爺ちゃんと子供たちとお好み焼き 前編
ちょっぴりホラー風味。なろう夏のホラー企画に参加できなかった鬱憤を、ぶつけたわけではありません!←
――その人は、普通の人間と比べるのが馬鹿らしくなるくらいの巨躯を持っていた。綿で厚みのあるはずの客用の座布団は、重量感のあるお尻に敷かれて、まるで煎餅布団のような有様だ。全身にはまるで鎧の様な筋肉がついていて、筋骨隆々という言葉が相応しい。背中を丸めて、私の腰ほどの太さがあるゴツゴツとした岩のような脚を折りたたみ、胡座を掻いて座っている様は、まるで巨大な熊がそこにいるかのような存在感がある。
太い眉毛に、鋭い苔色の眼差し。顔には深い皺が刻まれていて、その人が過ごしてきた長い年月が慮られる。髪は白髪交じり。その灰色の髪を後ろに撫で付け、口元にたっぷり蓄えられた髭を三つ編みにして垂らしている。
「……ふむ」
その人――ドワーフ族の長であるゴルディルさんは、太くゴツゴツとした指で湯呑みをつまむと、一気に中身を飲み干した。淹れたてのお茶は結構熱かったはずなのだけれど、ゴルディルさんにとってはまったく問題にならなかったらしい。
割れないように、という気遣いなのだろう。その剛毅な見た目とは裏腹に、ちゃぶ台に慎重に湯呑みを置いたゴルディルさんは、その苔色の眼差しを私へと向けた。
――そして、ひとこと。こう言った。
「少しの間、匿って欲しい」
そして、その大きな体を縮こませ、私に頭を下げたのだった。
私というと――訳も分からず、「はあ」と生返事を返すことしか出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「事情は話せねえ。察してくれ」
その言葉を言ったっきり、ゴルディルさんは黙り込んでしまった。私は急なことで何がなんやらわからず、ただただ困惑するばかりだ。
それに、察して欲しいと言われても、何をどう察すればいいかまったく見当がつかない。
ゴルディルさんはそれ以上は説明するつもりはないらしく、じっと空になった湯呑みを見つめて、動く気配はない。きっと何か深い事情があるのだろうと思った私は、それ以上事情を追求することはせずに、暫くゴルディルさんが居間に滞在する許可を出したのだった。
――匿って欲しい。つまりは、誰かから追われているのだろう。
そう思って、取り敢えず縁側の雨戸を閉めて、外から中が見えないようにする。家中のカーテンを閉め、念のために、玄関も施錠して誰も侵入できないようにした。
一通り鍵を締め終わって居間に戻ると、ゴルディルさんは目を瞑り、特に何をするでもなくそこにいた。
――ゴルディルさんが逃げなければならない相手って誰だろう? 手練の暗殺者とかかなあ……。こう、アニメに出てくるような、目つきの鋭い影のあるような人。それとも、見たことのない様な化物なのだろうか。
体格も良くて、腕っ節も良さそうなゴルディルさんが、逃げ出したくなるような相手とは……。その時、お月見のときに見たような、触手がニョロニョロの、本当の意味での化物が脳裏に浮かんできて、私はぞっとして思わず辺りを窺う。けれども、そんな化物がそうそういるわけもなく……。
――ああ。妄想が捗りすぎ。ないない。まずお城にそんな化物がいるわけないし!
私が頭を振って、くだらない化物の妄想を振り払おうとした、その時。
「……クスクスクス……」
「……ひっ!」
微かに不気味な笑い声が聞こえた。
直前まで、化物の想像をしていた私は、思わず身を竦ませる。ゾワゾワと背中に悪寒が走り、足先から一気に全身に鳥肌が立ったのがわかった。
「ご、ゴルディルさん」
思わず、ゴルディルさんに近づいて、その逞しい体に寄り添う。彼は無言で頷いて、私の頭をぽん、と優しく叩いた。
大きく、力強いその手の存在感に、少しだけ心臓の鼓動が収まる。けれども、ほっとしたのも束の間、また私の鼓動は激しく動き出すことになる。
「……どこお……?」「……どこなの……」
――家。家の外だ。それは家の外から聞こえた。
幼い子ども、それも女の子の声。誰かを探して彷徨う声。家の周りをゴルディルさんを求めて、徘徊しているのだろうか、ずり、ずり、と地面を擦る音がする。
……ゴルディルさんが、逃げていたのは……まさか、お化け!?
喉がカラカラになってきたので、無理やり唾を飲み込んで喉を潤す。恐怖心がじわじわと私の体を侵食していく。指先から冷たくなってきたのは、きっと汗が私の体温を容赦なく奪っているせいだ。
――バン、バンバンバンバン……!!
次の瞬間、雨戸を複数人が叩いた音が響き、更に心臓が飛び跳ねた。
バクバクと心臓が激しく鼓動している。嫌な汗が額に滲み、思わず息を荒げる。
自然と呼吸が浅くなる。呼吸音がやたらと耳の奥に響いて煩い。
座り込みたい衝動に堪えながら、ゴルディルさんの腕に縋り付く。
その間も、雨戸は更に激しく叩かれ、窓枠が振動でビリビリ震えていた。
そっとゴルディルさんを見上げると、彼は落ち着いた様子で震える雨戸をじっと見つめていた。
その様子に、何か事情を知っているに違いないと思った私は、恐る恐る声を掛けた。
「……いいい……一体、なにが」
「静かにしろ。黙っていれば――去る」
「ちゃんと、説明してください……!」
あまりの恐怖に、小声を心掛けていたはずなのに、思いの外自分の口から大きな声が出てきて焦る。
ぱっと両手で自分の口を塞いでも……もう遅い。
――既に、雨戸を叩いていた音は止んでいた。
……気づかれた……!!
騒がしかった先ほどとは打って変わって、居間を支配している静寂が耳に煩い。呼吸の音と、心臓が激しく鼓動する音がだけが聞こえる。後悔の念が私の中に渦巻いている。頬を伝った汗が、ぽとり、と床に落ちた。――その時だ。
――ダンダンダンダンダン!!!!
「開けろォォォォォォォォォ!!」
今度は玄関のほうから、激しく引き戸を叩く音が聞こえ、低い男の叫び声が聞こえた。
古く建て付けが甘くなっている玄関のガラスが、振動で揺れて、酷く大きな音を立てる。
そして、その音に呼応するように、雨戸を叩く音も再開された。
――ドン、ドンドンドンドンドン! ダンダンダンダンダン!!
「ここに居るのは、わかっているんだァァァァァァァァ!!」
「開けて……開けて……」「はやく……はやく……」
戸を叩く音に加えて、更に男の声と、幼い子どもの声も聞こえてきた時点で、私の中で何かがぷつりと切れた。内から駆け上るように襲い来る恐怖に、とうとう堪えきれなくなり――。
「い、いやああああああ!!」
両耳を手で押さえて、思わず絶叫する。
すると――。
雨戸の内の一枚が蹴破られ、そこから誰かが飛び込んできたのが見えた。
「茜! 大丈夫か!」
それは息を切らして青ざめた顔をしている――ジェイドさんだった。
私は思わずジェイドさんに駆け寄ると、思い切り抱きつく。ジェイドさんも優しく私を受け止めてくれた。ジェイドさんの温もりが安心感を与えてくれる。堪えきれなかった涙がポロポロと瞳から零れ落ちて、床を汚した。
ジェイドさんは私を強く抱きしめて安堵の息を漏らすと、そのままゴルディルさんを睨みつける。そして「どういうことなのか、説明してください!」と厳しい言葉を投げかけた。私も鼻を啜りながら、そっとゴルディルさんの様子を覗き見る。すると、ゴルディルさんは頭を大きな手で掻き掻き、どこか困った様子だった。
「説明もなにも。……儂は、そこのちっこいのと『かくれんぼ』をしていただけだ」
「……は?」
「まさか、この歳で『かくれんぼ』していたなんて、言い出せなくてなあ」
「……はあああああ?」
「「うっふふふふふ!」」
ジェイドさんが素っ頓狂な声を上げた瞬間、可愛らしい女の子の声が二重に聞こえ、誰かがジェイドさんの蹴破った雨戸から中を覗いているのが見えた。
「「おじいさま、みーっけ!!」」
「ぬう……負けた」
それは、金銀のふたご姫。
眩しいほどの金髪を持つセルフィ姫と、色違いの銀髪を持つシルフィ姫。ふたりが小さな指で、ゴルディルさんを指差して、にっこり笑っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
オレンジジュースふたつに、熱々の緑茶。お茶請けに海苔が巻かれた醤油味のあられ。
それをちゃぶ台に並べると、ふたご姫は嬉しそうに目を輝かせた。
外れた雨戸はジェイドさんが嵌め直してくれた。壊れていなくて良かった。何はともあれ、事情を聞く前にお茶で一息入れる。熱い緑茶を飲んで、その豊かな香りに癒される。先程まで、変な汗を掻くほど緊張していたからか、緑茶の香りが酷く心地いい。
「実はな、氷上船の完成の目処が立ってな。あとは細かい調整だけだから、若いもんに任せっきりで、儂は暇をしていてな」
ゴルディルさんは、バリボリと奥歯であられを噛み締めながら、照れながらそう言った。どうやら、暇を持て余したゴルディルさんと、クルクスさんを撒くために城の中を彷徨っていたふたご姫が、偶然出会ったことから交流が始まったらしい。とんでもなく年齢が離れているはずの三人は何故か意気投合し、最近はよく一緒に遊んでいるのだそうだ。
「おじいさまは、おっきくてつよーいの!」
「おじいさまは、おっきくてすごーいの!」
ふたご姫は、相変わらず姉であるセルフィ姫が発言した後に、妹のシルフィ姫が続いて発言する言葉遊びを続けているようだ。ふたりは楽しそうに、嬉しそうに――そして、自慢げにゴルディルさんの凄いところを教えてくれた。それを相槌を打ちながら聞いていると、ゴルディルさんがうっすら頬を染めて、照れくさそうにしているのが見えて、私は思わず頬を緩めた。
――本当のおじいちゃんと孫みたいだ。
昔々、祖父の家に遊びに来ていたことを思い出して、なんだか胸が温かくなる。祖父が好きだった私は、この家に家族で遊びに来ると、いつも祖父の後をついて回ってたっけ……。
気がつくと、ふたご姫はゴルディルさんの両膝に座って、嬉しそうにジュースを飲んでいた。
ゴルディルさんも、優しげな眼差しで二人を見下ろして、なんとも幸せそうだ。
その三人を眺めていた私とジェイドさんも、微笑ましい様子に思わず笑い合う。
先程までは、恐怖で混乱状態だったとは思えないほど、その時の居間の雰囲気は和やかなものだった。
「……姫様方から離れろ、老いぼれが……!」
ただ独り、庭から窓越しに、血走った目でこちらを見ているクルクスさん以外は。
「クルクスさん、中に入れなくていいんですか……?」
「いいんだよ、あいつはやりすぎた」
ジェイドさんが無表情で言い放った言葉に、ふたご姫が揃って頷いた。
あの家を外から叩いたり、玄関で大きな声を出して叫んでいたのは、クルクスさんだったらしい。
どうもゴルディルさんと『かくれんぼ』勝負をすると知ったクルクスさんは、「俺の主を負けさせる訳にはいかない……!」と勝手にひとり盛り上がり、地面を這いつくばってゴルディルさんの行方を探り出し――我が家に居ると知るやいなや、周りの迷惑も考えずに思い切り家の周りを叩いて回っていたそうな。
「クルクス、まるで犬のようだったわ……」
「クルクス、まるで鬼のようだったわ……」
セルフィ姫は、匂いでゴルディルさんを探し当てた護衛騎士を思い出して顔を引き攣らせ、シルフィ姫は、鬼のような形相で我が家を叩きまくる護衛騎士を思い出して顔を青ざめさせた。
……なにやってんだ、このひと。
ガラス窓に顔をぴったりくっつけてこちらを覗いているクルクスさんが怖い。意外と顔は整っているのに、まるで唇やほっぺたが、透明な板の下から見たなめくじのお腹みたいになっていて滑稽だ。……寒い外にいるのは可哀想だけれど、正直中に入れたらそれはそれで大変そうだ。
主であるふたご姫が放っておけと言っているのだから、まあ、いいのか……なあ?
「まあ、アレのことは良いだろう。それよりも、ふたごよ。勝負は儂の負けだ。約束の品を渡そう」
クルクスさんのことを適当にアレ扱いしたゴルディルさんは、懐から何を取り出そうとした。すると、ふたご姫は慌ててそれを止めた。
「駄目よ、おじいさま。わたくしたち、ズルをしたから」
「そうよ、おじいさま。ちゃんと、自分たちだけの力で見つけなきゃいけなかったのに」
「だからね、おじいさまの勝ちよ、おめでとう!」
「だからね、わたくしたちの負けよ、おめでとう!」
どうやら、ふたご姫はクルクスさんの力を使ってみつけたことを言っているらしい。『かくれんぼ』には、勝ったほうが負けたほうへと何か物を贈る、というルールを決めていた様だった。
ふたご姫は、自分たちの負けだから、逆に何かゴルディルさんに何かをあげなければいけない、と意気込んでいる。
けれど、ふたご姫の表情はすぐに曇った。
「でも、なにがいいかしら」
「そうね、なにがいいのかしら……」
ふたりは困り顔でううん、と首を捻っている。
なんだか、ふたご姫がプレゼントについて悩んでいる様子は、春先にカイン王子へのプレゼントで悩んでいたときとまるで一緒で懐かしい。
そして、ちらちらとこちらを期待の篭った眼差しで見てくるのも、あの時と一緒。
私はふふ、と小さく笑って、腰に手を当てて言った。
「おふた方。もうすぐお昼の時間ですから、良かったらまた一緒にご飯をつくりませんか?」
「「――ほんとう!?」」
途端に、ぱあっとふたご姫の表情が明るくなる。
わくわく、そわそわしているのか、途端に落ち着きがなくなってしまった。
「今日のお昼ごはんは、お好み焼きにしましょう」
「「おこのみやき?」」
私の口から出た未知の料理に、4つの碧眼が輝きを増す。
「とっても、美味しいですよ。それで、ゴルディルさんをおもてなししましょう!」
「「うん!!」」
元気よく返事をしたふたご姫は、「きゃあ!」と嬉しそうに両手を合わせて体を揺らした。
膝にふたご姫を乗せていたゴルディルさんは、そんなふたりを優しく見下ろしていた。