第2話 冷徹な尋問官は、私の好みを尋問したくてたまらない
小鳥のさえずりが聞こえる。
柔らかく降り注ぐ朝の日差しと、鼻をくすぐるラベンダーの香り。
私は、雲のようにふかふかな布団の中で、幸せな微睡みを貪っていた。
(んん……よく寝た……。やっぱり、最高級の羽毛布団は違うわね。実家の煎餅布団とは大違いだわ)
私は枕に顔を埋め、大きく伸びをした。
戦場での野営生活が長かったせいか、こんなに深く眠れたのは何年ぶりだろう。
あまりの快適さに、ここがどこなのか一瞬忘れそうになる。
……ハッ!
待ちなさい、セラフィナ。思い出せ。
ここは高級ホテルでも、天国でもない。
私はガバッと上半身を起こした。
「……そうだ。ここは敵国ガリアの地下牢、『第零監獄』だったわ」
周囲を見渡す。
昨日、あの強面な尋問官ギデオンの手によって劇的ビフォーアフターを遂げた部屋が、そこにあった。
殺風景だった石壁にはピンク色の壁紙が貼られ、床にはムートンラグ。
鉄格子の向こうにある窓(※ギデオンが魔法で壁に描かせた偽物)からは、爽やかな朝の光(※魔法の光)が差し込んでいる。
私は頬をパチンと叩いて気合を入れた。
「いけない、完全に油断していたわ。これが敵の狙い……『睡眠による思考停止作戦』ね!」
恐ろしい。あまりに恐ろしい罠だ。
人間、衣食住が満たされると、こうも闘争本能が削がれてしまうものなのか。
私はベッドから降り、軽いストレッチを始めた。
たとえ囚われの身であっても、身体は鍛えておかねばならない。いつか訪れる脱出の時のために。
屈伸運動をしながら、ふと鉄格子の扉に目をやる。
昨夜、ギデオンたちは私にタルトを食べさせた後、嵐のように去っていった。
当然、扉には厳重な鍵がかけられているはず――。
「……あれ?」
扉が、数センチほど開いていた。
隙間風がヒュウと吹き込んでいる。
(鍵のかけ忘れ? まさか、あの完璧主義そうな眼鏡の尋問官が、そんなミスをするはずがない)
私は警戒しながら扉に近づき、指先でツンと押してみた。
ギィィ……。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉はいとも簡単に開いてしまった。
「……嘘でしょ」
私は廊下に顔を出した。
見張りすらいない。
いや、廊下の向こうにある詰め所に、誰かが座って新聞を読んでいるのが見える。
あれは昨日の副官、ロイドだ。
「あのー、すみません。ロイドさん?」
私が声をかけると、ロイドはビクッと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを向いた。
その顔には「ああ、また面倒なことが起きた」と書いてある。
「……なんですか、囚人セラフィナ」
「扉、開いてるんですけど。脱走しちゃいますよ?」
「ああ、それですか」
ロイドは新聞を畳み、気だるげに眼鏡の位置を直した。
「隊長の命令です。『閉塞感は淑女の肌に悪い。換気を良くし、彼女が出入りしたい時に出られるようにしておけ』とのことです」
「はい? 囚人に出入りの自由を?」
「あと、『もし彼女が逃げ出したら、それは俺の魅力不足だ。甘んじて受け入れる』とも言ってました」
私は絶句した。
な、なんて……なんて大胆不敵な男なの、ギデオン・アークライト!
(これは試されているんだわ。『逃げられるものなら逃げてみろ。どうせ貴様は私の掌の上だ』という挑発……!)
武人として、背中を見せて逃げ出すわけにはいかない。
ここで逃げたら、彼の思惑通り「敗走」することになる。
「ふふん。いい度胸ね。そこまで言うなら、意地でも逃げないわ! この牢屋の居心地を極限まで享受して、あなたたちの予算を食いつぶしてやるんだから!」
私が拳を握りしめて宣言すると、ロイドは虚空を見つめて呟いた。
「……そうしてくれると助かります。隊長が『彼女がいなくなったら俺も死ぬ』とか言い出しかねないので」
その時だった。
廊下の奥から、カツン、カツンという規則正しい足音が響いてきた。
空気の温度が一度下がったような気がした。
現れたのは、黒い軍服を隙なく着こなしたギデオンだ。
今朝もまた、その美貌は冷たく研ぎ澄まされている。
片手には分厚いファイル、もう片手には大きな銀色のバスケットを持っていた。
「おはよう、セラフィナ。目覚めはどうだ」
低く響く声。
彼は私の前に立つと、氷のような視線で私を見下ろした。
(来たわね、『氷の尋問官』……! 今日の拷問は何かしら)
私は身構えた。
「おはようございます、看守さん。おかげさまで、死んだように眠れました」
「……そうか。それは重畳だ」
ギデオンは無表情のまま頷いた。
だが、その内心では、凄まじい嵐が吹き荒れていることを私は知る由もない。
(――可愛い。寝起きのセラフィナ、破壊力が凄まじい。
少し跳ねた髪の毛が愛おしい。頬に残る枕の跡さえ芸術的だ。
「死んだように眠れた」? つまり俺が選んだ最高級羽毛布団に満足してくれたということか! よし、メーカーに追加発注だ。予備を含めてあと五枚買おう)
ギデオンは内心の興奮を必死に押し殺し、クールな仮面を維持するために奥歯を噛み締めていた。
彼は部下のロイドにバスケットを渡すと、私の部屋(牢屋)の中にあるテーブルセットにそれを広げさせた。
ふわりと漂う、焼きたてのパンとコーヒーの香り。
バスケットから出てきたのは、ふわふわのオムレツ、厚切りのベーコン、そして色鮮やかなサラダだった。
「朝食だ。毒などは入っていない。貴様の身体は、我が国の重要な情報源だからな。健康管理も尋問官の務めだ」
「わぁ……! カリカリベーコン!」
私の目が輝く。
帝国の配給食料なんて、硬い干し肉と黒パンばかりだったのに。
ギデオンは椅子を引き、私に座るよう促した。
「食べながらでいい。尋問を始める」
彼は対面のソファに座り、足を組んだ。
そして分厚いファイルを広げ、羽ペンを構える。
(くっ……食事を与えて油断させ、その隙に情報を抜き取る気ね。卑劣な!)
私はフォークでオムレツを突きながら、彼を睨み返した。
「何を聞きたいの? 我が軍の配置? それとも補給路?」
「そんな無粋なことは聞かん」
ギデオンは鼻で笑った。
そして、鋭い眼光を私に向け、低い声で問いかけた。
「貴様の……『好きな花』は何だ」
「は?」
私は口に入れたオムレツを吹き出しそうになった。
予想外の質問に、思考が追いつかない。
「は、花? なんでそんなことを?」
「質問に質問で返すな。答えろ」
彼は威圧的にペンを走らせる準備をしている。
私は必死に頭を回転させた。
(好きな花……これを聞き出してどうする気?
まさか、特定の花粉を使ってアレルギー反応を引き起こす気か!?
それとも、その花の香りを充満させて、私の集中力を奪う精神攻撃!?)
なんて深謀遠慮な男なの。
だとしたら、嘘をつくべきか? いや、嘘を見破る魔道具を持っているかもしれない。
ええい、ままよ!
「……ひまわり」
「ひまわり、か」
「ええ。太陽に向かって咲く強さが好きなの。……これで、私をひまわり畑に埋めて肥料にする気!?」
私が身構えると、ギデオンは真剣な顔でメモを取った。
『好きな花:ひまわり。
考察:彼女の明るい笑顔に似合う完璧な花だ。直ちに王室庭園の庭師を脅して……いや説得して、地下牢の中に人工太陽とひまわり畑を作る計画を立案する』
彼はメモを書き終えると、満足げに頷いた。
「なるほど、ひまわりか。……悪くない(最高だ)」
「っ……! 何を企んでいるの……」
「次だ。貴様の『好きな色』は?」
「また個人的なことを! ……赤よ。情熱の赤!」
ギデオンのペンが高速で走る。
『好きな色:赤。
考察:戦乙女の二つ名に相応しい。次のドレスの差し入れは真紅のシルクで決定だ。ルビーのネックレスも手配しよう。予算? ロイドの給料を前借りすればいい』
背後で控えていたロイドが、突然寒気を感じたように体をさすった。
ギデオンは次々と質問を繰り出してくる。
「好きな動物は?」
「犬! もふもふした大きい犬!」
「休日の過ごし方は?」
「鍛錬か、街のスイーツ巡り!」
「……では、最後の質問だ」
ギデオンの手が止まった。
彼は一度眼鏡を外し、ハンカチで丁寧に拭うと、再びかけ直した。
その瞳が、今まで以上に真剣な光を帯びて私を射抜く。
ゴクリ、と私は喉を鳴らした。
来る。確信に迫る質問が。
「貴様の……『好みの異性のタイプ』を教えろ」
部屋の空気が凍りついた。
私はフォークを取り落とした。
(こ、好みのタイプ!?)
私の脳内で警報が鳴り響く。
これは危険だ。最も危険な質問だ。
好みのタイプを知られるということは、つまり「ハニートラップ」を仕掛けられるということ!
私の理想通りの男を刺客として送り込み、私を籠絡して情報を吐かせる作戦に違いないわ!
(くっ……敵ながらあっぱれな策士。でも、そう簡単には引っかからないわよ!)
私はニヤリと笑った。
ハニートラップなど通用しないということを、教えてあげるわ。
「残念ね、ギデオン。私、恋愛には興味がないの」
「……ほう?」
ギデオンの眉がピクリと動いた。
内心で彼が『よっしゃああああ!! 婚約者はいない! 虫もついてない! 俺の独壇場だ!!』とガッツポーズをしていることなど、知る由もない。
「私は剣に生きる女。私より弱い男になんて興味はないわ」
「……強さ、か」
「ええ。でも、強いて言うなら……」
私は少し意地悪な気持ちになって、目の前の「氷の尋問官」をからかってみることにした。
どうせハニートラップを仕掛けるなら、ハードルを上げてやろう。
「私のワガママを全部聞いてくれて、美味しいご飯をたくさん食べさせてくれて、あと……」
「あと?」
私はギデオンの顔をじっと見つめた。
黒髪に、知的な眼鏡。冷たいようでいて、時折見せる情熱的な瞳。
……うん、悪くない。というか、顔だけならかなり好みだ。
「……眼鏡が似合う、知的な人かな?」
私がそう告げた瞬間。
バキッ、という音がした。
ギデオンが持っていた羽ペンが、真っ二つに折れていた。
「――ッ!!」
ギデオンは口元を手で覆い、猛烈な勢いで顔を背けた。
耳はおろか、首筋まで真っ赤になっている。
「ど、どうしたの? ペン折れちゃったけど」
「な、何でもない……! ただの筋力トレーニングだ!」
彼は裏返った声で叫んだ。
――俺だ。
それ、完全に俺のことじゃないか?
ワガママを聞く? 任せろ、国庫が空になるまで聞く。
ご飯? 専属シェフを雇おう。
眼鏡? 今日から寝る時もかけてやる。
もしかして、彼女も俺のことが……? いや、待て。自惚れるなギデオン。これは尋問だ。彼女は俺を警戒している。そんなはずがない。
でも、「眼鏡が似合う人」って言いながら俺を見たぞ? あの上目遣いは反則だろう!?
心臓が痛い。誰か救心を持ってこい。
ギデオンは荒くなった呼吸を整えるのに必死だった。
ロイドが溜息をつきながら、新しいペンを差し出す。
「隊長、動揺しすぎです。作戦続行不可能なら代わりますよ」
「断る! これは俺の聖戦だ!」
ギデオンは私に向き直ると、震える手でコーヒーカップを持ち上げた。
「そ、そうか。眼鏡か。……ふん、奇遇だな。私も眼鏡をかけている」
「そうね。とっても似合ってるわよ?」
「ブフッ!!」
ギデオンはコーヒーを盛大に吹き出しそうになり、なんとか飲み込んだものの、激しく咽せ始めた。
「ゲホッ、ゴホッ! ……き、貴様……これは……高度な撹乱作戦か……!?」
「ええ? 褒めただけなのに」
私は首を傾げた。
変な人。褒められるのに慣れていないのかしら?
敵国の拷問官って、もっとこう、精神的にタフだと思っていたけれど。
ギデオンはゼーゼーと息をしながら、真っ赤な顔で私を睨んだ(つもりだが、瞳は潤んでいる)。
「お、覚えておけ、セラフィナ。私は……私は貴様が音を上げるまで、徹底的に尽くす(拷問する)からな!」
「望むところよ! 次はどんな美味しいものが出てくるのか楽しみだわ!」
私はオムレツの最後の一口を放り込み、ニカっと笑った。
ギデオンはその笑顔を見て、またしても限界を迎えたらしい。
彼はフラフラと立ち上がると、ロイドに支えられながら出口へと向かった。
「……撤収だ。これ以上は、俺の精神(理性のタガ)が持たん」
「はいはい、お疲れ様でした。……あ、セラフィナさん、お皿はそのままでいいですよ」
バタン、と扉が閉まる。
もちろん、鍵はかかっていない。
部屋に残された私は、満腹のお腹をさすりながら、ふかふかのソファに沈み込んだ。
「ふふっ。勝ったわ」
私は勝利を確信した。
あの尋問官、最後は顔を真っ赤にして逃げ出したじゃない。
私の「何でも受け入れる度量の広さ」と「天然のカウンター攻撃」に、調子を崩したに違いない。
「この調子なら、案外早く脱出できるかも……でも」
私は部屋を見渡した。
ひまわりが飾られる予定のスペースを想像する。
次の食事のメニューを想像する。
「……もう少しだけ、捕まっていてあげてもいいかな」
だって、あんなに一生懸命な「尋問官」を一人にするのは、なんだか可哀想な気がしたから。
こうして、私の快適すぎる監禁生活二日目は、平和に過ぎていくのだった。
一方その頃、詰め所に戻ったギデオンは、机に突っ伏して叫んでいた。
「ロイド! 彼女が俺の眼鏡を褒めた! 褒めたぞ! これは結婚の申し込みと受け取っていいのか!?」
「いいわけないでしょう。仕事してください」




