第6章(後)〜黒いパラレル
登場人物・2
チーム・エンプティ;篤志を拉致した黒服の集団
エンジェル;篤志をエンプティから助けようとした謎の集団。
ラミエル;エンジェルの一員?篤志を『声』で誘導し助ける。
竹崎教授;65歳。リバース世界を語る。
タムラ;黒服の案内係。30代の謎の男。
ジブ;少女にも見える13,4歳の少年。アルビノで両性具有。ラミエルと同じく『能力者』らしいが・・・
ジブが居る限りもう彼の考えはお見通しなのだ。ならば考えは声に出しても構わないだろう。
「判りました。では質問させて貰います。ここは何処ですか?『プリンス』とは何のことで、何故、僕はその『プリンス』なんでしょうか?」
するとジブは目をくりくりっとさせて、
「ここは日本だよ、しかも東京都さ、プリンス」
「まあまあ、ジブ。ちょっと大人しくしてなさい」
竹崎は嗜めると、再び囁くように答え始めた。
「一つずつ答えよう。確かにここは日本だ。但し貴方の住んでいた『日本』ではない。また、貴方が考えていた未来の日本でもない。いわゆるパラレルワールド、さ」
「パラレル、ワールド?」
「ほら、良くサイエンスフィクションにあるだろう、もう一つの何々、別世界とかいうヤツだ。但し、貴方の住んでいた日本、というか、あちらの世界とこちらでは本来何の違いも無いよ」
竹崎は彼の茫然とした顔を窺うと満足そうに続ける。
「まあ一番大きな違いは、たとえば、あちらの『山田太郎』はこちらにも『山田太郎』として存在するが全てがウリ二つというわけではない、ということだろう。生年月日が数日違っていたり、性格が微妙に異なっていたり細かい所ではホクロの位置が違っていたり。つまりは人間がそっくりコピーされている訳では無く、同一人物が同時に存在しているわけではない、と言うことになるね。ああ、無論プリンスも私も鏡の向こうの自分とも言うべき分身がそれぞれの世界に居るよ。まあ、それはいいとしてだね、不思議なことに、お互いの歴史は寸分違わずとまでは行かないものの、ほとんど一緒だ。人間が少しずつ違うのなら、歴史も違うものになるのが自然であるはずだが、ね」
先生と呼ばれるだけあり、竹崎の話し振りは大学教授の講義そのものに変化して行く。
「貴方の知っている織田信長はこちらでも織田信長だし、明智光秀に謀反を起こされ殺されている。但し本能寺の変は一日こちらの方が早い。そして光秀も二日ほど長く生きている。まあ、だからといって何かが変わったとは思えない。関ヶ原の合戦はそちらの方が1日早く始まっているが、徳川東軍の勝利は揺るがなかった。ああ、当然世界史もそうだ。一番大きい違いとして取り上げられる例はナポレオン、だな。彼はそちらでの史実である1821年、セントヘレナ島でイギリスによる軟禁状態の内に癌で死んだのではなく、1814年にエルバ島から脱出する際、イギリスの小艦隊に発見され抵抗の後、イギリスのフリゲート艦の艦砲射撃により戦死している。従ってこちらの世界では、そちらの世界で有名なワーテルローなる村での戦いは無く100日天下なるものもない。これでも歴史はそう大きな変化は無いのだよ。まあ、ワーテルローでナポレオンの敗北を決定付けたブリッヒャー元帥は歴史に名を残すにはちと寂しい経歴であったし、無論、時の総大将ウェリントン卿も半島戦争での経歴だけ、後に首相にはなったが、まあそういうことだな。そちらでは有名なフランスのネイ元帥やカンブロンヌ将軍は大見得を切る事はないし、イギリスのポンソンビー卿やピクトン卿、プロシアのブラウンシュヴァイク伯もこちらでは華々しい死に場所を得る事はなかった訳だ。ある時点では死なずに済んだものが死に、死ぬ予定のものが死んでいない、と貴方の世界から見ればそんな風にも見えることだろうがね。ナポレオンが1814〜15年頃に権力と影響力を失う、これだけが歴史のキーポイントだったということなんだろう。ああ、詳しいかね?私はナポレオンが好きなのでね、貴方の世界のナポレオンにも興味があるのだよ。そんな訳でこちらでは廃兵院にナポレオンの遺骸はない。うらやましいね、ナポレオンが祀られる場所がある貴方の世界が。おっと、脱線が過ぎたな」
竹崎はニヤリと笑うと、
「そう。我々の二つの世界は平行している。もっと興味深い点をお教えしよう。この二つの世界は時間も年月日も全く相対的なのだよ。つまりぴったり足並みを揃えて前に進んでいるのさ。当然、今、この瞬間にも、二つの世界は同じ時を歩んでいるのだ」
「でも、明らかに違うじゃないですか?今は。僕の住んでいた日本にはボイスセンサー、というのかこちらでは何と言うのか知りませんが、言葉だけで自動運転する車など走ってはいないし、エレベーターも階数ボタンを押して操作する・・・」
「それはだな、今は歴史が違うからだよ」
「今は違うって・・・」
「そう、違うんだ。平行していた歴史は第一次世界大戦を境に微妙に食い違いを見せ、第二次世界大戦中に決定的な違いを生じた。比較歴史論を密かに展開するこちらの史学者はそう言っているが、私に言わせれば、お互いの世界が欲張りにも双方の世界の歴史に介入しようとした結果、お互いの歴史が違ってしまった、そんな風に見えるのだが」
「違ってしまった、とはどういうことです?」
「そのままの意味だよ。つまりは、わが国について言えばだね、あちらが広島・長崎に原爆投下され1945年8月15日に敗戦した訳だが、こちらは1946年9月3日まで戦い、新潟、小倉を原爆で吹き飛ばされ、北海道にはソ連邦の、鹿児島や千葉、神奈川には米英軍の上陸を受け、国民の五分の一にも及ぶ戦死者を蒙り、北海道は日本民主主義人民共和国となり、世界は1951年7月にわずか4日間の第三次世界大戦を戦った挙句、世界人口の十分の一を失う大惨事を経験する、といった風にさ」
彼はその内容に絶句した。
竹崎は暫く興味深げに彼の表情を眺めていたが、やがて、
「これはすべてリバースが原因するんだ、プリンス」
「・・・・・どうして」
「さっきから二つの世界の同期性を話して来たわけだが、しかし、この二つの世界には決定的な相違点がある。リバースだ。この現象はそちらには無い。ここでちょっとした問題だ、プリンス。リバーサーが通常人と比較して有利な点は何だね?」
「・・・人生2度目の青春を謳歌し得る・・・」
彼が皮肉を込めて答えると、ジブがクスクス笑う。
「センセー、プリンスに真似されてるよ。おっかしいの」
しかし竹崎は今回はにこりともせず、
「貴方は鋭いな。半分、正解だよ。もう少し掘り下げて語ろう。いいかね?経験と熟達は時間経過を必要とするが、逆に胆力や体力は時間と共に衰退する。これが両面とも充実するとしたら、その人間にとって人生最大の素晴らしい時間となるだろう。リバーサーはその貴重な時間を持つ事が出来る。よく考えてみたまえ。一人の天才がどんなに頑張っても老いには勝てない。だから経験によって得た研究成果の集積、発展は助手や後任者によって成される事が多いわけだが、リバーサーはそれを一人で実現出来るのだよ。別に天才である必要も無い。ある一定の仕事に就いた人間は芸術系の仕事で無い限り、10年も続ければプロと呼んで差し支えないだろう。そういう人間が文字通り若返るとしたら、どうかね?経験があり若さに溢れたプロ。これは素晴らしい成果を期待しない訳が無かろうて。そして歴史上初めての国家総力戦たる世界大戦で、時の指導者達もリバースを利用しない手はない、そう考えたのだよ」
リバーサーを国家が利用?彼はその様を想像しようとしたが、ジブが落ち着きなく身動ぎして視線を逸らせたりしたので、それは止めて声に出した。
「利用、とは兵隊にして戦わせたとかですか?」
「無論そうした国もある。第二次大戦では我が国を含めほとんどの国がそうだった。特にドイツは積極的で、ヒムラー率いる親衛隊にリバーサーだけを集めた部隊があったそうだよ。だが、その前に、そもそもリバーサーが歴史上どういう存在であったか、からだね」
「存在?」
「地位と言い換えても良い。貴方も先程知ったようにリバーサーは近代までは非常に珍しい存在だった。伝承以外ではっきりと記録に残るリバース最古の話は、紀元前1850年頃エジプト王朝の記録だな。青い髪の女が若返る話がある。多分、有史以前からあった現象だと言われている。古代エジプトでは神の御使いとして神聖なる者とされ王家が手厚く保護したようだ。まあ、エジプトのリバーサーは幸せだったようだが、悲惨な例も多い。インカやクメールでは悪魔の使いとしてリバーサーは焼き殺されたり首を落とされたそうだよ。古代中国でも時代により幽閉したり生き埋めにした国もあった。概してリバーサーは、神聖なる者として崇められるか、邪悪な者として迫害されるか両極端な例が多い。もっともひどい扱いを受けたのは中世ヨーロッパのリバーサーだな。魔女狩りが猖獗を極めたあの頃、リバーサーはカソリック教会にとって格好の悪魔の印だったわけだ。ちなみに、かの『オルレアンの少女』はリバーサーだった」
「ジャンヌ・ダルクが?」
「そう、こちらでは彼女は正にリバーサーのヒロインだな。処刑された時19歳と言われているが、実際は40前後だったのでは、と思われる。 青い髪を亜麻色に染めて戦っていたのだね。ちなみに日本で歴史上有名なリバーサーは森蘭丸、天草四郎、平賀源内、だな。日本では幻歳と言って気味悪がられてはいたが、必ず迫害された訳ではない。森蘭丸が信長に寵愛されたのも、もの珍しさがあったから、かも知れないな。天草四郎の場合は本人への迫害ではなく、キリシタンの死をも恐れぬ不気味さということであれだけ悲惨な戦いになったのだろう。源内は、まあ、余禄だな。これは経験と若さが合致したら、といういい証拠に過ぎない。過去、リバーサーが歴史の主導権を得るほど主役になった例はジャンヌや四郎の例の他は余り見られない。これはリバース自体の発生例が少なかったこともあるだろうが、ね」
竹崎は一旦話を切ると椅子を立ち、窓側の壁に沿って歩き始めた。壁に突き当たるとくるりと振り返り、また歩き始める。そんな事を2往復すると、こんな話をし始めた。
「リバーサーは産業革命が起き、世界が近代に変化した19世紀始め頃から発生率が上昇した。それまでの宗教に束縛された未熟な医術から、科学に裏打ちされた近代医療が行われると乳幼児の死亡率が低下し、人口が爆発的に増えた事と連動しているに過ぎない、という意見もあるが本当の所は解らない。学術研究にリバーサーが果たした役割は、あまり認められてはいないが、全くなかった訳でもないだろう。リバーサーは教育者に多少目立つ程度で、高名な学者には少ないが、理論を固めるための基礎研究や地道な統計、検証作業に名も無き彼らが活躍したものと私は確信しているよ。そして戦争と言う行為にリバーサーが駆り出される事態は、第一次大戦も後半、アメリカの参戦で追い込まれたドイツ帝国で始まった。最新兵器の発明や研究、設計、更には兵站、動員、経済統制など国家戦略の決定にリバーサーが参加させられた。それぞれの道のプロを選りすぐったのなら分かるが、たとえば経済学の教授や機械工学の研究員、東部戦線で銃を握っていた一介の軍曹、果ては街の鍛冶屋まで、リバーサーは掻き集められて参謀本部や皇帝の直属機関などに送り込まれたそうだ。こんなことは付け焼刃と言われても仕方が無い事だな。こういう組織と言うものは、機能し結果を出すまで時間が掛かると言う事は誰でも知っている。が、国家戦略自体が迷走を始めていたドイツ帝国では藁をも掴む行為だったのだろうよ」
竹崎は立ち止まると踵を返してテーブルに近付き、左手を縁に掛け彼の方を直視した。彼は、どうしてこの男はやる事成す事芝居係っているのだろう、と思わず考えてしまう。ジブが、クスッ、と笑ったので彼は聞こえないように舌打った。そんな彼の想いを知ってか知らずか竹崎も微笑むと続けた。
「しかし、これはリバーサーの国家統制とも言える端緒を印したことになる。戦後、ベルサイユ体制やウィルソンの民族自決主義、そのアメリカの参加しないジュネーブの国際連盟、と表向きはまったくあちらの世界と変化は無いが、各国とも戦勝国だけでなく、それこそ敗戦国から新生ソビエト連邦、そして我が国までこぞってリバーサーの統制機関を作った。リバーサーは戦略資源と化したのだよ。 概してどの国もやったことは同じようなものだ。リバースした者は直後に国家機関により収容され、その能力に応じて役割を与え、特に科学者、軍人や軍隊経験者、熟練工は厚遇され活用された。そして、ファシズムの台頭、我が国の軍隊主導による全体主義化と、その過程で更に高度に組織化されて行ったのだよ。 その結果が、先程の歴史へと繋がって行く」
「一体、戦争中に何が起きたのですか?」
竹崎は頷き、話を続ける。
「そうだな、兵器の例を挙げてみよう。航空機搭載レーダー、高オクタン価燃料、近接信管、ヘリコプター、ホーミングミサイル、追尾魚雷、油圧式カタパルト、ジェットエンジンなどなど。これらは戦争の形を変えた新兵器だが、全ての新兵器があちらより数年早く完成し実戦投入されている。敵味方共にね。だが、最大の違いは原子爆弾の開発だ。これはあちらとは違いアメリカの独占とはならなかった。アメリカは例の中立政策により研究開発が遅れ、あちらの歴史通り1945年に原爆が製造されたが、ドイツ、イギリスはほぼ戦争中期には理論を確立、まずは43年イギリスがグリーンランドで核実験に成功、ドイツも2ヶ月の差でベラルーシで実験成功、結果イギリスは44年1月に、ドイツは44年4月に、相次いで原爆を製造した。こうなるとヨーロッパでは双方とも原爆は使用出来ない。あちらの世界で言う所の冷戦構造が、既に大戦中に発生してしまった訳だ。ドイツは、あちらではユダヤ人を弾圧、虐殺し、有能な科学者も海外へ脱出して、原爆の製造も影響を受けている。しかしこちらでは、ユダヤ人の弾圧、科学者の海外脱出自体は変わらないが、リバーサーの活用により研究自体は破綻せずに続けられた。もう一つ大きな事は、あちらのドイツがこちらのドイツに重水やウラニウムを供給していた事だ」
「戦争中、ですよね、あちらも」
彼は自分側の世界を『あちら』と呼んだ事にも気付かなかった。
「その通り。先程言った筈だよ?プリンス。どの国もやっていたらしいが、本当の所は解らない。敗戦国はかなりの秘密が暴かれたので、ドイツや日本があちらとこちらで干渉しあったことは事実だ。お互いにお互いを応援する、というか、本音は利用するつもりだったのだろうが、愚かな事だよ。ドイツに関してはあちらがウラニウムなどを供給する見返りに、最新ロケット工学やジェットエンジンの改良を得たらしい。そして我が国も技術と資材の交換を行ったのだよ。具体的には希少金属の備蓄をあちらがこちらに渡したらしい。見返りは、やはりジェットエンジン技術やレーダー技術だそうだ。あちらには損な取引だったな。何故ならいくら先進技術の設計や理論を手に入れても、それを実践する施設が爆撃で虱潰しに破壊され、しかも資材の不足で製造も出来ないのでは、ね。逆に、貴重な戦略物資を手に入れたこちらは引き際を間違えてしまった。結果、こちらは今に尾を引く傷を国に残してしまったのだよ。ま、それについてはまたの機会に考えるとして、だ。そろそろ貴方について答えるとしよう」
「・・・僕について?」
「自分は何故プリンスなのか、と聞いたのではなかったかね?」
「そうです」
すると竹崎はテーブルを離れ窓側の壁に行くと、壁に何か書かれているかのように指でなぞっていたが、やがて、
「リヴァイアサン、という存在がある」
「・・・トマス・ホッブズに、そんな哲学の本がありましたね」
「そうだな、ホッブズもそれにちなんだそうだが、これも聖書が元種だ。旧約聖書のヨブ記では、リヴァイアサンは海に棲む巨大な怪物だそうだが、この世界で今、リヴァイアサンと言えば怪物のことでも海に関連するものでもない。まあ怪物、という意味ではある部分で当たっているかもしれないが、我々の住むこの世界ではリヴァイアサンの事を怪物呼ばわりしたら気分を害する者も多いだろうな。 リヴァイアサンも人間だ。現在、世界には二十数名のリヴァイアサンが居るが全て女性と言われている。そう、彼女達はある特定の国にほぼ一人づつしか存在しない神聖なる存在だ」
「なんなんです、その人達は?」
「リバースの女王、だよ」
「女王・・・」
「まあ、比喩だがね。但し、女王という言葉はあながち的外れではないよ。リヴァイアサンもリバーサーの一人だ。しかし、並みのリバーサーではない」
彼は胸騒ぎがした。その感覚は強迫観念にも似て、答えが解っているのに認めたく無い人の様にどこかで否定しようとする彼があった。当然、ジブはそんな彼に気が付いていて、薄笑いを浮かべながらも珍しく黙って見つめていた。竹崎も薄笑いを浮かべ、彼と正対する。
「さあ、貴方にも見えて来ているはずだ。何故プリンスと呼ばれるか」
「・・・・・アイ、の事と関係があるんだ・・・」
「そう、その通り。アイ、と呼ばれる彼女もリヴァイアサンだった」
「・・・・・だった?」
「そう、過去形だ。リヴァイアサンは一国に一人だからね。今日本には新しいリヴァイアサンが居る」
「アイは、どうしたんです?」
「いや、大丈夫だ。貴方が心配するような事にはなっていないさ。引退した、と言っておこう。生きているし元気で居るよ」
「アイは、やはりこちらの人だったんですね」
「そうだ。そして貴方は選ばれた」
「選ばれた?」
「リヴァイアサンにね」
「・・・アイに、ですか?」
「そう、貴方は彼女に選ばれプリンスとなった」
「では、プリンスとは」
「リヴァイアサンの花婿だよ」