表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

茶色いりんごたち

斎藤真理が死んだ。

僕を見舞いに来た友人が、他人事のようにそう言った。

「5日前だったんだって、葬式」

「…そう」

特にいい返しも思い浮かばなくて、生返事をした。

そもそも、斎藤真理の顔が思い出せずにいた。

何てったって、最期に会ったのは3年前の高校の卒業式だ。

仲のよかった奴ならともかく、ほとんど話したこともないただのクラスメイトの顔となると、思い出せないのも無理ない。

「火事だったって。見つかった時には、もう本人かどうか見分けもつかないくらいだったんだって」

「それは…かわいそうだったな」

「あっ!悪い、お前も手術のすぐ後なのに、こんな話…」

「いいよ。生きてるんだし」

安心させるように、笑顔を作ってみたが、友人はますます暗い顔になって、視線を落とした。

(別に気にしないのに)

気まずさから逃れたくて、今朝母が切ってくれたりんごを一つ爪楊枝で刺して、友人に差し出した。

「いる?」

「え?あ、ああ…ありがとう」

無理矢理繕った笑み。

受け取ったはいいものの、すぐには口に入れない。挙動不審な様子がおかしかった。

「…俺、もう行くな。

じゃあ、頑張れよ」

またぎこちない笑みを浮かべて、りんごを右手にもったまま、そそくさと病室を出て行った。

「ああおかしかった」

「あいつ、あのりんごどうするんだろうな」

「僕なら捨てる…あんな茶色くなったりんご」

「しかも、病室に置いてあったんだぞ」

「僕なら、捨てる」

「…」

「あいつも、斎藤の話みたいに、俺の話をするんだろうな」

「…他人事みたいに」

僕が口を閉ざすと、途端に世界は静まりかえった。

誰の声も聞こえない。無機質な時計の針の音が、僕に気を使って三三七拍子でも刻み出さないかと期待した。

けど、無駄みたいだ。


白い天井が見ている。

僕を見ている。

そして、嘲笑っている。

「お前は、おれを見上げることしか出来ない」

「かわいそうになぁ…かわいそうになぁ」

うるさい。うるさい。

誰がこんな体になりたくてなるものか。

足さえ、この足さえ動けば…

「何言ってるんだ。

お前の足は、もうないじゃないか」


ガチャン!

ハァ、ハァ…

食器の割れた音で我に返った。


誰が歩けないって。誰の足が役立たずの棒切れだって。

そんなにいうなら見ていろ。

「僕は、歩ける」

近くにあった椅子を手繰りよせ、体重をかける。

椅子は僕を鼻で笑うかのように、勢いよく倒れてしまった。

僕の体はベッドの外へ引きずり出された。

りんごの甘い香りが埃のにおいに混じって鼻腔に届いた。

それからは、もう無我夢中で前へ進んだ。

幸い、僕を遮る人も物も現れなかった。

しかし、階段は容赦なく僕の前に立ちはだかった。

1段上がる度、掌が擦り剥けていくのがわかる。

僕は果敢に戦った…そして勝った!

僕は勝ったんだ。

辿り着いた先は屋上だった。

風が僕の頬を軽く撫でる。

風は平等だ。誰の元にも差別なく訪れる。

「は…はは、は」

「…」

「う、うう、…っ」

溢れ出した涙は、りんごの味が少しした。

このまま、死ねたら。


バサバサ。

視界の端で、何か白い物がはためいた。

白いワンピースの少女がいた。今の今まで気づかなかった。

どうしてか、その背中と中途半端に長い黒髪には見覚えがあった。

「…何、してるんだ?」

「そっちこそ、何してるの?」

振り返った顔は、やっぱり見覚えがあった。

赤い唇がにこりと笑った。

「…散歩だよ」

「私だって、そうよ」

「だめじゃないか」

「どうして?」

「だって、早く成仏しないと、だめじゃないか、斎藤」

斎藤はむっとして、その後悲しそうな顔をした。

どうしてそんな顔をするのかわからなくて、思わず首を傾げた。

「死んでないの、私」

「…ああ、いきなりだったもんね、信じられないのも無理ないよ」

「違うの!本当に死んでないのよ」

「それなら、僕を抱えて病室まで運んでみてくれよ」

斎藤は、しめしめ、と笑って、僕をひょいと持ち上げると、僕があんなに痛い思いをして来た道のりを、飄々と駆け足で走ってみせた。

そして、ベッドの上に丁寧に僕を寝かせてくれた。

「…嘘だ」

「嘘じゃない。今あなたはそれを見たし、実感した」

「じゃあ、夢だ」

僕は右頬を抓ったり、引っ叩いたりした。

白いワンピースの少女は、相変わらずそこにいた。

「覚めない夢なんてないのよ」

「上手いこといったつもり?」

「あーあ、もったいない。こんなにして」

斎藤は、床に散らばった皿の破片を綺麗に片付けて、椅子を元通りにし、そこへ座った。

「僕は死んだのか」

「どうして?」

「だって斎藤が見えるってことは、」

「だから、死んでないって言ってるでしょう」

「じゃあなんだ、あいつが嘘をついたのか」

「それは…違う」

斎藤はしゅんと萎んだように俯いてしまった。

「多分…私の代わりに誰かが死んじゃったのよ」

「えっ?」

「あんなに激しく燃えて、黒焦げになって…原型も残ってないはず。私じゃない誰かが燃えてしまったって誰も気付かない」

「なら、早くそれを警察に」

「出来ないの!誰も私に気付いてくれないのよ!」

だから、それは君が死んでいるから。

そう言いかけて、口を噤んだ。

斎藤の目から、今にも涙が零れ落ちそうだったから。

斎藤が僕をからかって、嘘をついているようには、どうしても見えなかった。

でも、僕以外の誰にも姿が見えないんじゃ、彼女が生きていると証明することは出来ない。

僕の夢とか幻覚とかっていう可能性も捨てられない。

かといって、このままじゃ埒が明かないし、例え人に見られないからって、女の子に泣かれるのは正直キツイ。

「…わかった、わかったから。一応、信じるよ」

斎藤の瞳がぱっと輝いた。

「本当に?嬉しい」

ぎゅっと僕の手を握った彼女の手は、僕のよりずっと温かかった。

絡ませた指から伝わる熱が嘘だとも思えなくて、ああ僕はなんてリアルな夢を見ているんだ、と溜息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ