第8話 ホテルのカフェ
「楓、お腹空かない?下のカフェで何か食べてこようよ」
「じゃあ着替えてくるわ。でも、ここにしばらく滞在するなら、スーツ以外の服もあったら便利なのにね」
「チェスト、開けてみたら?」
佐助にそう言われ、私は引き出しを開けた。ジーンズと、セーターがそこには入っていた。
「あ。入ってるわ」
「僕のもある?」
「あるわ。メンズのジーンズとニット」
佐助はそれを取り出すと、バスローブを脱ぎ捨てて着替えだした。私はもろに佐助の素肌を見てしまい、慌ててジーンズとセーターを掴んで、バスルームに入った。
ドキドキ。
嫌だ。胸が高鳴っている。佐助の腕や胸がやけにたくましくって、ドキドキしている。
鏡を見ると顔が真っ赤だった。私は慌てて顔を洗った。洗面所にはいつの間にか化粧品が並び、私はメイクをして髪を整えてから部屋を出た。
「あれ?化粧したの?」
「うん。すっぴんだったんだもの。やっとこれで、まともな顔になったわ」
「あはは。なんで?すっぴんでも可愛かったのに」
佐助の言葉に心臓はまた高鳴った。
「やだ。からかわないで。私が可愛いだなんて」
「…からかってないよ。戦国時代から姫は可愛いと思っていたよ?」
「ちょ、ちょっとやめてよね」
顔がもっと赤くなった。それを見て佐助はまた笑った。
そういえば、不思議と私たちは名前も変わっていなければ、顔つきもずっと同じだ。髪型は違えど、どの人生でも同じ顔、体型をしているようだ。
「なんでだと思う?」
カフェに入りテーブルについて、佐助にそれを聞いてみた。
「お互いが見つけやすいようにじゃない?」
「そうか…」
ウェイターが来て、私たちはまた周りを見回し、
「あ、あそこの人と同じものを」
と注文した。
「かしこまりました」
ウェイターもやはり、日本人離れをした顔つきだった。背も高く痩せていて、色が抜けるように白い。
「天使じゃない?」
佐助がそう言った。
「え?天使がここで働いているわけないでしょ?」
「それはわからないよ。ビードロのマスターも言ってたじゃない。人の姿をして潜り込んでいるってさ」
まあ、天使と言われたら、そういう風貌をしている気もするけど。
運ばれてきたお料理は、野菜ばかりだった。
「ここでは肉料理は食べられないんだね。ずっと」
佐助は悲しそうにそう言った。
私は特に気にならなかった。もともと野菜が好きだったし、肉料理はあまり好きなほうではなかったから。どちらかといえば、魚料理を好んで食べた。ただし、ここでは魚も出てこないようだったが…。
「ねえ、ここの人たち、あまり食べていないのね」
周りのテーブルを見ると、お皿に盛ってあるお料理に手をつけている人が、ほとんどいなかった。時々、フォークで一口食べては、お酒を飲んで陽気に話を続ける。
「ゆっくりと食べているんじゃない?なにしろ時間だってないんだし、いつまでだって、ここでくつろぐこともできるんだから」
「あ、そうか。急いで食べる必要がないのね」
私たちはそれでも、出てきたお料理をあっという間に食べてしまった。お腹がそれだけ空いていたのだから、のんびりと食べているなんて、佐助も私もできなかったのだ。
「野菜だけじゃ、満足感がないよなあ」
佐助はそう言うと、ため息をついた。
その時、誰だか知らない人が近づいてきた。50代くらいの男の人だ。
その人は黙って、私たちのテーブルにつき、佐助の顔をなぜか懐かしそうに見た。
「えっと…。もしかして僕を知っていますか?」
佐助はその人に、ナプキンで口を拭いてから聞いた。
「君の名前は?」
逆に向こうが名前を聞いてきた。ということは、佐助を知っているわけではないのかな。
「佐助です」
「苗字は?」
「さあ?多分、ここに来る前の人生も佐助だと思うんですけど、名字は思い出せなくて」
「記憶を失っているのか!」
その人は驚いた表情をしたが、すぐにまた穏やかな顔になり、
「そうか。ああ、それでなのか」
と深くうなづきながら、そう言った。
「え?」
「いや、こっちの話だ。それで、こちらの御嬢さんは?」
「楓です」
「君もまた、記憶をなくしているのかい?」
「はい。そうなんです。そういうのって、ありえると思いますか?」
私はその人に聞いてみた。
「さあ。僕も最近ここに来たばかりで、わからないなあ」
この人も最近来たっていうことは、最近亡くなったっていうことなのかしら。
「あの、失礼ですけど…。あなたは来世にいくつもりなんですか?」
佐助はその人に聞いた。
「ああ、今、来世に行くことを決意したよ。やり残したことがあるんでね」
「それはいったい?」
「夢の叶え方を間違えたんだ」
「間違えた?」
「ああ。やり方を間違えてしまった。それをここに来ても、後悔しているんだよ。そしてもう一つ、どうしても気になることがあったんだ」
「え?気になること?」
「自分の息子だ。もう一回会いたいとも思っていた。僕の死を、きっと悲しみ、苦しんでいるだろうからね。彼もつらい人生を背負っていた。いや、背負わせてしまった。それが僕の一番の後悔だ」
「それも来世で、償うつもりですか?」
「…いいや。どうやら、それはしなくても済みそうだ」
「え?」
「食事が済んだから、僕は部屋に戻るよ。せっかく2人でくつろいでいるところを、邪魔して悪かったね」
「いいえ」
その人は優しい目で佐助を見て、もう一回口を開いた。
「最後に聞いてもいいかい?」
「え?」
「佐助君は楓さんと、もしかすると何度も転生を繰り返し、出会っているのかな?」
「はい。戦国時代から始まって、何回も…」
「ここに2人でいるということは、この前の世で初めて、2人は結ばれたのかな」
「さあ。ただ、2人でいるのだから、同時に死んだんだとは思いますけど」
佐助がそう答えると、その男の人は目を細め、一瞬暗い表情になった。
「…こうやって見ていると、幸せな恋人同士に見えるが」
その人は目を伏せて、小声でそう言った。
「はい。幸せな恋人同士ですよ?」
佐助は何も驚くこともなく、ひょうひょうとそう答えた。
「そうか。そうだろうな。先ほどから見ていたが、仲睦ましい2人に見えていたから」
「…見てたんですか」
佐助は少し照れながらそう言った。
「ああ、すまなかった。邪魔したね。ではごゆっくり」
その人は軽く会釈をすると、カフェを出て階段を上って行った。
「佐助を知っていたんじゃない?」
「あの人?でも、名前を聞いてきたよ」
「だけど…。佐助を見る目が、やけに懐かしそうに、愛しそうに見ていたから」
「そうかな」
「見覚えのある顔じゃなかった?」
「うん。まったく」
「そう…」
私たちはそのあともお酒を注文して、しばらく会話を楽しんでいた。
なぜだかわからないが、佐助と話していると、前世の記憶を思い出し、
「そういえば、あの時、こんなことがあったよね」
と言いながら、笑いあえた。
辛かった出来事も、悲しかった出来事も、今はなぜか全部が懐かしく、笑って話すことができる。
「不思議ね。いろんな過去世の記憶は思い出せるのに」
「うん。すぐ前の人生はまったく思い出せない」
「たとえば、流行っていた曲やテレビ番組、見た映画は思い出せるの」
「好きだった花や、香り、そして好きだった料理の味まで思い出せるよ」
「なのにね…」
自分の名前、住んでいた場所。両親。家族。友人。仕事。そういったことはまったく思い出せない。一人として自分と関わっていた人のことも、思い出せないでいる。思い出してもみんな、芸能人だったり、著名人の顔ばかりだ。
「あの俳優が好きだったの。ほら、この歌覚えてる?」
私が歌うと、佐助は、ああ知ってるよと嬉しそうにうなづいた。
「その歌が主題歌の映画。なんていったかなあ。あの映画のタイトル」
「ゴースト。かなり前の映画じゃない?ロードショーではしていないでしょ?」
「そうね。DVDを借りて観たんだわ。佐助も観たことあるの?」
「ああ、観たよ。殺されても、愛する人を助けようとするんだよね」
「…あの女優が好きだったの。佐助は誰とこの映画を観たの?」
「覚えていないよ。もしかすると楓とだったかもしれないね」
「そうね」
私はワインを一口飲んで、うっとりと佐助を見た。その時もお酒を飲みながら映画を観て、こんなふうに佐助を眺めたかもしれない。
「他には?男優では好きな人いなかったの?」
「う~~ん。そうね。ブラッド・ピットが好きだったわ」
「ふうん。面食いなんだね」
「くす。そう?あの人の映画で、死神になった映画があった。すごく綺麗だったのよ。この世の人とは思えないくらい」
「ここのウェイターみたいに?」
「確かに。あのウェイターも綺麗だけど…」
私はウェイターのほうを見た。すると、ワインを持って、開いたワイングラスに注いでくれた。
「ありがとう」
「いいえ、ごゆっくり」
ウェイターはそう言って微笑み、カフェの奥へと消えて行った。
「…あの人は天使だとして…」
私は佐助に顔を近づけ、そっと話し出した。
「ここには、悪魔や死神もいるのかしら」
「…いないんじゃない?」
「え?」
「だって、死んでいる人ばかりなんだから、まず死神の役目はないだろう」
「死神の役目って何?」
「人の命を奪う…とか?」
「そうなの?そんな役目だった?」
「さあ。わかんないよ。僕は死神じゃないしね」
佐助はそう言うと、ワインを飲んだ。
「佐助は?どんな女優さんが好きだった?」
「僕は、日本人の女優かな。でも、誰っていうのはなかったみたいだ」
「じゃあ、どんなことに興味を持っていたの?」
「さあ。スポーツ選手をなんだかよく覚えているようだから、スポーツかな」
「あとは?何をよく覚えている?」
「政治。やたらと詳しいみたいだ」
「ああ、私も。だけど、政治家の顔はあまり思い出せないの」
「楓も?じゃあ、総理大臣の名前は?」
「さあ…。昔の総理大臣なら、思い出せるけど」
「やっぱり?僕らは政治に詳しいなら、総理大臣や他の政治家のことも思い出せてもいいと思わない?」
「…身近にいた人だからかしら」
「政治家が?」
「そう!政治家の何かを掴んで、殺された」
「また推理ごっこ?」
「スパイだった話を先にしたのは、佐助の方よ」
「そうだったっけ?」
「覚えてないの?」
「あはは。覚えているよ。でも、あとで考えたら相当ばかげてたかなって。僕はきっと、スパイ映画が好きだったんだろうね」
「マフィアの映画もじゃない?ゴッドファーザーとか」
「あはは。そうかもしれない。今でもまた、頭の中をゴッドファーザーの音楽が流れだしたから」
「頭の中じゃないわ。実際に流れてるわよ。このカフェで」
「え?あ、ほんとだ。偶然にも」
「偶然じゃなくて、佐助があの曲を頭に思い描いたから、流れてきたんじゃないの?」
「ああ、それも叶うのか。すごいね」
「私のさっきの曲は流れなかった」
「ゴーストの主題歌?だって、君が実際に歌ったじゃない。歌ったからもう、叶ったも同然だよ」
「そういうもの?」
「多分」
佐助はゴッドファーザーの曲に合わせて、鼻歌を歌った。佐助が歌いだした途端、その曲が消えてしまった。佐助は、
「ね?」
と言って私の顔を見た。
私たちはカフェを出て、部屋に戻った。
「とりあえず、明日もここにいよう。何か記憶を思い出す手がかりが見つかるかもしれないしね」
「ねえ、佐助」
「え?」
「今、ひらめいたの。あのウエイターや、カウンターにいた人が天使なら、あの人たちに聞いたらいいんじゃない?」
「ああ、そうか。なるほどね。じゃあ、今日はもう遅いから、明日聞こうよ」
「ええ!」
私はバスルームでパジャマに着替え、それから歯を磨いて化粧を落とし、さっさとベッドに潜り込んだ。
「おやすみなさい。佐助」
「ああ、おやすみ」
佐助もベッドに入って、スタンドの電気を消した。
部屋が一気に暗くなったが、外から月の明かりがさしこんで、真っ暗にはならなかった。
「月の明かりだ。ロマンチックね、佐助」
そう言って佐助を見ると、佐助は背中を向けたままで、何も佐助からの返事はなかった。
「寝たの?」
何とも寝つきのいい人だ。
「おやすみなさい、佐助」
私はそっとささやいて、それから目を閉じた。そしていつの間にか、眠っていた。