領主兄弟とご馳走うなぎ 4
「毒は解毒しておいたよ〜」
『毒味のマルタ』が本領を発揮して、大うなぎと小さめなうなぎの解毒を終えた。
元の世界のうなぎの体液にも毒はあるから、もしかしたらと思っていたけど……やっぱり毒はあったらしい。
マルタはニカッと白い歯を見せて笑って、私の肩をぽんと叩いて去っていった。
すれ違った瞬間、小さな声で「頑張れ!」と言ってくれたのがとても嬉しい。
私は巫女服の袖が邪魔だったため、適当な紐でたすき掛けにして袖を止めた。
そして、目の前にあるうなぎを見つめた。
木桶の中に入っているのは、見た目はそのまんまうなぎだ。ちょっと、私の知るうなぎよりも大振りだけど、常識の範囲内の大きさのもの。私が今日捌くのはこのうなぎ。大うなぎはレオナルトさんの用意してくれた料理人が捌いてくれるそうだ。
ぬめぬめとした表皮、うっすら黄味がかったお腹部分。それはにょろにょろと体をくねらせ、水の中をゆっくりと泳いでいた。
私は緊張のせいで激しく鼓動している胸に手を当てた。そして、目を瞑って深呼吸をする。
……ああ、もう。落ち着け自分……。
慣れないうなぎを捌くのも理由のひとつだけど、私がやたらと緊張しているのには訳があった。
――私は今、あの大うなぎが横たわっていた舞台の上にいる。
私の隣には同じ「供犠巫女」でアシスタントの妹。
私は舞台の上に設えてもらった急ごしらえの調理台で、衆人環視のもとで料理をしなければいけないのだ。
……聞いてない。全然聞いてない!! レオナルトさんの詐欺師! 説明不足ー!!
私が内心で悪態をついているうちに、とうとう調理開始の時間が迫ってきた。
すると、舞台の上にレオナルトさんが登ってきて、集まっている観衆に向けて声をかけた。
「皆の者! 吾輩はレイクハルト領主、レオナルトである!! 今日は風の精霊シルフに一年の豊穣の感謝を捧げる儀式――……その再現を行う!
シルフに捧げる供物を作るのは、そこの『供犠巫女』である茜様――なんと、『英雄聖女』の姉上だ! そしてえええええええ! 『英雄聖女』ッ!! そのひとだあああああああああ!!!」
――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!
レオナルトさんがそう叫ぶと、観衆から歓声が沸き起こった。
皆の視線が私と妹に集まっている。レオナルトさんが煽るから……! 恥ずかしい! 帰りたい!
妹はしれっと観衆に手を振っていた。もしかして慣れたのだろうか。でも私は無理、絶対に無理!!
私が周囲から浴びせられる熱視線にビビっていると、大騒ぎしている観衆の中に柔らかな笑みを浮かべたジェイドさんがいた。彼は私に小さく手を振ると、頑張れと言わんばかりに頷いてくれた。
途端に私の中の緊張が不思議と和らいだ。ふう、と息を吐いて、胸元の魔石を握りしめると、私は気を引き締め直した。
……何はともあれ、ここまで来てしまった以上はやり遂げる! 中途半端なことはしたくないもの……!!
私は恥ずかしさのあまり俯きたくなる衝動を堪えて、顎を引いて真っ直ぐに正面を見据えた。
私と妹の紹介を終えたレオナルトさんは、次に大うなぎを捌く担当の料理人の紹介をはじめた。
「そして! 長年このレイクハルトを苦しめてきた憎き大うなぎを捌くのは――我が弟! ベルノルト!!!」
「……は?」
聞き間違いかと思って、レオナルトさんの方を勢い良く見ると、そこには如何にも料理人といった格好をしたベルノルトさんがいた。レオナルトさんの言っていた料理人というのが彼だと言うのは驚いたけれど、それ以上にベルノルトさんが抱えている大きな刃物に目が釘付けになった。
その刃物は身長の高いベルノルトさんよりも更に大きく、まるで巨大にした出刃包丁のような姿をしていた。見るからに業物にみえる青緑色をした刃には、魔術的な文様が彫られ、美しい刃紋が浮かび上がっていた。
妹はその刃物を見た瞬間、興奮して身を乗り出した。
「あれって、伝説のあの武器じゃあ……!」なんて呟いている。
……伝説ってなんだ。
「今回は、茜様が我らにうなぎの調理法を伝授してくださる! それを真似て、我が弟がこの大うなぎを捌いていくのだ! この我が家に代々伝わる『うなぎ殺し』でな――!!!!
供物を捧げた後は皆にもその料理を振る舞う予定だ。『英雄聖女』の姉の料理……期待していてくれ!」
「うおおおおおおおおおおおおお!」
盛り上がる観衆とは対象的に、妹は何故かがっくりと肩を落としていた。
「……ドラゴンキラーじゃないんだ……」
「ひより、何を期待していたの……」
それよりも!!! なんだか、物凄くハードルを上げられたんですけど……!!!
レオナルトさんは今も気持ちよさそうに観衆を煽っている。その後姿を思い切り睨みつけると、視線に気がついたのかレオナルトさんはこちらを振り向いた。
そして、にかっと笑って、親指を突き立ててきた。
お前の為に頑張った感が溢れるその暑苦しい笑顔に、なんだかイラッとした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
うなぎは元気いっぱいだと手に負えない。まるでバラエティ番組みたいに、うなぎと戦うはめになるので、まずは生きているうなぎは冷やして動きを鈍くしておく必要がある。
冷蔵庫があれば、そこに一晩入れておく。今回はそれは無理なので、水をキンキンに冷やしておいた。
動きが緩慢になっているうなぎを、それでも掴むのに苦労してまな板の上に乗せた。
うなぎの目から少し後ろの部分。そこに千枚通しを思い切り突き刺す。
そうやって、うなぎの体をまな板に固定するのだ。これを「目打ち」というのだけれど、名前からして本来なら目に突き刺すのだろうなあ……と思いながら、少しずらして刺すことにした。だって目に刺すなんて考えただけで痛い。
私が思い切り千枚通しをうなぎへ突き刺すと、観衆にどよめきが起こった。
「いでよ!」
それは私がうなぎに千枚通しを刺したからではない。
レイクハルトで一番だという魔術師が、上空に恐ろしく大きな石の円錐形の柱を召喚したからだ。
黒いローブを纏って、表情がよく見えないその魔術師は、上空に柱が出現したのを確認すると、かざしていた手を思い切り下へと振り下ろした。
――ドォォォォォォォォォン!!!
衝撃で地面が揺れる。その柱は正確無比に、大うなぎの目の横の部分を貫き、舞台へと縫いとめた。
……もしかして私が何かする度に、こういうスケールの違う、うなぎの解体ショーが繰り出されるのだろうか……。
内心震えながらも、深呼吸をして心を落ち着かせた。
わ、私は自分のできることをするだけだ!
次は包丁を握りしめて、刃を胸ビレのすぐ隣に差し込んだ。
私が知っているうなぎの捌き方は関東風の背開き。だから、うなぎの頭は私の右側を向いている。
包丁が中骨に当たったら――……。
「ちょあああああああああああああ!!!」
――ズバァァァァァァァァァァ!!!
私が包丁を差し込んだ瞬間、ベルノルトさんが空高く跳躍して、その大きな刃を大うなぎへと叩き込んだ。
勢い良く刃が大うなぎへと潜り込んでいき、刃が硬いものに当たった鈍い音がして中ほどで止まった。どうやら骨に行き当たったらしい。
観衆は派手に大うなぎを斬りつけたベルノルトさんの様子に大興奮だ。皆、一斉に歓声を上げた。「かっこいい!」「キャー! ベルノルト様ー!」なんて声が聞こえる。足踏みをしている者が多いから、地面が揺れてうなぎの入っていた桶の水が溢れた。
……しゅ、集中……集中しろ私! 次の工程は……。
一瞬、目の前で繰り広げられているパフォーマンスに魅入りそうになってしまうけれど、頭を振って雑念を振り払い、手元のうなぎに集中した。
うなぎの身体を左手でしっかりと押さえて、包丁の刃を少しだけ倒して、中骨の上を滑らすようにして身を開いていく。
ノコギリを使うときのように、ゆっくりと前後に滑らせて、丁寧に。このあたりは魚の三枚おろしに近い感覚だから、そんなに難しくない。でも三枚おろしのように身を切り離してしまうと台無しだ。そうしてしまわないように注意しつつも、なるべく皮からぎりぎりの所で切る。うなぎを押さえている手の指先で、包丁の切っ先の位置を確認しながらやるとわかりやすい。私はゆっくりと丁寧に、尾びれに向けて慎重にうなぎの身を切り開いていった。
すると、思いの外真っ白なうなぎの身が姿を現した。真ん中の辺りにはとろりとした肝が残っている。これも処理しなければならない。
「ゴーレム!!!」
「グオオオオオオオ!!!」
魔術師が、大うなぎを抑えるための巨大な石のゴーレムを召喚した。ゴーレムは召喚された瞬間、観衆にアピールするためなのか、両手を頭上に掲げて咆哮した。
そして、ゆっくりと大うなぎに近づくと、僅かに身体をくねらせている大うなぎの身体をしっかりと押さえつけた。
それを確認したベルノルトさんは、まるで居合の達人のように半眼になり、手に持った剣を徐に倒すと……数回、前後に引いて手応えを確認してから、細く長く息を吐いた。そして叫んだ。
「行くぞォォォォォォォォォ!!!!」
「行っけェェェェェェェェェ!!!!」
ベルノルトさんが叫ぶ……いや、咆哮すると、観衆は拳を振り上げて声援を贈った。まるで少年漫画のクライマックスのようだ。
ず、ずず……と、大うなぎの身体を切り裂く音がする。始めはゆっくりだったベルノルトさんの動きが、徐々に速度を上げていき――薄っすらと緑色の魔力のオーラを纏ったかと思うと、『うなぎ殺し』がバターを切るかの如く滑らかに動き出した!!!
それからは圧巻だった。ベルノルトさんは刃を差し込んだまま、勢いに任せて思い切り大うなぎの側面を走り抜けていく。すると面白いように大うなぎの身が裂けていき――尾びれの先まで辿り着くと、空気を斬り裂く音がして、ベルノルトさんが大うなぎの身体を斬り抜けたのが理解できた。すると、不思議なことに斬り終わった分厚い大うなぎの身が、ゆっくりと開いていき――地響きを立てて、白い身を露わにさせた。
ベルノルトさんは片膝を着き、目を瞑ってイールキラーを振りきったままの格好で動きを止めていたのだけれど、大うなぎの身が開くと、徐にすっと立ち上がった。そして大きな刃で空を斬って、刃に付いた血のりを払った。
「――ふん」
そして颯爽と無表情のままこちらへと戻ってきた。
鼓膜をビリビリと震わせるほどの、怒号のようにも感じる観衆の叫び声が沸き起こる。みんな興奮して顔を赤らめ、ベルノルトさんの名前を叫んでいる。まるで英雄扱いだ。
あまりの声量に耳を抑えていると、私の手伝いをするはずの妹も何故か観衆に混じってベルノルトさんに声援を贈っていた。
……楽しそうだね! でもあの人が斬ったのは食用のうなぎだよ! 捌いただけだよ! みんな、目を覚まして!!
こんな感じで、恐ろしく大げさに事は進んだ。
私はこのあと、肝を取り除き、中骨を切り離す作業に入った。
一番初めに包丁を入れた部分の中骨を切断して、中骨の下に包丁を差し入れる。そして、骨を浮かせるようにして、ゆっくりと骨と身を切り離していった。そして、尾びれ近くまで切り進めたら、そこで中骨を切り落とした。
レオナルトさんは骨を切り離す際に、なんだかよくわからない必殺技名を、住民に一緒に叫ぶように呼びかけた。
「お前たちの声援が我が弟の力になる――!」
レオナルトさんの言葉を聞いた私は、空いた口が塞がらなかった。
その必殺技名はレイクハルト住民も周知しているものだったらしく「お前らァ! いくぞォ!」という掛け声とともに、一斉にその必殺技名を叫ぶ様子は正にヒーローショー。
この時点で漸く私は悟った。ここの住民。ノリが良すぎやしないか。
「「「輝ける刃ォォォォォ!」」」
……観光都市計画。これだけノリのいい住人たちが住まう場所なら、成功しそうな気がする。
それよりも何よりも一番ショックだったのは、レオナルトさんと比べるとまともそうだったベルノルトさんが、うなぎの中骨を斬り落とした時、気持ちよさそうに決めポーズをとっていた姿だった。
信じていたのに……彼はまともだって。ああ、ベルノルトさんもちょっと残念な人だった……あのふたり、やっぱり兄弟だ!!
あとは頭を切り離し、残った血ワタを刃先でこそぎ落とす。
次に残った骨の多い部分をしごくようにして取り除いていって、尾びれを切り落としたら、胴体に残ったひれを包丁の切っ先を胴体に沿わせるようにして、切り取る。
これで完成。
私はふう、と息を吐き、額に滲んだ汗を拭った。
視界の隅では、まだ激しいパフォーマンスで大うなぎを捌いているけれども、なんだかもうどうでもいい。
妹が「ベルノルトさん、かっこいいー!」とか叫んでいて、ちっとも手伝ってくれないのもどうでもいい。
初めてやったうなぎの解体が、割りかし上手くいった。それだけで充分だ。
早くこの異常なまでに盛り上がっている舞台から降りたい私は、残った別のうなぎに手を付けて黙々と捌き続けた。
私に厨二な技名ネーミングセンスはなかった……。
うなぎを捌いたことのある方が居たら、変な所があればご指摘いただけると嬉しいです。(果たしているのだろうか)