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領主兄弟とご馳走うなぎ 8

 それは、儀式用の衣裳から着替えたベルノルトさんだった。

 私はベルノルトさんに隣の席を勧めて、ビールをグラスに注いで渡した。

 ベルノルトさんは一息にビールを飲み干すと、驚いたような表情をしてグラスの中を見つめたあと、ぴくりともしなくなってしまった。ダージルさんと顔を見合わせて、ベルノルトさんの言葉を待っていたけれど、暫く待ってみても一向に動く気配がない。



「……ベルノルトさん?」



 私が声をかけると、ビクリと体をすくませたベルノルトさんが慌てたように口を開いた。



「あ、ああ……。すまない。初めての味で美味かったものだから、つい」



 ベルノルトさんは、気まずそうに頬を指先で掻くと、先程のシルフの件を話し始めた。



「人外、精霊に関わらず、供物を捧げる時に重要なものは魔力だ。供物を捧げるという行為は、正しくは供物そのものではなく、供物に含まれる魔力を捧げるということだ」

「そういえば、山の主に供物を捧げた時も、終わった後料理はそのままでしたけど、魔力は無くなっていたとカイン王子が教えてくれましたね」



 供物の正しい意味を理解していなかった私は、当時、山の主が去った後に料理が残ったままだったので、かなり焦った記憶がある。けれど、焦る私に「問題ない」とカイン王子が言ってくれたっけ。



「あの供物には、このレイクハルトで育まれた大うなぎが持っていた魔力がたっぷりと含まれていた。

 それは蒲焼きも白焼きも変わりない。だが、シルフの反応は全く違った。それは何故か……そこであの『醤油』だ」



 ベルノルトさんは、いつもと違って饒舌だ。彼の頬がほんのり赤く染まっているのは、お酒を飲んだからなのか、興奮のせいなのか。どちらなのかはわからないけれど。



「茜様、貴女は人外や精霊に異界の調味料を使った料理を捧げたことは、どれくらいあるのだろうか」

「ええと。捧げる……というか、人外の友人が多いので結構頻繁にご飯を振る舞ってます……」



 私がそう言うと、ベルノルトさんは目を見開いて何度か瞬きをした。

 ……うん、わかっている。そりゃあ驚くだろう。私、とんでもなく人外と関わり合いが多いよねえ……異常なほど。

 ティターニアに、テオに、山の主。まめこは人外でなくて精霊だけど。それに時々ティターニアが、よくわからない人外を連れて遊びに来ることもある。人外ではあるけれど、人間と同じように彼らも私の料理を美味しそうに食べてくれるから、ついつい色々と作って出してしまうのだ。



「そのときの人外や精霊の様子はどうだ?」

「みんな喜んで食べてくれていますよ。いつかのお月見の時なんかは、料理をよそうそばから全部食べられちゃって、困りましたね」

「……ふむ。なるほど。これは仮説だが――。

 人外や精霊たちは、人間よりも魔力に敏感で、魔力を好む。そして、理性よりも本能のほうが強いものが多い。異界の調味料には、この世界にはない『何か』があって、本能で人外や精霊はそれを嗅ぎつけているのかもしれない。そう、例えば魔力関連で人外や精霊たちにとって魅力的な要素だ――」



 私はベルノルトさんの空になったグラスにビールを注いだ。

 彼はまたひとくちビールを飲むと、話を続けた。



「今回の儀式は大成功といえる。なにせ、あれだけの精霊が集まったんだ。あれを毎年再現できれば、きっと良い呼び物になるだろう。

 今年のようにあれだけのシルフを喚ぶには、異界の調味料を使うべきだ。『鍵』は異界の調味料だ。

 白焼きにも、数体のシルフは集まっていた。だが蒲焼きは段違いだ。

 レイクハルトを今まで以上に発展させるには、『醤油』や異界の調味料が必要不可欠なのだ。

 これから検証していかなければなるまい。異界から『醤油』が移動して来たから、そういう特性を持ったのか、それとも『醤油』そのものに、そういった効果があるのか」



 そこまで話し終わると、何か確信を得たのか、にやりと不敵な笑みを浮かべたベルノルトさんは、手元のビールを一気に飲み干した。

 初めてみたベルノルトさんの笑った顔――それも、ちょっぴり邪悪な――に、私が面食らっていると、彼はあれこれ私に醤油やらその他の調味料の事を聞いてきた。

 その様子は、お茶会をしたときの無表情で無口なベルノルトさんとは違い、随分と積極的だ。



「……ちょ、ちょっと待って下さい。そんないきなり沢山聞かれても……!

 えっと、まあ。それはともかく! 飲みましょう〜」



 私は自分の口から、うっかり私の知る異界の知識を零してしまいそうで怖かったので、ベルノルトさんのグラスにビールを注いだ。ついでに自分のグラスにもちょっと足して、改めて乾杯した。

 そして一気にグラスの中身を飲み干した。

 途端、ベルノルトさんは満足げな息を吐き、柔らかく微笑んだ。

 すかさずグラスにビールを注ぐ。その様子をベルノルトさんは、嬉しそうに眺めていた。



「ベルノルト様もお酒がいける口ですなあ! 美味いでしょう、このビールというやつは」

「うむ。これは美味い。ダージル殿もいける口のようだ」

「はははは。騎士団長としての嗜みというやつですよ」

「ほう」



 その時、ダージルさんがベルノルトさんの意識を逸してくれたので助かった。

 ベルノルトさんは長年レオナルトさんを支えてきただけあって、駆け引きというかそういうものが上手いような気がする。私なんかじゃ太刀打ちできないレベルの力量があるに違いない。このまま話していると、気がつくとペラペラといらないことまで話してしまいそうだ。


 取り敢えずベルノルトさんの矛先が逸れたことにほっと胸を撫で下ろしていると、遠くで領民たちと仲良く会話しているレオナルトさんを見つけた。彼は子供から老人まで、様々な年齢の領民たちと実に楽しそうに会話していた。

 領民たちもレオナルトさんを慕っているらしく、みんな笑顔で彼に話しかけていた。



「……仲いいんだなあ」



 思わずぽろりと溢すと、誰かの視線を感じた。

 視線がした方を振り向くと、そこにいたのは真剣な眼差しをしたベルノルトさんだった。

 私は、ひとりごとが聞かれていたのが無性に恥ずかしくて、思わず慌ててしまった。



「……っ、いや。あ、本当に、領主なのに偉ぶらずに仲良くしているなあ……と、思いまして……すみません」

「いや、いいんだ。仲がいいのは本当のことだからな」



 ベルノルトさんはそう言うと、楽しそうに領民たちと話しているレオナルトさんを見つめ、微かに笑みを浮かべた。



「兄は小さな頃から、領主教育をサボるくせに街へと抜け出して、領民に自分がこの街を世界一にしてやると大口を叩いて回るような子供でな」

「……ああ。なんというか……」



 小さなレオナルトさんが、得意げにそう言って回っているのが容易に想像できて、笑ってしまった。

 ベルノルトさんはどんどんビールを飲み進めながら、兄であるレオナルトさんの事を教えてくれた。



「だから、兄は領民とは随分と仲がいいんだ。領民も兄が大口を叩くたびに、期待しているなんて声をかけるものだから、あの性格の兄はどんどん調子に乗ってな。そのまま今に至っている」

「それは凄いですね……」



 初志貫徹というかなんというか。簡単に聞こえるけれど、小さい頃から一貫してこの街のことだけを考えてきたのであれば、それは凄いことだと思う。



「あの大うなぎを解体したときの必殺技。あれも昔、兄が名付けてな……小さい頃から木の棒を振り回して、『敵が攻めてきたら、自分がこの必殺技で守る』なんて街中で叫んでいたから、領民たちはよく知っているんだ。なんの因果か、今は私の必殺技扱いになっているが」

「ああ……あれですか。てっきり、ベルノルトさんの考えたものかと」

「やめてくれ……あれは、結構恥ずかしいんだ……」



 ベルノルトさんはそう言って、頬を染めて手で顔を覆った。

 ああ、やっぱりベルノルトさんは普通の感覚の人だった! なんだか嬉しい……!


 私が感動していると、今まで黙っていたダージルさんが割り込んできた。



「そういや、領民に聞いたんだが。このレイクハルトはそのうち湖に沈むと聞いたんですがね。

 悠長に、観光都市計画なんてやっていていいんですかい?」



 突然もたらされた衝撃の事実に、私は思わず息を飲んだ。

 この街が沈む――? あの、既に沈んでしまった古代都市のように?



「もう聞いたのか。そうだ、このレイクハルトは少しずつではあるが、湖に沈んでいる。

 儀式に使われた桟橋。あれも元々は水面に出ていたのだ。湖の水量の増加と、地盤の沈下が重なって、いつかは古代都市のようになるのだろうと言われている。だから、兄は躍起になっているんだ。

 ……この都市の最後の領主になるかもしれない兄は、この都市を自分の代で如何に盛りたてるかに執着している」



 話によると、水辺の住宅は水没し始めているところも多く、廃墟と化している場所もあるのだそうだ。

 そのせいで、他の都市へと移住していく領民も少なくないのだという。



「兄は今も昔も、ずっとこの街のことばかりを考えている。兄こそ、領主に相応しい。

 私もそんな兄をずっと見てきたのだ。兄の手伝いを、今後も出来ることならばしていきたいと思っている」



 そのとき、きゃあ! という甲高い声が聞こえた。

 なにごとかと思い声のした方を見ると、レオナルトさんが小さな子供を肩車して走り回っていた。

 その周りには他の子どもたちが纏わりつき、自分も自分もとせがんでいる。

 大人たちはその様子を少し遠巻きにして笑顔で見守っており、なんともその光景は微笑ましかった。



「――放っておけば、あと二十年もすればこの街の大半は沈む」



 その時、聞こえたベルナルトさんの声は固い調子だった。

 思わずベルナルトさんの方を見ると、彼は暗緑色の瞳で私を真っ直ぐに見据えていた。



「領民は減っていく一方だ。このままでは、いずれ人がいなくなるかもしれない。だから、観光都市として盛り返し――有終の美を飾るのだ」



 ベルノルトさんの暗緑色の瞳に見据えられ、あまりに真剣な面持ちに思わずドキリとした。



「だから、そのために――『醤油』の製法を教えてくれないか」

「え、お? しょうゆの――って、だ……駄目です!」



 レイクハルトの状況に同情しかけていた私は、一瞬口を滑らせそうになって、思わず叫んだ。

 すると、「失敗した」とベルノルトさんは笑って、グラスを呷った。

 どうやら、今までの話は私に醤油の製法を喋らせるための誘導だったらしい。

 ……この人はぁぁぁぁぁ……!



「ルヴァンに駆け引きを持ちかけても、きっと色々と厳しい条件を出されるに違いないし、あいつの手腕は嫌というほど理解しているから――茜様が、うっかり口を滑らせれば色々と手っ取り早いと思ったのに……惜しかったな」

「惜しかったとか……! そもそも私は詳しい製法なんて知りませんし! やめてください!」



 私が怒っているのに、ベルノルトさんはどこ吹く風で「なんだそうだったのか。無駄だった」なんて言って、勝手に新しいビールを注ぎはじめた。……なかなか食えない性格をしているらしい。

 なんだか脱力してしまって、テーブルに突っ伏すと、遠くからジェイドさんの声と、レオナルトさんの声が聞こえた。

 顔をあげると、うなぎの白焼きを手にしたジェイドさんと、領民たちと別れたらしいレオナルトさんがやってきた。



「……茜、おつまみ持ってきたよ……って、どうしたんだ」

「いやー。嬢ちゃんなあ、ちょっと騙されかけたんだよなあ」

「ちょ……っ! 団長殿! 止めてくださいよ!」

「すまんすまん。嬢ちゃんが、あんまりにも素直で面白くてなあ」



 ダージルさんはそう言うと、からからと笑ってビールを呷った。

 ……わかっていたなら、止めてほしかった!

 レオナルトさんは、その話を聞くと、腰に手を当てて自慢げに言った。



「おお? もしかして、ベルノルトか? はっはっは! こうみえて我が弟は腹黒いからな! 油断してはなりませんぞ、茜様!」

「あんたがいうかー!!!」

「ん? おお? 私のせいなのか? はっはっは! なんかすまんな!」

「ぐぬぬぬぬ……」



 椅子を二脚追加して、テーブルにおつまみを並べる。ダージルさんはいそいそと追加のビールを取り出して、空いたグラスにみんなの分を注ぎ始めた。ジェイドさんは上司にそんなことをさせられないと、慌ててダージルさんを止めた。

 レオナルトさんは、ベルノルトさんから事の詳細を聞いて、「惜しかったな、弟よ!」なんて言っている。

 更には、妹とカイン王子、セシル君に、人型に戻ったユエまでやってきた。妹はうなぎのお茶漬けが食べたいと騒ぎ出し、ユエは僕も作ると張り切って例のエプロンを取り出して……周囲を固まらせていた。




 ――普段は寝静まっているはずの秋の夜。

 (いにしえ)の儀式の再現は成功した。


 特別な夜に、皆浮かれて大騒ぎ。

 シルフを初めてみた人は、精霊の美しさを語り、うなぎを食べてはその味に頬を緩めて。


 故郷を想う領主兄弟はこれからの計画を楽しげに語り。

 私と妹はうなぎの白焼きのアレンジメニューを作り始め。

 ダージルさんはジェイドさんと酒を酌み交わし、ユエはカイン王子とセシル君と楽しく笑っている。


 ぴゅるりぴゅるりら、ぴゅるるる――。


 一瞬、シルフの鳴き声が聞こえたような気がしたけれど、周囲を見回しても何もいない。

 けれども、きっと彼らも久々の供物に喜んでいたに違いない。


 ……うなぎの蒲焼と、白焼きの味。気に入ってくれていればいいなあ。


 ――わいわい、がやがや。騒がしい秋の夜。

 笑顔の人々は、その短くて特別なひと時を満喫したのだった。

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