表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

第10話 剛君

 ホテルに戻った。フロントにはまだ誰もいなくって、カフェも今日は誰もいないようだ。

「なんで今日は誰もいないのかしら」

「夜になったら、集まってくるかもよ」


 佐助はそう言うと、2階へと上がって行った。

 私も佐助の後を追って、2階に上がった。


 部屋に入るとまた、白檀の香りがした。佐助は、ドスンとベッドに横たわり、うつ伏せのまましばらく動かなかった。

「疲れたの?佐助」


「うん。なんだかね。野菜しか食ってないからかな。なんでここの人はあんなに元気そうなんだか…」

「くす。へんなの。元気も何もみんなもう、死んでいるんだよ」

「ああ、そっか」


 佐助はぐるんと仰向けになり、

「じゃ、なんで僕はこんなに疲れているのかなあ」

とつぶやいた。


 私もベッドに寝転がった。

「私はまだ足が痛いの」

「足?」


「足の裏。マメができちゃっているし、それに擦り傷もある」

「ああ、裸足で逃げていたんだっけ」

「正確にはストッキングでね」


「…怪我、治っていないの?変だね。もう死んでいるのにね」

「そうね。お腹もすくし、トイレも行きたくなる。疲れるし、怪我も治らない」


「生きている時と、あまり変わらない。眠くもなるし、それに…」

 佐助はそのあとを続けず、黙り込んだ。


「それに?」

「なんでもない」

 なんだろう。少しだけこっちを見た佐助は、私に背を向けてしまった。


「眠るの?」

 背を向けたから、寝たいのかと思い聞いてみた。

「いや、ちょっと横になっているだけ」

 

 だったら、こっちを向いてくれたらいいのに。なんだか、急に寂しくなってきた。

「佐助…」

「ん?」


 佐助の声は優しかった。でも、まだ佐助は背中を向けている。

「佐助とはずっと一緒にいられるのよね?」


 そう言うと、佐助はようやく顔をこちらに向けた。

「いるよ。なんで?」


「いなくなったら、ものすごく悲しいだろうなって思って…」

「いるよ。ずっといる。だから、安心して?」


 佐助の目も声も優しかった。

「うん…」

 なんでだかわからないけど、涙が出てきた。


 佐助はしばらく優しい目で私を見ていた。私も佐助を見つめていた。

 なんでこんなに佐助が愛しいんだろう。一緒にいるとなんでこんなに心が、休まるんだろう。


 死ぬ前の人生はいったいどんなだったんだろう。私と佐助の関係は、どんなだったんだろう。どんな出会いをして、どんな恋をして、そして何を思い、何を話していたんだろうか。


「生き返らずとも、記憶を取り戻すだけってできないのかしら」

「生前の?」

「うん」


「さあ。どうだろうね」

 佐助の返事は、あっさりとしたものだった。佐助にはもう、興味のないことなのかしら。

「佐助?」


 佐助はしばらく黙って天井を見ている。

「楓。僕はきっと生前も、楓を愛していたと思うよ」

 佐助はこっちを見るとそう言ってきた。


「え?」

「だからこんなに楓のことが、愛しいんだ」

 ドキン。もしかして同じことを感じていた?


「一緒にいると安心する」

「わ、私も」

「楓も?」


「うん」

 私は自分のベッドから立ち上がり、寝ている佐助のすぐ横に座った。


「私もさっき、それを思っていたの」

 佐助は私の顔をじっと見て、それから私の手を握りしめた。


「じゃあ、楓は…」

「え?」

「僕に抱かれたいって思う?」


「え?!」

「僕は、ずっと思っていたよ。楓が愛しくて、恋しくて、楓を抱きしめたくて、ぬくもりを感じたくて…」

 佐助?


「生前もきっとこんなふうに楓を欲しいって思ったのかな」

 ドキ。いきなり心臓が高鳴った。


 私の手を握りしめている佐助の手を振りほどき、ここから逃げ出したい衝動に駆られたが、どうにか私はそのまま座っていた。


 ドキン。ドキン。

 ものすごく心臓の音が早くなり、大きな音を立て始めた。


 もしかすると生きていた時、私はまだ佐助と結ばれていなかったんじゃないか。だから、こんなにも胸が高鳴り、逃げ出したい衝動に駆られるんじゃないのか。


 だけど、心の奥で、佐助を求めている私もいて、自分の中でもどうしていいかわからなくなっていた。

「私…」

 どうにか私は、声に出して話し出した。


「ん?」

 佐助はまだ手を握りしめ、私のことをじっと見つめている。

「…私、少しだけ怖い」


「何が?」

「佐助が…。ううん。そういう関係になるのが」

「え?」


「なんだか怖い。佐助が大好きなのに、今、逃げ出したいくらい、ドキドキしているの」

「……」

 佐助は優しく私を見て、それからそっと握っていた手を離した。


「うん、わかった」

 佐助の声は優しかった。

「ごめんなさい」


「謝ることはないよ」

 佐助はまた優しく言った。


 何で佐助はこんなに優しいんだろう。私の胸がギュって締め付けられた。


 そして私はますます、生前の佐助のことも知りたくなった。

 きっと佐助は今の佐助のように、私を守り、優しかったんだろうな。

 

 私は自分のベッドに座った。佐助はまた背中を向けて、黙っていた。しばらく部屋でぼ~~っとしていたが、佐助のお腹がぐ~~っと部屋に鳴り響き、私たちは何か食べに行くことにした。


「くすくす」

「楓、もう笑わないで」


「だって、佐助って食欲旺盛だから」

「まだ若いんだから、しょうがないよ」


「佐助と私って、いくつなのかしらね」

「僕は多分、20代半ばってところかな。楓のほうが僕よりも若そうだから、23か24くらいかな?」


「もしかすると私は若作りをしているだけで、もっと年取っているかもしれないわよ?」

「あはは。若作り?それはないんじゃない?すっぴんも見たけど、肌綺麗だったよ」


「……」

 佐助、そういうところもちゃんと見ているんだって思ったら、なんだか急に恥ずかしくなった。


「あ、カフェ開いてるね」

「ほんとだ」

 私たちはカフェに入り、コーヒーとサンドイッチを頼んだ。


 しばらく私たちがのんびりとしていると、ピアノの前に綺麗な女の人が座り、ショパンのノクターンを弾きはじめた。


 それから、お客さんがどんどんカフェに入ってきた。

「この曲、好きだな」

 佐助が言った。もしかすると佐助がそれを願って、あの人が現れ、この曲を弾きだしたのかもしれないな。


「佐助もピアノを弾いていたのかも」

「スパイの次はピアニスト?まあ、ありえるかな。その前の世では、バイオリンを弾いていたしね」

「そうね」


「きっとクラシックが好きだったんだろうな。それって、その前の世の影響大かもしれないな」

「私はジャズ」

「そうなの?」


「うん。ジャズの音楽を聞くと、胸が躍るの」

「へえ」

「私はジャズが、その前の世でも好きだったみたい」


「一つ前の世?昭和の時代?」

「そう。あのビードロ、ジャズが流れていたでしょ?」

「ああ、そういえば」


「あれ、好きだったなあ。なんだかとても懐かしくて、胸が締めつけられたわ」

「へえ。そうだったんだ」

 女の人は次に、「星に願いを」を弾きだした。


「あ…」

 同時に私と佐助は目を輝かせた。


「二人が好きだった曲だね」

 そう、昭和の時代、この曲が好きで、ビードロでもマスターがよくかけてくれたっけ。


 私たちはピアノの音に耳を貸して、しばらく目を閉じ、昔に戻っていた。

 あの頃、私はやっぱり佐助が大好きだった。だから、佐助の夢を応援していた。


 バイオリニストになって、ヨーロッパに行く。その夢を叶えてほしくて、実際にウィーンに行くことが決まった時には、嬉しくて胸がいっぱいになって喜んだ。


 たとえ、別れることになったとしても、私には、佐助が夢を叶えることのほうが、喜びだったんだ。私よりも、夢を叶えることを選んだ佐助を恨んだこともないし、嫌いになったこともない。


 それだけ私は、佐助を愛していた。


 目を開けた。私の目から涙があふれていた。佐助は私のことを、じっと見ていた。

「なんで泣いているの?」

 佐助が聞いてきた。


「…なんでかな。なんだか、今が幸せだからかしら」

 あの時、私のもとを離れて行った佐助が、今、目の前にいる。


 佐助はまた私の手を握りしめた。

「僕も…。幸せだよ」

 佐助はそう小声でささやいた。


 私たちは、カフェを出て外を歩き出した。それから広場に行き、剛君がいないか、広場をぐるっと見渡した。

 もう、犬の飼い主が現れて、剛君は帰ってしまったんだろうか。


「今、何時なんだろうね?」

 佐助が聞いた。

「うん。まだ日も傾いていないし、夕方ではないと思うんだけど」


 私たちは広場のベンチに座った。すると、犬が突然ワンワンと吠えながら、広場を走り抜けて行った。

「あの犬、剛君と遊んでいた犬よ。まさか、剛君の身に何かあったんじゃない?」

 私は立ち上がり、犬が走ってきた方向を見に行った。


「楓」

 佐助が私を呼んだ。振り返ると、犬の飼い主が犬と一緒に広場を駆け抜けていった。


「何かあったのかもしれない。見に行こう」

 佐助も何かを感じたようだ。私たちは慌てて、犬とその飼い主の後を追った。


「佐助、気がついてた?」

 走りながら私は佐助に聞いた。


「何を?」

「あの犬の飼い主」

「うん」


「天使よ」

「え?」


「帽子をかぶっていたからわからなかったけど、今、帽子から髪が見えてた。綺麗な栗色だったわ。それに肌の色、抜けるように白い」

「…そうだったね」


「なんで犬の飼い主が、天使なのかしら」

「わからないな」


 その天使と犬の行先は、街を出てすぐのバスの停留所だった。


「剛君。君は天使の里には行けないんだ」

 犬の飼い主の天使がそう穏やかに言って、バスから剛君を無理やり抱きかかえ、降りてきた。


「離せよ。なんでいけないんだよ!僕は来世に行くんだ」

「駄目だ。君は行っても追い返されるだけだ」


「なんでだよ!僕はもう来世に行くって決めたんだ。決めたら、行けるんだろ?」

 バスは剛君を置いて、発車してしまった。


「待てよ!置いて行くなよ!」

 剛君は天使の腕の中で、じたばたともがきあばれている。


 今、自分を捕まえているのが、天使だと剛君はわかっていないだろう。その隣で、クーンと鳴きながら犬が剛君を見ている。


「何で行かせてくれないんだよ!だいたい、あんた誰だよ。なんで邪魔するんだよ!」

「そうですよ。なんで剛君を行かせないんですか?」

 佐助が天使に近寄りそう聞いた。


「剛君。君はまだ、ちゃんとシナリオを書けていないよ」

「そんなことないよ。僕は知ってるよ。シナリオなんてなんだっていいんだ。ただ、野球選手になる、それだけでも転生できるって、そう教えてくれた人がいるんだよ!」


 ああ、彼かも。昨日飴のことを教えてくれた、一回生き返ってまたここに来たあの人。

「じゃあ、君の来世でしたいことはなんだい?」


 ほとんど天使は剛君を抱きしめるようにして、そう聞いた。

「復讐するんだ」

 え?


「あのやぶ医者と、母ちゃんに」

「それはもう、すでにすぐ前の人生で叶えようとしたよ」


「叶ったの?ねえ。復讐ってちゃんとできた?できたんなら、なんで僕はまたこんな若さで死んでんだよ!」

 剛君はそう言うと、いきなり天使に抱きつきわっと泣き出した。


「僕は、こんな子供で死にたくなんかなかった。もっと長く生きたかった。僕は絶対にいろんな夢も叶えられずに死んだんだ。きっとまた、医者や親や、みんなのせいで!」


「剛君…」

「僕は知ってるんだ。その前の前の人生でも、早くに病気で死んでるんだ。医者が治してあげるって約束したのに、結局治せなかったんだ」


 そうだったの…。

「僕はいっつも、病気になるんだ。それでまだ10歳にもならないうちに死ぬんだ。もう嫌だ。こんなの嫌だ!」

 

 しばらく剛君は泣きわめき、天使に抱きついたまま離れようとしなかった。

 天使は、剛君が思い切り強く抱きついてきたので、帽子が脱げてしまっていた。そして栗色の髪と顔が、あらわになっていた。


 天使の顔は優しかった。ああ、あれだ。絵に描かれている聖母マリアのようだ。

 男の人にも見えるが、女の人にも見える。きっと性別がないんだろう。


 頭の上にわっかがあるわけでもないし、背中から大きな白い羽が生えているわけでもないが、天使だとわかる何かをかもしだしている。いや、何もかもしだしていないから、天使なのかもしれない。そう、人間らしさがどこにもないのだ。


 とにかく綺麗で、不純物が何も含まれていないような肌。ああ、まるで光でできているようだ。そして瞳は、どこまでも深く、宇宙そのものでできている、そんな瞳だ。


「剛君」

 剛君が泣き止んだ頃、ようやく天使は話しかけた。


「大丈夫。君には、なりたいものになれる力も、幸せになる力もある」

「僕に?」


「そうだ。簡単だよ。そう願えばいいだけだ」

「願ったよ。僕は死ぬ前に、祈ったもの」


「本当に?生きたいって祈るよりも、母親や医者への恨みのほうを感じていなかったかい?」

「それは…」

 剛君は黙り込んだ。


「本当はもっと生きたかった。母親に愛されたかった。いろんな夢を叶えたかった。違うかい?」

「違わない」

「それを願ってごらん。そうしたらすぐに叶えてあげるよ」


「誰が?」

「僕らが…」

「お兄さんが?なんで?お兄さん、誰さ。そんな力あんの?」


「あるよ。君の中にもある。なんでも創造する力がちゃんとあるんだ」

「…ほんと?」

「本当に」


「…本当のほんと?」

「剛君、立ち話もなんだから、うちにミッシェルとおいで」

「ミッシェル?」


「犬の名前。知らなかった?」

「そういえば、そんなふうにお兄さん、呼んでいたね」

 剛君はすっかり泣き止み、天使とともに街の中を歩き、そして消えて行った。


「天使が一緒にいるんだもの。大丈夫よね?」

「うん」

 私たちも広場に戻り、ベンチに腰かけた。ベンチからはまた見事な夕焼けが見えた。


「もう、夕方なんだ」

 空を見上げて、佐助が言った。

「何でも叶う…か」


 私はそう独り言を言った。

「それ、ここだけの話なのかな」


「え?」

「それとも、生きている時にも、なんでも叶えられるのかしらね」


 私がそう佐助に聞くと、佐助は首をひねり、

「生きている時にも叶うなら、僕はいつだって君を守り切れていると思うよ」

と、そうつぶやくように言った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ