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第4章〜エンプティとラミエル


― ・・・しやがってよ、ったくが・・・・

 誰かが、彼の耳元で囁いた。目を開けたつもりだったが、真っ暗で何も見えない。彼の意識はまだ聴覚だけ覚めていて、視覚には及ばないかの様に思えた。頭が痛い。身体が鉛の様で、何かに凭れ掛かっていてそれが上下動しているかのようだ。 

 彼が痛む頭を探ろうと右手を動かそうとしたその時、頭の中で声が聞こえた。


(うごくな、うごくな)

― ・・・?

(うごいてはいけない。しゃべってもいけない)

― ・・・

(だいじょうぶだ。うごかなければきづかれない)

― ・・・

(そのままだ。そのままでいろ)


 それは突然の啓示のような現象だった。かなり若い男の声かと思ったが、落ち着いた中年の女性の声とも考えられる。その声には有無を言わせぬ切迫したものを感じたので、まだいくらか朦朧としていた彼は素直にそれに従い身動きすらしなかった。そしてようやく彼は気付いた。視覚を失っている訳ではない。周りが暗闇なのではない。

 彼はなにか頭巾のような袋状の物を被せられ、目隠しをされていたのだ。上下動は彼が意識を失ったままがっしりとした男の肩におんぶ状態に背負われているからで、気付いた直後に耳元で聞こえた声はその男の声だ。

「・・・まったくひでーもんだぜ、『ぐりっく』のあの野郎はこう言ったんだぜ、プリンスは独りだ、身を守る術も知らない少し言い含めて連れてくる、それだけだ、ってな。とんでもねえーぜ」

 また男が耳元で悪態を付いている。どこか平坦な場所を歩いているようだが、彼は方向感覚を完全に失っていたので、本当の所は分からない。

「とんでもねーぜ。独りどころかご立派なエンジェルどもが付いてやがった。ご立派なカトウ少佐殿がどうなったか見たろ、え?『じーあーる』一の優秀な士官殿もエンジェルの一発であの世行きだ、え?」

「シックス、作戦行動中だ」

 彼を背負っている男の声とは別の声が割って入った。その声は彼が思わず身を縮めそうになったほど威厳に溢れ、冷たいものだった。

「へっ。大尉殿が中南米やガルフで狂信者どもの首を何十人か刎ねて、大見得切ったってーのは知ってますがねそのゲリラ戦の英雄殿は、今のこの状況をどう分析するんで?」

「いい加減にしろ!やめないか、シックス!」

 また別の声だ。今度の声は怒りを込めたとても低いものだ。彼の意識は話の内容の異常さに次第に研ぎ澄まされ、意識を失った振りを続けつつ状況を理解しようとしていた。彼を背負った男が不満を口にして、それを二番目の男がたしなめ、更に愚痴を言う男に三番目の男が叱った。

「軍曹!何言ってんだ、俺以上にあんたの方が面白くねえんだろうが。俺たちはこんなクソみたいな任務に命を張るなんて真っ平だってな!」

「黙れムトウ! それ以上言ったら抗命のカドで訴えなきゃならんぞ!」

「へっ、作戦行動中はこっちの会話は全部記録されてるんだ、今更どうでもいいですよ、今度の一件は、どうせ軍法会議モノだからな。訴えるんなら訴えるがいいですよ、軍曹。でもあんただって分かってるんだからな、訴えられる訳がねーや!」

「なにぃ!」

「おい、やめろスリー」

最初に愚痴る男をたしなめた『大尉』が、今度は穏やかな声で言い争っていた『軍曹』を押し止めた。

「シックス。お前の愚痴りたい気持ちは良く分かるよ。だがな、まだゲートを潜っていない。ここは言わば敵地だ。エンプティがひどくやっかいな目にあった責任の一旦は私にもある。いや正直に言おう、あの場所をワンに提案した私のせいだ。それについては後でいくらでも謝る。だ、が、な」

 『大尉』は一呼吸あけると、次の声は同一人物とは思えない低く緊迫した声だった。

「今はな、なんとしてでも俺たち全員がそのクソッタレプリンス野郎と一緒に帰らなきゃならんのだ、いいな?伍長、分かるよな」

「ああ、嫌ってくらい分かってますよ、大尉殿。軍法会議に出るためには土産が必要ってか?もし生きて帰れたら、の話ですがね。でも、ジローやダンナは、俺がこのクソダメに参加した時からの仲間だったんでね、呼びたきゃ戦友って呼べばいい、俺はそんな呼び方はごめんですがね、カトウ少佐殿だってもう2年も一緒にやってたんですぜ?あの連中の命と引き換えにこの背中の荷物を連れて帰る、てのがね、割に合わんし気に食わねえし、って訳なんですよ、俺はね!」

「分かってる、ムトウ。俺もこの男には借りが出来た、と思っとるよ。ま、こいつは何も知らないだろうがね。しかし少佐が死んだ後に俺が受けた命令は、何としてでもプリンスを生かして連れて帰れ、だ」

「連れて帰るのが不可能な場合も、ですか?」

 『ムトウ』の妙に平板で酷薄な声に、思わず身動ぎしそうになるのを、背中の彼はありったけの集中力で耐えた。

「生かして連れて帰るのを不可能にしてはいかん、と言う訳だ。命令の変更は、エンジェルがなりふり構わずこちら側でも攻撃して来たからだろうな。奴らにとって、そいつはそれだけ重要と言う事になる」

「何ですかそれは。最初はもし連れて帰るのが無理ならば殺せ、だったじゃないですか!作戦行動中の180度命令変更は狂気の沙汰だそうですよ」

「フッ、少佐の受け売りかい?まあいい、確かにその通りだがね、ま、今はこれ以上言うな。・・・どうせ俺の経歴もこれでおじゃんだ。せめてこれ以上悲惨な作戦にならないように助けてくれないか?お前たちを生きて帰すのも俺の仕事だからな」

 そして、何か大きな溜息と共に『大尉』の声が掠れて届く。

「すまん、耐えてくれ」

 『大尉』の声に含まれる自虐と真剣さは、視野を封じられた彼にも痛いほど分かった。『ムトウ』が立ち止まった。暫く大きく深呼吸をしている様子だったが、肩を揺すって彼を担ぎ直すと、

「分かりました。申し訳ありません大尉殿」

「すまんな、もう暫くの辛抱だ、ムトウ」

「了解しました、大尉殿」

 その時、周囲に吐息が満ちた。周りに幾人もの人間がいたのだ。


 この会話がなされている最中、男達は常に早足で進んでいる様子だったが、この後、慎重な歩みに変わったのが彼にも分かった。

「いいか、ポイントを聞き逃すなよ、エイト」

「了解、任せて下さい」

 『軍曹』の問いかけに答えたのが若々しい女性の声だったので、彼には以外だった。

「もうスペアはいねえんだ。ジローのように、とまでは言わねえが、ガッコでしっかり習って来た事を祈るぜ、まったく」

 『ムトウ』が小声で嘆息交じりにぼやいたが、声には、茶化すような温かさがあった。


 その後、5分ほど無言で進んでいる様子だったが、突然、先程の女性の緊張した声が聞こえた。

「ツー、来ました、ポイント指示です。」

「了解、エイト、時間を掛けて構わない。十分に確認したら教えろ」

「了解、暫く下さい」

 『ムトウ』が立ち止まる。回りも歩みを止めたようだ。動きが止まると、何かの機械音が微かに響いている。ブーンと低周波音がする。水の流れる音もする。辺りの緊張感が手に取るように分かった。やがて、 

「ツー、出ました。3・5。4・3・5・0。7・5。1・3・9。3・9・5・6。4・4。確認願います」

「35、4350、75・・・139、3956、44。了解」

 暫く間があったが、明るい調子で『大尉』が、

「よし、ここから2キロもない。付いていたな」

「よくやった、エイト」

「よっしゃ、帰るぞ、みんな」

 周りの安堵が手に取るように分かった。そして早足で行動が開始される。『ムトウ』の足取りも軽いようだった。


 二十分ほど経ったろうか、『チーム』は止まった。止まると衣擦れや忍びやかな足音が消える分、周りの音が聞こえる。また微かな機械音や木霊するかのような水音が聞こえ出す。目も見えず全く動けないでいる彼にとっては、時間が相当経ったように思えた頃、

「アテンション。シグナル、オール、グリーン!エンプティ、エンプティ、エンプティ!」

 突然『エイト』が声高に言った。

「スリー。ゴー!」

 空かさず『大尉』の声が鋭く響いた。『ムトウ』の右側にいたであろう人物がすっ、と動く気配があり、続けて『大尉』の、

「ファイブ。ゴー!」

 と共に、もう一人人間の気配が消えて行った。次に、

「シックス、エイト。ゴー!」

 すると『ムトウ』がもう一人と素早く動き出し、直後、彼は生温かい水の中に飛び込んだような感覚を覚え、周りの音が突然消えた。


 一瞬、彼は本当に水の中に入ったのかと思い、軽いパニックになりかけた。しかし、呼吸は普通に出来ていて、彼は思わず身体を仰け反らせていたが『ムトウ』自身も緊張していたせいか、彼が起きている、との反応は感じられなかった。 


 その生温い液体の中のような感覚は数秒後、さわっと心地よい空気の中に飛び出したかのような感覚に置き換えられた。

― なんだ、今のは?

 静寂が辺りを支配する。明らかに今まで居た場所ではない。と、突然ごく身近で、

「チーム・エンプティの諸君、よく帰って来た!」

 全く聞いた事のない声が何かの拡声装置を通してそう言うと、辺りは忽ち歓声に満ち溢れた。それは『チーム』の5、6人が発するだけでない、50名は居るに違いない。学校の一クラス全員が声を限りに叫んでいる、彼にはそんな風に思えた。

 正にその時、あの声が聞こえた。


(いまだ、うごけ)

― なに?

(いましかない、すぐに、うごけ、うごけ、うごけ!うごけ!うごけ!いま!いま!いま!・・・・)

 直後、頭の中にダイレクトに言葉が流れ込み、その流れの勢いに、メッセージの強さに彼は感電したかのように飛び跳ねた。

 (うごけ)と言う言葉が瞬間的に膨大な質量を持ち、彼を突き動かした。

 そして(いま)と言う言葉が、鋭い錐か真っ赤に焼けた鏝か、そんなものを当てられたら感じるであろう瞬発的な痛みを伴って彼を促した。

 彼を背負っていた『ムトウ』が、その動きを感じ、

「お、気が付いたか?」

 と声を掛けた。


(いま!いますぐ!いくんだ!!)

 頭の中の声は、彼の頭に木霊した。その割れんばかりの大きさに、彼は知らず知らずに反応していた。 頭巾状の黒い袋を両手で拭い去り、渾身の力で『ムトウ』の両肩を押し、抱えられた両足をその手から抜いた。 

 彼は『ムトウ』の大きな背中を滑り降り両足を地面に着け、猛然とダッシュした。『ムトウ』は前にのめったが、直ぐに向き直り、

「なっ!このヤロー!」

 『ムトウ』は怒鳴ると彼に向かって突進した。彼は背中にはっきりと殺意を感じた。その恐怖に後押しされたかのように、彼は目の前の木立を突き抜ける。突然、薄暗かった辺り一面が煌々と照らされる。同時にかなりの人数の悪態が巻き起こり、一斉に彼に向かって戦闘服姿の者達が駆け出した。

「いかん!殺してはいかん!生きて捕まえろ!」

 拡声器を通じて先程の男の声が響いた。

 彼は何かに操られたかのようだった。次々と目の前に現れる男や女を、ボールを持ったアメフトのクォーターバックのように軽々と右に左にと避け、走り抜ける。

 先程までかなりな時間、目隠しをされていた影響も全く感じない。そこは明らかにどこかの山の中で、急な斜面が彼の左手に続き、疎らな杉木立が闇の中から人工的な光に照らされて浮かび上がっている。その中、彼は木々の間を擦り抜け、斜面を下に向かって猛然と駆け下りる。

 辺りには、怒声と斜面を駆け下りる大勢の人間の発てる音が満ち溢れる。

 その中を彼が先頭を切って疾駆している。『敵』の身体能力と彼のそれとの比較、現在地も分からない彼と、敵はどうやら『ホームグラウンド』に辿り着いた安堵に浸っていた様子。置かれた状況を考えれば逃げ切れるものではない、と彼にも分かっている。悪足掻きをしている。が、声は叱咤する。

(いけ!いけ!いけ!)

 声は最早彼への脅しと化していた。逆らって少しでも走る速度を緩めれば、鋭い痛みを彼の頭の中に送り込んでくる。それは頭が割れそうな、耐えられない痛みだった。何故なのか考える時間も与えられない。逃げる事以外何一つ考えられない。

「逃がすな!捕まえろ!」

 拡声器の声は既に遠く、呟きのようだ。随分な距離を滑り降りてきたことが分かる。

 いつの間にか彼を追って来る音もかなり少なくなっている。彼を包囲しようとしていたのか、併走するように走っていた人影も消えた。何故かは分からないが、彼は五十人は居たであろうプロフェッショナルな『敵』を置き去りにしようとしていた。

 と、左肩の辺りに熱い何かを感じた。それは快晴の日に虫眼鏡で紙を焼くあの熱のように、最初は僅かに、するとたちまち耐え難い熱さに変化した。僅かに一点、集中してそこだけがきりきりと熱く痛い。

― 痛っ!

(ふせろ!ふせろ!)

 声が切迫して彼を前屈みにさせた。

 同時に彼の耳元をシュッという鋭い風切音と共に何かが通過した。肩の痛みは消えた。ところが、今度は屈んだ右足、大腿部の一点にあの熱く痛い感覚が訪れた。

(ひだり!)

 声に操られるまま左側の草むらへ飛び込む。パシッと言う音と共に、先程まで彼が伏せた杉の根元が抉られ、木片が飛び散った。それはどう考えても銃撃によるものだが、あの黒服の男の頭が吹き飛んだ時のように銃声は全くしなかった。彼にも痛みと銃撃の関連性が分かった。

― 痛くなったら、逃げる・・・

 暫く辺りに静寂が訪れる。しかし、声は彼を休ませはしない。

(そのまま、ふせたまま、くだれ、まず、みぎへ、そしてすぐ、ひだりへ、じぐざぐに、はしれ)

 彼が瞬時に行動に移るのが了承のしるしだ。草むらを飛び出すと直ちに右へ、斜面に並ぶ杉の一本に突き当たれば左に、と狙撃手から身を守る走りに変わっている。

(ひだり・・・・・・ひだり・・・・みぎ、ひだり・・・・・みぎ・・・・・みぎ・・・ひだり・・・)

 声はパターンを伝え、彼はそれに従う。時折、弾丸が空気を切る音がしたが、もう彼には恐怖心は無かった。まるで機械のように精密に声に従う事だけ、それだけに集中した。


 どの位、降りたのか。彼が自分を取り戻したかのように立ち止まったのは、山の斜面から突然、林道に飛び出した所だった。

― ・・・

 声を待ったが、声はなかった。危険は無い、ということだろう、と思う。声への信頼は、もうその位になっていた。

 周囲に音はない。何時頃なのだろうか、山の中、辺りは深い闇に包まれている。空に星が瞬く。雲は無い。夜目に今、下って来た山の稜線が見える。かなり急な斜面を下って来た訳だ。

 彼は、『敵』から逃げ出した場所に明かりが見えないか、と探ったが何処にも見えない。ヘリかなにかで探しては居ないか、とも考えたが、空にはそれらしき影も音も無い。彼一人が、全く別の場所へ放り出されたかのようだ。

― ・・・別の場所?

 ここは、何処なのだろう?彼の住む街から、少なくとも車で1時間以上は離れているはずだ。東京で、こんな暗く音も無い山は、多摩地区でもかなり奥になるはずだ。しかし『敵』は、徒歩で彼を運んでいなかったか?それとも、彼が失神している間にかなりな距離を移動していたのだろうか?

― 考えるのは、後だ。まだ追ってきているはずだから。

 彼は直感で林道を左へ、緩やかに下りとなる方向へと歩き出した。途端、声が警告する。

(ちがう、みちをはずれろ、そのしたの、しゃめんをくだるんだ、みちをいってはいけない)

 瞬時に身体が反応する。彼は林道の路肩からその下、2mほどの段差を飛び降りる。斜面にうまく着地すると、また斜面を下り始める。ふと静寂の中に自分が枯れ枝や下草を踏む音が大きく響いている事が気になった。

― 音を出さない方が、いい?

 答えを当てにしていた訳ではない。思わずそう思っただけだ。ところが答えがあった。

(いまは、おとはきにしなくていい、さきにすすむことのほうがゆうせんする)

 彼は思わず立ち止まったが、あの電撃的な頭の痛みは訪れなかった。代わりに声が促す。

(うごけ。とまってはいけない)

― 奴らが、来るんだね?

(そうだ。やつらがくる)

 彼は、声が反応する事に驚きと同時に安堵していた。一方的に言葉が伝えられることと会話が出来ること、これは大きな違いなのだ。 

 

 速度を上げて森の斜面を下る。不思議だ。先程からあれほどの急激な運動を繰り返しているのにもかかわらず、呼吸は乱れることなく楽に出来ている。この場所が爽やかに快適な気温と湿度のせいか、汗も余りかいていない。蒸し暑い都内に較べて森の中はこんなにも快適なのだろうか?考える余裕の出て来た彼は、次々と謎が沸いてくるのを止められなかった。


 待ち伏せのように彼を拉致した『敵』、しかも彼女を知っているようだった。それと戦った黒い繋ぎの男達。『敵』の『ムトウ』や『大尉』等は『エンジェル』と呼んでいた。目隠しをして運ばれていた。 

 何処をどう進んでいたのだろう? 街中をこんな連中が行けば目立ち過ぎる。それとも、誰もが無視していたのか?そして、あの水に入ったかのような感触とこの場所。彼は普段腕時計をしないので時間が分からないが、この場所へ辿り着いたのにはそんなに時間が掛かったように思えない。 

 更に、あの声。アニメやSFの世界にある精神感応とかテレパシーのようなものなのか?それとも、余りの異常な体験で、精神異常を来たしているのか?そういえば、させられ体験、とかいうものを聞いた事がある。大学の講義で、教授が脱線して、精神科の医師の話をしていた。何かの声に操られるかのように身体が勝手に動いてしまう、そんな病気があるという。そう、よく精神に異常を来たした人間は「電波が来る」とか言わなかったか?では、これは精神異常の前兆なのか?あの男達も自分が作り出した幻影なのか?そしてあの声も・・・

(いいえ、あなたはせいしんいじょうではない)

 彼は驚いて思わず聞き返した。

「じゃあ、お前は誰なんだ?」

 彼の心を読んでいるその『声』に驚くよりも、疑問の方が先に出たのだ。彼は、声に出している事にすら気付かなかった。

(・・・わたしのことは、らみえる、とよんでください)

 突然の敬語に違和感を覚えたが、ラミエル、という言葉に聞き覚えがあった彼は暫く考え、『敵』が言っていたエンジェルからの連想で聖書か何かの天使のことだ、と思い出した。

― あなたは、エンジェルなのか?

(・・・そうです)

― ラミエルというのは黙示、神の意思を伝える者、とか何かだったと思うけど?

(よくごぞんじで。ですが、あくまで、こーどじょうのことなので)

― コード?コードネーム?

(そういうことです)

 声には抑え切れないかのような感情が溢れ、彼にはそこに温かみを感じた。勇気を得た彼は質問を続けた。

― ラミエル、あなたはアイを知っている?

 しかし、声は突如、感情を消し去った。

(いまは、ここまで。きをそらせてはいけない)

 声は再び怜悧なものに変わった。彼も走り下りながら、それ以上追求するのはとにかく逃げ切ってからだ、と諦めていた。


 逃走も既に単調な手順ルーチンと化していた。彼が慣れて来たせいもあり、ラミエルも言葉が少なくなっている。こうなってくると、再び様々な想いが込み上げてくるのだが、彼は意識してそれを押さえ込んでいた。考えれば考えるほど疑問や不審はいや増すばかりで、今は何一つ答えるつもりはないラミエルしか相手が居ないのでは、色々と思い悩むのも無駄、と言うことだった。


― ラミエル、山が終わるよ?

 斜面は明らかに緩やかになっていて、あの林道から先、何本か横切った林道も先程横切った道は既に『林道』とは呼べない単なる道路になっている。そして一番の違いは、木立の間から外灯や建物の輪郭が見え隠れし始めた事だ。

― ラミエル?

 杉を中心とした針葉樹林から広葉樹の雑木林へと変わった風景の中、百メートルほど先に民家が数件見えた所で、彼は歩みを止める。しかし、あの痛みはおろかラミエルの『声』もない。

― どうすれば?

 しかし、二度とラミエルが答える事がなかった。彼は、ゆっくりと辺りを見回した。空は星空、山はもう直ぐそこでお終いとなる。何処へ行けばよいのか、何をすればいいのか。

 静まり返った深夜、一体ここが何処なのか、彼を追う者達も彼を守ろうとした者達も、何もかもが謎のまま彼はたった一人で取り残されてしまった。


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