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領主兄弟とご馳走うなぎ 5

 舞台のど真ん中。魔法陣から吹き出す青白い炎の前で、車座をしているゴーレムが、串に刺さった巨大なうなぎを焼いている光景。青白い炎に照らされたゴーレムの後ろ姿がなんとも哀愁を誘っている。

 そんな光景を微妙な気持ちで眺めていると、ジェイドさんが私の隣にやってきて飲み物を渡してくれた。



「お疲れ様。大変だったね」

「ええ……本当に。ひとりだけ冷静なのに、あの興奮の坩堝のど真ん中にいるのは苦痛でした……」

「ははは……確かに。耳がおかしくなりそうだったな」



 ジェイドさんの持って来てくれた飲み物を飲むと、甘酸っぱいジュースが喉の奥に滑り落ちていって、胃にじんわりと染みると、疲れのせいで重く感じていた体が、少しは軽くなった気がした。

 


「美味しい! なんだかほっとします……」

「それはよかった。疲れていたようだったから、甘いものがいいかなと思って」



 ふとその時、ジェイドさんにご飯を炊くのをお願いしていたのを思い出した。

 もちろんうな丼の為だ。私がうなぎの串打ちをしている間、旅先に持ってきていたお米をあるだけ炊いてもらっていたのだ。



「ご飯は炊けましたか?」

「ああ、大鍋でたくさん炊いておいたよ。まあ、ここにいる全員の分を賄うには足りないけど……」

「ありがとうございます。あとはうなぎだけですね。タレも出来たので、今ひよりが焼いてくれていますよ」



 私が捌いたうなぎは、ゴーレムが焼いたのとは別に、妹が一生懸命焼いてくれている。

 バーベキューの時もそうだけど、妹はやたらと火を焚くと張り切る傾向にある。今回も捌く時に手伝えなかったからと言って、焼きは任せろとカイン王子やセシル君と一緒に、楽しそうにうなぎを焼いていた。


 今回作るのは、勿論蒲焼き。それと白焼きだ。蒲焼きは白いご飯に乗せてうな丼に。白焼きはそのままで食べる。わさびに似た味わいの薬味を見つけたので、それと醤油で食べる白焼きはきっと美味しいだろう。それと肝も焼く予定。

 うなぎのタレは勿論自家製だ。それを、手持ちの調味料全てを使って作った。


 醤油や酒、みりんは、何があるかわからないから一升瓶に入ったものを持ってきていた。リリに重い重いと文句を言われながらも、持ってきてよかったと思う。それでも圧倒的に足りないけれど。


 材料は醤油、酒、みりん、砂糖。それとさっき捌いた時に出た、うなぎの頭と中骨。

 うなぎの頭と中骨は焼いておいて、それを煮切ったみりんと酒、砂糖と一緒に煮て、その後に醤油を入れ、しっかり煮詰めれば完成だ。

 それを寸胴鍋でグツグツ煮込んで作ったから、大変な量ができた。けれど、それでも足りない。大うなぎの身に比べると僅かな量だ。

 だから、蒲焼きはほんの一部。かなりのレアものになる予定。うなぎと言ったら蒲焼きなのに、なんだか悔しいけれどタレの量を考えると仕方がない。


 妹は串を打ったうなぎの身を、煉瓦で作った急ごしらえの焼き場で焼いている。

 ふたつ置いた煉瓦の間に炭を起こし、その間に串を刺したうなぎを置けるようにした焼き場だ。

 妹は暑いのか頬をほんのり赤く染めて、額に汗を浮かべながら真剣な眼差しでうなぎを焼いていた。


 うなぎを焼くときは何度もひっくり返して、焼きムラが出ないように焼いていく。大うなぎに比べると小さいこのうなぎも、一般的なものからみれば随分と身が厚い。脂が乗り切った身からは、炭火で炙って焼いているうちに、溶けた脂が滴り落ちて、炭の表面でじゅうと鳴った。



「初めは、取り敢えず蒲焼きにするからね」



 妹はそう言って、うなぎが焼けてきたら、用意しておいた湯気の立ち昇っている蒸し器にうなぎを入れていった。

 関東風うなぎは白焼きにした後に、蒸して、また焼くのが特徴だ。そうすると余分な脂が落ちて、さらに蒸気でふんわりしたとろっとろのうなぎに仕上がる。関西風の生のうなぎをじっくり時間をかけて焼いたものも、それはそれで美味しいけれど、私が知る捌き方は関東風の背開きだったのでそれに合わせることにした。


 実はこの蒸し器。レイクハルトでは、蒸し料理が豊富なのだという。

 うなぎを蒸す工程をどうしようかと悩んでいた時に、レオナルトさんがそのことを教えてくれて随分と驚いた。何故なら、この異世界に来て初めて蒸し料理を目にしたからだ。

 偶然にしても出来すぎている。もしかしたら、失われたうなぎの調理法にも蒸す工程があったのかもしれない。


 木製の蒸し器で蒸すことしばらく。

 うなぎの身が蒸されてふんわりとしてきたら、蒸し器から取り出して、タレにどぼん。

 タレから上がってきたうなぎの身は、白焼きの白色から、タレの飴色に染まってうなぎらしい見た目になってきた。

 

 それをまた炭の上に戻して焼いていく。

 大体、三回くらいタレを着けて焼くを繰り返す。一回目で焼き色をつけていき、二回目でしっかりとタレの味をうなぎに染み込ませた。そして、最後の三回目の焼きをする頃には、うなぎの見た目は様変わりしていた。

 表面は飴色で照り照り。端の焦げかけた部分はじゅくじゅく沸いていてすこし色が濃い。ふっくらとした身の魅惑的なグラデーション。炎を反射してテラテラ光っているうなぎの姿は、とんでもなく美味しそうだ。


 また――ぽとり。今度はタレが炭に落ちて、じゅう、とあっという間に蒸発して白い煙をあげた。

 途端、ぷんと漂う焦げたタレの堪らない匂い。

 甘くて、香ばしくて、匂いだけで脂の甘味を感じられそうなこの匂い。お腹にダイレクトに響いてくるこの匂いを嗅いでいると――ぐう、とお腹が鳴った。


 視覚も嗅覚も、もううなぎにやられっぱなしだ。

 思わず染み出してきた涎を飲み込む。

 途端にお腹が空腹を訴えてきた。……ああ、うなぎってどうしてこんなにも攻撃力が高いのか。


 異世界なのに、この広場だけうなぎ屋の店先のような匂いに包まれ、誰も彼もが物欲しそうに焼けているうなぎに視線を注いでいた。

 

 ……早く食べたい。

 きっと、みんな同じことを考えていたに違いない。



「ああ、おねえちゃん。我慢できないー!」



 一番に根をあげたのは、うなぎの一番近くに居た妹だ。

 それはそうだ。うなぎは妹の好物のひとつでもあるし、視界の中に常につやつやしているうなぎが入ってくる。耐えられる訳がない。

 でもこれは供物になる予定のものだ。どうしようかと思っていると、そこにレオナルトさんとベルノルトさんがやってきた。


 レオナルトさんたちは先程まで着ていた服から着替えてきていた。

 ふたりの新しい衣裳は、どこか厳かな感じがして、正しく儀式用というのがしっくりとくるものだった。

 その衣裳はゆったりとした作りで、首元は立襟になっている。キリスト教の神父の平服のカソックに似た作りだ。その服の上に、レオナルトさんは細長い赤い布を、ベルノルトさんは緑色の布を肩からかけていた。その布にはレイクハルトの紋章が縫いとられている。

 レオナルトさんはいつも必要以上に喋り続けているからか、物凄く失礼な話だけど、領主の威厳を感じることがなかなか難しい。けれどその衣裳を着て堂々としている姿は、正しく領主といった風で、私はその姿を感心して眺めた。


 レオナルトさんは焼いているうなぎを見ると満足そうに目を細めて、私と妹に御礼を言った。

 そして、まじまじとうなぎを眺め、鼻をひくつかせた後、急に味見をしてみようと提案してきた。



「茜様の味を疑うわけではないのだがね。これだけいい匂いがしていると儀式が終わるのなんて待っていられないだろう! なあに、シルフに捧げるのはあの大うなぎ。こちらは人間用ということで!」



 はっはっはっは! と朗らかに笑うレオナルトさんに、みんな苦笑している。

 けれど、私はレオナルトさんに出会ってから初めて、心のなかで彼に賞賛を贈った。


 一応味見ということなので、小さめのお皿に白いご飯を盛った。そこに、先にタレをかける。真っ白でつやつやのご飯が、タレの飴色に染まっていく。

 そして妹が丹精込めて焼き上げた、端っこが少し焦げたうなぎ。それをご飯の上に乗せた。そして、その上から更にタレをかける。

 山椒がないのが悔やまれる。けれど……ああ、うなぎ。うなぎだ……! 白いご飯にうなぎが乗った途端、これから私はうなぎを食べるのだという実感が沸いてきて、なんだか無性に嬉しくなった。


 取り敢えず、今回食べるのは私たちと領主兄弟だ。遠巻きにこちらを物欲しそうに見ている人たちには申し訳ないけれども、数が足りないために我慢してもらうことにした。そこのところは、レオナルトさんが上手くフォローをしていた。流石、領主というかなんというか……どうやら不満は出なかったようだ。

 レオナルトさんは、人心を掌握するのに長けている人だと思う。


 うなぎは、普段は市場に買い物に来た人々が使うというテーブルに腰掛けて食べることにした。一皿づつうなぎを配っていくと、みんな渡されたうなぎに視線が釘付けだ。ごくり、と喉が動いているものすらいる。



「じゃあ、いただきます!」



 妹が勢い良くそう挨拶をすると、みんな一斉に食べはじめた。

 箸をうなぎの身に差し入れると、ふんわりした身はすぐに裂けて、下に引かれていたご飯が顔を出した。

 ご飯ごとうなぎを箸で持ち上げる。

 テラテラと飴色に光っているうなぎの表面、そしてふんわりとした断面はまっしろ。ほかほかと立ち昇る湯気、湯気に乗って匂う、香ばしい甘いタレの匂い――ああ、もう駄目だ。うなぎさん、いただきます!!!

 私は溢れてきた唾をごくりと飲み込み、大口を開けてそこにうなぎを招き入れた。



「……ふわあ」



 途端に体から力が抜けて、自然に笑顔になった。

 あまりの美味しさに、ほっぺたが落ちそうだ。

 うなぎの身は蒸されたことでふわっふわ。それに、このうなぎ、恐ろしいほど脂が乗っている! 

 うなぎの身が舌に乗った瞬間、とろりと溶けて舌の上に強烈な旨みを伝えてきた。

 なんて濃厚な脂。けれども、決してくどい脂ではない。濃厚なのにさらりとしている、それでいて旨みを爆発的に内包している脂。それが満遍なく全体についていて、どこを食べても美味しい!


 タレの甘じょっぱい感じも、うなぎの風味とマッチしていていい感じだ。

 敢えてうなぎが乗っていない部分、たっぷりとタレがかかった場所をひとくち噛み締めれば、それだけで幸せになれる。うなぎも美味しいけれど、このタレご飯の美味しさも震えるほどだ。


 美味しいうなぎの身。堪らないタレご飯。

 正直言って、どちらも甲乙つけがたいほど美味しい。けれど、うな丼の一番美味しいところは別にある。


 ……ああ、うなぎの脂とタレが一緒に着いた部分のご飯の美味しさったら!!


 うなぎが敷かれていた真下のご飯。そこが一番のご馳走だ。


 ……貧乏性と笑うがいいさ。美味しいものは美味しい!


 誰に馬鹿にされたわけでもないけど、私は心のなかでそう主張しておいた。

 そうこうしているうちに、あっという間にうな丼を食べ終わった。

 満腹には程遠いけれど、それでもある程度はうなぎに対する欲求が満たされてほっとする。


 そういえば、あとふたきれうなぎが残っている筈だ。

 もし、うなぎが残るようなら、タレを混ぜたご飯にうなぎを具材にしたおにぎりを握って、明日出発する妹に持たせようか――そんなことを考えていると、誰かがごくりと唾を飲み込んだ音が聞こえた。

 不思議に思って顔を上げると、私以外の全員が、皿に取り置いておいた残りのうなぎを物欲しそうに見つめていた。



「おねえちゃん……おかわり!!」

「ひより、あまり食べると後の儀式に差し障るぞ。ここは私が……」

「いやいやいや、カイン王子。こんなに美味いものを今まで廃棄していた罪深い自分が、責任を持って処理しましょう。なあ弟よ」

「………………俺は、さっき大うなぎを捌いたから……腹が減っているのだが」

「じゃあ、間をとって僕が」

「どう間を取ったんだセシル」

「皆さん、がっつかないでください。……なあ、茜。この場を収めるには、俺が食べたほうが良い気がしないか」



 何故か全員がギラギラした目を私に向けて、自分が、俺が、私がとおかわりを要求してきた。

 残っているうなぎはふた切れ。とてもではないけれど、全員が食べられる量はない。

 ……う、うなぎパワー恐るべし……!!!

 思わず椅子を引いて皆から距離を取った。

 すると、皆はテーブルに手を着いて、こちらに体を乗り出してきた。


 ……ど、どうすれば……!!


 その時だ。



「なんだこれ。へんなの。でも、美味しいねー!」



 みんなの背後で聞き覚えのある無邪気な声がした。

 気がつくと、テーブルに置いてあった、うなぎが乗った皿がいつの間にか消えていた。

 ゆっくりと首を巡らして、恐る恐る声のした方をみると――……そこには。



「あー、でもこれだけだと脂っこいかもー。白いご飯ちょうだい?」



 口の周りをタレでベッタベタにした、ユエの姿があった。

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