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番外 騎士団長と鯵のなめろう 2

 レイクハルト擁する、エスクエル国。

 湖の多いその国の浄化は、至って順調に進んでいた。


 この国は、他国に比べれば邪気の噴出地が少なく、穢れ地の拡大も緩やかだ。

 だからこそ、秋の終わりの頃まで、浄化を先延ばしにしても問題がないほどだったのだが――。

 この地の浄化をするにあたって、厄介なことがひとつあった。



「ぐっ……!」



 大盾を構えた騎士を、壁のように一番外側に配置した陣形で、絶え間なく襲い掛かってくる毒液を防ぐ。

 濃い紫色をした毒々しい色の液を吐き出すのは、穢れてしまった湖に棲みついた魚人(マーマン)だ。

 本来ならば、青緑色の鱗を持った、温厚な気性の人外であるはずの魚面人身のマーマン。通常ならば、湖の底に住み着き水草や魚を食べて暮らしている彼らは、今は邪気で黒々と染まり、鋭い歯が並ぶ口から泡を吹き、瞳は赤く染まって、怪しげな光を放っている。


 この国の穢れ地には、もれなくこのマーマンがついてくる。マーマンは全身を覆う鱗が非常に固く、そして俊敏だ。更には群れで行動し、群れのリーダーの下、統率された動きをする魔物でもある。経験の浅い騎士ともなると、マーマンの群れに囲まれると簡単に餌食になってしまう。まあ、それは単独行動をしないように心がければいいのだが――一番厄介なのは、マーマンが多用する攻撃、毒液だ。



「ギャッギャッギャッ!」



 群れで固まっているマーマンの中の一匹が、けたたましい鳴き声を上げると、群れ全体で一斉にこちらに向かって毒液を吐き出してきた。

 大盾を構えた騎士は、体を縮こませて毒液を遮断する。

 大量の毒液が降り注いだ大盾は、一瞬にして腐食して白い煙を上げた。盾に当たって跳ね返った毒液が、生身の肌に触れてしまった騎士は、悲鳴をあげてうずくまってしまった。咄嗟に周囲の騎士がその騎士を引き摺り、後方へと下がらせる。そして、新しい騎士が大盾を構えた。

 肌を毒液が溶かしていく痛みに堪えきれず、騎士の痛々しい悲鳴が辺りに響く。その苦しげな声を聞いた、絶え間なく降り注ぐ毒液を盾で防いでいる騎士たちに、緊張が走った。


 ――くそ……! これじゃあ、どうしようもねえぞ!!


 ぎり、と歯を食いしばる。マーマンの毒液攻撃は一向に止む気配はない。このままではジリ貧だ。どうにかして、この状況を打破しなければ――。

 毒液を吐くマーマンを倒すには、遠隔攻撃が基本だ。毒液が届く範囲に入り込むのは自殺行為。それは十分理解はしていたのだが、穢れ地を進んでいるときに、死角から突然現れたマーマンの群れに不意をつかれてしまったのだ。


 ――ちくしょう。なんとかならねえのか。なんとか……!


 そう思った瞬間、盾を構えた騎士たちとマーマンの間に、何かがするりと入り込んできた。

 見ると、それは白いローブを纏った人間だった。褐色の肌に、フードからちらりと覗いているのは赤毛の三つ編みだ。

 普通の女性よりも小さな体つきで、自信たっぷりに胸を張って、まっすぐにマーマンを見据えているそいつは――治癒術師のマルタだった。

 毒液が飛び交う中、まるで散歩でもするような軽い足取りで、騎士とマーマンの間に現れたマルタは、手のひらをマーマンへと向け、俺たちを庇うような位置取りで立ち止まった。



「マルタ……!! なにしてやがる、下がれ!」



 思わず叫ぶも、マルタはそこから動こうとはしなかった。

 確かに、マルタは治癒術師で毒の専門家。どんな毒でも中和するその力は、騎士団の中でも認められている。

 けれど、それは安全地帯で発揮されるべき能力であって、こんな戦闘中にどうこうする能力ではない。実際、マーマンの攻撃手段は毒液だけでなく、自らの硬い鱗を使って作った投擲武器もある。治癒術師は基本的には後方支援が役目だ。防具も何も身につけていないマルタが、敵の戦闘の真っ只中に躍り出ることのなんと無謀なことか。

 案の定、一匹のマーマンが投げた投擲武器が、マルタの頬をかすった。

 つう、と一筋の赤い血が頬から流れ、マルタはわずかに顔をしかめた。



「戻れ! マルタ!」

「戻りません!」



 俺が叫んでも、マルタは言うことを聞くつもりはないらしい。

 騎士が構えた大盾の後ろで、身動きが取れない自分がもどかしい。


 マーマンは無防備に全身をさらけ出しているマルタに狙いを定めると、一斉に毒液を飛ばした。恐ろしいほどの量の毒液がマルタを襲う。それこそ全身がずぶ濡れになりそうな程の毒液だ。僅かに肌に触れるだけで、鍛え上げられた騎士が悲鳴を上げるほどの毒液。それが、マルタに襲いかかろうとしていた。



「――駄目だ、マルタ!」



 思わず、盾を構えていた騎士たちを押しのけて、前に出ようとした。

 けれども、毒液の降り注ぐ場所へと自ら飛び込もうとする俺を、近くに居た副官が力づくで止めた。


 ――あんな量の毒液を浴びせられたら……!!


 焦る俺を尻目に、小さなマルタに毒液が正に降りかかろうとした、その瞬間。

 ちらりとこちらを振り向いたマルタは、その緑色の瞳を細めて――笑った。



「――マーマンの毒は熱傷、細胞破壊を引き起こす。私はそれを中和する!」



 そうマルタが叫んだ瞬間、マルタを中心にまばゆい光が放たれ、複雑な紋で描かれた魔法陣が発動した。その魔法陣は、マルタだけでなくマーマンたちの体に纏わりつき、違和感を感じたマーマンたちは、魔法陣を振り払おうと両腕を振り回してもがいている。

 やがてぼたぼたと毒液が地面に落ちる音がした後も、マルタは全身毒液まみれになりながらも、痛がる様子もなく、しっかりと大地を踏みしめてその場に立っていた。

 そして、俺たちの方へと振り返って、勢い良く言った。



「――今です! 団長様! マーマンは、すぐには毒を吐けません! 奴らの口から飛び出すのはただの体液と成り果てました……! さあ、今こそ剣を!」

「……!!」



 マルタの勇敢な姿を見て、漸く俺の頭が動き出した。

 俺は剣を掲げると、周囲の騎士に号令をだした。



「お前ら! マルタがやってくれたぞ! これであいつらはただの歩く魚だ! 今こそ、ジルベルタ王国が誇る騎士団の力を見せてやれ……!」

「――応!!」



 俺の号令に、一斉に騎士たちが動き出した。

 武器を構えた騎士たちがマーマンに襲いかかると、混乱に陥ったマーマンたちは滅茶苦茶に爪を振り始め、既に毒を持たなくなった体液を一生懸命吹きかけ始めた。こうなったら早いものだ。群れとしての統率が取れなくなった魔物なんて、訓練された騎士の一団に敵うはずもない。

 俺は、紫色の毒液まみれになって、自分を追い越してマーマンに突撃していく騎士たちを、黙って見送っているマルタに向かって言った。



「勝手な行動をしたことは、後で説教だ! 覚悟しておけ、マルタ!」

「――! はいっ!」



 俺は本気で怒気を込めてそう言ったんだが、その時のマルタは何故か笑顔だった。

 俺はまっすぐ、乱戦になっている前方を見据える。

 そして、



「――オラオラオラァ! いくぞォォォォォ!」



 周囲を鼓舞するために、一層大きな雄叫びをあげて、マーマンに斬りかかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 マーマンの群れを一匹残らず倒し終わった頃、遠くから白い閃光が立ち昇るのが見えた。

 途端に、周囲に漂っていた黒い邪気が空に溶けて消えていき、辺り一面が浄化されていく。

 どうやら、聖女とカイン王子が浄化に成功したようだ。


 マーマンの死骸も浄化され、黒々とした鱗から、青緑色の鱗へと変化していった。

 同時に、周囲の湖も美しく透き通った、本来の姿を取り戻した。

 途端、風にさざめく湖面が太陽の光を反射し始めて、美しい景色を作り出す。

 遠くで水鳥の鳴き声が聞こえる。真っ赤な太陽に照らされた湖面は、まるで宝石のようにきらり、きらりと光を反射して――まるで、浄化を喜んでいるようだ。

 こうして、先程までは禍々しいとしか表現しようが無かった風景は、今や大自然の息吹を感じさせる風景へと変わっていた。


 思わず、息を止めてその風景に見入る。太陽の光に満ち溢れ、きらきらと眩しい世界から目が離せない。俺と同じように、一緒に居た騎士たちも、皆、その場に立ち尽くして、黄金色に輝く湖面に見惚れていた。

 この浄化した直後の、本来の景色が取り戻される瞬間。これは、何度見ても心洗われる風景だと思う。

 同時に、腹の底から達成感が沸き上がってくる。体がむずむずして、喜びを爆発させたい衝動を止められない!


 俺は剣を天高く掲げた。

 きらり、と剣が太陽の光を反射した、その瞬間。



「おおおおおおおおおおおおっ!!」



 俺の周りに居た騎士たちも一斉に剣を掲げ、俺たちは天に向かって吠えて、喜びを分かち合った。



「……あの。い、いいですからっ……!! ひとりでできますからあ……っ!」

「いいから、黙ってろ」



 俺はマルタの細い肩を掴み、嫌がるマルタの顔に軟膏を塗りつける。

 治癒の魔法を使えばいいんだろうが、生憎それを使える他の治癒術師は重傷者につきっきりだ。

 マルタの頬に出来た傷くらいなら、軟膏を塗っておけば治るだろう。

 俺は、指で掬った白い軟膏をぐりぐりとマルタの傷に塗りたくった。



「い、いたたたたた」

「我慢しろ。まったく、無茶しやがって。マーマンが、毒液を吐かずに襲ってきたらどうするつもりだったんだ」

「そ、それは……っ! きっと、騎士さんたちがなんとかしてくれるだろうって……ああああああ、近い……」

「動くな。今後は、勝手なことはするなよ。後方支援には後方支援の役割があるだろう?」

「あばばばばばば」

「マルタ、聞いてんのか?」



 俺が何を言っても、マルタは「ひええ」だの「ふわあ」だの言って、まともな反応を返さない。

 それに、顔がまるで茹で蛸の様に真っ赤になっていて、様子がおかしい。



「どうしたんだ? お前、やっぱり毒が……」

「ち、ちが、違います……。も、もう! 大丈夫ですから!」



 マルタは物凄い勢いで顔を振ると、俺を思い切り突き放して距離をとった。

 一体、どうしたってんだ。

 息も荒く、頬を両手で押さえて、下を向いてしまったマルタを見て、俺はあることに気がついた。



「マルタ。お前、着替えはあるのか」



 マルタは、マーマンから浴びた毒液で全身紫色に染まっていた。

 白いローブを着ていたから、尚更目立つ。俺が着替えの有無を聞くと、途端にマルタは真っ青になった。



「そういえば、着替えの入ったバッグ。マーマンの襲撃のどさくさに紛れて、なくしちゃいました……」



 マルタはそう言うと、自分のローブを見下ろして涙目になった。

 マーマンの体液は酷い匂いを放っている。この国の浄化は未だ途中で、あと数日はかかるだろう。もちろんその間、村や街に立ち寄る予定はない。

 俺は頭を掻きながらどうしようかと考えを巡らせた。そして副官に俺の荷物を持ってくるように指示した。念のためにと多めに持ってきた着替えが入っているはずだ。しばらくして副官が戻ってくると、荷物のなかにあった替えのシャツをマルタに押し付けた。



「でっかいと思うけどな。これを着ろ」

「え、えええええ!? そんな、団長様のものを借りるなんて……!」

「いいから」

「でも!」



 マルタはなかなか素直に受け取ろうとはしなかった。両手で俺の方へとシャツを押し返そうと必死だ。

 俺は押し問答を暫く繰り返しているうちに、段々と苛立ちが募ってきて、思わずこう言ってしまった。



「お前、このままだと臭いぞ」

「……ひっ!!」



 その瞬間、さあっと顔から血の気を引かせたマルタは、俺のシャツを奪い取って、どこかへ走り去ってしまった。

 ……あ。やってしまったかもしれん。

 常々アンナに言われていたことを思い出す。



『あんたは、本当に乙女心っていうものがわかってないわね! この朴念仁!』



 どうやら、俺は女性に対する気遣いが足りないと言うか、余計なことを言う傾向があるらしい。

 ああ……もしかしなくても、傷付けてしまっただろうか。

 思わず近くにいた副官を見た。俺よりも随分と若いそいつは、確か嫁も子供もいるはずだ。

 副官は俺の顔を見るなり、ぷっと噴き出して「酷いですね」と言って笑った。


 ……うう。なんてこった。


 俺が後悔の念にかられながらも、騎士に指示を出していると、後ろの方から「団長様……」という遠慮がちな声が聞こえた。

 振り返ると、そこには俺が貸したシャツを着たマルタがいた。



「だ、だだだ……団長様。ありがとうございました。帰ったら、きちんと洗って返しますので……」



 マルタは、顔を真っ赤に染めて俯いている。

 いつもは白いローブに隠れて見えない赤毛の三つ編みが、はらりと体の前に零れた。

 それよりも。


 ……ざわ。


 マルタが現れた瞬間、周囲に居た騎士たちがざわめいた。

 俺の貸したシャツは黒。しかもかなり大きいサイズだ。小柄なマルタが着ると、まるでワンピースの様だ。マルタはそのシャツを、腰の辺りでローブを着ている時に使用しているベルトで留めているのだが――なんと言ったら良いんだろう。

 長い袖を持て余して、何重にも捲くっている様子とか。その袖から伸びる細い腕とか。

 襟ぐりが広すぎて、鎖骨が見えてしまっている首元とか。

 いつものローブより短いから、普段よりは大胆に見えているすらりとした脚とか。

 ……それが、なんとも絶妙な塩梅で、男を引き寄せる色香を放っていた。


 俺は慌てて自分の羽織っていたマントを外すと、マルタをそれで包み込んだ。

「ひゃわっ!?」とか、マルタは変な声をあげていたが、お構いなしだ。

 俺は副官に声を掛けて、至急聖女か、女性の護衛騎士に着替えがないか聞いてくるように指示を出した。



「団長様……? ど、どうしたんですか……?」



 俺の腕の中で、マルタが頬を染め、潤んだ瞳で見上げている。

 俺は思わず、口元を引き攣らせて、マルタから視線を逸した。



「いや、なんでもない。暫くそうしていろ」

「ふわっ!? は……はい……」



 マルタは素っ頓狂な声を上げると、その後は俺の腕の中でおとなしくしていた。

 しばらくして、聖女様の着替えを貸してもらった後も、どうにもマルタを見る騎士団の独り身の男どもの視線が、いつもと違うような気がした。


 普段は白いローブで体を覆って隠しているマルタ。いつもと違う格好に刺激されたのかもしれない。

 ただでさえ女が少ない現場だ。しかも、一緒の場所で寝泊まりをすることも多い。


 俺はマルタを、このエスクエル国の浄化中は、副官に任命してそばに置くことに決めた。俺の一番近くに置いておけば、誰も変な気は起こさないだろう。

 幸いマルタの解毒の魔法は、この国の浄化に於いては、非常に重要な役割を果たすことは誰もが理解していて、そのことについては文句は出なかった。

 まあ、本人は挙動不審に陥るくらい動揺していたけどな。


 ――嫁入り前の娘さんに、何かあったら親御さんに申し訳がたたねえからなあ。


 今も、俺のそばで顔を真っ赤にして俯いているマルタを眺めて、俺は決心した。


 ――この旅が終わったら、騎士団の中で身分が釣り合って、なおかつ性根の良い奴を紹介してやろう。うん、そうしよう。


 俺は、心のなかで数人の騎士を思い浮かべながら、マルタと共にエスクエル国の浄化の旅を続けた。

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