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第10章〜ラミエル・“戦場”からの帰還

<前章までのあらすじ>


 孤独な青年、後藤篤志の神隠しは、政府の奥深く、高級官僚たちのリバース世界対策チーム『RG』によって隠蔽された。プリンスと呼ばれ、軟禁された彼はグリックの竹崎らによって時間工作を受け、少しずつ現実感を喪失して行く。


 一方、プリンスを奪還しようとする『エンジェル』は、公安組織や『RG』により監視されながらも、大陸の某国の支援―打算と裏があると思えるが―の下、着々と奪還作戦の準備を整えていた。


 プリンスがグリックの工作により取り込まれるのが先か、エンジェルが奪還するのが先か。 パラレルワールド『リバース世界』と現実世界の間で交錯するストーリー。 そしてアイは一体どこにいるのか・・・


 部屋の中を歩き回る彼がいる。4m四方の空間は耐え難い息が詰まりそうな空間になり、せっかくの高い天井が開放感はおろか圧迫感の原因にすらなった。

 いつものように高窓から眩い光が差し込み、ゆっくりと壁に当る光の幾何学模様を変化させている。その『いつもの』光景が更に彼を苛立たせる。昨日と今日の違いはどこにも見られない。テーブルも椅子もいつもと寸分違わぬ場所にあり、床には塵一つ落ちていない。 

 今は彼がこちらに来て20日目だと彼は思っている。その間、最初の日に竹崎やジブと会話して以来、話らしい話は誰ともしていない。監視として4人が付いているが、タムラはこの5日ほど休みなのか出て来ない。その4人は会う度にメンバーが違い一言も口を聞かず、食事の時に毒味をする役すら毎回変わり一切の会話はなかった。彼は今日の運動の時間、彼らにずっと話しかけていたが反応は全くなかった。彼と会話する事を禁じられているにせよ反応くらいしてもいいのに、と彼は思う。

「駄目だ・・・このままだとあいつ等の思うつぼだ・・・何をやらせようと思っているにせよ弱みは見せない方が良いに決まっている・・・」

 考える事がジブらに筒抜けになっている事はもう彼の頭の中から消えていた。そして、いつの間にか彼は思ったことを口に出していた。しかし彼はその事にすら全く気が付いていなかった。

「対象、心拍数、瞬き共にピークを記録しました。なお上昇傾向にあります」

「対象、過呼吸症状が見られます」

 モニターに映る彼の姿は、まるで初めて動物園の檻の中へ放された虎か狼の様で、ぐるぐると落ち着きなく部屋の中を徘徊している。上半身をアップで狙うカメラには上気し目を血走らせた顔が映る。 

 竹崎はオペレーションルームに居た。事務机に両肘を付いてモニターを眺め、傍らにラファエルが座る。ドア横には当然のようにタムラが座っている。

「プリンスが鏡を見なくなった事にお気付きですね?」

 ラファエルが耳打ちすると、

「そうだね、昨日からその傾向があったが、今日はルームBで起床時から鏡を避けているね。遂に髭を当るのも止めた」

「これで第四段階に入りましたが、まだ続けるつもりですか?」

「いや、決心したよ。明日やる」

 竹崎はラファエルの方に向き直る。その顔に笑顔はない。

「そこで君の医師としての意見を聞きたい。『フリートラント』を行った場合、彼は持つかね?」

「明日から、ですか?」

「私はそう言ったよ」

 ラファエルはモニターに向き直り、動き回る彼を見つめていたが、

「持ちます。但し、ミカエルを使いますよね?」

「そのつもりだが」

「くれぐれも彼に『力』をセーブさせて下さい。心臓発作の可能性は否定出来ません」

 竹崎は軽く一礼すると、

「了解した」

 ラファエルはモニターの彼をボールペンで指し示すと、

「『フリートラント』ですか・・・」

「不服かね?」

「いや、教授、不思議なだけです。『マレンゴ』でも『オーステルリッツ』でもなく、ですね?」

「何故『フリートラント』を選んだか、かね?では、君ならどうする?」

「私なら『オーステルリッツ』です。時間も掛かりませんし、今のプリンスなら『奇襲』で一気になびく筈ですから」

「普通のリバーサーなら、それが正解だろうね」

「では、何故わざわざ正攻法で行くのです?『フリートラント』は強い者を折る、『マレンゴ』は同等の力をねじ伏せる。『オーステルリッツ』は弱い者をなびかせる。私はそういう風に理解していましたが」

「プリンスは強い者、だよ」

「あの様で、ですか?」

 呆れたようなラファエルの問いに竹崎は苦笑する。暫くモニターを見ていたが、

「時にラファエル君。君は人を好きになった事があるかね?」

「随分藪から棒ですね。勿論ありますよ。こういう状況ですから結婚は出来ませんが」

「なるほど。どのような障害を乗り越えてでも、とは思わない訳だね?」

 ムッとしたラファエルだが、抑えて、

「今では我々は国の物、ですからね。仕方ありません」

「彼はそう思っていないような気がするよ」

 竹崎は壁のモニターを見つめながら、笑みを浮かべた。

「純愛物は好きなんだがね。非常に残念だよ」



 瓦礫の向こうから甲高い声で泣き叫ぶ子供の悲鳴が聞こえる。陽が落ちて一時間は過ぎたので辺りは闇に包まれ出しているが、これは空を覆う黒煙のせいでもある。

 無論、闇も咽返るほどの濃い黒煙も赤外線探知や温感センサーを装備した装甲ヘリには何の障害とはならず、返って地上からの銃撃を浴びないで済むため縦横無尽に飛び回り、あちらこちらで機関砲弾の威力を見せ付けていた。 

 また100m程後方で甲高い射撃音と爆発音がして、硝煙と埃と腐敗臭に包まれた温風を彼が潜む崩れた家の壁にまで運んで来る。

(ラミィ)

 硝煙とは明らかに違う微かにミントのような香りがして、彼は誰がアクセスしたのか瞬時に悟った。

(はい、マスター)

(起きている様だね)

 『マスター』は笑っている。こんな状況で笑えるのはベテランしかいない。

(眠れませんよ、眠たくても)

(もう少しだ。頑張れるか?)

(ええ、帰りたいですから)

 するとムスクに男臭さが混じったような何とも言えない臭いが漂い、彼はこれも正確に読み取った。

(ほう、ラミエルは帰りたくないのか、と思っていたが)

(そんなことはないですよ、ミカエル)

(そうだな。確かに帰る所はあそこしかない。それにさ・・・)

 ミカエルはわざわざ苦笑いのイメージまで送って寄越してから、

(お気に入りの弟君が『人質』ではねぇ)

 咄嗟にラミエルは怒りの感情をミカエルに発するところだったが、ほんの一秒ほどの間に『マスター』がラミエルとの『ライン』に割って入り『断線』させ、

(ラミィ。気を逸らすな。君の敵は後ろではなく前にいる)

(・・・申し訳ありません)

(ミカエルには注意する。いいな?)

(はい)

(敵は、あと30分もしない内にやってくるぞ。敵の攻撃ヘリは4機、今、最後まで無事だった味方の兵員トラックに打ち込んでこれでめぼしい目標は無くなった。半分は引き上げるはずだ)

(はい)

(予定通り空の連中は俺とミカエルがやる。地上は任せたよ)

(分かりました)

(命令は今、発する。ラミエル少尉。地上を掃討にやって来る中隊規模の敵を混乱させ、同士討ちに持って行け。5分後に迎えが行く。クロダ隊、いつものようにレシーバーはサノ伍長だ。効果が認められ次第、彼らの援護で後退しろ。会合ポイントはルックス3。以上)

(復唱します。中隊規模の敵を混乱させ同士討ちに持ち込みます。5分後にクロダ隊が・・・)

 ラミエルは瓦礫の中、崩れた壁がへの字となった斜面の部分に凭れて仰向けになっていた。身体には錆びたトタンの破片を被せ、黒くメイクした顔だけが真っ黒の空を見上げている。心臓は早鐘の如しだったが、気持ちは落ち着いている。 

 もう、1ヶ月も続けたことだ。そろそろ敵もおかしいと感付き始めていて、昨日などは偵察を普段の3倍まで増やして広く浅く攻撃を仕掛けて来た。マスターは今夜を最後にここを離れる、と言った。ラミエルはしつこく泣き続ける子供の声を頭から締め出し、前方から密かに近付くであろう敵の気配に集中した。

― 居た。

 そこは前方800m程、通りが三叉に交わった交差点の一角で、かつては銀行だった7階建てが半分吹き飛ばされた瓦礫の影。およそ100人ほどの兵士が集合している。ラミエルは3人の小隊長に命令を与えている敵の中隊長にアクセスしていた。 

― 第1、第2小隊は薄く広く展開、抵抗があれば後ろから第3小隊が一気に叩く。敵味方の識別には特に注意、最近妙な同士討ちが多いから、識別の発光煙マーカーに注意、本日は赤を・・・

 彼は現地の言葉を話せる訳ではない。もちろん読めもしないのだが、能力者は相手の思考を読み解く事が出来たのならば言語は分からずとも内容は読み取れる。人間の思考など基本的な部分は万国共通、相手の性格などはアクセスすれば見えてしまうし、後は相手の立場と土地の風土風習が分かっていれば大体のところが分かってしまうのだ。

 ラミエルへの命令は既に下っている。敵は『射程圏内』に入っている。もう、いつ攻撃してもいいのだ。だが、まずはクロダ大尉の隊が待機位置に来るまで待たなければ・・・その時、噂をすれば、で芝生の刈り立てような鮮やかな草の香りが漂う。

(少尉殿)

(待ってたよ、サノ伍長)

(小便チビリませんでしたか?)

(おむつして来たから大丈夫。替え持って来てくれた?)

(いや、これは俺が使うんで貸せませんよ)

 クロダ隊はこの一ヶ月、彼を現実の脅威から護ってくれた。伍長は、口は悪いが本気でラミエルを心配してくれている一人で、こうやってリラックスさせてくれている。

(後方10m、気付いてるんでしょ?)

(ああ、伍長が下手糞な接近方法アプローチ取るからガチャガチャ煩くて300m前から聞こえていたよ。大きなネオン看板が斜めに道路に刺さっている、その脇の着弾跡だね)

 こんなHOTな前線に配属される特殊部隊員が、たとえ瓦礫でもガチャガチャさせる訳はない。ラミエルは80m後方でやっとキャッチしていた。クロダ隊の技量はすごい、と言う証拠だ。

(まったく、こっちに来たばかりの頃はブルブル震えて泣いてたのに、大人になったなあ少尉ドノ。これが終わったら、童貞を卒業させて差し上げますから楽しみにしてて下さいな)

(お楽しみは伍長たちだけで行って来なよ。さて、こっちはそろそろ仕事しないと)

(はい、申し訳ありません。後ろは気にしなくていいですよ、きっちり護って差し上げますから)

 敵が出発した。その瞬間まで緊張をほぐしてくれたサノ伍長に感謝しながら、ラミエルは意識を集中する。まずは、接近中に、一番血気盛んな第2小隊長に疑念を植えつけて・・・

 その時、彼は自分の意識がすーっと消えかかるのを感じる。眠気に耐え切れない時、ふっとこうべが前に垂れる、あの感覚。 

 えっ?彼はアクセスを切って、意識を自分自身に向ける。

(ラミィ)

 誰かがアクセスしていた。 

(ラミィ)

 彼を呼んでいる。しかし『匂い』は全くしない。

(・・・誰)

(ラミィ。何をしているの?)

(え?)

(ラミィ、行かなくちゃ、帰っておいで)

(でも、仕事をしなくちゃ)

(大丈夫、それはいいの、ほうっておいてだいじょうぶなの)

(ねえ、誰なの?)

(そこにいては、だめ、かえろうよ)

(ねえ、だれ?)

(さあ、いくのよ、こっちよ、さあ、ついてきて・・・)

 命じられるがまま、ラミエルは立ち上がる。 

 すると周りの風景が流れるようにして消え、白い、まっしろでなにもない空間に変り、まるで雲の中のようだ、体重が消えたかのようにふわふわとして、本当に無重力のようで、まるでスローモーションのようにゆっくりとした足の運び、とてもいい気分だ、きっと飛び立つ前の鳥の感覚はこんな風なんだろう、そして彼はその中を歩いて、鳥のように上へ、もっと上へと・・・


・・・眩しい・・・


 ただ、ただ、目が眩んだ。目を開いた瞬間、白い強烈な光が目を射る。思わず目を瞑ると、瞼の裏を流れる真っ赤な血が見えた。光の残像がその赤い中で白く、黒く踊る。これは夢ではない。顔に当る熱、日差し。その顔を流れる雫。汗。自分の汗。べたつく汗が頬を伝い口角へと辿る。その塩辛さ。匂い、花の匂い。 

・・・何の花だろう?とても良い匂いだ。

「ヒロキ」

 生の声。思考会話ではない。心地よい女性の声。癇に障る高い声ではなく、冷たく低い声ではない。

「ヒロキ」

― ヒロ、キ?

 ゆっくりと、ゆっくりと目を開く。直ぐに光が目を刺すが、そこを堪えて薄目を開け続け、涙で曇った眼に周囲が映り始めるのを待つ。

「ヒロキ。こっちを見て」

 その女性は20歳前後。薄いブルーのワンピース、スカート部分に目の細かいクリーム色のレースのフリル、腰には白いリボン状のベルトが付いている。ウサギのアニマルスリッパを履いていて、歳よりは5歳は若い少女の様な格好、その長い髪は薄い茶色、白いリボンで纏められている。しかしその白い顔に掛けた銀縁のサングラスは、そのコーディネートの中では少々異様だった。

― ああ、ユリの匂い・・・レリ?レリ、か・・・ヒロキ?

「あ・・・そう、か・・・うん」

― 僕は、ヒロキと呼ばれていたんだ・・・

(よかった。失語症の可能性もあると聞いていたわ)

「・・・どのくらい、こうしていたの?」

 レリは背凭れの高い木の椅子に掛けていたが、真っ直ぐ彼の方を向いたまま軽く口を曲げる。笑っているのだ。そして右手を上げると人差し指を立てて自分の唇に当てる。

(思考会話に切り替えて。どのくらいって、私が?あなたが?)

― ああ、そうか、こんなこと、声に出してはだめだね。(まずは、僕が)

(もう12日目。よく寝たわね)

(12日!・・・そんなに・・・次は、君は?)

(いいえ。私はたまに覗きに来ていただけ。今は、あなたが起きそうな気がしたから居ただけよ。いつもはラグがずっとあなたの世話をしていたわ。彼女は買い物に行っている)

 その時、ぼやけた頭に冷水が掛けられた様に、大切な事を思い出す。ラミエルは思わずベッドから跳ね起きるが、たちまち眩暈を感じて頭を抱える事となる。それでも呻くように、

(プリンス、は・・・)

(まだ向こうよ。落ち着いて。まだ間に合うわ、私には分かる)

 ラミエルはそのままベッドに倒れこむと目を瞑り、

(無駄な時間を過ごしちゃったな・・・)

(そんなことないわよ。あなた、あのまま続けたらどうなったか・・・)

(あまり憶えていないんだ。森を誘導したまでで・・・あの後、どうなったの?)

(竹崎に捕まったわ。今はグリックの中)

(隊長は?なにか行動したの?)

(まだよ。だから、まだ間に合う)

 その時、突然レリは立ち上がる。

(後は二人に聞いて)

 レリはゆっくりと計るかのようにドアまで行くと、くるりと振り向いて、

(病み上がりなんだから、すこし大人しくしてるのよ)

 一声残してドアを開け、出て行った。

(ありがとう『同期』)

 ラミエルは彼女の出て行ったドアに向かって目礼する。改めて室内を見渡し、左手の静脈に点滴の針だけが刺さり、テープで固定されているのに気付く。点滴自体は終わっているのか外されていて、壁際に空の点滴台がぽつんと立っていた。 

 するとドアがノックされ、ラミエルは、

「はい」

 思わず皺枯れた自分の弱々しい声に驚く。ドアが勢い良く開き、駆け込むラグを先頭に後からルシェが入って来てドアを後ろ手に閉じる。ラグはベッド脇で立ち止まると、まじまじとラミエルを見て、

― ああ、よかった・・・

 自然と二人にアクセスしたラミエルは、ラグの心の揺れに圧倒される。彼女の心はものすごい勢いで回転する渦のようで、その断片を捉える事は手馴れたラミエルでも躊躇ちゅうちょする位だ。

(ごめん、なさい・・・ラグ)

 ラグは涙を溜めた目で、

― 謝らなくてはならないのは私よ、ラミィ。私が無理させたばっかりにあなたは・・・

 彼女の思考はあちらこちらへと飛び、ラミエルには激しい渦から次第に秋の空、一面に戯れる赤とんぼのように掴み所が無く、彼女の動揺を、彼の事をいかに心配していたのかを文字通り痛みとして感じ取った。 

― 本当に、ほんとうに、ごめんね。

(ううん、僕が力が足りなかったから。プリンスを助けられなかった、ごめんなさい)

 すると、ルシェが、

(ラミィ。あなたはプリンスを立派に助けたよ。あの時、奴らに捕まったままだったら竹崎に渡される前に何か事故が起きた可能性もある。殺気立ってたからね、『ガード』は)

― 心配しないで。後の事はしっかり考えてる。あなたは早く本調子になってね。

(うん)

 ラミエルは出窓を見つめ、光に溢れた空を見る。窓からは背の低い庭木が疎らに生える庭が見える。随分前に亡くなった教授の奥様が丹精込めて育てた庭。塀沿いにはひまわりの列がそろそろ蕾を開こうとしている。鳥の声もしない。とても静かだ。 

 暑い日だが、あの瓦礫の街のやるせない暑さとは全く違う。ついさっきまで彼の意識はあの戦場に居た。この、余りにも静かで平和な光景との対比。 

 あの時もそうだった。戦場から1時間、国際空港は付近で戦闘が行われている事など微塵も感じさせない。軍用機ではない、普通の旅客機に乗って旅行者のように帰った。スチュワーデスがニコニコとして雑誌を配る。その表紙にはあの戦場、泣いたまま放置されている子供の写真が・・・

 戦争と日常、その、僅かな一跨ぎ。

(・・・とても長い夢を見てた)

― 夢?

(実戦に出たばかりの頃の、夢を見ていた・・・)

(『9.29(きゅう・てん・にいきゅう)』の?)

(そうだよ、ルシェ。あの頃の、夢)

(ラミエル。『天使』の名を貰った頃か・・・)

(あの時はまだ分からなかったんだよ。人をもてあそぶ事が面白かったんだ)

― ラミィ、その話やめた方がいい・・・

(ううん、言わせて。僕は自分が持っている力が本当に自慢だったんだ。特別な名前を貰って、そう、ルシェや『マスター』のようなサイのスターに憧れて、一生懸命訓練した。そして、人も一杯、殺た・・・)

― ラミィ、いいから、

(言わせてあげて、ラグ)

 ルシェはラグを制するとベッドに浅く腰掛ける。上からじっとラミエルを見た。ラミエルはそんなルシェの姿に、正に許しを、同じ想いを共有する同士の姿、本当の味方を感じ、思わず目を伏せ感情の揺れ動きを制した。 

 ラグの方は立ち尽くしたまま目を見開いて彼を見る。その姿は彼に母性の温かさ、心配される事のもどかしいような安心感を伝え、彼は再び過去に向き合う力を得る。

(最初に戦場に行った時、本物の殺し合いが目の前にあって、訓練の時の『マウス』相手では感じた事がない、ほんとうの恐怖があって、それは自分だけでなく、味方も、敵からも立ち昇って、辺りの空気が重くて呼吸がとても苦しくなる位だった。訓練では、『マウス』が本当に自分の運命を悟る時に発する絶望の悲鳴を感じる前に、一気に終わらせる事が大事だった。中には、それを愉しむ奴も居たけど、僕は違ったよ。彼らが苦しまないように、一気に決めていた。でも、どっちにしても殺す事に違いはなかったんだから、僕は立派な偽善者なんだ。ああ、そう、戦場のあの空気の重さが、どうして非能力者ノーマルには感じられないのか、不思議なくらいだったよ。たくさん人が死んでいた。子供が泣き叫んでいても、哀れに思って助けに行っちゃいけないの、知ってるよね?敵はそれを待ってるから、助けに行ったら狙撃されたり、仕掛け地雷ブービートラップにひっかかるだけだって。怪我をしたり親を亡くして独りになったり、そうしておいて、敵は子供を縛って転がしておく。餌は生かして置かなければ餌でなくなるんだって。そんな事を向こうで護衛の軍曹達から聞いて、僕はね、やっと自分が踏み込んだ、とても汚い道に気付いたんだ。でも、もう、遅かった。みんなもそうでしょう? その時には、自分が生き残る事だけで、精一杯になるんだ。そこで僕は、同士討ちをさせて敵を殺した。斥候にアクセスして、彼だけ地雷原を無事に渡らせて、後から来た本隊を地雷原の真ん中に誘い込んで全滅させたり、敵の指揮官にアクセスして、彼の命令の結果殺された子供の最後の姿をエンドレスにしてぶつけて、ピストル自殺させたりもした。家族のことを考えていた歩哨を望郷の念を高めて狂死させたり、女性の指揮官を子供の罠に嵌るように仕向けさせて、狙撃で倒してもらったりもした。僕は、とても汚い殺し屋になった。自分では血を見ないで、みんな人にやらせたり、随分離れた所から殺したり、とにかく、自分が殺した証拠を自分で見ないようにしていたんだ)

 ラミエルはひとつ溜息を吐くと窓の外を見る。

(最後の日、敵の部隊を同士討ちに持ち込んで損害を与えた後、僕は護衛と一緒に脱出したけれど、その時、敵の砲撃が始まって、僕等は廃墟の中で孤立した。砲撃の後、こっちは一人が怪我をしただけで、撤退を再開した。でも、敵も馬鹿じゃなくて僕らの存在を察した奴らは、砲撃で僕らを足止めさせた後、特殊部隊をヘリで送り込んで急襲したんだ。僕の周りで人が殺し合いを始めた。あのクロダ隊はとても優秀だったんだ。だから中隊規模の空挺部隊ヘリボーン相手でも、たった15人で随分長い間抵抗出来たんだ。僕は、皆に瓦礫の下に押し込められて逃げるようにって言われるまま、ビルの廃墟の下へ下へと逃れて、何も、本当に怖くて、なんにも出来なかったんだ。そして、僕を弟の様にして可愛がってくれたレシーバーのサノ伍長が、敵に囲まれて最後にアクセスして来たんだ・・・)

 ラミエルは喘ぎながら、両手で顔を覆う。思わずラグが動くが、ルシェの手がさっと伸びて、ラミエルへ向いた彼女の身体を遮断機のようにして留める。すると、

(サノ君は、私も知っていたよ。私の場合は中米のジャングルの中で何度も彼に励まされた。あの頃彼は、まだ20歳の新米だったのにね、あの明るさにとても助けられた。ラミィが中東に行ったのは4年前だったよね。じゃあ、あなたは15で彼は25歳くらいだったね)

 ルシェは眠る赤ん坊に語りかけるような静かな穏やかな『声』で、ゆっくりと『話し』た。ラミエルは気付く。ルシェは解っているんだ、あの瞬間の、深くて身の置き所もない絶望感を。 

 何とか息を整え、ラミエルは再び話し始める。

(サノ伍長はこう言って来た。『この先自分のことが嫌になっても、絶対に振り返ってはいけないよ、前に向かって行くんだ、絶対に振り返るな。』でも、でもね・・・)

 ラミエルの顔を覆った手の下から光るものが流れる。

(それは、嘘なんだよ。そしてね、サノ伍長も嘘だって解っていて、最後にね、伝えて来たんだ。僕は、今になってやっと解ったんだ。振り返るのはとても大事なんだ、ただ、振り返っちゃいけない時もある、あの時はそうだったんだ。振り返っていたら、何とかしようとして立ち向かっていたら、僕は死んでいただろうから。僕はネズミみたいにビルの瓦礫の下を這い回って、あの場所から逃げた。やがて味方が駆け付けて僕を助けてくれるまで、僕は伍長の言葉をおまじないみたいに繰り返してたんだよ、振り返っちゃいけない、って。そうやって伍長は僕をあそこから連れ出してくれたんだ。あの日は散々な日だった。 敵の反撃は本部にしていた郊外の住宅地まで及んで、混乱の中『9.29』の『マスター』も行方不明になってしまった。その後は、余り覚えてないんだ。いつの間にか空港に居て、いつの間にか日本に帰っていた。その後も、僕は中米やアフリカに行ったけど、僕はね、ずっと、振り返るな、って唱えながら・・・殺し続けたんだ。伍長は、それが間違いだって僕が気付くまで、ちゃんと護ってくれていたんだ。何故なら、戦場から帰って安全な味方の中で静かにあの時の事を振り返ってしまったら、僕はきっと死にたくなっていたから・・・)

― ラミィ・・・

(ラグ、大丈夫だよ僕は。今は分かっているから。僕はあの時死んだクロダ隊の犠牲で生き残ったんだから、簡単に死んでは彼らに申し訳ないよね。でもね、戦争だから仕方がない、って帰ってきた時ラファエルは言ったけど、それでも僕の罪は消えない。あ、これはラグやルシェや隊長たちを批判しているんじゃないよ、だから、殺した数なら自分達のが上、なんて不毛なことは言わないでね。そういうことじゃないんだ。僕らは、望まれて生まれて来た。普通の形じゃなく、愛情の対象としてではなく、単なる兵器として、ね。こんなのは僕らで最後にしたいんだよ。せめて、その実現のために生きて行きたい。これが僕の償いなんだ。もう、ああいうのは、ごめんだもの。それに・・・弟のことも、もちろん・・・)

 ラミエルは顔を覆ったまま、声を立てずに泣いた。ラグは、思い切り泣く事すら出来ない自分達の現状を思って、ラミエルを見つめる事しか出来なかった。 

 自分の方が殺した数は・・・なんてこと!これは罰なのだろうか?私達はこんな風にずっと思い続けるのだろうか?宗教に帰依していない彼女には、自分の半生を含め答え様のないことだった。

 ルシェはそんな二人を見ながら、ゆっくりとベッドから立ち上がる。そして、

(ラミィ。長い夢の最後は、やっぱり中東での最後の日だったんだね?)

 ラミエルはただ頷いた。

(なら、それはあなたに必要な夢だった筈だ。それを振り返ったのは、あの時以来だろ?)

 これも只、頷く。

(ラミィ。あなたはプリンスを『マリオネット』で誘導した直後、昏睡に陥った。あれはきっと『あちら』まで支配域を広げた所為で限界を遥かに超えてしまったからなんだろう。色んな意味で疲労のピークだったのさ。人を操っているあなたにも分かる筈だが、人間って、罪悪感だけは何時もすぐ『見えるところ』に置いてある。罪悪感が眠るあなたを地獄に追い遣ろうとしたのさ、きっと。それを救ったのはレリだね。彼女の技が見える。彼女に感謝することだ。レリはラミィの過去を再現して昇華させたのさ)

(え?)

(だってそうしないとあなたは、あの夢の中から戻って来れなかったろう? あなたはエンドレスな夢の世界に嵌ってしまっていたのさ。彼女が手を出さなかったら多分、あなたは、あの戦場でみんなが生き残る、みたいなハッピーエンドにして、それに浸って、現実からどんどんと離れて目覚めることなく衰弱死しただろうよ)

 ラミエルは手を退けて、涙目のまま、ルシェを見た。正に驚きの表情だった。

(そう、なの?だとしたら僕はなんて、)

(気にしない気にしない、ラミィ。あなたは優し過ぎるんだよ。そいつは他人には悪い事じゃないが、自分は傷付く。終わった事はもう変えられないんだよ、残念ながらね。だからもっと強くおなり)

 そうか、やっぱりレリの声だったんだ。ラミエルはそう思って、少し安心した。

(うん、分かった。ありがとうルシェ。もっと強くなるよ)

 頷きながらにっこりとルシェが笑う。偽装でなくルシェが笑うことなど滅多に無い。だからラミエルやラグには、その笑顔が余計に救いに見えていた。



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