第9話 地下牢が快適すぎて、兵士たちの「隠れ家カフェ」になってしまいました
『第零監獄』の空気は、かつてないほど澄み渡っていた。
「うん、いい香り」
私は部屋(牢屋)の隅に設置したプランター(ギデオンからの差し入れ)に顔を寄せ、深呼吸をした。
そこには、青々としたミントやカモミール、レモングラスといったハーブが茂っている。
地下にいながら植物が育つのは、天井に描いた「魔法の太陽」と、私の愛情(水やり)のおかげだ。
南国リゾート風の壁画。
ふかふかのムートンラグ。
そして、爽やかなハーブの香り。
今のここは、もはや監獄ではない。
言うなれば、『ヒーリング・サロン・ヴァルハラ』だ。
「……でも、お客さんがいないと張り合いがないわね」
私は摘み取ったばかりのフレッシュハーブで淹れたティーポットを手に、独りごちた。
ギデオンは公務で忙しいらしく、朝食を運んできて以来、姿を見せていない。
ポヨンはベッドの上で、私の枕を占領して昼寝中だ。
暇だ。
誰かと話したい。
ついでに、この最高傑作のハーブティーを振る舞いたい。
私はティーカップを二つ持ち、鉄格子の扉(もちろん開いている)へと向かった。
「すみませーん、ルームサービスの追加お願いできま……あら?」
廊下に出ると、そこには見慣れない光景があった。
見張り台の近くで、二人の若い兵士が立ったままウトウトと舟を漕いでいるのだ。
目の下には濃いクマがあり、鎧が重そうだ。
「……お疲れ様です」
私が声をかけると、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。
「ひっ!? し、囚人セラフィナ!?」
「だ、脱走か!? 武器を捨てて投降しろ……って、ティーカップ?」
彼らは槍を構えようとしたが、手元が震えて危なっかしい。
私は苦笑しながら、湯気の立つカップを差し出した。
「脱走じゃないわよ。お茶のお誘い。……あなたたち、顔色が悪いわよ? ちゃんと寝てる?」
「え、あ、いや……」
兵士A(赤毛の若者)が、気まずそうに視線を逸らした。
「実は……最近、和平交渉が大詰めとかで、警備体制が強化されてまして……ここ三日ほど、まともに休憩が取れてないんです」
「隊長もピリピリしてるし……現場はもう限界ですよ……」
兵士B(そばかすの少年)が、泣きそうな声で愚痴をこぼした。
なるほど、ブラック職場だ。
ギデオンったら、私には甘いくせに部下には厳しいのね。
私の「姉御肌」スキルが発動した。
戦場でも、疲弊した部下をケアするのは将軍の務めだ。敵国の兵士だろうと、頑張る若者を放っておくわけにはいかない。
「入りなさい」
「へ?」
「立ち話もなんだから、中で座って飲みなさいよ。特製ハーブティーよ。リラックス効果抜群だから」
私は扉を大きく開け放った。
中から漂う、アロマとハーブの芳醇な香り。そして、チラリと見えるふかふかのソファ。
二人の兵士はゴクリと喉を鳴らした。
規律と誘惑の狭間で揺れ動くこと数秒。
「……い、一杯だけなら」
「失礼します……!」
陥落した。
彼らは吸い込まれるように、私の部屋へと足を踏み入れた。
◆
それから一時間後。
事態は思わぬ方向へと発展していた。
「あ~……生き返る~……」
「このソファ、ヤバいっす……腰の痛みが消えていく……」
兵士AとBは、例の『人をダメにするソファ』に沈み込み、魂が抜けたような顔をしていた。
手には私が焼いた(昨夜の残りの)クッキー。
そして、彼らの足元にはスライムのポヨンが張り付き、プルプルと振動してマッサージを行っている。
「いい? 疲れた時は糖分と香りが一番よ。あと、上司の愚痴は溜め込まずに吐き出すこと」
私は椅子に座り、人生相談のカウンセラーのように振る舞っていた。
「聞いてくださいよセラフィナさん! うちの隊長、優秀なんですけど言葉が足りないんですよ!」
「そうそう! 昨日も『全部やっとけ』の一言で書類の山を置いていって……!」
「ああ、ギデオンってそういうとこあるわよねぇ。説明不足というか、コミュ障というか」
盛り上がるガールズトーク(男だけど)。
地下牢は完全に、兵士たちの憩いの場『カフェ・ゼロ』と化していた。
すると、廊下から新たな足音が。
「おい、交代の時間だぞ……って、お前ら何やってるんだ!?」
「あ、先輩! ここのお茶、すっごい美味いっすよ!」
「なんだと? ……俺も腰が痛くてなぁ」
一人、また一人。
噂を聞きつけたのか、休憩中の兵士たちが吸い寄せられるように入ってくる。
気づけば、私の部屋には五人の鎧姿の男たちが車座になり、お茶会を開いていた。
「セラフィナさん、お代わりいいっすか?」
「はいはい。ポヨン、あっちのお兄さんの肩も揉んであげて」
「ぷぎゅ!」
なんて平和な光景だろう。
敵味方の垣根を超えた交流。これこそが、和平への第一歩に違いない。
……しかし。
この「楽園」の主が帰還した時、事態は急変する。
◆
カツン、カツン、カツン。
重く、冷たく、殺気を孕んだ足音が廊下に響いた。
部屋の空気が一瞬にして凍りつく。
『カフェ・ゼロ』の賑わいが、ピタリと止んだ。
入り口に立っていたのは、地獄の底から這い上がってきたような形相のギデオンだった。
「…………貴様ら」
低く、地を這うような声。
眼鏡の奥の瞳は光を失い、背後にはどす黒いオーラが見えるようだ。
手には、私への差し入れと思われる「王都限定プリン」の箱が握りしめられているが、その箱が今にも握り潰されそうになっている。
「た、隊長……!!」
兵士たちが飛び上がり、直立不動の姿勢をとった。
顔面蒼白。ガタガタと膝が震えている。
「勤務中に、油を売っているとはいい度胸だな。……それも、よりによって『ここ』で」
ギデオンが一歩踏み出すたびに、温度が一度ずつ下がっていく気がする。
彼は兵士たちを睨みつけた後、ゆっくりと私に視線を移した。
「セラフィナ」
「あ、ギデオン! おかえりなさい! ちょうどお茶会をしてたの」
「……お茶会、だと?」
彼はピクリと眉を跳ねさせた。
そして、内心で絶叫した。
(――ふざけるなあああああ!!
ここは俺の聖域だぞ!?
俺が心血を注いで作り上げた、セラフィナとの愛の巣(誤解)だぞ!?
なぜ汗臭い男どもが、俺のソファに座っているんだ!
なぜ俺のセラフィナの手作りハーブティーを飲んでいるんだ!
そこは俺の特等席だ! どけ! 今すぐ消えろ!! 嫉妬で血管が切れそうだ!!)
ギデオンの内心など知る由もない兵士たちは、ただただ「処刑される」という恐怖に震えていた。
「隊長、申し訳ありません! つ、つい魔が差して……!」
「言い訳は聞かん。……全員、営倉行きだ」
「ひえぇぇぇ!」
ギデオンが冷徹に宣告した瞬間、私は立ち上がって彼らの前に立ちはだかった。
「待って、ギデオン!」
「……退いてくれ、セラフィナ。これは軍の規律の問題だ」
「ダメよ! 彼らを責めないで!」
私は両手を広げて兵士たちを庇った。
「彼らはサボってたんじゃないの。限界だったのよ!
あなたが無理なスケジュールで働かせるから、心も体もボロボロだったの。
だから私が休ませてあげたの。悪いのは、部下の管理もできない上司じゃない!」
シーン……。
部屋が静まり返った。
敵国の将軍に説教される特務部隊長。前代未聞の構図だ。
ギデオンは目を見開き、私を見つめた。
そして、唇を震わせた。
「(……俺を、叱ってくれている?
俺の部下のために?
敵であるはずの彼らを庇って、あんなに真剣な目で?
……ああ、なんて慈悲深いんだ。やはり彼女は戦乙女ではなく、聖女だったのか。
部下思いの優しい上司……。好きだ。結婚してくれ)」
ギデオンの思考回路は、斜め上の方向に爆走していた。
彼は深い溜息をつき、眼鏡を外して目元を揉んだ。
「……はぁ。分かった、私の負けだ」
「えっ、許してくれるの?」
「ああ。貴様がそこまで言うなら、今回の件は不問にしよう」
兵士たちの顔に、パァッと希望の光が差した。
「た、隊長……!」
「ありがとうございます!」
「礼なら彼女に言え。……さあ、休憩は終わりだ。持ち場に戻れ」
ギデオンが手を振ると、兵士たちは「はい! 失礼しました!」と敬礼し、私に「ごちそうさまでした!」「マジで助かりました!」と頭を下げて、嵐のように去っていった。
◆
部屋には、私とギデオン、そして空気の読めるポヨンだけが残された。
少し気まずい沈黙が流れる。
私はテーブルを片付けながら、チラリと彼を見た。
「……ごめんなさい、ギデオン。勝手なことして」
「いや、構わん。……貴様の言う通り、少し彼らを酷使しすぎていたかもしれない」
ギデオンはソファ(さっきまで兵士が座っていた場所を避けて)に腰を下ろした。
なんだか、少し拗ねているように見える。背中が丸い。
「ギデオン?」
「……別に、怒っているわけではない」
彼は視線を逸らしたまま、ボソリと言った。
「ただ……ここは、静かな場所であってほしかっただけだ」
「静かな場所?」
「ああ。俺が、唯一……貴様とゆっくり話せる場所だからな」
ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
その言葉は、まるで「邪魔されたくなかった」と言っているようで。
というか、完全に嫉妬している子供みたいだ。
(なにそれ。……可愛いんだけど)
私は思わず顔が緩んでしまうのを堪え、新しいカップを取り出した。
「ふふ、そうね。賑やかなのもいいけど、やっぱり静かな方が落ち着くわ」
私はとっておきの茶葉――カモミールとローズヒップのブレンドをポットに入れた。
「お詫びに、さっきの兵士たちには出さなかった『特製スペシャルブレンド』を淹れてあげる。あと、あなたが持ってきてくれたプリンも一緒に食べましょ?」
「……スペシャル、か?」
ギデオンがピクリと反応し、こちらを向いた。
その瞳に、期待の色が灯っている。単純だ。
「ええ。あなただけの特別よ」
私がウィンクしてみせると、ギデオンは口元を手で覆い、ソファのアームレストに顔を埋めた。
「ッ……!!(特別……俺だけ……特別……!
くそっ、兵士たちが座ったソファなど焼き捨ててやろうかと思ったが、彼女のその一言で浄化された!
今なら世界中の全てを許せる気がする!)」
ギデオンは深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、咳払いをして姿勢を正した。
「……もらおう。貴様の淹れる茶は、悪くない」
「素直じゃないわねぇ」
私は二つのカップに紅茶を注ぎ、彼の隣に座った。
ハーブの香りが立ち上る中、私たちは肩を並べてプリンを食べた。
「……美味い」
「でしょう? 行列ができるのも納得ね」
「ああ。……だが、茶の方が美味い」
「あら、お世辞が上手になったわね」
ギデオンはプリンの空き箱を指で弄りながら、小さな声で言った。
「セラフィナ」
「ん?」
「……今後、他の男を部屋に入れる時は、俺の許可をとれ」
「えー、面倒くさいなぁ」
「ダメだ。許可制だ。……心配なんだ(独占したいんだ)」
彼の耳が赤いのを見て、私は「はいはい」と笑って頷いた。
まったく、過保護な大家さんだこと。
こうして、『カフェ・ゼロ』は一日限りの営業で幕を閉じた。
けれど、この一件以来、城内の兵士たちの間で「地下牢の聖女様」の噂が広まり、私の元にこっそりと差し入れ(お菓子や花)が届くようになったのは、また別の話である。
そして、それを見つけるたびにギデオンが般若のような顔で焼却処分していることも、私はまだ知らない。
---
一方その頃、ロイドの愚痴。
「隊長、機嫌直してくださいよ。
兵士たちの士気が爆上がりして、業務効率が3倍になったんですから結果オーライでしょう?
……え? 『セラフィナファンクラブ』結成の動きがある?ああ、それは潰しましょう。徹底的に」




