第15話 殺される?!
体が冷え切った頃、ようやく葬儀は終わった。でもまだ、たくさんの人が残っていた。
義理姉がまた来て、
「楓ちゃん、もうここは大丈夫よ」
と優しく言ってくれた。
「これであったかいものでも買って」
義理姉は私に小銭をくれて、それから兄と一緒に葬儀場をあとにした。
義理姉は優しかった。2人の暮らしはけして豊かではなかったし、父が援助をしているわけでもなかったが、義理姉はよく兄に尽くし、幸せそうに暮らしていた。
「私も、帰ろうかな」
カバンやコートを取りに行こうとしたが、あったかいものを飲みたくなり、義理姉がくれた小銭を持って、外の自動販売機を探しに行った。
だいぶ離れたところにぽつんと、自動販売機があるのを見つけた。
ガチャン。あったかいお茶のペットボトルが出てきた。私はそれを取り出して、両手をあたためた。
「ああ、なんだかずいぶんと歩いてきたんだわ」
道路には車が、時々しか通っていなかった。ヘッドライトでたまに道路が明るく照らされるくらいで、その辺りは電燈もあまりなく、薄暗かった。
雑居ビルが立ち並び、少し向こうには飲み屋も見えた。だが、日曜だというのに、どの店も閉まっていた。
そうか、ここがオフィス街に近いからか。日曜に人なんて、いないんだわ。
私はとぼとぼと暗い道を歩き出した。
両手はだんだんとあったまっていった。だが、足先は冷えたままだ。
「ああ、これからいったい、父はどうなるのだろう」
気が重かった。
カツン。カツン。私のヒールの音だけが鳴り響くくらい、辺りは静かだった。
メインの大通りから一つ路地に入ると、さらに道は暗くなった。
時折、どこからもなく犬の遠吠えが聞こえてくる以外は、ほとんどといっていいほど、物音がしない。
カツン…。
カツーン。
カツン。
カツーン。
私以外の足音が、後ろからしている?
私は後ろを振り返った。だが、人の姿はどこにも見えなかった。
ゾク。さっきの黒いマントの人を思い出した。彼かもしれない。そういえば、靴音が似ている気がする。
カツン。カツン。私は歩く速度を速めた。
どこからここに来たっけ?私、いったいどの道を曲がってここに来たの?
胸がバクバクしてきた。なんだろう、この胸騒ぎ。
雑居ビルの中に、明かりが見えるビルがあり、人がいるかもと思ってそこへ急いだ。
そのビルに着くと思ったその時、ビルとビルの間から、突然人が現れた。
「きゃ!」
その人は私の腕を、思い切り掴み、私をビルとビルの間に、連れ込んでしまった。
「さ、佐助さん?」
暗がりでもわかった。佐助さんの刺すような視線。
「聞いたよ」
「え?」
佐助さんの声は、低く冷たい、まるでロボットのような声だった。
「聞いた。僕の父親が、罪をかぶせられ、自殺するまで追い込まれたってこと」
ああ!そうだった。
「それ、正志さんから聞いたんでしょう?でも、違うのよ」
「何が?」
佐助さんはさらに私の腕を掴んでいる手に、力を入れた。
「痛い…」
ものすごい力だ。私の腕がこのまま、折れてしまうかもしれない。
「君も知っていたんだろう?君の父親がすべて仕組んだことを」
「違う。父は何もしてないわ」
「正志ってやつだけじゃない。マスコミのやつもさわいでいた。どうにか、西条のしっぽを掴めないかって」
ひどい!
「それを信じたの?なんで?あなただって、私の父を信頼していたじゃない」
「僕は、それ以上に、僕の父親を信じていたさ!」
ブチッ!
次の瞬間、私の真珠のネックレスを佐助さんは引きちぎった。
道路に真珠がたたきつけられ、そのまま四方八方にコロコロと真珠は転がって行った。
そして佐助さんは、私の首に両手を当てた。
まさか、私を殺そうとしているの?
佐助さんからは、ものすごい殺意が感じられる。
私、殺される!
バシッ!
手に持っていたペットボトルで、思い切り私は佐助さんの顔を殴った。
「いって~~」
佐助さんが私の首から手を離したすきに、私は走り出した。
逃げるしかない。でも、どこに?
葬儀場に戻ろう。あそこに行けば、誰かが助けてくれる!
走った。追いつかれないように、路地にあるいろんなものを倒しながら、私は走った。
佐助さんは、それをどかしながら、走ってくる。
ああ、あの人のほうがずっと余裕で走っている。
追いつかれるのなんて、時間の問題だ。
私は路地から大通りのほうに出た。誰かいるかもしれないという必死の思いもむなしく、やはりそこには誰の姿もなかった。
そこに一台、車が通った。
「待って!止まって!助けて!」
そう叫んで手をふったが、車は止まらずそのまま、走り去って行った。
「止まってくれるわけがないだろう」
佐助さんの声が響いた。そして一歩ずつ、近づいてくる。
私は道路に飛び出した。4車線もあるその道路は、向こう側に渡るまでかなりの距離がある。それでも必死で私は走った。
私の走るあとに、佐助さんは余裕の顔で追いかけてくる。だが、そこに一台の車が走り抜け、佐助さんは立ち止まるしかなかった。
「チッ」
舌打ちの音が聞こえた気がした。でも、そのすきに私は、必死で道路を渡りぬけた。
ありがたいことに、何台かのトラックが道路を走り、佐助さんは道路の真ん中で立ち往生をしなくてはならなくなった。
「今だ」
私はただただ走った。ビルが立ち並ぶオフィス街に。きっとあそこなら、人がいるはずだ。
お店だって開いているかもしれないし、交番だってあるかもしれない。
ただ、ひたすら走った。
はあ、はあ、息が切れる。
オフィス街に私はいつの間にかいた。だが、誰にも会えないでいた。
日曜日、それももう9時だ。誰かが残っているわけがないのか。
はあ、はあ。お願い。誰か、誰かいて!
願いもむなしく、私の靴音だけが響く。
メインストリートからは、また離れていた。見つからないようにとビルの谷間を抜け、どんどんと私は暗い方へと走ってしまったようだ。
ああ、これじゃ、誰にも助けを求められないじゃないか。
足がパンパンだった。黒のパンプスはいつも履いているものよりも、ヒールが高かった。
痛い。足がずきずきと痛む。
もう、歩けない。そのくらい私は走った。でも、止まれない。
痛い。
ズキズキと足が痛む。私はビルの影にしゃがみ込んだ。
その時、スカートのポケットに何かが入っているのに気がついた。
「何?」
中から取り出してみると、折り畳み式の果物ナイフだった。
「ああ、そうだ。さっき、スカートのポケットにしまったんだわ」
私はナイフを開いた。そして両手で持った。
ナイフを持つ手が震えた。
カツーン。
足音が響いた。
来た。あの足音、佐助さんの靴の音だ。
カツーン。カツーン。
ドキドキ。どんどん靴音が近づいてくる。
私の手はもっと震えた。寒さでだけじゃない。これで、佐助さんを刺して、隙をねらって逃げよう。 そう考えると、怖くて手がぶるぶると震えるのだ。
殺されるくらいなら、ナイフで刺そう。こんな小さなナイフ、ほんのかすり傷にしかならないかもしれない。
だけど、何もしないよりもましだ。
いや、刺す箇所によっては、かなりのダメージを与えられるんじゃないか。
そんなことが脳裏に浮かび、その考えが怖くなり、もっと手が震えた。
人を刺すなんてこと、そんなこと…。
カツン。カツン。
足音が早くなってきた。私がここにいるのが、わかったのか。
はあ。はあ。息を整え、震える手をどうにか抑えようとした。
あ、そうか!息だ。白い息が暗闇の中で浮かんでしまったんだ。
私は息を殺した。ものすごく苦しかった。
カツン…。
靴の音が目の前で止まった。
はあ…。怖さで唇が震え、真っ白の息が漏れた。
「見つけた」
凍り付くような、佐助さんの声。
もう駄目だ。殺される。佐助さんからの殺意は、さっきよりも強かった。
震える手をどうにか抑え、私は立ち上がると同時に、佐助さんめがけて、ナイフを突きつけた。
「うっ!」
佐助さんが、唸るような声をあげ、その場にしゃがみこんだ。
やった。やってしまった…。
佐助さんを刺したナイフが、真っ赤に染まっている。私の手はぶるぶると震えた。ナイフは私の指から離れないでいた。
「うう…」
佐助さんの呻き声が聞こえた。佐助さんの胸を押さえた手の隙間から、血が流れ出しているのが見えた。
私はそんなにも深く刺してしまったのだろうか。もっと私の手はぶるぶると震えた。
私はガタガタと震えながら、その場に立ち尽くしていた。すると佐助さんがよろよろと立ち上がり、私に向かってきた。
ああ、逃げないと!
佐助さんは胸をまだ、手で押さえている。真っ青な顔をして、私に近づいてくる。その顔が般若の面のようにも見えて、私の足は動かなくなってしまった。
怖い。今度こそ、殺される!
佐助さんの手が、私の手に近づく。ああ、ナイフを奪うつもりだ。
どうしたらいいの?もう一回、刺す?でも、もう、そんなこともできない!
佐助さんの胸から流れる血を見て、私は足ががくがくに震え、卒倒しそうになっていた。
「ナイフをよこせ」
佐助さんの声は、ますます怖くなっている。
「い、嫌!」
「よこせ…」
私の手に佐助さんの手が触れた。それに佐助さんの血も…。
ブワ!
何?走馬灯のように、目の前にいろんな場面がぐるぐると駆け巡る。
「姫!楓姫!」
戦国時代の佐助。私を探し求める佐助の声。
一面の煙。
病院のベンチ。佐助が苦しそうにしている。私は佐助の背中をさすっている。
そして煉瓦つくりの喫茶店。私は泣くのを必死で耐え、佐助に別れを告げている。
そして、ホテルの部屋で、私は優しい佐助の腕に抱かれ、幸せを満喫している。
「さ、佐助」
佐助が目の前で、胸を押さえている姿が見えた。
「佐助?」
佐助の胸からは、血が流れている。そして私は、血だらけのナイフを持っている。
私が、佐助を、刺したんだ!!!!
「佐助!嫌、死なないで」
佐助は私の手からだらんと手を垂らすと、そのまま、倒れこむように座り込んだ。
「佐助!嫌。死なないで、佐助!佐助!!!」
私はナイフをほっぽりだし、佐助に抱きついた。
「お、大声、出さないで、楓」
「佐助!」
「傷に響く…」
「…佐助。待ってて、人を呼んでくるから」
「待って、ここにいて、楓」
「駄目。救急車を呼んでもらうから!」
私は必死に走りながら、
「誰か、誰か助けて!誰か、佐助を助けて~~!」
と叫んだ。
声が出なくなるくらい、大きな声で。喉がつぶれるくらい、大きな声で叫び続けた。
「どうしたんですか?」
一人の人が、暗い路地から忽然と現れた。
「佐助が、佐助が…!お願い。救急車を呼んで」
その人は私の手や体についいている血を見て、慌てて携帯を取り出し、救急車を呼んでくれた。
「佐助って人は今どこにいますか?」
「こっちです」
私はその人の腕を掴み、佐助のもとへと走った。
佐助は道路にうずくまり、苦しんでいた。
「佐助、今、救急車呼んでもらったからね」
「楓。よかった。戻ってきた…」
「佐助、ごめんね?ごめん、私…」
私はまた佐助に抱きついた。
「謝るのは、僕の方…だ」
「え?」
「君を守ると言いながら、殺そうとしていたのは、僕だった」
「ううん。ううん、佐助」
私は最後の最後、飴をなめる時、思ってしまった。
どんなことがあっても、幸せになると。
そして、こんな大変なことが起きてしまったんだ。
だから、これはすべて、私の責任だ。
「大丈夫」
私が連れてきた人が、力強くそう言った。
「どんなことがあっても、幸せになるんでしょう?だから、なれます」
「え?」
私は驚いてその人を見た。黒のスーツ、黒の靴。だけど、肌の色は透き通るように白く、髪と目は明るいブラウンだった。
「天使?」
私は思わず、そう言ってしまった。
「え?」
佐助もうずくまったまま、私の言葉を聞き返した。
「いつでも、私たちが見守っています。幸せになることを願ったんだから、それを叶えますよ」
天使はそう言って、優しく微笑んだ。
ああ、この人だ。飴玉をくれたのは。死神なんかじゃない。天使だったじゃない。
「そんな黒いスーツを着ているから、死神かと思った」
私がそう言うと、天使はまた笑って、
「葬儀に行くのに、真っ白のスーツは着ていけないですからね」
と優しい声でささやいた。