第12話 決意
私たちはしばらく、そのまま剛君を見送っていた。姿が見えなくなってもまだ、剛君が走り去っていったほうを見て、佇んでいた。
「楓」
佐助が私を見た。
「戻ろう」
佐助の目は真剣そのもので、そして声は力強かった。
「飴を食べるの?」
「ああ、そうだ」
「でも、もしかしたら私たち、向こうの世界では別々に暮らしているかもしれない」
「え?」
「全く違った場所に生きているかもしれないのよ?」
「だとしても、会える。剛君が言ってただろ?3人とも幸せになって再会するって」
「だけど、もしかするとあなたは、別の人と家族を持って幸せになっているかもしれないし、私だって、あなたとは別の人と…」
「楓。それでも、君が幸せなら、僕はそれでいいよ?」
「…」
そうだ。私も前世でそれを願っていた。
ううん。違う。心の奥底では佐助が大好きで、愛していて、そばにいたくって、離れたくなんかなかった。一時だって、離れたくなんかなかったんだ。
「佐助!」
私は佐助に抱きついた。
「もとの世界に戻る前に、せめて今日1日は佐助と一緒にいさせて」
「…」
佐助も黙ってうなづき、私を強く抱きしめた。
ねえ、佐助。佐助の本心はどうなの?
私が別の人と暮らしていて、別の人と家族を持っていても、それでもいいの?
ねえ、佐助。あなたは今、幸せじゃないの?
私はずっとあなたといられて、ずっと幸せだったの。
あの無人のマンションで、あなたに会ってから。ずっと安心できて、どんどんあなたに惹かれて、ずっと嬉しくて、幸せで、ずっとそばにいたいって思った。
前世の記憶の中でも、私はいつもあなたを愛していた。
もし、本当に何でも叶えてくれるなら、私はあなたと共に生き、あなたと幸せになりたい。
ずっとそばにいて、あなたと家族を持つわ。
ずうっとあなたを愛して、ずうっとあなたと寄り添っていくの。
それを天使にお願いする。
私は佐助と腕を組み、広場を抜け、レストランの道まで、心の中でそんなことを願いながら歩いていた。
レストランではまた、あの店員が来た。佐助はトーストとコーヒーを、私はコーヒーだけを頼んだ。
「ねえ、元の世界に戻る前に、ビードロにも行きたいわ」
「そうだね」
佐助はすごく穏やかな顔をしている。ずっと、穏やかに笑い、ずっと私を優しく見ている。
どうして?
もし、別れが来るとしても、それでもいいの?
食べ終わり、私たちはまた広場に戻った。するとそこに、あの犬の飼い主が現れた。
「やあ、楓さん。佐助さん」
天使が私たちに声をかけた。
「え?」
びっくりして、私は佐助の影に隠れた。
「剛君は、さっき、飴を食べました」
天使はそう言うと、隣で大人しく座っている犬の背中をなでた。
「君は向こうの世界に行って、剛君を見守りなさい。きっと、近いうちに、剛君は君に会いたくなる」
「ワン」
驚いたことに次の瞬間、犬の姿が一瞬にして消えた。
「き、消えた!」
「移動したのです。向こうの世界に」
「え?」
「いや、正確には、ミッシェルの波動を向こうの波動と合わせたと言った方がいいかな」
「?」
私には理解できず、また頭がズキンと痛んだ。
「飴をなめると、僕らも波動が変わるんですか?」
佐助がそう聞いた。
「その通り。よくわかりましたね。実は向こうの世界も、ここも、また違った世界も同時に今、ここに存在しているのです」
「ど、どういうこと?佐助、わかるの?」
「う~~ん、なんとなく頭では理解できるけど」
「波動を変えて僕らは、ここにも、他の世界にも行くんですよ」
「3次元の世界の波動に自分を合わせれば、そこに行くっていうことですか?」
「その通りです」
天使がそう言ってから、帽子を取った。そして次の瞬間、綺麗な大きい羽を広げ、頭のわっかをきらきらと輝かせた。
「まあ!やっぱり天使って、そういう姿かたちをしているのね」
私が目を丸くして驚くと、天使は涼やかに笑った。天使から鈴の音でも聞こえてくるような気がした。
「僕がどう見えているか、それはあなたが持っている天使のイメージで見えてるんですよ」
「え?」
私はまた、きょとんとしてしまった。
「自分の目に見える世界は、自分の内側が映し出している?」
佐助はそう天使に聞いた。
「そうです。佐助さん。いろんなことを思い出してきているんじゃないですか?」
「僕は君のように、天使だったことがあるような気がする」
「ありますよ。そして彼女を守っていた」
「え?楓を?」
「それから、人間になって、楓さんといろんな経験をしたいと願ったのです。それが今、実現している」
「じゃあ、僕がなんでだか知らないけど、楓を守らないとって思うのは」
「天使の頃の記憶かもしれないですね」
「…そうなんだ」
佐助は私を見つめた。私はそんな佐助が愛しくなった。
「ですが、佐助さん。天使だったあなたを生み出したのは、楓さんですよ」
「え?!」
「生み出したあなたが、愛しくないわけがない。そして生み出した母である楓さんを、あなたが愛しく思わないわけもない」
「……わ、私が?」
「そう。星や自然を創りだしていた頃、あなたは天使も創ってみた」
「…それが佐助?」
「…佐助もその一人。そして私も」
「え?」
「あなたが創りだした。剛君もです」
「ええ?!」
「だから、彼はあなたを幸せになるよう、願ったんです。そして私はあなたをずっと見守って行きます」
「…」
「元の世界に戻ってからも、あなたたちを見守っていくのが、私の使命ですよ」
天使はそう言うと、大きな真っ白い羽を広げて、空に浮いた。
「では、また会いましょう。姿は見えずとも、いつもあなた方のそばにいます。そして、波動をあなたたちに合わせ、あなたたちに姿を見せるかもしれません」
「天使の姿を?」
私が驚いてそう聞くと、
「人間の姿になって、会いに行きますよ」
と天使は微笑み、そのまま天高く飛んで行った。
「…天に戻って行ったんだなあ」
佐助がそう言った。
「いや、あれは天使の里に戻っただけだ」
突然、後ろからそう言う声が聞こえて、佐助も私もびっくしりて振り返った。後ろにいたのは、生き返りの飴のことを教えてくれた、メガネの男の人だった。
「君たちは死んでいたわけじゃなかったのか」
その人は私たちの会話を聞いていたのか、そう言った。
「はい、まだ死んでいません」
佐助がそう答えた。
「そうか。じゃあ、もといた世界に戻るのか」
「はい」
佐助はうなづいた。
「では、そっちでまた会えるだろう」
「え?もう転生はしないと言っていませんでしたか?」
「ああ、しない。人間としてはいかないさ」
「どういうことですか?」
「いや、天使が言っていたように、もしかすると人間の姿で現れるかもしれないけどね」
「まさか、天使になるんですか?」
佐助が聞くと、
「そうだ」
と、その人はゆっくりとうなづいた。
「え?」
私たちは同時に驚いた。
「…人間でいるよりも、面白そうだ」
そう言って、その人は広場をゆっくりと歩き、街の中に消えて行った。
なんだか、もっと頭痛がしてきた。
「ビードロに行って、休みたいわ」
「ああ、いいよ」
佐助は私の手をひき、歩き出した。
「驚いたね。楓が僕を創っただなんて」
「そんなこと覚えてないわ」
私はそう言ってから、少し考えこんだ。
そういえば、佐助が愛しくてしかたがないのは、私が創造した存在だったからかもしれないんだ。
「佐助」
「ん?」
「私があなたを創ったかどうかは覚えていないわ。でも、あなたが愛しくてしょうがないのは事実よ」
そう言うと、佐助は一瞬目を丸くして、それからはにかんだように笑った。
「嬉しいよ。楓」
佐助はそう言って、またビードロに向かって歩き出した。
ビードロに入ると、懐かしい鐘の音がして、店にはジャズが流れていた。
「やあ、いらっしゃい」
店の奥には、やっぱりマスターがパイプを口にくわえ、新聞を広げている。
「マスター。私にはモカをちょうだい」
「僕はキリマンジェロを」
私たちはそう言って、カウンターの席に着いた。マスターは顎鬚をなで、それからはっはっはと笑った。
「行先は決まったみたいだね?」
マスターが言った。
「どうしてわかったんですか?」
佐助が聞いた。
「目を見りゃ、わかる」
マスターはそう言うと、にこりと微笑んだ。
私たちはお互いの目を見つめ合った。
「いろんな体験をしたがって、いろんな体験をする」
「え?」
マスターのいきなりの言葉に、私たちは思わず、大きな声で聞き返した。
「そして、自分が何者かを忘れ、自分が創りだした世界にのめりこんでしまう」
「…」
マスターは豆を挽きだした。店内にコーヒーのいい香りがたちこめる。
「ただ体験したかっただけなのが、いろんな思考が生まれ、後悔や念、そんなもので縛られるようになる」
「それで?」
佐助が興味を示し、マスターに聞いた。
「そうして、念の中でぐるぐると生き死にを繰り返すんだ」
「それ、もしかして輪廻転生のことですか?」
私はなんとなくピンときて、マスターに聞いてみた。
「そうじゃ。なかなかそこから抜け出せん。次の世では、きっとこれを叶えてやるとか、幸せになってやると思いながら死んでここに来る。シナリオを書き、また転生する。だがな、生きてる間にも、自由に生きたらいいし、シナリオなんていつでも、書き直したらいいんじゃ」
「…生きている間に?」
「天使はいつでもそばにいて、願いを聞いている」
「なんでも叶えてくれるし、なんでも創ってくれる?」
「なんでもじゃ。だから、本当に望むことを望まないと、後悔してまた転生を繰り返すことになる」
「…なるほど」
佐助が納得したっていう顔をして、うなづいた。
「はっはっは。まあ、佐助君も楓さんも、ここに来ていろんなことを知り、思い出したのだから、元の世界に戻っても、本当に心から望むことを叶え、幸せに生きられることじゃろう」
マスターはそう言って、ゆっくりとまたパイプをふかした。
「私たちが死んでいないこととか、元の世界に戻るってことを知っているんですか?」
「ああ、剛君が、息を切らして飛び込んできて、教えてくれたよ」
ああ、そうか。剛君がかあ。
マスターは私たちのために、「星に願いを」のジャズのレコードをかけてくれた。
佐助とその音楽を聴きながら、コーヒーを味わった。
元の世界にこの店はあったとしても、もう、マスターはそこにいないんだ。
そんなことを思うと、胸が締め付けられた。それは佐助も感じていたようで、時折目を赤くして、目頭を押さえていた。
「マスター、いろいろとありがとう」
私はそう言って、店を出る前にマスターにハグをした。
「また会えるさ。ここにずっと私はいる」
マスターはそう言うと、にっこりと笑った。私と佐助は目にいっぱいの涙をためながら、ビードロのドアを開けた。
カラン。懐かしい鐘の音。ドアを開け、石畳の道に立つと、懐かしい鐘の音が、フェイドアウトしていき、私たちが振り返ると、ビードロの姿が変わっていった。
「あ…」
私たちは驚いた。ビードロはあの駄菓子屋に変わっていたのだ。
すると、5~6歳の女の子が石畳を走りながらやってきて、
「この店、知ってる~~」
と嬉しそうにドアを開けた。
ああ、もうここは、あの女の子のための店に変化したんだ。佐助と顔を見合わせた。佐助は、
「ホテルに戻ろうか」
と優しく言った。
私は佐助の腕に腕を回し、私たちはゆっくりとホテルに向かって歩き出した。