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三幕~未来会議~

 明治七年三月三十三十一日・未来会議当日早朝。

 神社の戦いの後から夜談の執拗な追跡と雀の包囲網により、徳間の決起集会が開かれる大阪の屋敷を見つけ出した。三箇所ほどの怪しい場所があったが、その一つで確定した為に京史朗は動いた。そこに伏見奉行所総勢五十名が乗り込み、その先頭にいる指揮煙管をかざす鬼奉行が叫ぶ。


「神妙にしやがれ! 伏見奉行所の御用改めだ!」


 数時間後の決起に備えていた義狼軍の人間達は驚く。

 突然の襲撃に呆気に取られつつも、敵は武器を構える。


「野郎共! 未来会議成功のお手柄はこの伏見奉行所が頂くぜ!」


『おおーーーっ!』


 影が走るように夜談が浪人二人を苦無でしとめる。それにつられるように金之助が黄金の十手で浪人の刀をさばき、足に蹴りを入れ倒す。そして、伏見奉行所は一気に屋敷内部になだれ込む。


「一人残らずぶっ倒せ! 一人でも逃したらそいつがまた混乱を生み出しやがるからな!」


『おおーーーっ!』


 奉行所一同は生き生きと鬼奉行の声に応じた。

 そして京史朗は一人、奥の間にたどり着く。

 そこには、十日前に神社で出くわした義狼軍首領が立ち尽くしていた。

 煙管の紫煙を吐き出し、鬼は言う。


「お縄につけ徳間右京。幕末維新の立役者の一人であり、今は政府に盾突く反逆者」


 徳間は幕末では官軍であったが、薩長を中心とした政権と人材登用や、外国に取りいるような積極的な交流などに嫌気がさし明治政府を抜け関西で不平不満を持つ浪人の頭になっていたこの徳間も、未来会議当日に命運が尽きた。薩摩藩の出身らしい摩訶衛門もこの男に見出された存在だったが、今はこの場所にいないようだった。まさかここが露呈すると思っていなかった徳間は顎を撫でながら呟く。


「……まさかこの屋敷がもう露呈するとはな。ここは一週間前まではただの豪商の屋敷で新しい人の出入りは無く、落ち着いていた場所のはずなんだがな」 


「人数からして他の二箇所のどちらかと思っていたが、まさかこの手薄な場所にいるとは考えたな徳間よ」


「他の二箇所の隠れ家の方にわざと人数を多く配置しここは隠れ蓑にしていたんだ。私がここにいるのは側近の一人しか知らない。一体どこから情報が漏れたというのだ……」


「この場所を夜談より早く掴んだのは警視庁官である大前の旦那さ。俺達の手柄にする為に教えてくれたのさ」


 大前の極秘の情報と夜談の捜査で確証を得た伏見奉行所の確定した勝利であった。

 そのかつての戦友である大前の名前を聞いて、徳間は驚きと納得の顔をする。


「そうか……やけに大前が浪人の締め付けを京都でしてると思いきや、大阪の警備は手ぬるく過ごし易い。この未来会議の黒幕はもしかすると新しい日本の主かもしれんな」


「ごちゃごちゃ五月蝿いぜ。申し開きがあんなら奉行所で聞く」


 悪鬼の如き鬼奉行の一撃で徳間を倒し、義狼軍の一味を一網打尽にした。

 そして悠然と朝陽が昇り、平穏無事に未来会議を迎える事になった。





 二条城・未来会議会場。

 国内と海外から戻る明治政府の官僚が一同に会している。

 全員が集まってはいるが、未来会議の会議時間までは後十数分ある為に官僚達は久々に会う仲間達と談笑をしていた。そして日本国首相・聖虎次郎ひじりとらじろうが現れ官僚達は自分の席に座る。まだ少年のような顔の虎次郎はこう見えても海外船に密航し英国で勉強したり、時刻の長州藩の政治を担当して幕末の風雲を駆け抜けた男の一人である。

 兄の光葉の成し遂げられなかった事を体現するという大義を持っており、少年のような風貌と人懐こさから人心を集め薩摩・長州・土佐の三藩の人間から日本国初代首相に投票にて任命された。


『……』


 厳粛な空気が会議場に流れ、午後五時の鐘を柱時計が鳴らす。

 そして、聖首相は口を開く。


「それでは日本国の未来を決める、未来会議を始める」


 すると、全員の瞳は首相ではなく一人の白髪混じりのオールバックの男に注がれる。

 突如、警視庁長官大前は立ち上がり一つの額の前で立ち尽くす。


「狂……。こんな文字はもう流行らない」


 聖首相の兄である聖光葉の提唱した狂という文字が描かれる額を見ながら呟く。


「貴方の趣味でこんな時代遅れの理想をこの未来会議という大事な予定のある室内に掲げているようだが、一体どういうつもりなのかね?」


 全ての参加者を無視し、大前は聖首相と個人的な話をする。場の空気は明らかに様子がおかしい大前に呑まれ出していた。それに対抗するように聖首相は言う。


「狂とは兄が示した光だ。言葉こそ決して綺麗ではなく、むしろ狂などというのはおかしい人物とされる者を指す言葉だ。だからこそ狂とはこの国の根底になければならない。この国の未来を一人、一人の国民が生み出すためにな」


「国民一人、一人の未来が描ける個の時代だと言うが、それをしていたからこそ幕末で暗躍していた瀬剛助森せごうすけもりの不平士族を集めた瀬南戦争を起こされるのだ。この国は正しい人間が導けばいい」


 会場の官僚から様々な言葉が漏れる。

 しかし、外と内部の警備員の顔の変化は無い。

 全ての流れの中心にいる大前は叫んだ。


「古来より人々とは元来楽をしたい生き物だ! だからこそ、官があり民がある! 幕末にて官の代表であった徳川幕府は消え去り、新しい日本政府が立ち上がった!……今こそ、愚民を正しく導き、鉄鋼業を中心とした軍事国家を生み出すのだ。強い国こそが愚民が屈伏し、尊敬し、畏怖する完璧な官となる!」


 その場は騒然とし、大前をこの場から去らせ警視庁長官の任を解こうという言葉が紛糾する。冷静な聖首相は場を制し言う。


「大前長官……どうやら貴方が未来会議を潰そうと考えていた人間のようだな」


「……この国は、外国の侵略を受けない強固な国にしなければならない。それには、貴方達のような戦いを嫌う脆弱な人間は必要無いのだよ」


 戊辰戦争が終わり、日本の警察組織を作り上げて来たこの大前義一はここに来て、その本性を現した。戊辰戦争の際、官軍の五稜郭を攻略した陸軍大将を勤めた冷酷無慈悲の顔が数年ぶりに他人の目に映った。悪鬼の如きその顔は、泰平の世では見る事の無い血に飢えた野獣の顔だった。


「何事だ? 諸君等は何者だ?」


 聖首相はそう言うと、会議場に大勢の警官達が流れこんで来る。すると、首相は警官二人に身体を拘束される。それを見た外務大臣は叫ぶ。


「大前っ! 貴様はこの国を潰すつもりか!」


「潰すのは君達が愚物だからだ」


 大前の言葉と共に外務大臣は銃弾を浴び死亡した。そのままの流れで先程まで日本の行く末を話し合う会議場は大前義一の意思のみが許される場と変貌していた。

 血と硝煙のみが満ちる部屋は絶叫の渦が消え静まった。

 大前の周囲の日本国政府重役達は生き絶えていた。

 反乱の狼煙を見せられた聖首相は苦しげに呟く。


「大前……貴方は世界と戦争をするつもりか?」


「その前に隣国から支配を始める。これからの時代は戦争をし、特需と賠償金を得ながら大きく国が進化するのだよ。それを私は戊辰戦争で学んだ」


「もう血を流すのは十分だろう。急速な発展や進化は人間を歪める。まるで貴方のような……」


「君の兄は進化を望んでいたはずだが? 狂という大義を持ってな」


 ぎろり……と充血した生の感情を大前は光葉と姿が重なる光葉の弟に向ける。


「我が兄、光葉の理想は全てが日本国民に適応出来るわけではない。無論、外人だろうと狂を持ってして物事に取り組むなど不可能だろう。しかし、理想という酒は現実という水に薄めがらでも人々の身体に流し込まなければならない……」


「貴様ら兄弟の理想などどいう妄想ではこの国は軟弱になり列強に駆逐されるのみ。聖光葉など、この大前の前では枯葉同然の男だ!」


 わめき散らすように大前は絶叫した。

 その姿は勝った人間の姿ではなく、負けた人間の顔であったのを聖首相は感じた。


「……」


 明らかに自分の兄の話になり、目が顔が人格すら変貌する大前を見て聖首相は言う。


「すでに死んだ我が兄、光葉がそれほど怖いか大前――」


 その首相の言葉は急に途切れた。

 大前の持つ銃が火を吹き、聖首相の心臓を撃ち抜いていたのである。

 頭をかきむしる大前は会議場の机を激しく叩き、一匹の鬼をふと思い出し冷静さを取り戻し言った。


「……さらばだ伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗」


 そして両手を広げ宣言する。


「日本国・新首相誕生計画の始まりだ」





 一時間後――伏見奉行所。

 すでに夕日は落ち、夜の闇が京都の町を支配している。

 早朝の義狼軍の捕り物で疲れていた為、京史朗は早めに寝ていた。

 大前からは会場周囲は東京警官が警護するから安心しろとの命令だった。

 その静まり返る奉行所に一人の忍が侵入する。

 青い衣装の忍は高速で奉行私室へ向かう。

 そして京史朗の寝床に月影が現れた。

 息が上がる月影は早口で言う。


「全員起こしなさい。これから一時間以内に東京警官隊がここを襲撃するわ」


「……襲撃? 何でここを警官が襲撃するんだ? 警官は俺達の仲間だぜ?」


 まだ寝ぼけまなこの京史朗はこの色白の美人忍の言う事がよくわからない。すると、月影は確信的な事を言った。


「犯罪者を取り締まるのが警官。ならば、その犯罪者は貴方達という事よ。首相殺しの犯罪者という罪状のね」


 その月影の言う通り、伏見奉行所は大前より大阪警護の任についた。しかし、それは大阪に潜伏している浪士達を殲滅する為ではなく、伏見奉行所をその大阪の浪士と同じ扱いにし日本国首相殺しの疑いをかけて東京警官が始末するというのがこの物語を生み出す大前義一の目論見らしい。


「大前の旦那がそんな事を……まさか、ありぇねぇ……」


 闇夜の中、京史朗は混乱する。自分の価値観の全てが壊れてしまうかのような感覚に襲われ、平衡感覚さえ保つ事が出来ず畳に崩れた。

 京史朗を独立警察として伏見奉行に推薦した男。

 幕末の五稜郭の一騎打ちにて自分を生かした男。

 実の父と反りが合わず、血の繋がりは無いが本当の父のように慕っていた男――。

 その全ては自分の駒として扱い易いからというだけだった。

 自暴自棄になりそうな鬼奉行を、月影は哀れな瞳で見つめた。

 そして折れた月光水月に変わる業物・鏡花水月きょうかすいげつを渡した。


「借りは返したわよ。後は貴方の信念次第ね」


 大きな満月が京史朗の冷めた顔を照らし、不穏な影の群れが 屋敷の周囲で蠢いていた。




 京史朗は混乱しつつも、奉行所の人間を起こし月影の情報を話した。

 その話を聞いた奉行所の役人は騒然とする。

 今日の早朝――伏見奉行所は大前の情報と夜談の情報の重ね合わせで義狼軍首領・徳間を捕縛しに大阪まで行き義狼軍を一網打尽にする。しかし、それは伏見奉行所を悪にする罠だった。大前はその場を不逞浪士達の巣とし、本物の反逆者は伏見奉行所だと宣言したのである。

 京都市内ではすでに首相暗殺話が流れ、騒然としていた。

 すでに包囲網を敷かれる伏見奉行所内部にはいつ警官隊が突入してもおかしく無い状況にあったが、その突入はすでに始まったようである。


『!?』


 奉行所の正門が、激しい角材を打ちつけられたような衝撃音を上げる。

 とうとう始まる伏見奉行所の粛清に内部の全員は血の気が引く。

 立場は違えど、同じ警察という仕事をする仲間から虐殺されるのである。


「大前の旦那がこんな事は……」


 理解出来ない光景に京史朗は弱音を吐いてしまう。

 奉行所の役人は各々が臨戦態勢を取り、外の敵と一戦交えようという意気込みに変わる。

 まるで他人のように京史朗はその光景を見つめ、暗い夜空を見上げた。


「……」


 空の雲の流れは速く、まるで時代の流れの中に自分はいないんじゃないか? と思わせるほどの速さだった。そして伏見奉行所の面々は戦支度が整い京史朗に進言する者が続出する。


「奉行、二条城へ行って下さい。大前にこの状況を問うべきです!」


「俺達が正しいのは京都の市民が一番知ってる! このまま殺されてたまるかよ! うそ偽りを言う大前の野郎を倒してしまえばいいんじゃねぇか?」


「そうだそうだ! 警視庁官だって悪さをしたら悪だぜ!」


 激しい言葉が飛び交い全員が臨戦態勢の中、ただ一人心が揺れる京史朗は言う。


「……外は三百近くの警官に取り囲まれてる。ここに残れば間違い無く死ぬぜ?」


 絶体絶命の状況に、京史朗の思考は停止している。

 何の反論も許されず、全ては尊敬していた大前に潰されていく人生。

 幕末で生き残ったはずだったが、すでに死んでいた自分の虚しさを否応無く実感した。


(俺は……どうすれば……どうしたら……どうなればいいんだ――?)


 すると、夜談が目の前に立ち言う。


「奉行、ここまで数々の死線を一緒に潜り抜けて来た我々では信用も、信頼にも価しませんかね?」


 その言葉は夜談から放たれているが、背後にいる全ての仲間の総意でもあった。

 全身の血流が勢いを増し、途方も無い活力が湧いてくる。

 信頼する仲間全員の言葉を聞き、京史朗は迷い無く即答した。


「……馬鹿野郎。おめー等を信じて、命あずけるぜ」


 伏見奉行所の連中は篭城して三百ほどの警官隊の攻撃に耐える事になった。

 京史朗は仲間に全てを任せ奉行所役人が警官の目を引き付けている中を突破し、大前がいる二条城へ行く。その瞳に、わずかな雫が煌いていた。





 京史朗は京都の二条城に辿り着いた。

 すでに大前の城となる二条城は完全に関東警官隊に守護され、鼠一匹すら侵入する余地は無い。すでに市民も首相暗殺の一報を聞いている為に京史朗はその犯人グループの主犯として京都内で孤立せざるを得ない。


「さて、この厳重警備をどう突発するかねぇ……」


 植木の茂みから二条城の様子を見つめる京史朗は他人事のように呟いた。

 いつまでもこうしてはいられない為に動こうとすると、一台の荷車が横の道を通り過ぎて行く。じっ……と草の茂みからその様子を伺った。その荷車は一人の女を先頭に二人の従者がおり、二条城へ茶葉を運ぶ商人のような存在らしい。


(行ったか……あれの中に隠れるのも有りだな。いや、あの人数の一人として入れてもらう……のも今は無理か)


 すると、茂みの中に入って来る人物がいた。


(……)


 音からして人数は一人。

 覚悟を決めた京史朗はその人物をまだ察知してないフリをし、地面に置いてある刀の鯉口を切った。次第に両者の距離は縮まって行き――。


「つぇあっ!」


 瞬間、京史朗の刃は相手の首筋で止まる。

 いや、止めざるを得なかった。

 その人物は赤い着物を着た日向に咲く向日葵のような可憐な香りがする女。この京の町で京史朗がいつも癒されてきた女だった。


「……お前は!」


「助けに来ましたよ京史朗さん」


 椿の城へ運ぶ茶葉の荷車の中に京史朗は隠れ、闇が蠢く二条城内部に侵入した。





「うらぁ! 伏見奉行所奉行のお通りだ! 道を明けやがれ三下ぁ!」


 朱色の閃光のような剣が紺色の群れをなぎ倒して行く。

 京史朗は東京警官が点在し、騒乱の渦になる二条城内部を駆ける。


「どけ! どけ! どけーーーっ!」


 一人の胸元を斬り、二人の腕を落とし背後の敵に踵を上げて股間を蹴る。

 躍動する鬼は死体の山を築きながら通路を進む。

 奥の扉を開けると、十人ほどの警官が整列し待ち構えていた。

 一匹の鬼に対し、狼狽する警官隊は銃を取り出し射撃体勢を取る。


「……目標確認! 構え! 撃てーーーっ!」


 指揮官らしき男の掛け声により銃の一斉射撃が放たれた。

 驚く京史朗は通って来た背後の扉に飛び、足で扉を閉めた。

 ババババッ! と木製の扉に穴が開き、警官隊はそのまま進撃した。

 体当たりで破られた扉は倒れるが、その先に京史朗の姿は見当たらない。


「一体どこへ……」


 と一人の警官が言った瞬間――。


「真上は死角ってな――」


 天井にしがみついていた京史朗は落下し、一人を絞殺した。

 突如、襲来した鬼に驚く警官達は恐怖が一気に伝染する。


『うあああああっ!』


 そのまま敵味方の区別無く無闇に銃を撃つ警官達は互いを射殺する事になった。

 以外に呆気なかったな……と思う京史朗は銃弾がかすった傷口を手拭いで縛りつつ先へ進む。その背後を、瀕死である一人の男が眺めていた。

 生きていた警官の一人が、銃を構え京史朗を狙っていたのである。


「死ね……徳川の負の遺産……」


 その引き金は放たれ、京史朗は驚愕の顔で立ち尽くした。

 全身に衝撃が走り、硝煙の匂いすら鼻腔を刺激しない。

 銃を撃った警官は背中に刀を突き刺され絶命していた。

 ズッ……と刀を引き抜くオールバックの白髪混じりの中年の男は言う。


「どうした京史朗? 私がここにいるのがおかしいか?」


 突如、目の前に現れたのは大前義一だった。

 今度は京史朗が恐怖を感じる番だった。

 最上階にいるはずの男がこんな下層にいるなんて考えてもいなかった。

 溢れる言葉の濁流が頭を駆け抜ける中、京史朗は大前から一つの答えを聞いた。


「徳間右京は義狼軍の飾り達磨。義狼軍の本当の頭は私だよ」


「――!」


 その言葉で、全ての謎が解けた。

 この未来会議が行われる京都に東京の警官を派遣した理由。

 義狼軍という浪人組織が警官包囲網の中でも暗躍出来る理由。

 そして、この未来会議の日に伏見奉行所が義狼軍を壊滅させる手柄を上げられた理由――。


「……そうか。全てはあんたの手の平の中で起こる茶番でしかなかったって事か。何もかもあんたがこの国の首相に納まる為の計画。粋なもんだぜ。大前義一」


 いつの間にか朱色の煙管を吹かせる京史朗は底光りのする目で言った。

 鋭利に口元を笑わせる大前はすでに捨てた駒でしかない小僧を見下すように、


「かつて私が助けた命だ。私がどう使おうと勝手だろう? 徳川の遺物よ」


「いいねぇ……あんたが下種であってくれて助かるよ。かつての恩も全て水に流せる。お縄についてもらうぜ。大前義一」


「お縄か……すでに警察は手錠というものが出始めているのだよ。時代についていけない者は私がここで引導を渡してやる」


 パチン! という指音と共に、大前の背後から無数の紺色の忍が現れた。

 蜘蛛の子が蠢くように四方八方に散り、京史朗は囲まれた。

 すでに大前の姿は存在しない。

 はぁー……と笑うように大きく煙管の紫煙を吐き出し、


「都合がいいぜ。俺がどんだけ暴れてもお前さん達は面子があるから外から応援は呼べない。さーて、いつまで情報統制出来るかな?」


「貴様が下手人として捕まれば、大前様が首相となり日本は変わる! 大義の為に消えろ鬼瓦!」


 五人が一斉に京史朗に襲いかかる。


「日本は変わっていくさなかだろーがよ!」


 床の畳を激しく踏み、刃を一閃させた。鬼神の如き一撃で密集していた五人は吹き飛んだ。しかし、その五人のうち二人は受身を取り立ち上がる。


「こいつら普通の警官と動きが違うな! まさか本物の忍――」


 その黒装束の忍達の動きは明らかに幕末の時に戦った経験のある官軍の忍の動きに似ていた。確実に相手を殺そうとする敵の動きに京史朗の感覚は冴え渡り、動きの質が一段増していた。摩訶衛門や月影などの戦いから幕末での感覚が戻りつつある鬼はここに来て覚醒を始めている――。


「ぬらああああっ!」


 鋭い苦無が頬にかすりながらも京史朗は敵の忍を持ち上げ、床に叩きつけた。

 床が変形し、死亡する忍びを踏む鬼に目掛け苦無が殺到する。


「――っと」


 変形した床板を盾にしそこに刺さる苦無を利用し、投げる。

 しかし、忍は倒れない。


「夜談のように上手くは刺さらんな」


 飛び道具の無い京史朗に対し距離を取る忍達は全方位からの手裏剣投げで殺害しようと動いた。懐に手を入れる京史朗はある男を思い出し呟く。


「金之助。力を貸せ」


 手裏剣のように無数の小判を投げた。

 その黄金の煌きに、一部の忍の動きが止まる。


「忍の真髄は心を刃で殺すほどの忠義。金に溺れた技じゃ忍とは言えねーな」


『――!』


 一瞬にして間合いを詰めた京史朗は三人を始末する。手裏剣の嵐をその死体で防ぎ、刺さる手裏剣を再利用し投げつける。二人を倒し、残る七人を倒す為に動く京史朗の足の裏に嫌な痛みが走る。


「っ! ま、まきびしか? ぬおおっ!?」


 鎌の頭端部につけられる鎖分銅により左手を絡み取られ使えなくされる。

 がむしゃらに動き回り、左手を拘束する相手を牽制しつつ敵を倒すが片手の腕力では相手に致命的な一撃を常に与えるのは厳しいものがある。そして、他の忍から放たれる鎖鎌が肩に刺さる。その隙をつくように真下に現れた忍の小太刀が腹部に迫る――。


(回避できねぇ……!?)


 その刃は、もう一つの小太刀により防がれる。


「危うい所ね。一つ貸しよ」


「月影!?」


 突如、月影が現れ周囲の忍を一掃した。

 背中合わせになる二人は敵を警戒しつつ話す。


「ここは私に任せてとっとと先に控える強敵を倒しなさい。貴方が開いた突破口が私が大前を倒す事に繋がるのよ」


「なるほどな。俺はお前の前座かい」


 そう言いつつも、月影には感謝した

 こんな所で時間を食ってる場合じゃないからである。


「んじゃ任せたぜ月影!」


 月影の肩を叩き、京史朗は駆けた。

 進む鬼の背中を、まるで似ても似つかない師である聖光葉と重ね合わせる自分に月影は笑う。


「忍対忍。これも中々乙なものじゃない」


 忍対忍の戦いが始まる。




 進む京史朗は敵を倒しつつ二条城の上層階までたどり着いていた。

 畳が敷かれる間を進んでいると、天井にある洋式のランプの火が突如消える。


「明かりが消えた?」


 焦る京史朗はほぼ見えない視界の中で気配を探るが、おかしな動きは感じられなかった。

 しかし、薄闇の空間では恐ろしい殺意を纏う無音の死神達が蠢いていた。

 闇が濃さを増すような感覚を背後に感じ、左に逃れた。


(……)


 左脇の羽織が何かに触れられた感触がある。

 それはこの闇に蠢く忍の小太刀であった。

 そのまま素早い三人の忍の統率された攻撃に、羽織を刻まれ畳の上に転がる。


「大前直属の忍か。血に餓えてやがるな」


 新たなる強敵を目の前に忍達は無音の欲望を燃え上がらせる。

 すすす……と動く闇の胎動は三人感じた。


(敵は三人。まずは一人を殺る!)


 敵の一人を始末し連携を絶とうとする京史朗は一番近い一人に対し動く。

 畳が弾けるような疾走を見せ、瞬殺の一撃が迫る――。


「なっ……?」


 足に何かが引っかかり、京史朗はそのまま転んだ。

 そこに三人の忍の爆弾が放たれる。


「!?」


 盛大な爆発と共に、耳と視界が一時的に殺される。

 こんな爆発を狭い室内で起こしたら敵もたまったもんじゃねーだろと思いつつ、腹部を抑えながら京史朗は生きていた。そして、数秒経つと忍の攻撃が始まる。攻撃に出ようとも何故かいい所で足元の紐の罠にかかり倒れる自分に不甲斐なく感じながら考えた。


(足元に紐のようなもんを仕掛けてやがるなら、奴等とて戦闘中に全てに引っかからないのは無理だろ? 何だ? 何かがおかしいぞ……)


 何かがおかしいと思いつつ、敵の一人に迫る――。

 しかし、足に手裏剣が刺さり京史朗はまたも不意をつかれた。


(またか!? 奴等の動きは統率が取れている三位一体攻撃……これじゃまるで四人目がいるとしか……)


 ふと、京史朗の動きが止まる。

 瞳を閉じ感覚を研ぎ澄まし、空間の鼓動を認識するように足を畳の上ですらし、呟く。


「なるほど。見えない四人目は天井裏じゃなく畳の下だな」


 瞬間、煙管を真上の天井に投げ、その行動に三人の忍は視線が移動する。

 特に何も起こらない行動に、三人の忍は爆弾に着火し動く。


『死ね』


 人形のように立ち止まる京史朗の懐に爆弾が入れられ、三人の忍は爆発の余波から逃れる為に入ろうとしていた地下室がある開かない畳に驚く。少し空いた隙間から、鋭い瞳を輝かせる鬼が見つめていた。


「一人足りねぇと思わないか? 奥の一人は俺の羽織を着た偽物だぜ」


 確かに全て合わせ四人いた忍達の数は一人少なく、京史朗だと思っていた羽織を着た人物こそ仲間の忍だったのである。


『――!』


 そして爆弾の起爆の瞬間を迎えた。

 爆発を畳の下で堪える京史朗はまだ煙が立ち込める中に立ち尽くし呟く。


「忍法畳み返し! なんてな」


 その間を突破し、更に上層階へ向かうと異様な感覚がする間の前にたどり着く。

 その場で立ち尽くし、大きく息を吐く。


「この……かすみ草の模様は? ……あの女か」


 京史朗はこれから戦う女を思い浮かべ、やや股間を怒張させながらその間に入った。





 桔梗院の間――。

 ガラッと一気に障子を開け放つと、木目調の室内だった。

 その室内にいる裾が短い紫色のかすみ草が描かれた着物を着た黒髪が美しい女はただこちらを見ていた。無言のまま京史朗もその人物、死油の開発者であり刀剣などの刀鍛冶も勤める死の商人・桔梗院玲奈と対峙した。

 京史朗は少々戸惑いを隠せぬまま、言葉を発した。


「死の商人がこんな所で何してやがる? 戦闘はお前さんの仕事じゃねーだろ?」


「戦闘も必要であればするわよ。新しい武器の使い方は実践で自分が試さないとわからない事も多いからね。あまり長い会話は時間の無駄よ」


 両手を開く玲奈の左右の指からは細い糸のようなものが光って垂れ下がっている。


「出来れば寝床の相手をしてもらいてぇもんだぜ……」


 言いつつ、鏡花水月を抜き放ち仕掛けた。

 閃光のように玲奈の鋼線こうせんが刀身を絡め取る。


「くっ! くっ!」


「鋼の鋼線は鉄では切れない」


 左手で京史朗の刀を制しつつ、右手で鋼線を飛ばした。その鋼線は京史朗の左腕に絡み付いた。


「ちぃ!」


「あまり動くと腕が落ちるわよ。楽にしてあげるから、じっとしてなさい」


「ぬおおおっ!」


 鋼線が絡まり血が吹き出る左腕を気にせず、一気に腕を引いた。本人の意図とは違い、急加速した所に剣先を突き付けた。しかし、京史朗の意図とは違い、急に刀を持つ右腕が沈んだ。


「な――にぃ!?」


「浅はかね」


「がっ!」


 顎を蹴り上げられ、宙を舞うが、予想以上に後方に飛ぶ事は無かった。


「……この鋼線に絡まってるかぎり、離れる事も出来ないか」


「そうよ。私の自由空間の中で死になさい」


「ぐおおっ……」


 いつの間にか両足にも鋼線は巻かれていた。だが、京史朗は笑う。


「両手両足は拘束した。この状況で笑うなんて、貴方はそんな趣味があったのかしら?」


「違うぜ玲奈さんよ」


 じろり、と玲奈の両目を抉るように見つめ、


「この距離なら俺の刀の範囲内でもあるんだよ。さて、血の流しあいを始めようか……」


 ククッ……と笑う玲奈は両手に力を込めた。




「ぐっ! ぐああっ!」


 両手両足を絡めとられ、自由に動けない京史朗は人形のように何度も畳に叩きつけられた。その度に、絡まる鋼線が肉に食い込み血が流れる。


「そんなにもがいたら出血多量で死ぬわよ?」


「叩きつけられててもいずれ死ぬな――」


 血まみれの京史朗は鋼線が肉にくい込むのを気にせず、無理矢理刃を一閃した。


「っと。さっきから無理矢理刀を振るってるけど、鋼線で両手両足を絡まれてる限り初動が遅いのよ。貴方の動きは鋼線を伝わって私に伝わる。故に貴方の刃は届かない。わかるでしょう?」


「わからねーな……。玲奈が大前に手を貸す理由がわからない。惚れてる以外の理由を知りたい……教えてくれよ?」


 血が伝う刀に意識を集中しつつ、京史朗は話す。前髪が乱れる玲奈は微妙に口元を緩め、


「……それは秘密の秘密と言いたいけど、冥土の見あげに教えてあげる。私は幼少より薩摩藩の刀匠であり商人だった。物心ついた時には自分の作った武器で毎日人を殺していたわ。父が新しく刀を納める先の客として大前と繋がりを持った。そして、私は人間の殻を破り人間を超越する存在を目指す大前に出会った。大前は麻薬で人体実験をし、人の進化を模索していた。刀を打つ事しか知らない私にはとても魅力的な世界を知っていたわ。大前の人体実験で得られる強さは、私の打った刀や様々な武器をより魅力的に演出するものだったの……その究極系が死油よ」


「……それが理由か?」


「それもある。だけど、何よりも大前は私の死油を肯定してくれた。薩摩の大人は皆、私を必要としていた。必要なのは刀匠の私。それは子供心にも理解できる。だけど大前は……大前は心の底からこれからの日本の為に狂った生き方しか出来ない私を必要だと言った。それがどんなに嬉しかった事か……貴方にはわからないでしょう?」


 その澄んだ狂気を見せる玲奈に京史朗は幕末の熱い血潮が舞う炎を感じる。


「わからねーな。だが、お前がただの人殺しでない事は理解した。俺は大前を倒さなくちゃならん。この国を守る為に」


 柔らかく微笑む玲奈は敵に対して無駄な感情を抱き始めている事を感じ、


「……話しが長すぎたわ。終わりましょう」


「そうだな……うらぁ!」


 歯を食いしばり、京史朗自らを束縛する鋼の結界から抜け出そうとする。

 鋼の線は肉に骨に食い込んで行き、その身体を死に追い詰めて行く。


「無駄な事を……そんな力任せじゃ自殺してるのと一緒よ」


 しかし、玲奈の瞳は目の前の鬼に釘づけだった。

 刀でさえ斬れない鋼を、この男は力任せに引きちぎり始めている。


「……そんな。有り得ない」


 そんな声が漏れると共に、冥府より舞い戻る鬼は言う。


「肉が切れようが、骨が絶たれようが俺の魂の炎が消えねぇ限り死ぬ事はねぇ。俺は、鬼だからな」


「戯言はやめなさい! これで殺す――」


 爆弾を取り出した玲奈は急いで着火し、目の前の敵を倒す為に動く――。


「――おおおっ!」


 目を見開く京史朗は爆弾に対し何も出来ず、爆弾は爆発した。

 砂煙が舞う中、玲奈は死油も使っていないのに異様な力を発揮する京史朗に不快感を示す。


「……一人でこの二条城を戦い抜くなんて到底不可能なのよ。摩訶衛門の出番は無かったわね」


「そいつはどうかな?」


「!?」


 砂煙の中から現れる鬼に、玲奈は一閃を浴びた。

 京史朗の両手両足の鋼線は全て爆弾の余波で解除され、自由になっている。

 腹部を抑える玲奈はよろめきながら、


「……まさか爆弾を使うように誘っていたの?」


「それは秘密の秘密だぜ?」


「――殺す」


 狂気に染まる玲奈が放つ鋼線を刀で素早く斬り裂く。


「鋼を斬る呼吸を知ったの? はああああっ!」


「隙有り!」


 間合いを詰め、一瞬ひるんだ玲奈に対し一気に懐に飛び込んだ。


「終わりだ!」


「――!」


 刀を振りかぶり、最後の力を込めた瞬間――玲奈は笑った。


「ここは私の部屋。罠は仕掛けてある」


 突如、全方位から鋼線が飛び出し京史朗の身体を縛り上げた。


「ぐおおおっ!」


「暗技・鋼の旋律」


 顔面以外の全身が鋼線で絡み取られた。はずみで鏡花水月を落とした。


「そうきたか。確かに暗技だ……」


「さようなら鬼瓦。久しぶりに楽しめた戦いだったわ」


 言うと、グイッと両手にある導線を引いた。

 全身が一気にしめつけられ、もう数秒で窒息か圧死だろう。


「……」


 視線を玲奈ではなく、畳に落ちている鏡花水月に移した。

 しかし、眼前に玲奈がいた。


「貴方は何を企んでいるかわからないから、確実にとどめを刺す」


「……!」


 玲奈が持った苦無が京史朗の心臓目掛けて迫る――。


「かかったな――」


 皮膚と骨に鋼線が食い込み血が吹き出る左腕を気にせず、鞘の頭を後ろに引き下げ、鞘尻を引き上げた。


「なっ!」


「うおおおっ!」


 苦無を鞘尻に弾かれた玲奈は、京史朗の頭突きを腹に受ける。


「――! 鋼線が切れた?」


「残念だったな。この鏡花水月は月の女の思いがこもってる。敵の餞別受けてこの伏見奉行がそう簡単に負けてられねーんだよ!」


「まだよ!」


 チン――と京史朗は鏡花水月を納め、玲奈に向かって歩いた。

 玲奈は広いおでこを露にし、唖然とした顔で京史朗を見る。


「京なる雅」


 そう、技名を告げると玲奈は畳に崩れ落ちた。





 京史朗は上の階に大前等がいる未来会議場の真下までたどり着く。

 しかし、動けずにいた。

 目の前にいる魔物はこの数ヶ月の間、自分にまとわりつく悪霊でしかないからである。

 その男、摩訶不思議な事を興味に生きる摩訶衛門はニイッ……と裂けたような口元を開き言う。


「茶番は終わりだ。僕との楽しい、楽しい時間の始まりだよ」


「後がつっかえてるんでな。一気に終わらせるぜ」


「つれない事を言うなよ鬼瓦」


 筋肉増強・痛覚麻痺の死油を飲む魔物は目を赤くしながら笑った。

 両者の耳に悪霊のような呻き声が聞こえ――抜き打ちが炸裂する。

 風雲の嵐のような摩訶衛門の剣が乱舞する。

 疲労が見えるはずの京史朗の剣は何故か鋭さを増していた。


「いい加減地獄に帰れ! もうこの時代は明治だぞ摩訶衛門!」


「幕末の騒乱を忘れられないんだよ。僕だけではなく、ここにいる全ての人間が、さ!」


 摩訶衛門の刃は更に切れ味を増す。

 剣腕はほぼ互角――。

 確実にこの戦いの中で京史朗は進化していた。かつての幕末の動乱での戦いの記憶と、新しい宿敵との戦いがこの鬼を更なる高みに飛翔させた。


「うおおおっ!」


「ははははっ!」


 この二人は自分の顔が今、笑っている事にすら気付いていない。愛し合う激情のような気持ちを互いの剣に込めてぶつけ合う。


『――』


 両者は激しい一撃で後退する。

 京史朗が左足を床にすらすと、赤黒い液体が入る小瓶が転がっていた。

 それを拾い、摩訶衛門に投げようとすると静止される。


「僕にはもう必要無い。君も飲むといい。快感に打ち震えるよ?」


「……やめとくぜ。薬物の強さは本当の強さじゃねーだろ」


「その曖昧さが君を殺す――」


 目の前にいたはずの真横に摩訶衛門がいた。死油の小瓶は京史朗の着物の胸元に落ちた。

 そして激戦が繰り広げられ、疲労の色が見えた京史朗は刀を落とし、胸倉を掴まれる。

 摩訶衛門は刀の切っ先を京史朗の首に突き立てる。


「楽しかったよ。サヨナラ――鬼瓦」


(力が弱まった……? 今だ!)


 とどめの一撃のはずなのに相手の力が弱まる。

 理由も考えず、そのまま京史朗は一気に摩訶衛門の胸を蹴り拘束から開放され、刀を回収し距離を取る。


「ううーーん。頭が熱くなってきたねぇ……」


 よろける摩訶衛門はまた攻勢に出た。

 二人は剣をぶつけ合うが、先ほどとは違う光景になっていた。


(何だ? 炎?)


 京史朗は摩訶衛門が動くたびに身体から陽炎のような火の粉が浮かんでいるのを確認していた。幾度か刃をぶつけ合う最中にも、その火の粉は数を増していた。

 身体の周囲に浮かび上がる火の粉が阿修羅のような姿を彷彿させる魔物を見た鬼は言う。


「そろそろ止めだ」


 すると京史朗は刀を納めた。

 その行為の意味がわからない摩訶衛門は赤い目を輝かせ刀を振りかぶる――。


「刀を納めてどうするつもりだ――」


 その瞬間、突如摩訶衛門の身体が発火した。

 身体を覆う炎は全身に行き渡り、まるで身体の内面から燃え上がる炎だった。

 それを冷たい瞳で見る京史朗は言う。


「死油の使い過ぎだな。身体の熱に血液が燃え始めてやがる」


「ぐおおおおおおっ? 僕の身体が燃える? 摩訶不思議! 摩訶不思議ィ!」


 人体発火する摩訶衛門は死に向かう自分の身体を楽しむように叫んでいた。

 宿敵ともいえる相手の呆気ない幕切れに京史朗はただ見据えていると、息を呑む殺気が感覚を支配する。それは幕末の蝦夷地にて自分を倒し、この新時代に伏見奉行として働かせ自分が首相になる為の駒としていた鬼瓦京史朗の人生を司っていた男――。

 悠々とこの場の全てを支配するような足取りで警察の制服を着た大前義一が現れた。

 その姿に京史朗は刀を持つ力を込める。

 摩訶衛門は燃えながら大前を見た。


「邪魔だ。死油の力を幕末より使う私の前座としてはそれなりだったか」


 燃える摩訶衛門は大前の拳の一撃で吹き飛び、戸を破り外の暗闇に落下した。自分の一撃では大きく吹き飛ぶ事などなかった強敵がたかだか拳の一撃にて吹き飛ばされた。炎に包まれているとはいえ、正面からの一撃に――。

 摩訶衛門が残した炎がパチパチ……と燃える音しかしない静まり返る室内で大前は言う。


「やけに苦戦していたようだな。たかだか人斬り程度に」


「なーに、ちょと遊んでいただけよ。あんたは前座よりは楽しめるんだろうな?」


「楽しむ前に死ぬなよ」


「言うねぇ。じゃあ戦るか。五稜郭の続きをな」


 瞬間、二条城全体に冥府から誘うような摩訶不思議! 摩訶不思議ィィィ! という魔物の断末魔が聞こえた。

 そして大前義一との、幕末で幕軍と官軍に分かれて戦った五稜郭での日を思い出し、京史朗は動いた。





 二人の男が戦っている――。

 互いに警察機構に属し、一人は組織の長官。

 もう一人は独立警察機構の頭である奉行。

 二人の男は幕末以降、信頼と結束で結ばれていた仲だったが全ては警察組織の長官の長年に渡る罠でしかなかった。その蜘蛛の糸を用意周到に張った男は言う。


「伏見奉行所は生贄だ。生贄は生贄らしく全ての悪を背負え。それが私への恩返しだ」


 すでに欲望を開放した男にはどんな話も無意味だと悟る京史朗は言う。


「あんたは……俺が斬る」


「死油を正しく使える私に勝てる算段はあるのか?」


 二人の激しい意思を体現する鋭い金属音が唸りを上げる。


「昔の話とはいえ流石は北辰一刀流免許皆伝の腕だ。死油のおかげで力が強くなってやがるな」


「西洋ではパワーアップというんだよ京史朗君」


 大前は死油の効果により、確実に筋力が増し若き時代の力を取り戻していた。

 そして、顔面をこわばらせ赤い両目を爆発させるように叫んだ。


「戊辰の開戦前から日本の浪人だけでなく、外人とも激戦を繰り広げてきたこの私に勝てると思うのか若造がぁ!」


 あまりにもの豪腕の一撃に、京史朗は派手に吹き飛ばされた。

 それを追撃する言葉が空間に響く。


「京史朗。お前は確かに強い。鳥羽伏見の戦いでも勇敢だった。だが、それだけだ。幕臣の息子であるお前は泰平の世の中で強いというだけ……世間の荒波に揉まれ数々の悪行を行った私には勝てん!」


 大前は子供の頃はただの庶民でしかなく、外国が日本に来て世が混乱し出した時から外人を打ち払う攘夷の先駆けとなり江戸で暴れ、幕府内でのし上がり、戊辰戦争終結後は警察長官の職についた。

 かつて、京史朗が退職する父から伏見奉行を指名されなかった事に苦しんでいた時に、大前は幕府の新時代の警察機構を作る身として京史朗を指名した。しかし、大前はそれすらも否定し、刃をぶつけて来る。


「あんたは! 俺を買って伏見奉行にしたんじゃないのか!?」


「阿呆が。誰がお前のようなヤクザ者を奉行に指名するか。必要だったんだよ。新時代からはみ出る受け皿がな」


「受け皿……だと?」


 鍔ぜり合いから互いに後退し、畳が少し破れる。


「そうだ。新時代が来れば外国を打ち払う攘夷! 攘夷! と叫んでいた連中の大半も西洋文化を受け入れざるを得ない。しかし、本当に攘夷を叫んでいた連中だけはどうにもならん。殺すわけにもいかんし、野放しにも出来ない。そこで私はお前に目をつけた……毒は毒をもって制するという奴だ」


 京史朗が父親に拒否された伏見奉行の座も、大前から見て毒でしかない人間達の溜まり場だった。今の自分の立場は自分の実力で得たものでは無く、名奉行として京の町に君臨してきた父親の威光を受けた飾り達磨でしかなかったのである。


「そうか……よーくわかったぜ大前の旦那。飾り達磨上等。俺にも覚悟が出来たよ」


「ほう、どんな覚悟だ?」


 瞳が嗤う大前に、満身創痍の京史朗は摩訶衛門が生み出した炎を背に、愛刀の鏡花水月をかざし言う。


「毒が毒を制してやるよ」

 



 一つの弾丸とも言える鬼と欲望の悪魔との激戦は周囲の炎を更に燃え上がらせている。

 ここに来て更に早さを増す京史朗は大前の顎を蹴り上げ、大きく隙が出来た心臓目掛けて切っ先を構える。


「死ね!」


 好機を得た京史朗はとどめの一撃に出る――。


「ぬあああっ!」


 大前の腕の筋肉の血管が軋みを上げ、とてつもない速さの一撃が振り抜かれた。


「――!」


 嫌な予感がした京史朗は好機を捨て背後に後退した。左肩口の着物と鎖骨がぱっくりと切れていた。


(……)


 どう考えても、今の突風でやられた傷としか考えようがない。

 笑う大前は自分の肥大化する筋肉を見つつ、言う。


「カマイタチを知らんか?」


「知ってるが、実際に見るのは初めてだぜ……」


 カマイタチにより床板が一文字に裂けているのを見て、京史朗はこの一撃は刀では防ないだけでなくくらったら終わりだと肌で感じた。


「さて、死油の筋肉増強の力の本質を見せてやろうか」


 重く鋭い一撃、一撃が一呼吸の間を置いて嵐を生み出すように繰り出され、真空の刃が飛んで行く。京史朗はカマイタチを回避するだけの防戦一方になる。


「ほらほら、どうしたどうした? いつもの威勢はどうした! 鬼奉行!」


 恫喝の罵声と真空の刃が繰り出されるが、京史朗は反応さえも出来ない。

 確実に死に至る刃のみは回避しているが、身体には無数の傷が生まれていた。

 床も天井も、カマイタチの疾風により一文字の傷が増えている。


「そろそろ終わるぞ! 私も忙しいのだ!」


「あーそうだな!」


 無謀にも特攻した。


「死ぬ覚悟が出来たか!」


「うおおおおおっ!」


 無理矢理足を踏み込み、左に流れカマイタチを紙一重で回避する。急激に方向転換した為、右足首を痛めた京史朗に大前は気付く。


「そんな無理な動きをすれば足を痛めるだろう。死――」


 言葉を発するが、身体がついて来ない。その大前の一瞬の隙を逃さない。


「カマイタチを撃った後の僅かな硬直は気付いてなかったか?」


 死油を体内に宿し活性化する大前の感覚は常人とは違っていた。そこに気付けない差を利用し、勝つための動きをしていた。その両手に持つ刀に一撃を入れ、刀を吹き飛ばした。ギラリ……と京史朗の冷たい目が輝き、怜悧な一撃が大前の顔面を捉えた――。


「……こんな古臭い道具は新時代には、この私の創る時代には要らないんだよ」


 むしゃり……むしゃり……とにやりと笑う大前はまるで魚の骨を噛み砕くように口の中で刀を粉々にした。

 京史朗はたじろぎながらも、小刀を投げた。しかし、左胸には刺さらず床に落ちる。


「死油の効果時間は短いが、幕末より使い続けている私の身体は弾丸とて貫通はしないのさ。この力のおかげで幕末の最前線でも生き残る事が出来たよ」


「どうりで……俺はあんたに勝っていたわけだな」


 突きを繰り出し、素肌の胸板に防がれたのを不思議に思っていた謎が解けた。


「死油がなければ、五稜郭で私は死んでいたな。しかし、勝てば官軍。私はお前を生き残らせ、全てに勝ったのさ」


「まだ全ては終わってねーぜ!」


「終わっているんだよ。幕末でお前の人生はな」


 京史朗は為す術も無く素手で殴られ続ける。

 全身の骨にヒビが入り、胃の中のものを戻してしまう。

 それでも大前の拳は止まず、京史朗は床に伏せる事すら許されない達磨になる。

 ニヤリ……と大前は今まで封印していた欲を解放する悦に浸り叫ぶ。


「ふはははははっ! 怖いか? 恐ろしいか? お前の情けない顔を見ると私は嬉しくてたまらないよぉーーー!」


 猛烈な拳が放たれ、京史朗は壁に激突した。

 血まみれになる右手をペロリと舐める大前は、


「私が白と言えば白。黒と言えば黒。このコインのように表も裏も私には必要無い」


 壁に身体を食い込ませたまま動けない京史朗はせめてもの抵抗を目でする。

 それをあざけ笑いつつ、


「そんな目で私を見るなよ。私もお前と同じ人間だよ」


「……」


「だだし、少し優秀過ぎる人間だ」


 その傲慢な王が支配する空間には誰の干渉も出来ない場所であった。

 摩訶衛門が生み出した炎はいつの間にか室内全体を包み込み、二条城の細部を侵食していた。このままでは確実に二条城は焼失するだろう。


「まぁいい事だ。ここが消えれば。新しく私の城を建設すればいい……?」


 そこに一匹の雀が舞う。

 眉を潜める大前は、顔面に迫る苦無を掴んだ。

 そこには伏見奉行所の黒い忍とこの国の首相である男が現れた。


「……生きていたのか。聖虎次郎」


「私の兄も諦めが悪い男でね。そう簡単に死んではあの世で兄に顔向けできんよ」


 突如現れた味方の増援に、折れかかる満身相違の鬼の心が復活しつつあった。




 聖首相は重症ながらも生きていて京史朗が殺害した事を偽りだと民衆に宣伝させていた。

 この状況で死んだはずの首相が生きていて全ての犯人は大前だと宣伝しても民衆は混乱を招くだけである。しかし、聖首相は民衆に正しい事を自分で判断しろという思いをこめてあえて混乱する情報を流さしていた。そしてその聖の手には一つの懐中時計があった。


「大前……君にもらった懐中時計が弾丸の軌道をそらしたようだ」


「それでも深傷には変わりないだろう?」


 歯軋りする大前は京都市内の混乱を想像した。

 聖首相生存と、全ての犯人である大前義一の悪行を宣伝する義賊・月影に化ける金之助や椿の情報を得た伏見の市民が少しずつ動いていた。聖首相を助けた際に夜談と月影は首相の御紋が押された紙を渡されており、その御紋以上に京史朗を信じる市民は心を動かされ警官隊に抵抗を始めた。そして伏見奉行所で籠城していた奉行所の面々も周囲の民衆の助けもあり、奉行所を抜け出し二条城へ向かっている

 まさかの市民暴発に二条城の火災に戸惑う警官隊は後手後手に回る。

 大前の描いた未来予定図が少しずつ確実に変化し出していた。

 この目の前の荒くれ者としか思っていなかった鬼瓦京史朗を中心として――。

 そして、聖首相は言う。


「まだ日本は変わる途中だ。一国の首相とはいえ、その地に根を張る絆には勝てない。それを見誤ったな大前よ……」


「……クズ共め! 糧にもならぬその命で全てを償ってもらうぞ! この私こそがこの世界の王になるのだ!」


 我を忘れる大前の叫びに対し、聖首相は冷静に言う。


「大前……貴様は聖光葉と友人だったはず。それを何故、殺した? 黒船密航の件は謹慎という罪で済んでいたはず」


「光葉はそれ以外にも数々の罪がある。いや、あの男自体が罪の火薬庫と同じだ。それ故に幕末では奴の弟子達が維新回転の中で活躍した。奴の狂とは他人に感染する非常に厄介なものなのだよ」


「確かに兄は狂人だ。だが、お前にもその素質はあったはず」


「光葉の狂は認めよう。だが奴の理想とするように全ての人間が志を持って立ち上がる事など不可能だ。志を持ち、折れぬ心があるのは世を動かす人間だけで良いのだ」


 ふと、大前は嫌な殺気を感じ振り返る。いつの間にか会話をする人間達の側まで来ていた鬼は地獄から舞い戻る阿修羅そのものであった。


 そして、聖首相は兄の形見である光一文字光牙こういちもんじこうがの刀を京史朗に投げた。


「これを使え伏見奉行。この刀で……奉行としての正義を見せてみよ」


「任せとけ。聖首相。あ、この仕事終わっても伏見奉行所は取り潰すなよ? もしかしたら俺が第二の大前になるかもしれんからな」


「この状況でそれを言うか。面白い男……いや、鬼だな」


 冗談を言いつつもその眼光、そのたたずまいは鬼そのものでしかない。

 この世の光を生み出すような輝きを放つ、光一文字光牙を引き抜き言う。


「夜談。ここもだいぶ火の手が回って来た。ここは俺がけりをつける。お前は首相を連れて脱出しろ」


「しかし奉行!」


「夜談、仲間を信じろと言ったのはお前だぜ? お前はこの俺を信じられんか?」


「……御意」


 夜談は炎を避け、首相と共に消えた。

 そして、運命の二人の最終決戦の終幕が始まる――。





 死油の効果で筋肉増強・痛覚麻痺を得る大前は自分の敗北などは微塵も考えず剣を振るう。すでに十年以上死油を使い続けている大前の寿命は確実に短くなっているが、その寿命さえも延ばす麻薬を生み出そうとこの男は模索していた。

 互いにこの剣劇が長く続かない事を悟りつつ、大前は劣勢の鬼に言う。


「摩訶衛門など最近死油を使い出したひよっこだ。戊辰戦争より死油を使用している私には及ばない。そして私は無敵なのだ。伏見奉行如きが、そんな光の剣などでこの私を殺せると思うなよーーーーっ!」


 すでに大前は身体を切られても多くの血が出ない。赤い瞳は暗闇でも鮮明に相手を映し出す事が出来、その身体能力は野生の動物並みに俊敏なものがある。摩訶衛門の言う人間を超えるというのは、正にこの大前義一の現在の状況を指していた。

 だが、確実に大前の感情は揺れ始めている。

 聖光葉と鬼瓦京史朗――。

 決して似ても似つかない二人の男の、自分を曲げずにただひたすら信じる道を進む光景に憧れや嫉妬の感情を剥き出しにし出していた。薬物に頼り、自分の心身さえ変えてまで幕末を生き残り権力にすがった自分とは違う〈志〉で動く男達に大前の精神は切り裂かれている。その思いがそうさせるのか、大前の死油の効果は急速に衰え出していた。


「そんなに聖光葉が気に入らねーか? そんなに、この鬼瓦京史朗が気に入らねーか? 自分の理想は案外、お前が憎んでいる男にあったんじゃねーか?」


 床に叩きつけられる大前の一撃を回避し、その腕を利用し飛翔した。そして全体重を乗せた全身全霊の一撃が大前の脳天に叩き込まれる――。


「……私は無敵だ」


 全てをかけた必殺の一撃すら大前は耐えた。まるで兜をかぶるように硬い頭の大前の頭から血が吹き出るが、決して生命の危機では無い。やれやれといった顔でそれを見る京史朗は言う。


「なら俺も、パワーアップするかな」


 京史朗は摩訶衛門からもらっていた死油を飲もうとする。


「! させるか――」


「そうかい」


 スッ……と京史朗は小瓶を投げつけ大前の身体に赤い液体がかかる。


「ぬっ……顔にかかると少し不快だな」


「おいおい、使用者の言う事かよ」


 顔にかかる死油を払い、床に巻き散る。

 京史朗は投げた小瓶が無い事をおかしく思っていると、摩訶衛門から貰っていた死油の小瓶は大前の手にあった。途中でコルクの蓋が取れたのか、中身は半分ほどしかない。


「これだけあれば十分だ。これで、力が戻る。お前達を消し、すぐ様関係者を始末する。それでこの未来会議は終わりだよ」


 微かに狼狽を見せる大前は京史朗が持っていた死油を飲んだ。

 これで自分の迷いも、嫉妬も、混乱も晴れて完全勝利間近である。

 新たなる力を補充した大前は目の前の鬼に向けて動く。


「ぐあああっ!」


 奇声を上げ、腕が飛んだのは大前だった。

 ははははっ! と笑う鬼は事前に死油をすり替えていた。

 それはつまり――。


「そいつは俺の血だよ。効果は……女に惚れられる効果だな」


「……この……カス奉行があぁぁぁーーーっ!」


 自分の首を絞めるように喉を抑え、目をこれでもかと大きく見開く大前は叫ぶ。


「この国はこのままでは確実に消える! これだけの西洋文化に身も心も侵されていて日本人が日本人としてあれると思うなよ!? 外国に対抗出来ない外交政策では日本はやがて植民地になるだけだ……そうならぬ為には徹底して武力蓄えるしかないのだ。それを私がやる……やれたのに何故邪魔をする!? 貴様のような時代に対応出来ぬ者がこの国を破壊するんだよ! この徳川幕府の亡霊めっ!」


「確かに俺は新時代に対応出来ない連中の頭で、俺自身も新時代に対応出来てねぇさ。だがな、ただ戦って相手を倒して勝ち取っただけじゃ何の解決にもならねーよ。この国の人間が望む新時代ってのは、四民平等で安定した身分格差もない人が人として存在出来る世界だろうよ」


「黙れ! そんな生温い世界などは無い! この世は弱肉強食だ! 戊辰戦争の記憶が人々の心に残る内に、日本を軍事国家にせねばならん! それが世界の勝利者となるのだ!」


 まるで目の前が見えているとは思えない大前は狂気の笑みで自分の理想を語る。かつての大前の姿は嘘で塗り固められた存在だという事を否応無く思い知らされる。もう、この戦争に呑み込まれた悪魔を生かしておくわけにはいかない。救いの無い悪の姿を見据え、京史朗は言った。


「一体お前は誰と戦ってやがる? 新時代に対応してないのは、お前さんも同じようだな大前義一」


 全てを看破されながらも、大前は自分が優位である言動を止めはしない。

 その懐から、黒光のする拳銃が取り出された。


「すでに左右に逃げ場は無い。距離があれば、私の勝ちだよ」


 その通り、燃え盛る炎は左右の逃げ場を奪っていた。大前の銃口は京史朗に向いている。すでにこの間合いを詰めるほどの反応速度は無い。絶対的な死の弾丸が鬼の死を導く為に放たれた。


「――!」


 それでもその鬼は前倒れで死のうと言うのか、特攻した。幕末の戦で刀と和装では戦にならないと鳥羽伏見の戦いで証明され、幕軍ですら仏式の西洋服と銃を中心とした部隊が組織され刀の出番は消えた。しかし、京史朗はそれでも刀を使い北へ、北へ転戦し五稜郭まで戦い抜いた。銃を使う事は多々ありはしたが、刀と和装を捨てる事だけは出来なかった。

 時代に逆らい、そして時代を守る担い手になる鬼は叫ぶ。


「地獄の閻魔に喧嘩を売りに行こうぜ!」


 刺し違える覚悟で京史朗は刀を振りかぶる――が、その距離は圧倒的に間があり過ぎた。


「地獄の閻魔は独りで拝め、哀れな鬼よ」


 にっ……と微笑み、大前は笑う。

 だが、その笑みは何故か消えた。

 突如放たれた爪楊枝が銃弾を弾いたのである。


「――!? あの忍は!」


「月影か。しかも鬼京屋の爪楊枝とは乙なもんだぜ」


「下種雌がああああっ!」


 最後の切り札を封じられ驚く大前に京史朗は鬼京屋の爪楊枝を投げた天井に張り付く月影を横目で見て言った。そして月影は呟く。


「世界は聖光葉の望んでいたような国民全員が世界と戦う志を持ち、実行に移すようにはならないかもしれない。光葉先生の行動で多くの血が流れたのも事実。けど、自分の血でなく他人の血で未来を描く貴方の未来だけは間違っている。下種め」


「光葉の理想など実現不可能だ! 思想に酔わず、現実を見るリアリストのこの大前義一こそが新時代の神なのだ! 私が神だーーーっ!」


 銃口を月影に向ける大前の横目に、炎を纏う悪鬼が牙を剥く。


「月の女神と、茶屋の女神の加護を受ける俺の勝ちだ――」


 二人の男は交差した。

 刀を納め、予備の煙管を吹かす京史朗は背後の男に言う。


「痛感がねーなら、殆ど感覚もねーよな。それがお前の敗因だ」


「何……だと?」


 振り返る大前は言葉の意味がわからず問う。


「摩訶衛門戦でこの周囲の炎は発生した。この炎の源は何だ? まさか死油の開発者がわからないのか? 情けねー話だぜ。あんたも案外三下だな」


 笑う京史朗は死油が発火性が高く、多少の火で長く燃え続ける事を摩訶衛門との戦いから知っていた。摩訶衛門の感覚は研ぎ澄まされていたがこの大前は戦闘力こそ高いものの、戦い方の差で圧倒的に摩訶衛門に劣っていた。死油を使ってからの一撃で京史朗が対応出来ないのがわかっていながらも、自己を見せつける為に戦闘を長引かせてしまったのが本物の武人との差であった。真剣勝負において武人は戦闘を楽しんでも、無駄に長引かせる事はしない。

 燃える炎は大前の城、野望、人生の全てを奪っていく。

 京史朗はかつての信頼する師のような存在を冷たい目で眺めていた。

 その瞳は大前の誇りを大きく汚した。


「――敗者であるお前達をここまで取り立ててやったが、所詮は負けた時代遅れの者共か……貴様なんぞにこの日本が救えると思うなよ! 地獄で貴様の姿を眺めていてやる……ははははははっ!」


 地獄の炎に呑みこまれる男に、京史朗は自分の思いを叩きつける。


「俺は! 伏見奉行所の仲間と共に、日本の和の組織としてこの町の平和を守り続けてみせる! 地獄で見てやがれ……!」


 突如言葉が詰まり、天井を見上げる。

 今まで自分を作り上げてきた全てが崩れ、全てが生まれ変わるような思いがこみ上げ頬に一筋の水滴が伝う。


「鬼の目にも涙……か」





 京都の市民が紅い空を見上げていた。

 未来会議という国の未来を決める会議において、こんな結末になってしまうなど誰もが思わなかった。東京の警察千人を招集し、未来会議までの日々で浪人達を厳しく取り締まったのにも関わらず、こんな結果になってしまった事に京都の市民は呆然とするしかない。外の警官達も、すでに消化活動を諦め周囲に火が回らないようにするのが精一杯である。


「奉行がまだ中に!」


「待て夜談! もう二条城内部に入るのは無理だ!」


 猛烈な炎の城となる二条城に夜談はまだ内部にいる京史朗を助ける為に乗り込もうとするのを、金之助に身体ごと止められる。大阪の襲撃から生き延びた奉行所の人間達は、呆然とその光景を眺めるしかない。ゴゴゴ……と黒こげになる二条城の屋根瓦が地面に落下する。夜談は瞬きをする事も無く、ただ燃える二条城を見据えていた。

 壊れる人形のようになる夜談を見て、金の力を信じてここまでたどり着いた男は、


「金だけじゃ、この炎はどうにもならねぇな」


 地面の土を叩く金之助は精根尽き果てた声で言う。

 周囲の人間の全ては、この騒乱がまた戊辰戦争のような長い内戦になるのか? と不安そうな顔で崩壊する二条城を見つめた。


「京史朗さん……」


 すると、赤い着物を着ていた椿が動く。

 椿の瞳には一人の男が見えていた。

 その視線の先には、月代の剃り跡の青い不敵な笑みを浮かべる鬼のような男が炎の城を背に歩いていた。


『……』


 夜談が涙し、金之助が微笑み、伏見奉行所一同は声を失う。その光景を民家の屋根から見つめていた月影は呟く。


「生きていたの。流石は鬼ね」


 炎の中から、黒い影が動いて来る。

 すでに上半身裸になるが腰から下は朱色の着流しの出で立ち。口元には赤い煙管をくわえ、気だるそうに紫煙を吐き出している。まるで地獄の閻魔からも恐れられ、地獄から追放されたように生還する月代の剃り跡が青い男は何が面白いのか口元を笑わせていた。

 その場の全員は全身が喜びで震えた。

 そう、その男は――。


『奉行! 鬼瓦京史朗!』


「おう、呼んだか野郎共?」


 まるで死の炎の中から出て来た感じがしない京史朗は、いつも通りの口調で激戦があった事を忘れさせるように言った。


「うっし、野郎共帰るぜ」


 そして二条城は歪な野心家の全てを燃やすように燃え尽き、未来会議事件の全ては幕を下ろした。


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