三人の美少女
「2六金」
「3四歩」
「5七銀」
石造りの室内で二つの声が反響する。どちらも少女の声だ。
「4五角」
「ちょっと待った、その角はもう一つ上にして欲しい」
「じゃあ、…………4四角」
「それで良し」
二人の少女は、木工用ボンドで石造りの壁に将棋の駒を貼り付けていた。広い空間の壁にムラなく、それでいて綺麗に駒が並ぶこともなく、絶妙な間隔がとられた配置である。
「さて、こっちは終わったわよ」
少女は木工用ボンドに蓋をしながら壁に背を向けて言った。見たところ年は十七か十八ほどの様に見える。彼女は長いシルバーブロンドの髪に彫刻の様に精巧な顔立ちをした正真正銘の美少女であった。名前は三神廻留と言った。彼女の姿については、出生の際に悪の秘密組織によって遺伝子操作をされた過去が影響しているが、その話は本編とは全く関係がないため本作では割愛させていただく。
「すまないな、いつも生徒会の仕事を手伝わせてしまって」
と言った方の少女もそれなりの美形で、ゲーム機本体の様な光沢のある美しい黒髪を後ろで一つに束ねて、凛々しい雰囲気の少女だ。名前は板屋直刃である。そして、腰には木刀のようなものをぶら下げている。
それから、彼女は廻留に
「さぁ、帰るぞ」
と声をかけると、廻留は
「そうね」
と言って窓の外を見た。ガラスの向こうには街が見える。それも高い位置から見下ろす形だ。そして、街の奥には青い海と人工島が続いている。ここは神戸市中央区、坂の上にある聖メタリカ女学院のシンボルとして有名な時計台の二階である。聖メタリカ女学院はキリスト教系のような学校で、校舎も時計台も白塗りの壁に赤煉瓦の屋根を乗せた洋風建築である。
五時を告げる鐘の音と振動と夕暮れの日差しの中、階段を降りて一階のロビーへ降りると廻留はそこで足止める。
「どうした、廻留?」
「何度見ても見慣れないのよね、これ。なんとなく邪悪な感じがするわ」
廻留の足を止めたのは一体の黄金の像であった。それはロビーの中央に大切に台座に乗せられ、さらにガラスケースにまで入れられた、高さ30センチメートルほどの黄金のマリア像だ。廻留が見慣れないのも無理は無く、このマリア像には一つの身体に頭が二つ付いていた。生徒達からは「黄金の双頭マリア像」と見たままの名前で呼ばれている。そして、この邪悪の結晶のような像こそがこの聖メタリカ女学院の宗教的シンボルである。
「なにを言うか、この黄金の双頭マリア像はけっこう在り難いんだぞ」
直刃の言った通りで生徒の間では意外と在り難い物だと思われており、この像に祈れば冷え性・腰痛・関節痛・やけど・恋愛・リウマチなどに効能があると噂されているほどだ。その信仰を裏付けるかのように黄金の双頭マリア像の周りにはおびただしい数のお供え物や手紙、硬貨などが捧げられているのだ。そんな人々の信仰を目の当たりにしてか廻留も
「信じたいものを信じるのが一番なのかしら」
と強引に納得するしかなかった。
さて、二人がホールの扉を開けて外のまぶしさを感じたのは夕暮れの日差しだけではなく、両耳に溢れるばかりの少女達のざわめきのせいである。
「見て、三神廻留様と板屋生徒会長よ」
「あぁ、校内で三番目に剣道のお強い板屋生徒会長よ」
「いつ見ても直刃様はカッコよか」
「乗馬テニス部のキャプテンの三神様ね」
「三神様ってあの家元の?」
「やはりあのお二人は絵になりますわ」
などと二人を見た生徒達が騒ぎ立てる。
一方の三神廻留は容姿端麗、成績優秀にして美しい振る舞いでさらに乗馬テニス部のキャプテンも務めるまさに完璧なお嬢様である。
そして、もう一方の板屋直刃は生徒会長にして剣道部の主将も兼任し、少し頭の方が残念な箱入りのお嬢様の多い聖メタリカ女学院の中で常に凛々しく振る舞っているせいか、生徒達からは王子様のような扱いを受けている。まさに学校の二大スターが揃って歩いているのだから、行く先々ではちょっとした騒ぎにもなる訳だ。
校門から出た二人は海へ向かって真っすぐに坂を下りる。神戸の街には坂が多い。神戸の南側は海と山に挟まれ、東西に細長く市街地を形造っているのだ。そのため、海と山の距離が長い所で5キロ、短い所で2キロほどしかなく、その高低差は50メートルほどになる。すると街を歩けば必然的に坂に行きあたる訳だ。
さて、学院から坂道を下って県庁前の大通りに二人は差し掛かり、燃料電池について話しながら歩道橋を渡っていた時である。二人の足元からはすさまじい衝突音が空気を揺らした。二人は一度顔を見合わせてから歩道橋の下を覗き、再び顔を見合わせる。四つの瞳に映ったのは軽トラックと真正面からぶつかって相撲をとっている金剛力士の様な体格の大男である。
「あれって新手のぶつかり稽古かしら」
直刃は金剛力士の様な男の側にいる四人の男を目にした。
「いやっあれは湊川五人衆」
「知っているのね直刃」
「ああ、湊川五人衆は最近神戸市周辺を騒がせている不良集団らしい。なんでも手の付けられないほどの悪党だそうで万引き、落書き、駐車違反、自転車盗難、カツアゲ、不法投棄、およそ考え付く限りの悪事を働いているような奴らだ。そして、あの男は平悪盛に違いない」
生徒会には神戸市内のありとあらゆる限りの変質者の情報が入ってくるのだ。それは、湊川五人衆であっても例外ではない。
「確か、2メートルの身長に金剛力士のような鋼の肉体、常軌を逸した怪力、そしてなにより上半身裸のファッションは間違いなく平悪盛だ」
「つまりアマチュアの変態ってことね」
二人が飴を舐めながら相撲を見ていると軽トラックから飛び出したのは運転手である。
「貴様ァァァァァ何をしとるかかァァァ」
蒸気機関車のように怒れる運転手と悪盛の間に割って入ったのはオールバックに黒のロングコートを着た男である。
「なんだ貴様ァァァ」
男は何も手を出さず、ただ運転手を睨むだけだ。その目はまるで人間のような温かさの感じられないただひたすらに冷たい目をしていた。するとあれだけうるさかった運転手はすっかり時が止まったかの様に静かになって動かなくなってしまったのだ。
「もしや、あの男が鷹蛇屋嘉兵衛か。確かにあの男が鷹蛇屋嘉兵衛ならば、あの鷹の右眼と蛇の左眼で睨まれた者は何者であっても動けなくなってしまうらしい」
「どうも噂は本当のようね。あの運転手、全く動かないわよ」
二人がこの光景を眺めている内にも五人の男達は軽トラックの荷台に乗せられたコーヒー豆の袋を台車に移し替えていく。それでも運転手は固まったままだ。
そんな中、長髪の男が一瞬だけ歩道橋の上を見たかと思えば、仲間の一人に何かを言っているようである。
「あの長髪はもしかすると屑木正成かもしれない。屑木正成は普通にバスケがうまくて中学時代は全国大会にも出場したらしい」
「普通ね」
そんな他愛のない話をしていると五人の男の内の一人で、修行僧の格好をした黒人の男が背中の槍の柄を地面に叩き付け、棒高跳びのように高く舞い上がり、そのまま穂先を廻留に向けて一直線に降り注ぐ。そして、金属と金属のぶつかり合う音がした。直刃が刀で男の槍を止めたのだ。ちなみに直刃の木刀は仕込み刀になっている。
「まるで殿を守る家臣のようね」
廻留は目を丸くして言った。
「そこは王子様とでも言って欲しかったかな」
「やるな、女」
「私は板屋直刃だ。その槍さばきは噂に聞く業鬼殿とお見受けしたが」
「いかにもわしが業鬼。槍を振るえば神戸一の男だ」
自ら神戸一と名乗るだけあり、その身の構えから見える実力は確かな物だと直刃は直感で理解した。
「わしらは見世物で悪党やってる訳じゃないんでね、少しばかり見物料をいただきたい」
「そうか、欲しければ力で奪い取るんだな」
「よかろうッッ」
業鬼の体が今にも次の一歩を踏み出そうとした時であった。
「そこまでぇぇい」
二人を止めたのは津波や地震でも止めれそうなほどの大声であった。声の主は歩道橋の端から歩いて来る学ランに烏帽子姿の男であった。
「やぁやぁ御嬢さん、俺は平狂盛。この神戸市で唯一やりたい放題出来る男さ。それで、どうも業鬼の槍を止めたとは大した御嬢さんだな。だがな、そっちの銀髪の御嬢さんもさっきから顔色一つ変えないで大したもんだぜ。見た目も美人だし頭もよさそうで金も持ってそうだ。俺は御嬢さんを気に入ったぜ。どうだ、ひとつ俺とファミコンでもしに行かないかい」
「悪いけどお断りするわ」
すると狂盛は廻留の腕を掴む。
「言っただろ、ここは俺の街だ。やりたい放題なんだよ」
その場の誰もが予想出来なかったことが起きた。強烈な破裂音、廻留の平手が狂盛を撃った。廻留でさえも予想も出来なかったし、どうしてそこまで早まったことをしたのか。そして、突然目が覚めたかのように廻留は走り出す。その後を直刃は追った。狂盛はただ立ち尽くしたままだ。
二人は海まで走った。とても女子高生とは思えない身体能力の二人の息が上がっている。それがどういう理屈なのかは分からなかった。ただ、廻留は赤い柱に寄りかかって落ち着いた顔をした。寄りかかったそれはポートタワーの一部であった。
ポートタワーは神戸港のシンボルのような存在であり、海に面した突堤の付け根からそびえ立っている。その姿は赤い鉄のパイプが鼓のように優雅なラインを描きながら天に伸びた形である。
「ねぇ直刃、このポートタワーの愛称って知ってる」
「愛称?アカタワーとか?」
「鉄塔の美女っていうらしいわよ」
「なるほど美女だな」
「鉄塔の美女」と呼ばれた由来はタワーの優雅な曲線のラインのせいだろう。直刃もタワーの姿を思い浮かべてすぐに納得した。
「でもね、この高さ108メートルの彼女も建設当時としては高身長ですらっとしてて、まさに美女ってイメージだったんでしょうけどね。市役所やタワーマンションみたいにずっと高い建物がある今では小柄な美少女って感じがしないかしら。私は少女の方がなんだか身近に感じるわ」
直刃には廻留のポートタワーを見る目は普段のそれとはまるで違っていてどこか濁っている気がした。小学生の頃からの付き合いである直刃は知っている。廻留がそんな目をするのは決まって神戸市の話をする時だ。それほど廻留にとって神戸市の存在は大きい。そんな神戸市の象徴とも言えるこの鉄塔の美少女が直刃にはなによりも高く見えた。