薬草売りと梅仕事 前編
朝食を食べ終わった私とジェイドさんは、食料庫という名の納戸で買い出しが必要な食材を確認していた。
外は明るいはずだけれど、窓がないこの部屋はいつも真っ暗で、部屋の中を照らすのは白熱電球ひとつのみだ。
塩や砂糖、根菜類。
異世界でも補充可能な品をメモしていく。
「それにしても、凄い量のお酒ですね…。この棚にある瓶類は全てお酒でしょう?」
「因みに、そこに積んである箱と、木箱もお酒ですね。ここからこっちは醤油や料理酒ですから違いますけど」
壁際に作られた木の棚には、ぎっしりと日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン。箱に入った高級なものもチラホラ。床には箱に入ったビールが積んである。
見る限り、日本酒や焼酎は在庫は大丈夫そう。ビールは…夏を超えられるか不安な量だ。
それとは反対側の棚は、保存食が置いてある場所だ。一升瓶入りの醤油や料理酒。大きな米袋に、各種乾物。味噌樽に、梅干しや梅酒、果実酒の瓶。きのこのオイル漬けやピクルスなどの瓶詰めや、アンチョビ、鯖缶などの缶詰め類もぎっしり数え切れないほどある。
…缶詰類、乾物は大丈夫だけれど、米の残りが心許ない。味噌も味噌樽の半分ほどはあるけれど、冬まで保つか…味噌は手作りしたこともあるけれど、麹が手に入るかどうかわからない。
「お酒は祖父と私が、缶詰は祖母が蒐集したんですよねえ。よくこれだけ集まったものです」
「へー。価値のある品々なんですか?」
「いやあ、一般的に売られているものが大半ですよ。お酒は祖父と私はお互いに記念日に贈りあったり、旅行好きだった祖父母がお土産で買ってきたり。あとは祖父母の親戚や友人から季節の折に大量に送られてきてましたね。祖父の酒好きは有名でしたから」
祖父と私でいくら飲んでも飲み切れない程だ。地元の農協で定年まで働いていた祖父の顔はとても広い。
「缶詰めは、祖母がいつ災害があってもいいようにって、常に買い集めてましたねえ。…アンチョビを災害時にどう食べるのかわかりませんけれど」
流石に避難先でパスタを茹でるわけには…まぁ、ちょっとボケはじめていた祖母は缶詰であればなんでも良いような感じだったから、仕方ないと思う。
そもそもこんな簡単に取り出せないような場所に置いてある時点で、災害の備えとして如何なものだろう。
そんな事を考えながら、つらつらと必要なものが無いか、端から確認していくと、梅酒の瓶が目についた。
――そして、大きくため息を吐く。
「茜?どうしたのですか?」
ジェイドさんが心配そうにこちらを覗き込む。
「あ、すみません。ちょっと…これ、梅酒っていうお酒なんですが」
「へえ。この丸い果実、梅というんですか。綺麗な琥珀色のお酒ですね。…うん?この隣もですか?あれ、この隣も?…随分沢山ありますね」
「ええ。春になると毎年漬けていたので…今年はできませんけれど」
春先に梅のあれこれを仕込むのは毎年の私の楽しみだった。
五月頃からスーパーで青梅が売り出され始めると、心が浮き立ったものだ。梅干し、梅酒、梅シロップ…。
梅干しは好みの塩分濃度を変えてみたり、紫蘇を一緒に漬け込んでゆかりも一緒に作ったり。
梅酒も少し甘さ控えめでつくったり、氷砂糖を蜂蜜にしたり、ホワイトリカーじゃなくてブランデーで漬けてみたり…。あれこれ毎年変えてみて、違いを楽しむのが好きだったのだ。
勿論こちらの市場でも梅らしきものがないか、探してみたけれど、いくら探しても見つからず…。
正直、今年は既に諦め気味だ。
まあ。ないものは仕方ない。
梅干しの残りが心許ないけれど、誤魔化し誤魔化し使っていくしかないだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今日も市場を食材を探して歩き回る。
人混みを歩きながら、無意識に梅の実を探してしまうけれど、やはりあの青いまあるい実は何処にも見当たらない。
気づけば露店が立ち並ぶ区域に差し掛かり、漢方薬のような独特な香りが鼻をつく。
色とりどりのポーションの瓶が日差しを浴びて煌めき、謎の粉薬をごりごりと煎じる薬師は何か怪しげだ。
その一画、沢山の乾燥した薬草や不思議な木の実、スパイスを並べた薬草売りの老人の店が目につく。
――今までじっくり見たことは無かったけど。
トマト料理や煮込みに使うハーブが心許なかったのを思い出して、覗いてみる事にした。
時折蜥蜴の黒焼きらしきものも目に入るけれど、それは見なかった事にして、あちこちみていると――萎びた木の実が目に入る。
――これは。
思わずそれをまじまじと見つめてしまう。
「お嬢さん、それが気になるかい」
薬草売りの老人が話しかけてきたので、ふとその木の実から視線をあげると、深くローブを被った彼と目があった。
私は、彼をなんとなく背中を丸めて座っている姿勢と雰囲気で老人だと思いこんでいたけれど、かなり若い男だった事に驚く。
きつね顔、というのだろうか。目は糸のように細く、唇は薄く弧を描いている。ローブの隙間からしゃらり、と花をモチーフにした幾何学模様が美しい耳飾りが覗く。溢れる髪は黄土色。いったい何処を見ているのかわからないその顔は、不敵な笑みを浮かべている。
「それはチコの実だよ。南の国の森でこの時期良く採れる。燻製にして薬として煎じるのさ。食欲不振、疲労回復、整腸作用…色々な効能があるよ」
そしてニヤリと笑って、
「生の実には毒がある。お嬢さん、そっちの方が希望かな?」
隣のジェイドさんが、薬草売りの言葉に反応して腰の剣に手を添える。
「貴様…失礼だぞ!」
「おや、失礼。お貴族様にはそういうのを欲しがる方も多いものでね?許してほしいなあ」
ふふ、と楽しそうに笑った薬草売りは、ぷかりと煙管をふかす。
「もしかしてですけど。その生の実の毒って、子どもでも100個くらい食べないと効かないくらい少なかったりしません?」
私が笑顔でそう言うと、薬草売りは煙管をふかすのを一瞬やめて、ただでさえ糸のようなその目を更に細めて笑う。
「おやまあ、お嬢さん。物知りだね。そうだよ、微々たるものだ。…お嬢さんの騎士様は真面目さんだねえ。からかい甲斐がある」
くつくつと肩を揺らす薬草売りを視界に収めながら、ちらりと空に浮かぶ鑑定のウインドウをみる。
『チコの実
比較的暖かい地方でとれる木の実。白い花を初春の頃に咲かせ、その花は美しいことで知られているが、花の香が魔力を多分に含み魔物を誘うことから、人の手では栽培されておらず、山奥に自生するのみである。
その実や種子は薬として利用されており、効能は多岐にわたる。
日本でいう「梅」に相当する』
…梅!梅ですよ!
とうとう梅を見つけた感動で身が震える。
思わず繋いだジェイドさんの手をぎゅうっと握ってしまった。
ジェイドさんの心配そうな顔でこちらを見ている。だけど、私はそれに構わず薬草売りと交渉をはじめる。
「生の実?やっぱり毒を?…はは、冗談だよ。今なら伝手を使って手に入れることはできるよ。…ところで、どうするつもりなんだい。生の実をまさかそのまま食べるつもりでは無いだろう?」
「…私の故郷では、この実をお酒に漬けるんですよ。あとは塩漬けと砂糖漬けにします」
「ほほう」
私の言葉に薬草売りは、興味深そうに頷く。
そして良いことを思いついたのか、嬉しそうに指で顎先を摩り、「お代は安くしておこう」という。
交渉するまでもなくそんなことを言い出した薬草売りに少し驚いていると、彼は細い目を目一杯開いてこういった。
「その代わり、出来たものを少し分けておくれよ。珍しいものが味わえそうだ」
薬草売りは、紅い目をきらりと煌めかせて、実に楽しそうに体を揺すった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後日、箱詰めされたチコの実が届いた。
チコの実は、肉厚で傷も少なく、皆青々としていて状態としては最高のものばかり。
縁側で熱湯消毒した瓶や容器を乾かしていた私は、届いたそれを見て小躍りした。
異常に高い私のテンションに、ジェイドさんは若干引き気味だ。
張り切って袖をまくり、気合をいれる。
縁側にチコの実入りの箱を広げて準備にかかる。
暖かい今日は梅仕事日和。腕がなる。
うちの愛犬もふんふんいいながら匂いを嗅ぎ、チコの実に興味津々だ。
まずは、チコの実をざぶざぶ洗い大きな樽に入れて水を貼る。
そこに「ニシンの借りを返しに来たぞー」と、ダージルさんが沢山の酒の入った瓶を持って現れた。
せっかく異世界で梅酒を漬けるのだから、とこちらの度数の高い蒸留酒を用意して貰ったのだ。
「これがドワーフ謹製の火酒な。火を近づけると燃えるほど酒精が強い。あとは、これはここら辺でよく果実を漬けるのに使われる酒だな…」
因みにドワーフ謹製の火酒はダージルさんのとっておきらしい。
同情を誘うような、実に寂しげな顔でこちらに差し出して来たけれど、私は満面の笑顔で受け取っておいた。
ルヴァンさんからは昨日のうちに沢山の氷砂糖と粗塩が届いている。ルヴァンさんに会うたびにニシンへの愛を語った成果だ。
氷砂糖はこちらではあまり流通していないらしく貴重なものだ。西の国で嗜好品として扱われていたものが最近ジルベルタ王国へ来たばかりのようで、なかなか手に入らない。そこは宰相様。権力をフルに使っていただいた。
粗塩は、海水から丁寧に作られた高級天然塩。精製塩とは違う複雑な旨味を含んだ塩味は梅干しにぴったりだ。
ニシンという大きな犠牲のもと、これだけの品を揃えることが出来た。
思わずニヤニヤしながら仁王立ちでそれらを眺めて、悦に浸る。
「茜、よだれ」
「はっ…!」
思わず乙女にあるまじき状態まで堕ちてしまった。
ジェイドさんに指摘されて、ぐいっとよだれを拭った。
兎に角作業に入ろう。
因みにダージルさんは仕事があるとかで帰っていった。出来たら飲ませろよーと、一言添えて。
作業は単純だ。
ひたすら水に浸けておいたチコの実…もとい、梅の実のお尻にあるヘタを竹串で取り除く。
因みに梅は金気を嫌う。金属製の串はご法度だ。
ヘタがとれたら、水気を拭き取り少し乾かす。
梅酒、梅干し、梅シロップ全てに共通する工程。
…ただし量が半端ないので、非常に手間だけれど。
梅干しに5キロ。梅シロップに1キロ。梅酒に4キロ。
木箱に山盛りになった梅の実の存在感が凄い。
春の日差しのもと、ひたすら梅の尻を竹串でほじほじして水気を丁寧に拭き取る。気の遠くなりそうな、実に根気のいる作業。
――でも梅に対する愛があれば容易いこと!
私はジェイドさんの肩をぽん、と叩いて満面の笑みを浮かべ、力強く親指を立てた。
「楽しい楽しい梅仕事の始まりですよ」
その言葉を受けて、よほど嬉しいのかジェイドさんは口の端を痙攣らせた。
ようやく全ての梅の処理が終わった頃には、ジェイドさんは疲れたのか縁側に座り込んでしまった。
これから漬ける作業があるというのに、大丈夫なのだろうか。
…なんだかちょっと可哀想な気もしたので、レオンを膝の上に乗せてあげた。うちのレオンは人の膝の上に乗って寝始めると意地でもそこに居座る。如何にトイレに行きたくなろうとも、どかしてもどかしてもすぐ戻ってくる可愛いやつだ。
まあ、この後のことは一人でも十分出来るし、思う存分モフってもらって、癒されて貰おう。
――さてさて、張り切ってやっていこうか。
まずは梅シロップ。
作り方は、瓶に梅と同量の氷砂糖を交互に入れて、冷暗所で保管するだけ。
早速、乳白色の綺麗な小石のような氷砂糖を、ころころと瓶へ入れる。その次は梅。その次は氷砂糖。綺麗な層になるように重ねていく。
こうしておくと、数日で固形の氷砂糖が段々と染み出た梅の水分で溶けて液状になり、そのとろとろの甘い液の中に梅の風味が溶け出す。
毎日様子を見ながら瓶をゆすって撹拌する。そうして10日ほどで氷砂糖が溶けきると完成。1ヶ月くらいで梅の実を取り出して、美味しいシロップだけを冷蔵庫で保管する。
梅シロップの炭酸割りは夏場の暑い頃にぴったりの爽やかな味。甘くてしゅわしゅわのそれは、暑さで疲れた胃にも優しい。
次は梅酒。梅酒は、梅に対して氷砂糖は半分の量。
氷砂糖の量はお好みで前後しても良いと思う。ただ、あんまり少ないとうまくエキスが出ない恐れがあるから注意。
シロップと同じように、瓶に梅と氷砂糖を交互に入れてお酒を注ぐ。
お酒はできればアルコール度数が35度以上の蒸留酒がいい。
あんまり度数が低いと、発酵してしまう恐れがある。日本酒で作ると美味しいときくけれど、発酵が怖くて私はやったことはない。
梅酒はアルコール度数が高いほどすぐエキスが溶け出て、出来上がりが速い。
実はスピリタスという、ポーランド産のアルコール度数が95度もあるウォッカを使った梅酒が、とても美味しいとネットで見たことがある。
是非一度試してみたいと思いながらも、田舎の酒屋にスピリタスなんてあるわけもなく、ネットでわざわざ取り寄せるほどでもないなぁ、と二の足を踏んでいたお酒。
スピリタスは『燃える』お酒として有名だ。
ドワーフ謹製の火酒も『燃える』という。
思わぬところで希望が叶いそうな予感にワクワクが止まらない。
火酒を瓶にとくとくとく、と注ぐ。
するとすぐに梅が黒ずんで来た。酒の色も薄い緑色に色づく。普通は透明なままですぐ色が変わることはない。
恐ろしいほどの梅のエキスの抽出の早さ。
ネットで見た写真通りの状況に、思わずムフフと笑みが溢れた。
本来なら最低でも3ヶ月、飲み頃を考えると半年は待たないといけない梅酒だけれど、この火酒梅酒は1ヶ月くらいで飲めるようになる。
その頃にはアルコール度数も半減して、ウイスキーと同じくらいに落ち着くはず。
――どんな味になるか楽しみだ!
その後もう一種類のお酒も同じように漬ける。
きゅ、と蓋を閉めて透明なお酒の中の綺麗な青い実と、乳白色の氷砂糖が綺麗に層になって沈む様を眺め、美味しくなれよーと願いを込めて少し揺すった。