第12章(前)〜マルティエルの帰還
登場人物(その4)
マスター;サイキッカー。中東の戦場でラミエルたちの上官だったが戦闘中行方不明に。
ミカエル;中東の戦場にラミエルと共に居たようだ。ラミエルは嫌っている様子。愛車を手動運転で飛ばすのが趣味。軍の階級は少佐。
林 偉文/リン・ウェイ・ウェン;某国大使館の文化担当アタッシェ。裏の顔は特殊部隊の将校で『ゲート』の門番を務めている。
竹崎教授―こちらの世界;65歳。東都大学の教授。ゲートで2つの世界を行き来している様だが・・・
少 年;10代半ばに見える寡黙な少年。竹崎教授と行動を共にしている。しかし准将とも呼ばれるその正体は・・・
光 蓮/ウァンリェン;謎の外国人女性。どうやらアイと一緒に居るらしいが・・・
マルティエル;エンジェルの一員で『レシーバー』と呼ばれる特務担当。一人リバース世界に居残りグリックの動きを監視していたようだ。本名はムラカミというらしい。軍では軍曹だった。
(マルティエル、マルティエル、マルティエル)
(ラミエル、ラミエル、ラミエル)
(『グリーン・ポプリ』)
(『リバー・オブ・ジ・オレンジ』)
(感度グリーン、レベル・ワンだ、ラミエル)
(同じく感度グリーン、レベル・ワンです、マルティエル)
(本文、帰還を要請する)
(本文、帰還の要請を了解、現在位置を知らせてください)
(現在位置『ゴールドコースト29の35』。帰還符丁を要請する)
(了解しました、しばらくお待ちください)
ラミィがマティからの『通信』を受けたのは昼前のこと。ミヨシ助教授からお墨付きを貰ったとはいえ、まだ少し眩暈を感じる時があるラミィは、心配するラグからウチの仕事はしなくていいから部屋で安静にしているように、と言われ、ベッドに半身を起こして本を読んでいた時だった。
彼は本を伏せると集中してマティとのやり取りを行ったが、『あちらからの通信』でその上相手がレシーバーだというのに雑音や妨害の気配も無く、感度は非常にクリア、つまりマティの言うように正しく『感度グリーン、レベル・ワン』だった。
なぜ別世界と通信が出来るのか、それはラミィにも分からない。彼に解っているのは、あちらとの交信は同じ世界の中での遠距離同士の交信とそんなに変わりはない、ということだけだ。あちらとこちら、二つの世界は平行して存在する、とよく言われているが、文字通り直ぐ傍に存在しているのかもしれない。
昔はあちらとの『通信』とは使者が運ぶ文書や手紙の事だった。最近は彼等の様な能力者のお陰で、こうしてリアルタイムにやり取りが行える。ちなみにこちらの諸機関との連絡には、未だに書簡史が運ぶ書簡か、同じくクーリエが例の『地下水道』の末端に設けられた内線電話のボックスから宮内庁の文書課へ電話をする、という旧態依然の方法が取られている。理由はもちろん、こちらの世界に能力者の存在を悟らせないためだ。
(隊長?よろしいですか?)
― ラミエルかい? 聞こえてるよ。
(マティから帰還要請です。現在位置、ゴールドコースト29の35)
― マルティエルからの帰還要請、現在位置、ゴールドコースト29の35。了解。『ルクソール』から回答させる。そのまま待機願う。
(了解しました)
ラミィは思念をカマエルから再びマティに切り替えると、
(ラミエル、ラミエル、ラミエル)
(マルティエル、マルティエル、マルティエル)
正式な通信ルールでは冷たいと感じたラミィは、ルールを無視する事に決めた。
(マティ、時間はあるかな?)
マティもこれ幸いに、ルールを無視する。
(そんなには無いと思う。奴らはそんなに甘くはないよ)
(状況は?)
(イエローゾーン。評価C)
(・・・ゴミ溜めに足は突っ込んじゃったが、まだ転んだわけじゃない、ってとこ?)
マティの緊迫した気配がふと緩んで、
(ああ、曹長殿ならそう言うだろうな。まだ大丈夫、気付かれたかも知れんが、見つかってはいないはずだよ)
(了解。こちらも最善は尽くしてるから、頑張ってね)
(ああ。大事な土産があるんだ。急いで渡したい)
(うん、大人しく隠れててね、もう直ぐだから)
(待ってるよ)
ラミィはベッドから降りると、窓際に行き外を眺める。自然と胸の鼓動が高まるのを感じる。彼は戦場で一人、味方から離れて息を潜めたことが幾度もある。マティもレシーバーとして凄腕と言われた男なので単独潜入はお手の物、ラミィより数倍慣れている筈だ。
しかしラミィは、きっとこんな事に慣れなど無いはずなのだ、と思っている。どんな人間でも怖いものは怖い。また、怖いものを怖いと感じなくなれば、遅かれ早かれ危ない事にもなる。それが痛いほど良く解っているラミィだからこそ、待つ時間が辛い。マティとアクセスしたことにより相手の抑制されてはいるが隠し切れない緊張感と恐怖心は、ラミィの頭にこびり付いて離れなくなった。彼はその切迫感に耐えながら庭を眺め続ける。
5分が過ぎ、10分が過ぎる。時間の事は強いて考えないようにするものの、焦燥感は消しようも無い。何もしない事が苦痛に感じられ、ラミィは強張った脚で部屋の中を歩き始める。そして15分過ぎた直後、待望のアクセスがあった。
(ラミィ、聞えて?)
(あ、はい、聞えてます)
(おまたせしました、リターンコードを伝えます)
流暢な日本語だが、イントネーションで外国人だと解る女性からのアクセス。
(どうぞ)
(3・5。3・7・1・7。1・7。1・3・9。2・1・2・3。2・9。確認どうぞ)
(35、3717、17。139、2123、29。どうですか?)
(その通りです、そんなに遠くはないはずだから)
(ありがとう、光蓮、彼に伝えます。時間はわかり次第送ります、よろしく)
(わかりました、じゃ)
すかさず、マティを呼ぶ。
(ラミエル、ラミエル、ラミエル)
(マルティエル、マルティエル、マルティエル)
(マティ、いいかな?)
(言ってくれ)
(3・5。3・7・1・7。1・7。1・3・9。2・1・2・3。2・9。確認どうぞ)
(35、3717、17。139、2123、29。ちょっと待て)
マティが現在地と照合するほんの20秒が長い。
(確認した。かなり近い、助かるよ。ではぴたり20分後でたのむ。えーと、日本標準時1028だ)
(日本標準時1028。了解)
(では移動開始する)
(気をつけてね)
(了解、ラミィ)
ラミィは一つ大きく深呼吸すると、
(光蓮、聞いてますか?)
(聞いてますよ、どうぞ)
(帰還門開門、日本時間(J.S.T)1028。復唱どうぞ)
(ゲートオープン、ジェー.エス.ティ1028。オーケィ?)
(確認しました)
(それと、申し訳ないけど出口は『ギザ』に開きますから。アイは直接そちらのお宅に開こうか、と言ったけれど、もし歓迎されないお客さんがついて来ていたら大変でしょ?その後はウチの『門番』と打ち合わせてね)
(了解。ありがとう、お願いします、アイ様によろしく)
(分かったわ、安心して待っててね)
次のラミエルの相手は『こちら』の世界に居た。
(隊長)
― ラミエル、どうぞ。
(ゲートオープン、日本標準時1028、出口は『ギザ』、後はいつも通り『門番』と詰めて下さい)
― 1028、ギザ、『門番』とのミーティング。了解した、ラミエル。
(以上です)
― それと、ラミエル。
(はい?)
― 後はまかせて、休んでなさい。
(ありがとうございます)
― では、な。
ラミィはため息を付くとベッドに腰掛ける。少し眩暈がしたが、中継ポイントの役割を果たしたにしてはそんなに疲れてはいない。体力は確実に戻って来ている。ラミィは、暫くの間目を閉じて無心になっていたが、やがてベッドに上がり横になり、再び読書を始めた。
1023時。約束の地は、マティが車から降りた道路脇から雑木林を更に奥へと入っていった場所で、朽木が折り重なるようにして倒れ、蔓草が入り乱れて絡まっている気味の悪い空き地だった。
こちらの7月にしては珍しく暑くなりそうな一日の昼前、目立たぬよう夏草の中に腹這いとなっているマティを藪蚊が容赦なく刺していたが、彼はじっと我慢して動かない。しかし心の中では、次にこちらへ渡る時には虫除けを忘れないようにしよう、と思っていた。
こちらの世界のGPSは、各国が競って上げた監視静止衛星が発信する識別信号を拾うもので、全世界どのような場所でも確実に受信することが出来る。マティはGPS受信機としても使える携帯電話で現在位置を確認した。勿論、受信専用モードで、こちらからは一切発信していない。指示通りどんぴしゃりの場所を確認したのはこれで3度目、ベテランの域に入った27歳の彼にとっても、この待機の時間が一番堪えるし危険でもあった。
そしてこの場所へ着いて5分、1028時丁度にそれが始まった。
彼の見守る前で、空き地の中心からやや外れた倒木の前に陽炎が立ち上る。その陽炎は見る間に密度を増し、白い濃密な煙のような霧となって行く。そして彼が一番気に入っている瞬間が訪れる。霧は徐々に透けて行き、透明な液体が渦を巻くような姿へと変わる。見る角度や出現した環境により様々に変化する淡い色彩が、見る者を不思議な世界に誘う。事実、引き込まれそうな錯覚を覚える者が多い、と言う。マティもその一人で、いつもこれを見ると自然と身体が浮き上がるような、身体を後押しされるような感じがして来る。
マティは、今では透明なラップで包まれた闇が、球体状になった様に見えるそれから一旦目を逸らすと辺りの気配に集中する。誰も居ない、と確信すると彼は素早く立ち上がり、下生えの夏草に手を切られるのも構わずその球体に突進する。もし、真横からその光景を眺めていたとするならば、マティの姿は球体状の陽炎の様な空気の揺れの中に飛び込んだ瞬間、断ち切られたかのように消えた。後には相変わらず揺らぐ透明な膜を被せた闇の球体が、以前からそこに存在していたかのように不気味な蔦の絡まる倒木の背景に浮かんでいた。だがそれも1分間の事で、やがて球体は形を無くして渦を巻く液体となり、白い気体となり、ものの3分ほどで消失した。そこには今まで存在した球体の存在を示すものは無く、只、マティが掻き分けた夏草が倒れている事だけが直前まで生物が居た証拠となっていた。
そして―
1037時。この静かな場所は突然、騒々しい場所となる。倒木の蔦が、突然の激しい突風で煽られ、夏草が千切れ飛ぶ。空き地の上空にはティルトローター機が滞空、その側面に開いたドアから登攀用ロープが投げ出され、迷彩服姿の兵士が次々とスリング降下する。
降り立った兵士達は空き地の中心に向って包囲する形で展開、全ての兵士が短機関銃を構えて腹這いとなっている。一瞬の後、兵士達は互いに援護するようにして前進、そして最後にスリング降下した兵士が上空のティルトローター機に合図すると機は跳ね上がるように高度を増し、音と風の洪水は忽ちに上空へと離れた。
「ローリング6よりキング、現場掌握」
「キング了解。6、状況を報告しろ」
「現場はブルー、繰り返す、現場はブルー」
「了解、捜索開始」
「了解、以上」
指揮官は無言で右手を握って上下に大きく2回振ると、兵士達は空き地全体に散らばり、慎重に捜索を始める。チィルトローター機では既に周囲200メートル以内に生体反応が無い事を確認し、更に隠し地雷の様な罠の可能性も低い事が探知装置により判明していた。
「やはり直前まで居た事は確かですな」
腕組みをして捜索を見守る中尉の指揮官に、小柄で肌の浅黒い軍曹が声を掛ける。
「ああ、間違いなく、な。後で衛星からの映像を解析すればはっきりするが、『あちら』へ帰って行った事は確かだろう」
「何者ですか?『ゲート』を使っていたと言う事は」
すると中尉は手を振って軍曹を黙らせ、
「よせ、詮索は無用だ。俺たちの仕事じゃないし、どうせグリックは俺達のような制限区域特殊警護隊には何も教えてはくれんさ」
「そうですな、奴らは我々を警備員としか見ていない」
制限区域特殊警護隊は武装警察の配下、公には軍隊ではない、とされている。
「まあ、そのくらいにして置くんだな。あそこには人の心を読む装置だかがあるそうだぞ。愚痴を言った位では何もないだろうがな、万が一背命と受け取られたら、陸軍へ売り飛ばされて中東辺りに飛ばされるからな」
「アイ、中尉殿」
「さて、もう充分だろう。さっさと引き上げるぞ。こりゃ何か残して行くようなタマじゃない、間違いなく相手は軍人だ。それも潜入専門の特殊部隊だということに賭けるが、乗るか?」
「いいえ。賭けにならんですよ、それじゃあ。間違いなく同業者ですな」
「そう言う事なら、不必要な汗をかいている部下をさっさとベースに帰す手配をしなさい」
「了解」
「・・・了解、確認する」
『ローリング6』チームの上空、チィルトローター機内。オペレーターは『下』からの通信を終えると機内通信へ切り替え、
「大尉、下からもう引き上げてもいいかと言って来ましたが?」
大尉は胡麻塩頭を五分刈りにした厳つい固太りの中年男、どっかりと指揮官席に座り捜索が続く『下』の様子を個人モニターで見るとはなしに見ていたが、
「ほう、流石に中尉は判断が早いね」
大尉はモニター画面を何箇所かタッチすると、
「ローリング6、キングだ」
「はい、キング」
「いいぞ、上がって来い、いま降りて行く、どうぞ」
「了解、ありがとうございます」
大尉は、機内通信に切り替え、
「機長、キングだ。ローリングを拾う。キミに任せたよ」
「キング、キャプテン。了解」
大尉はオペレーターに頷くと、
「だから時間の無駄だと言ったんだ。親方と話をするからな」
「了解。只今お呼びします」
大尉がヘッドセットを一旦外し、ハンカチでうっすらと汗ばんだ頭を拭き今一度ヘッドセットを楽な位置に被り直していると、オペレーターが指で合図し、基地が呼び出された事を知らせる。
「ベース、キングです・・・終わりました・・・そう、早いもんですよ、何もありませんから・・・そうですな、それで、グリックは正直なとこ何と言って来たんですか?・・・・・ええ、そりゃまぁ、そうです、が・・・・・なるほど、注意を喚起、と・・・結果については・・・・・・・え?そりゃないでしょう?全部こっちの・・・・・うーん、くどいようですが、逃げた『スパイ』の件については制限地帯全般の治安に責任がある我々が負うべきである、とそう言ってるんですね?・・・・・ふん、いっその事優秀なるあちらサンの保安部に全てお任せしたらよろしいのではないですかね?・・・・・ええ、仰りたいことは解っとるつもりです。では現場としましては、正直にありのままご報告申し上げればよろしいですな?・・・・・あちらはこれ以上何も教えるつもりはないのでしょう?では・・・・・はい、何一つ発見出来ませんし、何一つ怪しい現象は記録されとりません。嘘は言っておりませんよ、そのまま含み無しの事実だけをご報告している訳で・・・・・・ああ、この地点にスリング降下させた理由はですな、訓練を兼ねて、と言う事でして・・・・・そう、予算も厳しい折、チャンスがあれば利用しない手はありませんからな。・・・・・・ええ、では、そういうことで。・・・・・え?そいつはどうも。下の連中に伝えます。・・・・・はい、ありがとうございます。では後ほど」
通信の途中で大尉は、データベースに蓄積していたこの20分間ほどの様々なデータを消去し始めたが、丁度通信を終えると同時に『消去しました』の表示がモニターに現われる。大尉はニヤリと笑みを浮かべると、オペレーターに、
「ああ、俺も歳だなぁ、データを誤ってデリートしてしまったぞ。これは始末書モノだなぁ」
するとオペレーターもニヤリと声無く嗤うと、
「大尉、特におかしなことは記録されておりませんでしたので、報告書だけでデータ添付は要らんでしょう。どうしても、というならその辺をもう一度精査しますが」
「そうか、済まんなあ、じゃあ、そうしてくれ」
「了解」
オペレーターとの茶番劇を済ますと、大尉は下に声を掛ける。
「ローリング6、キングだ」
「なんでしょう?今、上がる準備が出来ましたが?」
「6、これはいい訓練だったよな?不法侵入など、どっかの誤報だった、と言うことだよな?どうだ、いい汗かいただろう?」
「・・・はあ・・・ええ、はい、いい訓練でした」
「よし。ベース司令が暑い中ご苦労様だと仰っている。6班にはビールを差し入れるとさ、ありがたく受け取れ」