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第16章(2)〜プリンスの目覚め

 格納庫からカマボコ兵舎までは昨夜とは違い、副官の中佐自らが運転するごく普通に見える乗用車で移動した。彼らは終始無言だったが中佐も心得たもので、まるで一人で運転するかのように後部座席に視線を送ることすらしなかった。

 無口なドライブは7分間続き、例によって完全武装の兵士によって守られたカマボコ兵舎前に着くと、初老の男が思わず突いた溜息が大げさに聞こえた位だった。中佐が先に降り立つ。兵舎前にいた兵士が素早く近寄ると車のドアを開けた。最初に少年が降り続けて女、初老の男の順に車外に出ると突然大声で号令が掛かり、いつの間にか兵舎前に整列した十数人の兵士が見事な捧げ筒をする。兵舎入り口には先程の副官ともう一人、警備責任者と思しき戦闘服姿の士官が直立不動で敬礼を送る。3名の反応は様々で、初老の男は興味津々と言った感じで笑みを浮かべ、少年は露骨に嫌な顔をし応えるものかと腕を組む。

「表敬の対象はキミのような気がするが。ここに軍属はキミだけだ」

 初老の男が囁くと少年は、

「勝手にやらせておくさ、私は職業軍人ではない」

 まるで睨み付けるかのように兵士たちを見回した。すると、彼らに挟まれて立っていた女が3歩前に出て居住まいを正し、右手を左胸に軽く当てるようにしてすっと首を上げる。軍隊からの表敬に対し、民間人としての答礼を返す女を見ると、

「ほら、意地を張るのも大概にしないとな」

 男は少年を諭すように促がす。少年は大きく鼻から息を吐くと腕を解き、さっと3歩前に進み女と並ぶ。背筋を伸ばして直立不動となると右手を大きく振り上げて、まるで英国の近衛士官のような味のある敬礼を送る。後ろに控えた男もそれを見守ると右手を胸に当てた。少年は女に頷き、答礼しながら大股に兵舎の入口に向う。その後を女と男が追い、兵舎の入口で答礼を解く。すると副官の中佐が入口のドアを開き、3人はひんやりと涼しい兵舎の中へ入って行った。

 兵舎を入った所に、あの男女の案内・接待係が待っていた。彼らは3人が何も言わずとも無言で先を示し後に続くようにいざなった。その彼らが案内したのは建物のほぼ中央に位置する集会室。ドアをノックし、良く通る男の声で「カム、イン」を受けてドアを開き3人を中へと通し、自分たちは廊下に残った。

 3人が部屋に入ると、中には7人の真新しい空軍の制服姿の人間が一線に整列していた。暫く誰もが声を発っさない。お互いが見詰め合ったまま静かに時間が過ぎて行く。しかしそのこと自体に戸惑いは無く、1分ほどが過ぎた時、入って来た3人の真ん中にいた若い女が話し出す。

「みなさん。プリンスを助けて頂いてありがとう。それが私の最大の願いでしたから、言葉では尽くせないほど感謝します。プリンスはまだ眠っているそうですが彼も喜んでくれていると思います。本当にありがとう。しかし、これまで私のわがままから沢山の人が傷つき亡くなってしまいました。みなさんの仲間ばかりでなく、あちらの人たちも実に多くの方が犠牲になった。これは全て私のせい。私一人が背負って行かなくてはならない罪です」

 若い女はそこで深呼吸を一つ、更に独白を続ける。

「みなさんが望みもしない戦いを続け、罪悪感を感じている事も私は知っているつもりです。それも私が背負わなくてはならない罪、だからその事でこの先、みなさんが余り苦しまなければいい、そう願います。プリンスが戻って、この後どうするか、全ては皆さんにお任せしていますから、逆に私で何かお役に立てることがあればなんなりと言って下さい。ゲートを開くばかりでなく、出来ることは何でも致しますから・・・」

 彼女の言葉は最後が擦れ、途切れて終った。彼女は真っ直ぐ前を向いていたが、その目は何かを捉えているのではなく虚空を見つめ、頬を涙が伝って行った。 

 じっと動かずにその話を聞いていた7人も、暫くは何も言うべき言葉が見つからないかの様だった。と、その中の一人が突然、話し出す。

「ずるいよ、アイ様」

 サリーだった。サイズが一回り大きく、あまり身体に合わない制服をなんとか着こなしていた彼女は、怒っている風に見えた。

「ひとりでなんでもかも背負っちゃって。アタシたちは何のためにやっているの?何のためにあんな危ない目に遭って来ているの?今、ここに居られない曹長やマティ、ザッキだってなんのために怪我までして戦ったの?全部アイ様やプリンスのため?へんっだ!そんなはずないじゃん!」

「サリー!」

 隣に立つラミィが小声だが鋭く注意する。しかしサリーは構わずに、

「アイ様!何言っちゃってるの?アイ様だけのためにやってる?そんな訳ないじゃん!アタシもラミィも、アッジやレリも、そしてルシェや隊長、ラグ、曹長、マティやザッキ、必死になって生き残って、それが全て、自分のためだったなんて、自惚れるのもいい加減にしてよ!」

 あまりのサリーの言い様に、ラグが一歩二歩、列の端から動きかけたが隣に立っていたルシェが腕を掴んで止めた。同じようにラミィがサリーの肘を引いたが、ポンッと肩を叩かれ、直ぐ横を見るとカマエルが首を振っている。そんな皆の動きが目に入っていないサリーは、もう半ベソ状態で、鼻を啜りながらも続けた。

「誰がアイ様たちのためだけにやってるのよ?そんなんじゃ、こんなにがんばって来れなかったよ。アタシたちだってアイ様に負けない位、あそこを何とかしなくちゃ、自分たちがもっとラクに息吸えるようにならなくちゃ、って、ずっと思って来たんだからね。自分たちはこっちに移って来て、少しはラクになったし、楽しい事だって、ずっと多くなって、自由なんだって、素晴らしいって思えるようになったけど、自分たちだけじゃダメなんだ、もっとたくさん、自由に、いろんなこと出来る、したいって思ってる人を救って行かなくちゃ、そう思ってきたんだよ。それはアタシだけじゃない、みんなだよ。だから・・・」

 サリーは突然堪えが切れ、大粒の涙が目から零れ落ち、嗚咽が喉を震わせたが、歯を食いしばって耐え、何とか先を続ける。

「だから、さ、アイ様、そんなに気を使ったり、自分だけが全部抱え込んで、嫌な思いは全て自分が、なんて浸り切らなくてもいいんだよ。みんな自分が何をしなくちゃいけないか、何をしたいと思ってるのか、全部解っててやってることだから」

 今やアイだけでなく、部屋に居る全員に向って自分の思いを語っているサリーは、キッと顔を上げ、袖で目を勢い良く拭うと、

「みんな、仲間なんだよ。全部同じ思いで戦って来て、これからも戦っていこう、そう思ってる仲間なんだってば。それはアイ様も同じなんだって。そりゃ、アタシとアイ様じゃ、身分が違い過ぎるかも知れないけど、そんなの、全員の思いが一緒なら、たいしたことじゃないんじゃない?そうだよね?アイ様。そんなに自分を責めちゃいけないんだって。分かってくれる?」

「ええ、解るわ、サリー」

 アイは既に涙を拭い、その顔は引き締まった、凛々しいものになっていた。

「ごめんなさい、私が間違っていました。そうよね、約束したわね、サリー。そう、ラミィやレリ、アッジもそうね。あちらを離れたあの日、これからみんな一緒に戦っていくと」

「うん、約束しました」

 アッジが涙でくしゃくしゃの顔を歪めて言う。あの頃、彼はまだ9歳。10歳の誕生日を間近に控えた頃だった。アイはそんなアッジを思い浮かべて微笑み、頷き、

「そう、あれは大切な約束だった。それはこれからも変りません。そうよね、私たちにはまだやらなくてはならない大切なことが、待っているから」

 サリーが急にアイに駆け寄り、そして抱き付いた。誰憚らず泣き声をあげる。アイは優しくサリーの長い金髪を梳くように撫でた。

 すると突然、拍手が起こる。アイの直ぐ後ろに控える様にしていた初老の男、竹崎稔だった。彼は、『おしゃべり教授』と学生から密かに親しみを込めて言われているキャラクターからすれば意外にも、何も言わず、ただにこやかに笑んで手を叩き続けている。そしてその拍手に別の方向から拍手が重なる。カマエルが同じように微笑みながら手を叩いていた。それにラグが加わり、そして何とレリが加わる。サリーは顔を上げ、まだ涙に暮れながらも笑い出し、一歩二歩離れて手を叩き始める。

 後は一人を除いて全員が拍手するまでにいくらも掛からなかった。そしてルシェが手を叩きながら、その拍手の中で一人感激に立ち尽くすアイに近付いて行く。 

「アイ・・・よかったね」

 アイがエンジェルに参加してからタメ口で付き合って来たルシェが声を掛ける。

「うん・・・ありがとう」

 拍手は少年『准将』が、もういいだろう、とばかりに咳払いするまで、長く長く、いつまでも続いていた。



 彼が悪夢から目覚めたのは十二時を少し回った頃だった。

 夏の日差しが舗装を焼き、長大な滑走路や誘導路が陽炎を発し、逃げ水の揺らめきの中に、輸送機がどこからともなく現れては着陸し、また何処いずこへかと飛び立って行った。

 その離着陸時の轟音は彼が収容された兵舎にも届き、いつしか彼の眠りを浅くしていった。とりわけ、慣れない者なら飛び上がるほどの轟音で、兵舎を掠めるように飛び去った大型輸送機が巻き起こした衝撃波が兵舎のガラス窓を叩き振動させ、彼の目を最終的に開かせていた。

 悪夢とも現実とも判断出来ず、強制的に睡眠へと誘われた彼は、深い眠りから目覚めた人間が示す全ての反応を示した。

 まずは現実感の喪失。これは眠る前から示した反応のため、催眠術に掛かったり薬物依存者が当の薬物を投与された時のような――深い陶酔下にあるかのように見えた。

 次に直前記憶の喪失。そして感情表現の欠落。彼はプリンスと呼ばれたことも、あちらの世界に拉致されたことも忘れていた。

 その記憶が戻るのは、目覚めてから自分が何者であるのかを確認し、現実を多少なりとも掴んだ時、発作的に思い出すと言われる。この現実乖離の限られた時間、ここで更なる工作を仕掛け、洗脳支配を完成する、それがあちらの竹崎お得意の筋書きだった。

 その工作の中途で奪還された今、目覚めからやがて訪れるであろう過去との対決のショックまでを安定させ、保護と友愛の情で包み込む。それが仕掛けられた洗脳支配の罠から彼を救う最善の方法だった。

 そのため、急遽プリンスの『病室』とされた兵舎の将校の自室は、持ち込まれたベッドや医療器具以外、居室としての体裁を崩さないようにし、窓のカーテンを明るい黄色の薄地の物に換え、窓から見える範囲から、恐怖を再現させるであろう警備の兵士たちの立ち入りを禁じて遠避け、窓際のテーブルには花瓶に花束を活け、壁のポスターもプレイメイトのピンナップや戦闘機から、パンダや子犬が遊ぶ可愛らしいものに替えられた。そんな準備を整え、細心の注意を待って彼は迎え入れられていたのだ。


 いつから目を開いていたのか、既に彼には分からなくなっていた。

 初めて現実感を意識したのは、窓のカーテンから強い日差しが透けて見え、木立か何かの影が模様のようにカーテンに踊っている、その光景だった。この部屋はほどよい温度で、彼は頭に少し疼痛を感じ、身体全体にだるく重い感じを覚えたが、気分は平静で、悪くはなかった。

「お目覚めですね?」

 横たわるベッドの直ぐ横に女は立っていて、声を掛ける。女が傍らに居て、何度か声を掛けられている。それにはずっと、目を開いてからずっと気付いていた様な気がする。

 女が彼に声を掛けるのは極自然な行為と思われ、彼はそれに何の疑問も、緊張も恐れも感じてはいなかった。彼は、やっとその声に答えなければいけない、と感じた。一つ深呼吸をすると、女の方に寝返りを打ち、

「は、い・・・醒めました。ここ、どこなんでしょう?」

 女は微笑むと、

「お分かりにならないのも無理はないですね?ここは『診療所』です。貴方は病気だったのですよ、後藤さん」

 すると自分の名前が一種のキーワードとなって彼の心の鍵が廻り、おぞましい思い出が蘇ろうとした。だが、不思議なことに、それ自体恐ろしいものではなく、只の悪夢、実際に経験した訳ではなく眠っている自分の意識が生み出した化け物、単なる夢だった、との認識がストンと彼の心に落ちて来て、彼を納得させる。

 暗い部屋に閉じ込められ、白い空間に捨て置かれ、悪魔にこいねがい・・・

 彼は意識しないまま何かを女に言っていたらしく、女がそれに答える。

「大丈夫ですよ。あなたはずっとこの病室にいましたから。そうですか、怖い夢、を見たのですね?それももう、終わりましたよ。貴方は今、間違いなくここにいる。もうすぐ、ここからも出られますよ」

 女の言う事が一々もっともに聞こえ、その優しい言葉とゆっくりと落ち着いた話し振りに、彼は安心し、目を閉じる。いつしか彼はうたた寝を始め、始めては目を覚まし、何処へ行く事もない女を見ては安心し、再びウトウトとする。そんな事を繰り返し繰り返し時が過ぎて行った。

 その未だ夢の中のような時間、彼は取り止めのない事を考えるとも無しに考える。

― この部屋はいい・・・落ち着く。今は・・・8月、だ・・・このひとは幾つだろう?知り合いのような気もするが、思い出せない。でも優しい人だ・・・えーっと・・・よい服着ているな、仕立てがいい・・・制服?看護師?違うかな?あれ?良く分からない。まあ、服なんてどうでもいいけど・・・


 ラグはぼんやりと見つめるプリンスを見つめる。ラグは例の空軍の制服を着ていて、先に着替えようかとレリに言ったが、レリはそのままで全く構わない、と太鼓判を押し結局その格好のまま目覚めに立ち会った。しかし、プリンスに緊張は見られず、彼女の制服も全く別の何かに見えているように見える。よい傾向だった。

 彼女自身はあちらで今のような『刷り込み親』の役割を何度もこなしている。あちらでは何故なのか理由は不明だが、能力者が演じるよりも事情を良くわきまえた非能力者ノーマルの方が効果が高いと言われていた。そのため、ラグに白羽の矢が立つことが多く、幾度も洗脳されたリバーサーの目覚めに立ち会ったが、今回は全く逆、洗脳を解くための刷り込みだった。 

 部屋の隅にはもう一人、レリが椅子に腰掛けていたが、プリンスには『見えない』はずである。レリがこの部屋を支配している。プリンスは五感をそっと優しく、細かく支配されていた。この部屋を大急ぎで整えた人間には申し訳ないが、それは全くの無駄だった。レリは全ての物が見る人間により好ましいものに映る様、視覚を操っていたのだ。

 プリンスがうたた寝を始め、こちらを見ていないことを確認したラグが部屋の隅を見ると、レリは椅子から、口角だけを上げる笑いで彼女に応えた。


 同じ頃、2部屋離れた窓際で、ルシェとラミィが顔を見合わせ、頷きあう。 

 彼女らもレリのサポートとして、プリンスが心地よく目覚められるよう、彼の心に入り込んでいた。悪夢へ向うプリンスの意識を逸らし、無理なく誘導し、軽い幸福感を植え付ける。最上の能力者3名により、プリンスは心のクライシスを回避され、いわば『信管』を抜かれたのだった。

 結局、プリンスが本格的に目を覚まし起き上がるのは既に夕刻、陽が落ち、カーテンに水銀灯の明かりが煌々と透けて見える、そんな頃合になっていた。


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