第17章(2)〜リヴァイアサン・麗夜(リィイェ)
保養施設は単に『離宮』と呼ばれていた。元々は内戦勝利の翌年、この土地にあった地方軍閥の別荘で当時は放置されていた建物を、中央政府高官が保養のため、あるいは秘密の会談や会議を行なうために接収改装したのが始まりという。
エンジェルたちは一面に広がる松林の広大さやこの施設自体の大きさ、立派さに感嘆していたが、実はここは付近の松林を入れても、政府の管理地区全体の面積の四分の一に過ぎない。高官や本当の国賓がお忍びで使う施設があるのは更に30キロほど離れた山地、ここからは望むことも出来なかった。
余談だが警備担当はこの施設を『パレス・ツー』30キロ離れた施設を『パレス・ワン』と呼んでいる。このことを知り得意気にアイへご注進に及んだサリー。アイからは彼女としては珍しいしかめ面とルシェからはアクセスにより『拳骨』を貰った。
そんな彼女たちが滞在する離宮に黒いリムジンの車列が着いたのは、陽がようやく西へと下がり始めた午後三時、ちょうどサリーやプリンスたちが東屋で遅い昼食を取っている頃だった。少年准将が彼らのハイキングを即座に許したのもこれが原因、少年准将にとってこの訪問者の件は最重要、厳粛で波風のない表敬にしたかったのだ。
車列は離宮の正面玄関へと着き、最初はボディガードたち、夏でも上着を脱げないダークスーツの男たちが飛び出す。歓迎側の離宮からも黒服の男たちが出て、共同で周囲を警戒した。やがて安全が確認された事が伝えられると、玄関に横付けした3台目のリムジンから4人の人物が降りる。その、男女2人づつは取り囲む黒服に守られ、建物へと入っていった。
広い玄関ホールには、借り物ながら見事な制服姿の3名の男と1名の女、スーツ姿の男2名と同じく白いスーツ姿の女1名が待っていた。
「やっと会えましたね、アイ」
入って来るなり鮮やかなエンジ色のワンピース姿、年の頃30代初めの女が、にこやかに迎える側、真ん中に立つ若い女に近寄る。女はこの国の言葉を話したため、空かさず女に付き添っていた地味なスーツ姿の女が前に出て通訳する。
「こちらこそ、お会いしたかった、麗夜。私たちにして頂いたご好意、一同感謝しております」
すると麗夜・リィイェと呼ばれたエンジのワンピースの女が、
「お隣ですから。お助けして当然ですわ。でも・・・」
と含み笑いをすると、
「貴女の生国は貴女を認めておられないようだけれど」
白いスーツの女、アイは目を伏せ、
「私は引退した身。国からは反逆とも言われています。それでもお助け頂いた。本当に感謝します」
「まあ、そうしょんぼりなされなくても、いいわ。貴女は希代の御長命。年上は敬って当然。それに貴女にはご立派な味方もいらっしゃる」
と、年格好からすればスーツ姿は滑稽に見えるものの、かといって軍服も嫌いなので仕方なしスーツ着用に及んだ少年准将に向かって、
「お手並みお見事でした。私もそうですが、私共の将軍が賛辞をお伝え下さい、と言っておりましてよ」
「ありがとうございます、麗夜。ところで、立ったままお話も何です。あちらに部屋が用意してありますから、みなさんどうぞあちらへ」
「これは不調法で失礼致しました。案内願えますか? 」
ということで一同ぞろぞろと広い廊下を移動する。20名は下らない護衛の黒服も付いてくるのでいつもは閑静な施設の廊下が、ラッシュ時の通勤電車並みになった。
玄関ホールから廊下を20メートルほど行ったところにある応接室。施設の性格に合わせ、この部屋も大きく、20人ほどがダンスパーティを開けるほどの大きさがあった。分厚く、大きく長いテーブルを囲んで、白い背凭れカバーが付けられた個掛けのソファが20余り、ドアの反対側には中庭を望む窓があり、そこから日差しに輝く見事な竹林が見える。左側の壁には内戦時の有名なエピソードを描いた絵画が飾られ、それを眺めるかのように反対側の右壁には、現在の最高指導者の肖像が飾られていた。
テーブルを挟んで向き合った人々はお互いの紹介を始め、知った顔も知らない顔も一様ににこやかに握手を交わした。
エンジェル側の出席者は、アイ、少年准将、竹崎教授に、カマエル、バディ、マティ、そしてルシェ。
相手側は、麗夜、通訳の女、竹崎と同じような年頃の男性、そして30代の体格の良い黒服の男性。
「そちらのボディガードの方々、まだお怪我が治っていないのでしょう? 無理なされなくてもよろしいのですよ」
麗夜が軍服の前ボタンを外しコルセットがその下に覗くマティや、手指の包帯と軽く足を引き摺るバディを気遣った。
「お気遣いありがとうございます。ですが見た目ほど痛みませんし、生活には差し支えありませんので大丈夫ですよ」
バディが代表して答える。通訳されるのを聞いた麗夜は、
「それは軽症でよろしかったですね。皆さんが私とアイとが開いたゲートを使って見事に任務を果たされた事、改めて慶賀いたします」
「ありがとうございます」
と、これはカマエル。
「ところで、よろしいかな?」
今まで黙っていた竹崎と同年代の初老の男、紹介では『科学技術研究処』の呂と名乗った男が切り出す。
「『パンドラ』について、後で正式に報告して頂きますが、詳細が分かれば、ここで簡略で仰って頂けたら助かります」
流暢な日本語だった。准将が目で促すと、ルシェが答える。
「呂先生からお預かりしたパンドラ2基は、私が使用致しました。1基は潜入直後から使い、もう1基は接触起動としてサポートに使いました。同時に頂いた『耳栓』を使用しましたが、私のサイキック使用に関しては殆ど影響は受けませんでした。ひとつだけ、耳栓のサイズはフリーでしたので、私には少し大き過ぎました。カスタマイズされたオリジナルがあれば、もっと楽に使用出来るかと考えました。重さの方は殆ど感じませんでした。パンドラ2基の相乗効果ですが、使用した状況が違いましたので比較は出来ません。また、2基目がどういう状況で起動したのか、またいつから起動していたのかが分かりませんから、効果の違いが見えませんでした。ただ、一つ言えるのはあのミカエルをして目の前の私が『見え』ませんでしたので、完璧に機能した事は確かです。後、最後に謝らなくてはなりません。2基とも安全装置をタイマー起動させましたので自己燃焼してしまったと思われ、回収不能となったことをお詫び致します」
呂はにっこりとすると、
「いや、いいですよ。そのための安全装置ですからね。効果が充分に認められた事で満足していますよ、危険な中、信用して使って頂き感謝します」
准将は呂に対し、頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、パンドラのお陰で作戦がスムーズでした。お礼申し上げます」
「パンドラは人が無意識に望む理想を見せます。その人間が望まないものは見せないし、見えたとしても好ましいものへ変質させます。嫌なものでも直視しようとするストイックな人間や、全てを疑う類の者には通用しない。使う場所と時期を間違わなければ大変な武器となるはずです。まあ、サイの方々には申し訳ありませんがね」
少年准将は呂の言葉に相槌を打つ。
「私たちが今後、何をして行くのかに因ってはまた呂先生のお知恵をお借りしなくてはならないでしょうね。これからもご指導よろしくお願いします」
少年准将は呂に向って深々と頭を下げる。
「そのことですが・・・」
すると麗夜があいまいな笑いを浮かべ、少々言い辛そうにする。
少年准将は込み上げてきた胸騒ぎを表情に浮かぶ前に押さえた。我々は彼らの手の内、考え次第でどうにでも扱いが変わるだろう、そう思っていた。
所詮彼らもプリンス奪回作戦後、一時的な避難場所を提供した海の果ての大国と一緒、エンジェルの能力とアイの特技だけに関心があるのだ。見返りの要求に応えるには、今まで以上の綱渡りを演じなくてはならないだろう。
少年准将はこの一年、世界中――それは何もこちら、だけではない、あらゆる意味での世界中を飛び回り、策を労して約束を取り付け、お互いの利害の損得勘定を計算し続けるような危なげな関係の中から、今のようなあらゆる支援を勝ち取った。
こうした綱渡りのような一種の外交は、何時どこから破綻するか予測など出来はしない。 彼はそれが今、目の前で起きるのか、と思って緊張した。すると・・・
「プッ!」
なんと相手側通訳の女が吹き出した。
「これ、光蓮、はしたなくてよ?」
麗夜が嗜めたが無論これは通訳されなかった。
「すみません、つい」
とこれは麗夜に謝り、少年准将にはぺこりと頭を下げて、
「ごめんなさい、私、思わず将軍の頭の中『見て』しまいました。緊張されているのは当然ですね、不謹慎でした、許してください」
「あ、コホン」
少年准将は咳払いすると、作り笑いで、構いませんよ、と言う。麗夜も、ごめんなさい、と言うと、
「それで、この先のことで少々困ったことが二つあるんです。一つは、私。今回お手伝いするに当たって私、貴方たちの国に渡りました。最初はこちらの世界でお手伝いする予定でしたけど、秘密が守られるか不安がありましたから、あちらの世界の大使館へ行く事にしたのです。実際あそこにいたのは半日位でしたが、実は私、お偉いさんの許可を得ずに行ってしまいました。最初許可が出た条件は、こちらの世界、しかも私の国からのお手伝いだったでしょ?とても許してくれそうにないから。あちらでは私たちの国はお互い、余りよい関係ではありませんものね。お陰でちょっと騒ぎとなりまして、こちらのお目付け役の謝なんか軍法会議とかなんとか怒られてしまって、もし本当にそんなことをしたら、アイ見たいに飛び出してやる、と脅かしてやっとやめさせた位でした。結局、むこうの国へ行かなければお手伝いは出来なかったし、結果はよかったからお目玉で済みましたけど、今後、一切あなた方に関わるな、と言われてしまいました。もし背いたりすれば今度こそ謝がクビになってしまいますから、残念ですがお力をお貸しするのはあれが最後です」
「了解しました、ご迷惑をかけてすみません」
少年准将が頭を下げると、
「いいえ、あなた方はもう十分に謝罪してらっしゃるから、どうか、頭を上げてください。そしてもう一つの『困った事』なんですが、その、今の話と相反するような話で、言い辛いのですが・・・」
「どうか仰ってください」
「そう?では言いますが、我が国の、と、これは『こちらの』国ですが、あなた方に非常に興味を持ちまして、サイについて調べたい、と言って来たそうです。もしくは、ちょっとしたお仕事をお願いしたい、と」
麗夜は言葉を切ると少年准将とアイの顔を交互に眺める。すると、少年准将は、
「それは『あちらの』貴国も黙認される、ということですか?」
しかし、その問いは深い沈黙に迎えられた。当然だろう。この部屋の会話は記録されている。
「では、その要請は二つともお断わりするしかない。たとえここを追い出されても」
「もし、そうなったら?」
麗夜の問いに少年准将は、
「そうなれば我々は、我々のような人間でも隅に置いて良い、と考える国を探すしかありませんね。幸いそう言ってくださる国がないわけではありませんので」
「タケサキ」
黙っていたアイが少年准将に声を掛ける。
「それは、言い過ぎですよ」
「これは失礼」
しかし、謝りはしたが、何故か少年准将は鋭い目付きで、先程来、自分のことが話題になっても全く表情を変えない黒服の男、謝の方を見ていた。
「麗夜」
とこれはアイ。
「出来る事は何でも致しますが、やはり、平和秩序を乱す原因となるような事は致しかねます。それとなく、そちらからも言って頂けましたら」
すると麗夜はやんわりと笑って、
「当然ですわ。そう伝えましょう。それに、だからといって追い出したら私が承知しませんよ、とも伝えますよ」
「ありがとう」
そして麗夜は立ち上がる。
「さあて、堅いお話はこのくらいにしましょうよ、私は今夜半にはあちらに還らなくてはなりません。プライベートなお話も、それぞれしたいでしょ?」
「そうですね、では、その辺を歩きながらはどうでしょう?陽も西に傾きました。少しは暑さも和らいだでしょうし、ここの松林は見事ですよ」
「いいわね、そうしましょう」
「皆さんは夕食をお取りになれないほど、お急ぎですか?」
麗夜は、今度は声を上げて笑った。
「ここの料理長は凄腕だそうなの。私、実は貴女がそう言って下さるのを待っていたところ」