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第9章(後)〜ゲームのルール


「おかえりなさい」

 アッジが玄関に飛び出して来る。

「ただいま」

 両手にレジ袋を二つづつ提げたラグが言う。

「さあ、これ持って行って。今夜は庭でやるのよね?」

「わあ、たくさん買ったね。うん、みんなでバーベキューの用意しているよ」

「オオニイも?」

「そうだよ」(呼ぶ?)

「上にいるわ。お父さんたちと」― 呼んで。

「はーい、がんばって作るからね、何かあったら呼ぶから」(了解)

 ラグはアッジの肩をポンッと叩くと、後ろに続く教授と少年に目配せし三人で二階へと上って行く。車を車庫に入れていたザッキが玄関から入って来ると、アッジはにっこりとして、

「チイニイ、待ってたよ、炭火熾すの手伝って」

「はいよ」

「おっそーい!」

 突然、スカーフを頭に巻いたサリーが奥から突進すると、ザッキの腕を思いっ切り叩く。

「痛っ、なんだよサリナ」

「早く手伝ってよ、バーベキューの網、錆びちゃてて大変だったんだから」

「へいへい、行きます行きます」

 ザッキは腕からぶる下がるサリーを引き摺りながら廊下を庭へと向かう。すると向こうから隊長 ―カマエルがやって来た。

「おう、父さんと話してくるから庭の方、頼むぞ」

「はい、まかして」

 すれ違い様カマエルの目配せに軽く目礼して、ザッキは二人を従え庭へ降りて行く。

 カマエルは二階の階段脇にある十二畳の洋室(三年前までは教授の書斎だった所で、大所帯となった今では教授と少年の寝室でもある)のドアをノックする。

「父さん、入りますよ」

「はい、どうぞ」

 カマエルはドアを入って直ぐ左にある応接セットの三人掛ソファに座る。教授は自分の机の椅子、ラグはバルコニーへ出る手前にある三畳ほどのサンルームに沿って置いてあるデッキチェアに浅く腰掛け、少年は部屋の隅に押し付けてある折り畳み式の自分のソファベッドを引き出して寝転がり、ラグが買ったアルミの籠を放り投げては受け取っている。

「一つご教授頂きたいのだが」

 カマエルが座るなり、教授が話しかける。カマエルはまずはそれを無視して、

「エミ?」

 ラグが立ち上がって、ドア側の壁面一杯に広がる書棚の一角に置かれている旧式なオーディオの前に行き、教授お気に入りのモーツァルトのCDを掛ける。同時にその横にあるCDラックを横に引き、奥に隠されていた『バルーンメーカー』のスイッチを入れた。オーディオのスピーカーは部屋の他にサンルームにもあり、サンルームはオーディオセットからきっかり5m先。表にはモーツァルトが流れ、会話が消えても不思議に思われない、と言う訳だ。

「何でしょう?」

 ラグが頷くと、カマエルは教授に向かう。

「エスピオナージュの世界は、門外漢の私には分からない事が多いものでね。いや、なに、スパイごっこはそれなりに愉しんでいるつもりではあるがね。隊長、お教え願いたい、『行き』は分かるが、なぜ『帰り』もこそこそしなくてはならないのかね?どうせ私がここへ帰ってくるのは分かっているのだろう?彼らにも」

 カマエルは教授の相変わらずの大業な言い回しに苦笑しながらも答える。

「それはですね、相手へのサインですよ。あちらもこちらへサインを送ってますからね、見張ってるからな、大人しくしてろよ、もし下手なことをすると・・・とまあ、こんなところです。だからこちらも、見張られてるのは分かってますよ、そちらにはこれ以上チョッカイは出さないから、好きにさせてくれ、って言う訳です」

「私たちが、どこから乗ったか分からなくする事が、かい?」

「こちらもテクニックを持っていること、そしてこの世界にもツテがあることを分からせている訳ですよ。ついでに、いつでも対抗できるぞ、という警告にもなる」

 教授はやれやれと笑うと、

「君たち軍人さんや公安警察の世界は、全てがゲームと紙一重なんだねぇ。確かにこういうことに夢中になる人間も居るわけだな」

「でも、このゲームでは人が死にますよ」

 カマエルの言い方に冷たいものを感じた教授は目を伏せると、

「いや、済まなかった。君たちが生死をかけて事に当っているのは十分、分かっとるつもりだよ」

「いや、こちらも済みませんでした。教授にはご迷惑を一杯お掛けして、居候までさせて頂いているのに」

「いや、妻に先立たれ子供もいない私には願っても無い老後だよ」

「あのー」

 隅のベッドから声が上がる。

「歓談中すまないが、そろそろ本題に入らないかな?親睦会なら後で庭でやるんだろう?」

 皮肉な声は、教授の声を若くしたかのようにそっくりだった。

「あ、すまん。キミにも分かるだろうが楽しくて仕方が無いのだよ、不謹慎と言われてもね」

「そういう奴だよ、あんたはね」

 少年は自分の祖父程も年の離れた教授にタメ口を聞くと、ベッドに半身を起こし、籠を丁寧に床に置くと話し始める。

「アイは元気だ。皆によろしくと言っていた。相変わらず光蓮ウァンリェンと一緒だった。最近はあの2人、まるで姉妹のようにも見えるな。中佐、アイにこの前の話はしておいたよ。アイは作戦実施に反対する気は無いと言ってる。つまりはゴーだ。後は君等次第と言う事だね」

「そうですか、分かりました。他には何か?」

「プリンスのこともそうだが、レイの心配をしていたよ。物心付く前に引き離され、早4年が過ぎた。リヴァイアサンと言えども親に変わりは無い。宿命とは残酷なものだな」

「そうですか」

「・・・レイも目標に、なりませんか?」

 デッキチェアからラグの声が上がる。

「何かな、ラグ」

「レイもプリンスと一緒に連れて来ることは出来ませんか?」

「現役のリヴァイアサンをかい?なんと大それた事を考えるものだな」

 少年は苦笑すると、

「ラグ。それだけはだめだ。いくら『エンジェル』と言えどもタブーに挑戦してはいかん」

「そうなのでしょうか?リヴァイアサンの存在が物事の誤りの始まりではないのでしょうか?脱出口を開く者、他国ではそんな意味の名を持つリヴァイアサンも居るそうです。権力を持つ者たちが自分達の保身やいざと言う時のための保険・栄誉のためにリヴァイアサンを囲う、こういうことがあの世界を狂わせた、そうは思いませんか?」

 少年はラグを無表情で見つめていたが、やおらベッドから跳ね起き、ラグの傍らまで歩いて行くとその顔をじっと見つめる。

「本物の戦争になるぞ」

 ラグも目線を逸らさず、

「覚悟の上です」

 二人の対峙は、そのまま一分ほどが経過した。

「それが君の解決法かい?」

 少年はそれだけ言うとくるりと振り返り、ゆっくりと部屋の中を歩きながら、

「リヴァイアサンの存在に全てを被せる、というのはどうだろうな。人間とは弱いものだよ、ラグ。たとえリヴァイアサンが居なくとも、きっとあの世界は狂っていた。リバーサーがいる限りはね。只でさえ権力を得た者は、権力を得るまでに費やした様々な犠牲や投資に見合ったものを欲する。最初にその権力がどんなに清く正しく使われようと、そこに政治が介在すればいつかは必ずそうなる。もし清貧なまま見返りも求めずに力の頂点で政治を行い続けると、何が起こると思う?」

 ラグも立ち上がり、

「ぜひ、教えて頂けますか?『准将』閣下」

 少年はククッと笑うと、

「なあ、『大尉』。君らと違ってその階級は軍が勝手にくれたものだよ、自分で勝ち取って得た称号ではない。そんなものに価値など無いだろう?それにしても、だ。以前から思っていたが、君は怒ると非常に皮肉屋となるね。人によってはそういう所がそそられる、という男も多いから気を付けた方がいいよ、ラグ。特に政治家や軍人はそうだ」

 少年は目の前の蝿を追う様に手を左右に振ると、

「まあいい。質問に答えよう。政変だよ。反対勢力が必ず騒動を起こす。何故なら、自分達が権力を得ても見返りを得る事が悪と看做みなされ、権力行使が難しくなるからだ。その政体の軍や警察に発言力があるのなら、それはクーデターへと発展する。歴史が証明しているよ」

 すると、カマエルが穏やかな声で、

「政治は利権を伴わなければうまく機能しない。先生の持論ですね」

 少年も笑って受けて、

「持論も何も、真実だよ。様はコントロールさ。政治は左右上下東西南北、あらゆる方向にバランスよく対処して行かねばならない。その方向が味方であろうと敵であろうと、後ろを取られたら、負けだ。そのために様々な道具立てが必要となる。あちらの世界のリヴァイアサンもそのパーツに過ぎん。無論、リバースもそうさ。こちらにはリヴァイアサンやリバーサーがいない分、人間はちょっぴりお利巧で居られた、そういうことだと思うがね」

 少年は一旦口を閉じ、再びラグの前に立つと、

「リヴァイアサンは多分に政治的なものだ。あれを人間と考えるのは正しいが、自由な存在になってもいい、という考えは異端だ。私はその異端に加担している訳だが、いくら反逆者となった今となっても現役のリヴァイアサンをあの国から奪い去る、そういう考えには賛成出来ない。これでいいかね?」

 ラグはじっと少年を見つめていたが、やがて溜めていた息を吐き出すとデッキチェアに座る。

「すみませんでした」

 すると今まで黙って推移を見つめていた教授が、

「ラグ。君が家族という存在に、思うところがあるのはよく知っているよ。アレも言うようにどんなに義憤にかられた行動だとしても一線を越えてしまっては独善と言われても仕方が無い、そういうこともある。リヴァイアサンはあちらの世界では国宝のようなものだ。レイは生まれた瞬間から手の届かない、否、触れてはならない存在なんだと思う。一国の王家や徳川のような将軍家、過去同じような例は多い。諦めなさい」

 ラグは目を伏せたまま、答えなかった。

「さて、作戦は中佐達の専門だ。後はタイミングだが、その後、どうかね?」

 雰囲気を変えるかのように少年が問うと、カマエルは、

「この前お話したように、ラミエルの意識が戻りません。教授のご好意でお仲間の先生に診て貰って以来、もう5日が過ぎました。もう一度お願い出来ますか?」

「構わんよ。彼も気にしている。この前も言ったが、ミヨシ助教授は腕の良い精神科医だが医学部でもアウトローだからね、私と同い歳なのにまだ助教授だ。ま、他言はないから安心していい。庭に呼ぶのはどうかね?」

「お願いします」

「では、そうしよう。携帯は盗聴される?駄目かい?」

「みんなでワイワイやるが、どうかね?程度で呼んで頂けましたら」

「分かった、そうしよう。あれも独り者だ、きっと喜んで来るよ」

「ありがとうございます」

「ラミエル君だが、まさかリバースじゃないよね?」

「それはないでしょう。リバース時点の意識不明は仮死状態と言うか冬眠と言うか、とにかく体温も下がって呼吸も普段の半分、心音も弱いですからね。今の彼は只単に眠っている、そんな感じですから」

「そうですか。わかりました、ありがとう」

 少年がカマエルに問う。

「それで、ラミエルが本調子になるとして、どうするね?」

 カマエルは彼の前に立つ少年の方では無く、デッキチェアの方を見つめながら言った。

「全力で行きますよ。今度は全員総掛かり、でね」



「はいそこ、焦げてる。頼むよチイニイ」

「はいはい」

「チュウニイ、肉ばっか食ってないで、野菜もいっちゃってよ」

「はいよ」

「サリナ、注意ばかりしてないで、食べなよ」

「だってぇ、太るもん」

「こっちの鉄板、焼きソバ出来たよ、どうぞ」

「あー!トウモロコシ全部焼いちゃったの!一本残しといてって言ったじゃん!茹でただけがいいのよ、オイラは!」

「バカ、叩いたからソーセージが落ちたじゃないか!」

「そんなのもう一度焼いてチイニイが食べればいい」

「おい、いい加減にしろよ―」

 庭は50坪程で塀に囲まれている。今はその塀についている裏木戸が開いていて、教授の『家族』以外にも近所や教授の友達が何人か加わり、混み合っていた。

「それで、どうですか?具合は」

 ラグは庭の花壇の前に置かれた丸テーブルに白髪のボサボサ頭の小男を招いて小声で話していた。小男は皿に乗った肉を頬張りながら、

「ああ、バーベキューっていうのは、こういうのでないとね。独りで作ってもこうはいかない」

 サリー達の騒々しい掛け合いの中、ラグは少々声を上げて、

「先生、あの子の具合は」

「まあ、そう急かさんと。あの子の昏睡は、ちょっと不思議なところがあってね。この前も聞いたが、突然卒倒してああなったと?」

「ええ、まあ」

「そうかな?あの症状は十代の未成熟なアスリートが限界以上に頑張り過ぎたり、大変な恐怖に見舞われた子供がトラウマを回避するために身体がブレーキを掛けている、そういう類のものだよ。あの子は大変なプレッシャーを受けていた。そうだね?」

「それは・・・」

「言えないか、ね?まあ、タケサキさんもその辺はぼかしているし、詳しい事情は、私などに話さなくても構わないが、医者としては原因が見えないと治療の施しようもない。どうするね?」

「・・・」

「分かった。いずれにせよ病院に行けないというのなら脳波も取れない、CTやMRIも無理、推測でやるしかないのだが。昏睡して10日目、外傷は無し、呼吸は正常、血液も正常、5日前に排泄物の処理はしたので、胃腸は空・・・点滴はきちんと行っているね?なら、暫くは大丈夫だな。心因性なのは確かだと思うがこの前より眠りは浅くなっている様子だし、この2、3日中に目が覚めると思うよ。あくまで憶測だがね。私もこんな症状は初めてなんでね。起きて暫くは記憶に欠如が見られるかも知れない。とにかく原因不明では投薬も無理だ。この前あげたのと同じ生理食塩水にブドウ糖の点滴と少量の栄養剤を処方するよ。明日用意しておくが、取りに来れるかな?」

「・・・ご無理を言って済みません。それで結構です。明日伺います」

「では、そういうことにしよう。焼きソバ貰ってもいいかね?」


「先生が奥様を亡くされて、もう10年?その位でしたかね・・・」

「そうですね、11年になりましたよ」

 教授はポーチの庇の下に設えたテーブル前にある錬鉄の椅子に、お隣の夫人と三軒先のタジマ夫人を迎えて話し込んでいた。

「先生は行動派だから、おひとりはお寂しかったでしょう?」

 お隣の夫人が優しい笑顔で尋ねると、教授は苦笑しながら、

「子供一人も作る事は適わんかったですからな」

「そんな風に言うもんじゃないですよ」

 タジマ夫人がやんわり嗜める。

「あの猫ちゃん、奥様が可愛がってらした三毛ちゃんも、後を追うように亡くなりましたものね」

「私には猫を飼う素質は無かったらしいですね、エリコが大事にしていたセラヴィを殺してしまった」

 お隣の夫人は教授の方に右手を振って、

「また殺したなんて縁起でもない。あの子は15歳位の老猫でしたでしょう?寿命ですよ。あの子は奥様が寂しくないように追って行ったんですよ」

 タジマ夫人が明るい話題の糸口を掴もうと、

「でも、ほら、今はこんなに賑やかで逆にうらやましいわ」

「・・・でも、どこで知り合ったんですの?サトルさんでしたっけ、オオニイさんたち」

「あれ、奥様、知りませんでしたの?」

 タジマ夫人が意外そうにお隣の夫人に声を掛ける。

「先生の考古学でしたっけ?その発掘に参加されていたんですよね、サトルさんたち」

「そうですよ、ああ、詳しく話さなかったかな、コイデさんには」

「私もおばあちゃんですからねぇ、物忘れが激しくて」

 お隣のコイデ夫人は笑いながら、自分の後頭部を掌で軽く叩く。教授はそんなコイデ夫人の目を見ながら、

「タジマさんは考古学などと仰ったが、私のはもうちょっと後の時代からが専門で史学というものでしてね、座学の方に重点が置かれているが、たまには外で土いじりもやるんですよ。その時サトル君と弟君のタケシ君が手伝いに来ていて、良くやってくれたんですよ。聞くと、彼らは異父兄弟で早い内にご両親を亡くして施設に居たらしいんだが、そこがひどいトコだったようで、成人して働き出して、その施設に居て出る事を望んだ子を引き取ったんですな、みんな訳ありで、3年前までは小さなアパートに10人程がぎゅうぎゅう詰めだったらしい。そこで私は、独りでは少々寂しかった屈宅へ呼んだんですよ」

「そう、そうでしたね。思い出したわ、何故忘れたんでしょう?ほんとに嫌になってしまうわ」

 お隣の夫人が曖昧に笑いながら、紙コップのウーロン茶を飲んだ。教授もお愛想笑いを浮かべたが、目は笑っていなかった。

「みんな孤児なんですよ、あの金髪のサリナはハーフですが親は行方が知れません。彼女は生まれた直後に経済的理由で施設に預けられ、そのままだったそうです」

「でも、サリナちゃんは元気でいいですね。ウチのチロはあの子が大好きで、散歩中に会うと喜んですごいんですよ」

「本当にみんないい子達で羨ましいわ、先生」

「ええ、助かってますよ、ご近所には煩くして申し訳ないですが」

「いえいえ、こちらも元気を頂いてますよ」

「そう言って頂くと助かりますな、いや、ありがとうございます。さて、失礼ですが私はちょいと外させて頂きますよ」

「ああ、すみません、どうぞ皆さんとお話下さいな。今日はお誘い頂いてありがとうございます、お土産まで頂いてしまいまして。余りお気になさらないで下さいね。では、私たちも夕飯の用意がありますので、これで」

 二人の夫人が裏木戸から頭を下げて出て行くのを見届けていると、

(先生)

― ルシェかい?

(はい、お隣の奥様ですね?)

― そうだね。効果が薄れている、と言うやつかと。

(その通りです、直ぐに補強しますのでご安心下さい)

― ありがとう

(いえ、ご心配お掛けして済みません)

 教授が見回すと塀に凭れていたルシェが動き出すところで、視線を捕らえると微かに笑みを浮かべ裏木戸から出て行った。



「さて、これは彼らが駐車場のランプから出た所を映したものです。これに駐車場へ入る直前の車を重ねます。撮影した場所が違いますし、進行方向も逆ですので少々調整致します」

 30代の技官はパソコンを操作して、何度かのコマンド入力とクリックで画像上の車を反転させたり角度を調整したりしながら、やがて画面中央にピタリと重ねる。 

「これです、ここを見て下さい」

 技官が示す画面を5人の人間が身を乗り出して見つめる。100インチの液晶ビジョンで壁のスクリーンに投影されているので、会議室の馬蹄形のテーブルに着席したままでも充分に見て取れるが、思わずそういう姿勢を取るのは彼らが真剣な証拠だ。

「このままですとまだ見難いので、ビフォー・アフター、ということで、入る時を赤い輪郭、出た時を青い輪郭で囲います」

 画面上の重なった車の前面に青、赤二色のラインが走った。タイヤから先、僅かに2色のラインが離れ、ルーフトップでははっきりと離れた2色の線が平行に伸びていた。赤が上だ。

「お分り頂けますでしょうか?入る前、後では車体の沈み具合が違います。対象の女性はデパートの洋菓子店でクッキーの詰め合わせ3個を買っている。それ以外に重量の変化は無いはずですね。しかし、車体は僅かに沈み込むほどの変化を見せている。およそ100から120kgほど荷重が増えた事を示しています」

 参加者は誰一人発言しなかった。技官は暫く沈黙したが、パソコンを操作して次の画像を映した。

「こちらはサーモグラフィです。特殊処理で車体表面の温度を無視しています。先程の位置から暫く離れた位置で測定されました。画面を右左に分けます。右が駐車場に入る前、左が出た時です。赤くなるに従って温度が高い事を示しますが、出た所では後部座席、ほとんど床の部分に2箇所高温部が見られます。入る前の画像でも座席に高温部が見られますが、これは外光によりシートが熱せられて出来たものと推定されます。ちなみに、この時点では床の部分にそれほど部分的な温度変化は見られません。なお中心部分に見られる大きな反応は、後部座席にある大きな籠状のものです。これが結構邪魔をして車内の温度分布を乱していますが、対象が床に伏せていて籠から距離があったためかろうじて判別出来ました」

「それで結論は?」

 それまで黙っていた一人が訊く。

「二体の生物、これをそれぞれ対象C、対象Dとします。対象Cは身長180センチ体重65キロ、対象Dは身長160センチ体重45キロほどの生物が、駐車場のいずれかの地点で対象A、Bの車に乗り込み、二体とも後部座席の床に寝そべったまま、駐車場を後にしました。二体の生物が人間である可能性は95%。性別は男性である可能性が対象Cが85%、対象Dが70%となります。分析結果は以上です」

 男の一人が頷き退席を促すと技官は一礼し、資料を集めて部屋を出て行った。すると黙っていた他の人間の内、馬蹄形の丸い部分に居た一番若い男が話し始める。

「彼らはプロですが、組織は小さいか弱いですね。これが限界なんでしょう。自分達が尾行され監視されている事が分かっている時、組織が大きな対象の場合、もう少し複雑且つ大量動員して真実をぼかします。しかし、彼らはそれをしない。しかも、諦めてタクシーか公共交通かを使った方が返って尾行を撒ける可能性が残っているのに、それもしない。これは何を示すか、分かりますか?」

「シロウトが混じっている、ということだね」

 テーブルの反対側から声が上がると、その隣にいた頭の禿げ上がった男が、

「その通りだ。学生運動たけなわの頃、新左翼の行動に同じパターンがあった。ベテランが新人を使わざるを得ない、そういう組織に見られるパターンだ」

「しかし彼らは左ではないようだ」

「そう、右でもない。『神懸り』の可能性はあるが、まず違うだろうな」

「しかし高度な訓練を受けているプロが中核にいて、こちらの『メッセージ』を確実に理解し、しかも『返事』まで寄越している。一見無駄な行動を通してね」

「一体誰かね?彼らは」

「竹崎稔、65歳。東都大学史学科教授、日本の中世史の専門家。前科無し。妻を11年前に亡くし子供はいない。天涯孤独の彼の家に、いつの間にか10人以上が居候している。年の頃12歳前後から40位までの男女。彼らは同じ民間の福祉施設で生活していた孤児たちで、それぞれの戸籍や履歴は確認されている。孤児たちのリーダーは大田聡、38歳。異父兄弟の毅、31歳と共に両親の死別で施設に託され育った。2人は独立して施設を出た後、施設の管理を嫌がっていた若者13名を聡が仮親となることで引き取り、共同生活をしていた。たまたま発掘作業に従事した時に竹崎と接触、意気投合して一緒に暮らす事となる。しかし彼らの年代が離れ過ぎな気がするし、30代の屈強な男女が目立つことや、この一ヶ月ほどで4、5人の人間が家を出たまま帰って来ないことも気になる点だ」

 最初に話した若い男が顎に手をやり呟くように言う。

「カルトのパターンにも見えるが、行動に宗教活動が見えない。トリックを用いてこちらの尾行を卒倒させたようだが、証拠は無い」

 すると突然、薄暗かった部屋に明かりが点った。今まで発言せずテーブルに両手を付いていた男が、いつの間にか壁際の蛍光灯のスイッチを入れていた。そして眩しげに見回す彼らに、

「申し訳ないが、詮索はそこまでにして頂きたい」

「捜査ではなく、監視のみにせよ。指示に変更は無し、ですか・・・」

「それで、こんな事をいつまで続ける?」

「時期が来たらお知らせする。今まで通り、付かず、離れずでお願いしたい。彼らと接触してはいけない。見守ってさえ頂ければよい。脱法行為が見られた場合も、ここを強調したいが、くれぐれも現行犯逮捕などは控えて頂きたい」

「見逃せ、という事でしょうか?」

「そうではない。こちらに知らせて頂きたい。直ちに、寸分の遅れなく、だ」

「シイナ君。前も尋ねたと思うが、君の長官秘書課特別二係とは、一体何なんだ?我々公安はそちらの警備局指揮下だと思っていたが?」

 皮肉たっぷりに50代の男が聞く。 

「すみません、課長。それは極秘事項―レベル0です。たとえ機密事項―レベル1を知る資格がある貴方でも、これだけはだめです。申し訳ありませんが、今まで通りでお願いします。これについては、重ねて部長からの直接命令が必要ですか?それとも、警備局長から命じて頂きましょうか?」

 警視庁公安部公安総務課長は警察庁の男を睨みつけていたが、やがて視線を逸らすと腕組みしたまま天井を睨んだ。

「命令は要らない。仕事はする、だが、納得はしてないぞ。公安総務では一切の責任は負えないので、これを文書にしておく」

「すみませんが、公文書にしないで頂けますよね?肩書き無し個人の覚書や日記という形で自重して頂けましたら。当然、署名無しで、ですよ?念のために申しますが、それでもこの一件の周辺情報を書き込むのは、公務員守秘義務違反となりますので」

「わかっとるよ!」

 課長がテーブルを両手で叩く。憤怒の視線の先には男が一人。張り詰めた空気の中、警察庁の男は動じることなく視線を受けていたが、やがて立ち上がると、

「では、私はこれで。お疲れ様でした」

 一礼すると、会議室を出て行った。公安総務課長は、テーブルの縁を両手で掴んでドアを睨んでいたが、なんとか息を整えると、

「片付けてくれ。今日はもう店仕舞いだ。作業班を定点監視組以外引き上げさせろ。それから」

 と、課長はテーブルの上に投げ出していた自分の上着から札入れを抜き、そのままテーブルの上に放り投げると、

「おい、キハラ、これで少し飯でも食え。出来るだけみんな連れて行けよ。行けなかったやつは後で俺に言え、別の日に食わせてやる」

「課長、これはワイロですか?」

 今回、総務第一公安捜査の人員で構成する作業班を率いるテーブルの中で一番若い男、キハラ管理官は笑いながら言ったが、課長はニコリともしなかった。

「ワイロってえのはな、見返りがあるから渡すもんだ。こういうのは口止めって言うんだよ!」

「一体どの口を止めるんです?口が堅いのは数少ない我々の美点ですよね?」

「公安が本店の小間使いごときにヘイコラしてるんだぞ。まったくあの『トクニ』ってえのは得体の知れない連中だ。それにしてもだ、警備局長以外が俺達に指一本で指示を出せるなんてことがばれてみろ、闇に潜んでいるご老体の極左の連中が腹を抱えて笑うに決まってるからな!」

 課長がこんなに怒ったのを見たのは、俺が新米の時に遭遇した地下鉄サリン事件直後以来だな、とキハラは思っていた。



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