイス王子を見ながら、こんな騒がしい夜も良いものだなんて、のんびり思ったのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……うめえ! 最後の締めに、これはいいな!」



 ダージルさんが、空になった皿を私に突き出して、満面の笑みでそう言った。

 鍋の最後は勿論、締め。乾麺を残ったスープに入れて煮込み、ネギととき卵を散らして食べる締めの塩ラーメン。元々出汁に塩は入っているし、しゃぶしゃぶしたお肉から出た旨味、一緒に煮込んでいた野菜から出た風味が溶け出して、非常にまろやかなスープになっている。

 ちょっと刺激が欲しい人は、ほんのりポン酢を垂らすと抜群に美味い。仄かなポン酢の香りが、やさしいスープの味に彩りを添えてくれるのだ。


 最終的には二本もワインを開けた王様も、度重なる羞恥責めでくたびれきったルイス王子も、ほっとした顔で締めのラーメンを食べている。



「最後、お出汁の一滴まで楽しむのが、お鍋の醍醐味なんですよ。……作るのは簡単でしたけど、ルイス王子。どうでしたか?」

「うん。とっても美味しかった。これなら、調味料さえあれば、また私でも作れそうだね」



 そう言って、また料理を教えてほしいと言われたので、私は嬉しくなって頷いた。



 王様もダージルさんも帰り、用事を済ませたというエーミールさんが、ルイス王子を迎えに来た。

 玄関先でふたりを見送ろうとしていると、ふと本来の目的である、何故ルイス王子たちが私の下に変装して現れたのか、その理由を全然聞いてないのに気がついて大いに慌てた。



「あああ! 忘れてました……! ルイス王子。で、結局理由は何なんですか!」

「……忘れたままだったら、このまま気持ちよく帰れたのに……」

「ちゃんと、説明してくださいよ!」

「仕方ないなあ」



 ルイス王子は、指で頬を掻くと、ぽつぽつと話し始めた。

 西の国々の調整を終えて帰ってきたルイス王子は、カイン王子やふたご姫、国王夫妻と一緒に食事を共にしたのだそうだ。どうやらその時に、私の話題が出たらしい。そこで何故か私の料理を、皆、口を揃えて絶賛してくれたのだそうだ。

 その事実に思わずたじろぐ。――絶賛!? 王族であるあの人たちが普段食べているものに比べれば、私の料理なんて素朴なものだ。一度、王妃様に夕食に誘われたときは、その豪華さに驚いた記憶がある。



「……絶賛って。おかしいでしょう。私の料理なんて、家庭料理ですよ。華やかさの欠片もありませんし」

「まあね。だから、調べることにした。両親や、俺の弟妹は間違いなくこの国の根幹を成す者たちだ。そういう立場の人間の懐に、深く入り込んでいる人物と言うのに興味も湧いたし、次期国王としては、その人物がどういう人物なのか……つまりは、危険な人物でないかを見極める必要性があったからね」

「き、危険!?」

「だってそうだろう? 聖女と一緒に召喚された異界人。聖女の姉。一見、無害そうだけれど、月日が経って色んな人間と交われば、何色に染まるかわかったものじゃないからね」



 ……私が!?

 一瞬そう思ったけれど、冷静になって考えると確かそうだ。王族に近く親しくしている人物。私自身には決してやましい気持ちはないけれど、場合によっては裏があるのではないかと、そう勘ぐられても仕方がない。

 すると、ルイス王子は私の顔を見て、はあ、と深くため息を吐いた。



「ほら。そう言う顔をする。だから、有耶無耶にして帰ろうとしたのに」

「……どう言うことですか」



 ため息になんだかむっとして眉を寄せると、ルイス王子が私の眉間を人差し指で突いてきた。



「……うっ! 痛い!」

「俺の杞憂に過ぎなかったってことだよ」



 ルイス王子は困ったように笑うと、指折り数えながら言った。



「だって、見知らぬ兵士が近寄ってきても、警戒すらまったくしないし。しかも、異界の貴重な食料の備蓄を、毎朝大盤振る舞いしているし」

「……うう!?」

「護衛だって言ったら、いとも簡単に自宅に上げるし、簡単に刃物渡すし、騎士団長とは、飲んだくれ親父みたいな酒談義に盛り上がってるし――まだ続ける?」

「……け、結構です……」



 ……確かに、今考えるとすごく迂闊だ。もし私が何か企んでいるような悪党なのだとしたら、色々と間抜け過ぎる。いや、最後の酒談義は関係ない気がするけど!

 思わず青ざめていると、ルイス王子は愉快そうに笑った。



「だから、茜にそう言う考えはないって判断したし、実際問題、ご飯もとっても美味しかったからね。家庭料理――いいじゃないか。華がないというけれど、君の料理はどこか胸の奥がほっとする。俺の家族が惹かれるのもわかるね。

 つまりはだ、俺の家族は皆、素直に君を褒めていただけで――その言葉を受け取った、俺の心が荒んでいたってことだよ」



 そう言って、肩を竦めたルイス王子は、次の瞬間真顔になって私に頭を下げた。



「――疑って、すまなかったね。それに、色々と教えてくれてありがとう。今日一日で、俺の知らない家族の姿も見ることが出来た。お酒も美味しいし、君自身も見ていて面白いし」

「面白い……?」



 ルイス王子はそう言うと、ふふ、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。



「だからこれからも、両親兄妹共々、どうかよろしくね?」

「……へ?」

「特に父上は、君の料理と酒が気に入っているみたいだからね。執務の良い息抜きになっているようだ。だから、これからも度々お邪魔するだろうし」

「……へ? へ?」

「ふたご姫も勿論のこと、カインも気に入ってるみたいだしねえ」

「ルイス、流石に図々しいぞ」

「図々しいのもそのうち慣れて、なんとも思わなくなるさー」

「……そういうものなのか?」

「ちょ……っ! 何を言ってるんですかああああ!」

「あっはっはっは!」



 ルイス王子はひとしきり笑った後、すっと表情を消した。



「――君みたいに、誰も疑うことなく、真っすぐでいられるのはとても羨ましいよ。

 王はそうであってはいけないし、いられない。人を疑ってばかりの俺には――君は酷く眩しい」



 そして、柔らかく微笑むと私の頬を手で軽く撫でた。



「俺もとても気に入ったよ。――とても、ね。……じゃあね」



 そう言って、玄関の戸を締めて去っていった。


 私は暫く呆然として、その場に立ち尽くしていた。

 その時のルイス王子の表情は酷く淋しげで、けれどその後の言葉を、どう受け止めれば良いのかわからずに――。



「……なんなの!?」



 私はお腹の中のもやもやを発散するかの様に、思い切り叫んだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 冬は厳しい。なぜならば、雪と言うものは、そこに住む者がどういう状況であろうと、容赦なく降り積もるものだからだ。たとえ、前日眠れなくても、起きて雪かきをしなければならないのが、積雪地帯に住む者の宿命。重い体を引きずって、夜のうちに積もった新雪を踏みしめて、兵士たちが沢山いる場所へと向かうと――。



「おはよう! 茜ちゃん!」

「茜様。おはよう……」



 そこにいた、昨日の晩、嫌と言うほどに見た顔に、思わず顔が引き攣る。



「いやあ、ここ最近、毎日茜ちゃんのご飯を食べてたから、普通の朝食を食べる気がしなくてさ。

だから、今日も楽しみにしてるから! 雪かき頑張ろうな!」

ダニエル(・・・・)。もう少し遠慮しろ」

「なんだよ、エーミール。お前だって、おにぎり食いたいだろ?」

「……昆布がいいな。あれは美味い」

「こっそりリクエストしてんなよー」



 賑やかなふたりの様子に、なんだか気が抜けてしまった私は、柔らかい新雪の中に、思い切り倒れ込んだ。ぼすっと鈍い音がした後に、体の周囲が雪に埋もれる。そのまま空を見上げると、どこまでも続く曇天から、ちらちらと雪が舞い落ちてきていた。


 ――ああああ、もう知らない!


 私の心の叫びは、辺り一面の新雪に吸い込まれ、誰にも届くことはなかった。

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