第一王子と千切りキャベツの豚しゃぶ鍋 中編
帰ってきた妹やユエには、先にお鍋を食べてもらう。ルイス王子とふたりで、妹とユエがうっすら汗をかきながら、はふはふ、美味しそうにお鍋を食べる姿を見ていると、なんだかほっこりする。
晩酌予定の私たちは、ふたりが食べているのを眺めているだけだ。時間を持て余したので、こっそりルイス王子に聞きたかったことを聞いてみた。
「そういえば、ルイス王子、お昼過ぎからずっとうちにいますけど」
「ん? そうだね」
「……暇なんですか?」
「……一応は、茜ちゃんの護衛なんだけどな」
じいっとその碧い瞳を見ながら「王子様が護衛なんて、随分と豪勢ですよね?」と言うと、さっと視線を逸らされた。
「まあ、権力の成せる技だよね」
「本来、来るはずだった護衛の人をどうしたんですか……!」
「あはは。特別休暇を与えただけだって。今頃酒場かどこかで、美味しいお酒でも飲んでるさ」
「それならいいんですけど……始末したりはしてないですよね?」
「君は、俺のことをなんだと思ってるんだい?」
そうこうしているうちに、妹たちはぺろりとお鍋を平らげ、「ごちそうさまでした!」と元気よく挨拶をして、寝支度をすると寝室へと帰っていった。さあ、これからが大人の時間だ。
「邪魔するぞ」
「おー! 俺も来ちまったけど、いいよな?」
そう言って、玄関からやってきたのは、王様とダージルさんだ。息子の手料理が食べられると浮かれた王様が、ダージルさんに早速今日の晩酌のことを自慢して、それなら俺も行くとついてきてしまったらしい。
「私は止めたのだがな。こやつがどうしてもと……」
「嬢ちゃんなら、ひとりやふたり増えたって平気だろ? ほら、手土産」
ダージルさんはそう言って、袋に入った何かを差し出してきた。そっと中を覗き込むと、大きな吸盤が並ぶ、太くて長い脚が見えた。
「わあああ! クラーケンの足!」
「おう。今朝退治したばっかりのやつな。新鮮だぞ」
「ダージルさん、最高ですね! ……いつものやつでいいですか?」
「ああ、それを食いたくて持ってきた」
「ふふふ。おまかせください!」
ぐっと拳を握りしめて、調理を請け負うと、ダージルさんは楽しみにしていると笑ってくれた。
ふとその時、今日はジェイドさんは騎士団の用事で出かけていたんだと思い出す。
ダージルさんに、ジェイドさんのことを聞くと、確かに夕方まで騎士団にいたらしいのだけれど、その後実家に呼ばれたとかで、急いで帰ってしまったのだそうだ。
……うーん。ジェイドさんがいない晩酌は久しぶりだ。なんだか寂しい。
まあ、用事があるのなら仕方がない。私は気分を切り替えることにして、ダージルさんの手土産を胸にギュッと抱きしめると、ふたりにスリッパを用意して、上機嫌で台所に戻った。
後ろの方で「酒が絡むと上機嫌だな……」なんてルイス王子の呟きが聞こえた様な気がするけれど、それに対して「酒はいいものだ! 機嫌が良くなるのは当たり前だろう!」と親父二人組が、王子に食って掛かった声がしたので放って置いた。
台所に戻ると、早速私は「いつものやつ」を、クラーケンの脚で手早く作ることにする。
クラーケンというと私の場合、巨大なイカを思い出すのだけれど、以前たこ焼きを作った時に、ジェイドさんが話してくれたところによると、沢山脚がある海に出現する巨大な軟体生物のことを、こちらの世界では一律でクラーケンと呼ぶらしい。クラーケンは度々近海に現れ、それを退治するのも騎士団の仕事だ。そして、クラーケンの身はこちらの世界ではよく食卓に上るらしく、一度調理人のゼブロさんが作ってくれた、クラーケンの煮込みは絶品だった。
そして、今回のクラーケンは蛸。そして、このクラーケン。これは生で食べても大丈夫な食材なのだ。
軽く包丁の背で叩いて、身を柔らかくする。そしたら、塩を揉み込んでぬめりを取る。その塩は水で洗い流して、身を薄切りにしていく。
その時、ルイス王子が台所に入ってきて、シンクに手を付いてしょんぼりとうなだれた。
「――茜ちゃん。俺、父上にこんなに怒られたの久しぶりだよ……」
「王様とダージルさんは、筋金入りのお酒好きですからね。仕方ないですね」
「よくご存知で」
「そりゃあ、よく一緒に飲みますからね〜」
最近は、晩酌にダージルさんと一緒に王様が来ることもある。段々と、王様が急に現れても驚かなくなってきた自分が怖い。
醤油とみりん、塩少々とあとは練りワサビ。それと旨味を足すために昆布茶少々。これを混ぜ合わせて、薄く切ったクラーケンの身と混ぜ合わせる。そうして30分ほど置いておけば完成。お手軽、自家製タコわさだ。お店で食べるわさび漬けが入っているようなものとは味が違うけれど、これはこれで美味しい。
「……生、だよね……?」
出来上がったタコわさを見たルイス王子は、顔を引き攣らせていた。
……おお、ここにも生ものが駄目な人が。
「私の元々いた世界……と言うより国じゃあ、お魚を生食するのは当たり前だったんですよ。
因みに、王様も……最近じゃあ、ダージルさんも生の魚は平気で食べますよ。このタコわさび、最近のヒットで、よく作るんです」
「ええええ……父上も……?」
「そうですよ。王様はお刺身を好んで食べられますねー」
王様はさっぱりとした白身の魚が好みの様で、一度ヒラメ……勿論、異世界のヒラメだから色々と巨大だったり、毒針を持っていたり大変だったけれど、それのお造りを食べて感動していた。王様はダージルさんと違って、比較的簡単に魚の生食に慣れると、最近はお刺身を食べるのを楽しみにしている様だ。
「……茜ちゃんは、俺の知らない父上のことを知っているんだね」
ルイス王子はどこか複雑そうな表情だ。
そんなルイス王子に、私は少しおどけて言った。
「逆に、お酒片手に飲んだくれている姿しか知らないので、所謂王様らしい姿はよくわからないんですけどね……」
「ぶっ! なんだそれ!」
「いやあ、お酒の席でしか会わないので……」
「父上……!」
ルイス王子は、自分の口に手を当てて、ぷるぷると震えている。
私はその姿にホッとして、タコわさを適当な皿に盛り付けて、ついでに冷蔵庫の中に入れておいた大根の塩麹漬けを取り出した。不思議そうな顔でルイス王子が手元を覗き込んできたので、一切れ差し出した。
「……いいのかな」
「味見ですから。どうぞ?」
ルイス王子は、小さく笑って大根を食べると、シャクシャクと良い音をさせながら「いける!」と感動した様子だった。
居間へ戻ると、親父ふたりは持ち込んだお酒を片手にもう既に飲み始めていた。
……念のためにと、ピーナッツを用意しておいて良かった。ふたりは上機嫌で、既にワインを一本開けてしまった様だ。先に大根の塩麹漬けとタコわさをこたつに置いて、空いたスペースにカセットコンロを設置する。
「はいはい、失礼しますよ〜」
「おっ、なんだそれ。今日は汁物なのか?」
「そうですよ! 日本の冬の夜と言ったらこれ! お鍋です!」
カセットコンロの上に、湯気が立ち昇っているお鍋を置く。スイッチを入れると、青白い炎が点いて、「おお〜」と男性陣から声が上がった。魔道具だの何だのと男性陣が騒がしい中、構わずにせっせと鍋に具材を入れていく。
千切りにしたキャベツ。それに人参。えのき茸。それを出汁に放つと、途端に色鮮やかなキャベツの緑色と、人参の橙色、えのき茸の茶色が広がり、目にも楽しい。しゃぶしゃぶだから、あとは食べる直前まですることがない。具材が煮える前に、お酒の準備だ。
ダージルさんは相変わらずのビール。王様は持参した葡萄酒。もしかしたら、後でウイスキーを飲むかもしれないけれど。
「ルイス王子は何を飲みますか?」
「ええと」
こたつの横に置いてある小さなテーブルには、沢山の酒瓶を並べてある。各々が自由に好きなものを飲めるようにとの気遣いからだ。色とりどりの酒瓶を前にして、あまりの多さにルイス王子は目移りして中々決められないようだ。
「ルイス。折角だから、異界の酒を飲めばいい」
「そうですね。父上。でも何がなんだか……」
「じゃあ、茜とおんなじのにすればいいじゃないですか、王子。ほれ、茜。レモン絞っておいたぞ」
「あ! ダージルさん、ありがとうございます!」
私は最近ビールではなくて、レモンハイにハマっていた。市場で柚子っぽい香りがするティトを見つけた時に、レモンも大量に売っているのを見つけたのだ。南の国から、大量にこの時期に入ってくるというレモンは、名称も日本で良く聞く「レモン」そのまま。けれど、元の世界とは違って、なんとスイカの様にツルに生るそうな。そして一年草。……このレモン、元の世界で言うと、分類的には野菜である。
まあ、それはいいとして、市場で大量に買い込んで以来、果実を絞ったお酒にハマっている。ダージルさんはそれを知っていて、予め果汁を絞ってくれていた。
「レモン?」
「そうです! その果汁をお酒に入れて飲むんですけど、ルイス王子もどうですか?」
「うーん。美味しそうだね、それにしようかな」
「じゃあ、ふたり分作りますね〜」
作り方は至ってシンプル。
冷やしておいたグラス。それに果汁と焼酎を入れて混ぜる。先に果汁と酒を混ぜておくと、炭酸を入れた後で無駄に掻き混ぜなくて済む。ハイボールの時もそうだけれど、炭酸で割る時はなるべく混ぜなくていい様にするべきだと私は思う。せっかくのしゅわしゅわが抜けちゃったら勿体無いからね。
そうしたら焼酎:炭酸を1:2の割合で入れていく。炭酸が抜けないように、軽くひと混ぜして、最後に氷。切ったレモンを浮かべれば、一気に見た目が華やかになる。
しゅわしゅわと炭酸が立ち昇るグラスに、綺麗なレモン色が映えて綺麗だ。出来たお酒をルイス王子に差し出すと、彼は嬉しそうに頬を綻ばせた。
ふと鍋に目を遣ると、ふつふつと出汁が沸騰してきて、具材もちょうどいい塩梅の様だ。
「あれ、そう言えばエーミールさんは?」
その時、あの東洋風の騎士の姿がないことに気が付いた。
そう言えば、夜になってから暫く姿を見ていない。
「ああ、あいつのことは気にしないで」
「……そうなんですか?」
「あいつはあいつの仕事があってね。今、少し出ている」
「……はあ」
私が間抜けな声を出すと、ルイス王子は「今度はあいつも一緒に飲めればいいね」と笑った。
まあ、仕事なのであれば仕方がない。私はグラスを手に、今か今かと待ちわびている王様に合図を送った。
「うむ。では始めようか。精霊に感謝を――乾杯!」
「「「乾杯!」」」
チン、とグラス同士をぶつけ合って、皆で一気にお酒を呷った。