領主兄弟とご馳走うなぎ 7
「お疲れ様ー! 乾杯!!」
儀式も無事終わり、広場まで戻ってきた人々は、供物になったうなぎを振る舞われ、みんな笑顔で互いに酒の入った杯を交わしながら、料理に舌鼓を打っていた。
供物に使われたうなぎの味は領民たちにも好評で、大量にあった蒲焼きと白焼きがあっという間になくなってしまった。
すると不満が出るわ出るわ。もっと食べさせろと、領民たちは残った大うなぎの身を指差して騒ぎ出した。
実は大うなぎは余りにも巨大すぎた為に、全てを供物用に調理するのが叶わなかったのだ。
広場の真ん中には大量のうなぎの身が残されており、うなぎの味を知ってしまった領民たちは、あれも食べさせろと大騒ぎし始めた。
「……はっはっはっは! 魅惑のうなぎの味を知ってしまったら、元には戻れないということか……なんとも恐ろしいことだ! 了解した! ならば、あのうなぎの身も、私が領主の名に掛けて調理しようではないか!」
レオナルトさんは笑顔で領民たちの要望を受け入れると、魔術師にゴーレムをもう一度喚び出してもらい、うなぎを追加で焼かせるように指示した。水で濡れてしまった衣裳を着替えた私も、それを手伝って大量にあるうなぎの身と格闘した。……高価な衣裳を濡らしてしまったから、その罪悪感からではない。決して違う。ここで一生懸命働けば、弁償を免れるだろうなんてまったくもって思ってはいない。思っては、いないんだからね……!
大量にあるうなぎの身をいちいち蒸していてはキリがないので、関西風の蒸さないで焼く方法を取ることにした。それと、うなぎのタレはもう大分減ってしまったので、大部分は白焼きにして、蒲焼きはほんの少し。食べられる人は抽選ということにした。
「蒲焼き……」
「蒲焼きィ……」
……領民たちの蒲焼きを見る目が、ギラギラしていて怖い。うなぎのタレ……恐ろしや。
それでもなかなかうなぎが焼きあがるまでは時間がかかる。それに大うなぎの身は分厚いのだ。火力ばかり強くしても、表面ばかりが焼けて中が生だと意味がない。だけど、じっくり焼いていると、時間ばかりかかって仕方がないのだ。
魔術師ともっと早く焼くことが出来ないかと悩んでいると、そこにユエがやってきた。
「なに? それ焼きたいの? 僕にまかせてよ!」
どん、と胸を叩いたユエは、次の瞬間、あっという間に黒竜に変化した。
そして、巨大な首を巡らせて、じろりと地上の人間たちを見下ろした。
次の瞬間、騒がしかった広場が静寂に包まれた。誰も彼もが突然現れた黒竜に目を剥き、酒を飲んで酔っ払っていたおじさんは、手から木の杯を落としてしまった。――カラリ、と木の杯が地面を転がるもの悲しい音だけが広場に響いた。
そんな中、平気な顔をして黒竜に近づくものがいた。それはもちろん、妹だ。
「おお、ユエ。手伝ってくれるの〜?」
「うん。暇だし。焼けばいいんでしょう? 竜の炎は、身の内まで焼き尽くすからね。すぐに焼けるよ。
……って、焼き尽くしたら駄目だから、なんとか頑張って調節するよ!」
「そうなんだ。じゃあやってみようか!」
妹はユエの体にぽん、と手を着くと、ゴーレムが手にしていたうなぎの身を指差した。
途轍もなく嫌な予感がする。確かユエは炎の調節が苦手だと言っていたような――。
焦って止めようとしたけれど、それは叶わなかった。止める間もなく、ユエはゆっくりと息を吸って、首を持ち上げると――肺に溜まった空気を、思い切りうなぎの身に向けて吐き出した。
途端に、青白い炎がユエの口から吹き出され、うなぎの身を焦がしていく。同時に、石で作られたゴーレムの体も熱せられ、あまりの高温に真っ赤に燃え上がった。
――じゅううううううううう!
うなぎの脂身がじゅくじゅくと沸騰して、僅かに身を縮ませた。
消し炭になってしまうかと思ったけれど、意外にもうなぎの身は順調に焼けていった。
うなぎの身は何故か、ユエの炎が当たっていない部分もいい感じに焼けている。みるからにふっくらしていて、とても美味しそうだ。もしかしたら、熱せられて真っ赤になっているゴーレムの体の熱で焼けているのかもしれない。
……遠赤外線! 多分、遠赤外線効果だ……!
溶岩焼きの店とかで言われるアレ! まあ、本当にゴーレムの体から、遠赤外線が出ているのかどうかは定かではないけれど――竜の炎と、ゴーレムの熱で焼けるうなぎは、見た目はとても美味しそうに焼けていた。私は目の前の特撮映画のような光景を、口端を引き攣らせながら眺めて、そんなずれたことを考えていた。
そうして約十分後。うなぎの焼けるいい匂いがし始めると、ユエは火を吹くのをやめた。
「どうかなあ。ひよりが焼いていたのと、同じくらいの焼き加減になった?」
白い煙を上げて、焼け焦げたゴーレムが持っているうなぎは、確かに丁度良さそうな焼き具合だ。
それに、炭火や魔法陣の炎で地道に焼くよりは恐ろしく速い。
「わあ! ユエ、上手! 中までしっかりと焼けているよ! さすが、私の妹!」
「だから妹じゃないって!! ……もう、ひよりはしつこいなあ……」
妹はぴょん、と飛び跳ねてユエの巨大な体に飛びついた。
そして、ぐりぐりとユエの顎の辺りを撫でては頬をすり寄せた。そこにカイン王子とセシル君が合流すると、いつもどおり四人でわいわいじゃれ合い始めた。
「竜……聖女……どういうことなんだ……」
「わ、わからねえよ。突然竜が現れて……聖女があの竜を喚び出した? いや小僧が変身したようにも……」
竜とゴーレムが共同でうなぎを焼く光景。それを見ていた観衆の多くは、驚きのあまり口を開けたまま固まっていたり、隣同士で小声で何かを話したりしていて、辺りは酷くざわついていた。
「いやあ、ユエ。いいこ、いいこ!」
「ユエ、お前なかなかやるじゃないか」
「あとでお菓子をあげましょうね」
「だから、子供扱いするなって言ってるだろー!」
そんな周囲に構わずに、四人が楽しそうにふざけ始めると、その光景を見ていた観衆達は、どう解釈したのかわからないけれど、途端に溜め込んでいた感情を爆発させるように、空気を震えさせる程の歓声を上げた。
急に耳をつんざくほどの歓声の中心に放り込まれた四人は、困惑気味に大興奮で叫んでいる人々を眺めて戸惑っている。
広場中のそこかしこから、「聖女万歳!」だの「黒竜万歳!」だの聞こえてきて、解体ショーのときの興奮なんて比べ物にならないほどだ。
私はそんな光景を見て、頭を抱えてしまった。
妹がまたやらかした瞬間を目撃してしまった。騒ぐのが大好きなレイクハルトの領民が、大喜びで食いつきそうな新しい『聖女伝説』を打ち立ててしまった妹に、私はなんだか憂鬱な気分になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
広場の端に置かれたテーブルを陣取り、私たちは少し休憩することにした。
ジェイドさんが料理を取ってきてくれると言うので、甘えることにした。椅子に腰掛け、一足先にダージルさんと一緒に飲むビールを用意する。因みにマルタは逃亡してここにはいない。……臆病者め。
氷の入ったクーラーボックスに突っ込んでおいたビール。触るのが辛いくらい冷え切った缶の蓋を、思い切り指で持ち上げる。
――ぷしゅぅ! と、いい音がしたら、ふわっと缶の口から香るビールの香り。
ビールを陶器のグラスに、とくとくとくとく……と注いでいく。すると、勢い良く泡が膨れ上がり、あっという間にグラスから溢れ出しそうになった。
「おっと」
その泡を、唇を尖らせてちゅっと吸う。そして、泡が膨れ上がるのが収まり、少し沈んだところで静かに残りのビールを注いでいった。一缶グラスに注ぎ終わったら、頬を緩めて弾ける泡を眺める。
――ビール! ビール!
心のなかではしゃいでいると、私がビールを注ぎ終わったのを確認したダージルさんは、自分のグラスを持ち上げた。
「嬢ちゃん、今日は思う存分飲もうぜ!」
「はい! ダージルさん! 飲みましょう〜!」
ダージルさんと杯をぶつけて、にんまりと笑い合う。そして同時に口にグラスを運んだ。
ごくごくごくごくっ! と一気に半分ほどまで飲み干す。しゅわしゅわ喉の奥で炭酸が弾けて、舌の上をビールの苦味が蹂躙していった。
「「ぷはーーー!」」
そして、同時にふたりで酒臭い息を吐いて、ぎゅうっと目を瞑る。
……くう! 堪らん!
飲みこんだビールのアルコールが体に染みて、一気に気分が晴れやかになった。
「いやあ、美味しいですねえ。大変なことがあった後は、より美味しい!」
「だよなあ、嬢ちゃん」
「お酒を飲むと、儀式の時にシルフにツンツンされまくってびしょ濡れになったこととか、妹が『英雄』どころか『神』とか呼ばれ始めていることとか、そんなの気にならなくなりますね!」
「嬢ちゃん、心中察するぜ……」
私がしみじみ言うと、ダージルさんは苦笑して私のグラスにビールを注いでくれた。
ダージルさんに御礼を言って、用意しておいた肝焼きに手を付ける。
うなぎのタレをたっぷりと絡めて焼いた肝焼き。大うなぎの肝は、とんでもないサイズで食べられそうもなかったので、これは私が捌いたうなぎの肝だ。うなぎ一匹からとれる肝はそんなに多くないから、この小さな串一本で三匹ほどの肝を使っている、贅沢な一串だ。
肝の黒い部分と、ほんのり白い部分が刺された肝焼き。見た目はグロテスクだけど、その味を知っている私は期待を胸に唾を飲んだ。
肝焼きの串に大きく口を開けて齧りつく。すると、こりこりした食感とともに、口の中いっぱいに肝の味が広がった。
「うううう……にが美味い!!」
「ちょ、嬢ちゃん……これは、ビールよりももっと強い酒が欲しいな……」
「ですねえ……。と、思ってほら! 日本酒!」
「嬢ちゃん……! お前ってやつは……!」
ダージルさんは、私がテーブルの上に日本酒を置くと、感激のあまり頬を染めて、親指を立てた。
……ふっふっふ。そこのところは抜かりはないのだよ!
舌の上に広がる味は、ほろ苦。けれども肝の甘味を感じることも出来る。タレを絡ませて焼いてあるので、タレの甘じょっぱさも感じられて、好きな人には堪らない味だ。
もぐもぐと肝を噛み締めていると、何かに似ていることに気がついた。そうだ、サザエの白い肝を食べた時の、複雑な旨味に似ている。嫌味にならない程度のほろ苦さと、なんとも言えない旨味。そのふたつの味わいが恐ろしくお酒を呼ぶ。
鰻屋に行くときは、肝焼きを齧りつつ熱燗を飲みながら、うな重が来るのを待つんだ――祖父がそう言っていたのを思い出す。なんて贅沢。酒飲みを虜にする一品だ。
日本酒を飲みながら、鰻の肝を味わっていると、ふとダージルさんが何か思い出したのか小さく笑った。
「ああ、美味い。嬢ちゃんといると、美味いもんには困らねえからいいな。まあ、さっきは美味いもんのせいで嬢ちゃんが大変な目にあっていたみたいだが」
「ああ、シルフの件ですか……」
儀式の最中に大量のシルフに囲まれた後、水の中に尻もちをついて供物を放り投げた私は、その供物を追いかけたシルフが妹の方へと押し寄せるのを呆然として眺めていた。
それまで数体しかそばにシルフが寄ってこずに、のほほんとしていた妹は慌てたらしい。悲鳴を上げて、その供物を思い切りレオナルトさんに投げつけ――見事に蒲焼きはレオナルトさんの顔面に着弾して、またそこにシルフたちが群がった。
『うお!? シルフが……シルフがこんなにも吾輩の下に! ふ、ふははははは! やはり吾輩はこのレイクハルトを形作るものに愛されている……!!』
そう叫んだレオナルトさんは、顔にこびり着いた蒲焼きをものともせずに両手を広げ、まるで某救世主の様なポーズでシルフが群がるまま体を預けていた。
私と妹は、唖然としてその様子を眺めていたものだ。
湖の湖畔でその様子を遠目に見ていた領民たちは、大盛り上がりしていたけれど。
初めにシルフが群がった私が持っていたのは蒲焼き。
供物を乗せた輿の蒲焼きにも大量のシルフたちが群がっていた。そして、シルフたちは白焼きに添えてあった『醤油』入りの瓶にも集まっていた。
放り投げたあとは、蒲焼きに釣られるようにシルフたちも移動していたから、きっと私だからシルフが集まったということではない様だ。
「シルフは、お醤油とかタレが好きなんですかねえ……」
「いや、違うのではないだろうか」
私が肝焼きを食べながら、のんびりそんなことをつぶやくと、誰かが私たちの会話に割り込んできた。