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雪虫と冬のお昼ごはん 中編

 相変わらずごろごろしている三人を蹴散らして、料理をこたつの上に並べる。


 照り照りの飴色に染まった、ぶりの照焼き。ジェイドさん特製の、ほうれん草と人参のおひたしを添えて。

 うっすら出汁の色に染まった、ふろふき大根。とろりとした肉味噌をたっぷりとかけてある。

 真っ白つやっつやの白いご飯に、わかめのお味噌汁。キャベツと生姜の浅漬け。

 今日は如何にも和食! というメニュー。それを並べて、皆で席に着いた。妹は、席に着くなりそこに座った面子を見回して、首を傾げた。



「ユエは?」

「声はかけてみたけど、まだ寝てる……やっぱり竜は寒いとしんどいみたい」



 ユエは、今日もまだ起きてきていない。

 最近はどうも寒さが堪えるらしく、朝から活動するのが難しいようだ。一度、起こそうとして口から火を吐かれたので、今は無理に起こさないことにしている。

 妹も「じゃあ、仕方ないね」と納得したらしく、こたつの上の料理を眺めて嬉しそうに頬を緩めた。



「うわあ、いい匂い。ふろふき大根! なんか、冬らしいね」

「市場で沢山売られていたんだよ。やっぱり冬は大根だよね」

「うんうん、冬になると無性に煮た大根が食べたくなるよね……今度はおでんが食べたい」

「はいはい」



 食べる前から、もう次の料理のことを言い出している妹に苦笑しながら、皆揃って手を合わせた。



「いただきます!」



 まずはふろふき大根。箸でそっと大根を割ると、柔らかなその身は簡単に割れた。

 上にかかっていた肉味噌が、とろりと大根の崖をこぼれ落ちる。ふわりと白い湯気が立ち昇る中、ひとくち大に切り分けた大根を箸で掴んで、口へ運ぶと――じゅわり、大根に染み込んでいた出汁が口いっぱいに広がった。

 甘い大根の味に、優しい昆布出汁の旨味。あっという間に、口の中が汁気で溢れる。もぐもぐと大根の味と出汁の旨味を堪能していると、舌の上に美味しい塊が当たった。

 それは鶏の旨味をたっぷりと溶け込ませた肉味噌。味噌の旨味、塩味に生姜の刺激。それが優しい大根の味を包み込むと、あっさりさっぱりした大根の味に、いいアクセントを与えてくれる。

 蕩けそうなほど柔らかな大根の身に、この肉味噌はなんとも言えず合う。



「は、はふ。大根、とろとろで美味しいねえ……」

「この肉が入ってる味噌。これはなかなか良いな」



 妹はうっとりと大根を噛み締め、カイン王子は肉味噌が気に入ったらしく、目を細めて皿の中のふろふき大根を眺めていた。

 それと、ぶりの照焼きもなかなか好評のようだ。

 ひとり一切れ出したぶりは、あっという間に食べつくされてしまった。セシル君は食べ足りなかったようで、空になって照り焼きだれだけが残った皿を、切なそうに見つめている。

 私は苦笑して、おかわりが欲しい人にはもう一切れづつぶりの照り焼きを出してあげた。

 中でもセシル君は嬉しそうに頬を緩め、大きく切り分けたぶりの照り焼きを、口いっぱいに頬張った。



「……うん。この照り焼きだれ……お肉も合いますけど、魚もいいですね! 生臭くない。この甘しょっぱい感じが、ご飯と合いますねえ……!」

「確かに、ご飯に合う味だよね」



 口の中のぶりを飲み込んだセシル君は、すぐさま、箸で山盛りの白いご飯を掬って口へと含んだ。元々笑っているような顔のセシル君だけれど、いつもより更に目尻を下げている様子は、料理を作った側としては、なんとも嬉しい光景だ。セシル君は次から次へと口へぶりとご飯を運んで、お茶碗の中もあっという間に減っていく。もしかしたら、ご飯のおかわりも必要かもしれない。


 私も箸でぶりの照焼きを切り取り、ひとくち食べる。すると、途端に口いっぱいに広がったぶりの濃厚な脂と旨味にうっとりとしてしまった。


 塩を振っておいたのと、新鮮だったからか魚特有の生臭さは感じられず、凝縮された強烈な旨味が口の中を蹂躙していく。ほろほろと口の中で崩れるぶりの身から感じる、美味しい脂がなんとも幸せな気分を連れてくる。

 しかもそのブリの身を包んでいるのは、甘味の強い照り焼きのタレ。煮詰められて、とろりと粘度を増した照り焼きのタレを纏ったぶりは、信じられないくらいご飯を呼ぶ。

 セシル君に習って、私ももちもちほっこりな白いご飯を、口中で照り焼きのタレと、ぶりの旨味がいっぱいになっている瞬間に口に含むと、幸せな気分が更に加速して――確かに、お茶碗一杯のご飯じゃあ足りないくらいだ。


 ご飯、ぶりの照り焼き、ご飯。時々、浅漬け、口がしょっぱくなったら味噌汁。もちもちご飯に、ふろふき大根でほっこり。正に和食。日本の心。三角食べなんて言って、順番通りに規則正しく食べたほうが良いかもしれないけれど、心の赴くままにあちこち食べたいものに箸をつけ、優しい和食の味を堪能するのも悪くない。



 ――ずず。



 鰹節の出汁たっぷりの味噌汁を啜る。

 温かな味噌汁が、喉から食道を通って胃へと滑り落ちていく。すると、途端に体の底から温まってきて、ぽかぽかふわふわ、なんだか心まであったかくなる。こたつの熱が少し煩わしいくらいだ。



「和食はいいねえ……」



 その時、そう呟いた妹の言葉に、全員でしみじみと頷いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 後片付けも終わり、みんなでこたつを囲んで座って、またこたつ要、不要談義に花を咲かせていると、強い風が吹いたのか、ガタガタと窓が鳴った。

 なんとなしに窓の外を見ると、外にちらちらと白いものが舞っているのが見えた。



「――雪!?」



 妹はそれに気がつくと、はしゃいだ声を上げて、窓へと走り寄る。私も釣られて近寄ると、曇っては居るけれどやけに明るい空から、ふわふわとした白いものが舞い落ちてきていた。



「あれ?」



 けれども、なにかおかしい。その白い雪のようなものは、見た目は綿雪の様だった。ふわふわ風に乗ってゆっくりと舞い落ちる様は、とても冬らしく初雪ということも相まって心躍らせるものがある。

 けれど、普通ならば地面に落ちて消えてしまう運命の儚い綿雪は、地面に落ちる寸前、ぴょんぴょんと空へと向かって、まるで見えない階段でもそこにあるかのように、跳ねながら空へと帰っていくのだ。

 その光景は、居間から見える裏庭の其処此処で見られ、異様な風景に思わず唖然としてしまった。


 妹とふたり、驚きのあまり動けないでいると、ジェイドさんがそばにやってきて私の手をとった。



「茜! 外へ行こう!」

「ええ?」

「ひより、ほら」

「カイン?」



 ジェイドさんとカイン王子に手を引かれた私たちは、急いでコートを着て外に出る。

 玄関を出た先の空気は、昼頃だと言うのに肌を刺すくらい冷たい。

 辺りにはふわふわとあのおかしな綿雪が舞っている。そのなかを私はジェイドさん、妹はカイン王子に連れられて縁側のある裏庭へと回った。



「ジェイドさん? 何なんですか?」

「ほら、市場で言っただろう? 楽しみにしていればいいって」

「ああ、あの冬の……」

「そうだよ、『冬の使者』――雪虫がやってきたんだ!」



 確かに市場で「冬の使者」が来ると、ジェイドさんが言っていたのを覚えている。

 空から舞い落ちる綿雪を見つめる。ふわふわの綿毛の様なそれは、地面どころか私の体に触れることも厭い、ぴょん、ぴょん、と空気を蹴って空を飛び回っている。その動きは、とてもコミカルで見ていて飽きない。


 けれども――雪虫。雪虫というと、北海道で初雪が降る少し前に出現し、冬の訪れを知らせてくれるという風物詩のことだった気がする。

 まさか異世界にも雪虫が? そう思ってはみたものの、見た目が全く違う。元の世界の雪虫はきちんと虫の胴体と羽があった気がする。けれど空から落ちてくる雪虫をじっと目を凝らしてみてみても、虫らしきパーツは見当たらない。ただのふわふわの白い綿の塊にしか見えなかった。


 ――もしかして、綿の内部に虫がいるのかなあ?


 ふわふわの雪の中で、小さな虫が隠れている姿を想像する。なんだか可愛い。本当に、異世界には不可思議な生き物でいっぱいだ。



「この『冬の使者』は名前通り、冬の訪れを告げる風物詩なんだ。どうだい?」

「冬の風物詩……そうなんですね。面白いです!」



 異世界の風物詩と言うと、夏のウンディーネを思い出す。水の精霊であるウンディーネたちの歌声も素晴らしかったけれど、今まさに目の前に繰り広げられている、空から無数に落ちてくる「冬の使者」の姿……冬の風物詩は壮観だった。


 けれど「冬の使者」……その言葉を聞いた時に、ふと「冬将軍」やら「鍋将軍」という言葉を連想してしまった私の残念思考が、この素晴らしい景色を台なしにしていた。


 ――だって、冬と言ったら寒冷前線。寒くなったら鍋。鍋と言ったら鍋将軍。寄せ鍋、モツ鍋、カレー鍋に、キムチ鍋。しゃぶしゃぶ、すき焼きなんでもござれ。一緒に飲むのはビールか日本酒! いや、レモンサワーもあり!

 冬は雪を理由に、堂々と家に閉じこもって、おいしい鍋を突きながらお酒を飲める、大変素晴らしい季節だ。



「茜……よだれ」

「はっ!? ……おお!?」



 ジェイドさんの指摘に、思わず開けっ放しにしていた口を閉じる。ゴシゴシと袖で口元を拭うと、どうやら涎は垂らしていなかったようだ。それはそうだ、25歳成人女性が妄想で涎を垂らすなんて、残念この上ない。……以前、やらかしたような気がしなくもないけれど。

 思わず微妙な表情でジェイドさんの方を見ると、やれやれと言った風に肩を竦めていた。なんでもお見通し。ジェイドさんの顔がそう言っていた。……あああ。なんてこった。またやらかした。私の食い意地をなんとかして欲しい……!


 頭を抱えて蹲りたい気持ちでいっぱいになっていると、妹のはしゃいだ声が聞こえた。ふと、そちらを見ると――妹は空に浮かんでいる綿雪を、勢い良く両手でぱん! と挟んで捕まえている。哀れ、空をふわふわと気持ちよさそうに舞っていた雪虫は、妹の手の中に囚われてしまった。次の瞬間、妹の手からまるでドライアイスの煙の様なものが噴き出した。



「――ええ!?」



 思わず、驚きの声を上げる。妹は、その煙が噴き出すのがよっぽど楽しいのか、何匹も何匹も手の中に捕まえては、白い煙を辺りに撒き散らしていた。

 ひとつ捕まえるごとに、ばふっ、と鈍い音が聞こえる。おそらく、その白い煙は冷たいのだろう。妹は指先が真っ赤になってしまっている。だけど、うちの妹のことだ。指先がかじかむことなんて全く気にならないらしく、次から次へとばふばふと綿雪を潰して大はしゃぎだ。



「あはははは! すっごい! おもしろーい!」

「ほら、ひより。こっちも」

「ぶっ、冷たい! カイン、仕返し!」



 いつもは落ち着いた雰囲気のカイン王子も、珍しく妹と同じようにはしゃいでいる。更には、ふたりは互いに白い煙を浴びせあって、大笑いし始めた。

 その光景を見た瞬間、私ははたと気がついた。

 ――あれって……虫だ!!!!



「ひより! それ、虫じゃないの!?」



 私が慌てて妹に声をかけると、こちらを見た妹はニンマリと笑って、手のひらをこちらに開いてみせた。

 その手は冷たさで真っ赤にはなってはいたけれど、手の中に虫の死骸は残っていなかった。



「これ、雪虫って言うらしいけど、本当は虫じゃなくって精霊もどきなんだって!」

「もどき?」



 私が首を傾げていると、ジェイドさんが雪虫について詳しく教えてくれた。

 ジェイドさん曰く、この大地のはるか上空、雲よりももっと高い場所には、雨や雪、風、太陽――そういうものを司る、精霊を統べるものが住んでいると信じられているのだそうだ。

 それは雨や雪などの自然現象だけでなく、季節の移り変わりも管理していて、季節の境目になると活動が活発になるのだという。



「この世界の生きとし生けるもの全てにとって、秋が実りや収穫の季節なのであれば、冬は忍耐の季節なんだ。はるか上空に住まう『精霊の王』は、毎年我らに暖かな春を与えてくれる代わりに、冬ごもりの間は、『精霊の王』からの試練に耐え、精霊にひたすら感謝を捧げて、目覚めの春を待つべし――ジルベルタ王国で広く信じられている精霊信仰の教えでは、そう言われているよ」



 冬の寒さ、冷たさ、厳しさは全て『精霊の王』が人間を試すためのもの。『精霊の王』は試練の始まりを告げる為に、水の精霊になりそこなった精霊を細かく砕いて、「雪虫」として地上に遣わすのだという。


 ――そうだった。ジルベルタ王国では、精霊信仰が盛んなのだった。

 以前王都へ出かけた時も、至る所に精霊を祀る神殿が置かれていたし、地方に行くと、レイクハルトの湖に沈んでいたような巨大な神殿が、今も現役で信仰の象徴として、住民の心の拠り所となっているのだという。



「じゃあ、これは『精霊の王』が遣わした使者――って、潰しちゃっていいんですか!?」

「大丈夫さ。理由は詳しくは知らないけれど、こうやって雪虫を潰すことが、試練をありがたく賜るっていう『精霊の王』への返礼になるって言われているんだよ」

「……もう、不思議すぎて私の理解の範疇を超えている気がします……」

「あはは、そうだね。精霊信仰をしていない他国の人間にこのことを話すと、いつも変な顔をされる。異界から来た茜なら尚更だろう――でも、この世界の冬はこうやって始まるんだよ。俺はこの教えは嫌いじゃないな」



 空を舞っている雪虫に触れようと、手を伸ばしてみる。すると、ひょい、と簡単に雪虫は私の手から逃れ、空を駆け上って行ってしまった。

 妹は楽しそうに雪虫を潰しているけれど、これが元々は精霊だったと聞くと、なんとも複雑な気分だ。


 ――特に最近はまめことよく一緒にいるし。


 冷え込みが厳しくなってきた最近は、木の精霊であるまめこは、知らない間に庭の桜の木から抜け出して、我が家の大黒柱の中に潜んでいる。そして、気がつくとストーブの前で火に当たっていることが多い。

 居間に意識しないで入って、木のお化けにしか見えないまめこが居ると、ぎょっとすることもあるけれど、まめこが私の存在に気づいて頭を左右に振り出すと、なんとも可愛らしいのだ。



「教え以前に、ああやって雪虫を潰すのは、同じ精霊を友に持つものとしては、複雑ですね……」

「まあ、そうかもね」



 私がなんとも言えない気持ちでそう言うと、ジェイドさんはからからと笑った。

 多分、この雪虫潰しは一生できそうにないなあ、なんて思っていた矢先、居間の窓が勢い良く開いた音がした。同時に、聞き覚えのある元気な声が聞こえた。

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