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領主兄弟とご馳走うなぎ 1

 ぴゅるり、ぴゅるりら……ぴゅるるるるる!


 ねえ、今日はヒトが随分と騒がしいよ。


 なんだろう、なんだろう、なんだろう!


 ほら、今日はいっぱいヒトの気持ちを感じるよ!


 嬉しいね。僕達を思い出してくれたのかな。わあ、なんだか楽しいね!


 ほら、あれ! あそこにいるヒト! ……なんかしているよ!


 うん、なんだか美味しそうな匂い! うわあ、なんだろう。なんだろうこの匂い――……。


 確かめよう! 確かめに行こう! さあ、ふわりふわふわ、気ままに飛んで!


 ぴゅるり、ぴゅるるるる、るるるるる!


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 妹が仕留めたという巨大なうなぎ。

 知らなかったのだけれど、そのうなぎは長年レイクハルトの人々を悩ませていた迷惑な生き物だったらしい。

 太さは……大人三人で両手を広げればやっと届くくらい。とんでもなく太い。

 更には長さは50メートルは優にあった。

 それがレイクハルトの周囲にある湖に棲みついていたらしい。


 所謂、湖の主というやつだ。


 そのうなぎは、漁の網を食い破り、湖の魚を根こそぎ食べ、更には湖に落ちた人を襲うと言われていて、今まで恐怖の対象だったんだそうだ。

 ……で、それを妹が倒してしまった。

 レイクハルトの住民は大変な喜びようだったらしい。


 それはそうだろう、長年の厄介者が突然退治されたのだ。

 しかもそれを退治したのが、邪気を祓うためにはるばる来ていた聖女。

 それを知ったレイクハルトの住民は熱狂した。


 ――今代の聖女様は、なんて素晴らしいんだろう! 聖女様万歳! 聖女様万歳!!


 住民たちの間での妹の評価は、それこそうなぎ登りだったに違いない。……うなぎだけに。うん、これは聞かなかったことにして欲しい。

 更にそこに妹は追い打ちを掛けた。

 黒い巨大な竜に乗って、レイクハルトの上空を駆けたのだ。

 それも竜を自在に操り、なんとも楽しそうに笑いながら――……。


 この世界でいう竜とは、畏れの対象であり、それでいて憧れの対象だった。

 竜をモチーフにした絵画や、装飾品は大変な人気らしい。

 人気の昔話には決まって竜が登場するくらい、大人も子供も竜を敬愛しているのだそうだ。


 ……まあ、前にユエが言っていたような、竜を狩ろうとする不届き者もいるにはいるようなのだけれど。

 秋頃になると越冬のためにはるか上空を飛ぶ竜を眺めることは出来る。楽しそうに、そして気持ちよさそうに空を自由に飛び回る竜たちに、自力では空を飛ぶことすらままならない人間が憧れを抱く、というのはなんとなくわかる気がする。


 そういった竜に憧れを持つ人々から見れば、竜に跨って空を駆ける聖女というのは、とんでもないものに写ったに違いない。


 妹がこの街に来てからたった数日で、住民たちの抱く聖女像がとんでもないことになった。

 聖女という名前だけでも、妄想が掻き立てられそうなものなのに、それ以上の事を仕出かした妹は、今やレイクハルトの街で、『英雄聖女』と呼ばれているらしい――。



「そのうち、吟遊詩人が聖女様のことを歌い始めるであろうな!

 いや、もう歌い始めているに違いないぞ。はっはっは!

『英雄聖女』の偉大な功績は、きっと後世まで長く語り継がれることだろう!」

「……はあ」



 ……『英雄聖女』とか……。厨二病か!!!!


 嬉しそうに『英雄聖女』と言い放った目の前の人に、本当なら思い切り突っ込みたかったけれど、そこはぐっと堪えた。

 ……何故ならば、その人はこの湖上都市で最も地位の高い人だったからだ。

 侍女さんが注いでくれた紅茶をひとくち飲んで自分を落ち着かせ、目の前の人をそっと見遣る。

 私の目の前には、興奮で頬を上気させ、上機嫌で妹のことを語る男の人が座っていた。


 彼はこのレイクハルトの現領主――レオナルトだ。


 髪の色は枯れ草色。ふわふわと波打っている長い髪の毛をきっちり纏めて、高価そうな髪留めで留めていた。優しげな笑みを浮かべている彼は、一見すると穏やかそうな印象を受ける。

 仕立てのいい服を着て、優雅な仕草で紅茶を楽しんでいる姿は、育ちの良さを伺えるのだけれど――……。

 一都市の領主だから落ち着いた雰囲気の人なのだろうな、という私の予想は簡単に裏切られた。


 レオナルトさんと出会ってから、まだ一時間経たないくらいだ。けれども、その短い間で彼が口を閉じることを知らない人間なのだと私は嫌というほど実感した。

 彼は時折り唾を飛ばしながら、切れ間なく喋り続けている。萌黄色の瞳を楽しげに細めて、大げさな身振り手振りで私に『英雄聖女』の名付け親は自分なのだと語ってくれた。

 ……というか、お前がつけたのかい!!!


 そしてもうひとり、レオナルトさんの隣には彼にそっくりの見た目の男性が居た。

 彼の名前はベルノルト。レオナルトさんの弟さんらしい。

 兄弟というだけあって、かなり似ている。……寧ろ、そっくりだった。双子でないのが不思議なくらいだ。

 髪の毛の色は同じ枯れ草色だけれど、瞳は暗緑色。見かけはそこが違うだけだ。

 けれども、表情が全く違った。コロコロと話す内容によって表情を変えるレオナルトさんと比べると、彼は無表情に近い。基本的に下に目線を落としていて、こちらを見ることは稀だった。

 ベルノルトさんはここに来てからというもの、一言も喋っていない。


 ……この兄弟、足してニで割れば丁度いいのに。


 ――レオナルトさんが感激のあまり、聖女である妹に祈りを捧げはじめた時点でそう思った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 メンチカツを皆で食べた翌日。

 私とジェイドさんは、遊び疲れ眠ってしまった妹達の代わりに、領主レオナルトのお茶会に招かれていた。

 場所は領主の館の中庭だ。

 石造りの建物の真ん中に作られたその庭園には、沢山の薔薇が植えられていた。


 赤い薔薇、黄色い薔薇、白い薔薇――丁度、秋薔薇が見頃を迎えていて、あちこちで大輪の花を咲かせていた。庭園の中は薔薇の上品な香りで包まれていた。その香り、その光景は、私をなんとも優雅な気持ちにさせてくれ、自分が一昔前の漫画に出てくるような、縦ロールのなんとか夫人にでもなったようだ。


 そんな美しい薔薇が咲き誇る庭園の中心――蔦が絡まる白い東屋で私たちはお茶を頂いていた。侍女さんが淹れてくれた紅茶は素晴らしく香り高く、テーブルの上に用意されているお菓子もとても美味しそうだ。


 ……正直、レオナルトさんが黙ってくれれば最高なんだけど。


 レオナルトさんの話は、いつの間にか『英雄聖女』の話から、隣の家の奥さんの実家の犬の話に移行していて、その犬のぐうたらさ加減をレイクハルト流のジョークを交えて面白おかしく話していた。そんな彼とは正反対に、ベルノルトさんは紅茶のカップの中に妖精でも居るのかと思うくらい、カップの底を見つめて動かない。


 レオナルトさんに気付かれないように、そっと隣に座るジェイドさんに目配せをすると、彼は困ったように眉を下げ、小さく肩を竦めた。


 ……まあ、お茶会に招かれた立場なのだし、我慢することにしよう……。


 私とジェイドさんは、レオナルトさんのマシンガントークをBGMだと思うことにして、この場を凌ぐためにお茶を楽しむことにした。


 レオナルトさんが用意してくれた菓子はふんわりと黄味がかっていて可愛らしい色合いをしていた。

 金と青の縁取りがされた皿に盛られ、真っ赤なベリーのジャムが添えられている菓子は、丸みを帯びた形をしていて、薄っすらと雪のような粉糖を纏っていた。


 その菓子を、手で食べるのがレイクハルト流なのだという。

 私は指先でそっとその菓子を持ち上げた。途端、指先に柔らかな感覚が伝わってくる。

 周りの黄味がかった生地は、どうやら薄いスポンジ生地のようだ。

 随分柔らかなその生地は、触った途端に指の跡が着くほどだ。少しでも力加減を間違えると、菓子の中身が出てきてしまいそうだ。

 すると、そのまま齧りつこうとした私に、給仕の侍女さんがそっと耳打ちしてくれた。



「茜様。どうぞ、その草苺のジャムをたっぷりとかけてお召し上がりください」



 ……草苺。木苺じゃなくて?


 私は小さく頷いて、スプーンを手に取った。そのジャムには果実の粒々が絶妙に残っている。初めて食べる異世界の食材に胸が高鳴る。私はスプーンでどろりとしたジャムを掬って、これでもかと菓子にかけた。そしてジャムが一番たっぷりかかった部分に、思い切り齧りついた。

 途端、私は口の中に広がった幸せな味に、思わず唸った。



「うううう。おいひい……」

「本当だ……。これは絶品だね」



 どうやらジェイドさんもこの菓子の美味しさに驚いているらしい。彼は目を見開いて手の中の菓子を凝視していた。


 指先に感じられる感触通り、その菓子は途轍もなく柔らかかった。口に入れた瞬間、しゅわっと溶けて口の中に広がる。その時鼻をくすぐったのは、何処か覚えのある香り――チーズだ!


 ――なんだかスフレチーズケーキっぽいけど……生地に酸味がある……でもとっても爽やかな酸味!


 柔らかなスポンジ生地に包まれていたのは、真っ白なクリーム。

 クリームのまるでレモンのようなさっぱりとした酸味が、口いっぱいに広がって、少しだけ舌の付け根がきゅんとして涎が染み出してくる。同時に、チーズのまろやかなで濃厚な風味。とろりとなめらかな生地と、周りのふわふわのスポンジ生地の相性は最高だ。

 中身はどちらかというとすっぱい。その代わりたっぷりかけたジャムはひたすら甘い。それにしてもこのジャムの強い甘味は、菓子の酸味と物凄くマッチしている!


 ――とろりとろとろの菓子。そして偶にジャムの粒々。それらが口の中から去った瞬間に、お茶をひとくち飲んだ。

 ……途端に鼻の奥に広がる紅茶の芳しい香り。この菓子を食べる時は紅茶には甘味は入れないのだそうだ。

 甘くない紅茶と、酸味が爽やかな菓子。甘いジャムのハーモニーが堪らない!



「この菓子はレイクハルトに昔から伝わるもので、コロンというのだ。

 それこそ風の精霊の神殿が、湖に沈む前から親しまれてきた甘味なのだよ。味はどうかな?」

「とっても美味しいです……! ふんわりとろとろで……とっても滑らか! それに菓子の酸味と、ジャムの甘味が絶妙で……これはいくらでもいけそう……」

「口に合ったようで良かった。

 この菓子は家庭でよく食べられているものなのだが、今度このレイクハルトの名物にしようかと思ってね。菓子職人に色々と試させているところなのだ!

 聖女様の姉君である貴女に褒めて頂けたのならば、この菓子にも箔がつくというものだ。はっはっは!」



 ――な、なんかひよりだけでなくって、私の評価もおかしい気がする……!!!


 私がそのことに慄いていると、レオナルトさんはにっこり笑って、さらにコロンを勧めてきた。

 そのお菓子が美味しいことには間違いないので、おとなしくもう一つ貰っておいたけれど。

 複雑な気持ちを抱えながらお茶を楽しんでいると、レオナルトさんが突然こう切り出してきた。



「茜様。よかったら、あの大うなぎ(ジャイアントイール)の調理法を教えていただけないだろうか?」

「あのうなぎのですか……?」

「ああ。あの大うなぎ、大昔は食べられていたそうなのだが、今は調理法が失われていてな。誰も食べないのだよ。だが、領民から聖女様が食材だと言っていたと聞いてね。異界ではよく食べられている食材なのだろうか?」

「……そうですね、私の国ではご馳走だと言われている食材のひとつです」

「ご馳走! それは素晴らしい!」



 レオナルトさんはぽん、と両手を打つと、嬉しそうに顔を綻ばせた。

7/8 領主兄弟ををおじさまから、壮年の男性くらいに若返らせました。

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