第7章〜エンジェル
その少女は車両の中でも良く目立った。通勤時間帯が終わった10時半、立っている人間も疎らとなり座席もちらほらと空きも見える中、15歳前後に見える少女は深々と腰掛け足を組み、ヘッドフォンで耳を塞ぎ音楽に合わせて微かに身体を揺すっている。
コットンの黒いショートパンツに銀色の幅広ベルト、黒地に赤く英文字が躍るTシャツ、素足に茶色のサンダルと格好はコギャルそのものだったが、すらりと高い170cmの身体に背中までの長い金髪、シミソバカスひとつ無い透き通るような白い肌、あどけなさの残る小顔は全く化粧気がなく格好や仕草とはアンバランスだった。風貌は東洋人だがその瞳は青く、ハーフのように見受けられる。ある者は嫌悪も露に視線を逸らし、ある者はちらちらっと盗み見る、少女を震源に車内は浮付いた雰囲気となっていたが、あくまで彼女は周囲には無関心で車窓の外に視線を泳がせている。
駅に停車する度、人は入れ替わって行くが、少女は降りる様子を伺わせなかった。マイペースな気儘さを垣間見せながら時折小さく歌詞を口ずさんだりもしていたが、ある駅が近付き電車がスピードを落とすと突然立ち上がり、止まりかけた車両のドアに身軽に駆け寄り、ドアが開くとまるで猫が塀から飛び降りるかのように流れるような仕草でホームに降り立った。
するとその車両の端で先程から新聞を熱心に読んでいた青年が、同じように急に立ち上がりホームに降りる。少女は青年とは反対の方向を向いていたが、もし青年がその顔を見ることが出来たとしたら、もう少し慎重な行動をすべきだったと後悔しただろう。
少女はそのまま改札へと向かい、青年も距離を置いてゆっくりと改札に向かう。と、突然、青年は立ち止まり、よろよろと身体を泳がせるとその場にへたり込んでしまう。頭を抱え身を震わせると、いきなり吐寫、白目を剥いて気絶した。女性客が悲鳴を上げ、ホームの駅員が駆け寄る。十数人の乗降客が倒れた青年を遠巻きにする中、少女は電車を降りた時から顔に張り付かせていた薄ら笑いを消し、興味なさげに人の輪を一瞥すると入線して来た逆方向の電車に乗り込んだ。
少女はその駅から5、6駅戻った駅で電車の発車寸前に飛び降り、小走りに駅の階段を駆け上がると改札を抜けて行った。改札を出て一歩街中へ踏み出すと、ポンッ、と少女の肩を叩く者がいる。
「なに?」
少女は飛び上がって一歩引いたが、直ぐに、
「うー、もう!びっくりしたよ、ねーさん」
「いいから、そのまま歩いて」
『ねーさん』と呼ばれた女は24、5歳。少女と似たような格好をしていたが、こちらの方がずっと様になっていた。銀製のロ形のバックルを付けた黒いベルトに黒いレザーのショートパンツ、ブランド物の黒いTシャツ、ルビーのピアス、ターコイズのシルバーペンダントにムーンストーンの三重ブレスレット、唯一つそぐわない部分は素足にナイキの黒いエアーフォース1を履いていたことだろう。180cmはあろうかという長身と二の腕に浮かぶ鍛えられた筋肉、髪はショートカットの黒、褐色の肌に濃いグレーの瞳が良く似合っていた。
二人は連れ立って商店街のアーケードを無言で歩いた。途中で街のヤンキーが思いっきり指笛を二人に浴びせたが、全く無視された。二人はやがてアーケードと直角に交わった路地に入り、店の商品のダンボールや台車などが所狭しと並ぶ路地を縫うように歩くと、アーケードと平行した人通りもない裏道に出た。そこで、年上の方が年下を、とある潰れた店のシャッターに押し付ける。じっと見つめられて先に年下が、
「もう!ルシェったら、何度もねえって言ってるのに」
すると年上はそれに構わず遮る様に、
「いいかい、サリー。どうせ彼らはこちらが動いているのを知ってるんだ。セーフティハウスだってとっくに知ってるさ、偵察衛星があるんだし。ただ、こちらが何をしているかが解らないだけでね。こっちはそれで満足なんだよ。あんたの姿だって駅の監視システムにばっちり映ってるだろうし、あんな真似するのは彼らを刺激こそすれ何の意味もない。それにあんなにハデなやり方じゃあ、あんた、いつか逆にやられるからね。いつも言ってるじゃないか。ああいうのはこっちに任せろって。全くあんたって娘は、霞ヶ関では大人しく距離も取って仕事していたから、ちょっと目を放した隙に何をやらかすんだか・・・」
「なんだ『見て』たんだ。でもぉ、ルシェ、ヤツはやたら張り切ってたし、手柄立てて誰それに認められるとか何とか考えてたから、多分新人だし、他にいなかったしさぁ」
「理由にならない。まあ、あんたの世話はこっちの役目じゃないし、ラグによく言っとくからね。帰ったらお尻でもぶたれな」
「えー、ちょっとカンベンだよ、それー」
「チッ」
突然ルシェと呼ばれた女が合図するとサリーと呼ばれた娘が頷き、さりげなくシャッターから離れる。
すると路地から先程のヤンキーが仲間と三人、ニタニタ笑いながら出て来た。
「ヨー、さっきはツレないじゃんよ。どーせ暇コイてんだろ?付き合えよ」
3人はさっと2人を囲む。声を掛けたヤンキーはサリーの肩に馴れ馴れしく手を廻すと、
「さあ、遊ぼうぜ、え?いいトコに連れてってやるからよぉ」
意外にもサリーは笑いながら、
「えー、ちょっと兄さん趣味じゃないしぃ」
「あんだと?随分粋がるじゃねえか、舐めんじゃねーぞ、オラ!」
「おー、タケシ、燃えてんなぁ」
仲間がニヤニヤしながら囃し立てる。が、その時、一人の顔に奇妙な表情が浮かぶ。一瞬、無表情になると、ハッとしたように首を振る。すると目を瞬き、やがて恐怖を顔に張り付かせると慌てて叫んだ。
「お、おい!タケシ、やめろ、やめろって!」
「あんだよ、ショウ、いい子ぶってんじゃねーぞ!」
「違うって!この人達のこと、思い出したんだよ、オイ!やばいって!」
「このヒトタチ、だあ?ナニがやべえんだよ!」
「ナカヤマさんが言ってたんだよ、アベの兄貴の事務所のボスの娘さんの話を・・・」
「アニキの何のカンのって、なんだよ急に、おめー」
「だから事務所の若頭の娘さんだって!」
「何だって!」
するともう一人の連れも、ハッとしたようになると、
「そうだ、写真見せてもらった、この子達だ・・・」
と呆けたように言い出す。最初に声を掛けたヤンキーも突如、笑みを消すと不思議なものを見るような表情になって行く。すると夢から覚めたようにサリーから離れると、
「・・・そうだ・・・そうだった」
「で、何の用?遊ぶって?」
今まで黙っていたルシェがにこりともせずにヤンキーの顔を覗き込む。ヤンキーは弾かれたように飛び退り、
「す、済みませんでしたぁ!し、知らなかったんで・・・」
「オイ、じゃあ・・・」
「失礼します!」
三人の逃げ足は速く、転がるように路地へと姿を消した。サリーは右手を軽く振ってバイバイ、とやると、クスクス笑い出す。
「なるほどね、ギザカワだわ、ルシェのやり方って」
ルシェは全く笑わない。
「そういう言葉は内輪で使うなって。ああいう手合いは、あの位でいい。覗いただろ?アイツの頭の中で、サリーは思いっきり殴られたり蹴られたりしてたろ?」
「うん、マジキモいね」
「殴りながらヤルんだよ、ああいう奴等はね。女だろうと子供だろうと殴るのが好きなんだ。さっき人を殴ると吐き気がする様に仕込んどいたけど、直らないだろうよ、性根は」
「何だかんだ言ったって、やってるじゃん、ルシェだって」
「あんたとは違うんだよ。無害な奴まで手は出さない」
「はいはい、判りましたって」
「さ、とんだ道草だ。いくよ。皆、戻って来る頃だ」
二人が駅前から5分ほど歩くと、都心から放射状に伸びる国道のひとつにぶつかった。彼女達は車の列が途切れることなく続く6車線の道路に沿って歩き、とある交差点を曲がると住宅街へと入って行く。そこは国道がまだ江戸時代の街道だった時代から民家が立ち並んでいた古い街で、100mも入ると国道の騒音はかなり小さくなり、静かな郊外の住宅街は疎らに建つマンションの間で夏の暑い昼時を迎えていた。
二人が並んで歩いていると、向こうから柴犬を連れた中年女性が歩いて来た。サリーが女性に向かって、
「こんにちは、タジマのおばさん」
するとルシェもニコリとすると
「こんにちは」
女性は、犬がサリーにじゃれ付くのを抑えながら、
「こんにちは、いつも仲いいわね、羨ましいわ。ウチなんて喧嘩ばっかりで嫌になっちゃう」
「そんなに仲良くないですよ、喧嘩もするし」
ルシェが愛想よく言うと、犬を撫でていたサリーが、
「そうそう、さっきも喧嘩してたし、ウッ・・・」
何故かサリーが言い淀むが女性は気付かず、
「そう言う喧嘩は仲がいい証拠よ、仕事の帰り?」
ルシェはニコニコしながら、
「そうです、徹夜明けで」
「大変ね、お宅も。頑張ってね。あ、そうそう、ウチの田舎からモロコシいっぱい送って来たから後で届けるわ」
「ありがとうございます、いつも済みません、貰ってばかりで」
「いいのよ、気にしないでね?近所はみんな応援してるのよ、大家族で頑張ってるなんて、えらいわ、じゃあね」
犬が名残惜しげにサリーに向かって行くのを引っ張りながら、中年女性は脇道へ逸れて行った。その姿が消えると、元の怜悧な表情に戻ったルシェにサリーは、
「イッターィ!もう、『ぶた』なくたっていいじゃん」
「余計な事言うからだ」
「でもトウモロコシかぁ、いいなぁ、絶対茹でてもらおうっと、焼くのもいいけど。でもルシェやラミィの人心操作って、ギザイッテるわ、オイラももっと巧くなりたいな、長続きしないんだ、オイラの、それで何度も」
ルシェは右手の親指で自分の胸を叩きながら、サリーのおしゃべりを遮る。
「黙りな、言いたきゃこっちで」
「だってぇ、ノッてくれないじゃん」
「あんたがくだらない言葉でくだらない話ばかりするからだよ、いいからもう口閉じといで」
「・・・アーイ・・・」
二人が入って行ったのは、近辺でも大きい部類の2階建ての古い屋敷だった。
「ただいまー」
サリーが元気良く玄関に入ると、
「おかえりー、もうすぐお昼だよ、今日はそうめんだって」
二人を迎えたのは、12、3歳位の男の子だった。茶色の髪で色白なのはサリーに似通っていたが格好も様子も全てが大人しく、ごく普通の小学生に見える。後ろでルシェが咳払いすると、あ、そうか、という顔をして二人とも口を閉じる。
(えー、またそうめん?オイラあんまし好きク無いのよねー、そうめんって)
(そんなこと言ってるとまた隊長に叱られるよ。今日は全員戻って来ているから皆の分作るの大変だったんだからさ)
(アイアイ、で、ラミィの様子は?)
(うん、まだ目醒めない。でもレリがもうすぐだって言ってるよ)
男の子の寂しそうで不安そうな様子にサリーは彼の肩を叩いて、
(うん、レリが言うんだからきっとだよ、アッジ。あ、ザッキも戻ってるんだよね?)
(うん、あっちで隊長手伝ってるよ)
(おっし、向こうの話を聞こっと)
二人が廊下を食堂の方に行ったのを黙って見送ると、ルシェの方は玄関脇にある階段を昇り、2階の6部屋ある内の一番奥にある部屋のドアをノックする。
「開いてるわよ」
女性の声にルシェがドアを開けると、眩いばかりの白い部屋の窓際に置かれたベッドの脇から、声の女性が立ち上がってルシェに向かって頷く。
「暑かったでしょ、少し休んだら?」― おかえり、ご苦労様。サリーも一緒だって?
「ええ、そうするわ」(ああ、あいつちょいと無茶してたんで、こっちは止めにして行動を合わせた)
「仕事どうだった?」― うん、公安を一人のしちゃったって?
「べつに。いつもと同じ」(ああいうのは感心しない。若い子にはありがちだけどね。後でラグの方から言っておいてもらえないか?)
「がんばらないとね、今日は皆来ているよ」― そうね、了解よ。遠巻きにしているって言ったって、何時それも変わるか分からないし。
「そっか、どうりで賑やかだ」(基本的には奴等も敵だ。ここは敵地だ、ということを常に忘れてはいけない)
ラグと呼ばれる女性はそれに対しては何も『思わ』なかった。
彼女は31歳。ダメージジーンズに白いTシャツを着ていたが、大柄な身体、ローライズのウエストラインに覗く腹筋を初めとして全身引き締まった線と陽に焼けた肌、気楽に構えてはいるが何処と無く感じる力強さなど、ルシェと共に並みの女性ではない事を物語っている。
ルシェはベッドへ行くと、そこに横たわる人物を見下ろす。暫く見つめていたが、やがて右手を伸ばすとその人物の額に手をやり、柔らかく黒い髪の毛を整えた。
「お昼はそうめんだって?」(レリが何か言ったって?)
「そうよ。たくさん茹でたから、一杯食べてね」― ええ、朝からここに来て、ずっとラミィを見ていたわ。彼が元気に目を覚まして、あなたに何か言っているのが見えたって。
「ありがとう」(私に?)
「下の子達は食べ盛りだしね」― そう、だから心配要らないって。心なしか今日は彼、血色がいいわ。
ラグもベッドで眠る18、9歳の青年を覗き込んだ。
「・・・」― 本当に迂闊だったわ・・・彼、能力以上に踏ん張っていたなんて素振りも見せなかった。下手したら死んでいたかもしれないのでしょ?
「ほんとにね」(ラグ、だからそれは)
「・・・」― ううん、何度でも言わせて。あれはサイ主任の私のせい。ラミィの支配範囲を越えてプリンスを誘導させたのは私が焦り過ぎたせいよ。サイ部隊の頃からラミィを見ていたから、彼の限界も分かっているつもりになっていたし、プリンスやアイの事に夢中になっている彼の事をもっと良く把握しておくべきだった。
「うーん、少し眠いかな」(あのねラグエル。副長としての責任感や重圧は感じてしかるべきではあるけれど、貴女にはあの子達を生き残らせる役目もあるんだよ?それだけは忘れて欲しくないね。今の貴女、弱過ぎる)
「お昼まで横になってたら?」― ごめん。少し弱気になっていることは確か。バディとザッキが後で報告するけど、プリンスはやっぱりグリックが掌握している。今は多分竹崎が色々やってるんじゃないかと。折れないでいてくれるといいけど・・・
「そうする。じゃ」(そんなことはさせない)
ルシェは、きっぱりと言い切った。
「じゃ」― うん、そうね。彼は私達の希望だもの。
ルシェはそれ以上、何も言わず、振り返らずに部屋を出て行く。ラグは彼女の出て行ったドアを見つめて、
― そう、ルシェ。必ず連れ戻すよ。
もう一度眠るラミィ ― ラミエルを振り返ると、ルシェの後を追って部屋を出て行った。
食堂には7人の人間が集まった。昼食が終わり食器を片付けた後、誰が言わずとも全員が再び席に着く。いや、席は5人分欠けていた。
ラグがテーブルの上にポータブルコンロを置く。しかしそれは良く見ると、コンロの部分が外され円盤状の黒い装置に替えられていた。直径20cm高さが10cm程度のその装置には2本の突起があり、ガスボンベの部分に仕込まれた小型バッテリーで給電されている。ラグが突起の間にあるボタンの一つを押すと、ボタンは赤く点灯、暫くすると点滅し始め、やがて緑色になって点灯した。
この装置は『バルーンメーカー』と呼ばれる。半径5m以内を『密室』状態にし、その外からは囁き声はおろか、思念ですらモニターすることは出来ない。『こちら』ではさすがに思念を『盗聴』することは無理だとしても、会話なら遠方からも盗聴出来る。1対1なら能力者と非能力者との思考会話も能力者が非能力者の思考を読むことで可能となるが、非能力者が複数いるとそれも不可能なので(非能力者の思考は他の非能力者に伝わらないし、能力者同士の思考会話は非能力者には読めない)ミーティングやブリーフティングの安全のためには、どうしてもこの手の秘話装置に頼らざるを得ない。
『バルーンメーカー』が正常に動作するのを確認したラグが頷くと、その傍に立っていた男性が上座に当たる椅子に着席する。彼のコードネームはカマエル。38歳になるベテランの元軍人だった。
「欠席は、まだ意識のないラミエル、向こうに監視で残るマルティエル、そして・・・いつものレリエルか・・・じゃあ、始めよう。なお、教授とご子息は今日は参加しない。『ルクソール』へお呼ばれだ。では、バルディエル」
カマエルは普段、他の人間の様にコードネームを省略しない。バルディエル、通称バディは30歳。鍛えあげられた肉体と秘められた知性により特殊部隊時代は数々の軍功を挙げた元軍人で、今でもコードより『曹長』と呼ばれる事を好んでいる。
「ザッキとあちらから今朝『つぐみ』経由で戻った。『つぐみ』を使ったのは久々だが、特に問題は無かった。追跡を防ぐため半日多く掛かってしまったが『めじろ』や『ひばり』のマークがきついので仕方が無い。マティが太鼓判を押した通り『9.29』にトレースはされていないと思う。ところで、ラミィとの接触が切れた後プリンスがどうなったか大体の所は掴めた、と思う。グリックは最初、プリンスをトレースして追い込もうとしたが、ラミィが頑張ったお陰でプリンスは罠から抜けてしまった。で、ラミィが昏睡した後、プリンスは独力で街へ入りそこでどうやら竹崎の仕掛けたエージェントに引っ掛けられたらしい。まったく派手好きなあの男らしく、あの地区全体、10km四方を外出禁止にしてエージェントを30組ほど放ったそうだ。プリンスには予備知識が無いのだから、まあ、どこかにセーフティハウスを設けて隠れる、など到底無理だったろう。こっちもバックアップ出来なかったからな。何れにせよ、プリンスはグリックの中だ。今日で7日目となるな。あちらが何をやっているかは想像の域を出ない。調べては見たが、全く、何一つ出て来なかった。最終的にはプリンスを思考コントロール下に置くと思うが、まだ無茶はしていない、と思う。とりあえず報告のためマティを残して帰還した訳だ」
「ザキエル、何か付け加える事は?」
カマエルに指名された男は24歳、五分刈りの頭に整った顔立ち、一見、何かのスポーツ選手と見紛う好青年だ。
「特にはありません。ただ、あそこは制限区域とは言え、唐突な理由非公開の外出禁止令にリバーサーを大量動員しての込み入った罠、と、少々グリックの行動がなり振り構わず、らしくない、というか、目立ち過ぎやしないかと驚きましたが・・・」
「プリンスとはそれほどの存在なんだよ。今回の件は全て私に責任がある。まずは、プリンスに接触するのをためらった挙句、グリックのプリンス拉致作戦実施まで手を拱いてしまった点。奴らの拉致実施を直前に察知したため、慌てて阻止行動に移った点。この行動により、グリックに我々がプリンス奪還をまともに考えている、と知れ渡ってしまった点。作戦自体もこちらでは戦闘に能力者を使わない、という原則論に拘ったあまり正攻法過ぎた点など。加藤の部隊が全て非能力者だった事で妙な公平感で作戦を遂行してしまった事も確かだ。お陰で貴重な犠牲も多かった。スイエル、ハニエル、ルヒエル、ラシエル。反省だけでは済まされないミスだらけだ。今はプリンスを奪還することが優先するのでこれ以上は言わないが、あちらもリーダーの加藤を失っているし、これからも気を入れて掛からなければ犠牲も増える。こちらは若い者が多い。とにかく誰もが気を抜かないことだ」
あの作戦以来、作戦の事は黙して語らなかった彼の言葉を聞きながら、まったく隊長は冷静なものだ、とラグは思う。この前の出来事は別にカマエルだけに責任がある訳ではない。それを言うならラグにも責任がある。それにしても、過去何十人も作戦で部下や戦友を失っているベテラン達は、彼に限らず泣く時を心得ている。仲間の生死に対して感情に囚われれば、次はこちらがやられる番だ、あくまでクールに、熱くなってはいけない。彼女が10年程前、士官候補生だった頃、先任曹長から怒鳴るように聞かされた教訓だ。そう、今は弔いの時ではない。
ふと見ると、カマエルの左横、彼女の正面に座っているルシェがじっとラグを見ていた。ラグの視線を捉えるとほんの僅か眉を上げる。能力者の間で暮らしていると、何か考える度にモニターされてしまう可能性があるので、出来るだけ人の評価や噂などは考えない様に訓練されているラグ達だが思わずこういうこともある。ラグはさり気なく肩を竦めると、隊長の話に集中した。
「次は、サリエル。『こちら』のRGチームの動きだ」
サリーは生真面目な表情で報告を始める。
「はい、今朝は国交省を見て来ました。総合政策局情報管理部特別調整室って言う長ったらしい名前の部署があるんですけど、そこの室長と課員の一人にアクセスして見ました。彼らはいつもは『地下水道』って呼ばれている秘密地下道を管理しているんだけど、この前の作戦の時に奴らが通った後を調査していたみたいで、その報告を上に上げるのでコウガイって言ってたかな?とにかくそれを作れって、室長が課員に言ってました。それと、この前死んだ人達をそろそろ動かすって・・・ルッヒ達、今は冷凍保存されてて、第8セクターの815Aとか言う部屋に安置してあるって。奴らの方の死んだ連中も一緒だって言ってました。で、いつまでも地下に置けないし、『あちら』が引き取らない様なので無縁仏とかで埋葬するとか・・・なんか、ルッヒ達可哀想、なんですけど」
「・・・仕方ない。 それが戦争だ」
「あの・・・これってやっぱり戦争なんですか?」
おずおずとアッジが聞く。
「そうだ。国対国の戦いではないがね、アザゼル。人が何かを賭けて殺し合っている状態は戦争と呼んでもいいだろう」
「中佐。ちょっといいかな?」
カマエルを昔の階級で呼ぶのは、よそよそしい時のラグとルシェ位のものだ。ルシェは顎に左手の拳をあてて肘をテーブルに付け、すぐ横のカマエルを見つめた。
「中佐が不正規戦を20年近くに渡って戦って来て、宣戦布告無きテロリストやゲリラとの紛争や国家の裏で行われる国の威厳を保つための騒動も戦争の一種だと定義するのは良く分かるけどね。アッジやサリー達にとっては、これはついこの間まで『味方』だった者達との争いだ。この前の先制攻撃はあの加藤が相手だったから、こちらの戦力を考えたらやむを得ない、それは私にも解る。中佐の言う通り私達を使えばよかったがね。こういうことについて中佐は、非情にならなければ生き残れない、と言いたいのだろうが、そういう事の処理のために私や貴方達『元・ガード』の人間が居るんじゃないのか?せめてアッジやサリー達には、いつか最終的には理解し合える道も残されている、と考えて欲しくはないか?そうでなければエンジェルそのものの存在意義が不透明になるような気がするが」
ルシェの言葉にラグも声を揃える。
「リーダー。ルシェの言う通りだわ。私達があそこを後にしたのは、アイの意思を尊重し自然に生きて欲しかったからじゃなくて?人が人と争ったり利用するだけじゃなく、人は人と愛し合うものだ、と言う当たり前の事を当たり前にするために、戦う決意をしたのではなくて?」
その後に流れた沈黙の時間は、数秒間だったが皆には十分長く感じられた。カマエルは2人の言葉に天井を仰いでいたが、やがて、
「・・・そうだな。その通りだ。済まなかったな二人とも。アザゼル、サリエル、それではこう言おう。これは皆の希望を得るための挑戦だ」
「挑戦?」
サリーがぼんやりとそう繰り返すと、カマエルはニヤリと笑う。
「皆、あの2人の恋人のために命を賭ける決心をしたんだろう?普通、そういうことに命は賭けない。でも、彼女達が人らしく生きるために我々が頑張る、と言うことは、我々自身も人らしく生きるために頑張っている事にはならないか?それは挑戦するという言葉に相応しいし、人らしく生きるため、というのは我々が決心した充分な動機になっているとは思わないかな?」
「はい、そう思います」
「うん、オイラもそう思う」
素直に答えるアッジとサリーを見ながらラグエルは思う。こういうところがカマエルが並みの指揮官ではない証左だと。この人は自分の限界も欠点も全て認めることが出来る。それを素直に認めた上で、仲間の士気も簡単に鼓舞してしまう。勇敢な指揮官や『絶対に間違わない』指揮官は居るが、カマエルの様にプライドを抑える事が出来る指揮官は稀だ。プライドは戦い抜く力を得るために大切な要素ではあるが、時として無駄な犠牲を増やす。たとえば失敗を認めないがために、同じ過ちで攻撃を繰り返し犠牲を積み重ねる、と言うような― 我々は本当に運がいい。そんなことを考えながらルシェを見ると、彼女は微かに頷いて視線を逸らせた。
「次、ルシフェル。偽装工作について、だ」
ルシェは両手を顔の前で組みながら、誰とも視線を合わせずに話し出した。
「この前も言った様に『こちら』のRGチームに対する工作は一切行っていない。しかし今朝、サリーを尾行した公安の例から言っても、連中が我々の存在とこの前のプリンスの一件との関連を疑っている、と思った方がいい。但し、連中がこちらを攻撃するような事態はグリックが関与しない限りありえないだろう。従って監視に留める筈だし、この数日サリーが省庁の付近をぶらついても阻止しようとしなかった事から見て、こちらの『能力』は知られていないと考える方が自然だ。私が知る限りこちらはサイ部隊の事は何も知らない、と思うが?」
「そうだ。さすがにそれはあちらも漏らしていない」
カマエルが答えると、ルシェは頷きながら、
「そういうことなら、一般の方も新たな工作は行なわない方がいいのではないか、と思うが。公安に目を付けられる、と言うのもあるが、工作自体やり過ぎても逆効果だしな。お互い会った事もない10人の他人が同じ答えを出したのならそれは信じてもよいが、100人が口を揃えたら大規模な嘘と思え。私は以前、教官にそう教わったが合っているかな?」
するとバディが苦笑いしながら答えた。
「ああ、そう教えていたな、レンジャー課程では」
カマエルも笑いながら、
「ま、この世界で100人が進んで嘘を言わねばならない状況は余り考えられんがね。我々と違って覇権主義国家ではないからな、こちらは。それはそれとして突拍子も無い事を信じ込ませるには、ほどほどが良い事は確かだな。それで?」
「昨日今日と、現在のカバーストーリーをひたすら補強して廻っている。ご近所。町内会。市役所。警察。私一人では出来る事も限られているしな。ラミィが元気になるまではこの位でやって行くつもりだが?」
「それでいい。効果が薄れた所から系統的に補強を施してくれ。皿回しのようで済まないがね。くれぐれも張り番のRGチームに嗅ぎ付けれないように。なんだったら、レリエルに助けて貰えるよう、私から頼んでも良いが」
「まだ、そこまで深刻ではないよ。サリーには手助けして貰うかもしれないが」
「いつでもいいよ」
サリーがうれしそうに言う。
「よし、他の者もカバーストーリーから逸脱しないよう、常に無害な人間として振舞うように。特にサリエル。午前中のことは聞いているぞ。これは遊びではない事をもう一度肝に銘じろ。いくらこちらの世界にはサイ部隊などないからと言っても、油断は禁物だ。少なくとも我々の世界の様に造り出しはしないが、サイキックの研究は進めているし潜在能力者も必ずどこかにいるはずだからな。『ロストクの出来事』というのを聞いた事があるだろう。人工的に造り出され強化された能力者が潜在能力者と接触すれば潜在能力者が開花する。我々のお陰でこちらの世界にもサイ部隊が創設される、そういうのはごめんだからな。ルシフェル、頼んだぞ」
「分った。気をつけよう」
カマエルは一つ頷くと、皆に確認する。
「さて、他に何かあるか?」
「ひとつだけいいですか?」
「何だ、ラグエル?」
「作戦のゼロアワーまでどの位を考えています?」
「まだ、はっきりとは・・・今晩教授とその件で話すつもりだったが」
「分りました。ラミィがあの状態では、と思ったものですから」
「うん。彼の能力は必要だ。解ったよ、何を言いたいのか。少なくともラミエルが復調するまでは行動に出ない。但しあちらの状況が変わったらその時は行ける者だけで全力で当たる。それでいいかな?」
「了解しました、それだけです」
「他には?・・・ご苦労様、以上だ」
誰もが無言で、ひとり、ふたりと食卓を発つ。ルシェは真っ先に食堂を出ると、そのまま外出する。サリーやアッジは洗い物をするザッキを追って台所へ行き、カマエルはバディを連れて2階の自室へ上がって行く。最後に残ったラグが『バルーンメーカー』を切って、食器棚のポータブルコンロの箱に入れ、ラミィの部屋に上がって行った。
ミーティングは15分で終了した。