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晩酌2 身欠きニシンと不思議貝と仏頂面 後編

 居間に一歩足を踏み入れると、一人多いことに気づいた。私は、その一人の顔を見た瞬間、思わず顔を引き攣らせた。



「……私がいると何か不都合でもあるのか」



 ちゃぶ台のそばの座布団に、すまし顔のルヴァンさんが、背筋をピンと伸ばして正座をしていた。

 その姿は、正に嫁に文句を言おう言おうと待ち構えている姑のようだ。


 ――な、何故に正座……?


 内心そう思いながらも、平静を装って「いえいえ、そんなことありませんよ、あはははは」と完璧な返しをしておいた。普段からしていた、将来のための対・姑シミュレーションの成果である(ただの妄想ともいう)

 余談だが、異世界人の彼が何故正座をしていたのかという謎は、後日ルヴァンさんに聞いたところ判明した。


 ――彼曰く。

『靴を脱ぐ習慣、低いテーブル、床に敷かれたクッション(座布団の事らしい)。更に床とクッションの高さ、テーブルの天板の位置からみると、正座が一番効率のいい座り方だと総合的に判断したのだ。それくらい言われずとも、誰でも(・・・)理解できるだろう』

 ……と、ため息まじりに、薄目で私を見下ろしながら教えてくれた。

 因みにジェイドさんやカイン王子、ダージルさんは普段、普通に胡座をかいている。

 ……誰でもって一体誰のことだろう。


 まあ、それはともかく。

 私は用意した料理をちゃぶ台の上に用意をして、人数分のグラスと、日本酒の一升瓶、ビールを何本か出した。

 縁側の方では、ジェイドさんが換気のためにうっすらと雨戸を開けて、赤々と燃える炭が入った七輪を準備してくれていた。



「いやー、今日のも、なかなか美味そうだ。そそられるいい匂いだなー」



 ダージルさんが、手を擦り合わせて嬉しそうに料理を見ていた。因みにルヴァンさんはいつもの通りのむっつり顔だ。

 小皿に酒蒸しを取り分けて渡した。

 鶏皮は好きな味をとってもらうために、セルフスタイルだ。

 取り敢えずビール、ということで各々グラスに注いで乾杯する。

 ごくりと飲み込んだ冷たいビールは、今日もしみる美味さ。

 ふーっ! とご機嫌な息を吐いたダージルさんは、いそいそと料理に手をつけ始めた。



「んんん、このあさりの酒蒸し? だっけか。美味いなー! なんだこの出汁! 身はぷりぷりしていて、とろっと甘い。一緒に……じゅるっ、この汁を飲むとまぁ……あー駄目だこりゃ、とまらんな」



 みるみるうちにダージルさんの前の貝殻入れの皿は、空いた貝殻で山盛りだ。

 ルヴァンさんというと、鶏皮のカレー味がお気に召したようで、ぱりぱりと無言でそればかりを食べていた。



「お、ルヴァンお前ばっかりそれ食べるなよ」



 ダージルさんは、鶏皮を複数鷲掴みにすると口に豪快に放り込んだ。ばりっ、ざくざくざく……と、目尻の笑い皺を深くさせて、嬉しそうに鶏皮を噛み締めている。そして、ぐいーっとビールを一気に飲み干した。



「ぶっはー! あぁー……」



ダージルさんは、一瞬顔をとろんと蕩けさせると、直ぐにニカッと笑って、おかわり! と盛大にグラスを突き出してきた。ダージルさんの飲みっぷりはいつ見ても爽快だ。

いつもなら気前よくお代わりを差し出すのだけれど、今回は何食わぬ顔で小さなグラスに差し替えて日本酒を注いでやった。

 祖母宅に毎年送られてくる御中元、お歳暮で貰ったビールは正直まだまだ食料庫に眠っているけれど、消費量が上がる夏を考えると少し控えるべきだろう。

 ……ビールは貴重なのだ。夏前に飲み切られるわけにはいかない。これ以上飲まれてなるものか。ビールのない夏なんて死んでもお断りだ。

 いきなり変わったお酒に、ちょっと目を丸くしたダージルさんだったけれど、くん、と匂いを嗅ぐと、目を輝かせてくいっと日本酒を煽った。



「んんー……! いい酒だなこれ」



 ダージルさんは、そう言ってグラスの中の酒をじっとみつめている。



「飲みやすいのに、意外と酒精が高いな……。果実みたいな香りがするのに、後には酒のいい余韻だけが残る。美味いなあ」



 口に合ったのか、ダージルさんが笑い皺を作って和やかに日本酒を味わっている様子に、なんだか私も飲みたくなって、慌ててグラスに注いだ。

 くいっとひとくち飲んだ瞬間、ふっと鼻を抜けるフルーティな香り。喉の奥をきゅん、とさせるアルコールが堪らない。


 これはただの日本酒ではない。生酒だ。

 十一月から三月頃に出回る、搾りたての熱加工のしていない日本酒。これも実は叔父のために、祖母の故郷の造り酒屋さんから毎年買っていたお酒。

 保管が難しいことから、一般の酒屋にはほとんど出回らず、地元で消費されてしまうお酒だ。

 まだ酵母が生きているので、冷暗所での保管が基本。暑いところへ置くとあっという間に味が劣化してしまうデリケートな奴だ。

 寒かった最近までは、日の当たらない食料庫の奥に置いておけば大丈夫だったけれど、春になってだいぶ寒さも緩んできた。そろそろ限界だ。


 というわけで、これも今日飲み切るつもり。

 ――あぁ叔父よ! 美味しくいただくので成仏してください。

 元の世界でピンピンしているだろう叔父に、祈りを捧げながらもう一口。

 なんていう優しい口当たり。ほんのり感じる甘みがもっと飲めと誘ってくる。誘われるままに飲むと、舌をぴりぴりさせる酒精が、飲みやすいけれどやっぱり日本酒だなあと実感させてくれる。優しい酩酊感に身を任せて、アルコール度数も忘れどんどん飲み進めたくなる危ないお酒だ。



「ぬ……。これは、いいな」



 ルヴァンさんも生酒を気に入ったようで、ぐいぐい手酌で飲み始めた。


 ――うん。一升瓶と宰相さま……合わない!


 面倒がって徳利を用意しなかった自分の事を棚に上げて、そんな感想を心の中で呟いた。

 しばらく鶏皮とあさりをつまみに飲んでいると、ルヴァンさんが……とんでもなく真っ赤になっているのに気付いた。顔どころか耳や首元、手までも赤い。



「ル、ルヴァンさん? 真っ赤ですけど?」

「気にするな。私は飲むと直ぐ赤くなるのだ。問題ない。……ところでつまみがなくなってしまった」



 ルヴァンさんがにこやかな顔で(・・・・・・・)空になった鶏皮の皿を差し出した。結構な量があったはずの鶏皮の皿を受け取り、 ちらりとダージルさんをみると、何でもないような顔をして「ほっとけー」と言って、ひらひらと手を振っている。

 そんな彼は、いつの間にか七輪の前にジェイドさんと二人で陣取り、乳貝を炙り始めていた。



「ほら、乳貝。炙っていますから」

「ほう。それはいいな」



 私は、ふわふわとした足取りのルヴァンさんを見送って、一瞬ちらりと台所の方を見た。

 一瞬、頭にアレの存在が過ぎったけれども、ふるふると頭を振って、私も直ぐルヴァンさんの後を追った。

 七輪の上で乳貝が炙られて、じゅくじゅく、じゅうじゅうといい音がしている。

 ビールのグラスを片手に、七輪の横に陣取ったジェイドさんが、こちらに気付いてふんわりと微笑んだ。そして、ずるずると、座布団をひとつ引きずってきて、自分の隣に置くと、ぽんぽんとそこに座るように促してきた。

 わたしはありがたく座らせてもらって、七輪の熱にあたる。ほわっとあったかくて気持ちいい。


 ジェイドさんは酔いでほんのり頬を赤くしてはいるが、あまり様子は普段と変わらない。

 因みに、私とダージルさんはいくら飲んでも変わらないタイプだ。ザルともいう。お酒もつまみもガンガン食べる。将来、肝臓疾患と肥満が怖い。ジェイドさんはあんまり飲めないけれど、酷く酔うこともない。つまみも軽く摘む程度。お酒の加減が上手いタイプだ。そしておそらくルヴァンさんは……。



「ダージル、まだ出来ないのか」

「もうちょっとだよ、待てって」

「ダージル、この酒は美味いな」

「良かったな、あんまり飲み過ぎるなよ」

「ダージル、まだか」

「まだだっつの」



 ……酔っ払うと陽気になるタイプ。目一杯飲んで食べる。飲んでいる本人が一番楽しいタイプだ。

 いつもむっつり仏頂面で、難しいことばっかり言っているルヴァンさんが、こうしてダージルさんに絡みつつ楽しそうにしているのが、何だか意外だ。



「ほら、焼けてきましたよ」



 その時、そんなジェイドさんの声がして、私は視線をルヴァンさんから七輪へ戻した。

 火に炙られた乳貝は、小さな蓋から、なにやら液体と触手の一部をはみ出させて、じゅくじゅくと沸騰している。

 あたりには潮の香り。ほんのりと乳酒の香りもする。



「こいつは炙らないと蓋を開けん。意外と頑固者でな。こうやって熱して無理やり蓋を開かせるんだ。……ほれ、茜。みていろよ」



 ダージルさんが細い鉄串を貝の隙間に差し込むと、ぐりっと貝の中から中身を引きずり出した。

 ずるりと貝から出てきた中身は――小さなタコのような生き物だった。まあるい頭に何本かの触手をくねらせて、最後の力を振り絞り、必死で鉄串から逃げようとしている。



「それで、こいつをこうやって網で焼いてやるんだ」



 それに構わず、ダージルさんは鉄串ごと七輪の網へそれを押し付けた。すると、焼けた部分から真っ赤に染まり、それこそタコらしい姿になった。

 乳貝の中身が動かなくなると、ダージルさんはそれを口に放り込んだ。そして、美味い! と言って酒を煽った。

 わたしにも鉄串を渡してくれたので、熱々の貝に苦労しながら鉄串を差し込む。

 ぐぐっと強い抵抗が一瞬だけあったけれど、力を込めて引き摺り出して、網に押し付けた。

 じゅううううっという音と、濃厚な潮の香りに期待が膨らむ。


 下準備の時は正直、若干、いやかなり気持ち悪かったけれど、こうしてみると何だか美味しそうに見えるから不思議だ。

 ごくりと唾をのんだあと、ふうふう冷まして口へ頬張る。

 まずは触手……いや足か。噛むとこりこりとした歯ごたえ。淡白な味だけれど、塩味がほんのりきいている。……例えるならいかの一夜干しのような味だ。

 続いて頭の部分。

 ぷちん、と歯で噛み切るとどろりと何かが出てきて、……強烈なみそ(・・)の味。苦味と甘味、旨味が複雑

に混ざり合った、どこかで食べたことがあるような……?


 ――ああ! そうだ!

 ――蟹みそ!


 そう思った瞬間、思わず飲み込んでしまった。

 口の中には、濃厚なみその余韻。

 そして私は失敗を悟る。

 ――何故足と頭を別に食べたのか。

 一瞬にして後悔した私は、ジェイドさんにもうひとつ貝をとってもらって、今度はひとつ丸々口へ放り込んだ。

 淡白な足が、濃厚すぎてくどくなりがちな味噌を、優しい味に変えてくれている。足だけでは物足りず、みそだけだと濃すぎてくどい。

 これはふたつ一緒だからこその美味さだ。

 ぐい、と手元の酒を口に含む。

 みその余韻を綺麗に流してくれる生酒は、さっぱりしていてなんともいえず合う。



「うぁー……美味しい……」



 思わず呟いたその声に、ダージルさんの目尻の笑い皺がぐっと際だった。

「そうだろう、そうだろう」と、ダージルさんはなんとも嬉しそうな顔で、焼いた乳貝をいくつも皿に乗せて渡してくれた。

 ルヴァンさんも「ダージル、私のぶん」と、ダージルさんに強請っていくつか焼いてもらい、美味しそうに頬張っていた。

 私は、美味しい異世界のおつまみを、ぽいぽい口に放り込みながら、今しか飲めない美味しい生酒を飲み、機嫌よく過ごした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜も更けて、宴もたけなわ。

 ダージルさんとジェイドさんは、ふたりで騎士団の話なんかを、ぽそりぽそりと話している。

 ルヴァンさんは、限界が近いのか、少しうとうとしながらも、時折はっとして周りをキョロキョロ、お酒をちびちび飲んでいた。

 乳貝も食べきり、皆のお腹も大分満たされている。

 私は洗い物を手に、台所へ不自然にならないように足を向けた。

 冷蔵庫の前にたどり着くと、冷蔵庫に入れていたアレの入ったタッパーをそっと取り出し――。



「ほう。まだ料理があったのか」

「ひっ……!」



 すぐ後ろから聞こえたその低い声に、私は思わず飛び上がりそうになってしまった。

 ギギギ、と聞こえそうなくらいぎこちない動きで振り返ると、案の定銀縁眼鏡をキラリと光らせ、酒の入ったグラスを握りしめているルヴァンさんがそこにいた。

 ルヴァンさんは、私の手からタッパーを奪い取り、台所の椅子にどかりと腰掛けた。

 普段のルヴァンさんでは考えられないほど乱暴な態度。いつもは無駄のない洗練された動きをしているから、どれだけ酔っているのかが解る。

 ルヴァンさんはタッパーを開けると、中のものを繁々と見つめ――いきなり素手で一口食べた。



「……魚……いや、魚の乾物か? なんだか生臭い……」

「……」

「この野菜も青味がきついな」

「……」

「しょっぱくて酸っぱい調味料で和えてあるのか」

「うう……」

「この舌に残るのは魚の脂か? 癖が強いが……」



 ルヴァンさんは、もぐもぐと咀嚼して、ごくりとそれを飲み込むと、



「だが、酒にぴったりだ」



 そう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべ、酒を煽った。途端に勢いづいたルヴァンさんは、次から次へとそれをつまみ始めた。

 ルヴァンさんに奪われてしまったのは、もちろん身欠きニシンだ。

 酒につけておいた身欠きニシンを、茹でた山ウドの茎と酢味噌で和えたもの。

 叔父に供するときは、わけぎや青ネギで和えていたけれど、今回は山ウドがあったのでそれにしたのだ。



「こんなものを隠していたとは……。君はつくづく油断のならないやつだ」

「それは、申し訳ありませんけれどもっ! あぁ、身欠きニシン、それしか無いんですからあんまり食べないでっ!」



 半ばムキになって、私も手づかみでつまむ。

 シャキシャキとした山うどと一緒に和えられた、身欠きニシン。正直言って脂の匂いが独特だ。

 身欠きニシン自体は、そのままで食べる場合、それほど強い味はない。旨味を奥の方にぎゅっと閉じ込めて、少し噛んだくらいじゃ顔を出すことはない。その代わりたっぷり含まれた脂が、噛むごとにじゅわりと湧いてくる。

 その脂は、半生だからだろうか、少し生臭い。

 山うども正直癖のある味だ。青々とした香りは万人に好まれるものではない。

 だからこそ、それを酸味のある酢味噌が纏める。

 酸味と塩味、味噌のコク。ちょっとだけ入った砂糖。それらと具材が全て合わさったとき、猛烈に酒に合う味へと変わる。


 ――生臭さの向こうにあるニシンの旨味。

 ――青味の向こうにある爽やかな山うどの香り、シャキシャキとした歯ごたえ。


 酒飲みには堪らない、酒好きの為の一品。

 ひとくち食べるごとに酒を呼ぶ、恐ろしい一品。

 私もルヴァンさんに負けじと、ぐいっと酒を煽った。



「ルヴァンさん、手で食べるなんてお行儀悪いですよ」

「……君に言われたくない。あと、あの箸という食器は非常に使いづらい。今この場では非効率極まりない」

「箸も使えないんですか? ……ぷぷー」

「君は非常に腹がたつ顔をしているな?」

「箸も使えない宰相さまよりはマシかと。……ああ! うどばっかり残して! ニシンだけ食べるの禁止ですよ!」



 ――暫くこんなやりとりは続き、私たちが台所にいるのをダージルさんたちに見つかった挙句、酒好き共によってニシンが瞬殺されるのは、この直ぐ後のことだ。


 悲しみにくれる私の代わりに、ありがたいことにジェイドさんが皿洗いをかってでてくれた。……本当にうちの護衛騎士は素晴らしい。

 酔い覚ましに熱いほうじ茶をすする。

 とうとうルヴァンさんは眠気に負けて、ちゃぶ台に伏せて眠ってしまった。

 ダージルさんは残ったお酒を飲み干すつもりらしく、ひとりちびちびっていた。



「嬢ちゃん、今日は悪かったな」

「……? 何のことでしょうか。ニシンの事でしたら一生恨みますけれど」

「ニシンの恨み、根深いな! ……あー。それじゃなくってな。勿論ニシンの詫びはするから。絶対。だから睨むな、怖いぞ」



 食べ物の恨みは恐ろしいと実感したらしいダージルさんは、身を震わせている。

 ダージルさんは、心を落ち着けるためかひとくち酒を含んで、ぽつりぽつりと話しだした。



「いきなりこいつ――ルヴァンを連れてきたことだよ。嬢ちゃんがこいつの事を誤解してそうだと思ってなぁ。こいつの友として、誤解されているのはなんだか寂しいから、連れてきた」

「――……誤解?」

「嬢ちゃん、こいつのこと怖がっているだろ。まぁそこまでじゃなくても、面倒な奴だとは思ってる。なんでこいつが……この国のお偉いさんがわざわざ調査にくるんだとかな、不思議に思ってるだろ?」

「う」



 内心ぎくり、とする。

 ――怖くはない。けれど、ただでさえ宰相という高い地位にいるルヴァンさんが、どう思ってこちらに関わっているのかがはっきりと解らなくて、どういう態度を取ればいいかいつも迷ってはいる。何かする度、何かを発言する度にそれが場に沿っているのか判らなくて、物凄く気を遣うのだ。……だから、ルヴァンさんの訪問を面倒だと思っている事は、私には否定できない。

 ふ、と息を吐いたダージルさんは、瞼を伏せて手の中でグラスを弄びつつ、話を続けた。



「自分の態度とか、立場っちゅうもんをはっきりさせない、ルヴァンの奴も悪いんだけどな」



 一升瓶はすっかり空だ。

 畳の上にごろりと転がる茶色い瓶は、なんだか哀愁を漂わせている。



「こいつは……ルヴァンは無表情で解りづらい上に、あんまり喋らん。口を開いてもきついことばかり言うしな……ある意味、三重苦だな。

 厳しい事ばっかり言うのは、あいつなりにあんたらの為になると思っての事で――ううん。難しいな、どうしても説教臭くなっちまう」



 うまく言葉が口から出ないのか、ダージルさんは、がしがし、と乱暴に頭を掻いた。



「兎も角、ルヴァンは若い女の子を聖女なんて言って、無理矢理祭り上げた挙句に、国の命運を預けるような事をしているのに責任を感じてんのさ。それは俺らもだが――自分たちの力じゃあどうにもならないこの現状を情けなく思っているのは、間違いねえ」



 ダージルさんは手の中で、空になったグラスを転がして弄びつつ話を続けた。



「――嬢ちゃん、知っているか? 王宮ってのは悪い大人の集まるところでな。特に貴族っていうのは、腹黒性悪の集まりだ。

 ――特に文官まわりっていうのは酷えもんだ。世襲で身分だけはご立派な、権力に飢えた豚どもがわんさかいる」

「えらい言い様ですね」

「ああ。豚に失礼だったな……」



「あんなに豚は美味いのになぁ、あいつらは食えねえ分、豚より劣ってる」と、うんざりした顔でいうダージルさんの顔には疲れが見える。

 ――そっち!?



「国にとっては大事な聖女さまだ。政治のごたごたに巻き込まれて、本来の浄化の旅に影響がでちゃあ困る。……あんたもな、茜。自分じゃあ気づいちゃないんだろうが、あんたは聖女さまの心の拠り所で――弱みでもある。あんたを利用しようとする輩はいないとも限らない。……あいつがいつも口を酸っぱくして、言ってるのはそういう事さ」



 ――君は、一度自分の立場というものを考えてみるがいい。

 ルヴァンさんの言葉を思い出す。

 彼の言葉はいつでも刺々しくて、厳しい。

 しかめっ面に、眉間にしわをよせて話すルヴァンさんは、いつも正論を真っ直ぐぶつけて来る。こちらに迷いがある時に、ずばりと核心をわざと突いてくる人だ。曖昧な気持ちで付き合うと痛い目にあう。

 ……苦言を呈してくれる人というのは、貴重だしありがたい。けれども、それと付き合いやすいかどうかというのは、別の話だ。



「それでもどこで悪い虫がつくかわからねえ。念には念を入れて、他の文官はあんたらに近づかないように、あいつ自身が調査に行ってるって訳だ――まあ、本人の魔道具好きも理由として大いにありそうだけどな」



 文官は身分故に柵も多く、いつどこでよからぬ事を企む貴族と知り合うかわからないので、信用できる者を探すのはなかなか難しいらしい。

 ――それで宰相さま自らうちに調査に来ていたのか。



「……勝手にあれこれ妄想して言うんじゃない。ダージル」



 そのときだ。眠っているとばかり思っていたルヴァンさんが、むくりと顔を上げた。

 目は半分しか開いていないし、僅かに左右に揺れているから、まだ半分眠っているのかもしれない。ルヴァンさんは真っ赤な顔で、ダージルさんをビシリ、と指差した。



「私はやるべき仕事をしているだけだ! 聖女とその姉を守る! 彼女達が健やかにいることが、この国の安寧に繋がるのだ! 私は、私の出来ることをしているまでだ……私に出来ることは、それしかないのだから……」



 そういった後、またルヴァンさんはちゃぶ台に伏せて眠ってしまった。

「私に出来ることは、それしかない」……その言葉が、私の胸を打った。そして、酷く苦い気持ちになった。

 ダージルさんをみると、再び眠ってしまったルヴァンさんを眺めて、首の後ろを掻きながら、バツが悪そうにしていた。



「一緒ですね」

「ん?なんだって?」

「――私と、一緒。私も、料理を作ることくらいしか、出来ないですから」



 すうすうと、安らかな寝息をたてているルヴァンさんを見て、私は頬を緩ませた。



「不器用なひとですね」

「……ああ。そうなんだよ。こいつ、不器用なんだ」



 春の夜は更けていく。

 美味しいつまみと、美味しいお酒。

 それを誰かと一緒に味わう幸せ。

 眠ってしまった彼の、普段の姿を思い出す。

不器用で、いつも口をへの字にしている仏頂面。いつもいつも厳しい事ばかり言うけれど、お酒が入るとひどく楽しそうで。そして目立たない所で、誰かのために努力が出来る――そんな人。

 私は手の中の湯呑みを頬に当てた。

 ほんわかあったかい湯呑みの熱が、じわじわと沁みてとても心地良く、私はゆっくりと瞼を閉じた。

 そのとき、ダージルさんが何かを思い出したように、ふと口を開いた。



「――ああ、それとな。茜――」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「だから、扇風機に風の精霊は関係ありませんって」

「精霊ではない、と。ではなぜ…」



 今日も相変わらずの仏頂面で、ルヴァンさんは家電とにらめっこしていた。

 あの晩酌の日から、私たちの関係は少しだけ気安いものになったと思う。



「ふん、専門家でないとわからない、そればかりだな。君は自分の使っている道具のこともよく知らずにいて、恥ずかしくないのか?」



 ……いや、勘違いのような気がする。全然気安くない。怖い。

 上から下から、まじまじと扇風機を観察していたルヴァンさんは、何事かを羊皮紙に書き付け、満足したのか立ち上がった。

 今日はこれで終わりらしい。

 そこで、ふとダージルさんの言葉を思い出した私は、ルヴァンさんへこう声を掛けた。



「……ルヴァンさん、お疲れ様でした。良かったら昼食でもご一緒に如何ですか」

「……」



 ダージルさんがあの晩酌の日、教えてくれた事。

 それは……。



『あと、あいつを連れてきた理由。実はもうひとつあってなあ。

 あいつ、あれで結構な食道楽でなー。珍しい食べ物に目がない。こないだの山の主騒動の時、供物をみんなで食っただろ? あの時呼ばなかった事で拗ねちまってなあ。周りからあんたの飯が美味かったーって聞こえる度に、機嫌が最悪になるもんで、ここ最近大変だったんだわ。今回のことで大分挽回出来たと思うけどよ。

 ……まあ。あんたの気が向いた時でいいからさ。今度、調査終わりにでも茶じゃなくって飯に誘ってやってくれると、助かるわ』



 どきどきしながらルヴァンさんの答えを待った。

 すると、いつもはすぐ来る「いや結構」がこない。

 ……ダージルさんの言葉は本当だったのだろうか。



「献立は」

「はい?」

「献立はなんだときいている」

「あ、えーと、ナポリタンです」

「なぽ……?」



 ルヴァンさんは料理名を聞いて少しだけ考え込み、「そちらの世界の料理なのだな?」と、確認をした上でまた少し考え込んだ。

 そして、はぁ、と小さく何かに思い至ったのか「ダージルめ……」とつぶやいた後、ニヤリと不敵に笑った。



「では馳走になろう」



 ダージルさんの言葉は本当だったようで、ナポリタンを食べた後のルヴァンさんはとてもご機嫌に帰っていった。

 その後、度々昼食をルヴァンさんと一緒に食べることになるのだけれど、今まで散々お小言を言われ続け、どうしてもルヴァンさんを受け付けない妹が大変不満そうだったのは言うまでもない。


【おまけ】

「そういえば、茜。ダージルからきちんと乳貝の話を聞いた上で調理したのだろうな?」

「え?調理方法はききましたよ?」

「そうか…時に茜。調理時に空っぽだった乳貝は無かったか?」

「え…?どうでしたかね。覚えてないです」

「乳貝はな、死んだ貝の殻に寄生する類いの生物なのだが」

「へえ。ヤドカリみたいなものですか」

「予め酒を飲ませただろう。ああやって酔っ払わせて置かないと、中身が脱走するやっかいな奴なのだ」

「…は?」

「奴は穴があれば特に貝でなくとも入り込む」

「えっ、えっ、えっ…?」

「漁村では夜な夜な脱走した中身が人間の耳の中に入り込んで大惨事になるという話が」

「いやああああああああ!」

 ――それ以降、我が家で乳貝が食されることは無かった。

 まぁ実際は民間の言い伝えレベルで、ルヴァンさんのダージルさんへのささやかな仕返しのようだったけれど。

「俺の好物…うう…」

 その影響で、ダージルさんが涙で枕を濡らしたとか濡らさなかったとか。

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