第13話 結ばれる
私たちがホテルに着くと、フロントには天使がちゃんといた。カフェにも天使のウェイターがいて、カフェは、にぎわっていた。
「今日は開いているのね」
「そうだね。昨日はこんな時間から、開いていなかったけどね」
佐助はフロントのカウンターまで歩いて行き、天使に話しかけた。
「昨日も今朝もいなかったですよね?」
「いましたよ」
天使はあっさりとそう答えた。
「だが、ここにはいなかった。僕たちは君には会えなかった。それにカフェも開いていなかったよ」
「そうですか。では、そう佐助さんが願ったんではないですか?」
佐助はびっくりしていた。
「僕が願った?」
私も佐助の横に行き、
「佐助はそんなこと願ってないわ」
と天使に言った。
「では、楓さんが願ったのではないですか?」
「私が?いいえ。その逆です。あなたに聞きたいことがあったから、会いに行って話を聞こうって思っていました。それを願っていました」
私はちょっと、天使の言っていることに腹が立って、ぶっきらぼうな言い方で返答した。
「…それはもしかすると、『明日、このホテルの天使に会って、話を聞こう』と願っていませんでしたか?」
「え?」
私と佐助は顔を見合わせ、
「そうよ。夜も遅かったし、明日聞こうって思ったわ。それが?」
と天使に聞き返した。
「明日なんてこの里には、訪れません」
「え?」
「日にちもないし、時間もない。明日聞こうということは、永遠に聞けないということと一緒です」
またわけのわからないことを言っている。私の頭がガンガンした。
「何で明日がないの?実際に昨日から明日になっているじゃない」
「まさか!昨日から今日になっただけです。そして昨日という日もありません。存在しているのは、今日だけ。それも今だけですよ?」
「そうか。じゃあ、明日聞こうではなく、今聞こうと思えば叶ったということか」
佐助がそう天使に聞いた。
「そうですね。今すぐに天使に聞こうと思っていただけたら、その瞬間にドアがノックされ、私はあなた方のドアの前に立っていたかもしれませんね」
「だけど…」
「言いたいことはわかります。もといた世界には未来というものが観念の中にあり、時間の流れもある世界に住んでいたのですから」
「え?」
天使の言葉に私はまた聞き返した。
「明日聞こうではなく、天使に聞いたらわかると思ってくだされば、そのようになりました。すべては楓さんが思うように、願うようにこの世界は創られていきます」
「光の里はそういう世界だから?」
「いいえ。ここだけではなく、宇宙全体がそういう世界なんですよ」
「そうか。3次元の世界でもそうなんだね?」
佐助が天使に身を乗り出して聞いた。
「はい」
天使は優しく穏やかに微笑んだ。
「…私の願いを、本当に本当に聞き入れてくれるの?」
私は天使に、半信半疑で聞いてみた。
「あなたが私を創りだしたのです。そんな創造主の望みを聞かないわけはありません」
天使がそう答えた。
「あなたのことも、私が創った?」
「ええ、天使はあなたが創りだしました」
驚いた。あの犬の飼い主と、ここにいる佐助だけ創りだしたのかと思っていた。
「楓さん。本当に心から望むことを願ってください」
「え?」
「それを見つけてからでも遅くはないですよ」
「何が?」
「飴をなめるのをです」
「…知っているのね」
この天使はなんでも、きっと私の心の内をお見通しなんだ。
私たちは部屋に戻った。
佐助はベッドに深く腰掛け、そして私のことを自分の隣に座るように呼んだ。
私が佐助のすぐ隣に座ると、
「何か迷ってるの?楓」
と私の肩を抱き、そう聞いてきた。
「いいえ。迷ってないわ」
迷ってなどいない。ただ、望むことは一つだけだから。
「どんなことを望んでる?」
「え?」
「もし、これが叶うなら、これは犠牲になってもいいとか、もし、これが叶うのなら、他のものはいらないとか、そんな願い方はしないで、楓」
佐助がそう言って、優しく私を抱き寄せた。
「佐助は?何を願っているの?」
「記憶がなくても関係ない。僕は楓と結婚をして、家族を持ち幸せに暮らす」
「え?」
「仕事もうまくいく。家族みんなが健康だ。豊かに暮らしていて、いつでもみんなは笑顔なんだ」
「佐助…」
私と同じことを思っていたの?
「楓が幸せならそれでいいと最初は思った。だけど、本心は違うんだ。僕が楓のすぐそばにいて、一緒に幸せになりたいんだ。楓と家族も持ちたいし、ずっとそばにいたい。何よりもそれを望んでいるのに、なんで楓が幸せならそれでいいだなんて、言ってしまったのか、そんなことをずっと考えていたんだ」
「佐助…」
「そんなことをしたら、また僕は死んだあと後悔して、生まれ変わることを選択する」
佐助は私のことを、強く抱きしめた。
「楓、一緒になろう。幸せに暮らそう」
「未来の話じゃなくて、それは今すぐの話ね?」
「え?」
「今すぐ、私たちは幸せになったら、きっと元の世界に戻っても、私たちは一緒にいて、幸せになるんだわ」
「そうだね。未来はないと天使も言っていた。今、幸せなら、永遠の幸せだね?」
私も佐助を抱きしめた。
佐助の鼓動が聞こえた。そうだ。生きているからこそ、鼓動がするんだ。この世界に来てから、ずっと心臓の音を聞いていたじゃないか。
怖くてドキドキしていた時もあったし、佐助と一緒にいてドキドキしていたこともあった。
「楓…」
「え?」
「お風呂ためてくる」
「え?どうして?」
「あったまりたいから」
「うん」
佐助はベッドから立ち上がると、バスルームに行ってしまった。
私は窓の外を見に行った。バルコニーに出ると、優しい光が私を照らした。
「綺麗な空」
空には白い竜の形をした雲がたなびいていた。
「竜かもしれないわね、あれ」
そんなことを思いながら、のんびりと空を見ていた。
バルコニーの下を数人の人が通り、ホテルの中に入って行くのがわかった。
今日、この光の里に着いた人たちかもしれない。
私のように記憶をなくした人もあの中にいるのだろうか。それとも、みんな亡くなってからこの世界に来たのだろうか。
佐助がバスルームから出てきて、バルコニーまで来た。
「気持ちいい空だね」
「ええ」
佐助と腕を組んだ。佐助は優しく私を見て、
「僕らも、剛君と同じように、何で生まれたのか、自分はなんなのかを知りたがったのかな」
とそう言った。
「そうね、それできっと、天使から飴をもらったのよね」
「殺されそうになって、どうして生まれたかを知りたかったのかな?」
佐助がまたそう言った。
「佐助も殺されるところだったの?」
「僕?いや、あの高層マンションの立ち並ぶところに来た時、唯一残っていた感覚は、誰かを見つけることだった」
「その誰かって?」
「君だよ。楓を見た時、なんとなく直感で感じたんだ」
「私を見つけた時?」
「そう。あの時、ああこの人を僕は探してたって」
「…それで、守るために来たって、そう思ったの?」
「それも、直感。自分の使命みたいに感じた」
「使命?」
「だけど、それは天使だった時の記憶の破片を見たのかもしれないね」
「…」
佐助は優しく私の髪にキスをした。
「楓…」
「え?」
「お願いがあるんだ。これは、天使ではなく、君に直接お願いした方がいいと思うから、天使には願ってないよ」
「な、なに?」
元の世界に戻ってからのこと?佐助の目、真剣だ。
「元の世界に戻る前に、楓と結ばれたいんだ」
「え?」
結ばれる?
「楓も言ったよね?今ここで、幸せになろうって」
「え。ええ」
「楓のすべてを愛したい」
ドキ…。胸の鼓動が早くなった。
佐助の目があまりにも真剣で、その目から視線をはずすこともできない。
佐助は私の髪を優しくなでた。
「さ、佐助、私…」
佐助は私の唇を指で押さえ、私が黙ると、優しくキスをした。
頬が熱い。鼓動が早い。でも、佐助の腕から逃げたいとは思わなかった。
バスタブにお湯がたまると、
「先に入っていいよ?」
と優しく佐助は言った。私はコクンとうなづき、着替えを持ってバスルームに行った。
鏡を見た。顔が赤い。鼓動の速さは今も変わらない。
ドキ、ドキ。生きているって証なんだろうな、この音は。
そんなことを感じながら体を洗い、髪を洗って、バスタブにつかる。
佐助と会って、何日が過ぎたっけ?あまりにも一緒にいすぎて、日にちの感覚なんてなくなっていた。
元の世界に戻ったら、本当に佐助に会える?
いけない。会えるんだ。だって、そう願ったら、そんな世界が創られるのだから。
バスタブから出て、私は髪を乾かした。ぼ~~っとしていて、ドライヤーの熱がうなじに当たり、
「熱い」
と自分でびっくりしてしまった。
はあ…。ドキドキはおさまらない。きっとずっと、おさまりそうもない。
バスローブのまま私はバスルームを出た。佐助は私を見てから、ゆっくりとベッドから立ち上がり、そのまま黙ってバスルームに入って行った。
私は、いきなり心細くなった。ベッドに座ってみたが、また立ち上がり、部屋の中をうろうろとうろついた。
安心しきっていた佐助が、いきなり男に見えた。さっきの佐助の目は、どこか知らない人にも見えたし、熱を帯びたその目は、私を怖くもさせた。
駄目だ。とにかく座ろう。私は部屋の隅の椅子に腰かけた。
そこに、グラスが現れた。一口飲むと、冷たいレモンの香りのついた水だった。
「お酒じゃないのね。そうね。私、今、喉が渇いたって思ったわ。ちょうどこんな水が飲みたかったのよ」
私は落ち着かず、大きな声で独り言を言った。
それから、じいっと椅子に座っていた。
なんだか、こんなことが前にもあった気がする。元いた世界の記憶?違う。
何から何まで、元いた世界での佐助との記憶は消えているので、これはもっと前の世での記憶だ。
いきなり、その部屋の色が変わった。もっと暗く、外も夜になっていた。
大きなスタンドがあり、その明かりだけがともり、そしてバスルームから佐助がゆっくりとドアを開け、現れた。
バスローブを着た佐助。でも、どこか違う。ああ、髪型だ。これ、今ではなく、前世の記憶なんだ。
「楓」
佐助は優しくそうささやき、私を呼んだ。
私は立ち上がり、佐助のもとに歩いて行った。心の底では、まだ怖いと感じているのに、それでも佐助と結ばれたくて、佐助の胸に飛び込んだ。
これはいつの記憶なんだろうか。佐助は優しくキスをした。
「楓。本当に僕がウィ―ンに行っても、いいのかい?」
ああ、そうか。ひとつ前の世での記憶だ。
「ええ、あなたの夢が叶うなら。それが一番の私の願いだから」
「必ず、夢を叶えて迎えに来るよ」
佐助はそう言うと、私をベッドに寝かせた。
私は目を閉じた。佐助は私にキスをして、バスローブを脱がせていく。
胸の鼓動がまた早くなった。ドキドキドキ。
そして目を開けた。佐助の髪型が、また元に戻っていて、部屋には窓からの光が入り、辺りは明るかった。
「佐助、今の…」
「うん。前世の記憶だね」
「…前世でも、結ばれてから、あなたは旅だったのね」
「前世ではね。でも、今度は違うよ」
「え?」
「僕はどこにも行かない。君のそばにいる」
「…ええ、佐助」
佐助は優しく私にキスをした。
佐助の唇も、手も、指も、そして吐息も私は知っていた。
どこかでそれを覚えていて、そしてすべてにときめいた。
愛しくて、愛しくて、涙もあふれてきた。
「佐助」
「ん?」
「愛してるわ」
「僕も、愛してるよ」
何度も何度も、愛してるとささやいた。佐助はそのたびに、優しく答えてくれた。