第15章(前)〜生還者たち
火災は未明に発生した。築50年の古い木造2階建ての洋館は、折から近付く寒冷前線の影響で吹き出した風速10メートル前後の風に煽られた炎に包まれ、発生から10分後にはもう手が付けられなくなっていた。15分後に近所の通報で駆けつけた消防団が消火活動を始めたが、既に家屋全体が焔を吹き上げ燃え盛っており、消火活動は両隣と4メートル道路を隔てた向かいの家屋への延焼を防ぐことに重点が置かれた。遠巻きに集まった近所の人たちは口々に、あの家には10人以上の人間が居た筈なのに誰も姿を見せていないし早く助けてあげて、と懇願したが、消防団は、こうなったら消えるまで救出活動は無理、と断っていた。
二時間後。黒い炭となり果て骨組みだけになった屋敷の跡が、まだ所々燻りながら朝日を浴びて無残な姿を晒す。両隣や向かいへの延焼を防ぎ切った消防団が、再発火の可能性がある箇所へ放水を続ける中、近所の人間や野次馬たちは、これで被害者の捜索が始まるのだろう、と思った。
すると不思議なことが起こった。まるで鎮火するのを待っていたかのように、黒塗でスモークウィンドウのマイクロバス二台と黒いセダン一台が現われ、現場の阻止線ギリギリで停車する。全員サングラスにダークスーツ姿や黒い作業服姿の者達がぞろぞろと降りると、その内の一人が立ち番の警官に何やら書類を手渡し、更に二言三言話してからひったくる様に書類を回収、そのまま全員が中になだれ込んだ。
すると今まで作業をしていた消防団と警官達が一斉に焼け跡を離れ、入れ替わるかのように、黒い車の男達や少数の女達が焼け跡に踏み込んだ。消防は燻る柱への放水も止めてしまい、そそくさと自分達の赤い車両群に乗り込むと現場を去って行く。警察は立ち入り禁止の阻止線をいきなり100メートル以上拡大し、野次馬を押しのけた。
いきなり阻止線の内側へ入ってしまった近所の住人達は一軒一軒警官の訪問を受け、家の中にいて構わないが、絶対に外を見ないように、また、外出時には警官が阻止線を出るまで付き添うのでここへ電話するように、と所轄署の電話番号が渡された。
「なんですか、一体」
徹夜明けの男が一人、自分の家が阻止線の向こうとなってしまい、足止めを食って警備の警官に声を掛けた。
「申し訳ありませんな。二時間ほどで終わるので待って頂けないですか?」
警官はすまなそうに言う。
「二時間も?一体何があったんです?」
「火事です。人が死んだようです、それ以外はまだわかりません。現在捜査中なので、すみませんね」
「しょうがないな、どうしても駄目なら、二時間後にまた来ます」
「すみません」
男はため息を付くと周囲を見渡し、遠巻きに眺めている野次馬や近所の人間の中に同級生を認め、声を掛ける。
「ねえ、あそこは大学の先生の家だろ?どうしたんだ?」
挨拶もそこそこに同級生に声を掛けると、
「ああ、あっという間に燃え広がってね、もし寝ていたら全員死んだよな」
「そりゃ大事だなぁ」
同級生は煙草を吹かし、男にも一本薦めると、阻止線の向こうの焼け跡を眺めながら、
「もっとおかしなこともある」
「なんだい?」
すると同級生は阻止線にいる警官から死角となる場所まで男をひっぱり、辺りに人が居ないことを確認すると囁き声で、
「おい、コウチョウって知ってるか?」
「・・・コウチョウ?学校の長、じゃないよな?じゃあ公安調査庁のことか?」
「ああ、やっぱりそう思うか」
「やっぱり?」
「さっきな、警官と消防団がひそひそ話してたのを消防車の陰で聞いたんだ。コウチョウが出て来るのはオオゴトだ、ってね。日本のCIAとかなんとか言ってた」
「ああ、公安調査庁なら確かに日本版の防諜組織だな、それで?」
「テロ防とか言ってた。この間の世田谷の件と関連がある、って」
すると男は同級生を小突くと口を手で隠し、囁き声で、
「おい、それはやばいって。もう話すな。盗み聞きしたと思われるぞ。最近物騒だからな、詮索すると引っ張られるかもよ」
「冗談はよせよ、そんなことはないだろ?キタじゃあるまいし」
「迂闊に探ると怖い、ってことさ。何が出てくるか分かったものじゃないからな。たとえ日本でもな」
同級生は困惑の苦笑いを浮かべたが、男の方は真剣だった。男は防衛省の外局に勤める一般職だった。
その日の夕刊には、
『日本人テロ容疑者集団自殺か?―世田谷銃撃戦と関連』
『世田谷銃撃事件の容疑者集団自殺―日本人が関与』
等の大見出しが各紙を飾った。
*
一見、体育館か倉庫のような大きな建物だった。高い天井に大きな傘の付いた水銀灯が並んでいるのも体育館に似ていたが、この広い建物の床はコンクリート張り、隅には大型ヘリが駐機している。それは間違いなく航空機の格納庫か整備場で、その中央、床にはエアクッションが置かれ、その周りにはウレタンのマットが堆く積みあがっている。
「・・・来ました、始まります」
そのエアクッションとウレタンの山の周り、10人の男女が囲んでいたが、その中の軍服姿の女が声をあげた。人の輪に居たライフルを持った兵士達が数歩前に出て、エアクッションの上辺りを狙う。
するとクッションの上、高い天井と床との丁度中間、およそ5メートルの高さに『陽炎』が現われた。囲む人々の中から溜息とも感嘆ともつかない声が漏れる。
陽炎は霧となるがそれは漂う感じではなく、全く厚みの無い円盤状の白い板の様、薄い円盤状のガラスに霧を閉じ込めたかの様にも見えた。そして1分ほどでそれはガラスそのものの様になり、下から覗くと揺らぐ空気の様な層の向こうに、薄っすらと穴の様な物が確認出来た。
するとその穴から一本のロープがするすると降りて来て、エアクッションまで垂れて来ると、二巻き、三巻きととぐろを巻いて止まった。 そして・・・穴から何かが飛び出し、そのままロープ伝いに垂直降下して来る。
黒い人影と認識されたのはガラスの円盤にぶつかる直前、そしてその『ガラス』を音も無く破って黒ずくめの人間が躍り出す。
その人間はエアクッションに軽々と着地すると、確保器を緩め、ハーネスから抜け出す。そしてくるりと一回転しながらクッションを飛び降りる。
介添え役として待機していたトレーニングウェア姿の屈強な2名の男は、手を差し出す前に対象がクッションを下りてしまったので苦笑いした。
今や大柄な女と分かる人物は、耳に手をやるとそれまでしていた耳栓のようなものを取り去り、ナップザックを振り落とすように床へと置くと、クッションの横から上を見上げる。例のガラスの円盤は既に濁った乳白色の曇りガラスに変わり、やがて霧散するようにして消えて行く。直後、中空から断ち切れたロープがクッションに落ちて来て、ドサリ、と大きな音を上げた。
まるで時間が止まったかのような一瞬の後、息を呑んでいた人々は安堵の息を吐き、思わずパラパラと拍手まで起こった。
「帰還、おめでとう、『大佐』。なかなか見事だった」
人の輪から、簡素な軍服ながら略綬が4列もある男が声を掛けた。
「・・・ありがとうございます」
女は最初、当然ながら男の母国語を使おうとしたが、男が日本語で話しかけたので日本語を使った。男は歩み寄って握手を求め、女は軽く相手の手を握って応える。
「さ、君の仲間はあちらで待っている」
「どうも。その前に結果をお教え願えますか?」
「完全に成功した。全員無事、オメガ、もだ。おめでとう」
「ありがとうございます」
「君のような人間を使える『准将』がうらやましいよ。では、あちらへ」
すると女は立ち止まり、
「将軍。申し訳ありませんが、私は軍を裏切って離れた反逆者です。正義がどちらにあろうと、それは国家への反逆に変わりはありません。その様な賛辞は御身を汚しますよ」
すると『将軍』は破顔すると、
「いいや『大佐』。イデオロギーの違いはあっても任務を完璧にこなす兵士たちを賞賛するのは、古今東西、どんな将軍であっても義務だと思うよ。君らは最高だ」
「それはどうも。では、将軍。私を『大佐』と呼ぶのだけは勘弁して下さい。その称号はあちらを出る時捨てたものの一つですから」
女は軽くお辞儀をすると、案内役の男女2名が誘う格納庫の出口へと歩き出す。
「すまなかったな、『大佐』」
笑い混じりの将軍の声に、女は立ち止まりゆっくりと振り向くと笑顔で、
「将軍の日本語は完璧ですね。どこで憶えたのです?」
「ああ、これか?それは軍機だよ、『大佐』。だが、駐留する国の言葉を操ることも任務の一部とは言えないかな?」
「そうですね。今は同盟国でも、いつかは『敵』となるかもしれない外国の言語を知ることは、国家を守る者の責任の一つでしょうから・・・」
『大佐』、ルシェは笑いながら首を振ると、案内役の後を追って行く。それを見送る将軍はもう笑っていなかった。
格納庫の外、長大な滑走路へと続く誘導路の外れに、無蓋の四駆高機動車が待っていた。
案内役の男が助手席に座ると、運転手がエンジンをかけ、案内役の女の方はルシェを後部座席に座らせ、自分はその横に座る。女がドアを閉じると、運転手は無言で発車させた。
4人を乗せた四輪駆動車は滑走路を横に見て走り、やがて前方にカマボコ型の旧式兵舎のような建物が幾棟か見え始めると速度を落とし、そのカマボコ兵舎の一つの前で停車する。終始無言のままの運転手は、3人を降ろすと何処かへ走り去った。
そのカマボコ兵舎の外には、通常の外灯に加え発電機付きの水銀灯が至る所に見られ、影も無い有様だった。その中を、ヘルメットを被り実戦態勢を整えた兵士が巡回し、土嚢に銃座まで作られている物々しい警戒態勢が取られていた。案内役の男が先頭に立ち、カマボコ兵舎の前まで来ると歩哨に自国語で符丁を言う。歩哨はドアを開けると中に入るよう促す。中は廊下を真ん中に、両側に同じような部屋が続く典型的な兵舎だった。
「おかえりー!」
いきなりルシェに飛びつく者がいる。
「ねえさんー」
トレーニングウェア姿のサリーは泣き出さんばかりに顔を歪め、ルシェの胸にしがみ付いた。ルシェは苦笑しながらサリーの頭をポンと叩くと、
「さ、皆のところへ案内してくれ」
サリーの頭越しに案内役の女を見ると、彼女は微笑みながら頷く。サリーはルシェの手を引くと兵舎の奥へ向い、とある部屋を元気良くノック、そのまま返事も待たずに大きく開くと、
「帰ってきたよー!」
そこはベッドが整然と並ぶ、訓練生の居住区で、20人ほどの定員の部屋に現在は4人の人間がいた。
「お帰り、ルシフェル」
部屋の中心に立って待っていたのはカマエルだった。ルシェは大股に彼の前に行くと、流れるような敬礼をし、
「任務終了報告です。全て予定通りに完了しました。最後の段階で9.29の攻撃を受けましたが、『パンドラ』による幻惑効果により、敵の能力者からの攻撃を回避しました。パンドラは予測通りの効果が確認されました。敵の損害は広範囲に及び、陽動としてのオペレーション『タイプB』は完全な成功と評価します。報告書は・・・要りますか?」
「ご苦労さま、任務を解除します。報告書は・・・要らんよ」
珍しく2人とも笑い出す。その部屋には他に、ベッドに腰掛け微笑んでいるラミィ、満面の笑みでその隣に座るアッジ、そして皆と離れて窓際に一人佇むレリの能力者3名がいた。
アッジが立ち上がって、新品のバスタオルとトレーニングウェアをルシェに渡す。
「おかえりなさい。ルシェ、これ着替え。サイズはラグが選んだから合ってると思うけど。あの奥に洗面所とトイレ、その先にシャワーがあるよ。さっぱりしたら?」
ルシェはアッジの肩を優しく叩くと、
「ありがとう、アッジは大丈夫か?」
「うん、ちょっと疲れたけど、大丈夫だよ。みんな寝ろ寝ろ言うけど、眠れないよ、興奮しちゃって・・・」
「そうか。でも、気分が悪くなったら無理しないで言うんだね、疲れは後からどっと出るから」
「うん、分かった」
続けてラミィが、ルシェの無言の問いに答える。
「曹長たちはちょっと身体を休めなくちゃならないから、この先にある病院で寝てる。大きな怪我は無いよ、でもザッキが両足骨折したのは大きい、かな?プリンスはこの先の奥の部屋。ラグが付いている。教授とセンセイはついさっきアイ様を迎えに行った。さすがにこれで気付かれるし、プリンスも来たから潮時だ、って・・・」
「ありがとう。ご苦労様。ラミィも無理しない。疲れたら寝なさい」
「はい。今の所、大丈夫だよ」
ルシェは大きく頷く。
窓際のレリには視線を送っただけだった。レリは相変わらずサングラスを掛けていたが、珍しく皆と同じトレーニングウェア姿で、ルシェの方を向くと微かに口角を上に挙げた。ルシェも微笑を浮かべる。それで気持ちは充分に伝わった筈だ。
サリーがルシェの右手に抱きついて、
「さあ、ねえさん。プリンスのトコ行こうよ、オイラまだ見てないんだ、ちゃんと」
「そうだね、でもその前に着替えさせてくれないかな?失礼だろ、王子様に」
「そだね。でも、奥のシャワーひどいからね。温度調節マジヤバイから冷たいよ?」
「構わないよ」
「じゃあ、オイラ、ラミィが覗かないように見張ってる」
「サリー!」
ラミィが顔を赤くして立ち上がる。
「ま、ま、そのままそのまま」
サリーはツンと澄ましてサッサと手を振ると、洗面所へ向うルシェに、
「着替えたら、本当にプリンスのトコ、皆で行こうよ。姉さんは会ったことあるんでしょ?」
ルシェがちらっとカマエルを見ると、カマエルは微かに首を縦に動かす。ルシェは目を細めて、遠くを見るような感じでサリーの方を振り向く。
「ああ、そうだね。随分と昔に会ったことはあるよ・・・彼は憶えていないだろうけどね」