第17話 過去生の想念
私は佐助の隣のベットに、潜り込んだ。佐助は私を見て、ホッとした顔をしている。
「なんか、まだ光の里にいるみたいだね」
佐助がそう言った。
「うん、本当に」
私はじっと佐助の顔を見ながら、うなづいた。
「ねえ、佐助はいつ飴を天使からもらったの?」
「…父さんの葬儀場からちょっと離れたところに、車を止めていたんだ」
「…うん」
「車から出て、いつもは吸わないたばこを吸って、むせたりしてさ」
「…うん」
「悔しさやら、悲しさやら、ショックやらで、どうしていいかもかわらないくらい、頭の中がぐるぐるしてて、何で父さんは死んだんだろうとか、いったい何のために生きてるんだろうとか、死んだらどうなるんだろうとか、あれこれそんなことまで、悩みだしてて」
一緒だ。私もそんなことを思っていたところに天使が来た。じゃあ、佐助のところにもその時に?
「道路の端に座りこんで、泣きそうになっていたら、具合が悪いんですかって近づいてきた男がいて…。それが天使だった」
「私には葬儀場の受付をしていたら、やってきたわ」
「…天使が?」
「うん、私の名前を知っていたからびっくりした。幸せになれる飴だって言って、これをくれたの」
「…僕の名前も知っていたな。こいついったい、誰なんだって不審に思ったけど、あなたの疑問を解決してくれる飴だって言ってた。そして次の瞬間には、どこかに姿を消してしまった」
「そうだったの」
「…ねえ、覚えてるかな」
佐助は、小声で私に聞いてきた。
「光の里で、僕を懐かしそうに見ていたおじさん」
「…あ!ホテルのカフェで会った人、あの人、佐助のお父さん…」
「うん。あの時には記憶をなくしていてわからなかった。でも、父さんは僕らのことを知っていて、声をかけてきたんだ」
「そ、そうよね」
「僕らがあの里にいることは、きっと驚いただろうね。死なないと行けない世界だし。でも、僕らが幸せそうで、安心したのかもしれないね」
「うん。きっと、そうね」
「夢の叶え方を間違ったって言ってた」
「ええ」
「…でも、穏やかな顔をしてた」
「よかったわね、佐助。ちゃんとお父さんに会えて」
「…ああ」
佐助はそう言うと、静かに天井を見た。
「よかったよ。本当に」
そうつぶやくと、瞼を閉じた。
「佐助…。眠る?」
「うん。なんだかまだ、意識が朦朧としているんだ」
「うん、じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ…」
佐助はそう言うと、すぐに寝息を立てた。
私はしばらく、佐助を見ていた。そうして安心して、私も眠った。
明日には、どうなっているんだろうか。わからないけど、私はすべてを天使に任せることにした。
翌日になり、父がお見舞いに来た。
「佐助君、本当にありがとう」
父は深々と、佐助に頭を下げた。
「…え?」
佐助がものすごく驚いている。
「娘を命をかけて守ってくれて」
「…」
佐助は言葉を濁した。だが、
「…楓さんが無事で、なによりです」
と一言だけ、父に向かって佐助は言った。
「刑事が今、廊下にいる。いろいろと話を聞きたいと言っているが、佐助君はもう体の方は大丈夫なのか?」
「はい。大丈夫です。心配をおかけしてすみません」
「いや、佐助君も無事で本当に良かった。楓、君にも事情を聞きたいと言っているが、大丈夫か?」
「…あ、はい」
「そうか。じゃあ、病室に呼ぶから」
父はそう言って、病室を出て行った。
「佐助。シナリオのこと…」
「ああ、大丈夫だよ」
佐助は私を見てにこりと笑った。
刑事が入ってきた。私たちは天使に言われたシナリオ通り、刑事の質問に答えていた。
「では、犯人を捕まえることに全力を尽くしますので。それまで、西条さんが御嬢さんにはSPをつけると言っていましたが、くれぐれも気を付けて行動をしてください」
「はい」
「それでは、お邪魔しました」
刑事は出て行った。
「ふう」
私はほっとして、椅子に座った。
「緊張した」
「楓、SPがつくの?」
「みたいね…」
「なんだか、大変なことになってしまったね。犯人なんて絶対に捕まらないわけだし」
「あ、そうよね。捕まるまでSPがつくっていうことは、私、ずうっとSPつきの生活をしていないとならないのかしら…」
私はそう思うと、ちょっと窮屈な感じがして、またため息が出た。
「先生になんだか、嘘をついているのが辛かったよ」
「嘘じゃないわ」
「え?」
「いつだって佐助は、私を見守って来てくれたじゃない」
「…だが、今世は…」
「幸せになるって、決めたんだもの。もう、後悔したり、自分を責めたりするのはやめましょう」
「……そうだね。そういうことをずっとしてきて、輪廻転生を繰り返してしまったんだもんな。僕らは」
「ええ…」
「幸せになる…。そう決めたら、それだけでよかったのに」
「そうよ。あ、そうだわ。剛君に会ったのよ。今度はみんなで幸せになって、笑顔で会おうって約束もしたの」
「剛君は元気だったかい?」
「元気だった。見違えるように」
「そうか、よかった」
「ね。すべては天使に任せて、私たちはただ、幸せになる、それだけを望んでいたらいいんだと思うわ」
「…そうだね」
「佐助。退院したら、一緒に暮らせる?」
「うん、一緒に暮らそう」
佐助にそっとキスをした。きっと、何もかもがうまくいく。そう信じながら。
その日は、一度家に戻った。着替えをして、お風呂に入り、病院に泊まれるように、着替えや下着を持って、また佐助のいる病院に行った。
私の周りには、SPがいた。ちょっと距離を開けながら、私のことを見はっていた。SPは3人。その中の一人を見て、私はびっくりした。目の色が薄いブラウン。髪もブラウンで抜けるように白い肌。思わず、
「なんで天使が私のSPをしているの?」
と聞きに行きそうになってしまったくらい、びっくりしてしまった。
本当にこの世界にも、天使は人間のふりをしてまぎれているんだなあ。だけど、目の色と髪の色、肌の色でわかってしまう。相当目立っているから、他の人にもわかりそうなものなのに。
でも、びっくりしたけど、こんなに近くで見守っていてくれていると分かり、私は心底安心した。
病院に入ろうとしたその時、その天使のSPが近寄ってきて、
「楓さん。何があったとしても、大丈夫です。安心していてください」
とそう言った。
「…ええ」
私はうなづき、天使から離れ、病院に入った。
病室の前に行くと、誰かの声が中から聞こえてきたのがわかった。女の人の声だ。
誰だろう。佐助のお母さんの声とは違うみたいだし。
トントン。ドアをノックした。すると佐助の、
「どうぞ」
という声が聞こえた。
「お邪魔します」
私はドアをそっと開けた。すると佐助のすぐそばに、綺麗な女の人が立っていた。髪は長く、巻き毛だ。顔立ちははっきりとしていて、日本人離れをしている顔立ちだ。
「楓さん?」
その女性から、私に話しかけてきた。
「はい」
「…初めまして。私は、塚本美奈子といいます」
「…え?」
名前だけは知っている。佐助の恋人だった人だ。
「佐助さんのお見舞いに来ました。それから…」
美奈子さんは黙り込み、佐助のほうを見た。
「美奈子。悪いけど僕はもう、君とよりを戻す気はないよ。さっきも言ったけど」
佐助がそう言うと、美奈子さんはボロッと涙を流した。
「お願い。楓さん」
え?
「私に佐助さんを返してください」
美奈子さんは私に向かってそう言うと、深々とお辞儀をした。
「え?」
ど、どういうこと?
「美奈子」
佐助が顔を持ち上げて、
「僕は、楓と別れるつもりはないんだ」
とそう力強く言った。
「ど、どうして?婚約だって今回のことで、破棄されたんじゃないの?」
「父の自殺のことで?」
「ええ」
美奈子さんは顔をまた、佐助に向けた。
「わからない。昨日西条先生がお見舞いに来てくれたが、婚約の話は何もしていかなかった」
「…佐助さんの政治家への道は、閉ざされたって父も言っていたわ。ね?私と結婚して父の会社の後を継いで。父だったら私が、いくらでも説得するから」
待って、待って。どういう展開に今、なっているの?
すべてがうまくいくんじゃなかった?なんで今、佐助の恋人だった人が、現れたりするの?それも、どうして佐助と私を引き離すようなことを言っているの?
うまくいかないようになっているの?まさか…。
『何があったとしても、大丈夫です』
天使の言葉が、どこからか聞こえてきたような気がした。
ああ、そうだ。天使がついていてくれるんだ。大丈夫。安心していよう。
「あの…」
私は気を取り直し、美奈子さんに話しかけた。
「父は、佐助が私の命の恩人だと言っていました。確かに、政治家になるのは、難しいかもしれませんが、私と佐助がそんなことで、婚約破棄になったりはしないと思います」
「え?」
美奈子さんが驚いた顔で私を見た。
「まだ、佐助さんを縛りつけておきたいの?」
美奈子さんは今度は、私を睨みつけながらそう言った。
「え?」
「私と佐助さんは、結婚の約束もしていたわ。でも、あなたのお父様がそれを引き裂いたのよ。自分の跡継ぎにするために。愛してもいないあなたと結婚することを、佐助さんは承諾した。だけど、もう結婚する意味もなくなったんだから、いつまでも佐助さんを縛っておくのはやめてください」
「……」
スウ…。また、血の気が引いた。いったいなんで、こんなことをこの人は言っているの?
「美奈子。僕は楓を愛してるよ」
佐助が静かにそう美奈子さんに言った。
「うそよ」
「うそじゃない。本当だ。だから…、楓の命を守ったんだ。命に代えても守りたいってそう思っていたんだ」
「う、うそよ」
「これから、僕らは幸せになるって決めた。自分たちの意思で、結婚もして一緒に暮らすことも決めた」
「じゃあ、私は?」
「美奈子には悪いと思っている。でも、君にはもっと僕よりもふさわしい人がいるよ」
「そ、そんな…」
美奈子さんが泣き崩れた。
「私は、また佐助さんとよりを戻せるって、そう信じていたのに」
「ごめん」
「今度こそ、邪魔はさせないって」
「……ごめん」
美奈子さんの顔が、なんだか違って見えた。それに、すごく怖い表情をしている。
「私は、楓さんをずっと憎んできて…」
「美奈子。もう、よそう。過去は過去だ」
「…佐助さん」
「君と僕では、幸せにはなれないよ。きっと同じことを繰り返すだけだ」
「…」
「ごめん。僕のことはもう忘れて、幸せになって」
「……」
美奈子さんはハンカチで口を押えながら、病室を出て行った。
「…」
私はどうしていいかわからず、そのまま立ち尽くしていた。
「前世で、僕がヨーロッパに戻ってから結婚した人…」
「え?」
「その生まれ変わりだよ。美奈子は」
「そうだったの?」
「過去世でも君を恨んでいた。君のことを僕は、彼女に話したことがあって。どうしても彼女を愛せず、心はいっつも君を求めていた。病気になり彼女とも別れた」
「だから、今度こそ、佐助と幸せになりたいって思っていたの?」
「…いや。彼女は僕を愛していたわけじゃなかった。きっとね」
「どういうこと?」
「前世で別れる時、彼女は僕に未練があったわけじゃないんだ」
「え?」
「君だよ」
「私?」
「ずっと君という存在に嫉妬していた。だから、君から僕を奪いたいっていう、その念だけが残ったんだ」
「…あなたのことを愛していたわけじゃないの?本当に?」
「…君に対する憎しみだけで、きっと生まれ変わったんだと思うよ」
「…そんな」
「だから、さっさと僕らのことは忘れて、自分の本当の幸せを見つけてほしいって、そう僕は願っているよ」
「…」
私は佐助のベッドの隣に座り込み、佐助の手を握りしめた。
「ねえ、私たちは幸せになっていいのよね?」
「もちろんだよ」
「美奈子さんは、私と佐助が結婚したら、また憎んだりしない?」
「…それは、美奈子の問題だよ。僕らは僕らで、幸せになったらいいんだ」
私がこの生で、佐助に出会わなかったら、美奈子さんが佐助と結婚して幸せになっていたんだろうか。ふと、そんなことを感じてしまった。この生では、私よりも美奈子さんのほうが先に、佐助と出会っているのだ。後から出てきて、まるで佐助を取ってしまったような形になったのは、私の方なのだ。
私は、いったん病室から出た。そして花瓶の水を変えに行った。すると、どこからともなく、SPの天使が現れた。
「…楓さん」
「あ…。あなた、どこにいたの?」
「どこにでも」
え?
「何か、悩んでいますか?」
「…ちょっと、美奈子さんのことで。あ、それがあなたにはわかるの?」
「楓さん。今まで起きてきたことも、すべて必然ですよ」
「え?」
「楓さんよりも、美奈子さんのほうが今世では先に、佐助さんと出会ったのも、それもまた必然なのです」
「……」
「そうして、彼女がここに来たのも」
「……」
「大丈夫です。彼女が本当に幸せになることを望んだら、彼女の世界は変わります」
「幸せを望んだから、あの人はここに来たんじゃないの?」
「いいえ。過去の念から来たのです」
「どういうこと?」
「輪廻転生…。過去の念にとらわれたまま、生まれ変わり、その念をはらしにきたのです」
「…」
「カルマともいいます」
「そのためだけに?」
「そう。今を生きず、過去の…、それも過去世の想念をいまだに持ち続けているのです。そんな人がこの世にはたくさんいるのですよ」
「今を、生きずに?」
「カルマを開放した時に、今に生きられるようになります」
「…カルマを?」
「そうです。カルマなど、単なる過去のゴミのようなものです」
「え?そうなの?そういうのって、ちゃんと今世で取り組まないとならない課題なんじゃないの?」
「そんなものはありません。すべてが人間が勝手に作り出したものですから」
「ええ?」
私はその天使の言葉に、驚いてしまった。