第8話 敵国の王女様が乗り込んできたので、一緒にパジャマパーティーをしました
その日、第零監獄にはいつになく張り詰めた空気が漂っていた。
「……セラフィナ。今日は少し、騒がしくなるかもしれない」
朝食のフレンチトーストを運んできたギデオンの顔色が、いつになく悪い。
彼の眼鏡の奥の瞳には、焦燥と、隠しきれない憂鬱が滲んでいた。
「どうしたの? ギデオン。またペンキの匂いで気持ち悪くなった?」
「違う。……『天敵』が来るんだ」
天敵?
最強の尋問官と呼ばれ、泣く子も黙るギデオン・アークライトに天敵なんているの?
私が首を傾げたその時だった。
カツン、カツン、カツン。
廊下の奥から、高く鋭いヒールの音が響いてきた。
そして。
「お退きなさい! 私を誰だと思っているの!」
凛とした、しかし傲慢さを隠そうともしない少女の声が轟いた。
鉄扉が(鍵はかかっていないので)勢いよく開け放たれる。
「――見つけたわよ、ギデオン様をたぶらかす泥棒猫は!」
現れたのは、豪奢な真紅のドレスを身に纏った美少女だった。
金色の縦ロールヘア、吊り上がった勝ち気な瞳。手には扇子を持っている。
いかにも「高貴な身分です」というオーラを全身から放っていた。
「シャルロット王女……!」
ギデオンが苦虫を噛み潰したような顔で名を呼ぶ。
なるほど、彼女がこの国の王女様か。
それにしても。
「泥棒猫……?」
私はきょとんとして彼女を見た。
彼女は私をビシッと扇子で指差した。
「そうよ! 貴女ね、帝国の女騎士というのは!
ギデオン様が最近、職務にかこつけて地下に入り浸りになっていると聞いたわ。
あろうことか、私の愛するギデオン様を骨抜きにし、貢がせている悪女がいるとね!」
王女様は鼻息荒く捲し立てた。
なるほど、誤解だ。
私は骨抜きになんてしていないし、貢がせてもいない。彼が勝手に持ってくるのだ。
「はじめまして、王女様。私はセラフィナです。猫じゃありませんが、猫は好きですよ」
「は……? 何を言っているの?」
私の挨拶に、王女様は毒気を抜かれたように瞬きをした。
ギデオンが慌てて割って入る。
「シャルロット様、ここは危険です。彼女は敵国の将軍、いつ何時襲いかかってくるか……」
「お黙りなさいギデオン! 私は貴方の目を覚まさせるために来たのよ!」
王女様はズカズカと部屋(牢屋)の中に踏み込んできた。
そして、部屋の中を見渡し――絶句した。
「……は?」
彼女の視線が、南国のビーチを描いた壁画、ふかふかのムートンラグ、天蓋付きのキングサイズベッド、そして部屋の隅に積まれた高級スイーツの箱を捉える。
「な、なによこれ……」
扇子を持つ手が震えている。
「私の部屋より……豪華じゃないの……!」
「えっ、そうなんですか? 王女様の部屋ってもっと凄いのかと思ってました」
私が素直に感想を言うと、彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
「こ、小生意気な! 囚人の分際で、こんな贅沢が許されると思っているの!?」
彼女の怒りのボルテージが上がった。
これはまずい。せっかくの快適な生活が脅かされるかもしれない。
私はどう対応すべきか考えた。
武力で制圧? いや、王族に手を上げたら国際問題だ。
ここは一つ、私の得意な戦術でいくしかない。
すなわち、『おもてなし』だ。
「王女様、立ち話もなんですし、座りませんか? ちょうど美味しい紅茶が入ったところなんです」
「はぁ!? 誰が貴女なんかの……」
「『アンジュ』の季節限定マカロンもありますよ?」
ピクリ。
王女様の動きが止まった。
やはり。年頃の女の子は甘いものに弱い。これは世界共通の真理だ。
「……あ、あの行列のできる店の?」
「はい。ギデオンさんが、全種類買ってきてくれたんです。私一人じゃ食べきれなくて」
「…………」
王女様は葛藤していた。
プライドと食欲の壮絶な戦い。
私は追撃の手を緩めない。
「あと、このソファ、すっごく座り心地がいいんですよ。一度座ったら立てなくなる『人をダメにするソファ』なんです」
「そ、そんな魔道具が……!?」
王女様は恐る恐る、革張りのソファに腰を下ろした。
ずぷん。
彼女の華奢な体が、柔らかいクッションに包み込まれる。
「……っ! な、なによこれ……! まるで雲の上みたい……!」
「でしょう? さあ、紅茶もどうぞ」
私が手際よくティーカップを差し出すと、彼女は抗う術を失っていた。
一口飲んで、ほう、とため息をつく。
ギデオンはその光景を、口を開けて見ていた。
副官のロイドがこっそり耳打ちする。
「隊長、セラフィナさんの懐柔スキル、すごくないですか?」
「あ、ああ……。シャルロット様があんなに大人しくなるなんて……」
しかし、平和なティータイムは長くは続かなかった。
ベッドの下から、青い影が忍び寄ってきたのだ。
「ぷきゅ?」
スライムのポヨンだ。
来客の気配に目を覚ましたらしい。
ポヨンはプルプルと震えながら、王女様の足元に擦り寄った。
「きゃあああああっ!!」
王女様が悲鳴を上げた。
マカロンを落としそうになりながら、ソファの上に飛び乗る。
「な、なによこの物体は!! 魔物!? 襲われるわ!! ギデオン、斬り捨てなさい!!」
「あ、待ってください!」
ギデオンが剣に手をかけるより早く、私はポヨンを抱き上げた。
「襲ったりしませんよ。この子はポヨン。私のペットです」
「ぺ、ペットぉ!?」
「はい。とっても大人しくて、触り心地がいいんです」
私はポヨンを王女様の目の前に差し出した。
ポヨンは「ぷるるん」と震え、つぶらな瞳(らしき点)で王女様を見つめた。
「ひっ……! ち、近づけないで……!」
「大丈夫ですよ。ほら、ちょっと触ってみてください」
私は王女様の手を取り、ポヨンの表面に触れさせた。
ムニッ。
「……っ!」
王女様の指が止まった。
ひんやり、もちもち、ぷるぷる。
その未知の感触に、彼女の瞳孔が開く。
「……な、なによこれ……」
「気持ちいいでしょう?」
「……悔しいけど、悪くないわね。……いえ、最高じゃない……!」
王女様はソファから降りると、恐る恐るポヨンを両手で包み込んだ。
ポヨンも彼女に懐いたのか、彼女の手の中で形を変え、すっぽりと収まる。
「か、可愛いいいいい!!」
陥落した。
王女様はポヨンを頬ずりし始めた。
チョロい。いや、素直で良い子だ。
「シャルロット様……?」
ギデオンが呆然と声をかけると、王女様はハッとしてキリッとした顔を作った。
だが、その腕にはしっかりとスライムが抱かれている。
「ギデオン! 私、決めたわ!」
「は、はい。お帰りになりますか?」
「いいえ。今日はここに泊まるわ!」
その場にいた全員(私、ギデオン、ロイド)が固まった。
「……は?」
ギデオンが間の抜けた声を出した。
「と、泊まる? ここに? 地下牢に?」
「そうよ! このソファ、このお菓子、そしてこのモチモチした生き物!
私の部屋より快適だもの!
それに……この女、気に入ったわ。私の話し相手にしてあげる!」
王女様は私をビシッと指差した。
「いいわね、セラフィナ! 今夜は朝まで付き合いなさいよ!」
「えっと、私は構いませんけど……」
「よし! 決定ね! さあギデオン、貴方たちは出て行きなさい!」
「えっ」
王女様はギデオンとロイドを扉の方へ追いやった。
「こ、これから『ガールズ・トーク』という神聖な儀式を行うのよ! 男は立ち入り禁止!」
「し、しかしシャルロット様! 護衛もなしに……」
「ポヨンがいるから大丈夫よ! さっさと出て行って!」
バタン!!
無慈悲にも鉄扉が閉められた。
廊下に取り残されたギデオンの、「せ、セラフィナーッ!!」という悲痛な叫び声が、微かに聞こえた。
◆
こうして、敵国の王女様との奇妙なパジャマパーティーが始まった。
王女様(シャルロットちゃんと呼ぶことになった)は、侍女を呼びつけて自分の最高級パジャマを持ってこさせた。
私も、ギデオンが用意してくれていたフリル付きのネグリジェに着替える。
「あら、意外と可愛い趣味してるじゃない。ギデオンが選んだの?」
「うん。サイズもぴったりだったわ」
「……あのお堅いギデオンが、女性の寝巻きを選んでる姿なんて想像できないわね」
シャルロットちゃんはクスクス笑いながら、ベッドの上でポヨンを枕にして寝転がった。
私たちはお菓子を食べながら、恋バナならぬ、ギデオン談義に花を咲かせた。
「ねえ、シャルロットちゃんはギデオンのことが好きなの?」
「はぁ!? バカ言わないでよ!」
彼女は顔を赤くして否定した。
「あんな堅物、兄みたいなものよ。昔から、剣術ばかりで頭が固くて……。
でも、最近様子が変だったの。
執務室に閉じこもってニヤニヤしたり、女性用コスメを買い込んだり。
だから私、てっきり悪い女に騙されてるんじゃないかって心配で……」
彼女はチラリと私を見た。
「でも、貴女を見て分かったわ。……騙されてるんじゃなくて、あいつが勝手に舞い上がってるだけね」
「舞い上がってる?」
「そうよ。貴女、気づいてないの? ギデオンのあの視線」
シャルロットちゃんは呆れたように溜息をついた。
「あれは、獲物を狙う目じゃないわ。……大切な宝物を見る目よ」
私はきょとんとした。
宝物? 私が?
いやいや、私は捕虜だし、彼は尋問官だ。
確かに優しくはしてくれるけど、それは情報収集の一環だろう。
「買いかぶりすぎよ。彼はただ、仕事熱心なだけ」
「……はぁ。この鈍感さ、ギデオンが不憫になってきたわ」
シャルロットちゃんは肩をすくめると、真剣な表情で私を見つめた。
「ねえ、セラフィナ。
貴女、国に帰りたい?」
その質問に、私は言葉に詰まった。
帰らなければならない。父も母も、部下たちも待っている。
けれど。
この暖かくて、甘い香りのする地下牢。
毎日美味しいご飯が出てきて、面白い尋問官がいて、可愛いスライムがいる場所。
「……正直、もう少しここにいてもいいかなって思ってる」
「ふふ、そう」
シャルロットちゃんは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私が許可してあげる。
ギデオンは不器用だけど、根は悪くないわ。
もう少し、あいつの相手をしてあげてちょうだい」
それは、王女としての命令というより、妹としての頼みごとのようだった。
私はなんだか胸が温かくなって、深く頷いた。
「うん。分かったわ」
◆
一方その頃。
扉の外、廊下の冷たい石床の上で、ギデオンは体育座りをしていた。
「……静かになったな」
ロイドがコーヒーを差し出しながら言った。
「ええ。もう寝たんでしょう」
「……楽しそうだったな」
「笑い声が聞こえてましたね」
ギデオンは膝に顔を埋めた。
「俺も……俺も混ぜてほしかった……」
「無理です。諦めてください」
「セラフィナのパジャマ姿……。シャルロット様だけが見たのか……。
俺が選んだ、あの淡いブルーのフリル付きネグリジェを……!」
「隊長、想像だけで鼻血出すのやめてもらっていいですか」
ギデオンは苦悩していた。
愛しい人と、天敵の王女が同じ部屋で寝ている。
万が一、シャルロットの寝相が悪くてセラフィナを蹴飛ばしたりしたら?
いや、逆にセラフィナが寝ぼけてシャルロットを関節技で極めたりしたら?
「心配だ……。俺は一睡もせずに見張るぞ」
「はいはい。僕は仮眠とりますからね」
◆
翌朝。
朝日(魔法の光)が差し込む部屋に、ギデオンが恐る恐る入ってきた。
「……失礼する」
彼が目にしたのは、平和そのものの光景だった。
大きなベッドの上で、シャルロットちゃんと私が、ポヨンを真ん中に挟んで眠っていたのだ。
私の布団がはだけているのを、シャルロットちゃんが無意識に直そうとしてくれているようにも見える。
「……尊い」
ギデオンはその場に立ち尽くし、胸を押さえた。
二人の美少女(と一匹)の寝顔。
それは、戦争など忘れてしまうほどに清らかな光景だった。
「ん……あ、ギデオン?」
私が目を覚まし、あくびをしながら身を起こすと、ギデオンは慌てて顔を背けた。
「お、おはよう! まだ寝ていていい! 朝食を持ってくる!」
「ふふ、おはよ。シャルロットちゃんも、よく寝てるわ」
隣でシャルロットちゃんも目を覚ました。
彼女はギデオンを見ると、ニヤリと笑った。
「おはよう、ギデオン。……貴方、いい人を見つけたわね」
「……は?」
「協力してあげるわ。この子の『無期限滞在』」
シャルロットちゃんは私にウインクをした。
「セラフィナは私の友達よ。粗末に扱ったら承知しないからね!」
こうして、最強の味方(王女様)を手に入れた私は、ますますこの地下牢での地位を盤石なものにしたのだった。
ギデオンは、なぜかずっと顔を赤くしてモジモジしていたけれど。
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一方その頃、ロイドの業務日誌。
『本日の特記事項:
シャルロット王女が、第零監獄の常連になりました。
「あそこのお菓子が一番美味しい」とのこと。
……隊長の給料、そろそろ底をつくんじゃないですか?』




