表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/41

エピローグ

「あちらへ渡って頂きたいのです。」


「え? 行っても良いの?」


「今回は、貴女が向こうへ渡る訓練も兼ねます。安全は確保しますから是非に」

 弟の方の竹崎が、相変わらず眼光鋭く私を見ながらそう言った。本当言うと、私は彼の事が嫌いだ。今は『エンジェル掃討』作戦指揮のため軍に出向して大佐と呼ばれている。ただ、彼は職業軍人ではないからと、階級で呼ばれる事を嫌がっているらしい。この点は彼の清廉実直さを示しているようで、私もそれは認めない訳にはいかない。

 もう一人の竹崎、兄の方はあのトレードマークとなっているもじゃもじゃ頭に、消えた試しのない笑顔で、プリンス選びの予行演習なので、とかなんとかご高説を述べている。けれど、私は適当に相槌を打つだけで、いつものように半分も聞いていなかった。今回主役は弟だから私はお休みだね、と笑う。

 この男はこんなしおらしいことを言っても、何かしら得体の知れない事を考えていたりするから、気味が悪い。だから私は弟よりも嫌いだった。今回、あちらへの隠密行動には、常日頃、私の近くに居る兄が同行しないことが本当だ、と知った時、私は何か軽く浮き立つような感じがした。


 数日後、20人ほどの部隊を引き連れて竹崎『大佐』とあちらへ渡った。

 渡す事自体は大したことでなく、あちらのどこに『開く』かを座標と衛星写真を使って、その地点を示して貰い、頭にその画像イメージを思い浮かべる。心に、― こちらからあちらへ、と念じる。少し意識が揺らぐ瞬間があって、後は勝手に目の前に入口が開き始める。今回は自分も渡るので、目の前に入り口を開くから、入り口の想像もしなくていいのは助かる。

 斥候役の兵士が中に入り、そのままで5分、一旦ゲートが消失する。護衛役と連絡役を兼ねた今の私と同年代の女大尉が、先に渡った斥候にアクセスして安全を確認する。そして私は続けてゲートを開き、残り全員と共に向こうへと抜けて行く。

 抜けた先は、大きな屋敷の大広間。写真では感じなかったが実際はかなり古い屋敷で、この広間もかなり大きい。

「ここにいて下さい。大尉を護衛に残します。周囲にもオカザキ少佐の隊が警戒していますからご安心を」

 竹崎弟はそう言い残すと、直卒のカガ中尉の隊を引きつれ屋敷を出ていった。

 私はこちらの街の様子や、こちらの人間を見る事が出来るとばかり思っていたのでがっかりだった。広い屋敷に無表情の女大尉と2人きり、このまま昼までどうやって過ごせというのだろう?

 最初の10分はおとなしくメインダイニングの隣、喫茶室の柔らかなレザーソファーに座っていたけれど、直ぐに飽きてしまい、入り口に立ったままの大尉に頼み、私はぶらぶらと屋敷の中をうろついて探険を始めた。

 この建物も今夜、焼いてしまうらしい。勿体ないが、このような場所は色々な所にいくらでも用意してあるという。無くなってしまう前にちょっと観ておこう、そう思った。


 二階の端、廊下の突き当たりから始めて、各部屋を覗いていった。どの部屋も最近使われた形跡がなく、家具類には白い布カバーが掛けられていた。どれも今ではアンチークと呼ばれる物で、私は井上卿におねだりして陰からこっそり観せてもらった鹿鳴館の大舞踏室を思い出した。主人の書斎にあるマホガニーデスクなどは私より年上に見えた。


 そして一階のダイニングの隣、細い裏廊下の向かいにあった食材庫で彼を見つけたのだ。


 隣のリネン庫を開け、倉庫か、と言ってすぐに閉め、次の部屋を開けようとした瞬間、

「待って!」

 今まで黙っていた大尉が手を伸ばして私を止めた。

「何?どうしたの?」

 大尉はびっくりした私を、しぃ!、と言いながら指一本立てて黙らせると、手品のようにピストルを出し、私を下がらせる。私が十分下がったことを確認すると彼女は一瞬の間を置いて、さっと音も立てずにドアを開けて中に滑りこむ。私がどきどきしながら見ていると、やがて、ひっ、と叫びを押し殺した声が聞こえ、すぐに大尉が前に子供を抱えて出てくる。

「何?誰、その子」

 しかし大尉は首を振り、その子を降ろすと目線の高さにまで膝を折る。

「どうしたの?どこから入って来たのかな?」

 大尉はびっくりするほど優しくその4、5歳の男の子に声を掛ける。私が、無口で少し怖い感じもするのにこの大尉のことが好きなのは、こういった弱者に優しい所のせいだ。

 すると男の子は少し震えながらもしっかりした声で、

「ごめんなさい、いつもいないから、遊んでたの」

 大尉は益々優しい声で、

「人がいなくても、他の人のお家に黙って入ったら、だめよ。どろぼうと間違われるからね」

「うん、わかった」

「そう、いい子ね、もうしてはだめよ」

「はぁい」

 その屈託のない笑顔がとても可愛らしく、私はその子と話をして見たくなった。大尉が、

「ご心配なく、彼の記憶は消しますから。数ヶ月後に思い出すことがあるかも知れませんが、子供のこと、誰も信じませんからね」

 大尉は、我が国きってのサイキッカー。記憶操作はお手の物だった。

「ちょっと待って?そうする前にこの子とお話してもいい?」

「それはどうでしょうか?多分大佐がお許しにならないと」

「そこをお願い。罪のない子と話をしても、罰は当たらないでしょ?・・・お願い、竹崎には私が謝るし、ね?」

 私は大尉を上目使いに見て媚る。すると大尉は表情を緩め、

「しかたないですね。10分だけ、過ぎたら記憶を消しますからね」

 その後、人懐こい男の子を喫茶室へ連れて行って話をした。他愛のない話をした。彼の通う幼稚園の事、家の周りの事、飼っている柴犬の事、母親の事。幸せそうな世界が垣間見えた。

 私には家族がない。母親の記憶などない。生まれてすぐに引き離され、二度と会うこともなかったし、どうせもう、270年近くも前の話だ。あの頃の事など殆ど忘れてしまっている。

 とはいっても、純粋に家族や家の話を聞くのは楽しく、男の子の幸せそうな様子は、とても羨ましく思えた。男の子は、

「どこから来たの」

 と聞くので、

「あっちからよ」

 と答える。

「なにしてるの?」

「一緒にね、帰る人たちを待っているのよ」

 そこで、

「時間切れです」

 との無情な声。

「分かったから、大尉」

 ふと思い付いて、

「大尉、もう一つお願い。許せる範囲で、この子にこの屋敷の記憶を残して」

「どうしてそんな事を?」

「ここは彼の遊び場だったみたいだから、ここでの記憶を無くしたらこの子、ここで覚えたこと全部忘れてしまうわ。そうなったら記憶の欠如どころではなくなるんじゃなくて?」

「・・・じゃあこうしましょう、偽の記憶を替わりに入れます。それまでの記憶はここでの記憶ではないようにして。全部は無理ですが、すり替えは簡単でしょう。まだ彼は若いから様々な記憶の断片を入れて、夢の中の様にして置きます」

「じゃあ?」

「はい、今から」

 そう言うと彼女は彼の方を見る。男の子は直後、そわそわし始め、やがて眠くなったのか、首を2、3回こっくりさせると、そのまま寝てしまう。大尉は身動きもせずに3分ほど、そのまま子供を見つめていたが、おもむろに眠ってしまった子供を横抱きにして、

「終わりました。外へ置いて来ます」

「大丈夫?」

「この先200メートルに草地があります。外は少佐が固めていますから、様子を見ていて貰いましょう」

「ありがとう、風邪引かせない様に、温かくしてあげて、ルシファー」

「了解です、アイ様。大丈夫、10分ほどで目が覚めてひとりで家に帰りますよ」


 私は、黒無地のアノラックにくるんだ子供を抱いて庭を横切って行く大尉を、二階のベランダから見ていた。

 立ち枯れの木立は、落ち葉の絨毯が薄い日差しに鈍く光っていて、いかにも寂し気だった。足早に歩いて行く大尉の姿は、その立ち木越しに見えるイングリッシュガーデンへと入って行く。

 天使の彫像スタチューが並んでいる小道を、堕天使の名を持つ大尉が、眠った子供を抱いて歩いて行く。アイロニーに少し笑った。生垣シュラブで囲われ、直ぐ外に小川が見え隠れする所に見えるパーゴラが庭の出口、その外もまだ敷地だそうで、大尉が言っていた草地まで針葉樹の雑木林が続く。


 私の、ほぼ40年振りの『あちらの世界』の訪問は、この男の子と会った事だけが楽しいエピソードになりそうだ。


 その時、冷たく強い風が一吹き、落ち葉が舞い上がり、紙吹雪の様に枯れ木の間を舞った。それに気を取られていたので、ふと見ると、いつの間にか大尉はパーゴラを潜ってしまったようで、姿が見えない。


 静かな庭には全く動く物が見えず、大尉はどこか別の世界へ消えてしまったかの様だった。


 ― 終


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ