ユエ視点 黒き幼竜と現在と過去とメンチカツ 8
自分の顔が濡れているのに気がついて、ぱちりと目を開けた。
すると木枠が目に飛び込んできた。……多分、ヒトの使うベッドとかいうやつだ。
カーテンが閉められた窓からはうっすらと夕日が差し込んでいる。
僕の脇腹にごりごりと何かが当たっていて、とても不快だ。
――夢か。
鼻先にそっと触れる。さっきまで感じていた、マユの温もりをまだ感じられるかと思ったのだ。
けれど、感じたのは自分の指先の感覚だけで。
ほんの僅かに落胆した僕は、顔を服の袖で拭うと身体を起こした。
さっきから脇腹に当たっていたのは、ひよりの足だった。
それを横に押しのける。薄暗い部屋を見渡して状況を確認すると――広いベッドの上にひより、カイン、セシルが転がって眠っていた。
どうやら、全員でひとつのベッドで寝てしまっていたらしい。
……ああ、そうだった。
一瞬どういう状況か解らなくなって、頭が混乱仕掛けたけれど、昨日の事を思い出して納得した。
メンチカツを食べた後、まだまだ竜蓮桃のお陰で元気いっぱいのひよりたちに付き合って、街に繰り出したのだ。だけど、それまでの時間で街中を探検し終わっていた僕たちは、暇を持て余してしまって、みんなを僕の背中に乗せて空の散歩と洒落込んだんだ。
悲鳴を上げるカインとセシル。ひたすら楽しそうに笑っているひよりと一緒に、この国を端から端まで飛び回った。
それこそ夜が明けても、時間を忘れて目一杯遊んで――街の皆が目覚めて動き出す頃、そこで竜蓮桃の効果が切れたのか、急にひより達が眠気を訴えてきたから、領主の館のカインの部屋に戻った途端……皆、力尽きたんだった。
着替えもせずに眠ってしまったからか、仕立ての良さそうな服が皺くちゃで、三人共ひどい格好だ。
僕は自分の脇腹に当たっているひよりの足をどけると、ベッドの縁に腰掛けた。
そしてため息に乗せて、心のなかに溜まった色々なものを吐き出した。
……少しは心が軽くなった気がする。
……忘れようと思ってたのに。なんで今さら夢に見るんだよ。
先程夢に見た「居なくなってしまった友人たち」の事を忘れたくて。
楽しい思い出だったからこそ、頭の中にこびりついて離れない彼らの笑顔が。
どうしようもないくらい、苦しくなるその笑顔を見たくなくて、足をベッドの上に乗せて、車座になった。そしてなにもない壁をただじっと見つめた。
彼らと過ごした日々の余韻が今もなお全身に残っている。それを今、感じ続けているのは辛いだけだから――僕は別のことを考えて気を紛らわせようと、この数日間の事を思い返していた。
ひよりたちと色んな所に行ったなあ、とか。あれは美味しかったなあとか。……楽しかったなあ、とか。そんなことをつらつらと思い出していると、ふと思い出したことがあった。
空を飛び疲れて、適当な丘の上で休憩していたときのことだ。
草原ばかり広がるこの国は、風がよく吹いている。秋の夜だから、少し肌寒いかと思ったけれど、空を自由に飛び回って、何度も回転したりして熱くなっていた体には、丁度いい心地よさだった。
僕たちは草原に寝転んで、満天の星空を眺めてぼうっとしていたんだ。
その時……なんとなくフェルの言っていた言葉を思い出して、僕はカインに聞いてみたんだ。
「なあ、カイン。お前の国は――どういうところ?」
すると、僕と並んで寝転んでいたカインは、顔だけをこちらに向けて言った。
「……いいところだ。とても豊かで、沢山の人が行き交っている。精霊の恵みが満ち溢れ、皆が笑顔だ。
私は、そこの王子であることが誇らしいよ」
じっとカインの碧い瞳を見つめる。
何故だろう、その時僕はやたら胸が苦しかった。
「精霊の神殿が至る所にあるの?」
「そうだ」
「季節ごとにそこでお祭りが開かれるの? 出店がいっぱいで――香りのいい花が沢山飾られて」
「ああ、旅の劇団が精霊に纏わる芝居をする。――よく、知っているな?」
カインは思いの外、僕がジルベルタ王国のことを知っているから、驚いたような顔をしていた。
「友達に聞いたんだ」
「そうか」
すると、カインはふっと柔らかく微笑むと、また僕の頭をぽん、と叩いた。
「お前たちはどうして事あるごとに僕の頭を叩くんだ……」
「叩きやすい位置にあるんだよ」
「なんだそれ」
「悪いな」
「ふん……。なあ、カイン」
僕はカインを真っ直ぐ見つめた。
カインも僕をまた真っ直ぐ見つめ返した。
「お前は自分の国をどうしたい」
カインは暫く僕を見てみたけれど、ふと夜空を見上げた。
「私は王になる兄を支え、今以上に国を豊かにしたいと思っているよ」
そう言ったカインの表情には迷いは一切ないように見えた。
――……はあ。
思わずため息を漏らした僕は、抱え込んでいた両足の間に顔を埋めた。
そうすると、視界が真っ暗になって、余計な事を考えなくて済みそうな気がしたからだ。
自分の殻に閉じこもって、胸に渦巻く複雑な感情を見て見ぬふりをしてしまおうとそう思っていたのに。
その時、僕の背後で誰かが起き上がった気配がして、自分の世界に逃げ込むことは叶わなくなった。
「……ユエ?」
ひよりの声がする。
どうやら、僕のせいで起こしてしまったらしい。
ベッドのマットが少し揺れた。ひよりが僕の方へと近寄ってきているらしい。
ああ、悪いことしたな。眠いだろうに。起きたらすぐに部屋から出ればよかった。
……今からでも遅くない、この部屋から出よう。
そう思って、ひよりに一言断ってから部屋を出ようと、後ろを振り向くと――寝ぼけているのか、目が半分にしか開いていないひよりの顔が直ぐ近くにあった。
寝ぼけ眼のひよりは、何を思ったのか僕を自分の方へと引き倒した。
――どすん、とマットから鈍い音がして、僕の視界がぐるりと反転した。
「むむ、手間のかかる子だね」
ひよりはそういうと、僕を力任せにずりずりとベッドの中央へと引き摺った。
「……ちょっと! ひより、何!? やめてよ……!」
「なんで起きてるのよ……寝なさいよ……」
寝ぼけているのだろう。ひよりは、間延びした声でそう言うと僕の隣にごろりと寝転がった。
そして、手を僕のお腹の上に置くと、ぽん、ぽんと優しく叩き出した。
「……な、なななな……!」
それはまるで、母親が小さい子供にやるような仕草で。
子供扱いするな! と僕は文句を言おうとしたけれど、その前にひよりが言った言葉に、思わず黙り込んでしまった。
「……ユエ。また泣きそうな顔してる。
駄目だよ、ひとりで悩んでたら。なにかあったら私に相談しなさい……」
……もしかしたら、さっき落ち込んでいたのを見られていたのだろうか。
途端に羞恥心がこみ上げてきて、僕の頬が熱くなった。
「う……泣きそうになんてなってない」
「強がってもだあめ。私は、ユエのおねえちゃんなんだから、すぐわかるのよ」
「ひよりをおねえちゃんにした記憶はないけど!?」
とんでもないことを言い出したひよりに僕が声を荒げると、その声のせいでカインとセシルまで起き出してきた。
そして、何故かふたりとも四つん這いでベッドの上をもそもそと移動すると、僕のすぐ近くに横になって、ひよりと同じく、手で僕をぽんぽん叩きだした。
「……なんだ、おまえ。まだ起きていたのか……駄目だろう、子供は寝ないと」
「ぼ、僕はお前たちよりよっぽど年上だぞ……!!」
「おや、ユエ。叫んだら駄目でしょう……みんな、眠いんですから。しーですよ、しー」
「子供扱いするなって、言っただろ!!!」
とうとう堪えきれずに僕が叫ぶと、みんな眠たそうな顔でこちらを見た。
「もう……。ユエ、いいから寝よう。後で泣きそうになってた訳を聞いてあげるから」
「ユエ、泣きそうだったんですか?」
セシルはひよりの言葉を聞くと、何度か目をぱちぱちと瞬いた。
ひよりが肯定すると、「それはいけませんねえ、小さい子が泣くのを見るのは好きじゃありません」とまた僕を子供扱いした。
……ぐぬぬ! やめろって言っているのに、こいつら僕の話だけは聞こえない仕様にでもなっているのか……!?
なんだか頭にきたので、室内だけど竜の姿に変身してやろうかと考え始めたとき、カインがまたぽんぽん僕を叩きながら言った。
「駄目じゃないか、ユエ。ひとりで抱え込むくらいだったら、私たちに言え。
私たちは――もう、友達だからな。友とは助け合うものだ」
僕は思わず息を飲んだ。
じわりと視界が滲む。
……友達だなんて。
「い、いつの間に、僕達は友達になったんだよ……出会ったばっかりだし。僕は竜でお前はヒトだ」
喉の奥から絞り出した声は、とんでもなく掠れていた。
すると、カインがむっくりと起き上がり、僕の顔を覗き込んできたんだ。
僕の視界に入り込んできたカインの表情はやたらと優しげだった。
「……出会い頭で、いきなり軟弱だとか言ってくるし、尽く反抗してくるし。
お前は困ったやつだ。……だけど、ユエ。お前とはこれからも仲良くしたいと思う。
二日……お前と出会ってから、それだけしか経ってないが。お前とはいい友達になれると思ったし、なりたいと思うのだ。時間なんて関係ないさ。……嫌か?」
「……そ、そんな」
僕が動揺していると、今度はひよりが僕をぎゅうっと強く抱きしめてきた。
「ちがーう! ユエは私の妹だよ」
「……弟の方がマシだった!」
今度はセシルまで変なことを言い出した。
「じゃあ、僕はユエの従兄弟のお兄さんの地位を狙いますかねえ」
「うっわ、セシル、それ偶にしか会えないやつ」
「あははは」
ひよりとセシルが笑いあっている。
……こいつら、僕のことをなんだと思っているんだ!
「……まあ、個人個人でお前とどうありたいかは違うようだが」
カインは楽しそうに笑って言った。
「お前と仲良くしたいのは、間違いないようだ。まあ、竜の一生は長い。私達の一生なんて、お前にとっては一瞬かも知れないが、その間仲良くしてくれないか。ユエ」
「うう……」
「お互いに仲良くしたいと思えば、それはもう友人関係が成立しているようなものだ。
……諦めろ、ユエ……」
カインはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
普段であれば、急に黙り込んでしまったカインを訝しむところなんだけれど。
僕はともすれば溢れそうになる涙を、なんとか堪えるのでいっぱいいっぱいだった。
ここで泣いたら絶対に格好悪い。
僕は竜だ。世界で最も強い種族、それも次期竜の長。
そんな僕が泣くなんて――絶対に駄目だ。
――数分後、やっと涙が引いてくれた。
ほう、と安堵の息を漏らす。
途端に、僕のなかでメラメラと怒りの炎が燃え始めた。
――この僕を泣かそうとするなんて、カイン、許さないぞ……!!
そう思って、僕は文句を言おうと勢い良くカインの方を見た。
すると、僕の目に飛び込んできた光景に思わず絶句してしまった。
「……すう……すう……」
「…………」
「おねえちゃん……ごはん……」
三人は僕の周りに寝転がったまま、眠ってしまっていたのだ。
途端に、しゅるるるる、と僕の中で燃え盛っていた怒りの炎が萎んでいったのが解った。
「……な、なんなんだよ、こいつら……」
力が抜けてしまって、思わずベッドへ倒れ込む。
そして黙って天井を見つめた。
周りから、健やかな寝息が聞こえてくる。
そうしたら怒りの代わりに、僕の中からじわじわと笑いがこみ上げてきた。
「………………友達」
フェル、マユ。友達だってさ。変なの。
僕は彼らの顔を思い出しながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
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「――ああ、やっぱりここにいましたね」
「よく眠っているね」
「……朝ご飯、どうしましょうか」
「人数分取り置いておこう。きっとそのうち起きるよ。今は起こさないほうが良さそうだ」
「そうですね……それにしても」
「どうしたんだい?」
「なんか、ユエが……」
「ああ、楽しい夢でも見てるのかな」
「そうですね……いい夢だったらいいな」
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………………フェル。………………マユ!…………あのね。
………………聞いてよ…………………僕、僕ね……!!
湖の国のお話のテーマは、思い出と記憶。現在と過去の交錯でした。
茜の現在と過去。ユエの現在と過去。交錯する時間とそれぞれの想い。




