はじめましてとあったか肉まん 前編
冬の朝はいつもより早い。
それは雪かきがあるからだ。寒いと言って眠っていられないのが、雪が沢山降る場所に住む住民の宿命。
一日でもさぼったら、積もった雪で家から出られなくなること請け合い。それは異世界でも変わらない。
まだ薄暗い中、温かな布団に後ろ髪を引かれながら、気力を奮い立たせてなんとか抜け出す。
吸い込んだ空気のあまりの冷たさに、鼻の奥がつんとする。急いで着替えて、ふかふかのスリッパの温かさにほっとしながらも廊下に出る。ギシギシと鳴る床を踏みしめながら歩いていくと、窓から外の景色を見ることが出来た。
朝日が昇る前の薄ぼんやりとした世界で、大きな城の中で四角く切り取られた様な中庭は、一面白銀に染まっていた。
「また随分積もったなあ」
ぽつりと零れた独り言。言葉と一緒に口から漏れ出た白い吐息が、朝の空気に溶けて消える。
すると冷え切った廊下から、冷気が体を這い登ってきて、思わず震え上がってしまった。
この場所に長居していたら、温かなベッドに戻りたくなりそうだ。私は急いで階下を目指した。
長めのマフラーを三重くらいに巻いて、毛糸の帽子に防水の厚手の手袋。ダウンコートに頑丈な長靴。因みに靴下は二重に履いてある。それに忘れちゃいけないスノーダンプ。スノーダンプとは、ブルドーザーの前面にあるブレードに取っ手をつけて、人力で大量に雪を運べる様にした雪かきには必須の道具だ。完全な防具に最高の武器。なんて素晴らしい。積雪という強敵に立ち向かう勇者に相応しい装備だ。
「よっし! 準備完了!」
玄関の引き戸を開けて白銀の世界に一歩踏み出す。雪が音を吸収でもしているのだろうか、冬の朝はやけに静かだ。まだ誰も踏み込んでいないまっさらな雪に足跡をつけながら、スノーダンプをずりずり引き摺りながら進むと、そこには既に雪かきを始めていた兵士たちの姿があった。
「茜ちゃん、おはよう」
「……おはよう。茜様」
「おはようございます!」
その中で、一番仲がいいふたりが声を掛けてくれる。他の兵士たちとも挨拶をしながら、私はスノーダンプを思い切り雪に突っ込む。取っ手に体重を乗せて、少し持ち上げるとびっくりするぐらいの雪が掬える。それを、雪を集めている場所に持っていく。それを何度も繰り返す、それだけだ。けれど、確実に体力を奪っていく。何度か往復するだけで、あっという間に息が上がってくる。
因みに、異世界にはスノーダンプの様な道具はなかったらしい。今までは地道にスコップで片付けていた様だ。初日に兵士たちがスノーダンプの有用性に気付いて大騒ぎすると、翌日にはドワーフの技師が連れてこられ、更に翌日にはプロトタイプのスノーダンプが使われる様になった。兵士たちには、雪かきが随分と捗る様になったと感謝された。まあ、私の作ったものではないので、単純には喜べないけれど、元の世界の人が考え抜いて作り上げた道具を褒められると、それはそれで嬉しいものだ。
何度めかわからないくらいの雪を運び終えて一息ついていると、ひとりの兵士が私に声を掛けてくれた。
「大丈夫? 茜ちゃん。無理しないでよ」
「いや、うちの周りのことなので……でも、無理してないですから。兵士の皆さんだけにやらせる訳にはいきませんからね」
「いやいや、気にしなくていいんだよ。これも俺たちの仕事だからね」
そう言ってくれたのは、城の兵士で主に私の家の周辺の警備を担当しているダニエルさんだ。
ダニエルさんは長めの茶髪を背中でゆるく結った、綺麗な紫色の瞳を持つ優しげな面持ちの男性だ。城の兵士は、皆揃って青銅色のシンプルな鎧を着ている。それに首周りには見るからにあたたかそうな毛皮のファーをつけていて、麻と皮で出来ているらしい無骨な手袋をしている。
おそらく年頃は私と同じくらい。とても気さくな人で、雪かきをする度に話すうちに、あっという間に仲良くなってしまった。
「ダニエル、雪を捨ててくる。口を動かしてないで、手を動かせ」
「はいはい。エーミールは真面目だなあ」
ダニエルさんに小言をいいながら、大量の雪を乗せたスノーダンプを押して行ったのは、エーミールさん。
ダニエルさんと同じく兵士であるエーミールさんは、艶やかな漆黒の髪を頭の天辺近くで結った、黒い瞳を持った人で、どことなく東洋風の顔立ちをしている。こちらの世界に来てから、東洋風の顔立ちをしている人は初めて見たので、なんとなく親近感が沸く。出来れば仲良くしたいものだけれど、根が真面目なのか私を「様」付けで呼んで、中々気安く話すことが出来ない。気さくなダニエルさんに比べると、まだまだ距離がある感じだ。
「さあ、もう少しだよ。頑張ろうか」
「はい!」
ダニエルさんに声を掛けてもらい、一生懸命家の周りの雪を片付ける。
ここの雪かきは、本来ならば城の兵士たちの仕事ではない。我が家が出現した場所は、城の中庭。普段ならば冬場は滅多に人が立ち入ることはない。けれど、今は我が家があるせいで、沢山の人が行き交っている。一応は聖女の家なので、その周囲の警備をする必要があるし、私たちが我が家で生活している以上は、周囲の雪かきは必須だ。だから、兵士たちは毎朝、こうやって雪かきをしに来てくれている。
ここに住んでいる身としてはそれは助かるし、嬉しいのだけれど、我が家がこの場所に召喚さえされなければ、必要なかった仕事には違いない。なんだか申し訳なく思った私は、毎朝一緒になって雪かきをして、終わったら兵士の皆さんに感謝の気持ちを込めて、簡単な軽食を振るまうことにしている。
ふうふう、息を弾ませながら雪かきをしていると、周囲は冷えこんでいるというのに、額から汗が噴き出してくる。持参したタオルで汗を拭いていると、ふとダニエルさんがこんなことを言い出した。
「いつも思うんだけどさ。聖女様の身内なんだから、もっと偉ぶってもいいし、こんなこと手伝わなくてもいいと思うよ?」
ダニエルさんが言い放った言葉には、若干の呆れが含まれていた。
私はそれを聞いて、一瞬きょとん、とする。何故偉ぶっていいのかがすぐには理解できずに、動きを止めて考え込んでしまった。
すると、ダニエルさんは急に噴き出して笑い出した。途端に、周囲にいた兵士たちから注目が集まる。まあ、ダニエルさんが笑いながら手を何度か振ると、他の兵士たちは興味をなくしたのかまた雪かきへと戻っていったけれど。
「……なにがおかしいんです?」
「く、くっくっくっく。いや……ごめん。君があんまりにも、意味がわからないって顔をしていたから。心の底から、そういうことを考えたことがないんだなあと思って」
すると、笑っているダニエルさんに、戻ってきたエーミールさんが渋い顔をして言った。
「ダニエル、笑うのは失礼だ」
「ああ、そうだねえ。ごめんね、茜ちゃん」
ダニエルさんは謝ってくれたけれど、正直言って、その言葉に私は納得が出来ない。何故、『聖女の姉』だから、偉ぶらなくてはいけないのか。
「浄化も、旅も。頑張っているのは、妹のひよりですから。私じゃありません。私は姉として、妹のサポートはしていますけれど……そんな私が偉ぶったらおかしいでしょう?」
「ふうん? そうなんだ」
いつの間にか、笑いの発作が治まっていたらしいダニエルさんは、じっと私を見つめている。
ダニエルさんの瞳は夕暮れ時の空。昼と夕方の境目に、ほんの短時間現れる紫色。吸い込まれそうなほど綺麗な色に、思わずどきりとする。その眼差しは、私の心の奥底を探っている様に感じて、なんだか酷く居心地が悪い。
思わず眉をひそめると、にっこりと微笑んだダニエルさんは私から視線を外した。
……なんだろうな。偶にダニエルさんの視線が気になるんだよなあ。
悪意がある視線ではないのだけれど、何か観察対象を眺めている様な、そんな雰囲気があるのだ。まあ、ただ単に聖女の姉という異界人が珍しいだけなのかもしれないから、そんなに深く考えなくてもいいのだろうけれど……気分のいいものではない。
ふるふると頭を振って、頭の中の雑念を払う。
なんだかモヤモヤするけれど、早く終わらせないと妹が起きてきてしまう。私は、気を取り直して雪かきに専念することにした。
一時間もすると、雪かきは終わった。中庭じゅうから集められた雪は、端に寄せられ、山のようになっている。流石に雪まみれの兵士たちを我が家の中に招くのは大変なので、縁側を開放してそこで軽食を振る舞う。雪かきで温まった体には、もうそれほど外の寒さは堪えない。
用意したのは、ほかほかの湯気が立っているお味噌汁。具材はアオサノリ。味噌を溶いた出汁に、お椀ごとに適量をパラパラ散らせば完成。お手軽で簡単。磯の香りが堪らない味噌汁だ。
後は、おにぎりだ。具材は鮭、梅干し、昆布。一応形も、三角、俵型、丸と変えてある。
縁側におにぎりを乗せたトレーを並べ、お味噌汁を一人ひとりに配る。
最近はたくさんの兵士たちが、雪かきが終わると我が家に寄っていってくれるようになった。早朝の雪かきの当番に当たると、終わってから食堂に行っても、ろくなものが残っていないのだそうだ。
「本当に助かります、茜様」
そう言って兵士たちが私の作ったご飯を嬉しそうに食べてくれる様は、見ていて嬉しいものがある。
「沢山食べていってくださいね」
私は笑顔で山盛りにしたお漬物を追加で皆に配った。
「うーん、美味しいね。一度でいいから、是非とも茜ちゃんの作った、手の込んだ料理を食べてみたいものだね」
「ええと……あはははは」
そう言って、味噌汁を目を細めながら飲んでいるのはダニエルさんだ。
その隣には、無言でおにぎりを噛み締めているエーミールさんがいる。エーミールさんは目を瞑り、両手におにぎりを掴んで交互に食べている。……おにぎり、好きなんだろうか。
ダニエルさんは、白菜の浅漬けをぱりぱりと軽快な音をさせながら食べていたかと思うと、ふとこんなことを聞いてきた。
「そういえば、ここには良く王子も来るのかい?」
「――王子? カイン王子のことですか?」
「ああ。そうだよ」
どうしてそんなことを聞くのだろうか。ふと疑問が過る。そんなこと、この家を守る兵士なら知らないはずはないのだ。
「ダニエルさんは、我が家の警備を担当されているんですよね? ……この家にカイン王子が来る頻度くらいはご存知なのでは?」
「ん? ……ああ、そうだね」
私がそう聞くと、ダニエルさんはすっと私から視線を逸した。
「秋の浄化の旅の後に、俺もこいつもこの場所に配備されたんだよね。だから、まだあまり知らなくて――」
「ああ、そうなんですか」
確かに、秋の旅の前は、ダニエルさんたちを見た記憶がない。エーミールさんの容姿は東洋風。これだけ目立つ容姿をしているのだ。もし兵士の中にいれば、すぐにでも目につきそうなものだ。
なるほど、と納得した私は、ダニエルさんに聞かれたことを素直に答えた。
「カイン王子なら、妹をよく送り届けてくれますよ。後は、一緒にご飯を食べたりもしますし……。カイン王子、マヨネーズが好きだから、よくご飯のリクエストを貰ったりします」
「マヨネーズ?」
「はい。私の異界の調味料なんですけど。すごく好きみたいで」
「へええ! そうなんだ。マヨネーズ。良いことを聞いた。ほかに、カイン王子が好む食べ物ってあるのかな」
――どうして、カイン王子のことばっかり聞くんだろう?
不思議に思いながらも、私の知ることを教えた。といっても、個人情報に深く関わることは避けて、食べ物関係の話題を出したくらいだけど。まあ、正直言って私はそれほどカイン王子のことは知らないのが現状だ。彼と会うのは、我が家で夕食を食べるときくらいだし。
けれども、そんな私の話を、ダニエルさんは嬉しそうに頷きながら聞いていた。
「ふうん、それでカイン王子はカレーを……」
「ダニエル」
その時だ。エーミールさんがいきなり立ち上がり、ダニエルさんの腕を掴んで引き上げた。
ダニエルさんは驚きつつも立ち上がり、エーミールさんと目配せすると、素早く身支度を整えた。
「茜ちゃん。そろそろ時間みたいだ。また明日ね」
「は……はい。また」
そう言って、さっさと中庭に向かって歩いて行ってしまった。
ふたりの後ろ姿を見送っていると、ふと家の方から聞き慣れた声が聞こえた。
「茜? おはよう」
「あ、ジェイドさん! おはようございます!」
玄関から入ってきていたらしいジェイドさんは、私に声を掛けると、兵士たちが使い終わった食器を一緒に片付けてくれた。
片付けをしながら、ふと、先程のダニエルさんのことを思い出す。
――なんか、変だったけど。……うーん。まあいいか。
私は若干の違和感を胸に抱えながらも、せっせと後片付けに励んだのだった。




