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番外 騎士団長と鯵のなめろう 1

少し時間を遡って、秋の浄化の旅の出発前のお話です

 王都から馬を走らせて一時間ほどの場所にある、小高い丘の上にある森の中。

 森の奥に続く、薄暗い道を馬を引いて進んでいくと、そこには森を切り開いた、立派な墓石が立ち並ぶ場所がある。そこは代々この地を治めている、領主一族の墓所だった。

 そして、墓所の端の方にひっそりと佇む、小さめの墓石。うっすら青みがかった石で作られたその墓石が、今日の俺の目的地だった。


 馬を適当な近くの木に繋ぎ、頸を軽く叩いてやる。すると、馬はのんびりと足元の草を食み始めた。

 その様子を確認したら、花束を持って墓石へと近づく。

 墓守がいくら手入れをしても、この季節はあっという間に落ち葉だらけになってしまう。その小さな墓石の上や周囲にも、色とりどりの落ち葉が降り積もっていた。軽く手で落ち葉を払い、秋の空気にさらされて冷え切った墓石に指先で触れた。



「……アンナ。今年は少し早く来た。すまんな、ちょっと用事があってな。びっくりしただろう」



 明日からは聖女と王子と共に、浄化の旅に出る事になっている。

 毎年決まって同じ日に墓参りをしていたが、旅の日程を考えると、どうやら間に合わなそうだったので、今年に限っては早めに訪れることにした。危険な旅だ。万が一のことがあってはいけない。



「命日じゃなくてすまんな。旅が終わったら、また来るから」



 俺はそう言って、嘗て俺の隣で笑っていた、最愛の人の眠る場所を優しく撫でた。

 ――そう。この小さな墓石の下には、俺の女房が眠っている。


 

 俺の女房のアンナは、小さい頃から随分と病弱だった。

 俺とアンナは生まれる前からの婚約者で、家同士も懇意にしていたことから、小さい頃からよく遊んでいた。つまりは、幼馴染ってやつだ。まだちっこい弟と一緒に、アンナの家に遊びに行っては、三人で色々とやらかした(・・・・・)のを覚えている。


 アンナは病弱でありながらも、頭の回転の速い賢いやつだった。それも、悪戯方面に於いては天才的だった。部屋から出られない分、沢山の知識を本から得て、それを無駄なことに費やす天才。アンナは、一般的な貴族令嬢とは全然違って、とても変わったやつだった。まあ、病弱で滅多に外出できないアンナは、他の貴族令嬢と知り合うこともなかったから、良い意味で何色にも染まっていなかったんだろう。


 まあそうは言っても、俺もアンナのことは言えたものではない。同じ貴族の子息よりも、下町の平民の友人と遊ぶほうが好きな、貴族らしさとは無縁の残念な子供だった。だから、そういう意味では似たもの同士だったのだと思う。


 ……アンナがろくでもない計画をたてて、俺と弟が実行する。俺とアンナは、いつだって共犯者。アンナと一緒に親に叱られながら、親の見てないところで笑いあって、次は何をしでかそうか。またろくでもない計画を立てる。それが俺とアンナ。高位貴族の子息と令嬢。生まれる前から決められていた婚約者。俺とアンナを表す言葉は沢山あるとは思うのだが――今思うと、俺とアンナは『無二の親友』……そう言う関係に一番近かったのかもしれない。



 子供の頃の話だ。俺たち家族は、毎年、春と秋には決まってアンナの家を訪れていた。そして互いの両親がお茶を飲みながら長話を始めると、俺は小さな弟を引き連れて、決まってアンナの寝室を訪れたものだ。

 普通ならば、子供とは言え女性の寝室に男を入れるなんてと言われるだろうが、なにせ俺とアンナはお互いが母親の乳を吸っていた頃からの仲だ。アンナ付きの侍女も、いつものことと俺をすんなりと寝室へと入れてくれた。



「ふふふ、ダージル! やっときたわね!」

「待たせたな! アンナ!!」



 アンナの寝室は、四方を本に囲まれた、昼であっても薄暗い部屋だった。

 辛うじて、一箇所だけ大きな窓は確保しているが、それ以外の窓は全て本棚に隠されてしまっている。

 天井近くまである背の高い本棚には、大小様々な本がぎっしりと詰め込まれていて、なんとアンナはそれを全て読んだのだという。この部屋にある本は全てお気に入りの本で、手が届く所に無いと落ち着かないというものばかり。入ったことはないが、隣の衣裳部屋も本に埋め尽くされていると、アンナは自慢していた。


 いつだったか、アンナが「本妖精(ブックフェアリー)」が住む部屋に住みたいと、ぼやいていたのを覚えている。まあ、あのまま蔵書が増えていけば、そのうち妖精が住みだしそうなくらいの本だらけの部屋だったけどな。

 きっと、アンナが生きていれば、ルヴァンの甥のヴァンテと気が合ったに違いない。


 俺が部屋に入ると、アンナはぱあっと表情を明るくさせて、横になっていた体を起こした。

 そして、白い歯を見せる令嬢らしくない笑みを浮かべると、サイドテーブルの上に乗っていた分厚い本を取ろうとして――バランスを崩した。

 慌てて駆け寄り、体を支えると、アンナは「くっ……しくじったわ……」と、大仰に顔を押さえた。

 

 顔を押さえた時に、ちらりと寝間着の袖から見えた腕は酷く細い。

 アンナは栗色の髪の毛を緩く三つ編みにして、胸の前に垂らしていた。肌は陽に当たっていないからか、透けるように白い。瞳は茶にも緑色にも見える淡褐色(ヘーゼル)。滅多にベッドから降りることのないアンナは、とても痩せていて、一見すると酷く儚げな見た目だった。

 けれどもそんな見た目とは裏腹に、アンナはにやりと不敵な笑みを浮かべると、落としそうになった分厚い本を抱え直し、とあるページを俺に見せてきた。

 そこには、小さな爪先ほどの赤い粒が鈴なりに生っている、木の実の絵が描いてあった。



「ダージル。今日の指令は、この赤い木の実を山から採ってくることよ!」

「どれだ……? おお、アッシュか。これなら、山でみたことがある」



 俺がそう言うと、アンナはふふん、と無い胸を張って得意げに言った。



「これがあれば、この本にあるまじないを試せるのよ。ついに健康な肉体を得るときが来たわ!」



 当時、アンナは怪しげな黒魔術の本にハマっていた。今思えば、巷で流行していたデマだらけのトンデモ本だったのだが、アンナはその中の万病に聞くというまじないを再現して、自分の体を健康にしようと企んでいたようだった。


 アンナは「内緒だから」「特別だから」と言葉に含みをもたせ、俺にその黒魔術で健康な体を手に入れるための計画を打ち明けてきた。当時、子供だった俺は、「内緒」で「特別」なその「黒魔術」という得体の知れないものに強く惹かれ、アンナの「まじない再現計画」に加担したのだった。


 その後、アンナの欲しいと言ったアッシュの実を手に入れるために、ひとり邸を抜け出して、山へ行った。まあ実際問題、無計画に山に行って無事に済む訳がなく――顛末は想像できるだろうが、案の定、山で遭難して明るいうちに帰ることが叶わず、大騒ぎになったのは言うまでもない。


 深夜になって自力で帰宅した俺は、親に叱られる前にと、アンナの部屋へと忍び込んだ。

 そして、眠っているアンナの枕元に、そのアッシュの実を置いて、親の下へと行った記憶がある。

 翌日、腫れ上がった尻をさすりながらアンナの下を訪れると、「まじないが完成すれば、ダージルの尻も完全復活よ!」と言われ、なんとも言えない気持ちになったっけ。



「……くっくっく」



 俺は当時のことを思い出して、思わず笑いを漏らしてしまった。

 慌てて周囲を見渡すも、そこは森の奥の墓地。今日は俺の他に誰も居なかったから、ほっと胸を撫で下ろした。こんなところで、ひとりで笑っている男なんて、不審者以外の何者でもない。


 俺は墓石から手を離すと、ふとアンナの眠る墓石のすぐ側に生えている木を見上げた。

 そこには生い茂る葉を鮮やかな赤色に染めて、赤い実が鈴なりに生っているアッシュの木があった。



「今年も、たくさん実をつけたなあ。あれから、まじないが成功しないからって、何度も山に採りにいかせられたっけな。あれはなかなか骨が折れた」



 風が吹くと、ゆらゆらと揺れるアッシュの実を眺めて、目を細める。



『うるさいわね、まじないが上手くいかない理由を考察した時に、数が足りないとか鮮度が足りないとか、そういう単純な理由が真っ先に思いついたんだもの。仕方ないでしょ!』



 多分、アンナならこういう風に反応するだろうなあという言葉を思い浮かべて、また笑ってしまった。

 アッシュはあれ以来、アンナの一番好きな植物になった。毎年秋になると、寝たきりのアンナにアッシュの木の枝を土産として持っていくと、非常に喜んでくれたものだ。

 だから、最期の時を一緒に過ごした邸の庭には、部屋から見える位置にアッシュを植えていたし、アンナの死後、墓石の近くにも植えた。秋になるとたわわに赤い実を生らせるアッシュ。それを彼女はいつも嬉しそうに、愛おしそうに眺めていた。

 いつしかアッシュは、俺にとっても大切なものとなっていて、毎年赤く染まるアッシュを見ると、秋の訪れを感じると共に、アンナとの日々を思い出して胸が温かくなる。


 俺は頬を緩めつつも、墓石の周囲に降り積もった落ち葉を片付け始めた。


 ――結局、苦労して集めたアッシュのまじないでは、アンナの病は治らなかった。まあ、当たり前だろうが。

 アンナの病は、元々は医師から成長するにつれて改善するだろう、と言われていた病だった。

 体内に流れる魔力、それに体が拒否反応を起こしてしまう病――普通ならば、年齢を重ねれば体が魔力に馴染む。稀な病ではあるが、患者の大半は成人の頃には完治することで知られていた病だった。きっと、アンナもそうなるだろうと周囲は信じていたのだが……。

 アンナの病は回復に向かうどころか、成長するにつれ、病状はみるみるうちに悪化していった。


 アンナは、俺が十六歳になり騎士学校に通う頃になると、歩くこともままならなくなり、子供の頃以上にベッドの上で過ごすようになった。

 病のせいなのだろう。アンナは同じ年頃の令嬢と比べると、酷く小さな体をしていて、相変わらず本に囲まれた部屋で読書ばかりをする毎日を過ごしていた。


 俺は小さな頃とは違って、ひとりで定期的にアンナの家を訪れていた。

 それは正式な婚約者として、交流を深めるという名目でだ。

 実のところ、アンナの父親からは、婚約の解消をしたいと言われていた。

 もちろん、それは成長すれば治ると言われていた病が悪化し、代々騎士団長を排出してきた、名家である我が家に嫁がせる訳にはいかないという理由だった。

 跡継ぎも望めないし、迷惑をかけるだけだから、と。

 だけど、俺はそれを断り続けていた。頑なにアンナを嫁にもらうと言い張って、父親が頭を抱えていたっけ。


 ……婚約解消か。

 そういえば、こんなこともあったな。

 俺は騎士学校時代に、アンナと話したことを思い出した。


 俺はアンナのベッドのそばに用意してもらった椅子に腰掛けて、するすると林檎の皮を剥いていた。

 本来ならばこんなものは俺がやることではないが、当時の俺はアンナにナイフが使える格好いいところを見てもらいたかったのだと思う。だから、こっそり仲の良い使用人と練習して、初めは上手くいかなかったけれど、この頃には問題なく林檎を剥けるようになっていた。調子に乗って、一度も皮を切らないで絶対に剥ききる! なんて、くだらないことにこだわっていたっけ。

 俺が林檎の皮を剥いていると、その様子を眺めていたアンナが、突然俺に向かってまた(・・)変なことを言い出した。



「私たち、別れましょうか」

「嫌だ」



 俺はアンナの方を見ずに即答した。

 すると、ギリリ、と歯ぎしりの音が聞こえて、躍起になったアンナがまた違うことを言い出した。



「……好きな人ができたの」

「嘘つけ」

「私、結婚しない主義なの」

「関係ない」

「……もう! ダージル!」

「うわっ」



 俺がアンナのいつもの(・・・・)「婚約破棄攻撃」を、適当に流しながら林檎を剥いていると、怒ったアンナに腕を捕まれ、林檎の皮が切れてしまった。

 俺はそこで漸く手元から視線を上げて、恨みがましい視線をアンナに向けた。



「ああ。折角、新記録が達成できそうだったのに。邪魔するなよ」

「そんなの、どうでもいいでしょう!? 私と林檎の皮、どっちが大切なのよ!」

「林檎の皮?」

「禿げろ! ばかやろう!」



 アンナはそう叫ぶと、俺にクッションを投げつけてきた。



「おいおい、令嬢にあるまじき暴言だな」

「うるさいわね! 一日中、ずうっと部屋にいるんだもの。令嬢もクソもないわ! 誰も見ていないもの!」



 俺は顔面に当たったクッションをベッドの上に戻すと、涙目になっているアンナの口に、切った林檎を押し込んだ。

 途端、アンナは目を白黒とさせて、それでも口の中の林檎を吐き出すわけにもいかず、もぐもぐと口を動かしながら不満そうに俺を睨みつけた。

 俺はそんなアンナを眺めながら、自分も林檎を食べつつ、いつもの(・・・・)台詞を言った。



「俺の嫁になるのは、お前だよ。アンナ」



 そう言うと、アンナは酷く複雑そうな顔をして、俯いてしまった。

 ほんのり耳の辺りが赤い。もしかして、熱でも出てきたのだろうか。

 俺はサイドテーブルに置いてあったカーディガンをアンナにかけると、横になるように促した。

 おとなしく従ったアンナは、やっと林檎を飲み込むと、顔まで掛布を引き上げて、じっとりとした目線をこちらに向けた。



「……その台詞の後は?」

「お前と一緒にいると、気が楽でいい。他の女は面倒だ」

「……禿げろ!」

「その禿げろってやーめーろー。叔父がつるつるだから、俺も将来禿げるかもしれないってヒヤヒヤしてるんだよ」

「禿げてしまえー! 全力で呪う! 呪ってやる!」



 アンナはまたクッションを俺に投げつけ始めた。

 それを適当に躱しながら、笑ってアンナの細い腕を掴む。

 力の強い俺に、アンナが敵うはずもなく、ぐぬぬ、と悔しそうに唸ったアンナは、俺にクッションを投げることを諦めた様だった。



「……私のことなんか、好きじゃないくせに」



 ぽつりと聞こえたアンナの言葉に、俺は首を傾げた。



「俺は、お前のことが好きだぞ?」

「それは、幼馴染としてとか、友達としてとかでしょ!? 本当の好きじゃない!」

「そうなのか? 違いがわからん」



 そう俺が言うと、益々アンナは顔を真っ赤にさせて怒ったものだ。最終的には熱を出して、アンナ付きの侍女に追い出されるまでが一連の流れだった。お約束みたいになっていたけど、あれはあれで楽しい時間だったと思う。本来なら、病に冒されているアンナに無理させるのは良くないことだったのだろうが、周囲は俺がアンナの部屋に通うのを止めることはしなかった。いま思えば、アンナがもう長くないことを知って、好きなようにさせてくれていたのだろう。


 そっと墓石に触れる。

 冷え切った墓石の表面を撫でて、あの頃に思いを馳せる。

 すると、心の奥が温かくなるのを感じた。俺にとって、アンナと――女房と一緒に居られた時間は、何よりも大切なものだった。



「俺はなあ、お前のことを幼馴染としてじゃなく、友達としてでもなく……本当に妻として、女性として好きだったよ。

 お前は賢かった癖に、本当に大事なところで鈍感だったなあ。俺としては、一生懸命好きな気持ちを表現してたつもりだったんだがな」



 子供の頃から、アンナに頼まれたものは、どんな無理難題であっても絶対に手に入れた。

 寮があった騎士学校はアンナの家からも、自分の家からも随分と距離があるのに、週末ごとに通った。

 色んな話を仕入れて、アンナが退屈しないように、面白おかしく話したりもした。おみやげもいろんなものを手を変え品を変え……。まあ、最終的には本が一番喜ばれたけどな。



「……まあ、気恥ずかしかったんだ。好きだの、愛しているだの。わかりづらくてすまんな」



 これじゃあ、不器用なルヴァンのやつを笑えないな。

 そんなことを思いながら、立ち上がって裾に着いた土を払った。

 明日の出発は早い。早く戻って準備を整えなければならない。



「なあ、アンナ。明日から遠出するんだ。良かったら、見守っていてくれよ」



 そう言って、俺は繋いだ馬の下へと戻った。

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