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第17章(4)〜十四夜の月

 日が落ちる前に帰って来たサリーやプリンスたちは、直ぐに麗夜たちに紹介され、サリーなどは、アイとはまた別の存在感を示す美しい麗夜にすっかり参ってしまった様子だった。

 その後の晩餐は友好的に推移した。アイと麗夜は並んで上座に座り、楽しげに会話を続けた。プリンスは謝と名乗っただけで一言も口を聞かない男と、呂と名乗りその隣に座った竹崎教授と熱心に話をしていて、彼の方には振り向きもしない男に挟まれ、黙って箸を弄んでいた。竹崎と呂の話は、漏れ聞こえる内容からすると日本の平安時代、公家の話のようだが、彼にとっては趣味人同士の会話を隣で聞いているようなものだった。幸い料理は、あのサンドイッチで証明済みの素晴らしい出来で、特にフカヒレは息を呑むほどの美味しさだったが、食べる楽しみも、彼の今の心境では半減と言った所だ。

 他のエンジェルたちは下座で、この一年ほどアイと共に行動して、この国と彼らとの連絡役をしていた光蓮と、当たり障りの無い会話をしている。

「ウェン。少し太った?」

サリーが明け透けにものを言う。

「こら」

 ラグが嗜めるが言われた本人が笑って、

「そうよ。この一年、あまり外に出る機会が無かったし、一応大使館のジムで汗流してはいたんだけれど、ね」

「大変だったね、ご苦労様でした」

 と、これはラミィ。

「いいえ。アイは全く我儘を言う人じゃないから、お世話はとっても楽だったわ」

 そして、笑い含みに声を落として、隣に座るラミィに、

「ウチのご主人様は、それはすごい我儘だからね。一年間アイにお付しなさい、と言われた時は喜んだわよ」

 光蓮は20歳前後に見える。 身長は150センチに満たない小柄な体型だが、顔付きは目鼻立ちがはっきりとした美人。明るく笑顔が絶えず、今は地味な濃灰色のスーツを着ていたが、正に名前の通り、どんな格好をしていても目を引く女性だった。

「そうね、確かにウチのアイ様は優しいし素敵だけど、麗夜様もすごい美人だし、お優しそうじゃない?」

 反対隣のサリーが言うと、光蓮は細い眉を上げて、更に小さな声で、

「見かけで判断すると痛い目に遭う。それは私たちサイが一番良く知っている事じゃなくて?サリー?」

「そうだけど、覗くのは、失礼だし・・・」

(覗いたら許さないわよ、サリー)

 黙っていたルシェが、思考会話で釘を刺す。光蓮はそれを知ってか知らずか、

「まあ、そうは言ってもあの人たちは、我儘で構わないから私は気にしないけど」

 そして続きは思考会話で続ける。

(ご主人様の立場は決して幸せなものではないから。籠の鳥。ウチのご主人様は自身の事をいつもそう呼ぶの)

 彼女の笑みが消えている。

 光蓮はサリーたちと同じ境遇で生まれた。各国が極秘に研究を進める能力開発。その中でも軍事利用は最優先で進んでいる。その最前線に彼女もいた。

 元々彼女は能力があった。それを手探り状態からスタートした能力開発計画により育てられ、能力は強力なものとなり、過酷な訓練の末に実戦化されたのだった。

 開発された能力者が真っ先に活用されたのは、リヴァイアサンと組み合わせての『世界往還』時、通信中継としての役割。光蓮は最初に使われた一人だ。しかも驚いた事に彼女はリバースしたのだった。

 能力者のリバーサーは世界的に見ても只3人。いや、その内の1人は『ロストクのエピソード』により能力開花した者なので、厳密には2人だけとなる。リバーサーの利点が能力と合致した場合の相乗効果を彼女の国は喜び、彼女は能力者の隠れた明星スターとなった。彼女は、能力開発が完了し人心操作に長けた者と共に、世界へと出て行った。その後はルシェやラミィ、あのミカエルと同じような経験をして来た。 

 幸いにも能力者同士の戦いはまだ例が少ない。これは能力者がお互いの存在を感じると、互いに身を引くからだ、といわれている。どの国もまだその時期ではない、と考えていて、相手側に能力者がいる場合は後退させる事が暗黙の了解となっている。

 今回、同国内での同士討ちの様相となったプリンスの奪回で、光蓮の国が注目し、パンドラと呼ばれる新兵器を与えるなど、エンジェルを影から応援したのはこの能力戦のシミュレーションが、自らは傷つくことなく行えるからだったのだろう。

 元々、この国に接近したのは少年准将、竹崎弟の方だった。彼がエンジェルの支援者として有効な国として真っ先に考え、接触し、アイの隠匿場所を提供して貰った。光蓮は麗夜付きの能力者としての長い経験、そして若い頃、あちらの日本に外交官として滞在し諜報戦に従事し、日本語も通訳出来るほど操れる事からアイに付くこととなり、エンジェルとの付き合いが始まったのだった。

(正直、あなたたちが羨ましいわ。私はあなたたちの様には行動出来ない。ご主人様もきっとそうね。少なくとも、私はあなたたちと違ってご主人様の最期を看取ることはないし、プリンスを見る事もないから・・・ごめんなさい、何を言いたいのか自分でも分からないわ)

「でも、これ美味しいね、本当に。ずっとこんなの食べて行けるのかなぁ?やだなぁ。太っちゃうなぁ」

 サリーが突然のんきな事を言う。

「だから太らせないから、大丈夫よ」

 ラグが合わせる。

「いいわね。ウチの料理人も上手だけど、これほどじゃないから・・・」(ありがとう)

 光蓮は笑顔の裏で、この反逆者のサイたちに感謝した。


 アイにとって、時間はあっという間に過ぎた感じがした。

 謝から時間と言われ頷いた麗夜は立ち上がりアイと向き合うと、彼女を抱き寄せる。そして何事か耳元に囁いた。身体を離すと改めて握手をし、エンジェルたちに向き直ると、

「皆さん、無理をしてはいけませんよ。焦らず事に当ってください。そしてアイとプリンスをお願いしますね」

 一同深々と頭を下げる。麗夜はにっこりと笑うと謝と呂、そして涙目の光蓮を従え部屋を出て行った。



「ちゃんと避妊するのよ」

 晩餐の終り、別れ際に麗夜がアイを抱きしめた時、彼女が耳元へ囁いたのはそんな言葉だった。笑い含みに囁かれ、軽いジョークの様にも聞こえるが、それはアイが抱える数多い問題のひとつを、麗夜が的確に示したものだ。 

 その事を考えなかった訳ではない。これまで、偶さかの交情では同じ世界の男が相手なので子供が出来ることはなく、プリンス相手の時は正に妊娠するためだった。だから、避妊を考えた事は無かったが、そんな手段の話を麗夜は言ったのではない。アイが子供を産むことは波乱の元だ、と指摘したのだ。 

 無論アイの子供はリヴァイアサンとなる。過去2人以上子を設けたリヴァイアサンがいなかった訳ではない。しかしそれは、不幸にして一人目が幼くして死んだり、政争により強要されたり、といったケースばかりで、なかには独裁者が複数のリヴァイアサンによるゲート操作を目論み3人産ませたが、独裁者の死により1人を除き全員殺された、などという悲劇も起きている。

 とにかく『定数外』のリヴァイアサンは波乱でしかない。第一、その子自身が可哀想だ。そんなことはアイも望みはしなかった。 

 彼女はレイと生き別れ、本当に独りになった。レイのことはもう手の届かない、死別と同じこと、アイはそう思っている。納得はしていないが、もうこれ以上、望む事は出来ない、と諦めた。だから、彼女にはもうプリンスしか居ない。

 プリンスとアイは既に同じ運命の下にあるのだが、それを知った時、彼は彼女と一緒に運命を共に歩むのか、それとも独り去って行こうとするか。それはこれから解るだろう。 


 アイは、2人の竹崎に頭を下げ、無言で晩餐の行なわれた迎賓室を出る。竹崎は2人ともこれからアイがプリンスに告白することを聞いている。自分から伝える、とアイがきっぱり言ったので、少年准将は何も言わずに頷いた。 

 エンジェルたち、特に能力者たちも知っていた。 

― 頑張れ、アイ。 

 ルシェは後姿を見つめながら思わずそう思っていた。 


 アイが1人部屋を出て行くのをプリンスは目で追っていた。

 こちらの日本での再会以降、VIP輸送機上で手を取り合って以外、この施設に来て既に2日半、声を掛けることもなく、すれ違っている。こちらに来れば、なんとなく夫婦の様な待遇をされるのか、と想像していたが全くそういうこともなく、彼は1人、客人の中の客人だった。

 勿論、居室も別で、彼は一流ホテルのセミスイート並みの個室、この施設でもかなり良い部屋と言えるのかもしれないが、アイとは全く別の方向だった。この状況の説明らしい説明は無く、先程、午後の散策でエンジェルたちと交流したのがグリックに拉致されて以来、本当に久々の他人との友好的な交流だった。 

 晩餐は終り、賓客は帰途に着いた。あれはあちらの世界の人間、そしてここに居る人間たちも1人を除いて全てあちらの人間、その1人もあちらの人間と付き合いは深く、しかもあちらの世界とは言え『弟』まで居る。それに責任は全く無いものの、彼を拉致し洗脳まがいの事までした男の『鏡の中』、裏と表の様な存在である。実際、最初に教授を見た時、彼は思わず後退りしてしまったほどで、理由を教えられるまで再び騙されたのか、と思ったほど。 

 そんな中、あの松林で白い地獄との相似を感じたのと同じく、再び彼は異邦人の疎外感を味わっていた。アイが去ったのを合図に、皆が席を立ち、部屋を出て行く。昨日の夕食時は移動の疲れで一日休養していたとはいえ、元気なサリーとアッジが色々話をしてくれたので、彼は今夜もそんな事になるのではないか、と考えていたが、2人を含めエンジェルたちは彼の方を一瞥もせず、さっさと出て行ってしまう。

 彼は落胆した気分で、何か話し込んでいるカマエルと2人の竹崎を置いて、1人席を立ち部屋を出る。自分の部屋へ行き、晩餐のために用意され着込んでいたタキシードを脱ぎ、シャワーに直行する。暫くぬるいシャワーを浴び汗を流すと、部屋着として用意されていた綿のシャツと麻のスラックスを着る。そして手摺の付いた窓際に寄り、外を眺めた。 

 十四夜の月が昇り、蒼白い光に浮かび上がる松林は昼とはまた別の顔を見せる。そんな松林を眺めていると、カラン、とグラスに浮かぶ氷が立てた音が間近からする。音の方を見ると、10メートルほど向こう、緩やかにカーブを描く建物に沿って造られたベランダに人影が見えた。 

 手摺に凭れ、月を見ている風に見上げた顔はアイだった。手には大きめのカットグラスが握られている。ベランダは彼のスイートのもう一部屋、ベッドルームのものだった。 

 彼は暫く彼女の横顔を見続ける。それは彼がほぼ6年に渡って繰り返し夢想して来た、あのバイトでの制服姿の彼女ではない。あの顔は永遠に去ってしまった。あそこに見えるのは6年経った顔、そして6歳若い顔だ。 

「見つめられるのは、きらいじゃないけれど―」

 突然彼女は月を見たまま話し始める。

「そんなに見とれる顔でもないんじゃないかしら。麗夜や光蓮、サリーに較べたら、私、とっても平凡な顔よ」

 クスクス笑い声が漏れる。しかし彼は黙ってその横顔を見つめていた。

「いやあね、何か付いてるの?アツシ」

 すると彼もフッと表情を緩めて苦笑し、

「変ったからね、アイ、6年も経つと。それも若くなっているからね」

「お気に召さない?」

「ううん、綺麗だよ、想像していたより、ずっと」

「そう・・・ありがと」

 そしてアイは彼の方に向き直る。月の蒼い光が、身に着けた白い薄物の夜着を浮かび上がらせ、彼女の顔を陰影の深いものとする。

「ごめんなさい、勝手にあなたのお部屋に入って」

「ううん、ぜんぜん構わないよ」

「こちらにいらっしゃらない?窓越しにお話っていうのも、ね」

「僕は好きだよ、ロミオとジュリエットみたいだ」

「あら、ロミオはジュリエットの部屋に入るためにベランダによじ登ったのよ?」

 2人は笑う。

「じゃあ、ロミオが今、そちらに行くよ」


 彼女は待っていた。ベランダから奥のベッドルームの入口をじっと見つめ、両手を胸の前に組み合わせ、月の光が後光の様に降り注ぎ、白いシルクの夜着がその姿態を浮かび上がらせ、ドアが開くのを待ち焦がれ・・・

 そしてドアが開く。四角い光の中、身軽な部屋着を着た彼女の『男』がシルエットとなっている。

 顔は影でよく分からない。それは彼から見た彼女もそうだった。

 お互いそこにどんな表情が浮かんでいるのか、解らない。そこに浮かぶのは不審か憤りか、そういうものだったらどうしよう。2人とも不安に駆られていたが、それは杞憂というもの。 

 彼女が一歩二歩と部屋に入り、彼も部屋に入る。部屋のナイトランプが2人の顔を浮かび上がらせ、2人は同時に同じ顔を、長い不在の後の再会の喜びに泣き笑いとなったお互いの顔を見る。

 クスクス、と彼女が笑い出し、彼もフッフフ、と笑いを押さえ切れない。

 そして彼は後ろ手にベッドルームのドアを閉め、彼女も後ろ手にベランダの窓を閉めた。


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