第9話 駄菓子屋「ビードロ」
目が覚めた。カーテンの隙間からは太陽の光が差し込み、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
隣のベッドを見ると、佐助がまだ気持ちよさそうに寝ていた。
「ホ…」
なぜかわからないけど、大きな安堵感に包まれた。
私は何か夢を見ていた。でも、覚えていない。ただ、苦しい思いをしている夢だったような気がしてならない。
佐助を起こさないように静かにベッドから起き上がり、そっとバスルームに行った。それから顔を洗って、お化粧をした。
部屋に戻ると、佐助がカーテンを開けて窓の外を見ていた。
「あ、起きたの?おはよう」
「おはよう、楓」
佐助は振り向いて、私を見て微笑んだ。
「よく寝てたね」
「…夜中に一回目が覚めたよ」
「そうだったの?」
「隣に楓が寝ていて、ほっとした」
「え?」
「覚えてはいないんだけど、ものすごく嫌な夢を見ていた気がする」
同じだ。
私は佐助の背中に抱きついた。
「楓?」
「ずっといて」
「え?」
「ずっと、そばにいてね」
「ああ。いるよ」
佐助は抱きついた私の手を握りしめ、優しくそう言った。
着替えを終え、私たちは部屋を出た。
「あのウェイターか、フロントの人を捕まえて、飴のことを聞きだそう」
「うん」
佐助はそう言うと、階段を足早に下りた。だけど、カウンターには誰もいなくて、カフェは閉まっていた。
「起きるのが早すぎたのかしら、私たち」
そう言いながら、私と佐助はホテルの外に出た。外はまぶしいくらいの朝日が道路を照らし、向こうに見える広場にはすでに人が何人も歩いていた。
「早すぎてはいないようだよ」
佐助はまぶしそうに広場を見つめてから、ゆっくりと歩き出した。私も佐助の腕に私の腕を回し、歩き出した。
「お腹すいたな。レストランはもう開いているんだろうか」
「…行ってみる?」
私たちは広場を抜け、町はずれにあるレストランに入った。
レストランもすでに数人の人がいて、楽しそうに朝食を食べているところだった。
「いらっしゃいませ」
店員が来た。昨日と同じ人だ。
顔をじいっと見ると、にこりと笑って、
「ご注文は?」
と聞いてきた。
「トーストとコーヒー」
佐助がそう言った。私も同じものを頼み、店員はその場を去って行った。
「あの人は天使じゃないわ」
「うん。ホテルのウェイターと違って、もっと人間ぽいもんなあ」
佐助もうなづきながらそう言った。
この店の店員は髪が黒々としていて、髭もうっすらと生えていた。それに肌も浅黒く、まあ、日本人離れした顔立ちといえば、そうも言えるけど、どちらかと言うと、東南アジア系の深い顔立ちだ。
「だけど、天使っぽくないように化けているのかもしれないよ」
佐助がそう言うので、私は飴のことを一応聞いてみることにした。
「お待たせしました」
店員が、コーヒーとトーストを持って現れた。
「ねえ、あなたに聞きたいことがあるの」
「はい?」
店員はコーヒーカップとお皿をテーブルに乗せ、私の顔を見た。
「この飴のことを何か知ってる?」
ポケットから飴を取り出し、唐突にそう聞くと、
「そのキャンディは、見かけたことがないですが、ここからまっすぐに行ったところに、駄菓子屋もあるし、お菓子屋もありますよ。そこでキャンディなら売っています」
と店員は答えた。
「この飴と同じものはあるの?」
「う~~ん。そのくらいの大きさのものなら、駄菓子屋にあるかなあ。包み紙はそんな色をしていませんですけど。ああ、ビードロっていう、ちょっと古ぼけた駄菓子屋ですよ」
「ビードロ?それは喫茶店でしょ?商店街の一番奥にある…」
「いいえ。駄菓子屋ですよ。今日は駄菓子屋でした」
「今日は?」
「ええ。僕はいつもあそこの前を通って、この店に来るんです」
「昨日は?」
「昨日のことはあまり、振り返らないようにしているんですが」
「え?!」
私はいらだち、思わず声をあげて聞いた。
「ああ、えっと。確かレトロな感じの喫茶店だったかなあ」
「日によって店が変わるのか?」
佐助が不思議そうにそう聞くと、
「ええ。そうですよ、まあ、このレストランはたいてい毎日同じですけどね」
と店員は笑って、その場を去って行った。
「ますます、不思議な街だな」
佐助はそう言って、一口コーヒーを飲むと、
「ああ、そうか。あの宿だって、昨日の昼間はなかったんだ。いきなり店が変わったって、驚くことじゃないかもしれないな」
とそう言った。
「じゃあ、今日ビードロに行っても、あのマスターはもういないのかしら」
「…行ってみる?飴のことも聞きたいし」
「そうね」
私たちは、それからしばらくその店でのんびりとした。周りの人を見ると、みんなが笑っていて楽しそうだった。
昨日会った人も数人いて、
「あら、おはよう。いつもお二人でいるのね、仲がいいのね。生前から?」
と聞いてくる人もいた。
「ええ、多分」
私があいまいにそう答えると、その人は一瞬不思議そうな顔をして、笑って自分の席に戻って行った。
「さて、ビードロに行ってみるか」
佐助はそう言って席を立った。
光の里は、どこもお金を払うところがなかった。レジもないし、もちろんのこと、レシートや伝票もない。
今思えば、なんであのバスに運賃を払ったのかが不思議だったけど、多分、払わなかったらそれはそれで、よかったのかもしれない。
私たちは、町の中心の広場を抜け、商店街に入った。昨日は見かけなかったお店が何件もあり、私たちはきょろきょろとしながら、歩いていた。
商店街の一番端に来た。確かにビードロという看板はあったが、昨日の喫茶店とはなんとなく違っていた。煉瓦つくりで一見同じように見えるが、でも、窓やドアのガラスがくもりガラスではなく、透明で、黄色い色を帯びた窓ガラスだった。
そこから中を覗いた。すると中に昨日広場にいた男の子がいるのを発見した。
「おっちゃん、ありがとうね」
ドアを開け、元気にそう言いながらその子が店の中から飛び出してきた。
「うわ」
佐助がその子にぶつかった。
「いって~。気をつけろ」
その男の子はぶつかった頭をさすりながら、走って行ってしまった。
「昨日の子だよね」
私がそう佐助に言うと、佐助もぶつかった胸のあたりを押さえながら、うんとうなづいた。
私たちはそっとドアを開け、中に入った。そこには駄菓子やおもちゃがところ狭しと並んでいて、やっぱり昭和の匂いをかもしだしていた。
「いらっしゃい」
店の奥からパイプをくわえ、顎鬚をはやしたマスターが現れた。
「マスター!」
私たちは安堵の声をあげた。店は違っても、マスターはちゃんといてくれた。
「やあ、めずらしい。喫茶店の時にしか現れないと思ったが…。何か用でもあるのかな」
「喫茶店の時にしか、現れないって?」
「ははは。ここはね、あの喫茶店を始める前にやっていたお店なんだ。その頃のお客がいまだに来るんでね、たまに喫茶店じゃなく、駄菓子屋もやっているというわけさ」
マスターは笑いながらそう言った。
「じゃ、さっきの子もその頃の客?」
私が聞くと、マスターは顎鬚をなでながら、
「そうだ。ただし、前世での客だ。君たちと同じようにね」
と答えた。
「あの子が死ぬ前の世では、この店はなかったってことですよね」
「ああ、なかった。もう喫茶店に変わっているしな」
「じゃあ、前世での記憶が残っていて、この店を懐かしがっているってこと?」
「そうだな。この店を懐かしがるような子は、あの子くらいだがな」
「え?じゃあ、あの子のためだけにこの店、あるってことですか?」
佐助が驚いてそう聞いた。
「…不思議かい?」
マスターはそう言うと、意味ありげに笑った。
「…一人の子のために、店を開けちゃうなんて」
「はっはっは。それが私の仕事なんでな」
マスターは笑いながらそう言って、パイプをゆっくりとふかした。
「ところで、君たちは駄菓子屋の時のこの店に用があったんだろう?」
マスターは煙を吐くと、私たちに聞いてきた。
「はい。この飴、見たことありますか?」
私は慌ててポケットから飴を取り出し、マスターに見せた。
「ほ~。それをどこで手に入れた?」
「持っていたんです。っていうか、ポケットに入っていたんです」
私が空の包み紙も見せると、
「ほ~~。これは初めて見るぞ」
とマスターはめずらしがった。
「こっちの包み紙をですか?」
佐助が身を乗り出して聞いた。
「うん、そうじゃ。ピンクの包み紙の飴は知っている。天使の里で天使が持っていた」
「生き返るための飴」
佐助が力強くそう言うと、
「おお、そうだ。まさにそうだ」
とマスターは目をやんわりと細め、そう答えた。
「じゃあ、こっちの飴の包みは」
私がまた空の包み紙を見せると、
「水色は見たことがないなあ」
とマスターは首をかしげた。
私たちは、マスターにお礼を言って店を出た。
「そうか、水色のは天使の里で見たことがないのか」
佐助はそう言いながら、はあってため息を吐き、店の前でしばらく立ち止まっている。
「どうする?これから」
私が佐助に聞くと佐助は、
「しょうがない。あのホテルのフロントの人に、あとで聞くしかなさそうだ」
とつぶやくように言った。
私たちはまた、商店街を歩き出した。すると広場の近くに、全く新しい建物があるのを佐助が見つけた。
新しいと言っても、古そうな建物だった。だが、さっきここを通った時にはなかったものだ。
「映画館だ」
佐助が目を細めてそう言った。ああ、本当だ。建物には大きな看板があって、そこには上映されている映画のポスターが貼られていた。
「驚いたな。ほら、ゴーストだよ」
「私の好きな映画の…」
昨日、ゴーストの話をしたから、ここで上映することになったのだろうか。
「死んだ人間にゴーストの映画を見せて、どうなるんだろうなあ」
後ろから子供の声がした。振り返ると、さっき佐助にぶつかった男の子だった。
「あなた、ビードロによく行ってたの?」
「あの駄菓子屋のこと?」
男の子が私のほうをじろっと見てから、そう聞いてきた。
「そう。あの駄菓子屋」
「行ってたよ。生きてた頃にでしょ?あのおっさん、死んでからもあの店をやってるなんて、変わり者だよね」
ひどいなあ。君のためにあの店を開いているっていうのに。と言いそうになったが、なんとなく言わないほうがいいような気がして、私はその言葉を言わなかった。
「おっちゃんはお金がなくても、お菓子をくれた。他の奴には内緒だよって言って、すごく僕のことをかわいがってくれてた」
「へえ、そうなんだ」
佐助が微笑ましい話だなって顔をしながら、聞いている。
「あの頃はまさか、あんなに簡単に死んじゃうなんて思ってもみなかったんだ」
「え?」
私はその子に聞き返した。その子があまりにもひょうひょうと話しているので、ちょっとびっくりしてしまった。
「僕は前世、8歳で死んじゃった。高熱出してあっという間に。医者も親も、たいしたことないってほっておいたんだ。特に母親、ひどいもんだよ。高熱があるっていうのに、生まれたばっかの赤ん坊のミルクを買いに行っちゃって、僕のことはほっぽらかし」
「ミルクを?」
「戦後でさ、ミルクを買うのも探すのも、大変だったんだよね。母ちゃん、おっぱいなんて出なかったし。僕のことは医者が診に来たけど、あんなのやぶ医者だ。薬も高くって買えなくって、寝てたら治るって母ちゃんは僕をほって、赤ん坊のためにミルクを買いに出ちゃったんだよ」
「その間に死んじゃったの?」
「いいや。その日の夜に。意識が遠くなって母ちゃんを呼んだ。でも、赤ん坊が泣く声で聞こえてなかった。母ちゃんは赤ん坊をあやしに外に出てて、戻ってきたら僕は死んでた」
「そんなことまで覚えてるんだ」
佐助が驚きながら聞いた。
「この世界に来て思い出した。あの駄菓子屋に行ったらどんどん鮮明に思い出したよ。僕は母ちゃんのことを、すんげえ憎んで、やぶ医者のことも憎んで死んでいったんだ」
「じゃあ、その次の世ではもしかして、お母さんに復讐でもした?」
佐助がちょっと声を潜めて聞いた。
「さあ?」
その子は首をひねった。
「え?どういうこと?わからないの?」
佐助がまたその子に聞いた。
「覚えてないんだ。な~~んにも」
「え?!」
「僕、気がついたら病院にいた。知ってる?ここに来る前の停留所にある…」
「中病院か!?」
佐助はその子の腕を掴みながら、大声をあげた。
「いてえな。離せよ」
「ああ、悪い」
佐助はすぐにその子の腕から手を離した。
「そうだよ。あそこにいたんだ。周りのみんながやけに気味悪くって、すぐに外に飛び出した。そうしたらバスが来ていて、飛び乗ったんだ」
「…それ、いつ?」
私が聞くと、またその子は首をかしげた。
「いつだろ。ここって日にちもないし、わかんないや」
「君の名前は?前世の記憶があるなら、わかるだろ?」
「剛」
「つよし君?」
「そう。剛っていう字、わかる?」
その子は佐助にそう聞いた。
「ああ、わかるよ」
「強そうな名前なのに、たかが高熱で死んじゃったんだよね。笑えるでしょ?」
佐助は黙っていた。私も笑えなかった。
ただ一つ気になることがあり、その子に聞いた。
「剛君はこの飴を持っているのかな」
ポケットから飴と、包み紙を出して見せた。すると、
「ああ、あるよ。なんだか、よくわかんないものだから、なめないでとってある。病院で僕はパジャマだったんだ。その上着の胸のポケットに入ってた」
やっぱり?
「両方とも?」
「ううん。そっちのピンクのは持っているけど、水色のは中身がないし、どっかに捨てちゃった」
「…じゃあ、水色のはいつ食べたか覚えてる?」
「わかんない。覚えてない」
同じだ。私たちと同じだ!
「剛君はこの飴のこと、誰かに聞いた?」
「ううん。誰にも。だって、聞いたところでなんだっていうの?」
「そ、そうよね」
「僕もう行くよ。きっと今頃の時間は、広場に犬が来るんだ。いつも僕はその犬と遊んでるんだ。夕方になると飼い主が迎えに来ちゃうけどさ」
「あ、うん。そういえば、昨日も遊んでいたね」
「うん。広場にいるから、会いたくなったらあそこに来て。じゃあ」
剛君は元気に走って行った。
「僕たちだけじゃなかったね、楓」
「他にもいるかもしれないわよね。記憶を失っている人が」
私たちは、飴のことも誰かが知っているんじゃないかという期待を持った。
「佐助、この映画観ていかない?」
なんとなく安心したせいか、私は心に余裕が出てきた。
「うん。観ていこうか。きっと君のために上映されていると思うし」
佐助と映画館の中に入った。私のためと佐助は言ったが、映画館の中は満員に近いほどの人がいた。
そして映画は始まった。
懐かしい音楽。懐かしい映像。観ていて私はボロボロと涙を流した。だが、涙を流しているのは私だけで、周りの人は懐かしがって観ているだけだった。
映画館を出た。
「泣いちゃった?楓」
「うん」
佐助は優しく私の頬の涙を手で拭い、
「ホテルに帰って、ゆっくりしようか」
と優しくささやいた。
「うん。ホテルにいる天使に、話も聞きたいし、戻ろう」
私たちはゆっくりと、ホテルへの道を歩き出した。