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二幕~動乱の予兆~

 明治七年・二月の中旬――。

 底冷えのする京都は幕末のような血の都になり始めていた。

 それは一向に止む事の無い新時代に不満を抱く、不逞浪士達の正国せいごくという国を正しく変えるという志から生まれる天誅騒ぎが悪化の一途を辿っているからである。関西の警察も取り締まりで死人を出すようになり、思い切った取り締まりが出来ないようになって来ていた。


 伏見奉行所が掴んだ情報によると、その組織・義狼軍ぎろうぐんの親玉は徳間右京とくまうきょうという。幕末維新の立役者であり、今は政府に盾突く反逆者であった。

 元は幕府を倒した官軍であったが、薩長を中心とした政権と人材登用や、外国に取り入るような積極的な交流などに嫌気がさし明治政府を抜け関西で不平不満を持つ浪人の頭になっていた。伏見奉行所も死者を出しながらも独自の探索を続け、徳間の義狼軍を三月末にこの京都で行われる未来会議前に潰そうと動いている。


 そして、昨年末から月光の暗殺者と言われる月影という義賊が京の界隈で民衆に金を与え、悪をなす一味や徒党を暗殺する行動が目立ち始めていた。

 その夜も月夜の中で紫の忍装束が京町の屋根の上を駆け抜けていた。闇の中で悪の匂いを嗅ぎつける月影は一軒の場末の飲み屋で揉めている浪人が飲み屋の親父を路地に引きずり出し殴りつけている姿を見る。

 その浪人の一人の首筋に一本の苦無が刺さり声も無いまま生き絶える。刀の鯉口を切り一斉に振り向く五人の浪人は青白い満月を背に民家の屋根の上に立つ忍装束の覆面をした月影に見入る。泣きぼくろがあり、ぱっちりとした二重瞼の睫毛が長い月影は言う。


「不逞は不逞らしくしていろ。口先だけの尊王攘夷派が」


 怒り心頭の浪人達の一人が叫ぶ。


「我々は正国の志を持ちこの京の都で日々日本国の為に働いておる。その大業を為している我等には町人などが口答えをしていいわけがないのだ!」


 その言葉で我に返る飲み屋の親父は屋内に飛び跳ねるように入り木錠を閉めてしまう。そして、一様に刀を抜く浪人達と同じ目線の地面に降り立ち、


「国の未来を案じるのは結構。しかし、お前達はただ話しているだけで行動が伴わない。男なら徒党を組まず一人で動いてみせろ。安政六年に処刑された思想行動家・長州の聖光葉ひじりこうようを知らないのか?」


「現首相の聖の弟……だったか。死んだ者などどうでもいい」


 瞬間、男の首が一つ飛んだ。

 冷えた地面に転がる仲間の首を見て、仲間達はやっと恐怖と驚きの声を上げる。どうやら、この不逞浪士達は人の一人も斬った事の無い典型的な無為なる者達のようだ。

 溜息をつく月影は気品のある睫毛の長い瞳を動かし、


「偽物は本物の邪魔をせず消えて逝け」


 青白い満月の下――月光の暗殺者は月に自分の姿を写し出すかのように躍動した。そして、この日も京の市民に小判がばら撒かれた。


「悪を行う事でしか輝けぬ弱き善を助ける為に私は存在する」

 

 

 

 

 最近活発になる義賊・月影の町人人気が上がり、それに対し動かない政府に市民は官を見下すようになっていた。そこで夜に仕置人として自主活動をしていた京史朗も伏見奉行所を動員し動き出している。未来会議の日程を決めて忙しい政府も警察も余裕が無く、独自の捜査権限がある伏見奉行所には早く義賊を捉え不逞浪士の取締りを優先するようにとの命令が下っていた。

 その最中、夜の個人的な仕置人としての取り締まりで京史朗はとうとう月影と遭遇した。

 三条小橋の路地で夜の闇が深まった気がして駆ける。

 すると、一人の浪人が死んでいるのを確認した。


「……奴がいるとなれば、そこに悪があるって事だ」


 急いで次の現場に駆けつけるがすでに三人の浪人が死体で転がり消され姿を消す。

 しかし、京史朗の鼻が悪を見過ごさない。


(姿は消しても匂いが消せてねぇぜ――)


 軒下の闇の奥にいる人間を京史朗は抱き寄せるように片手をおもむろに伸ばし捕まえた。右手で胸を抑え左腕で縛り上げようとするが、何故か急に力が抜けて京史朗は股間が怒張した事に茫然とした。その隙に月影は距離を取る。体内で巻き起こる精気を抑えつけ、唾を飲み込んだ京史朗は言う。


「さらしを巻いて胸を抑えているようだが、いまは緩んで大きなお椀みてぇな胸が膨らんでいるな」


「貴様……」


 その紫の忍装束越しでも豊かな月影の胸は自身の腕で隠される。その照れを感じながら京史朗はこの女を抱きたいと素直に思った。そして、言う。


「お前さん、女だな?」


 それに対し月影は胸を隠すのをやめた。さらしが緩んで抑えていた大きな胸が元の形に戻ると、その月明かりに照らされる月光の暗殺者は妖艶な香りがする女そのものでしかない。


「俺は伏見奉行所の鬼瓦京史朗。一対一で決着をつけるから来い」


「一人でやるのか? 役人なのに?」


「お前さんはこの数ヶ月、一人で庶民の生活を個々に解決してきた。それを称してだよ」


「正義の居所は政府にもあるか……とんだ食わせ者もいるようね。明治政府もまだ捨てたもんじゃないのかしら?」


「お前さんの素顔を見てから、政府の今後について一緒に考えようじゃねぇか」


「それは無理ね。私の大義は正国にある。そして、この日本を世界と同等以上に戦えるように市民を一つの個人として立てるようにお膳立てをする必要がある。安政の大獄で処刑されたあの人の意思は聖村塾系ひじりそんじゅくけいの男達だけが担うわけじゃないのよ……」


「何を言って……うおおおっ!?」

 突如、何かを地面に叩き付けた月影に驚く。周囲には紫の煙が広がり、瞳や肺に強い刺激が走る。


「毒も混ぜた煙か」


 紫の煙が空間を満たし、月影は消えた。

 

 

 ※

 

 

 四条にある茶屋・鬼京屋の店の入口の床机に座る京史朗は憮然とした顔で熱い茶を舌で舐め冷ましている。先ほどからそこの看板娘である椿は熱っぽく紫の義賊について聞いてもいないのに語っている。


(よくもまぁ、自分と同じ性別の女を絶賛するもんだ。あいつを女と知ってんのは俺だけだから仕方ないか)


 あの夜に月影が女というのを知ったが、京史朗は黙っていた。

 誰もが男と思う月影が女だとわかれば、それに対処できない警察の威信は失墜するであろう。そんな事を考える京史朗の考えとは裏腹に椿はまるで稀代の英雄と言わんばかりに月影を絶賛している。これはまるで戦国の英雄・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった面々のような評価になっているとしか言いようが無い。女という奴は……と剃り跡の青い月代をかく京史朗は、


(戦国の数多の武将は勝者であっても敗者であっても稀代の英雄・豪傑だ。けどよ……俺は稀代の激情を持ってこの不穏な京を内部と外部の圧力から鎮めてやるのさ……)


 あまりに月影にのめり込んでいる為に多少の嫉妬もあるが、自分のお役目という物差しで言う。


「椿、俺が役人ってのを忘れるなよ?」


「……すみません」


「まぁ、意見は色々あるがあまり義賊といっても長期化した活動なら政府の役人としても動かざるを得んからな」


 内心では義賊は好きだが、政府の役人である以上はここは鬼にならなけらばならない。今日は義賊でも明日には心変わりしている事など相応にしてあるからである。


「椿、そんな顔をするな。今度は二人で清水寺に行こう。新しいかんざしも買ってやるぜ」


 頬を赤くする椿の尻を触り茶屋を後にした京史朗は奉行私室に夜談を呼び寄せ、三両を渡す。


「夜談こいつで月影の衣装を揃えろ」


「衣装を?」


「おうよ。月影に京の町の悪を教えてやるぜ」


 笑う京史朗は煙管をくわえ新しい俳句が思い浮かばないかと筆を取った。




 その夜も月影は睫毛の長い二重瞼で京の悪意を嗅ぐ。

 すると、泣きぼくろが反応するようにいつもより早く悪意の匂いを嗅ぎ分けた。

 素早く屋根の上を駆けて行き、屋根瓦が一枚外れる。


(いたな……)


 勢いのまま不逞浪士達に声をかけようとすると、その男達の奥の闇から紫の忍装束の人物が瞳に映る男達を倒して行く。


(どういう事……?)


 倒れゆく不逞浪士の中に偽物の月影がいるのを本物の月影は発見する。驚きを隠せないまま数秒経つと不逞浪士達は蜘蛛の子を散らすように四方八方に走り去り、月影は自分と同じ衣装の偽物を追わなくてはいけない状況になった。弱い奴なら放置していても構わないが、偽物は偽物らしからぬ強さを秘めている為に放置は出来ない。

 月光の暗殺者となる月影は先を行く偽物を追尾し、鬼ごっこになる

 相手も屋根瓦を上手に走る技術があるようで用意に追い付けない。

 一匹の雀が二人を追い越し闇夜を飛んで行く。

 背後から苦無を投げ、偽物の動きを止めようとする。

 二本の苦無が背中に刺さるが、何故か偽物は倒れない。


(刺さる時に木の音がした……おそらく背中に木の板を仕込んでいる)


 これはよほどの手練れだと今までの自分の甘さを戒める月影はもう一度苦無を投げる。それは相手の足元で瓦に当たり外れる。


「うっ!?」


 しかし、偽物月影は態勢を崩し屋根瓦を転がった。

 瞬時に本物は偽物を捕縛する糸が付いた苦無の糸を握り接近する。


「苦無に糸が? 小癪な手を!」


「偽物に成りすました方が小癪だろう?」


「ぐああっ!」


 偽者は脇差しで斬りつけるが回避され、肩を苦無で刺され殺されそうになる。しかし、覆面が取れた偽物月影である夜談に殺意がある月影に向けられる殺意がとどめを刺す事を静止させた。いや、静止せざるを得なかった。


(この場所は……)


 そう、この場所は紛れもなくかつての徳川幕府の機関の一つである伏見奉行所である。

 その裏庭の中央に一匹の鬼はいた。

 左右に篝火を炊き、京史朗は月影を一人で出迎える。


「よう、月影さんよ。今宵は俺の相手をしてくれよ。その俺を狂わせる身体でよぅ」


 切れ長の一重瞼が月明かりに照らされる紫の装束の女を威嚇した。

 夜談を殺すのを諦めた月影は、この奉行所の外周に奉行所の役人がいる事を知りながらも裏庭に降りる。どうにもこの鬼の悪意が月影の正義に異様な不快感を与えて来るからであった。一匹の雀は夜談の頭にとまったまま鬼と女狐を見据えていた。

 

 

 

 

 青白い満月の真下、月光の暗殺者と鬼奉行の二人は話す。


「あの偽者月影も不逞浪士も伏見奉行所の役人よ。驚いたかい?」


「……警察はこんな夜中までは働いていないわよ」


「こっちは独立警察なんでな」


 裏庭の周囲には奉行所の役人達がこの二人の私闘を審判するように囲んでいた。傷を手当てした夜談は鬼と女狐のような二人に見入る。


「お前は忍の一族なのか? その身のこなしに信念のある行動……女とは思えんな」


「私は忍の一族でもなければ女でもない。この世を月のように影から支える月影だ」


 勢いよく刀と苦無が激突する。両者はそのまま力押しで互いの獲物から火花を上げ、それは激情を秘める瞳からもぶつかる刃以上の火花を発していた。


「お前の行動理念は何だ? 何故義賊のような活動をする?」


「……私にはこの死んだ命を助けられた恩人がいる。いや、あの人は奴隷のように扱っていい私を同士としてしか思っていなかったけど、私は彼の奴隷で良かった。私はあの光そのものの男の影で十分だった……それなのにあの男は!」


(こいつ、本当に女の力かよ! よほどの恨みが誰かにあるようだな――)


 力押しで負けてよろける隙を苦無の三連投げを放たれ陣笠で防いだが、その陣笠の中央を小太刀が貫く。手応えが無いのを感じて目の前を見ると京史朗の姿は無い。


「――横だ!」


「知ってるわよ」


 月影の右頬を襲う斬撃を右手に持つ苦無で防ぐが弾き飛ばされ頬を切られた。同時に地面に刺さる苦無を蹴り上げ真横の鬼の顔面を串刺しにしようとする。


「うらぁ!」


 ばさっ! とおもむろに脱いだ羽織がその苦無を防ぎ、見えない視界だが感覚を頼りに更なる一撃を浴びせようと太刀を振るう。


「……ぬううっ!?」


 左腹部から痛みが発しているのを見ると、月影の手甲の先から刃が出ているのが見えた。それが京史朗の腹部を貫いている。


「腰をひねって串刺しは避けたか……対した危機回避反応だな。でも!」


「でもじゃねぇ三下ぁ!」


 手甲剣を素手で掴みその刃を引き抜く血まみれの鬼は月影の横っ面を思いっきり殴った。

 肩で息をする二人は顔面の血を拭い互いの顔を見つめ合う。奉行所の役人は京史朗から厳命されている為に手出しはせず、夜談はゆっくりと月影に刺された苦無を持つ。


(誰に罵られようとも私はこの戦いに奉行を勝たせる。この奉行だけは生きていなければならない。彼は光だ。私の光だけでは無く京の光なんだ! 生きてなければこの京の町を闇から救えなくなる……!)


 瞳孔が開く夜談はかつて盗賊だった頃の自分を救った鬼奉行の戦いをどんな処分を受けようとも必ず勝たせようとする。

 しかし、一匹の女狐は満月を背に飛び上がり奉行屋敷の屋根に立った。

 そして月明かりにより鮮明になる素顔を曝け出していた。

 左目の泣きぼくろが雨に咲く菖蒲の花のような、陰で鮮やかさを誇る色香を漂わせる月影は言う。

 

聖光葉ひじりこうように助けられし命。ここで失うわけにはいかない」


「……いい覚悟だ。この国を思い命をかけてるなら逃してやる。ただし、その志を失ったら容赦無く斬るぜ」


「私は聖光葉の狂がある。志が変われば光葉先生にあの世で合わせる顔も無い」


「聖光葉……確か外国船に密航したり、幕府の重役を暗殺しようとしたのを捕まってから洗いざらい自分から相手を諭すように今までの罪を吐いた狂人と聞いたが……」


「そう、彼は狂っている。しかし、その狂こそがこの日本を西洋列強から救い新たな日本を生み出すのよ。あの人の見れなかった日本の夜明けは私が影で支えもたらしてやる」


 言うと、月影は消えた。それを追おうとする役人達を京史朗は止める。

 それでも動こうとする夜談に対して勢いよく納刀する音で諭す。


(……そういや聖光葉の弟子達が維新回天の立役者になったんだったな。その師である危険思想を持ち実行する光葉は大前の旦那が捕え、処刑したはずだ。大前の旦那が始末した男の弟子である以上、月影の奴も始末するしかねーかもな)


 これにて満月の下の私闘は幕を閉じた。

 両者の存在を魂で感じ合う戦いの先に京の町で生まれるものが何かはわからない。

 そうして未来会議を待つ京の寒い夜はゆっくりと静けさを取り戻した――。





 古い刀とは希少価値があり、その大半が使用されず政府高官や豪商が買い漁り自身の威光を高める財宝とする。町に出回る名刀は大半が贋物で、意地の悪い古道具商などは豪商から言われて作った贋物を本物だと言い平然とした顔で売りさばいていた。

 日本国を正国にするには業物がいると正国志士を語る志士達はこぞって名刀をそれぞれの方法で手に入れ腰に帯びていた。その最中、大手の古道具商が殺害されるが、被害は一本の刀だけだった。

 そこに疑問を持つ京史朗は夜談を使って調べさせた。

 その刀こそがかつての徳川が忌み嫌う妖刀村正と対を成す妖刀・血神丸(けつじんまる

)だったらしい。

 最近の政府高官五人連続殺害事件の煽りで京の町は夜間は出歩く者もめっきり減っていた。最近は関東から未来会議警護の名目で警官隊が上洛してくるらしく、伏見奉行所だけではなく関西の警察機関は千年王城の都である京都の治安を関東の連中になど預けてたまるかという意地で不逞浪士の取り締まりにあたっていた。


 その最中、生きていた人斬り摩訶衛門の潜伏先の一つを掴んだ伏見奉行所はその場所では逃げられたが、近日中にまた京界隈で仕事をするであろう形跡を確認した。摩訶衛門の持つ刀は徳川に厄災をもたらす妖刀村正と同等とされる血神丸という妖刀を帯びていた。刀の茎が斬った相手の血で腐り血を吸う刀とも言われる正真正銘の妖刀だった。

 刀匠は桔梗院玲奈ききょういんれなという女の刀匠らしく、その女は薩摩の田舎で刀匠をしているらしいが詳しい事はわからない謎の刀匠だった。それを奉行所私室で夜談から聞いていた京史朗は焼けた餅を醤油につけて食いつつ、


「妖刀ねぇ……徳川の時代が終わっても国に仇なす者の手に渡るか。嫌な世の中だぜ」


「これは義狼軍首領・徳間の雇った人斬りというのが最近の確定情報です」


「なるほどな。人斬り摩訶衛門を通じ、反政府組織義狼会は妖刀を持ってして明治政府高官を斬ってるってわけか」


 熱い餅を伸ばしながらほふほふと口の中へ入れた。

 夜談は新しい餅を火鉢の網の上に乗せる。


「次の摩訶衛門の仕事と潜伏先は不明になります。恐らく近日中にまた動きはあるはず……」


「そうだろうな。刀剣趣味の人斬りならば……よし、摩訶衛門をおびき寄せるか」


 京史朗は人斬り摩訶衛門の潜伏先がわからないならおびき寄せる事にした。その算段を夜談に話す。


「刀剣趣味ならそれを利用すればいい。血神丸の兄弟刀の血豪丸けつごうまるの噂を流してしょっぴくぞ」


 おびき寄せる方法は血神丸の兄弟刀である血豪丸の噂を流す事で摩訶衛門を捕まえようとしていた。

 摩訶衛門を捉える為に借りた古道具商の屋敷で勝負する事になった伏見奉行所は役人が町人に化けながら京や大阪界隈で血神丸の兄弟刀のある古道具商の噂を流した。

 その血の誘いに薄闇から血と刀にしか興味の無い白髪頭の総髪の白の縦に赤線が流れる着流しを着ている侍の瞳が反応した。

 その白髪頭の侍は獲物を捉える虎のように瞳が縦に伸びて古道具商の軒先を見据えていた。

 

 

 

 

 満月が大空にそびえ立つ夜――。

 京都古道具商工藤屋敷の閉ざされた門の前に音も無く現れた陣笠をかぶる白髪頭の男は入口の門を居合で切り裂き、内部に侵入する。

 すでに寝静まっている邸内を堂々と人斬りは進む。無音で奥へ奥へと進んで行くと道場に出た。躊躇い無く道場へ入る。


「……」


 薄闇の先に刀掛けに立て掛けられる一本の白鞘の刀を手にした。


「……?」


 手にした刀を抜こうとするが、その刀はただの竹光だった。背後の灯りと物音で全てを察する摩訶衛門の裂けた口元が嗤う。


「僕を騙すとは政府の役人にしては度胸があるな。君達はどれだけの生命花を咲かせられるのかな?」


 道場内部には提灯を持つ捕物姿の役人達の群れがいた。その人斬りの甲高い声に道場の入口の中央にいる奉行は答える。


「僕? 流行り言葉を使うのかお前さんは?」


 僕とは幕末の志士達から流行し出した拙者に変わる新しい言葉で、団体を表す組という言葉も隊という言葉に変わっていた。もっと狡猾で狂った奴かと思いきや、この人斬りは案外話の通じる男である。


「摩訶衛門……意外にも時代に対応してるな。お前も古き時代の男かと思ったんだがな」


「それは死んでからわかることさ」


「いい答えだな。お前さんが死ぬ前に答えを聞かせてくれよ」


「殺すつもりで来るのか?」


「悪いが、お前を捕まえるにゃ犠牲が出すぎるからな。政府からもお前は死体にしていいとお達しがある。悪いが斬らしてもらう」


 裂けたような口を大きく開き縦に伸びる眼球が伏見奉行所の面々を驚かせるように摩訶衛門が豹変する。


「やっとまともな政府の役人に会えたな……僕を楽しませてくれよ」


 まともに会話が出来るだけで、所詮人斬りの本質は狂かと確信する京史朗は鯉口を切り白刃を抜く。同時に奉行所の役人達も抜刀した――瞬間。


「摩訶不思議! 摩訶不思議いぃぃぃぃっ!」


「五月蝿せぇぞ三下ぁ!」


 飛び上がったまま体重ごと乗せてくる重い血神丸の一文字斬りを防いだ。

 歯を食いしばる京史朗の足が床板を軋ませ、左右の役人が摩訶衛門を強襲する。そのまま一気に背後に後退した人斬りは陣笠の先端が切られた事に興奮した。そして、この伏見奉行所の奉行の血を求め始めた。嫌な汗が吹き出る京史朗はその不気味な男の刀を見据える。


「……」


 刀の反りは浅く、肉厚な刀身は美しい波紋が吸った血を吸収するかのように胎動しているとしか思えないような感覚を感じさせる。


(この野郎、いきなり会話をしなくなったな……それに仲間が呑まれてやがる。早期に決着をつけねぇと面倒な事になりそうだ)


 周りの身体が硬直する仲間達を見て思う京史朗は、


「闇を干せ」


 と言った。同時に道場内の篝火が消えて深淵の闇が訪れる。夜目が効くように訓練されている奉行所の役人達は動かない摩訶衛門を見据えている。京史朗の舌打ちの合図で一斉攻撃の算段が立っている為に京史朗は左右を眺めて闇に対応出来ない人斬りの最後を作り出す為に舌打ちの合図をした――刹那。


「天井を突き破っただと!? 死油の効果か――」


 突如、摩訶衛門は頭上に飛んで真上の天井斬って逃げた。奉行所の面々は一様に驚くが武器を構えたまま奉行の命令を待つ。すると一人の役人が、


「奉行、ここは外の夜談との連携で一気に叩きますか?」


「いや、たしかに二階にゃ人はいねぇが外に逃げるなら外の人間と戦わないと出られん。外の連中は動かせねぇ。奴が夜目に慣れたとしてもこの精鋭ならやれるはずだぜ」


 すでに古道具商の工藤屋敷の周囲には伏見奉行所の役人達と町の用心棒も合わせた精鋭五十人が屋敷を取り巻くように配置されており、篝火は消され夜の闇が支配している為に逃げる側も簡単には逃げられない。

 干された闇の中で蠢く摩訶衛門は二階から闇夜の外を見てまた中へ戻る。


「後は時間との勝負だ。奴が動いた時が奴の潮時だぜ」


 工藤屋敷の正面にて床几に座る京史朗は煙管を懐から取り出し紫煙を吐き出す。

 先に動いた方が負ける戦いの為に役人達は交代で休憩しながら白髪の魔物の動きを待つ。確実に時間が流れ摩訶衛門は夜明けまでまだ七時間もある為に痺れを切らしていつか出て来るであろう。

 そして、三人一組で回していた各々の休憩が終わり二時間ほどが立つと一つの物音がした。


「……動いたな。各自持ち場を離れるな! 俺が現場へ見に行く!」


 持って来た火鉢で焼いていた餅を近くの男の口に押し込み京史朗は闇の中を駆けた。

 

 

 

 

「どうなってやがる……」


 闇を干したのはいいが、奉行所の役人は同士討ちをした者もおり無残にも二組六人が鬼籍に入っていた。そして、少し先にいる三人一組に二回の舌打ちで味方だと告げるが相手の反応が無い。すでにここも鬼籍に入っている。


「……こっちもだと? こうも簡単にやられるはずがねぇ……。奴の衣装は白の細い赤の縦縞の着流しだぞ? 夜目がきくなら見間違えねぇはずなんだが……」


 小声で呟くその背後に、血を浴びた人斬りの真っ赤な顔が浮かんでいた。

 摩訶衛門の刃は仁王立ちの鬼の首を飛ばそうと動く。


「後ろです奉行っ!」


「――!」


 突如現れた夜談に助けられ地面を転がり傷は避けた。だが、夜談は眉間を割られて昏倒している。その夜談に手ぬぐいを傷口に当て血を止めようとするが、目の前の人斬りの衣装は黒い着流しになっていた。


「お前……まさか!」


「そのまさかかもな」


 摩訶衛門は通常は白を基調とした着流しだが、裏面は黒であり闇に乗じて表裏にしてそれに騙されていた。狂った人斬りが白い小綺麗な出で立ちで現れる事により白を着ている印象を強く与え、夜目が効くという相手の力量を逆手に取り黒い着流しで屠る。

 裂ける口が更に裂けるように不気味な人斬りは腰に血神丸ではない長刀と、片手に一本の刀を持ったまま言う。


「僕が二時間もあの屋敷にいたのはこの大業物、和泉守兼定いずみのかみかねさだの二代目・之定のさだを頂くためだよ。あの道場を戦場にしたいなら二階の方はそのままにしてあるだろうからねぇ」

「之定か……菊一文字は無かったか?」


「そんな名前の刀はこの世に存在しないよ」


「存在しないだと? ……」


 反応の無い夜談を軽く叩きながら立ち上がるのは無理と考え、会話の隙から斬り込む事にした。そして摩訶衛門は黒鞘の刀を抜く。


長曾根虎徹入道興里ながそねこてつにゅうどうおきさと。これは売れないねぇ……」


 京史朗の斬り込む勢いをへし折るかのように無理矢理地面に叩きつけて名のしれた名刀を簡単にへし折った。


「虎徹だと? そりゃ大業物の刀じゃねーか!? お前は刀剣趣味じゃねぇのか?」


「贋作に興味は無いね。僕は刀の匂いを嗅げば本物が贋作かを見分けられるんだよぉ」


 とてつもない贋作の見分け方をする摩訶衛門の剣の腕、状況対応能力、戦いの駆け引きに辟易する。


(狂ってるのもこいつの演出でしかねぇな。こいつは誰よりも殺人に冷静だ。空気を吸うぐらいの当たり前さで殺しやがる……)


 ゆっくりとまるで水面の上を歩くように人斬りは迫る。意識の無い夜談を背に京史朗は目の前の妖刀を携えた男の裂けた口元と縦に眼球が伸びる目に萎縮した。同時に妖刀が動いた――。


「ぐっ! 野郎共火を灯せ――」


 一撃をかろうじて防ぎ、首に下げている呼子を使い周囲の役人に合図を出す。一斉に篝火に火が灯り干された闇は消え去った。


「これじゃあ……一対一を楽しめないね」


「さしでの勝負がしてぇなら乗るぜ?」


「奉行所の役人の言う約束は信じられんよ」


 言うなり、摩訶衛門は脅威的な跳躍力で屋敷の塀に乗り上がり消えて行った。

 夜の闇を切り裂くように一匹の雀が飛んで行き、絶望の夜は伏見奉行所の敗戦で幕を閉じた。





 翌日――昨日の戦いで死亡した役人の葬儀がしめやかに行われていた。

 摩訶衛門に地獄の罠を張ったが、地獄を見たのは伏見奉行所の面々だった。

 昨日の戦いで十一人が死亡し、十二人が大小の手傷を負った。つまり、出動した五十人の半数以上が摩訶衛門一人にやられたのである。増援で人数に加えたばかりに死んだ町の用心棒連中にも申し訳が立たない状況に京史朗は夕方の鬼京屋で椿に愚痴を言っていた。内容は来月に東京から上洛してくる未来会議警護の警察隊の事であった。現状の関西地区のみで問題が山積みにも関わらず、東京からこの地の現状を知らない男共が来たら更に京も大阪も混乱するであろう事は容易に想像がつく。しかし、尊敬する警視長官・大前の考えの為に直接文句を言う事は出来ない。


ひじり首相も東京の連中に頼るなんざどうかしてやがるぜ。この町は関西の人間が守ってこそ俺達が存在する大義名分が立つのによ」


 どうにも京史朗は江戸であった東京の地はあまり良い記憶が無いのである。

 水が合わない――といった類のものでも無く、脱藩して黒船を見に行った帰りに大前に助けられた場所でもあるからであった。関西という土地を離れて、自分は何も出来ない存在というのを否応無く思い知ったからである。

 いつになく多弁で自分の尻も触らぬ京史朗に最近の忙しさで余裕が無いのが椿にも痛いほどに感じられた。


(……京史朗さん)


 目の下に隈が出来る京史朗は昨日の摩訶衛門との戦いをかなり引きずっているようだ。

 椿は言葉ではなくいつものように笑う。

 この変わりない笑みに京史朗は救われた。

 そして大きく煙管の紫煙を吐き、


「何かいい俳句が浮かびそうだぜ」


 団子の楊枝をくわえて鬼京屋を出た。

 同時に黒い影が横切った。


「一時間後、比叡山中腹にて待つ――」


 ふと浴びせられたその甲高い妖気を帯びた言葉に京史朗は恐怖のまま刀に手をかけ鯉口を切る――が、周囲には斬るべき存在はおらず町人達がただ歩いていた。


「……野郎」


 声の主は間違い無く人斬り摩訶衛門だった。

 全身に鳥肌が立ち、湧き上がる殺意に潰されそうになりながら比叡山中腹へと向かう。

 

 

 

 比叡山中腹の山林。

 京都の北東部にある山である比叡山は京の鬼門とされる北東にある事から王城鎮護の山とされた。この山全体を境内とする延暦寺を往復する僧侶や僧兵、朝廷の勅使が通った道もあり日本の歴史の一途を担う山でもあった。

 その山林の満月の明かりが射す一角に二人の陣笠をかぶる男がいた。

 一人は緋色の着流しに黒塗りの鉄ごしらえの鞘の刀に触れる長身の男。

 もう一人は陣笠の奥の白髪頭が男の両眼と相まって不気味さを増す黒い着流しの男。


「今度は始めから着物を裏返してやがるのか? けったいな事だぜ」


 ふふっと裂けた口を笑わせる摩訶衛門は顎を引き陣笠を人差し指で上げる。


「幕末の人斬り薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎のような人斬りとはお前は違っているようだな。悪鬼羅刹とはお前の為の言葉のようだぜ」


「僕がただの人斬りではない事ぐらい知っているだろう?」


「そりゃ知ってるさね。にしても気が変わったのか摩訶衛門。政府の役人は信用ならないんじゃないのか?」


「信用ならんのは確かさ。何せ僕の商売仲間の相馬豪商を潰したのは君なんだからねぇ鬼瓦京史朗」


 そう、摩訶衛門の単独で人を幾人も斬れる脅威的な力の源は死油にあった。死油は筋肉強化と痛覚麻痺の効果があり、一時期京でも売られていた事があったが京史朗が潰滅させていた。


「死油を潰した君は許せんな。あれは僕の仲間が開発し相馬豪商に量産させたものなんだからね」


「とんだ腐れ縁だぜ。今日で終わりだから別にいいけどな」


 一陣の風が二人の戦いを急かすように流れ、囲まれる木々は周囲の全てを疎外するようにこの二人の侍を比叡山に閉じ込めようとざわついていた。天の満月は穏やかに淡い光を発している。そして二人の悪は動いた。


「動いてる、動いてる。僕の心臓も君の心臓も動いているよおおおっ! 摩訶不思議! 摩訶不思議いいいっ!」


「ごちゃごちゃ五月蝿せぇぞ! 妖刀使いが!」


「僕は妖刀で両刀だよ?」


「僕って一人称はお前にゃ似合わんぜ!」


 激烈な一撃を刀の鍔元で受け、下段蹴りをかまし摩訶衛門が転ぶ。そこに殺到すると鋭い爪を地面に食い込ませ土を投げてきた。両目が塞がる京史朗は刀を振るうが空を切る。


「逝きなさい――」


 血神丸の切っ先が獲物を捕らえる蛇のように伸びた。

 閃光のような突きに対して身体ごと突っ込み左脇で抑えつけながら摩訶衛門の鼻息の荒い鼻っ柱を殴った。そして左脇を絞り血神丸を落とさせ懐から縄を取り出し身体を拘束しようと動く。


「……?」


 首に強烈な痛みを発し、白髪の人斬りに首を噛まれている事を知る

 焦りと恐怖から摩訶衛門の股間を蹴り上げ、地を這う地虫のように地面を転がり血が吹き出る首筋を抑えた。


「不味い血だね。政府の腐った血が流れているよ?」


「不味い血で結構。お前さんの血は美味いぜ?」


 鼻を殴った時についた血をぺろりと京史朗は舐めながら首に手拭いを巻く。


「……けども鬼瓦の家系はかつての幕府直参であり由緒正しい家系。よく三男坊の君が奉行になれたな」


 自分の家系までを知る目の前の人斬りを尊敬の目で見た。一介の人斬り風情では鬼瓦の家系を調べるなどという事は出来ないからである。父親の鬼瓦大史朗は先代の伏見奉行で仏奉行と町人から言われていたが、奉行所での人格が変わるまでの取り調べで罪人の人格が無理矢理変わってしまっていただけなのである。それに疑問を持つ京史朗は自分が奉行になってからは鬼として意図的に力でもって治安維持に当たって来た。

 まともに動かせなくなった首にいやけがさしながら、一気に仕掛けた。森の中を横に駆けて行く二人は先程よりも激しく刃をぶつけ合う。


「よく、調べたな。その細かい事が出来る所が人斬り摩訶衛門の不気味さを彩る花だな」


「僕は多趣味でね」


「多趣味ついでに聞きてぇが、死油は何の為に作った? ただの金もうけじゃあるめぇ?」


「人間の進化を見る為だよ」


 突如剣劇を止め、真っ二つに斬られた陣笠が落ちる摩訶衛門は言う

 隙だらけのわりに異様な雰囲気をかもち出す為に京史朗は斬り込めず距離を取る。森から抜けた為、満月の光が目の前の男の妖艶さを更に増すような錯覚を覚える。いつの間にか摩訶衛門の剣ではなく言葉に圧され始めた。


「人間の感情も力も全ての根元は心の臓にある。その心の臓の濃縮された血で精製される死油は人間の本質の力を引き出す薬。死油によって人間はこの徳川家康が生み出した呪われた変化無き、変化を許さない腐敗した世の中を維新以上の真の意味で脱して世界を変革し、西欧列強へと侵攻の目を向け外人共を駆逐するひいらぎとなるのだ」


「大平の明治の世でそんな事が許されるとでも……!?」


  追い詰められていた京史朗の背後は崖だった。背後に満月の大きな明かりを背負い、白髪の人斬りは京史朗を指差して自分の首を叩いた。何かを仕込まれていたか? と思う京史朗はふと、噛まれた首を見た。同時に、死油の小瓶が右目を直撃する。右目を抑え蹲る京史朗の真上に、死油の小瓶を持ちそれを飲み干す瞳孔の開いた白髪の怪物がいた。


「この味はたまらんね……三千世界に広めるべき味だよ」


「……」


 現場を把握したばかりの京史朗には右目を抑え何も出来ないまま別れを告げる言葉を聞いた。


「サヨナラ、鬼瓦京史朗源狂星おにがわらきょうしろうみなもときょうせい


 死を覚悟した京史朗は心が無になった。

 過去を振り返る走馬灯も無く、未来への希望も無い。

 ただの無――。

 自分の最後はこんなものなのかと考える事も無い思考を、一匹の雀が邪魔をして無からの世界からの脱却をした。満月が明るいだけの暗闇の夜にも関わらず、目の前の世界はやけに澄み渡り輝いていた――。


「この雀は何だ? 貴様の仕込みか鬼瓦!?」


「知るか三下」


 崖に追い込まれるが京史朗は突如現れた雀に助けられ抜け出した。

 その右目がまだ開かない京史朗の背後に黒い忍装束の男がいる。

 男の肩に雀は止まり、京史朗は舌打ちをした。


「何だ夜談? こっちはこいつと逢い引き中だぜ」


「それは失敬。では私は椿さんに報告をしなければ」


「勝手にしろ。んで、いつから雀を手なずけていたんだ?」


「物心ついた時からです。第一に自分の切り札はそうそう教えられませんよ」


「当然だ」


「余談はそれくらいにしておけ二人共」


 悪鬼の呪われた声が怨嗟のように耳に轟く。

 手の平に唾を吐き刀の目釘を湿らせた京史朗は、


「そっちが死油を使うならこれでどっこいどっこいだぜ」


「別に構わんよ。僕は血がある限り存在するからね」


 両者は最後の時を迎えるように対峙している。

 両手を広げ背後の満月を担ぐような仕草をする悪鬼は呟く。


「最近の京の都は千年王城に相応しい血に飢えた獣がわんさかいるな……君の心の臓は必ず僕が止める。摩訶不思議、摩訶不思議」


「――不思議な世界に逝きやがれ」


 一瞬で間合いを詰め京史朗の刃が一閃した。

 そして、摩訶衛門は背後の崖から落ちた。


「……僕は無敵だあああああっ――」


「……」


 緊張の糸が切れて尻餅をつくように赤土の上に座る京史朗は、


「だから、僕って流行り言葉はお前にゃ似合わなねぇよ」


 行き場の無い怒りと脱力感を体内で消化しきれない京史朗は生きていてはいけない存在として摩訶衛門を認識した。自分の命を賭けてでも地獄に道連れにしなければならない悪鬼を一匹の鬼として始末しなければならない宿命を感じる。どうにも奴の死骸がこの世から燃え尽きない限りは死んだとは思えないのである。


「……」


 一つの流星が比叡山の真上を流れ、一つの俳句が思い浮かんだ。


「闇の花・我が身の中に・狂を知る」


 そう微かに呟いて夜談と共に比叡山を下山した。





 東京から未来会議警護の名目で召集された警官隊はすでに京都付近まで来ており、数日後には京都へ到着する予定だった。その事で京の人間達は更に町が混乱するのではないかと不安に思う者もいたが、日本の行く末を決める会議である以上どうにもならない。その警官達の動きを察知した義狼会の徳間は京都に潜伏させていた浪士を大阪に移動し始めた。時代の流れを決める決戦の日は這い寄る混沌の如くすぐそばまで迫っていた。

 その頃、京都の安田豪商の一人息子がかどわかしに合った。

 盗賊は百両を引き渡し金として豪商に身代金を要求した。

 最近の情勢で豪商には深夜の番もいたが、その一人息子が厠に行ったのを見たのが最後だったらしい。奉行所に一報があり京史朗も現場に出向き豪商の人間と深夜の番の連中に話しを聞いた。庭にある池の前で泳ぐ鯉を見る京史朗は呟く。


「一人息子が厠でねぇ……」


 そこに京史朗は目をつけた。

 そして、夜談に下知を出す。

 欠伸をしながら池の鯉に餌を投げた。

 その自らの食欲を強欲に満たす行為を見て、一心不乱になっていた時代の自分を思い出す。

 ある日差しが強いうだるような暑さの日の夕刻――。

 伏見藩を脱藩し戻って来た若侍は特におとがめも無く実家へ戻り遊郭での遊びや、町人との喧嘩沙汰といった自堕落な日々を送っていた。黒船を見に江戸へ行った若侍には日に日に異人への恐怖と侮蔑の心が肥大化して行き、その心を制御出来ないまま現状の自分のありように絶望して無為な時間を過ごしている。

 全てはこの若侍の存在を生み出した大海のような存在の男の所為であった。

 その厳格な老人である伏見奉行所奉行は元服したてのような若侍を奉行屋敷内で怜悧な瞳で見据え許さない。


「お前は本当に三下ですね。まぁ、兄が二人いてくれて良かったですよ。三下は三下らしくしていなさい」


 この言葉で江戸で得た心構えも崩れ去り、放蕩でしか自分を維持する事が出来なくなった。偉大な父親から逃げる事も出来ず、越えられる存在とも思えない。やがて螺旋の蟻地獄に呑まれる若侍は自分の存在がこの世から消えて行く感触に恐怖し――。


「白昼夢……か」


 ふと過去の悪夢から目覚めた京史朗の口の中の唾が血の味のような不快感を全身に行き渡らせ過去を現実から思い出す。

 幕臣を父に持つ京史朗は三男坊で父からは見放されていた。素行が悪く問題ばかり起こすからである。今はその父も幕府の要人として働いてはいるが、もう年の為に隠居しようという話になっているのを風の噂で聞いた。以前、同じ伏見奉行だった父とは幕末の初期に奉行を交代してからの十年以上まともに顔を合わせていない。


(……今の俺の立場も、人間関係も全てはあの親父の遺産だ。だがよ、これからは大前の旦那から与えられたこの特殊警察機構・伏見奉行所で俺は俺の道を切り開く)


 そして一時間ほどすると夜談からの報告があった。

 調べによると安田翔は女と駆け落ちする予定だったらしい。

 豪商という毎日が戦の家を継ぎたく無いという思いから家の金を少し盗み自作自演のかどわかしをしたようだ。二人は新しいものが入り様々な変化がある東京で暮らすらしい。今は二人で京のどこかに潜伏しているが、必ず近い内に動きがあるのは確実であった。

 溜息を漏らす京史朗は煙管に火を付けるのも止めて言う。


「どうやら、下手人はいないようだな」


 そう呟き、懐に赤い煙管をしまい鉛色の空を眺めた。

 そして京史朗は今日にでも息子は潜伏先から脱出するであろうから急いで奉行所の役人を配置した。路上の乞食や茶屋の中で役人の目を光らせた。夜談は男女を見つけた場合は特殊な波長を発する笛を全員に持たせ雀を使い合図をする算段を取った。

 京都中に包囲網を敷き、京の町から出さない方針である。

 そして各々が目を光らせている京に夜が訪れた――。

 

 

 

  満月がやや欠けた月明かりの下――。

 一匹の雀が闇夜を切り裂くように飛んで行く。

 酔った羽織袴姿の男が月明かりを肴にして鼻歌を歌いながら橋を千鳥足で歩いている。

 隣には遊び人の女なのか町娘を連れていた。

 明るい月明かりの為に前方の橋を渡り歩いてくる緋色の半天を羽織る着流しの男が言う。


「いやー、今日の月明かりはまぶしいねぇ。今夜は月も機嫌がいいようだぜ」


「……そうだな。酔いが醒めそうな月明かりだよ」


「何か旅をしてそうな感じをお見受けするが、あんさんどこの者だい?」


 男の何気ない一言に酔っ払いの連れの女は青ざめる。一瞬の間を置き酔っ払いは言う。


「ただの浪人さ」


「浪人か。最近は物騒な事が多い世だ。気ぃつけて行きなよ」


「おう。なら行こうかお綱」


「……はい」


 その一重瞼の鋭い男はお綱の柔らかな口元の黒子で気付いた。

 この浪人が連れているのはお綱ではなくお松だと。

 人が通るたびに演技をしながら京の夜を抜け出そうとする手が手が込んでいるが芸に入っていない為に普通に答えてしまっていて酔っていない事が良くわかる。

 別れる両者は橋の中央から歩き出すが、互いに足が止まる。

 いや、止まったのは二人の男女だけだった。

 緋色の着流し半天の男は橋の両端に現れた提灯を持つ一団の男の一人から火をもらい煙管に火を付けただけだった。うろたえる男女は提灯の明かりが死霊の群れに見えてならない。

 けだるい紫煙を吐く提灯の一団の首領は言った。


「商人の息子も時勢を見てやがるのか知らねーが、この明治の世は簡単には終わらねぇよ。商人の息子ならちゃんと商人の目を養いやがれ。そんな逃げ根性で東京で生きられると思うなよ」


「……お、俺達は!」


 焦りと不安からその男、安田翔は取り乱しお松にすがりついたまま動かない。

 提灯の一団は動き出し二人を囲む。


「治安を乱した以上は取り締まるぜ。悪い事は鬼にばれねぇようにやりやがれ」


 下らない一件だな……としばらく一人で橋の欄干に寄りかかりながら月明かりを見上げる。しかし、本来ならばこんなさしたる事でもない事件ばかりを追いかけるのが奉行所の仕事でもあった。ここ一年以上に起きた異様な出来事ばかりで大木豪商には悪いが安らぎさえ感じていた。


「最近はまた世が沸騰して何やらおかしな奴等が現れれてる。いつまでこの命があるかはわからんな」


 それと同時に政府役人による治安維持の限界を感じていた。

 奉行の独り言を楽しんでいたのか影のように現れた夜談は一言言う。


「余談ですが、ここいらで奉行も嫁をもらったらどうです?」


「嫁はいらん。俺は非常の人間だ。死ぬ時は武士らしく戦場でだ」


 あくまでいつ死ぬかわからない自分個人で守るものを作らず、伏見奉行所奉行としてこの京の治安を守ると決めている京史朗は改めて自分の決意を再確認した。


「じゃあ、椿さんもそのままにしておくという事ですね?」


「……そうだな。時期が来れば椿にも縁談の話が出るだろう。そこが俺達の男女の縁の切れ目さ」


 欄干を煙管で叩き、京史朗は悠々と京の不穏な夜に消えた。





 三日後――。

 五日前から十人もの町娘を襲い、強姦し殺した者を伏見奉行所はようやく捕まえた。

 その中には先日に起きた自作自演のかどわかし騒動のお松もおり、その悲しみから安田屋の跡取りである翔は自害したらしい。

  鴨川の河原をたむろする乞食の群れの一人として潜んでいた重罪人・西脇琢磨を捕縛した京史朗は憮然としたまま河原から奉行所へ引き返す。


「……」


  一日中雑談の一つもせず、奉行所の全員から恐れられている京史朗はこの捕り物の最中も最低限の言葉しか発せず、ただ底光のする鋭い一重瞼を周囲を威圧するように放っていて役人達も黙々と自分の仕事をこなす。奉行所へ連行する西脇のへらへらとした態度を見て鬼奉行はやっと重い口を開いた。


「……やけに意気揚々としてるな。お前は間違い無く打首獄門だぜ?」


「俺にはおてんとさんがついているから無罪方面だ」


「ほう? その気組みだけは買うぜ」

 

 

 

 翌日になり夜談が息を切らしながら奉行私室を訪ねて来た。

 西脇は殺しを働いて獄門首になるはずだったが、早々に獄舎から解放されたらしい。

 鬼の眉が重く動く。


「……そいつはえれぇ事態だな。十人殺しても無罪放免なんて何を考えてやがるんだどっかの誰かさんは?」


「そのどっかの誰かさんはまだ検討もついてませんが、おそらくは幕府の要人でしょう」


「当然だな。こんな事をして許されると思うなよ。これじゃ、義賊の月影を捕まえるなんざ止めだな。奴の方が現実を知ってやがるぜ」


 夜談の調べでは西脇は京の死刑囚を捕らえる六角の獄舎に繋がれるが何故か打首獄門ではなく、生かされる事になった。これは無罪放免と同じである。西脇は名を変えて江戸で暮らす事になるらしい。すでに煙管さえ手に取らない京史朗は火は入っているが網の上に何も乗らない火鉢だけを見据え瞬きさえしない。言葉に詰まる夜談は余計な一言も発せずに鬼の唇が動くのを待つ。


「最近、勝手気ままにやってる警察幹部の縁者だな。おそらくな」


 この西脇を捕まえた時に一番早く駆けつけた男がその警察幹部の配下の年配の密偵だった。

 本人は政府要人の暗殺者の下手人の一人かも知れぬと言っていたが、今思えばあの年配男は警察幹部の密偵ではなくただ自分の縁者かどうかを確認しに来ただけであろう。愛人の子への歪んだ愛情がこの件の本質だと京史朗は想像し、とんだおてんとさんだ……と思う。


「……」


 相変わらず火鉢を見据えたまま夜談を忘れるように思案し、この所の政情を思う。治安維持の強化に勤めていてもこんなことをしていては、この京だけではなく日本全体が失墜するだろう。

 この異人から国を侵略されようとされ、国内も天誅や暗殺騒ぎが増す世の中では我が身可愛さから出たものなどは何の役にも立たないのである。溜息をつき、もう一度東京に逃げようとした男女の事を思い浮かべる。


「東京ねぇ……俺があの二人を東京に送ってやればよかったのか……」


 思いのままいつの間にか握っていた煙管を片手でへし折った。

 

 

 

 その一時間後、急に伏見奉行所に護衛の任が言い渡された。

 急用で東京へ行く大前からの突然の指名らしく、それを密かに京の外れまで護衛する事になった伏見奉行所にいる京史朗は私室で役人からの報告を聞いていた。話しが終わると夜談が現れこの一件の本筋を聞いて来る。


「……あまりにも急すぎですぜ。これはかなり臭い一件だ」


「そうだな。だがそれでいいんだよ。大前の旦那は俺に正義の判断をさせようとしているのさ」


 呟いた京史朗は急いで身支度を整え、駕籠に乗る護送者の護衛についた。

 憮然とした顔のまま伏見奉行所の面々は歩いて行く。

 その嫌な威圧感がある集団の中央の駕籠からは男の話し声がずっと響いていた。


「安心するぜ。俺を捕らえた奉行に護衛されるなんてよ」


 駕籠の中の人間は老中ではなく、この若い男の無駄口は絶え間なく続いて行き周囲の全員が西脇に対しての殺意が沸く。しかし、この護衛の任はあくまでも奉行所の役人としての仕事の為に西脇の戯言は聞き続けなければならない。鬼の一重瞼が細まり、歪めた口から微かな怒りを吐き出す。


「無駄な喧嘩を売ったな……この場所には伏見奉行所の連中しかいねぇんだぜ?」


「そんなのは知っているよ。知ってるからこそずっと喋ってるんだぜ? まさかそんな事すら知らなかったのかい時代錯誤のお奉行さん」


「……そうかもなぁ!」


 片手で駕籠を押し倒す京史朗は飛び出た西脇の顔面を蹴り付ける。


「ぐっ! ……何だ? 俺にそんな事をして許されるとでも思うのか!?」


「安心しろ。俺はお前を許すつもりは毛頭ねぇ」


「何だと? 何だあの群れは……」


 鴨川の河原の乞食の群れが一斉に刀を持ち襲いかかって来た。

 唖然とする西脇は京史朗に早く奴等を始末しろと叫ぶ。

 どんなに喚き散らしても周囲の誰もが西脇の声を聞かない。


「早く! 早く俺を駕籠に乗せて逃げろっ! あんな乞食共はただの化物と同じだぞ!」


「その化物以上に、お前は醜いぜ」


 抜く手も見せず京史朗の刃は一閃し、一つの首が宙に舞った。

 その後もしばらく乞食達は騒ぎ各々にどこかへ消えて行った。


「くだらねぇな。くだらねぇよ……」


 そのまま京史朗はその場所から立ち去った。

 この一件の全ては奉行所の役人に自作自演の賊をやらせて賊が来たとし混乱の最中に斬るという算段だった。これは京史朗以上に、奉行所全体の総意で行われた事である。

 そして、この一件の賊も捕まらぬ為に京史朗は一月の自宅謹慎になった。

 謹慎の間に過去に捕らえた岡っ引きの金之助が戻り奉行所の非常時の裏金が増えて行く事になる。未来会議が近くなり混沌を増す政情に京は呑まれて行く。

 そして、明治七年三月中旬――。

 千年王城の都に東京から月末に行われる未来会議警護を目的とした警官隊が京都に到着した。騒乱の火蓋はすでにこの京都だけではなく、日本のあちこちで起こっている。

 戦火を生み出す湿った風が、ゆっくりと京の町を包むように流れて行った。





 東京より到着した首相警護の警官隊は京都市中に配備され、一週間後の日本国首脳会議には万全の警備網が敷かれていた。

 すでに海外留学していた政府の人間も帰国し、これからの日本の行く先についてその情報を元に話し合う重要な会議が始まる重い空気が京都の町を満たしていた。

 伏見奉行所は最近流行りの薬物事件が起きないように市中見回りをくまなく行っていた。同時に、摩訶衛門とその裏にいる闇の組織を壊滅させねばならない。

 これから外国と対等に渡り合う為に行われる日本の行く末を左右する会議には余計な横槍は入れさせるわけにはいかないのである。

 京史朗は四条にある椿の茶屋で夜談と話していた。夜談が摩訶衛門などの浪人達が人知れず、大阪の町に集まり出しているのを嗅ぎつけたからであった。椿の入れた熱い茶を息で冷ましながら京史朗は言う。


「敵は本能寺ならぬ、大阪にありか。こりゃ、大前の旦那にかけあって伏見奉行所が大阪警護に回されるよう根回ししとくか」


「そんな事が可能なんで?」


「そりゃ、自慢の警官隊がいるからな。京都市中の浪人共は震え上がってまともな事は出来ねーだろ。問題は京から弾かれた浪人共の行方よ」


「なるほど。それが大阪というわけですな」


 そんな話をしながら、京史朗は伏見奉行所を大阪警護に回すように大前にかけあう事にした。

 そのまま大前の宿舎に向かおうと歩く京史朗は京都の町並みに東京の警官の変装した密偵がいると感じながら歩く。みあげに肉好きの大前に焼き鳥でも買っていくかと思い、露店にて焼き鳥を買おうと店に向かう。人ごみを避けながら歩くと、一つの色香が京史朗に迫った。


「……?」


 背後から抱きつく藍色の着物の女に京史朗は立ち尽くす。背中に匕首を突きつけられたまま、嗅いだ事のある匂いだと思い横目で見た。


「……こんな昼間から男漁りかい? 月影さんよ?」


 月影が町娘に変装し現れた。

 周囲の人間達は恋人同士が近距離で話し合っているぐらいにしか思わず京史朗は誰かに手助けは求められない。甘い香りを口から漂わせ月影は言う。


「貴方、警察長官の大前と知り合いのようね。奴の住処を教えて貰えるかしら?」


「教えてもいいが、お互い裸になった寝床じゃなきゃ無理だな」


「余計な事を喋るんじゃないわよ」


 背中に突き立てていた匕首を軽く刺す。あまり余計な事を言えば、本当にこの月影は京史朗を殺すだろう。月影にとって京史朗の生死などは興味の範囲外である。


「……じゃあ、答えてやる。俺も命が惜しいからな。大前の旦那の住処は――」


「!」


 微かに足を上げていた京史朗は背後の月影の足を踏もうと動いていた。しかし、足を踏もうとした事は見透かされており回避される。そして月影の二重瞼の瞳が冷たく輝く。


「光葉先生を殺したのは、大前義一よ――もう貴方は死になさい」


 鋭利な匕首が京史朗の背中を抉る――前にその匕首は宙に舞っていた。刀の鍔元を一気に下に押し、跳ねるように背後に飛び出た鞘の柄で月影は手元の匕首を弾かれたのである。


「どうやら貴方はいずれ決着をつけなくてはならないようね。今は撤退するわ」


 そう言い、月影は群衆に紛れて消えた。逃げる時に投げられた苦無が掌に刺さる京史朗はつかめ顔をしながら、


「次は寝床での決着といきたいもんだぜ」


 そう呟き、伏見奉行所に帰還した。





 外国の製品が並ぶ高級店である高海屋。そこに京史朗と警察長官の大前はいた。

 大前は未来会議へ向けて忙しい中に時間を作り、京史朗を誘いこの百貨店に来ていた。あまり外国物が好きではない京史朗は口元を尖らせながら店内を歩く。


「大前の旦那。この忙しい中に買い物なんて洒落込んでていーのか?最近は薬物売買も増えてやがるし、未来会議に浪人共が決起しそうな動きもあるようだ」


「東京警察と関西警察が手を合わせれば問題はあるまい。気を張り過ぎると見えるものも見えなくなるぞ」


「そーかい、そーかい」


 煌びやかな店内を歩いていると、化粧品の香りや宝石、指輪、装飾具などが目に映る。すると大前が言う。


「京史朗。お前もそろそろ所帯を持ち、女に指輪でも買ってやれ」


「指輪? そんな外国のもんはいらねーし、まだ所帯なんて持てないぜ」


 大前は時計売り場にて立ち止まる。製品は小型から大型まで多種多様に揃えられており、そのどれもが三人家族三ヶ月分ほどの生活が出来る高級な品々だった。


「首相は外国の懐中時計にこっていてな。これがあれば警察への予算も多少は増えるだろう」


「おいおい、贈賄容疑になるぜ大前の旦那」


「その時は京史朗。お前が私を捕まえろ」


「勘弁してくれよ。冗談でもそんな光景は想像出来ないぜ」


 そしてその懐中時計を大前は買った。

 二人は帰り道で牛なべ屋に入り、濃厚な玉子に柔らかい牛肉をからませながらむしゃり……むしゃりと食い、精をつける。その味に満足する大前は言う。


「京都の義賊・月影は私の警官隊に始末させる」


「奴は手ごわいですぜ?」


「月影は聖光葉の弟子の一人なのだろう? 私も聖首相の兄である光葉は知っている。対処法は私に任せておけ」


「旦那は光葉とどういう関係なんだ?」


「奴はただの理想主義者だ。日本国民全てが狂心を持って外国と戦う志を持つなど不可能……愚民には管理者が必要なのだ。理想で世界は創れない」


 まるで京史朗の言葉を聞いてない大前は歯が欠けるほど強く上下の歯を噛み締め呟く。

 聖光葉を思う大前の瞳は、かつての幕末の時と同じ――いや、それ以上の焔が燃え上がっていた。


(……大前の旦那のこんな顔は幕末以来だな。聖光葉……人の奥底にある狂を開放する事を提唱し、幕末の猛者を自らが不屈になる事によって覚醒させた男。まぁもう死んだ人間だな)


 京史朗は義賊・月影に関しては幕末の志士の魂を覚醒させた聖光葉と知り合いであった大前に任せる事にした。そして未来会議を邪魔するであろう義狼会首領・徳間の話になる。


「うちの観察が大阪が怪しいとふんでいる。伏見で事件を起こしているのは小物ばかり。大物共はおそらく大阪で決起を計っているんじゃないかってな」


「おそらく警官隊が京都に到着して大阪に陣を移したのだろう。ともかく市中警備は怠るな。疑わしき者は罰しろ」


 冷酷な大前の瞳に京史朗は大きく頷き、笑う。


「その言葉、待ってたぜ」





 四条にある茶屋・鬼京屋。

 いつものように京史朗はその茶屋の看板娘の椿をからかいつつ、話していた。


「京都にも人がだいぶ増えましたね。未来会議の効果は凄いです。時間によっては人手が足りなくて大変ですよ」


「あぁ、未来会議が終わるまでは東京の警官がこの町にいるから椿も忙しくなるな。男を相手するのに」


「そうですねぇ。もしかしたら京史朗さんよりいい人がいるかもしれません」


「……そりゃ聞き捨てならねぇな」


「ひゃ!」


 眉を潜める京史朗は椿の尻をつねった。

 すると、黄色い頬かぶりをし変装する金之助が茶屋の床机に腰掛けた。

 すっ……と椿は茶を出す為に店内に戻る。

 そして、京史朗は金之助から小声で何かを話され立ち上がる。


「……金之助さん。お待たせしました。あれ、京史朗さんは?」


「奉行は野暮用で出かけたよ。椿ちゃんは、奉行のお気に入りらしいが椿ちゃんから見た奉行を教えてくれるかい?」


「気になりますか? あの人が?」


「そりゃ、この警察組織が設立された新時代に未だ徳川の流れを汲む警護をしてやがる。そんな人間の部下である以上、知りたいさ。他人の口から語られる鬼瓦京史朗をね」


 日本各地を転々としていた金之助にはまだこの町の奉行としての京史朗の顔は漠然としててよくわからない側面がある。椿は京史朗に助けられた命の恩返しをしようという金之助の顔を見て床机に座る。


「私の知る限りの奉行について、お話しましょう」


 そして、椿は自分が知る京史朗について語り出す。

 幕末の初期である黒船来航の数年後に伏見奉行に就任した京史朗は父親の大史朗とは違い、就任当初は容赦無い浮浪狩りをした。かつて京都にいた新選組のような感じで常に京都の町には血が流れた。父親は犯罪者も上手く扱い仏とも呼ばれたが、息子は恐ろしいほどに血を流し過ぎたのが鬼奉行と呼ばれる原因だった。

 京史朗に言わせれば、犯罪者の人格を牢屋で変えてしまうほどの取調べをする親父の方が鬼だと言った事があったが、そんな事は椿以外には言う事も無く無情の鬼奉行として伏見の住人を戦慄させた。


「……幕末以降はそんな事はなくなったけど」


「幕末以降は?」


 幕末以降日本各地を転々としていた金之助は幕末以降という言葉に引っかかる。


「戊辰戦争以前から親交のある大前さんに負けて官軍に下った後、奉行は大きく変わられた。時代が変わったから変わらざるを得なかったのもあるけども、新しい時代に対応出来ない者を暴走させない為にあの人は今も戦い続けているんです」


「……そうか。ただ幕末から同じ事をし続けてきたわけじゃないんだな。あの奉行は余計な事を多く話さないからわかりづらい事もあったが、その言葉で十分だ。伏見奉行には命を賭ける価値があるね」


 鮮やかに三連の団子を食った金之助は自分の上司に命を賭ける覚悟が決まる。

 そしてその夜――。

 義狼会首領・徳間の潜伏先の情報を得た金之助は京史朗に素早く報告した。

 この情報は一時間前に得た情報で、徳間は一時的に七条のある屋敷に潜伏しているというのをそこの女中から金で情報を得た。


「よくやった金之助。討ち入りに行くぜ」


 七条の屋敷に潜伏する徳間を取り締まる為、伏見奉行所の三人は無言のまま月明かりに照らされる凍てつく寒さの夜道を行く。

 日本を転覆させようという人物相手に三人では心もとないが、大掛かりに動くと感のいい徳間に敵の接近を気取られてしまう為に、京史朗は夜談と金之助のみを連れて行動していた。そして、三人は徳間がいるとされる屋敷の少し前の民家の横で身を潜め立ち止まる。白い息を吐き、冷たい鬼の目に炎を宿し小声で言う。


「義狼会の頭を取れば、義狼会は終わりよ。行くぜ」


 すぐさま動く正門の鍵を夜談は針金を使い、十秒ほどで解錠した。そして京史朗は静まる屋敷内部に侵入した。




「……流石は俺様。やっぱこの世は金だな」


 屋敷の裏口に現れた金之助は裏口の戸を内側から閉める。

 金之助が金を使い、裏口の戸を開けておくように屋敷の女中を仕込んでいた。裏口から逃げる徳間を封じる為に金之助は身構えていた。そして緊張からか急いで小便をする。尿の匂いと湯気が上が、金之助は大きく息を吐いた。


(……よし、後は奉行達が追い詰める徳間を俺が奇襲で……?)


 ふと、目の前に人の気配がし、一人の紫の着物を着た女が現れる。風が女の前髪を乱し、やや広いおでこが露わになる。その色白の細い女は金之助が金を渡し、この裏口の戸を夜に開けておくよう頼んだ女中だった。


「おいおい、俺を迎えるまでしなくていいんだよ。危ないから家の中で寝てやがれ。俺達はただ、ここにいる悪党を捉えに来ただけなんだからな」


「そうも言ってられないじゃない。まだ代価を貰いきってないのに」


「代価が足りない? お前……強欲な女だな。徳間を捉えたら報償金は出すから待ってろ」


「代価は貴方の血を生み出す心臓よ」


 あっ……! という言葉さえ出せず金之助は心臓を小刀で突かれた。

 血が胸元から飛び散り、金之助は口元を抑え銭投げをかました。


「最後の馬鹿力か」


 嗤う謎の女、桔梗院玲奈ききょういんれなは小刀で銭投げを弾きながら後退した。そしてすぐに生き絶える金之助を見つめた。


「……そんなに見つめられても、金は出せないぜ」


 心臓を突いたはずなのに金之助は生きている。左足が濡れている事でその謎に玲奈は気づく。


「奴の足元が濡れている? くっ!」


 まさか金之助の小便により、踏み込みが甘くなり手元が狂っているとは想像したくなかった。


「待ちやがれ徳間!」


 という京史朗の怒鳴り声と共に、一人の男が駆けて来る。


「……徳間か?」


 その金之助の呟き通り、その駆ける男は徳間だった。余所見をして隙が生まれた金之助に玲奈は特攻し、徳間の脱出口を作る。


「急げ徳間。ここは私がやる」


「どけ女! 逃げんな徳間!」


 白い息を吐く京史朗は不気味な微笑をする玲奈の前で立ち尽くす。

 玲奈は爆弾らしき筒を両手に持っていた。

 大前は裏口の前で振り返り言う。


「大義の為だ、ここで捕まるわけにはいかん」


「大義だと!? 国を転覆させる奴にどんな大義がある!?」


 玲奈の爆弾を警戒しつつ、大前に叫んだ。


「お前はそのなりにも関わらず、我々の味方をせんか。伏見奉行所も姿は徳川の時代でもすでに魂は西洋の波に呑まれているようだな」


「俺は俺だ。俺だって今の政府が全て正しいなんぞ思ってねーよ」


 その間、闇に紛れる夜談が動く。


「義狼会はこの国に対する義によって動いている。誰にどう思われようとも、この国を西洋の傀儡にならず正しく導くには悪行をなしてでも勝たなければならない。幕府を壊滅させた官軍のようにな――」


「死ね」


 その徳間に夜談が迫る――。


「夜談! 逃げろっ!」


 とっさの京史朗の叫びと共に、徳間を襲う夜談に向けて玲奈の爆弾は投げられた。

 爆音と爆風が周囲を包み、京史朗は羽織で顔を抑える。


「……徳間の野郎は?」


 土煙が晴れ出すと夜談が倒れる姿しか映らず、徳間は外の闇に消えた。


「まるで桂小時郎だな」


 咳をしつつ逃げる上手さに京史朗は舌を巻く。

 そして、徳間を逃がした一人の女に目をやる。


「どうやらこの別嬪の方が一枚上手だったようだぜ金之助。まー、俺は更に一枚上手に乗っかり、その体内で暴れてやるがな」


 薄い笑いを浮かべたまま玲奈は答えない。三人相手にしても動じず、何を仕出かすか読めない相手に京史朗は摩訶衛門と似た不気味さを感じた


「この別嬪は俺が相手する。お前達は徳間を追え」


 言われるまま金之助に支えられ立ち上がる夜談は二人で塀を乗り越え外に出て、徳間を追う。

 そして京史朗は不気味な雰囲気をかもちだす女と対峙する。

 



 その前髪を揃える色白の日本人形のような女、桔梗院玲奈ききょういんれなの話に京史朗は驚愕する。この玲奈は摩訶衛門を死地から助け、人体実験をしていた闇の女だったのである。


「……摩訶衛門は私が改良したわよ。次の戦いは相当辛いものになるでしょう」


「改良? お前……まさか!」


 一時期京都や大阪の町を騒がせた麻薬・死油の開発者はこの桔梗院玲奈だった。

 幼少より他人を殺害する事を躊躇わず、血を鮮やかな香水ぐらいにしか思わない玲奈は遊び半分で死体の心臓の血と阿片を調合した死油を裏で売りさばいていた。現在、刀や重火器まで扱う個人向けの死の商人として裏社会で暗躍しているようだ。


「これは遊びよ。徳間の混乱で私は遊んでいるだけ」


 ふふっ……と妖艶に微笑む玲奈に京史朗は冷や汗が流れる。


「徳間もとんだ跳ねっ返りを利用して反政府活動をしてるよーだな」


 二人の間に冷たい風が流れ、枯葉が互いの足元を過ぎる。

 息を呑む京史朗は相手の爆弾に対抗するには走り続け、死中に活を見出すしかないと思った――刹那。


「……中々いい顔をしてるわね。拝めて良かったわよ」


「? おい、まさか俺の顔を拝みためだけに徳間を出汁に使って――」


「それは秘密の秘密よ」


 言うなり鋭利な爪で短い導火線に着火し爆弾を二つ投げ、爆発と共に玲奈は消えた。

 未来会議に向けて、義狼会の傭兵の恐ろしさを感じる京史朗は煙管を吹かし夜の闇に消えた。





 伏見奉行所・奉行私室。

 髪をオールバックにし、伊達眼鏡をかけスーツを着た洋装の金之介が大阪にいる浪人達の画策する麻薬売買の足取りを掴んだ。自分の変装ぶりと探索能力の高さに金之介は夜談に自慢話をする。


「やっぱ俺様は出来る男だぜ。どっかの隠密よりも働いちまうとはたまげたもんだ」


「黙れ金之介。まだ確証があるわけではない。奴等とてその場にいつまでもいるかはわからん」


「どうかな? あれだけ京都が厳重に関東警官共に警備されている以上、大阪近辺から進み出ても無理があるだろ」


「奴等もここが事を起こし、日本を再度改革する正念場と考えてるだろう。そんな連中の頭には無理や不可能なんてものは無いんだ」


 揉める二人にまぁ、その辺にしとけよと煙管を吹かしながらなだめる京史朗は、


「その白髪頭の浪人は摩訶衛門以外いねぇな。捕まえるか始末するのが一番だが、ここは首脳会議が終わるまでは大阪に閉じ込めておけばいいさ。じっくりと包囲網を敷いて、確実に魔物を仕留めてやるぜ」


 そして、伏見奉行所は大前警視総監から大阪警備を任命され、大阪の屋敷を借りて首脳会議の終結まで大阪にて浪人探索の任につくことになった。





 京都市内における東京警官の取り締まりはかなり厳しいものがあり、間近に迫る未来会議の重要さが市民にも肌で伝わるほどの状況であった。そして、警察を束ねる処刑人とすら呼ばれる警視長官・大前を探る者を首相警護のついでに暗殺しようという東京警察が動いていた。その強引と狡猾が表裏一体に展開する流れで月影が捕まったのを京史朗は知る。

 とある屋敷の小屋の一室にて月影は両手両足を鎖に繋がれ身体には無数の傷があった。

 東京警官達の衣食住の金を狙って動いていた月影は、罠にはまり捕まったというのが音手の理由だが、それは違っていたのである。

 小屋の門番二人にいたぶられる月影の青い衣装は血まみれであった。


「首相に直々意見が通るなんていう話でこうも簡単に捕まるとはな。大前さんも光葉を公儀に意見させ自らの罪を吐き出させ、処刑した。師が師なら弟子も弟子だ」


「おいおい、核心を言ってやるなよ」


 二人の門番は衰弱する月影を笑い話す。

 光葉の弟である現・日本首相から貰う手紙に月影は騙されていた。常に他者は信じない月影の唯一の弱点である光葉の関係者を使い大前は月影を捕らえたのである。

 門番の一人は月影の乳を服の上からゆっくりと揉みほぐす。それに対し、月影は反抗はしない。


「誰もが男だと思ってた月影が女だもんな。えぇ! おい!」


 欲望に心を奪われる門番は月影の豊かな乳を服の中に手を入れまんべんなく揉む。

 無言、無表情の月影はまるで死体のように無反応を貫く。

 どれだけ触っても何も反応しない月影に門番は機嫌を損ねる。


「ちょっとは感じて見せろよ! 忍気取りが!」


「ぐっ!」


 竹刀で拷問を受ける月影の口から血が流れた。

 そのまま月影は言葉を吐き続ける。


「……聖光葉を殺した大前は許せない。そして奴の偽善はいつかこの国に厄災をもたらす」


「厄災はお前だ月影。義賊だ何だと町人は盛り上がっているが、その金は警察の金だある。故にお前は国にあだなす敵なんだよ」


「大前はこの未来会議の中で不穏分子を根こそぎ抹消しようとしていた。それは京都の連中も薄々は気づいていたはずよ」


 にんまり笑う門番は、


「薄々気づいていても、この国が清浄化されれば関係ないんだよ。禁門の変の大火事から復興して数年しか経ってない疲弊した京都市民には政府が悪と認めれば、義賊の貴様とて悪になる」


「……下種め!」


 叫ぶ月影だが、仲間もいない月影には誰の助けは来ない。

 殴り、蹴られ、竹刀で叩かれても痛みは感じない。

 全ては聖光葉という死して不屈になる光を民衆に知らしめ、日本国民が国の判断ではなく自分自身の心で進む志さえ持てれば月影はいつ死んでもいいと思っている。しかし、までその時期では無かった。


(今はまだ死ねない。せめて未来会議にて光葉先生の弟に大前の危険性とこの国の方針が間違った方向に行かないか確認するまでは……? 光? あの光は光葉先生……?)


 突如その小屋の扉が開く。

 門番の二人は振り返りその人物を見る。


『……?』


 そこに聖光葉ではなく、鬼瓦京史朗が現れた。


「拷問は関心しねぇな。大前の旦那は汚い事は嫌うはずだぜ?」


「伏見奉行……ここは我々の管轄下だ。黙っていてもらいたい」


 驚く月影は何故ここにこの男がいるんだ? と思うがこの男も役人の一人かと思い納得する。光葉のような一筋の光をこの男に感じた事に心を戒めた。

 その光景を眺める鬼奉行は息を吐き、


「そうだな。こいつは国の金に手をつけてたんだから仕方ねーか。伏見奉行所の予算を減らされたらたまったもんじゃねーからな。じゃあな月影」


 そのまま京史朗は小屋から去った。





 暁の夕日がもうすぐ沈み始める夕刻――。

 これから京都の不穏分子がもぞもぞと魑魅魍魎の如く動き出す時刻に、一人の黒装束の忍が民家の屋根を伝いながら月影が監禁される京都郊外の屋敷の小屋付近にたどり着く。警官達の宿舎の一つである内部は警官達の一部が談笑やらをしていて外部の者が入れる隙は無い。その屋敷を見つめる夜談の瞳に、一人の黄色い着物の薬売りの男が屋敷に向かい歩いて行く。少し後に十数人の女達が距離を置きながら歩いていた。すると、一匹の雀が夜談に何かを知らせるように肩に止まる。


「……さて、金之助。お前の作戦がどう転ぶか見届けてやろう」


 多少嫉妬混じりの目で、夜談は屋敷に入る仲間を見た。

 屋敷に入る黄色い薬屋は警官の一人に出迎えられる。


「おう、薬屋。俺達に効く良薬の手はずはどうかな?」


「当然、整っておりやす」


 笑いながら金之助は背後にいる十数人の女達を振り返る。

 他の町人にわからぬように何気なく連れて来ていた女達はこの警官達が買った女だった。警官達は大前の命令で遊郭に通う事を禁止されており、半月もの間この花の都にて一期一会の愛も紡げないのかと内心で嘆いていた。その噂を聞いていた金之助はすかざず動き、金が欲しい女達を裏で募集してその女達と警官達の利害を一致させていた。

 満足気に金を払う警官は言う。


「未来会議までの日程まで毎日良薬の調達を頼むぞ」


「任せておくんなまし」


 そして非番の警官達は金之助の調達した良薬達と快感の戯れに熱狂する。

 それを見た金之助は言う。


「この世は金だぜ」


 その最中、全ての人が屋敷内に入った為に門番が消えた小屋の前に黒い衣装で無音歩行をする夜談がいた。針金で小屋の鍵を解錠し、内部に侵入する。


「……誰?」


 夕日が差し込む暗い小屋の中に、今までと違う人物が入ってきたのを月影は感じた。

 しかし、身体の自由がきかない為に両眼で睨むしかない。

 その黒い忍には見覚えがあった。


「よくこの警官の宿舎である小屋の門番を突破し、内部まで入れたわね。伏見奉行所の忍さん」


「……余談だが、あっしはお前を別段好きでは無い。奉行からの命令で動いている事をゆめゆめ忘れるなよ」


 多少荒く夜談は月影を拘束する手足の鎖を外す。

 そして改めて夜談は言う。


「貸し一つだぞ月影」


「わかってるわよ。貴方には……」


「あっしではなく奉行への貸しだ」


 その夜談の瞳は一切の雑念が無かった。


「……成る程。貴方は忠義の忍ね」


 自分と同じか……と感じる月影は夜談の指から飛び立つ雀を見て口元を笑わせた。




 その刻限――稲光と共に突発的に雨が降り出した為に傘を買い伏見奉行は四条の鬼京屋まで歩いていた。この寒い時にゃ椿の入れた熱い茶と団子に限るぜと思う京史朗は足元の悪い道を急ぐ。すると、死霊のような黒い影が横切り――。


「後、十日」


「――!」


 その甲高い魑魅魍魎が吐き出される声色に戦慄した。

 追うと、黒い陣笠をかぶる徳間の姿を目撃した。

 それを影のように追跡すると一つの神社にたどり着いた。

 境内に入り、屋根がある賽銭箱の前に徳間はいた。


「最近、京都市内がやけに血生臭いが、これは君の仕業かい?」


 降り続ける雨に視線を当て、徳間は言った。


「いや、主に東京の警官隊だ。今じゃ京都が東京になってやがるぜ」


「ほう……それではお前達はいずれ消え去るという事じゃないか。東京警官の教育は洋式文化を認める者しか採用しない方式だからな」


「ほう……そりゃ初耳だな」


 口元を歪め、大前の東京警官採用基準を知る京史朗はいつ斬りかかるか呼吸を整える。

 そんな話を続けながら互いを探っていると、神社の境内に向かってくる朱色の傘をさした武士が一人いた。

 不気味な殺気を纏わせて、近づいてくる。

 誰がどう見ても、参拝客には見えない。

 それは魔物・人斬り摩訶衛門――。

 そのまま摩訶衛門は二人を観察するように、止まった。

 こいつわざわざ傘を買いに行ってやがったのか? と不振に思ったが、摩訶衛門は明るい口調で話かけてきた。


「まだ十日あると言ったじゃないか。そう焦るなよ鬼瓦」


 傘を高く上げ両目から怪しい底光を放つ魔物は言った。

 そして、徳間は摩訶衛門の勝手な行動が今の現状を生み出したと気づく。


「……今日は数日前から利用してる鬼京屋で女を買う予定だったんだが、誰かに先を越されていたようでね。気に入っていた女を抱こうとしていた血が収まらんのだ」


 じろり……と湿った視線を徳間は送る。摩訶衛門の仕組んだ事の本位はここにあると確信した京史朗はあの魔物の身辺調査能力は夜談並みだと思った。そして言う。


「椿は遊女じゃねーよ糞野郎」


「茶屋の女が客に股を開くのは、普通の事だから君もそうしたのだろう?」


 恫喝するように笑う徳間は更に続ける。


「ところで、東京警官をここに派遣したとされる幕末の軍神・大前義一は日本国を守る武装集団にでもしたいのかね?」


 京史朗は徳間の言った、幕末の軍神を思い浮かべながら答える。


「知らんな。伏見奉行所は警察の外部独立組織だ。軍神の未来地図までは把握してねーよ」


 静かな雨音すら聞き逃さない徳間は、そう言った京史朗の迷いの無い瞳を見つめた。

 そして突然、持っていた陣傘を投げ捨て雨の降りしきる中に出る。


「明治政府の力が安定してないのを瀬南戦争で露呈し、たかが一つの反政府組織にうろたえている今、これから日本は大きな変革を向かえるだろう。数年後、時代が西洋文化の合理主義が蔓延する世界で、君はその腰の刀を捨てられるのか!? 独立警察などやっている君が一番知ってるだろう? 新時代には君のような剣士の居る場所は無い!」


 全身に浴びる雨を気にせず、怒気を込めて京史朗に言い放った。

 黙ったまま徳間を見つめる京史朗の目は、先程と変わらなかった。 


「俺は奉行だ。悪を退治出来ればそれでいい。細かい事は知らねーさ」


「……君は未来を見てないな」


 二人の間を、風に吹かれた猛烈な雨が割り込んでくる。

 徳間は何かを悟ったような顔をし、京都に来てもう十人以上は斬った白刃を抜いた。


「未来会議前に死を恐れない君を殺しておかないと、私の義狼軍の障害になりそうだ。抜いて貰おうか、伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗源狂星」


 雨で濡れる徳間の刀が、京史朗の白い顔を写した。

 すると二人の男の心の内を語る話に興奮する摩訶衛門は言う。


「徳間さん。君は個人の感情で動いてはいけないのは君が一番知っているはずだ。君の激情はこの僕が体現しよう」


 死霊が揺らめくような怪しさで両者の間に魔物が現れる。

 そして頷く徳間は雨で冷える身体の感覚から冷静さを取り戻した。

 自身の好色さを戒め、賽銭箱に止まる雀が飛び立つと同時に境内から去る。


『……』


 京史朗と摩訶衛門は境内の中央で対峙した。

 雨は二人の殺気に反応するが如く、強さを増す。

 雷鳴が轟き、細く長い雲が流れ、雨は勢いを増す――。

 魔物の目がくわっと大きく開かれた瞬間、鯉口を切った京史朗の月光水月が横一文字に薙いだ。

 上段から降り下ろされた摩訶衛門の刀と激突し、激しい音を上げた。

 京史朗はその一撃に手が痺れ、後退した――刹那。

 神速の摩訶衛門の突きが京史朗の左胸部を襲った。


「ぬおおっ!」


 死にもの狂いで、右に避けた。

 すると、摩訶衛門の血神丸は突きから横薙ぎに変換された。


「化け物がっ!」


 歯を食いしばり脇差しを半ばまで引き抜き、横薙ぎの一撃を防いだ。

 そして右手の刀で摩訶衛門の首筋を狙った。

 切っ先が魔物の首筋を捉え、血が流れた。

 が、当人は全く気にしていない。


「鬼瓦京史朗! 君と幕末の動乱で戦えなかった事を悔やまれるよ! やはり君は素晴らしい。僕は君を愛しているよおおおおおおっ!」


「ははははっ! 俺に男色の気は無いぜ! それよりあの桔梗院玲奈を紹介しやがれ!」


 二人は鬼のような形相で剣を交わした。

 摩訶衛門の刀は大きく旋回し、雨飛沫を京史朗の目に飛ばした。


「うっ……」


 鬼の目は一瞬、視界を失った。

 遠心力のついた魔物の刀が、鬼の脳天を目掛けて迫る――。


「――うおおおおっ!」


 京史朗は徳間が投げ捨てた陣傘を蹴り上げ、摩訶衛門の刀に当てた。徳間の陣傘が真っ二つになり二人は同時に刀を一閃した。

 神経を逆撫でする甲高い金属音がし、刀の物打ちから先が二つ空中で回転している。

 京史朗は脇差しを抜こうとしたが、摩訶衛門の手で脇差しの柄を封じられた。

 そして折れた刀の先が落下し地面に突き刺さった。

 熱いまなざしで見つめる摩訶衛門は京史朗の脇差しから手を離し、


「血神丸が折れたか……これは玲奈に新しい刀を貰わねばならんな」


「あの爆弾女、刀鍛冶もしてやがったのか。とんでもねぇ奴だぜ」


「君はあぁいう個の強い女は好みのはずだがね。まぁこの続きは、また次の機会に取っておこう」


「逃げるのか?」


「楽しい祭りまで待とうじゃないか鬼瓦」


「俺も警察機構の一人だ。ここで逃がすのは筋が通らん」


「筋……か。僕と君に筋があるとすれば、二人が存分に力を出せる戦いをして勝つのが筋だろう?」


「屁理屈を言いやがる」


 言いつつも、この男の言う通りであると認めた。

 そして京史朗は動く魔物を見据えたまま言われる。


「十日後を楽しみにしてるよ……」


「……」


 折れた刀を鞘に納めると、摩訶衛門は境内から姿を消した。


 魔物が姿を消すと、残る鬼も折れた刀を納め真っ二つになっている黒の陣傘を見た。


(十日後の未来会議の前に義狼軍は伏見奉行所が潰す……覚悟してやがれ反逆者共……)


 激しい雨に晒される徳間の真っ二つになった傘は、当日の双方の運命を予言するように漆黒の闇色を境内に発し続けた。


 

 

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