第16話 書き換えられたシナリオ
天使は佐助の顔を覗くと、瞼に手を当てた。すると佐助は、いきなり道路に体を投げ出し、意識を失ってしまった。
「何をしたの?」
「痛みに苦しんでいたから、少し気絶をさせました。大丈夫。命に別状はない。天使が保障するのだから、保険に入るよりも安心ですよ」
天使はそんな冗談を言った。
「じょ、冗談言ってる場合じゃ」
「冗談を言ってる場合ですよ。それだけ、大丈夫ということです。楓さん、もっと私たちを信頼して」
天使にそう言われた。
「私たち?」
「そう。私だけじゃない。他にもあなたたちを見守っている天使や精霊がたくさんいます」
「私たちに?」
「そう。目には見えないだけで、今も周りにいますよ」
私はあたりを見回した。だが、何も見えなかった。
「楓さん、そろそろ私は消えます。もうすぐ救急車は到着する。いいですか?これからが重要なところです」
「え?」
「あなたは、自分が佐助さんを刺したと言ってはならない」
「で、でもそれが真実よ」
「いいや。その真実はもう、変わっています」
「ど、どういうこと?」
「私がシナリオを変えてしまいました」
「ええ?!」
「あなたたちが、幸せになると願った瞬間に、もうシナリオは変わっているんです」
「ほんと?本当に?」
「もちろん。だから、ここに私がいます。本当なら、私は現れたりしない。君が佐助さんを刺して、そのナイフで、佐助さんが君を刺す」
「それが、私たちが書いたシナリオなの?信じられないわ」
「心の奥底でできあがってしまったシナリオです。表面では結婚できることや、今度こそ、どちらかが先に死ぬようなことがないようにと願っていた」
「…深層心理ではなんで、こんなお互いが殺し合うようなシナリオになってしまったの?」
「一つは叶っていますよ。あなたたちは同時刻に息を引き取る。誰にも見つけられず、ここで重なるようにして」
「そ、そんなの、叶ったって言えないわ」
「それに、結婚もです。結婚はできないとしても、婚約はしましたよね?」
「あれは、無理やり父に…」
いったいなんなの?私は佐助を怖がっていた。最初から。そして佐助は私を憎んでいた。憎むような目つきで、いつも私を見ていた。
「前世で楓さん、あなたは何を望みましたか?」
「え?」
「佐助さんと別れる時、恨んでもいい、憎んでもいいと、そんなことを願わなかったですか?」
「ね、願ったわ。忘れてほしくなかったから」
「ほら。それがちゃんと、叶った…」
だから、恨まれていたの?そんなことって。
「だからね、楓さん。本当は何を望んでいるのか、しっかりと自分の心を見ないとならないんですよ」
「ええ、それはこっちに戻ってくる前にも、あなたに聞いたわ」
「じゃあ、もう本当に望んでいるものしか、願わないですね?」
「ええ」
「じゃあ、いきなり男が来て、刺されそうになったところを、佐助さんが助けに来て、代わりに刺されてしまったと言いなさい」
「そんな嘘を?」
「それが真実に変わる」
「え?だけど、ナイフを見たらすぐにわかるわ。私の指紋がしっかりとついている」
「これですね?」
天使はナイフを持ってきた。そして、佐助の隣に置いた。
「大丈夫。別の人間の指紋もつけました」
「え?」
それ、大変なことなんじゃないの?
「待って。そうしたらその人が、犯人になってしまうわ」
「大丈夫ですよ。どんなに探しても、その人は見つかることはない」
「ど、どうして?」
「もう、この世にはいないからです」
「だ、誰の指紋なの?」
「天使の指紋です」
「え?」
「以前はこの世界で生きていた…」
「でも、今は…」
「そう。天使になることを選択して、あなたを見守っています」
「…」
「だから、安心して。わかりましたね?」
「わかったわ。言われた通りにするわ」
天使は私がそう言った瞬間、いきなり姿を消してしまった。そして彼方から、救急車のサイレンが聞こえてきて、どんどん近づいてきた。
「佐助。もう、大丈夫だからね」
私は涙をこぼしながら、そうずっとつぶやいた。それは、救急車に乗り、病院に着くまで言い続けた言葉だった。
病院では、すぐに手術がおこなわれた。私は手術室の前のベンチに座り、ずっと目を閉じて、天使にお願いしていた。
どうか、佐助を助けて…と。
「大丈夫だよ、そんなに深刻な顔をしないでも。絶対にお兄ちゃんは助かるから」
いきなり、隣からそう言う声が聞こえ、びっくりして私は顔をあげた。
「つ、剛君?」
そこには、ちょっとだけ背が伸び、日に焼けた剛君の姿があった。
「やあ、お姉ちゃん。久しぶり」
「剛君。元気になったの?」
「うん。去年、心臓の手術をして大成功でさ、今は時々通院して様子を見ているけど、もうすっかり元気だよ」
「去年?」
「飴を食べたのは、お姉ちゃんたちよりも、ずいぶんと前だったんだろうね。だから、月日の流れが違っちゃってるんだ」
「そう。そうだったの。でも、会えてよかった。ほんと、元気そうでよかったわ」
「当たり前じゃん。俺には天使がついてるんだぜ?なんでも叶えてくれるさ」
「そうよね」
私はそう言って、剛君をベンチに座らせ、剛君にいろんなことを聞いてみた。
「今は、家族と幸せに暮らしているの?」
「うん」
剛君は笑顔でうなづいた。
「前世でやぶだった医者がまた、俺の主治医なんだ。でもね、今回は必死に俺のこと治そうとしてくれたんだよ。きっと前世での償いを今世で、してくれようとしてるんだね」
「そう。それで、もう恨んでいないの?剛君は」
「うん。まったく。だって、本当に俺のことを、大好きだってわかるから。だから、俺もあの先生大好きなんだ」
剛君はそう言って、にかっと白い歯を見せた。確か、自分のことを僕って言っていたのに、今は俺なんて言葉を使っているんだね。
「じゃあ、お母さんは?」
「母さんも、一緒の母さんだ。前世で俺が死んでから、めちゃくちゃ後悔したみたいだね。今世では、本当に大事にしてくれてる」
「そうなんだ。よかったじゃない」
「俺は一人っ子なんだ。生まれつき心臓が弱かった。欠陥品だったんだよね。でも、それ、俺が願ったことなんだ」
「え?どういうこと?」
「俺ね、復讐がしたかったって言ったろ?前世での母さんを、生まれた時から苦しめたかったんだよね」
「…」
「そんなシナリオを書いたんだ。バカみたいだよね。今世、本当に母さんは苦しんで、俺が心臓弱いのも、自分のせいだって苦しんで、必死に働いてためたお金で、どうにか手術ができたんだ」
「そう」
「でも、その代わりに母さんが、体を壊しちゃった」
「え?じゃ、じゃあ今は?」
「うん、元気だよ。俺を産んでから、父さんと仲たがいして離婚したんだけど、今は再婚して、すごく幸せに暮らしてる。新しい父さんは、すんごく優しくて、俺のことを大事にしてくれるしね」
「よかったわね」
「うん。何もかもうまくいって、みんなが幸せになるって、今はいっつも、それを願っているんだ」
剛君の目は輝いている。きらきらとまぶしいくらいに。
「俺、母さんの笑顔、大好きなんだ。それに父さんの笑顔も好きだし、先生の笑顔も好きだ」
「そう…」
なぜだか、私は涙があふれてきてしまった。
「お姉ちゃんや、お兄ちゃんの笑顔も好きだから、いつでも笑顔でいられるよう、幸せになって」
「うん。わかったわ。約束する」
「うん。きっとまた何年かしたら会えるよ」
「そうね」
「その時はみんな元気で、笑顔で会おうよ」
「ええ、そうね」
剛君はにっこりと笑ってからベンチを立ち、
「じゃあね。母さんが受付で会計してるから、もう戻るよ」
と言って、手をふりながら廊下を歩いて行った。
どうして、一階のロビーから、ここまでやってきたんだろう。不思議だったが、でも気にしないことにした。
きっとそれもみんな、天使が手配をしてくれたんだろう。
私は背筋を伸ばして座った。
「大丈夫。天使。あなたたちを信じてる。私はもう泣かない。笑って幸せになることを選択するから」
そうつぶやくと、どこかで優しい鐘の音が聞こえたような、そんな気がした。
手術室が開いた。医師が中から現れ、
「無事、済みましたよ。もう大丈夫です」
と私に優しく微笑みながら、そう言ってくれた。
良かった。佐助!
ううん、助かるのは当たり前なんだ。
だけど、私は嬉しくて、天使たちにいっぱい、いっぱいお礼を心の中で叫びながら言っていた。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう」
何度も何度も。
佐助はずっと麻酔が効いていて眠っていた。私は佐助が起きるまでついていたくて、ベッドの隣に簡易ベッドを用意してもらい、そこに寝ることにした。
警察から、事情を聴きたいという申し入れがあったが、佐助が目を覚ますまで待ってくださいと断った。とりあえず、誰かわからない男にいきなり殺されそうになり、逃げたことと、佐助が助けに入り、刺されてしまったことを告げた。
「どんな男ですか?」
「覚えていません。必死で逃げていたので」
「だけど、背がどのくらいでとか、そういうことは覚えてるんじゃないですか?」
私はなぜか、光の里で会った人を思い出し、その人の特徴を言った。
「背は高かった。あ、メガネをかけていたかもしれない。年は30代半ばか、後半」
そう。あの生き返りの飴の話をしてくれた、あの人のことだ。
ごめんなさい。と謝りながら、私は刑事にそう言っていた。
それだけを聞くと、刑事は病院を去って行った。
佐助。
簡易ベッドに横になって、佐助の寝顔を見た。佐助の寝顔は、光の里で見た寝顔と同じだった。
また、涙があふれた。無事でよかった。天使、本当にありがとう。
涙で枕が濡れた。そしていつの間にか、私は眠りについていた。
翌朝、いや、明け方かもしれない。まだ窓の外が明るくならないうちに、私は目が覚めた。
すぐ隣のベッドに寝ている佐助を、私はベッドから下りて見に行った。
スウ。スウ。
規則正しい、寝息の音。一気に私はほっと安心した。
「ん…」
佐助が、ゆっくりと目を開けた。
「佐助。気がついた?」
私は身を乗り出し、佐助の顔を真上から見た。
「楓?ここは?」
「ここは、病院よ」
「え?」
「手術をしたの。何針も縫ったし、出血多量だったから、輸血もしたのよ」
「そう」
佐助は他人事のように、そう相槌を打つと、私の顔をじっと見て、
「警察は、ここに来た?」
と私に聞いてきた。
真剣な目だった。きっと、私のことを心配しているのだ。
「もし、どうして刺したかを聞かれたら、僕に殺されそうになったことを言うんだよ?楓」
「そんなこと言わないわ」
「え?」
佐助は目を丸くした。
「天使がね、もうシナリオは書き換えられているって言っていたの」
「シナリオ?」
「そうよ。あなたは、私が誰かに襲われそうになっているところを、助けてくれて、刺されてしまった」
「だけど、あの果物ナイフは」
「そう、私が持っていた。抵抗しようとしてナイフを私が振りかざしたのを、犯人が逆上して私の手から抜き取り、私を刺そうとしているところを、佐助が助けに入り、刺されてしまった。というのが、今回のシナリオ」
「そんな嘘を」
「嘘じゃないわ。これが真実になるって天使が言っていたわ」
「だけど、犯人はどうするんだい?」
「いるの」
「え?」
「あ、この世にはいないけど、一応、いるっていう設定になっているわ」
「そんな…。そんな設定でうまくいくのか?」
「天使がすべてを創っているのよ、保険に入るよりも保障されているって、天使が言っていたわ」
「そんな冗談を?」
「そう。ユーモアがあるわよね」
私がそう言うと、佐助はちょっと呆れたっていう顔をした。
「佐助」
私は佐助の顔をまた覗き込み、そして佐助にキスをした。
「助かって、本当によかった」
「楓…」
佐助はまだ暗い顔をしていた。きっと、私を殺そうとしていたのが自分だったということが、ショックなんだろう。
「いいのよ。そんなに暗くならないで。今はもう、佐助は前の佐助とは違うんだから」
「でも…」
「私を恨んでしまったのは、私の責任なの」
「え?」
「前世でね。あなたと別れる時、私はあなたに恨まれてもいい、憎まれてもいい。だから、忘れないでって、願っちゃったのよ」
「ああ、それは聞いたことがあったね」
「それが叶っちゃっただけよ」
「…だから、僕は、君に会ってからずっと、なんでだかわからないけど、憎かったんだね」
「え?」
「憎くて、それなのに、忘れられなくって。結婚が決まった時にもショックだった。恋人がいたしね。だけど、父にも、楓のお父さんにも、反発はしなかった」
「そうね」
「今、わかったよ。憎いのに、楓と一緒にいることを選んだのは、心の奥底では惹かれていたんだ」
「え?」
「だから、君がお父さんの企みを知っていると知り、僕は逆上した」
「でも、父は何も企んでいないわ」
「わかってる」
「え?」
「冷静になったら、わかることだ。君のお父さんはいつでも、まっすぐで、正直で、綺麗な心の人だった。そんなところに僕も、父も惹かてれいたんだ」
佐助は落ち着いてそう話し、それから一息ついて話を続けた。傷口が痛いのか、それともまだ麻酔がしっかりと抜けていないのか、休みながら、佐助はゆっくりと話している。
「…君のお父さんを退けたい人間が、きっとそんな噂を流したんだ」
「そうかもしれないわ」
「君にも恋人がいたよね?」
「正志さん。でも、私、もう好きじゃないわ」
「僕は、彼をぼこぼこにしちゃった。謝らないとな」
「謝る必要なんてないわ。あの人、父をまったく信頼していないんですもの。それに、私と一緒になりたいのが目的で、あんなことを言っていたのよ?」
「いや、それだけじゃなくて、僕は嫉妬して、きっとなぐっちゃったんだと思うよ」
「え?」
「君の恋人だったっていうだけでね」
「…」
「ところでさ、僕らは婚約しているんだよね?」
「それも、もしかして破談になってしまうかも」
「しょうがないよね。でも、そんなの関係ないかな。僕は楓と結婚するって決めて、この世界に戻ってきたんだし、それは天使が叶えてくれるんだろ?」
「そうよね!そうだわ」
私は嬉しくて、佐助に抱きついた。
「あ、ちょっと痛い。なんだかだんだんと痛くなってきた」
「麻酔が切れてきた?」
「いや、今、楓が抱きついたからだと思うんだけど」
「ご、ごめんなさい」
私は慌てて、佐助の上から飛びのいた。
「楓、キスだったら大丈夫だから」
佐助が甘えるようにそう言った。私はそっと佐助の唇に、自分の唇を重ねた。
「愛してるよ、楓」
「私もよ」
佐助の目は優しかった。
気がつくと、白檀の香りがどこからか漂い、遠くからはジャズの音楽が聞こえていた。




