第7話 ホテル「赤い屋根」
広場を抜けると、驚いたことにいくつもの宿が立ち並んでいた。
「確か、住宅街しかなかったわよね?」
私がそう言うと、
「この街は不思議な街だな…」
と佐助はつぶやいた。
「どこがいい?楓」
宿の立ち並ぶ一角の前で立ち止まり、佐助が聞いてきた。
「そうね。あそこなんてどう?」
屋根が赤い、洋風の木でできた建物を私は指差した。
「うん、そこにしよう」
佐助は私の背中に手を回して歩き出した。目の前に来ると結構大きな建物で、看板には、『赤い屋根』と書かれていた。
「赤い屋根っていうホテルかしら」
「わかりやすいね」
佐助は笑いながら、建物のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
大きな広いロビーの奥に、カウンターがあった。
「あ、あの…」
私も佐助も辺りを見回しながら、カウンターに行った。
吹き抜けの高い天井。ロビーの隣には、ジャズのかかっているカフェ。そこには数人の人がテーブルについていて、朗らかに笑ったり、ゆったりとくつろいでいる。そしてそのカフェには、大きな暖炉もあった。
「夜、冷え込むんですか?」
暖炉にはまだ、火はともっていなかったが、私はなんとなく気になりそう聞いてみた。
「そうですね。冷え込む日もありますね」
カウンターにいる男の人は、穏やかな表情で答えた。
今度はそのカウンターの人を見てみた。声は透き通り、肌の色は抜けるように白い男の人だ。髪は栗色、目の色も明るいブラウン。顔立ちからして、日本人らしからぬ顔をしている。
「お泊りですか?」
「はい」
「ツインでよろしいですか?」
佐助は私のほうをちらっと見た。私が軽くうなづくと、
「ええ、ツインでお願いします」
とその人に答えた。
鍵を受け取り、私たちは階段を上って2階に行った。階段はロビーの中央から、ぐるりと輪を描くように2階へと続いていた。
そして吹き抜けになっているカフェを、2階の廊下から見ることができた。カフェの奥にはピアノも置いてあり、カウンターにはバーテンダーもいて、そこにも数人の人が座り、お酒を飲んでいた。
「なんだか、どこかの町のホテルみたい」
「うん」
「とてもここが、死後の世界とは思えないわ」
「そうだね」
佐助は静かにそう言うと、廊下を歩きだし、鍵の番号にかかれてある部屋のドアに鍵を差し込んだ。
ガチャ。ドアが開くと、中から何かいい香りがした。
「何の匂い?」
「白檀だわ」
部屋に入ると、まず大きな洗面台のあるバスルームが右側に見えた。のぞいて見ると、大きな浴槽があり、ゆったりとお湯をはって、入れそうだった。
「お湯をためようか?お風呂、昨日入れなかっただろ?」
「ううん。夜中に目が覚めて入ったわ」
「そうだったんだ。でも、お湯をためておくよ」
「うん、ありがとう」
佐助はバスルームに入って行った。私はそのまま、奥の部屋へと進んだ。
部屋は大きかった。大きなベッドが二つ。ベッドカバーとカーテンが同じ模様で、シックなベイズリー柄をしている。
明かりはほんのりとオレンジ色で、落ち着いた雰囲気のある部屋だった。
「あ、意外と大人っぽいシックな部屋だね」
佐助がバスルームから出てきて、そう言った。
「なんだか、見覚えがある気がする」
「うん。僕もだ。多分、どこかの世で、泊まったホテルなんじゃない?」
「そうか…」
カーテンを少し開いて、外を見てみた。
「あ、月も星も出ている。見て、佐助」
佐助はカーテンを思い切り開け広げ、
「ここ、バルコニーがあるよ。出てみない?」
と言って、窓のカギを開けた。
ガラガラ…。
大きな窓を開け、佐助はバルコニーに出た。
「あ、ちょっと肌寒くなってきたね」
私もバルコニーに出てみた。
「うん、でも、気持ちのいい風が吹いているわ」
「月、綺麗だ。生きていた時に見た月よりも、大きく感じるけどね」
「そうね。大きいわ」
佐助の肩にもたれかかって、私は空を見上げた。
「なんだか、穏やかで不思議」
「ん?」
「昨日は、殺される恐怖を味わっていたというのに」
「そうだね」
「昨日のマンションも静かだった。だけど、不気味な静けさだったわ。でもここの静けさは、とても落ち着く」
「僕もだ」
佐助は私の腰に手を回し、そして私のおでこにキスをした。
「楓、よかったの?ツインで」
「え?」
「同じ部屋にしてよかったの?」
「…なんで?」
「なんでって…。昨日は別々の部屋に寝たじゃないか」
「だけど、ベッドは別々よ?昨日はほら、一つの部屋にベッドは一つだった」
「う、う~~~ん。まあ、そうだけど」
佐助は難しそうな顔をしてそう言うと、私の腰に手を回したまま、部屋へと移動した。
「開けていたら寒いね」
佐助はようやく私から離れ、窓ガラスを閉めた。
「お湯、たまったみたい。お風呂に先に入ってきてもいい?」
「うん、いいよ」
「着替えでもあったらいいんだけど、昨日からこの服だし」
「あるかもよ。クローゼット開けてみたら?」
佐助にそう言われ、クローゼットを開けた。驚いたことにそこには、男物のスーツと、女物のスーツが入っていた。
「本当だ。あった!」
「こっちにも入っているよ」
佐助はベッドの横にあるチェストを開けていた。
「女性用のブラウスと、それに男物のシャツ」
それから佐助はその下の引き出しを開け、
「ああ、ここには下着と靴下と、ストッキング。それに、パジャマもある」
と私のほうを見てそう言った。
「ほんとうに?」
私は佐助の横にすっ飛んで行き、中を覗いた。
「あ!」
下着は私が今、身に着けている下着と同じブランドで、同じ形をしている。
「何で…?」
「なんでも揃うようになってるんだね」
「え?」
「この部屋だって、僕たち好みの部屋だ。そう思わない?」
「うん、私、こういう雰囲気の部屋大好きだし、この白檀の香りも大好きなの」
「思った通りのものが、揃うようになっているんだね。そんなようなこと、さっきの人も言ってたっけ」
「広場で会った人?」
「うん」
「そうね」
私は引き出しから下着とブラウスを出して、それからバスルームに行った。
石鹸や、シャンプー、リンスはどうやら、いつも使っているものなのか、香りが自分にやけになじんでいる。
「すご~~い。きっといつもこれを私は使っていたんだわ」
感嘆の声をあげた。なんだかわからないけど、嬉しくなった。
それからバスタブにつかり、
「は~~~~」
と息を漏らした。
ここには、叶わないものなんてないんじゃないの?じゃあ、ずっとここにいてもいいかもしれない。佐助だってここにいてくれる。こんな幸せってないかもしれないんだわ。
バスタブから出て、バスローブを羽織り、髪を乾かした。それからそのままの姿で部屋に行くと、
「あれ?着替えは?」
と佐助が聞いてきた。
「うん。もう少しくつろいでから、着替える」
「…そう」
佐助はそう言うと、視線をはずした。
「じゃあ、僕も入ってくるよ」
「うん。ゆっくりあったまって」
「ああ」
私は部屋の隅にあるソファーに座った。その横にはサイドボードがあり、グラスにはどうやら、お酒が入っているようだった。
「佐助が飲んでいたのかしら」
口をつけてみると、バーボンの味がした。
「ふう…」
一口飲んで、ソファーにもたれかかった。
部屋はあったかかった。時計もないし、テレビがあるわけでもないので、今が何時かもわからない。だけど、それが逆に私をリラックスさせ、深く穏やかな気持ちにさせてくれた。
「生き返る飴…かあ」
佐助はどうしたいのかな。生き返りたいんだろうか。それとも…。
そんなことを思っていると、佐助が髪をバスタオルで拭きながら、やっぱりバスローブを着てバスルームから出てきた。
「このバスローブ、気持ちいいね」
「でしょ?くつろげるでしょ?」
「あれ?お酒飲んでるの?」
「佐助が飲んでいたんでしょ?バーボン」
「いいや」
「え?でも、ここに置いてあったわよ」
「何もなかったよ。そこには」
「え?」
私は手にグラスを持っていたが、それを慌ててテーブルに戻した。
「お酒でも飲みたいって思った?楓」
「うん。そのバスローブを着た時、バーボンを飲んでソファーに座っている私をイメージしたわ。ほんの一瞬ね」
「だから、そこにあったんじゃないの?」
「あんな、ほんの一瞬のイメージで?」
「ほんの一瞬でも、叶うんだよ、きっと」
すごい。
「佐助は?何かイメージしたり、叶えてる?」
「僕?」
佐助はベッドに深く座って、
「そうだな」
と考えた。
「僕のイメージしていたのは、ただ楓が隣にいることくらいかな」
「え?」
「ああ、そのバスローブ姿。ほんのちょっとイメージしたかも」
「これ?」
「色っぽいからさ」
え?!
「昨日、そういえば、一緒の部屋で寝られたらいいなって思っていたかも。昨日思ったことまで、叶うのかな…」
ええ?!
佐助はそんなことまで、思っていたんだ。
なんだか、いきなり意識をしてしまった。佐助と2人きりの部屋。バスローブの私たち。そして、バーボン。
部屋はほんのりオレンジ色した、ムードのある部屋。そして白檀の香り。
これじゃあ、まるで、新婚旅行にきた、結婚初日の夫婦みたいじゃない?
そうか。同じ部屋に泊まるというのは、もう二人の関係がそうなっても、かまわないっていう前提のうえでのことだったんだ。
そんなこと何も考えていなかった。ツインって言うことは、ベッドが二つだし、特に問題はないって、安易に考えてしまっていた。
「楓」
「え?」
ドキン。佐助がベッドから立ち上がり、私に近づいてきた。
「どうする?」
「え?な、何が?!」
「これから…」
これから?これからって、まさか…。
「そ、そんなことを聞かれても、困る」
「そうだよね」
佐助はふうって息を吐き、窓の外を眺めた。
「僕もいったいどうしたらいいか、迷ってしまっている」
「え?」
「飴をなんで持っていたんだと思う?生き返るために僕らは、どこかで天使にもらったんだろうか」
「あ…」
これからって、そのことね。なんだ。ああ、びっくりした。
「そ、そうよね。記憶にないだけで、私たちはこの世界に来てから、天使にもう会っていたのかもしれないわよね」
「こっちの世界に来てから、記憶をなくした?」
佐助は私のほうを振り返り、聞いてきた。
「その可能性もあるでしょ?」
「なんのために?」
「そこまではわからないけど」
「…天使に会うわけにはいかないみたいだし、この謎は解けないようだね」
佐助はため息交じりにそう言った。
「うん、そうね」
私も思わず、ため息をついた。
「生き返ったところで、私たちは殺される運命なのよね」
「だけど、あの人が言っていたよね?天使にシナリオを変えてもらえたって」
「ええ」
「殺されないシナリオにも、変わるかもしれないよ?」
「だけど、殺されるくらいの何かがあったってことでしょ?そこまで変えてもらえるのかしら」
「天使なら、なんでも可能な気がするけどね」
佐助はそう言って、またベッドにドスンと座った。
「…佐助は、生き返りたいの?」
「楓は?」
「私はこのままでもいいわ」
「このままって?」
「ここにいてもいいわ。なんでも叶うし、佐助もそばにいてくれる」
「本気?」
「佐助はそうは思わないの?」
「うん。僕はここに居座るつもりはないよ」
「どうして?」
「ここで何が叶うんだい?確かに思ったら叶う場所だ。だけど、結局はこの街を出ることもできないんだ」
「そうだけど…」
「結局は、自由じゃないってことだよ」
「自由?」
自由ってなんだろう。じゃあ、生き返ったり、来世に行ったら自由になれるっていうの?
「楓…」
「え?」
佐助は私をじっと見つめた。
「どうしたらいいか、まだはっきりとしないなら、はっきりするまではここにいようか」
「…うん」
「そうだね。ここには、時間なんていうものもないんだ。ゆっくりとしてみよう。焦る必要はない。彼が言っていたようにね」
佐助はまるで自分に言い聞かせるようにそう言って、穏やかに微笑んだ。